「教団新報」(4643)に「教師退任決議をめぐって」記事の教団宣教委員長高橋潤牧師の文に「教団信仰告白」服従を強調していますが、(宗像註:あなたは教団の信仰告白を遵守しますと誓約して牧師になったのだからそれを守らないことは裏切りだという論、すぐその横には教団副議長が同じことを書いている)、教団が合同教会として今日に至った経緯は次の資料によるものです。
「基督教会」とは何か(要約)
この「基督教会」とはディサイプルス教会である。この一派が教団に参加したのは、「我々は信条をもたない」という姿勢においてであり、「合同教会がわれわれの歴史的信仰、慣習、自由に制限を加えることはない」とし、更に「束縛的信条を拒否する権利をもつ」という合意の下に踏み切った合同である。このように公的教会史に明記されている事実を無視したこのような発言がまかり通るとは、教団執行部の「暴走」そのものです。正直、何と愚かな教条主義か、ほとほと呆れます。(木村知己)
以上は木村牧師からの便りであり、ディサイプルス派の教団加盟の資料が届けられた。教団が合同教会としてその品位を保とうとするならば、この姿勢を保たなければなるまい。かつては国家の圧力に便乗して反天皇の牧師を追い出し、今回は教条主義的多数決の圧力に便乗して、反律法的牧師を追い出すことをすれば、もはや「合同」教会と言うことを恥じねばなるまい。「合同」とは何かを問い直す学びをはじめたらよいだろう。「合同」で最も大切な神学は「あいまいさを認める」である事を忘れてはならない。神はそのあいまいさを愛し、受け入れる方である。(つづく) (つづく)