●第4回:世界の雛形国家たる日本(05/08/09)


オカルトなるものは、散々に騒がれたあの世紀末のカタストロフィーが何の気配すら見せずに過ぎ去ったことにより、もはやその存在意義は無くなってしまったように思える。
それは預言と呼ばれる神の計画の不履行、つまりは神の不在を証明した結果なのであろうか。
主なる神の喪失。世界のすべては偶然の産物であり、そこに意味性などは見出せない。それは、この世界に生きる我々自身の生でさえ、無秩序な混沌へと帰結させる。
‥‥しかし、こういった諦観の中にあって、依然として意味性を主張する事物が存在しているのもまた事実である。
以下に、その主張を記す。

ことの発端は、幼少期に遡る。
当時、私は親から買ってもらった「地図パズル」に夢中になっていた。これは日本地図と世界地図との二種類があって、それぞれ県別、国別に分かれたピースを盤上に埋めていくものだった。
幼少期特有の熱意をもって、組み立ててはばらし、また組み立ててはばらしを繰り返していたある日、ふと思った。
「‥‥四国とオーストラリアって、似てるな‥‥?」
ピースを埋める前の四国とオーストラリアの窪みの形は、確かにそっくりだったのである。

時は下り、中学生になった私は、どういうわけかオカルトなるものに強い興味を抱くようになり、雑誌「ムー」などを読み始めていた。
そのムー別冊「ミステリー百科」を読んでいた私は、ある奇怪な地図を目にした。
それは古びた世界地図のようであったが、一見して何かがおかしい。横の解説を読んだ私は、驚愕に目を奪われた。
その世界地図は、日本列島をバラバラにして、世界の各大陸に当て嵌めたものだったのである。
解説にはこうある。
「日本列島と世界地図の奇妙な相似」
「地球上の諸大陸と日本列島との間には、じつに不思議な地形対応の関係が見られる。」
日本列島と諸大陸との対応は、以下の通りである。

ユーラシア大陸 = 本州
北アメリカ = 北海道
南アメリカ = 台湾
アフリカ = 九州
オーストラリア = 四国

南米を台湾島とする部分には少し無理がありそうだが、ここまで対応するだけでも、偶然の一言で片付けられるものではない。
さらに、相似するのは大陸の形のみではない。例えば、日本一高い山富士山は、世界一高いエベレストに位置的にもピタリ一致する。日本一大きい琵琶湖は、世界一大きい湖カスピ海に相当する。
その他、瀬戸内海は地中海に、富士川はガンジス川、紀伊半島はアラビア半島、関門海峡はジブラルタル海峡、隠岐はイギリス、伊豆半島はマレー半島‥‥、といくつもの対応が見られる。



「日本は世界の雛型」とする説がある。これは出口王仁三郎の大本教などで唱えられた説であるが、日本で起きたことが拡大転写して世界に反映するというものである。
戦後教育を受けた者としては、このような日本中心の説は戦前の国粋主義に繋がるものであり、人によっては嫌悪感を催すかもしれない。
しかし、先に見たように日本列島が世界の縮図になっているという事実は、否が応にも日本という国の特殊性を認めざるを得ないだろう。
世界の諸大陸は、新生代と呼ばれる6500万〜180万年前に現在の形になったと言われている。元は一つの巨大大陸だったパンゲア大陸が分裂、移動して現在の形になった。
大陸移動そのものは、まさしく自然現象であり、そこに人為など入り込む余地は無い。
しかし、その世界と日本列島が悉く相似する事実は何であろうか。偶然でこのようなことが起こるのは有り得ないと言っていい。
そこにはまったく「人為的な」何かを感じ取れるのである。
私が長年このことに引っ掛かり続けている理由は、まさにそこにある。
大陸をこのように「デザインする」人為的な何か。これはまさしく、天地創造を行った神なるものの存在を証明するものではないのか。
たとえ無神論者がどのような異議を唱えようとも、世界と相似する日本列島という事実は、現実の地理上に厳然と存在しているのである。

しかし、世界をこのように創造した神は、現代という時代において喪失している。
失われた神は、やがて再臨するのであろうか。
その鍵を握るのは、世界の雛型たる日本にあるのかもしれない。


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