巻頭言
主とその恵の言に、ゆだねます。

1990年4月にこの小平学園教会に赴任してからもう17年経ちました。敗戦後、自分の存在を見失っていた私が、「そうだ俺は洗礼を受けていたのだ」と目覚めて神学校に入り、卒業後伊豆松崎教会、広島牛田教会の牧師を経て、1957年に家族を連れてブラジルにわたり、南米教会、サンパウロ教会を土台として、ブラジルの日系人伝道を22年間勤めました。妻の病気のために帰国してから、広島キリスト教社会館の館長、保育園長を11年、もう一度伝道者として働きたいという願いを受け止めて、既に66才の私を招いて下さったのが、この小平学園教会でした。早いものでそれから17年が経ち、私も83才になり、妻の病の介護の事もあって、これ以上この教会に迷惑もかけられないと思って、引退を決意した訳です。  

振り返ってみますと、ブラジルでの軍事政権とのきびしい出会いから、赴任した教会を辞任し、新しくサンパウロ教会を創設したのですが、政治の苛酷な圧力に少しは抵抗しながら、他の面では、イエスの伝える神の全く無条件の愛を明確に感じ、伝える者とされていました。イエスが無条件な神の愛(福音)を説きながら、あの神殿体制という巨大な差別構造に対して戦いを挑んできたその思いと行動を少しは実感しながら。   

まず聖餐式をオープンにすることを始めました。長男が軍事政権に捕らえられ、日本人社会でも煙たがられる状況になればなるだけ、このオープンな聖餐式は私の、そしてサンパウロ教会の活力となりました。残念ながら、私の帰国後、この聖餐式は「律法式」(受洗者にしか恵は与えられない)にもどされましたが。  

この小平学園教会で再びオープン聖餐式を、少し強引に実行させて頂きました。それは何よりもまず、「神の測り知る事のできない豊かな恵」が全ての人に与えられている事を伝え、受け入れて頂き、もはや「救われるか、滅びるか」ではなく、救われた者として生きてほしいと伝えるためでした。   

伝道も「信じなければ救われませんよ」ではなく、「あなたも救われていることを信じて下さい。たとえ信じなくても救われているのですよ」と伝えました。この文字通りの福音が、この教会の、社会の矛盾に対する抵抗の力を生んできたのだと思います。今、この思いは多くの方に伝染しあっているので、保守派の人々をあわてさせていますが、福音が福音の生命をとりもどす時がきたのです。正に「時は満ちた」のです。この時を大切にしましょう。  

教会員の皆様にも、この小平の方々にも本当にお世話になりました。この「バベル」を書き続け、二冊の本も出版し、礼拝出席者も大幅に増加したこと、妻の病気に対しても多くのご配慮を頂いた事など、すべて感謝です。おかげで私は健康で過ごしました。最後に「今わたしは、主とその恵の言とに、あなた方をゆだね」ます。

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