日記

 ブログにみんな盛んに興味を注いでいるようですね,世の中の人々は。でも果たしてそうでしょうか。ブログって,そもそもウェブ日記と一緒ではないのでしょうか。トラバだのコメントだの,ちょっと使い勝手がいい日記なだけで,別段新しいものではないのでは。


 広告代理店,というのは,なんとも口先だけの職業だとよく思います。ものは言いようだ,それが代理店だ,とか,よく言われます。というか,代理店にいたら,○○じゃなきゃ,というのをよくききます。そんなこと誰が決めたのですか。


 なぜブログの話をしたかというと,大学時代にバイトをしていた先の先輩が,海外青年協力隊の派遣先から2年ぶりに帰国して,自分のホームページを閉鎖して,ブログに移行した,というのを,さっき知ったからです。


 バイトでは,DNAをPCRにかけたり,大腸菌を培養したり,電気泳動したり,そういうことをやっていました。時給がいい,というのもあったけど,人間関係もよかった。もともとは,大学の同窓生に紹介されて,時給のよさに引かれて始めたバイトではあったのですが,それ以上に楽しいことが色々とあったのです。


 バイトで初めについたのがその先輩で,でもその先輩は既に数ヵ月後には海外へ協力隊として移住することが決まっており,なおかつ僕も卒業して就職してしまうことが決まっており,さらに研究室自体も別の研究所へ移転することが決まっており,結局いまはみんなバラバラです。バラバラだと思っていたら,そのブログを見つけたので,ここに書こうと思いました。


 カメラの広角レンズを先日買いました。買ったきっかけは,友人のカメラで試用して,50mmとの差の大きさに感激したから,なのですが,そもそも広角レンズを初めて覗いたのは,その先輩のカメラがはじめでした。彼女が研究所を辞める日,地元の飲み屋で送別会をした後,研究室に戻ってきて,そこでかりたんです。とてもよく覚えている。芋づるのようにいろいろと。


 送別会には研究員や研究員の家族やバイトが来ていて,そのうちの研究員のお子様の写真をとったりしていた。それから,二次会では,床屋の隣にあるバー的なお店で,外人の英会話をよそ目に思い出話にひたった。そのころはまだ駐禁も飲酒も今ほどきつくなくて,もうすこしドライバーは平穏だった。


 よく,週刊誌やフリーペーパーで,「好きなことをやらなきゃだめだ」という内容のインタビューを見かけます。素直によむと,やっぱり,自分も好きなことを仕事にしなきゃいけないなと一瞬思うのですが,果たしてそうでしょうか。インタビューされるのは,ほぼ全て著名人だし,成功しているし,そりゃ好きなことで成功したのだから,好きなことやれっていうにきまってるだろうが,彼らは社会人の何%にもみたんだろう。


 インターネットは便利なものです。福岡にいる人の日記が茨城で読めたり,もうどこにもない過去のフリーペーパーの記事がいくらでも読み返せたり,読み物に関する距離と時間の制約をどれだけ緩和したものか。そして,床屋の隣のバー的な話は,きっとこんなことでもなければ一生誰の目にも触れずに私の頭の中で終わっていた。


 朝,ちょっと本屋によって,偶然買った雑誌を,(いつもそんなことはないのに)偶然帰りの電車で隅々まで読んでいて(いつもはちょっと読んだだけで本棚にしまってしまう),それで偶然目にとまったカルチャースクールがどうしても気になって,帰ってすぐに申し込んで,その学校の会場で見かけたポスターに,人材募集と書いてあって,云々


 会社の飲み会で遅く帰ってきて,でもあまり飲んでないので目がさえてしまって,一通りサーフィンをしたあと,不意に自分のサイトのリンクが切れまくっているなあと気づき,ひとつずつたどるうちに,以前のバイト先の先輩のサイトがブログ化されており,云々


 年上の生意気な帰国の後輩が入社したため,今日の飲み会は幹事ではなく,楽であった。こんなにも楽なのか。幹事でない,という状況は。何も気にしなくていい。ビールも適当に注いでおけばいい。注文も適当にとっておけばいい。やじも適当に受け流しておけばいい。そもそも,やじを言われる側は気にするが,言う側はあまり気にしていない。酔って気分良く帰宅できればそれでよい。幹事がどうのなんて大して気にも留めていない。マーケが調査するのが面倒だというのを大して考えないで,あれ調査すればいいんじゃない,とりあえず戦略練ってよ,みたいなことを言う営業。僕らも,なんかいいコピーないんですか,それがクリエイティブの仕事でしょ,と言い捨てる。仕事とは,なすりあい。


 私の家には,車庫がある。地方なので,かはしらないが,この近辺は車社会である。それに味をしめ,各家庭の車の車輪に小便をかけてまわる犬が近所にいる。彼は一応飼い犬であるが,放し飼い犬であるため,彼の庭は無限に広く,無論,わが家庭の車庫も彼の庭の一部なのである。


 私が乗っている自動車の後部,そして私の親が乗っている自動車の後部,両方に,しっかりとマーキングをするその白い犬は,顔がぶさいく極まりない。可愛げがない。家の犬とは大違いである。


 ぶさいく犬は前科持ちである。近所の黒犬との無計画な性交渉の結果,ぶちの子犬を大量生産し,周辺住民に多大な迷惑をかけたり,その不細工な面のため,見るものを不快な気持ちにさせるなどした。


 ぶさいく犬の飼い主は,数年前に女房を乳がんでなくしており,それ以来一人住まいである。そして,犬は放し飼うもの,とのポリシーを抱いており,犬を繋ぎ飼おうとはしない人物である。その人物そのものについては,悪い評判はないのだが,犬の飼い方については,周辺住民の間でも賛否両論(というか主に否論)があった。


 我が家では,ぶさいく犬によるマーキング被害を食い止めるため,それまで一般に向けて開放的にしていた車庫を,手動開閉式のフェンスによって隔て,犬の侵入を防ぐこととした。見積,部材調達,工事等は,地元でもっともおおきなホームセンターに依頼することとした。工事の結果,私達車利用者は,入庫・出庫の度に毎度,一度車を降りてフェンスの開け閉めをしなければいけない(雨の日も,雪の日も,である!)ということになってしまった。非常に面倒である。


 しかし,犬はフェンスの柵の合間から容易にわが車庫内へと進入,放尿し,また容易に脱出していくのであった。そのため,わが家庭の父親発案,作業により,柵の合間をチェーンでつなぎとめ,よほど柔軟な猫でもない限りは侵入の出来ないようにした。その結果。犬の侵入は完全になくなった。父親の努力は認められた。私達は,毎朝毎晩のフェンス開け閉めの苦労と引き換えに,清潔なタイヤを手に入れた。ぶさいく犬はどこか別のところで小便をするようになった。


 犬にも心臓発作というものがあるらしい。ぶさいく犬は,昨日,いとも簡単に,自然に,死んだ。心臓発作じゃないのかもしれないけど,いずれにせよ,白いぶさいくな犬は死んだ。街は悲しみに包まれない。しかし街は,すっきりとしたわけでもない。彼の死はあまりに突然すぎた。


 主目的を失ったフェンス。開け閉めという苦労。私達は,これから,長い時間をかけて,気持ちの整理を行わなければいけない。彼に向けたぶさいく向けの目が,はたして適切であったのかどうか。このフェンスと,今後どう付き合っていくのかどうか。