稲留純一 Tome |
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| (宇洞克織・若悦亮太) 担当 ギター・ボーカル・ブルースハープ・マンドリン・ウォッシュボード 等 星座 5月7日生 おうし座 小倉産まれの小倉育ち 初レコード ブルー・シャトウ 初ギター 中3、友人の影響 |
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| 小学生時代 | 故坂本 九に夢中 |
| 中学生時代 | 軟式テニス部に所属 折からのGSブーム、加山雄三ブームの真っ只中で過ごす。 (チナミニ初めて買ったレコードは「ブルー・シャトウ」) この頃、ヤマハライトミュージックコンテストで「赤い鳥」が全国優勝 学生バンドが注目を集める。 (チナミに準優勝は「オフコース」) 中3の時、友人の影響で、初めてギターに触れる。 フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒット。 |
| 高校受験の頃 | 高石友也の「受験生ブルース」がヒット。 (以後、深く関わる事になるが、この時は、 自分の事を代弁する歌詞 に喝采を送った。) |
| 高校生時代 | 卓球部に所属するが、部活の友人と「フォークル」にハマル。 (前出の「フォーク・クルセラーズ」の略) 2年生で運命の出会い。(チョット オオゲサカナ?) 高石友也氏のコンサートを初めて観る。今まで聞いた事のない唄に大感動!! (この人について行かねば!と誓う稲留少年デシタ。) 以後、高石氏を始めとする関西フォーク運動に深く傾倒する。 中3から始めたギターは、ストロークで唄えるようには成っていた。 この頃、井上陽水が「アンドレ・カンドレ」の名前でデビュー、売れず。 |
| 大学生活 | 長崎で。 フォークグループ「赤とんぼ」の設立メンバー。 以後、4年間は、フォーク三昧! (よく、4年で卒業できた。 ダレカミタイニ、ガクレキサショウでは無い。卒業証書有り。 その代わりと言っては何だが、単位は取ったが、 建築の勉強は、何もしていない。 長崎造船大学音楽部フォークソング学科卒。) デビュー前の「グレープ」とNBCの公開録音で共演。 さだまさしから 「絶妙のハーモニー」と 褒められる。 解散コンサートは、長崎市民会館を満員に。 (二千人だったそうな) |
| 就職 | 大阪へ、以後12年大阪暮らし。人並みに結婚し、子供も3人授かる。 高石ともやとナターシャ・セブンのコンサート通いが続く。 特に、伝説の「宵々山コンサート」は3回目から皆勤。 |
| 1988年 | 再び小倉へ。 |
| 1994年 | 「フォーク・バッカス」結成。 |
| 1996年 | ソロ活動開始。市内ライヴハウスで唄う。 フォークビレッジで仮名文のリーダー福井氏と出会った。 福井の福、稲留の留で、某食品会社ネーミングにあやかりフォークDuoHAM結成 12月16日HAMのエンジョイ・クリスマス(HAM初ライブinフォークビレッジ) |
| 1997年 | 仮名文のサポートメンバーとして演奏に参加するようになった。 |
| 1999年 | 「wake」結成 |
| 2006年 | 「KFM」を、発起人のメンバーとして結成 |
| 2008年 | 仮名文正式メンバーとして演奏活動開始(9月より) |