凡作・天地人

 先月から木工の愛好会に誘われ、物まねをやって楽しんでいます。
第一作は、天地人に挑戦して汗だくになって1週間掛かりました。
いい加減な凡作ですが、こんなものができました。
 当地に、与六さん(子役)が訪ねられるとか?果たして実現なるか
楽しみです。「わしゃ、そんな所に行きたくはない!」となって、
オジャンになるかも・・・。   失礼いたしました。 

(09/06/10 UP)


 火鉢で切り餅を焼いている

懐かしい情景の創作人形


 幼い頃の我が家の風情が懐かしく思い出される様な 人形の個展 の模様です。
現役時の同僚の奥さんが粘土いじりを始めた事を聞き、時折ヒ ヤカシで茶飲みに行っていました。その内に粘土人形だけでは物足らぬと、織 物に携わった事を生かし何時しか着物を着せる創作人形に変わり、人の目を惹 く作品を仕上げる様になったのです。

 作品は彼女の育った時代に絞り、山間の 家庭の情景を現したもの。布地はなくなられた方のタンスなどに納められてい た物を頂き、今は見られないカスリ柄や紬・・・です。そこで、地域の方から 見て貰う様に個展をお勧めする事に約半年程。漸く腰上げて頂き先日お披露目 となりました。

 会場に来られる方は、苦労した両親の事や自分の生活体験を 懐かしまれて感動し、涙を流して居られる方が多く見かけました。きっと、今 の世と苦労された時代の事に思いを馳せて居られたのでしょう。 ご覧下さい !(08/10/01UP)


 
                 能登島の日の出

 米沢で机を並べてた飲み助友恒例の旅は能登の海となり、埼玉・金沢・長岡からの集いは今年も元気な姿を確かめ会えました。昔ごとや歳相応の持病な どの尽きない話が夜更け迄。メタボ規制は骨皮筋右衛門作りの施策で薬屋への肥やし配りだと埼玉がブツブツ言ってた。宿のメニューはメタボの増進メニ ューで、仲居さんは捨て去る量が多いと言う。ナンダカンダ言いながらも海鮮 の美味さでペロリと。明日から粥の粗食暮らしにしようと、勝手な落ちとなっ た。

 翌朝は能登島をざっと流して、輪島市の山間地に有る総持寺(鶴見区)の祖院である総持寺付近に「ミヤマキリシマ(ツツジ)」が有ると聞いて、道迷 いながら豪華な旧家に辿り着けました。200年程の見事な緋色のキリシマお話 をご主人から聞きながら 喜びひとしおで つぶさに観賞してきました。

 キリシマは、九州に自生するだけで 本州では株分け苗木が能登周辺に有る 位との事。 その後は羽咋市の長いビーチの名所である千里浜を車で走ってか ら一路金沢市街の近江町市場(魚)へ。昼食にと特大の鯛を買って路地並びに有 る料理してくれる店に持ち込んではメタボ昼食。最後は、利家公ゆかりの 尾 山神社で身を清めて 新緑の溢れる金沢を名残惜しんで帰途に着きました。
 ※ 写真は日の出の能登島の眺めです。 (敏和)




ゆうびんや さん

 先日、当地長岡市出身の童画家・川上四郎作品展が有り、純粋素朴な童心の表情を描いた絵を観た様子を便りにさせて貰います。

 小学3年と4年生の孫の課外学習(作品観賞)に爺婆の参加を募った企画が有り、昔の子どもの生活の様子を子どもに話してあげる仕組みでした。

 観賞の後、展示室隣の部屋で 話してあげる役になり 参ったでした!次々と意外な質問責めに遇い、子どもの感受性や発想に驚きと感心をした汗だくの1時間 (ラクチン顔の先生を横目に)でした。

 作者はお馴染みの‘幼稚園’とか‘小学○年生’等の表紙画それに童話等の挿絵の画家。自分が農作業の手伝い等で買って貰った頃の郷愁がほのぼのと描かれた絵を観ながら、地もとの画家とは初めて知って親近感を得ました。雪国の挿絵を1枚添付しますのでよろしく。(敏和)










栃尾てまり「子」
越後からの便り
08/01/05 UP
・・・・・(中略)・・・・・
 昨今の越後は海辺を除き 漸く落ち着きを取り戻しました。立て続きに襲ってきた あの天変地異は、何の呪いが有ったのだろうと未だに疑念の様なものが離れません。ここ3年で被災者と触れ合いを度重ねる中に、新たな絆も生まれて「支え合う 生き方」についての多くの事を学びました。そのお礼に何かをと考え次の事を提案したら喜ばれて 取り組みが実践できました。

 それは後悔を忘れ反省の+思考主義でみんなが S・K・Dの呪文=(心配しない・必ず良くなる・大丈夫のイニシャル)を合い言葉で毎日をスタート。浮き沈みが有ったけど、結果として大きなパワーが実りました。ふり返ると、或る時期の愚生は、安住の地を求めて災害に強く移住も出来るトンネル型の住まいの設計に没頭した人間に落ちていました。然し最後には、ここまで培ってきた地域コミュニケーションが無くなる不安が全てを帳消しにしてくれました。でもこんな馬鹿げた夢を描けたのは被災を免れたからと無事を神に感謝して被災者の復興に微力の手伝いが出来た事を自己満足しています。

 さて、待望の大きな出番を迎える【天地人】、恩師 曽根先生は 縁の地六日町・与板町などに招かれて講演をされていた様です。こちらでも米沢市同様に春日山の上越市はじめ景勝・兼続両公の生誕地である坂戸城址の六日町、そして直江家の与板城址の町も大変沸いています。では、越後の縁の地で際立つものを紹介します。先ず【越後に'味噌なめたか'の古刹あり 】。そこは六日町のすぐそばの塩沢町西郊にある【関興寺】です。

 上杉公より教典を寄進された 時の住職(春日山近郊)が 御舘の乱の際、600余巻の教典を寺の味噌桶の中に埋めて焼失を免れたと言う上杉家ゆかりの古刹。以来、この寺の味噌は大般若経のご利益に預かり福徳が授かると言われて愚生も どうか穏やかな年を!と願を掛け 1瓶の味噌を買ってきました。

 次ぎに、ご本尊様直江家の与板町には18年程前に建てられた【兼続公の勇姿が見事な銅像】で、一際目を引いています。公の妻の名が付いた'お船の清水'への客足も多い様子。伝統工芸の打刃物でも知られる金物の街。現代版になると、栃尾油揚げ如きに ジャンボお焼きの店が有って客が列をなす程。(注)【関興寺】・・・円覚寺派の禅宗・臨済宗の 創建600余年の古刹。

 開祖が初代関東管領・上杉憲顕の子になる覚翁祖和尚。→ 春日山から会津へ そして1601年に景勝公と共に米沢に移って関興庵を建立。米沢で幾多の存亡の危機を経て1670年頃に現在地に移って 関興寺に名を改め、以来330年の古刹の禅寺。夏には、関東から多くの座禅の人が訪れます。さてドラマに出るかな?・・。長々と失礼を省みず、駄文になって大変恐縮です。(敏和)