2007年2月2日(金)
長男と次男

長男の北海道スキー教室…火曜日の夜に飛行場から2時間バスに乗り、キャンパスに到着したそうです。高校から、ファックスがきて、無事に皆着いたようです。

その日の夜は校長先生の三浦雄一郎先生のお話を聞いたようです。子ども達は先生に、いくつも質問をしていたそうです。たぶん、長男は質問していることでしょう。「何か質問はありませんか?」と聞かれた時に、長男が質問しないということは、ほとんどありえないからです。的がはずれたことを質問したりはしないでしょうが、親としていつもんそんな時はドキドキしていました。

水曜日はパウダースキーの中でのスキー教室で、予定より1時間多く実習することになったようです。夜には、餅つき大会をしたようです。

木曜日は、別のスキー場に移動して、スキー検定をしたそうです。今回初めてスキーをした子ども達も、中・上級コースに出て滑ったそうです。長男もかしら…2日間でどのぐらい滑れるようになるのかしら…今月の三者面談でスキー検定の合否を聞けるようです。

金曜日は、キャンパスを出て小樽に行きました。今晩は、旅館に泊まり温泉でのんびりすごせるようです。私が夕方犬の散歩に出ている時に、長男から電話が入ったと母が教えてくれました。「千と千尋の神隠し」を録画していて欲しいという電話だったそうです。風邪もひいていないと返事していたようです。声も元気があったと母は言っていました。待ちに待った連絡が、録画とは…苦笑しながらも、ホッとしました。

機嫌が悪いのは次男です。土曜日に陸上の記録会があるのですが、先月から右膝の靭帯を痛めてしまいました。先月の記録会で調子が良かっただけに、今回も頑張りたかったようですが、痛みがあまりひかなかったので辞退すると言っていました。今週に入ってから、なかなか痛みがひかない事にイラついていました。焦っても仕方ないのですが、本人としていは不本意な事で、八つ当たりされてばかりいる私でした。

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2007年2月10日(土)
三連休初日

今日から鉄人さん・子ども達は三連休になります。

昨日、次男がクラブの顧問の先生から夏休みの練習の皆勤だった子ども達にTシャツをプレゼントしてくださいました。本人は、何かもらえると言って夏休み頑張って陸上クラブに出ていたことを思い出しました。

皆勤賞をもらったのは3人だそうです。私は胸がチクリとしました。そう、今年の夏休も何処にも連れて行ってあげれなかったと、胸が痛みました。日帰りでチョコチョコ出かけはしましたが、旅行と名のつくことは、ここ何年もしていないのです。

行けれない理由はいくつも重なりました。経済的なこともあるし、クラブや学校の行事を優先したり、鉄人さんの体調だったり、私の仕事だったり…行けれない理由は確かにあります。でも…胸が痛みます。

鉄人さんも私と同じ気持ちだったのでしょう。「三連休、何処か連れて行ってあげなきゃね」と言っていました。思い出、たくさん作らなきゃ…

写真は、長男が北海道で携帯で撮影してきた雪の写真です。見ていた時は白かったけど、写したら緑になっていたと、長男は言っていました。楽しく過ごせた北海道スキー教室。一人ひとりにお土産を買ってきてくれる優しい長男です。ふくろうのお人形ばかり買ってきていました。福がくるように…という意味かな。

2007年2月11日(日)
寒川神社

紆余曲折の朝、小田原方面に出かけました。しかし、渋滞に気持ちは沈みます。

ちょっとお得な焼肉屋さんでランチをして、寒川神社に行くことにしました。寒川神社に行ったのは初めてでした。鉄人さんは、この近くで仕事をしていたことがあるのですが、寒川神社の中に入ったのは初めてのようでした。

厄除けで有名なこの神社で、たくさんのお願い事をしてきました。わがままと言われるかもしれないし、贅沢といわれるかもしれませんが、私の願いは、山のようにたくさんあるのです。

1年近く、美容院で髪の毛を切っていません。新しくオープンされた美容院が遠方にあります。いつか、そこでカットしてもらえたら…へろへろぽ〜んで、飛んで行けたらいいのに。大丈夫!!願いは必ず叶うから。

2007年2月14日(水)
バレンタインデーだし…

昨今バレンタイデーも自分の為にチョコを買う女性が多いそうですね。子ども達の間でも「友チョコ」という、女の子同士でチョコの交換があるそうです。でもやっぱり王道は本命チョコでしょう。

バレンタインデーですし、少し恋愛談義でも…私の恋愛遍歴をつらねるわけではありません。憧れというかファンになったお話です。

今は、クレイジーケンバンドの横山剣さんですが、初めて芸能人で好きになったのは、清水健太郎さんでした。「失恋レストラン」の曲を歌われた方です。ギター1本でかっこよかったのです。健太郎カットという髪型も流行りました。

でも、その後、役者さんで活躍したものの、薬におぼれられたようで…残念です。高校生の時には何故か、原田真二さんが好きになったのです。

デビューの頃のアフロの彼ではなく、ショートカットの似合うかわいい男性だったのです。かっこいい男性より、かわいい男性が好きになった時代です。

歌手でいうとこの2人ですが、映画が大好きな時代もあって、ジェームスディーンが大好きでした。グッズを集める…例えば下敷きとかノートとかを集めたのはジミーが始めてだったと思います。

そんなこんなの私は今、この年で剣さんにはまったわけです。

そんな剣さんが明日「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出られるそうです。教えてくださってありがとうございます。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。必ず録画します。嬉しくて有頂天です。音楽は毎日聞いていますが、トークする動いている剣さんを見るのもすごく好きなので明日はとても楽しみです。

剣さんは数年前に和田アキ子さんの紹介で1度「笑っていいとも」に出ました。アッコさんと剣さんは仲がいいらしいのです。あの♪タイガー&ドラゴン♪はアッコさんもカバーで歌っていますし、楽曲もアッコさんに剣さんは書いています。

♪タイカー&ドラゴン♪と、ドラマの挿入歌で使われている♪たすけて♪は、アッコさんの歌い方を真似して剣さんが歌っている曲なのです。アッコさんも自分の番組で「イイネ!!」を使っていたことがありました。…ということもあり、剣さんが紹介する友達はアッコさんかな…な〜んて思うわけです。お返しにとかで…義理堅い横山剣さんですから。

立派なおっかけとなっている私ですが、そもそも憧れとファンの境は何でしょう。憧れから、恋愛になる事は間々あります。ファンから恋愛に発展すると、ややこしくなります。私はややこしくなっていないと思いますが、他人から見たらいかがなものでしょうか。

この歌が好き、この音楽が好きというのは誰にでもあるでしょう。横山剣さんにはまっているのは、音楽と声が好きなのは自分でも納得できているのですが、何故こんなに日記に書くほどのファンなのか…自分に問うてみると答えが出ないのです。その他の理由なんてないのです。後から、好きな人に理屈をつけるなんて野暮じゃないですか。立派な狂剣病かな私は。

2007年2月15日(木)
イイネ!!

大好きな横山剣さんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演しました。う〜ん、チョット絡みがうまくいっていなかったような気がします。剣さんは腰も低いし、合わして話されていたので少しドキドキして見ていました。

「イイネ」についてですが、でしゃばりですが少し解説…剣さんが小学校の時にご両親が離婚され、剣さんはお母さん方にひきとられ、おばあちゃんの家で暮らしていた事があったそうです。その時に叔父さんが部屋に突然入ってきて、剣さんの何とも言えない表情を見て「イイネ、その顔イイネ」と、言ったそうです。きっと叔父さんなりの励ましの言葉だったのでしょうね。それいらい、剣さんの決め台詞が「イイネ!!」になったらしいです。

番組でお父さんの事にタモリさんが触れた事で、剣さんぎこちなくなったのかしら…剣さんの曲の中には、離婚した両親について歌ったものがいくつかあるし…オドオド…

私が時々訪ねる鎌倉のシンデレラ・リバティは、剣さんの実のお父さんのお店です。お父さんからのDNAが音楽に影響しているのでしょうか。剣さんなら真面目にそう思っているかもしれないです。

剣さんを見てから、長男の学校の三者面談に行ってきました。担任の先生は足に包帯を巻いて松葉杖でした。スキー教室で靭帯が伸びてしまったのだそうです。長男からは何も聞いていなかったので、とても驚きました。

学校では勉強も頑張って取り組んでいるし、真面目にやっているとの事でした。お友達とも、ワイワイする場面もあり、楽しそうにしていると聞き、本当に嬉しかったです。

進学についてのお話となりました。月曜日に鉄人さんと私と長男で話し合った事を伝えました。4年大学に進学したいと、長男は自分の口で先生に言いました。

専門学校ではなく、大学進学を私たちは考えています。もちろん、ハードルは高いのでしょうが、頑張って飛び越えようと決めたのです。偏りの大きい長男には、決して平たんではないでしょうが、本人が自立していけれる学科を選んであげたいのです。

3月には、学年末試験とは別に、クラス分けのテストがあります。大学進学クラスに入れるよう先生は、励ましてくれました。落としてはいけない教科が長男にはあります。何とか、今回のテストでも長男の笑顔がありますように。

2007年2月23日(金)
インフルエンザA型

長男がインフルエンザA型にかかってしまいました。年末のバタバタで予防接種をしませんでした。私の落ち度です。

長男は今日から学年末試験でした。朝、微熱で風邪薬を飲んで学校に行きましたが、途中から熱が38.5度上がりました。嫌な予感がして病院に連れて行き、調べてもらった結果インフルエンザの解りました。

学校に連絡を入れました。出席停止になるので試験は追試ではなく再試になるので、通常の試験を受けるのと変わらない評価がもらえると教えてもらいました。又、4組でも3人インフルエンザA型の子ども達がいると教えてもらいました。

病院でタミフルをもらいました。タミフルの服用は毎年、いろいろニュースでとりあげられているので、多少心配ではありますが、インフルエンザにかかって48時間以内であればよく効く薬と聞いているので、服用させました。部屋の窓の鍵はロックをしました。

解熱剤をいただきましたが下がらず、40度を越す熱を出しています。高熱を出しやすい長男ではありますが、40度を越すのは珍しいことです。脇の下にも氷を置いています。関節の痛さはないと本人は言いますが、自分の経験からインフルエンザの辛いところは、どうしようもない関節痛があります。我慢しているのかもしれないと思ったら、かわいそうでなりません。

解熱剤ロキソニンを今度は服用させようと、今思っています。前の薬を飲んだ時間から6時間ぐらいはあけないといけません。時計とにらめっこです。

明日、楽しみにしていたイベントが私にはありましたが、断念。この切符はお守りとします。

2007年2月24日(土)
タミフル

解熱剤を使わなくても今は36.5度まで、長男の熱は落ち着いてきました。ひとやま越えた感じがします。

夜中の1時近くに40.5度の熱があったので、解熱剤のロキソニンを服用させました。服用してから30分ぐらいで、熱が少しずつ下がってきて、1時間後には眠りにつくことが長男はできました。

しかしそれから2時間後、2階からものすごい勢いで階段を長男は下りてきました。「ボタンはどれを押すのか」と、口走りながら…

意識障害が出たのです。ボタンが…とか、携帯が…とか、お父さんが…とか、辻褄が合わない話しを繰り返しまた。ウロウロ歩きまわります。お母さんも一緒にいてあげるからと長男に話しかけながら、寝室にもどりました。

ベッドに座らせて、イオン飲料を飲ませ落ち着かせました。体に火照りはなかったのですが、熱を計りました。36.8度と解熱剤は効いているようでした。

「お母さんいかないで」と言うので、眠りにつくまで傍にいました。40度近くの熱の中でうなされていて、ゆっくり眠る事ができなかったのでしょう。傍にいたら、すぐに眠りにつきました。

タミフルの副作用である意識障害・幻覚に近いものを見たのかもしれません。ただ寝ぼけただけとも考えられますが、今まで長男はそんな事がなかったので、薬の副作用に思います。タミフルが悪いのが、ロキソニンとタミフルとの相性が悪いのか…その区別は私にはできません。

朝一番に昨日行った病院に、診断書をとりに行きました。その時医師に夜中の出来事を話しましたが、タミフルの副作用で意識障害が出るかどうかの証明はきちんとされていないから…という事を言われました。う〜ん、それはどう理解すればいいのかしら。

今日の日中は37.5度の熱が続いていましたが、解熱剤は服用させませんでした。長男の目の色も顔色もよくなってきていましたし、本人も昨日より随分楽だと言っていました。自分が40度以上の熱にうなされていたことや、夜中の出来事は覚えていませんでした。

2007年5月10日(木)
久しぶりの日記

久しぶりの日記に、少し緊張しています。体力・気力ともにもどったところで、日記を続けていきますので、よろしくお願いします。

何で日記が滞ったかというと…書きにくい事が多かった…というのが本音です。読まれて困る人がいるわけではありませんが、なかなか難しい所で働いているといえばいいのか…人の目が気になったわけです。

新しい仕事先に通うことに慣れてきた感じです。勉強したい事はたくさんあるのですが、物覚えの悪さに自分でビックリです。たくさんの失敗を繰り返しながら、頑張って働いています。偉い…と、とりあえず自分を誉めて、明日につなげます。

鉄人さんのCTの結果で再発のお話がなかったことが、一番の安堵でした。いつもつきまとう得体の知れないものが、胸を重くします。今は、そのつかえがとれた時間です。

新しい人たちに出会い、新しい出来事にふれ、多くのことを学んでいきたいと思っています。そんな事も、この日記にまた書けていけたらと考えています。

2007年5月10日(木)
読書

私の家での生活で変わった事の1つに、本を読むようになったということがあります。

長男はパソコンも大好きですが、変わらず本が好きです。今は赤川次郎さんが好きらしいのです。三毛猫ホームズシリーズは全部読みたいと言っています。昨年度は高校で皆勤賞で、その時に5千円の図書券をいただきました。長男はパソコンの本を買ったりして、あっというまになくなってしまいました。

中古の本の売買をしているBOOKOFFで、赤川次郎さんの本を買っている長男です。長男なりに考えて購入しているようです。

私は何の本を読んでいるかというと…そう、禅の本とか仏像の本とかお寺の本とか…と、友達が聞けば少々ひきそうな本に手を出しています。しかし、読んでみるとなかなか面白いのです。

決して何処かの新興宗教にとらわれるという事はない私なので、家族も「また読んでる…」とは思いつつも、勉強熱心だねぇ〜という言葉で濁して、私の読書中は静かにしてくれています。右から左にぬけているような気がしますが、何となく読み続ける毎日です。

2007年5月11日(金)
おかげさまで…

何とも暑い1日でした。突風のような強い風がくることがありましたが、まだ冬の作務衣なので、いささか暑いのです。そろそろ夏用が渡されるかしら…

お仕事を始めてから、『おかげさまで』という言葉を使うようになってきました。綺麗な日本語だと思います。

頑張れば頑張っているオーラーが返ってくるし、明るくすれば明るいオーラーが返ってくると信じています。人との出会いもお付き合いにも、『おかげさまで』の気持ちを忘れずに生きたいと思います。

2007年5月12日(土)
耳に残る声

仕事の行き帰りにクレイジーケンバンドを聞いています。もちろん他の人の音楽も聞いていますが、録音している音楽の2/3は剣さんの曲です。

駅までの道のり20分、心地よく聞いています。私がこの仕事につけたのは、私の声だと教えてもらいました。明るい元気な声なのかもしれません。

昔から電話などでも声が高くて、低く話すように言われた事が何度もあります。だから、自分の声で採用されることがあるとは思いもよりませんでした。話し方もあるかもしれませんが、気に入ってくださった声ですから、明るく頑張っていきたいものです。

剣さんのハスキーがかった男性らしい声に励まされ、また明日も仕事に向かいます。

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2007年5月20日(日)
御朱印@

恥ずかしい話ですが、私は御朱印というものを知りませんでした。神社に行った時の記念に几帳してもらう…そんな思いで私は見ていましたが、それは大きな間違いで心無い考えであった事をしりました。奥が深いのです。

御朱印というのはそもそも、お経を自分で書き写して寺院に納め、その証にいただくものだそうです。御朱印を納経印あるいは宝印とも言われるそうです。しかし、御朱印はいつのころからか、納経しなくても参詣の証に頂けるようになったそうです。

スタンプなどと一緒にしては罰があたりますよね。寺院の住職や職員の方が墨書きし印を押してくださるのですから…アートです。芸術品です。

書いてくださる方々は皆、1枚1枚丁寧に思いを込めて書いてくださっていることをしりました。とても、嬉しく有り難いものだと思いました。

写真の右のピンクのは私が始めて買った御朱印帳です。北鎌倉の円覚寺で購入したものです。『佛心』は、円覚寺の前の前の管長が書かれたものの印刷だそうです。書かれた朝比奈宗源老師は、テレビドラマで有名な「水戸黄門」の表題を書かれた方です。

左の写真は鎌倉の杉本寺で買った御朱印帳です。この御朱印帳を持って鎌倉三十三観音札所巡りをしようと決めたのです。観音様は現世利益をかなえてくれる仏様です。

三十三観音札所の全ての御朱印を頂くとご利益があるとされ、御朱印帳を一冊お棺に入れると極楽にいけると言われているそうです。極楽はともかく、現世の願いをこめてまわりたいです。

御朱印帳を持つと神社をまわりたくなるよ…と、人から言われた事があります。全くその通りです。私は今、たくさんのお寺を見て歩きたいとウズウズしています。今までとは違う思いで神社をまわることができそうです。

早い話、今私は御朱印にはまっているわけです。

2007年5月26日(土)
御朱印A

あるお寺に鎌倉三十三観音の御朱印をいただきに行った時の出来事です。

御朱印を頂こうと訪ねた宗務所に電話が鳴りました。和尚さんはその電話に出てお話をしていましたので、私は電話が終わるまで待とうと思っていました。その時、宅配のおじさんがやってきて「すみません」と声をかけ、和尚さんは電話の子機を持ち、お話を続けながら荷物を受け取り、判を押していました。

私は和尚さんと目が合いました。御朱印帳を持っている私に、何をしにここに立っているのか気付かれたのでしょう。片手を出されたので、御朱印帳を渡しました。和尚さんは電話をかけながら奥の部屋に戻られました。

電話での話し声は続いたままです。片手で子機を持ち、片手で書かれたり印を押したりなさっているのだろうと私は想像しました。少し興ざめしました。

御朱印帳を書かれている方々はみな一冊一冊丁寧に書いてくださっているのを見てきただけに、私は少しがっかりしました。電話の片手間に書かれているのが寂しかったのです。

書き終えられた和尚さんは、子機でお話ししながら、私のところに来られました。私の顔は曇っていたかもしれません。御朱印帳を片手で出されたのですが、ふと手をひっこめられ、小さなお盆に御朱印帳をのせられ、私にお盆をだしてこられたのです。

私は御朱印代の300円をお盆にのせ、御朱印帳を両手で受け取り、一礼しました。和尚さんも一礼され、子機でお話しながら片手にお盆を持ち、部屋に戻られました。

私は、興ざめした気持ちになったことを恥ました。和尚さんは、私にちゃんと礼をつくしてくださったのです。片手で返せる御朱印帳を丁寧に扱われ、お金も手で受け取るのではなく、お盆で受け取られたのです。

電話は大事な内容だったのかもしれません。長引く電話で私を待たせないように、急いでくださったのかもしれません。そう、人様の気持ちを受け止めるのは自分の気持ち次第なのかもしれないと、はっ!と思いました。

円覚寺の管長様のお言葉に『花も美しい 月も美しい それに気づく心が美しい』というのがあります。私は、その言葉を思い出しました。

管長様のこの言葉は「<ありがとう>の人生」という、本の中に書かれている言葉なのです。その他にも印象的な文があります。

『俺が生きているという路線から、お蔭さまで生かされている、ご縁とお蔭に生かされているという路線に転回する』という文も心に残っています。

「〜してくれない」「〜してくれなかった」と、口にするのではなく、幸せを受け取る心を器を自分で持たなければいけないよ…と、お話しされている言葉が胸にささってきました。

2007年5月27日(日)
休みなれど…

5月の連休が仕事で忙しかったこともあり、先週・今週は長い休みをもらえたのですが、残念なことに体調が今ひとつ…せっかくの休みなのだからしたいことたくさんなのですが…そういうものなのかもしれません。

先週、キャンプから帰ってきた次男です。楽しく過ごせたようですが、腰を痛めています。近々大会があるのに…と、こちらもご機嫌ななめの次男です。

鎌倉三十三観音札所巡りを私と鉄人さんはしています。1日歩くのは大変なので、半日だけ…つまり午前中だけお参りしているのです。ですから、なかなかゆっくりペースです。

1つのお寺でのんびりしている事もあります。今日でやっと十ヵ所まわれました。デジカメで鉄人さんはお寺をいろんな角度から写しています。いつか、まとめてみようと思っていますが、果たしてそれは私がするのか、鉄人さんがするのか…

2007年6月25日(月)
頑張れなければ…

さぁ…日記をちゃんと書こうと何回目の決心か…許してください。時間もそうなのですが、書きたいことがあるのですが、さしさわりが出そうでなかなか書けないのも本音なのです。

今後の日記に書いていきたいことを書き出してみましょう。

*鎌倉三十三観音めぐりで13番まで鉄人さんとまわったこと。
*京都の南禅寺でのこと。
*京都の三十三間堂でのこと。
*紫陽花のこと。
*長男の大学進学に向けての勉強(AO対策)
*反抗期の次男の取扱い。
*母の高熱は熱中症。
*トラウマからの脱出。

「サライ」という雑誌があります。先週の木曜日号の特集は「禅」についてのことでした。インタビューに北鎌倉円覚寺の管長のインタビューが載っています。

マスコミ嫌いの管長が珍しいことです。“紫衣、車、家庭も無用。生涯無一物を貫く異色の禅僧”と紹介されています。本を読ませていただきましたが、心に残る言葉が何度も出てきました。自分の中でおまじないのように唱えています。

「想いやりをもって…」そう言葉をかけていただいたのは3月末でした。人と関わっていくと、なかなか「想いやり」という事が出来ていないなと反省ばかりの私です。立場が違えばなんとやら…

2007年6月27日(水)
外来

昨日は鉄人さんの外来日でした。血液検査の値が想像していたより良くなかったこともあり、鉄人さんは少し落胆していました。

白血球2200、赤血球387、ヘモグロビン12.6、血小板13.7、LDH161、CRP0.2でした。CRPが高いのですが自覚症状がないので、何でだろうと首をかしげていました。お腹の調子があまり良くないので、そのせいではないかとは私は思うのです。

白血球は4月も2300だったので、いたしかたないとは思うのですが、上がっていて欲しいと思いながら検査の結果を聞くので、どうしても「少ないなぁ」とつぶやいてしまうのでしょう。

主治医の先生に「体重は?」と聞かれました。中性脂肪が会社の血液検査でした時に高かった事を鉄人さんは言いました。「脂ものというより、糖分・カロリーをとりすぎかな。でも血糖値は大丈夫だから」と、主治医の先生に言われました。

ベッドでお腹の触診を受けている時に言われたので、やっぱり先生からみても鉄人さんは太ったのでしょう。毎日見ている私には、そんなに太ったようには見えないのですが…言われた鉄人さんは今日も運動をしていました。鉄人さんは軽い運動と言いますが、私には軽い運動には見えません。

真面目というか、ムキになるというのか、はたから見ると肩の力をぬいてと思ってしまうわけです。頑張りすぎた運動の後は、決まって具合が悪くなるのですから…さて何と言ってセーブさせましょうか。

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2007年6月28日(木)
胃の痛み

私は胃腸は強い方で、今までそんなに腹痛で困るということはありませんでした。しかし、先週あたりから、どうもすっきりしないのです。

食事をすると胃が吐き気をともなって痛むのです。横になって休みますが、なかなか治らないのです。こんな時は、どんな薬がよいのやら。ただ吐き気を我慢するのみです。

人との関わりは、生きていくうえでとても大切なことです。これが上手くいけば、楽しい人生なのではないかとさえ思うほどです。他人様から見て緊張を与えるような人間になりたくないと思ってきました。今でもそう思います。

けれど、「あの人ならいいか」という都合の良い人間になっていると、今更ながら感じるのです。そう思わないように、マイナス思考にならないようにと自分に言い聞かせてきましたが、客観的に見れば私は後回し組みなのでしょう。だからといって、悲観しているわけではないのです。ただ利用される時だけ、相手の都合の良い時だけの人間になっているのかなと、少し寂しく感じたわけです。

ちなみに写真は、京都南禅寺の山門に上がった時の写真です。歌舞伎の演目にもなりました、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」は、この山門の上から見下ろしながら言ったそうな。確かに「うわ〜」と、私もつぶやきました。床が少しななめだったのも、足の裏にはっきりと記憶しています。大きな大きな禅寺でした。

2007年6月30日(土)
眼鏡

今日私は眼鏡を生まれて始めて作りました。何年か前の免許更新の時に、危なく視力検査で更新できなくなりそうになったので、0.7より悪いのは解っていましたが、車を運転するわけでもないので、そのまま放置していたのです。

鉄人さんに連れられて横浜の眼鏡屋さんまで行きました。わざわざ横浜で作らなくても…と思ったのですが、眼鏡屋さんについて驚きました。駐車場はいっぱいで警備員さんが誘導していますし、眼鏡屋さんの上には眼科があるのです。その眼科も、不思議な感じの眼科で、流れ作業のようにたくさんの機械、医師がいるのです。とりあえず、そこで検眼してもらい視力を測りました。

人気なのは安さもあるのでしょう。品数も多く、安売りの眼鏡屋さんよりは、しっかりとしたものが多いような気がしました。いろんなのをつけて試しているうちに、だんだん面白くなってきました。


眼科では左右0.3と0.4で、乱視が少し入っていると言われました。乱視を入れたレンズをつけると床がとても曲がっていて、気持ち悪くなりそうなので今回は乱視を入れない近視だけの眼鏡を作ることにしました。鉄人さんに聞いたら、乱視があるとわりと何処でも言うのだと教えてくれました。両目で1.2ぐらいで見れるように作っていただきました。

そんなに度のキツイ眼鏡ではないので違和感なくつけていました。初めて眼鏡を作る人にはちょっと不向きと言われていましたが、縁なし眼鏡です。目が離れている私は、眼鏡が全く似合わないのです。眼鏡を今まで作らなかった最大の理由はそれなのです。

子ども達にかけさせてみると、2人ともなかなか似合うのです。ちょっと賢い子どもに見えるから、眼鏡というのも不思議なものです。

では今も眼鏡をかけてパソコンに向かっているかというと、はずしています。意味がないと怒られそうですね。

2007年8月19日(日)
猛暑

こんなに日記を書かなかったとは…まずい…でも、書けなかったのです。何故かな…言いたいことたくさんだけど…うまく言葉にできないものですね。

書こうと思い始めた8月…右の人差し指が腫れだし痛みで夜も眠れず…となり、散々でした。この猛暑ですっかり夏バテです。自分では、夏に強いと自負していましたが、今年の暑さにはさすがにダウン。お盆が忙しい仕事ゆえ仕方ないといえば仕方ない…そんな真夏がまだまだ続いています。

そんな夏に嬉しいことが…次男が14歳になったのももちろん嬉しいですよ。クレイジーケンバンドが1年ぶりにアルバム発売しました。ニコニコしながら聞いています。今年の夏のご褒美のように聞いています。

私の住んでいる町の海に、夏だけのライブハウスがあります。25日に剣さんはくるのに…チケットがとれません。そして又めげる私なのです。外で聞くしかないのかしら…

2007年8月21日(火)
経過観察

私が日記を書かないでいた間、鉄人さん(主人)は元気で過ごしていたかというと、そうはいかないのです。

6月の下旬ぐらいから、腰の痛みを鉄人さんは言っていました。重いものを持ったりという事も仕事の中であるようなので、それが原因だと始めは思っていましたが、鉄人さんは”ウチ”からの痛さだというのです。特に右の腰の少し上あたりが、痛いと言っていました。

余程痛かったのでしょう。自分から総合病院に行きました。エコーで腎臓が肥大していると言われました。一番考えられるのは「石」ではないかというのです。しかし、私の頭の中に放射線科の先生が言っていた言葉がこだまして仕方ありませんでした。

「放射線治療後、1年から1年半後に副作用がでてくる人がいる」「内蔵の中でも腎臓は放射線の副作用をうけやすい」鉄人さんの場合、どうしても腎臓に放射線があたるのを避けることはできなかったのです。私はKセンターの放射線科の先生に連絡をとりました。

鉄人さんの様子、エコーでの結果を伝えました。私が石の事をきりだす前に、先生から「肥大という事は、石の可能性があるのではないか」と話されてきました。右の腎臓に放射線はあまりあたっていないので、肥大という事は石でダムのような状態になっているのではないかと言うのです。石の検査を進めていった方が良いとアドバイスされました。

総合病院から、石をだしやすくする薬と痛み止めをもらい、鉄人さんは随分楽になったと言ってきました。その薬を飲み続けてから、石の場所を確定する為に細かな検査に入りました。しかし、石は見つからずまた、腎臓の肥大もなくなっていたのです。お薬で、小さな石がでたのでしょうか…今となってはよくわからないでいます。

痛みもやわらぎ、運動に励む鉄人さんです。この猛暑の夏にと思うのですが、筋力の衰えを強く感じているのでしょうか…近くのトレーニングジムにまで足を運びだしました。反動がこなければいいと今は願っています。つまり経過観察中なわけです。それは歯がゆく不安がつきまといます。それでもポジティブに進む鉄人さんを私は心から尊敬しています。

2007年8月23日(木)
私の体調

さて、私の体調はどうかというと良くはないらしいのです…「らしい」というのも変な言い方ですが、何となくどことなくいまいち…などという言葉ばかり連ねてしまうわけです。暑さに弱いとは自分で思っていなかったのですが…やっぱり年をとったのでしょうね…だるさがあります。

7月の下旬に紙で右の人差し指を切りました。血もでないしと、ほっておきました。その指でお金を数えたりという雑菌ものに触れていたせいか、指が腫れてきて風があたるだけでも痛くなりました。病院で塗り薬と抗生剤を飲むことになりました。

その後すぐに口の中の口内炎は3個もできたりと、免疫力が落ちてしまっているのだなと実感したのです。指の腫れはなかなかなおらず、膿がよくなり皮も向けたのですが、うまく第一関節が曲がらない…リハビリ??が必要??では、頑張って日記を書いてタイピング練習としましょう。

CKBの剣さんは新しいアルバム発売で精力的に動いています。その中で一番気に入っている下記のHPです。
剣さんの好きな車・アメリカ・中華街。クラシカルな金髪女性に、ドリフターズでもでてきそうなステージなどなど…狂剣病パワー全開の曲が流れるプロモーションビデオです。剣さんらしくて大好きですね。

私は、車にはとんとうとくて、我が家の車種も「えーと」と考えてしまう私なのです。剣さんの曲には昔の車がよくでてきます。剣さんのこだわりがよくでています。そんな車の説明をしてくれるのは鉄人さんです。ベレット1600GTというのは、若い頃憧れている方がたくさんいた車だそうです。欲しいなぁ…とポツリとつぶやく鉄人さんでした。

http://www.mtvjapan.com/music/feature/ckb/

2007年8月25日(土)
冷静に考えると…

今日この街の海のライブハウス・音霊(OTODAMA)にクレイジーケンバンドがきました。私はチケットとれず、悲しく思っていましたが、海の家のライブハウス…きっと外で聞けるに違いないと一人、夜の海にでかけたわけです。

そう考える人はたくさんいます。大勢の若者(?)に混じって聞いていました。ベニア板で作られた塀の間と間が、最後近くになってきたらすのこに変わり、なんと中が見えるではないですか。まして最後の曲の♪GT♪の時には、そのすのこも上げられ、中が見えて横山剣さんを見ることができました。一人有頂天で踊る私でした。

鉄人さんに「いつからどうして剣さんが好きになったの?」と聞かれて、ハテ…と思ったのです。いつからかしら…どうしてかしら…今となっては、はっきりとした答えが出せません。

こんなおバカさんな母を持ち、子ども達は何と不幸なことでしょう。

好きになるのに理由なんて後付けだったり理屈だったり…好きになってしまったものは好きなのだから。

2007年8月30日(木)
連絡の仕方

時代は携帯・メールです。私の携帯アドレスは長く不可解であるはずなのですが、近頃迷惑メールが1日に20件以上入り、困っています。アドレスを変えるしか対策はないのかしら…

メールの連絡が苦手という人が、私の友達にもいますし、よく聞きます。お相手が気になれば、メールを自分で入れたり、またはきたメールに対して返信するのでしょうが、「その気」がないとメールも途切れてしまうような気がするのです。

私はメールがわりと好きなので、そう考えてしまうのですが、メールが苦手な人にしてみると「いやいや、そうではないのですよ」という、言い訳があるのかもしれません。メールがないことをグチグチ言える間柄は、若い恋人さん達だけです。私などが言えば、ただ暇なおばさんのたわごとになりかねません。

話さないと気持ちが伝わらないと思いますが、メールという文字での伝達があるばっかりに、話すということが退化しかねない私です。

メールやこの日記は文字ばかりで、抑揚がないので相手の本音が解かりにくいこともあります。電話でさえ難しいと言われているのですから、文字では余計に難しいはずなのですが、メールに気持ちをたくします。

「目は口ほどにものを…」ということわざがあります。顔を合わせてお話しするのがベストなのでしょう。CMではないですが、「目を見ればわかる」です。年をとってくればくるほど、目にその人の想いが見えるような気がします。優しい人は優しい目です。優しく話しかけていても、目がきつく語っている人もいます。私はどちらかな…たれ目が幸いしているかしら。

この年になっても寂しがりやなんて言ったら、ちゃんちゃらおかしいですね。

2007年9月3日(月)
17歳の死

長男より1学年上の男の子が白血病で他界しました。彼は中学時代、陸上部で頑張っていた男の子でした。

昨年の秋・冬には陸上部に顔をよく出していて、次男はよく知っていました。彼の着ていた白いスタジャンがかっこいいと、次男はいつも言っていました。

彼が他界したことは、クラブの顧問の先生が教えてくれたそうです。再発してしまい…ということのようです。次男はショックだったようです。身近な人の死を驚いたのもあるでしょうし、血液のガンということで父親と重なるものがあるのでしょう。

父親の鉄人さんがリンパ腫になって1年ぐらいして、学校の調べ学習で血液について勉強し発表していた次男を思いだしました。子どもは子どもなりに、父親の病気を理解しようとしていたことを思いだしました。

17歳の彼の死をとても切なく思います。若かくして逝ってしまった彼…ご家族の悲しみ…胸が痛いです。それでも、私は明日生きていかねば…

2007年9月9日(日)
夏が過ぎたような…

先週の台風神奈川県上陸で、家のコニファーが倒れてしまいました。折れた…というのではなく、根が弱り倒れてしまった…という感じです。

長男が北海道に行っていて、2月の時のように欠航になるかもしれないと思いましたが、無事に予定通りに帰ってくることができました。長男は口の中に5個も口内炎を作って帰ってきました。体調があまり良くなかったのでしょう。今は口をあけるのが辛いようです。

今日夕方を過ぎてから、風があまりにも心地よく歩いてみたくなりました。夕食の準備がありますから、夕方から散歩に出ることはできません。夜になってから散歩にでかけました。

鉄人さんも一緒に歩くといので2人で海岸を目指して歩きました。あちらにフラフラこちらにフラフラ寄りながら、車では素通りしてしまっていた道も目新しく感じながら歩いているような鉄人さんでした。

鉄人さんは歩くのがとても速いです。家族に言わせると私の歩くのが遅いといいます。私の後を歩くと言っていた鉄人さんでしたが、10分もしないうちに私の前をどんどん歩いていきました。

Tシャツに描いてある「波」という白い文字が、暗い中で浮かんで見えて、その後姿を見ていたら、私は今幸せなんだなと目頭が熱くなりました。

2007年9月10日(月)
デジタル音楽プレイヤー

昨年、次男がiPodを手に入れたので、次男が使っていたデジタル音楽プレイヤーを私がもらいました。iPodは今も進化していて、そのうちパソコンもあんなに小さくなるのではないかとさえ思います。

次男は毎日iPodで音楽を聞いています。テスト勉強期間の今でも、音楽を聞きながら勉強しています。昔からラジオを聴きながら勉強をしている人がたくさんいましたが、私はラジオに聴きいってしまうので不向きでした。

お古のデジタル音楽プレイヤーも少々ガタがきています。鞄の中で乱暴に扱われているせいか、角が欠けてしまい、分解の一歩手前です。貧乏性のようですが、セロハンテープで応急処置を鉄人さんはしてくれました。つまり、音楽はまだまだ聴けるのだから、新しいのを買う必要はなし…と、口には出しませんが心で思っているのでしょう。

80曲ぐらいしか入らないと、聞かされていましたが、今120曲ぐらい入っています、その2/3はクレイジーケンバンドの曲です。朝、仕事に行きがてらに聞いていると、歩いて20分ぐらいの駅までの距離もあっという間です。

ちなみに三菱地所のCMで今、CKBの『生きる。』という曲が流れています。CMでは流れませんが、その曲の中の歌詞で気に入っているのは♪だから元気だしていこうぜ、 ほいきた♪というところです。硬くなく剣さんらしい応援が好きです。

2007年9月14日(金)
ありがとうとおかげさまでとごめんなさい

昨晩、体がだるくてベッドに9時半ぐらいになだれこんでから、グッスリ眠ってしまいました。朝起きたら5時半です。その間、目が覚めることなく眠り続けたのです。昨晩なぜ自分がベッドに早く入ったのかとかいろいろ考えていたら、鉄人さんが足をつったと言って起きだしました。また近頃、足がつるようになった鉄人さんです。朝晩の冷えのせいなのか、血栓のせいなのか…

おかげさまで…若い頃には使いにくかった言葉ですが、この言葉がすんなり口に出たり書けるような年頃になってきました。

ごめんなさい…もしかしたら、私はこの言葉をとても多く使っているのかもしれません。ありがとうと言えばいいところをごめんなさい…ですましているような気がします。

ありがとう…言っても言われても心地よい言葉です。少しくすぐったいような使い方をする時もありますが、綺麗な日本語です。

どれも大事な言葉で、これに抑揚をつけて読めばなおのこと、温かい言葉になります。自然と口に出るようにするには、小さい頃から当たり前のように使わないと、すんなり出てこないといいます。

「言いなさい」というのではなく、親や周りの人が使っていれば、子どもも自然に覚える事ができるのでしょうか。明日こそ、たくさんありがとうを言おう…

2007年9月17日(月)
ネクサスフォーラム

先週の土曜日、横浜でリンパ腫のフォーラムがあり出席してきました。主催はグループネクサスです。

鉄人さんがリンパ腫になって、このような公のフォーラムに出かけたのは私は始めてです。それまでは、気持ち、時間に余裕がなかったのだと思います。大きなフォーラムよりも、鉄人さんに必要なことは何か…その気持ちが強かったのかもしれません。

3部構成になっていて、私は午前の最初から出席しました。ボランティアでお仕事をしている人の中には、病気本人の方もいらっしゃり、当日だけのお手伝いとしても長丁場で疲れたことと思います。頭の下がる思いです。ありがとうございます。もっと私のような家族の立場が頑張らなくてはなりませんね。恥ずかしいかぎりです。

第2部の午後の部では、専門の医師の方の説明ということもあり、200人以上の人が集まっていました。リンパ球が腫瘍化する理由に染色体が関わっているお話があり、初めてきくお話で驚きました。私がたんに勉強不足ということもありますが…

正常な染色体が転座することにより、リンパ腫が起こるそうです。例えば、濾胞性の場合、14番目と18番目の染色体に転座がみられます。14番染色体のIGH遺伝子により18番染色体のBCL2遺伝子が活性化されることが腫瘍化の原因であることが、濾胞性リンパ腫の90%近くにこの異常が認められているそうです。

びまん性大細胞型B細胞の場合は、3番14番、マントルなら11番14番でその染色体転座がみられるそうです。鉄人さんはびまん性と診断されていますが、もしかしたら濾胞性からトランスフォーム(濾胞性からびまん性に変わる)した可能性が考えられます。もしかしたら染色体からみて、病型を分類することができるようなのです。次回の外来で主治医の先生に聞いてみようと思いました。

現在は、分子標的薬剤の研究が進んでいますが(リツキサンなど)、染色体の転座を抑える薬の研究もされているとのことです、濾胞性の場合でいえば、BCL2に使用できる薬の研究となるそうです。

濾胞性リンパ腫と診断された場合、ウォッチ・アンド・ウェイト(経過観察)という事が多いのですが、これは治療をしなくて良いという意味では決してありません。注意深く観察ということなのです。しかし、リツキサンの登場で治療を早く始めるようになってきたと言われています。ゼバリン(イブリツズマブ)を使用できるようになることも、大きな成果であるようです。濾胞性に対して、リツキサンよりも奏功率が高いそうです。また、2度治療が可能で、治療期間が短いというメリットがあります。しかし、骨髄浸透が強い場合には使用できないようなのです。

私が驚いたもう一つのことに、濾胞性リンパ腫に対する同種移植が期待されているという事でした。ミニ移植・同種移植がとりあげられているようです。しかし、治療がきついこと、治療関連死亡率が高く、長期的なQOL低下の可能性が高いという、大きな壁があります。トランスフォームしてしまい、びまん性に変わった場合、ミニ移植をしても予後が悪いということです。つまり移植するタイミングが大変難しいということのようです。どの時期が良い…というはっきりとしたものが一概には言えない…という、知りたい所はやはり個別での対応でしかないと痛感しました。

3部では、講演してくださった先生を囲んでの立食がありました。リンパ腫になってから、鉄人さんのように長い人もいれば、これから治療に入られる方とで、気にとめるところが違うことでしょう。フォーラムへの感想もそのせいで、違ってくることでしょう。地域格差について語られていた方の思いを聞くと、このような会の重要性を改めて感じることができました。現在、ネクサスの会員は1000人を超しているそうです。仙台や兵庫・奈良と遠方からきている方もいて、胸が痛くなりました。

メモ書き…アグリッシブリンパ腫(DLBCL)=いきおいよく進行型=びまん性大細胞型 B細胞リンパ腫
       インドレンドリンパ腫(FL)=ゆっくり進行型=濾胞性リンパ腫

2007年9月19日(水)
15万

ありがとうございます…このHPのカウンターが15万を越しました。こんなHPでも見て頂いている方がいらっしやることに感謝感謝です。

私がHPを始めた頃にはすでに、ブログというのが流行り出していて、HPの中に他のサーバーからのブログを入れて、個人のキャラクターにあった日記をつけている方ばかりでした。

今はあえてHPを作らなくても、ブログだけで自分の今話したいこと・伝えたいこと・想うこと・残しておきたいものを書き続ける事ができるようになりました。ネットで検索をすると、必ずと言ってよいほど、いろんな人のブログを目にします。思わず読み出してしまい、ネットサーフィン状態に陥ることもしばしばあります。

そんなこんなで、このHPにたどり着かれる方もいるでしょう。変わらず読んでくださる方もいるかもしれません。今日も明日も明後日も頑張りたく思います。今日も1日、ありがとうございました。

内緒の内緒の日記…多くの人がそんな日記をつけて、新しい友達を見つけていって…またその友達から目が届かないような日記をつけてみたり…隠し事はや秘め事を心にだけに納めておくことが出来ないのが人間なのかしら…大事な人の内緒の日記を読んでしまったら、きっと心はかき乱されてしまうでしょう。だから、大事な人には大切な人には隠し事なんてよくないのですよ…ねぇ貴方…

2007年10月3日(水)
厳かに…

北鎌倉 円覚寺の開山忌でした。厳かの中に緊張感があり、初めて見た光景に感動しました。よろしければ下記のHPへ…
http://www.kamakuratoday.com/cgi-bin/npdisp.cgi?date=20071003

2007年10月23日(火)
子宮

今日の日記は男性には、解かり難いかもしれないですし、女性にとっては、あまり聞きたくないような内容です。私もずっと逃げてきたことですから…

生理の時の痛みが激しくなったのはいつ頃だったか…痛み止めの薬が手放せなくなりました。赤ちゃんを産んだ後にくる子宮収縮の痛さと同じ鈍痛で、体をくの字に曲げて薬が効いてくるのをジッと待つのです。この時は病院に行こうと思うのですが、生理が終わるとケロッとするので、引き伸ばしていました。

しかし、昨年ぐらいからか、出血に塊が出てくるようになりました。古くなって流れてくるものなので、少しぐらいの塊があるのは正常と聞いています。それより、いささか大きいものが時々混じるようになり、これは何かあるなと思い始めました。

2ヶ月生理がこないのです。もう自分で誤魔化している場合ではなくなり、病院のドアを叩いたわけです。子ども2人を産んだ産婦人科に行ってきました。

血液検査で女性ホルモンを調べることになりました。超音波で子宮を診て医師は「この子宮は筋腫があるような子宮だね」と言われました。私は思わず「やっぱり」と言ってしまいました。

子宮の中の筋肉の壁が2倍とは言わないが、正常の場合より1.8倍ぐらいはある…と医師は言うのです。筋腫もあるかもしれないが、子宮内膜症の可能性が高いというものでした。

筋腫がある場合、子宮の形がボコボコとなるが、全体的に子宮が大きくなっているというのです。生理痛が激しい人は内膜症の人が多いとも言われました。「やっぱり…」又私はつぶやきました。

インターネットで調べていたので、たぶんそうではないかと思われる事を言われてしまいました。来月MRIをして、血液検査の結果とふまえて、今後の治療が決まっていくことになりました。

女40代…婦人病が出てくる年頃です。女は子宮で考えると言ったのは誰だったかしら…