『データパル2002最新情報用語資料事典』(小学館、2002年1月)掲載ネチズン・カレッジ版=これは、『データパル2002』掲載論文そのままではなく、「日韓平和文化ネットワーク形成シンポジウム」基調報告「9.11以後の世界と草の根民主主義ネットワーク──アメリカ、日本、韓国関係の再編」2001年11月2−5日、韓国天安、アウネ霊性と平和の家、『日韓教育フォーラム』第11号、2001年11月、所収)をもとに、「公共哲学ネットワーク」の年末シンポジウム「地球的平和問題――対『テロ』世界戦争をめぐって」への私の報告「9.11以後の情報戦とインターネット・デモクラシー」で肉付けしたネチズン・カレッジ版です(2002年3月1日)


ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?

──インターネット・デモクラシーのゆくえ──

 

 

                     加藤 哲郎(一橋大学教授・政治学)

 

 


 2000年のアメリカ大統領選挙は、1960年にジョン・F・ケネディが当選した時以来の、新しい政治スタイルを生みだした。ケネディがニクソンとのテレビ討論で勝利を得たように、ジョージ・W・ブッシュは、インターネットをフルに活用して大統領になったという(横江公美『Eポリティックス』文春新書、2001年)。

 そのブッシュ大統領のもとで起こった、2001年9月11日の同時多発ハイジャック・テロと、それに対するアメリカのアフガニスタンへの報復戦争は、インターネットが政治の世界に強固にビルトインされたことを、如実に示した。20世紀に世界で定着したデモクラシーを発展させる方向にも、撹乱・阻害する方向にも、二重に作用する両義的な意味で。

 

 政治の機動戦・陣地戦から情報戦へ

 2001年9月11日を、世界の多くの人々は、テレビの映像を通じて知った。世界貿易センタービルへの自爆突入・倒壊はあまりに衝撃的で、アメリカのテロに対する怒り、ブッシュ大統領の「これは戦争だ」は、当然のように思われた。だが、10月7日にアメリカ軍のアフガン空爆・地上戦が始まると、国連NGO事務所や病院を含む住民への誤爆で、新たな犠牲者がうまれた。すでに20年も平和を知らない大量の難民が国境に溢れ、アメリカはテロの首謀者とされたオサマ・ビンラディンへの報復と共に、タリバン政権転覆による新たな世界支配に向かうのではないかと疑問や留保が付されるようになった。日本の自衛隊海外派遣についても、憲法上の疑義もあり、難民救済など別のかたちの国際貢献が模索された。

 かつてイタリアの反ファシズム思想家アントニオ・グラムシは、20世紀の政治を軍事技術の変化から読み替え、ロシア革命型の機動戦から西欧民主主義型の陣地戦への移行を語った。今日では、軍事にも政治にも情報戦が組み込まれ、情報をめぐる国内・国際政治が世論形成に決定的なものとなった(加藤哲郎『20世紀を超えて』花伝社、2001年)

 情報戦は、情報操作・統制を伴い、諜報戦がつきまとう。イスラム原理主義のテロリスト、オサマ・ビンラディンは、もともとソ連のアフガニスタン侵攻に対するゲリラ戦の中で、CIAの援助を受けて育った「鬼子」だった。もちろんアメリカは、ビンラディンの動きを追っていた。1998年のクリントン大統領によるアフガン・スーダン空爆も標的はビンラディンであったが、作戦は失敗した。いくつかのテロリスト・グループはホームページで「聖戦」を公然と主張し、衛星電話や電子メールで世界にネットワークを持っていた。9月11日の同時多発テロについても、テロの可能性自体は事前に察知され、在日アメリカ大使館は日本政府にも警告していた。米国防総省国家安全保障局(NSA)のグローバル通信傍受装置エシュロンは、グループの交信をキャッチしていたが、その情報を解析できたのは事件後だったという。膨大な情報の行き交うサイバー・スペースでは、事件直後に流言蜚語も飛び交い、「ハイジャック11機」情報や怪しげな合成写真も出回った。

 しかし情報戦は、「IT革命」の所産でもある。中国天安門事件や湾岸戦争の時にはなかった新しい手段を、21世紀の市民に提供していた。アメリカでは事件をきっかけに、平和の祈りや癒し・チャリティのサイトが急増した。炭疽菌郵便事件は報復テロ連鎖の恐怖と不安を広げたが、そこではインターネットが、市民が自分で情報を収集・選別し、安全・安心を双方向で交感しあう、有力なオルタナティヴ(代替)メディアとなった。

 すでに十年前の湾岸戦争がその兆候を示していたが、2001年のアフガン戦争は、情報戦・メディア戦の性格を色濃く持っていた。事件直後に流れたパレスチナのこどもたちが喜ぶCNNの映像は、犠牲者の痛みを考えれば不謹慎で非難が殺到し、世界の多くの民衆の実感を、メディアが伝えることを躊躇させた。しかし後にドイツの新聞が報じたように、それは事件と無関係の古い映像も交じった、「やらせ」の疑いが濃いものだった。

 世界の民衆多数の実感とは、『ル・モンド・ディプロマティーク』のイニャシオ・ラモネ編集総長が、後に指摘したものである。「ニューヨークのテロ事件に巻き込まれた無実の被害者に同情するのは当然であるにしても、アメリカという国までが(他の国と引き比べて)無実なわけでないことは指摘せざるを得ない。ラテン・アメリカで、アフリカで、中東で、アジアで、アメリカは暴力的で非合法的な、そして多くは謀略的な政治活動に加担してきたではないか? その結果、大量の悲劇が生まれた。多くの人間が死亡し、『行方不明』となり、拷問を受け、投獄され、亡命した。 西側諸国の指導者とメディアが示したアメリカ寄りの態度につられて、手厳しい現実を見逃してはいけない。世界中で、とりわけ発展途上国において、断罪すべき今回のテロ事件に際して最も多く表明された心情は、『彼らに起こったことは悲しい出来事だが、自業自得である』というものだった」と。

 日本のテレビや新聞は、政府の発表やCNN等米国メディア情報に依拠し、「21世紀の新しい戦争」を報じた。しかしその間に、巨大メディアに乗らない少数意見や差別、イスラム諸国の実情を、日本の市民がネットで流し始めた、欧米知識人の憂慮のメッセージや反戦平和運動を伝えるネットワークを、急速につくりあげた。2000年韓国総選挙で「落選運動」が大きな力を発揮し、アメリカ大統領選挙が「E・デモクラシーの開始」といわれたように、日本の政治のなかでも、インターネットが本格的に稼働しはじめた。

 

 「テロでも報復戦争でもなく!」のグローバル・ネットワーク

 インターネット上で市民として情報を集め、相互に交信し活動する人々を、network citizen=ネチズンという。日本のネチズンの最初の対応は、テレビや新聞に現れない、アメリカ市民の声を集めることだった。

 

(1)「もう一つのアメリカ」情報の伝達

 マス・メディアの「ゴッド・ブレス・アメリカ」「テロに報復を」の圧倒的な声の中でも、「もうひとつのアメリカ」が見えてきた。ニューヨーク貿易センタービルで息子を失ったロドリゲスさん、ハイジャックで一人娘を失った遺族ボドリー夫妻、ペンタゴンで夫を亡くした妻アンバーさんらが、テロを憎み肉親の喪失を深く悲しみながらも、戦争というかたちでの暴力的報復には反対し、ブッシュ大統領に「報復よりも正義と平和を」「私たちに、さらに多くの無実のいのちを奪う権利があるのでしょうか。それはまたひとつのテロではないでしょうか」と問いかけていることが知られた。それらはすぐに、だれかが英語を日本語に翻訳し、多くのメールングリストで日本中に流され、続々と生まれた各種のホームページに発表された。

 

(2)異論・少数意見の紹介・リンク・発信

 アメリカのネット上に現れた少数意見、イマニュエル・ウォーラーステインやノーム・チョムスキーの事件直後の論評は、ただちに翻訳されて在米日本人サイトや日本のネチズンのホームページにリンクされた。

 欧米思想研究の定番サイト中山仁さんの「哲学クロニカル」は、「911テロ事件特集--哲学クロニクル・スペシャル」を設けて、9月11日のサスキア・サッセンから翌日のジャック・アタリ、スーザン・ソンタグ「民主主義はどこへ」からサミュエル・ハンチントン「文明の衝突ではない、少なくともまだ……」にいたる世界の知識人の反応・論調を、一部は自ら日本語に翻訳して系統的に紹介した。

 日本での知識人・研究者の対応も、「ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)」を主宰する岡本真さんによって、大学サイトのすみずみまで精査され、「対米同時多発テロ事件をめぐる発信」リンク集に収録された。

 世界と日本の平和団体、宗教団体、NGO・NPOから学会・労働組合にいたる各種組織の声明・宣言は、田口裕史さんのホームページ等に整理されて、集積され、データベース化された。

 9.11以前に累積数十万アクセスに達し、月数千人のリピーターを持っていた私の個人ホームページ「ネチズン・カレッジ」や森岡正博さんの「生命学ホームページ」は、これらを特設コーナーで紹介し、普及につとめた。

 

(3)意見広告、反戦署名、難民支援 

 ニューヨーク在住の日本人ミュージシャン坂本龍一さん「報復しないのが真の勇気」という朝日新聞の短文は、たちまち数十のホームページにリンクされた。「ブッシュ大統領への手紙」や嘆願署名サイトが次々につくられ、ニューヨークの犠牲者への義捐金と共に、アフガン難民を支援するサイトも生まれた。

 千葉の主婦きくちゆみさんが始めた「GLOBAL PEACE CAMPAIGN」は、わずか2週間で目標1250万円の募金をネット上で達成し、アメリカのNGOとも提携して、10月9日の『ニューヨーク・タイムズ』一面を買い取り、英文意見広告「アメリカは世界を平和と公正に導くことができるか?」を掲載した。さらにその後、募金は1か月で2500万円に達し、『ロスアンジェルス・タイムス』、イタリア紙『スタンパ』、ペルシャ語『ジャヴァナン』にも意見広告を掲載、11月26日以後は難民救済と「地球平和賞」を設立して運動を継続している。

 そうした動きは、シカゴ大学の一学生が始めた「報復ではなく正義を!」のサイトが、3週間で70万人の署名を集め、20か国語に翻訳して世界の指導者たちに届けたように、世界的広がりをもっていた。日本でも地域レベルを含めた署名サイトが陸続と作られ、「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の場合は2か月で7万人を超える署名を集め、国会に提出した。

 アフガニスタンという、それまでほとんど知られてこなかった国の実情を知らせ、難民救済・募金を訴えるサイトや、テロ廃絶のために恒常的な国際刑事裁判所をつくる運動も、ネット上で始まった。世界中の論調や反戦運動の動きが、日本語に翻訳されて紹介された。

 

(4)意見表明・双方向討論と政治情報のデータベース化

 多くのホームページの掲示板・討論欄で活発な議論が交わされると共に、それらはそのまま同時進行の時代の記録として、歴史的資料となり、保存されることになった。

 「Peace Weblog」には、地方新聞を含む戦争と平和のニュースが毎日記録され、「そのとき誰が何を語ったか」というホームページでは、毎日の政治家の発言が克明に記録された。次の総選挙では、「落選運動」の有力なデータベータとなるだろう。

 有名無名の無数のネチズンが、9.11以後の事態を憂い、ホームページやメーリングリスト、掲示板で発信した。作家宮内勝典さん池澤夏樹さんのように、日記風に展開する反戦文学が現れ、若い政治学者小林正弥さんは、丸山真男の平和の精神を今こそ思想的に発展させようと、「黙示録的世界の『戦争』を超えて」という長大論文を、雑誌ではなく「公共哲学ネットワーク」ホームページに連載した。80歳近い歴史学者である吉田悟郎さんは、自らのホームページ「ブナ林便り」でこれらを詳しく論評し、歴史教育で知り合った教師たちが行った高校生の世論調査や平和教育の実験授業を紹介した。私のホームページ「IMAGINE! イマジン」は、それに大学生の世論調査・平和運動を加え、「高校生平和ニュース」大学生平和ニュース」のコーナーにデータベース化した。

 カルフォルニア州バークリー市議会が、アメリカで初めて自国政府の戦争反対を決議したことは、直ちにインターネットで紹介された。ローマ法王やダライ・ラマらノーベル平和賞受賞者たちのメッセージが流され、「文明の衝突」を憂うる多くの宗教者が、ネットを通じて平和をよびかけた。それらを教材にした教師たちの実践記録がネット上に公開され、教育現場で共有された。

 とりわけ影響力を持ったのは、「もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には、57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます」で始まり、「70人が有色人種で 30人が白人」「6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍で、80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません、 50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人はいま生まれようとしています 、1人は(そうたった1人)大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピュータを所有しています」と語る、現代版フォークロア『100人の地球村』であった。

 これは、朝日新聞「天声人語」で紹介されるずっと以前に、インターネット上で広く急速に出回り、私の特集サイト 「イマジン」でも、ジョン・レノンの音声ファイルと共にカバーにかかげ、大きな反響があったものであった。

 それが、もともとローマ・クラブ・レポート『成長の限界』(1972年)の起草者の1人であったDonella H. Meadowsが作成した学術レポートをもとに、「1000人の地球村」として92年ブラジル地球サミットのポスターに使われ、環境問題・エコロジー運動のサイトで広く流布していたものであったことも、GLOBAL PEACE・ネット・メーリングリストや「ブナ林便り」での議論の中で、学術的に明らかにされた。私のホームページは、ここ数年「インターネットで歴史探偵」を目玉の一つとしてきたが、インターネットが現代史研究の一つの手段になりうることを示した一例であった。

 

(5)規模と影響力の拡がり、現実政治へのインパクト

 こうして9月11日以後の日本のインターネット政治は、韓国総選挙「落選運動」なみの、本格的開花期を迎えた。

 新聞紙上にも「全米同時多発テロとインターネット」「文化人、ネットで懸念語る」といった記事が現れた。その一年前に、自民党加藤紘一がインターネット世論に依拠して森内閣に反旗をひるがえし、失敗した時の支持者が数万人だった。今春の自民党総裁選のさい、党内基盤が弱い小泉純一郎を首相にしようと、党外勝手連がインターネットで集めた募金が1か月で100万円で、当時は画期的とさわがれた。GLOBAL PEACE CAMPAIGNは、1か月で2500万円の募金を集め、あっさりと記録をぬりかえた。

 6月に首相官邸が始めた「小泉内閣メールマガジン」には200万人が登録し、「日本におけるネット・デモクラシーの幕開け」といわれたが、けっきょく双方向討論の場を設けることができず、週1回の政府情報の一方的垂れ流しで、ネチズンに見放された。

 逆に、草の根デモクラシーのネットワーク上では、きわめて活発な議論が行われた。ヒロシマの女子高校生は、原爆とアフガンのこどもを結びつけて、日本語と英語で詩を送るサイト「平和を愛する道路標識」を開設した。こどもたちの討論の広場"KID'S PEACE"や、画像ページ「キッズ・ゲルニカ」も誕生した。長期不況で戦争より景気対策を求める数百の中小企業は、社名を公然と掲げた連名で、"Stop the bloody chain...!" というキャンペーンを始めた。在日アメリカ企業でも、コンピュータ・ソフトのアシスト社長ビル・トッテンさんは、「暴力では解決しない」と、自国の戦争への疑問をサイトで公然と表明した。

 日本では、新聞・テレビの世論調査でも、自衛隊の海外派遣や「国際貢献」のあり方をめぐって、男性と女性の意見が大きく分かれたが、「テロにも報復戦争にも反対」を掲げたインターネット民主主義の開花には、若い女性や主婦たちの加わる平和ネットワークが大きく貢献した。

 ただし、既成政党や政治家は、こうした深層の動きを十分認識できず、永田町・霞ヶ関の「政治」を大きく動かすまでにはいたらなかった。

 

(6)既存の社会運動へのインパクト

 インターネット・デモクラシーの広がりは、既成の社会運動にも、影響を与えた。

 たとえば日本消費者連盟は、10月7日の反戦平和集会直前に、集会場やプログラムを知らせ、全国の連帯する動きを伝えるために、新しいサイト「反戦・平和アクション」を立ち上げた。内部に意見の違いがあるさまざまな市民団体・労働組合・地域組織が協力して、情報と運動経験を交流する「ANTI-WAR」という反戦ポータルサイト(情報の入口)がつくられた。

 歌手の宇多田ヒカルさんの「21世紀が泣いてる」や俳優黒柳徹子さんの「これ以上、こどもたちを戦火にさらさないで」、サッカーの中田英寿選手の「空爆はまちがい」などの反戦発言は、新聞やテレビが報じる前にネット上に流されて、全国のネチズンによって共有され、とりわけ若い世代や女性のピース・ウォーク、平和コンサート、署名などへの政治参加に、大きな影響力をもった。私のホームページ内にも祈り・癒し系コーナー「IMAGINE GALLERY」を設け、坂本龍一さんホームページ、有田芳生さんホームページ等と共に、こうした人々が戦争と平和の問題を考えるきっかけをつくり、ゲートとなった。

 

(7)国際連帯の拡がりと深まり

 インターネットは、瞬時に国境を超える特性をもつ。9月11日を契機に、国際交流・国際連帯も、飛躍的に広がった。たとえば9月27日に発表された韓国553団体による戦争反対共同声明は、当初日韓交流を進める若者たちのメーリングリストに数種の日本語訳が流され、やがてホームページに発表されて、たちまち全国に広がった。私の主宰するホームページ「ネチズン・カレッジ」には、韓国、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ドイツなどから匿名を含む反戦情報が寄せられ、9月に開設した特集情報サイト「イマジン」および英語ページ「Global IMAGINE」に収録された。 

 アフガン難民救済を進めてきたNGOサイトからは、現地の深刻な事情が伝えられ、報復戦争はアフガン民衆にいっそうの悲惨をもたらすという認識が共有された。中村哲医師を中心とした、福岡を拠点とする「ペシャワールの会」の活動は、各地の中村医師講演情報が次々にネット上で伝えられ、アフガン民衆支援の中核となった。その「アフガンいのちの基金」は、10月12日から1か月間だけで、実に1万5千件2億5千万円の基金を達成し、小麦粉5か月14万人分、食用油5か月17万人分を現地に搬入した。その活動状況と基金の使途は、同会ホームページ上で、逐一報告されつつある。

 またパキスタンの日・パ旅行社から発信される「オバハンからの緊急レポート」は、日本政府・与党幹事長代表団など政治家の現地視察が、いかに現地の実情からかけはなれたものであるかを具体的に報告し、日本のマスコミ報道の問題点を毎日厳しく指摘して、ネチズン必見の定番サイトとして定着した。

 多くの日本のNGO・NPOサイトは、この反戦平和活動を通じて、新たな国際連帯・運動支援のパートナーを見いだした。逆に既成の政党系列の運動組織の中には、こうした社会運動の様変わりに対応できず、21世紀のとば口で衰退の波をかぶるものも現れた。

 

(8)言論の自由の危機と学問の自由擁護

 「公共哲学」にとってとりわけ深刻な、アメリカにおける言論の自由、アカデミック・フリーダムに関する情報は、日本のマスコミがほとんど取り上げない状況のもとで、インターネットでの発信が、重要な役割を果たした。

 「反戦クラブ」結成を計画した女子高生が退学を余儀なくされたニュースは、日本のテレビ・新聞でも報じられたが、そればかりではなかった。全米で40人以上の研究者が「非愛国者」として職場を追放されようとし、「マッカーシズムの再来」が公然と語られている状況がある。こうしたニュースは、アメリカ在住の日本人留学生や研究者から、私のホームページ「イマジン」や森岡正博さんの「対米テロ事件報道を相対化するために」、それに小林正弥さんの「公共哲学ネットワーク」などを通じて、全国に伝えられた。

 デービッド・エーベル「大学関係者はアメリカ国民団結のマイナス面に注目」、Michael A. Fletcher「大学では報復攻撃への反対意見を出しにくくなっている」、「米国立平和研究所で反戦を理由に解雇」などのニュースは、小林正弥さん「実践的行動案内──戦時下の『学問的自由』のための声明」が憂慮するように、自由な言論の危機を示していた。

 私のホームページでは、ハーバード大学学長サマーズが大学新聞『クリムゾン』のインタビューに答え、予備役将校の受け入れやテロ容疑者捜査に大学が積極的に協力したいとした愛国発言記事を、ハーバードの友人の知らせでいち早く翻訳・掲載し、大きな反響をよんだ。日本ジャーナリスト会議が「ジャーナリズムの退廃」を告発し、アジア経済研究所のテロ・リポートが回収・廃棄された事件が起こっていて、「対岸の火事」ではなかった。エドワード・サイード教授等の緊急要請「「アメリカの言論の自由を守れ!」に応える署名の窓口は、私のイマジン」のほかに、佐賀大豊島さん、千葉大小林さん、大阪府立大森岡さん、「ANTI-WAR」プレマ(PREMA)21ネット等々のホームページに、次々に作られた。アメリカからも、大山めぐみさんの英和リンク集に「言論の自由とメディア」コーナーがつくられた。

 

(9) マスコミや活字出版の先駆け

 軍事情報は措くとして、こと少数意見や反戦運動の紹介では、日本のマスコミはインターネットの後追い、ないし無視・無定見だった。私は、すべての論説・記事に、電子メールアドレスを付して発信責任を明示する運動を提唱しているが、インターネット上では、マス・メディアに出せない情報を私たちにメールで送ってきたり、ネット上で個人意見を述べるジャーナリストも、多かった。『ハリー・ポッター』までが米国で「問題本リスト」に載せられているニュースや、NHK特集『イスラム潮流』を制作したプロデューサーの意見などは、インターネット上でのみ報じられ、読めるものとなった。

 活字出版の世界は、事態の流れについていけず、タイミングを失して、インターネット論議の後追いが目立った。日本の雑誌特集の外国人の寄稿には、すでにネット上で広く流布していたものが多く含まれており、11月から12月にかけて出版された書物、モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない,恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)、田中宇(さかい)『タリバン』(光文社新書)・『イスラム対アメリカ』(青春出版社)、ノーム・チョムスキー『9.11』(文藝春秋社)等は、インターネット上で話題となった論考をもとにしたものであった。

 池田香代子=ダグラス・ラミス『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)、坂本龍一ほか『非戦』(幻冬社)、外岡秀俊・枝川公一・室謙二編『9月11日 メディアが試された日』(本とコンピュータ編集室)等は、ネット上での平和運動そのものを活字で紹介し、論じるものとなった。

 ことインターネット・デモクラシーに関するかぎり、2001年9月11日以後の日本での情報戦では、報復戦争反対の世論が支配的であった。

 

 デジタル・ディバイドとコード規制・ネチケットの問題

 もっともインターネットの現実は、一路民主化の方向に進んでいるわけではない。

 まずはインフラ・レベルの問題がある。地球上でパソコンを持てる人は、せいぜい1%である。日本にもデジタル・ディバイドがあり、ブロードバンドの遅れでコストは高い。日本が誇る携帯電話ではネット・デモクラシーの討論は難しく、むしろ「出会い系サイト」や迷惑メール・犯罪に使われ、刹那的・感性的チャットによる紛争激化を生む。マイカー族だけで道路を決めれば歩行者がはじき出されるように、IT革命の勝者である先進国のみが特権を享受し、ネチズンだけで政治を決めるのは、デモクラシーの根本原理に反する。

 OSやソフトの世界ではマイクロソフトの独占が進み、サイバー空間のコード規制、英語の世界語化も進行している。エシュロンによる盗聴傍受の問題性はいうまでもない。

 インフラ整備に責任を持つ政府の方は、アメリカでも日本でも、テロ対策を理由に情報統制・インターネット規制を強めた。ネット上の討論では、顔のみえない匿名チャットが過熱し、「愛国者・売国奴」のレッテル張りが横行した。多くのホームページの討論欄・掲示板が「2チャンネル化」とよばれる無責任な投稿被害を経験した。ホワイトハウスや首相官邸の偽物サイトが現れ、個人情報流出・名誉毀損・著作権侵害もあとをたたない。

 インターネットのデモクラシーは、国家・企業とNGO・NPO、政府と市民のせめぎあいばかりではなく、ネチズンのなかでの自治とルールづくり──「ネチケット」とよばれる──の面でも、まだまだ発展途上にある。21世紀の入口での情報戦を契機に、地球的規模でのネット・ガバナンスが問われている。公職選挙法改正によるインターネット選挙運動や電子投票の検討はすでに開始されているが、インターネット・デモクラシーを可能にする土台作りと民主的討論こそが、いま、地球的規模で求められているのである。

katote@ff.iij4u.or.jp )


加藤哲郎(かとう・てつろう)

1947年生。1970年東京大学法学部卒。米国スタンフォード大学・ハーバード大学客員研究員などを経て、現在一橋大学大学院社会学研究科教授。法学博士。自ら主宰するインターネットのホームページ「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」は、日本の政治学関係では最大サイト。論文末尾にメールアドレスをつける運動を提唱中。

専攻、政治学・国家論・比較政治・現代史。
著書 『20世紀を超えて』『現代日本のリズムとストレス』『社会と国家』『国民国家のエルゴロジー』『モスクワで粛清された日本人』『コミンテルンの世界像』など多数。
E-mail: katote@ff.iij4u.or.jp  
日本語ホームページ:「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」
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