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Stand on Zanzibar
by John Brunner (Del Lay, 1987)
1969年のヒューゴー賞長編部門受賞作。長いこと翻訳が出る出ると噂されながら結局未だに出ていないという伝説の大作です。
2010年、世界は人口爆発に伴う飢えと貧困による混乱のまっただ中にあった。貧困国は人口増による飢餓を押さえるために優生保護法を成立させ、一部では国家レベルでの強制的な避妊処理すら始まっていた。
悪化する一方の状況はアメリカを筆頭とする豊かな国々においても変わりなかった。先進国ですら人口の増加を抑えるため、遺伝病の遺伝子保持者の出産は厳しく制限され、貧困国からの養子仲介は一大産業へと成長。そして避妊、中絶を悪とするカトリック原理主義者をはじめとする数多くのテロ組織が横行。巨大なドームに覆われたマンハッタンをはじめとする過密な大都市では、わずかなきっかけが大暴動を引き起こし、さらには精神異常者による突発的な無差別殺人が激増していた。
そしてアメリカにある世界最大の企業複合体ゼネラル・テクニクス(GT)社では、世界に誇る巨大コンピューター「シャルマンサー」が世界情勢を予測、企業方針のみならず人類の未来にまで大きな影響を及ぼすようになっていた。
第2の舞台は、世界を覆う混乱、そして自らの貧困にもかかわらず、この15年間一件の殺人も起こっていないという、アフリカの奇跡の小国ベベニア。
ベベニア大統領オボミは、病気のため自身の命が長くないことを知った時、自分の死後に起こるであろう近隣諸国の侵略から愛する国を守るため、親友であるアメリカ大使エリフと共に、国を丸ごとGTに売り渡すという前代未聞の手段に打って出た。(会社を敵対的買収から守るため、先手を打ってホワイトナイトとなる強大な企業にに友好的買収を持ちかけるようなもの?)
物語の主人公の一人、GTの重役であるノーマン・ハウスは、責任者としてこの巨大なベベニアプロジェクトに立ち向かうことになる。
第3の舞台は、インドネシア近辺に興った軍事独裁国家ヤタカン。2010年、世界を衝撃的なニュースが飛び交った。ヤタカン政府は遺伝工学の世界的権威スガイガンタン教授が人間のクローン技術のみならず、さらに遺伝子を「最適化」した「完全な人類」を作りだすことを可能にしたと発表したのだ。
物語のもう一人の主人公はノーマンのルームメイトであるドナルド・ホーガン。彼は金持ちのディレッタントを装ってきたが、実は予備役にある特殊工作員だった。突然の命令により、短期間に薬物と催眠学習を駆使した特殊訓練を経て殺人マシーン、ドナルド・ホーガン・マークIIへと変貌させられたドナルドは、世界を震撼させたニュースの真偽を確かめるため、スパイとしてヤタカンに送り込まれる。はたしてニュースは事実なのか?それとも独裁国家のプロパガンダなのか?そしてもし真実ならば、ドナルドに科せられた使命は?
二人の主人公を中心としたメインストーリーに、さまざまな登場人物たちのストーリーが交錯し、さらにテレビコマーシャルや百科事典の記述、マニュアル、論文の一部など、雑多なドキュメントが折り込まれるという、当時としては前衛的な構成の小説です。 一種の社会学SFというか、デストピアものに分類されるのでしょうが、後のディッシュのようにまったく救いの無いような話ではなく、最後には一応人類の未来への希望を残すような終わり方をしており、古典としてはやはり名作といえるでしょう。もっとも他のヒューゴー賞受賞作に比べると、エンターテイメント性の面では、やや見劣りするかなという気もしますが。
造語も多くて確かに読みづらいのですが、極端に翻訳が難しそうな文章でもなく、なぜ翻訳が出なかったのかわかりません。
舞台は2010年と言う設定ですが、現実の2006年現在と比較してみると、かなり手堅く近未来の様子を描いているといえるでしょう。大陸間弾道旅客機が飛び、宇宙飛行士達の本格的な宇宙ステーション滞在はまだ始まったばかり。メディアの中心となっているのは衛星テレビ網。合成された視聴者自身の姿が主人公となるテレビ番組「Mr.&Mrs.エブリホエア」に人びとが心奪われているという、仮想現実の走りも予想されています。
また、いたるところで人種差別が強調されているのは1960年代に書かれた時代背景もあるのでしょう。
一方、現在と比べて物語の世界から大きく欠落しているものの代表が、コンピューターの発展です。衛星回線を使ったテレビ電話は描かれていても、インターネットどころかパーソナルコンピューターの存在すらまったく予想されていません。
人類の運命を左右する、液体ヘリウムに浸かった巨大コンピューターという、もはやマンガですら用いられないような設定はまだいいとして、コンピューターによる未来予測がすべて紙のプリントアウトで行われ、打ち出されたプリントアウトの山に主人公が必死で目を通していくという下りには、さすがに苦笑させられました。当時のコンピューターに対するイメージがうかがえますし、逆にこの30年あまりの現実のコンピューターの発展がいかにすごいものだったかも、つくづく感じます。
最後のオチ、というかキモとなるSF的なアイデアも、さすがに今読むと古さを感じさせられますが、それでも「突如、プログラマー達の命令を拒絶し始めた巨大コンピューター、シャルマンサーに天才社会学者チャド・マリガンが挑む!彼の武器はその思考力。そして彼に与えられたのはわずか15分!」といった展開には、オールドSFフアンとしては、やはりわくわくさせられるものがあります。
なお、タイトルの「ザンジバルに立つ」とは、世界中の人間を一箇所に集めたとすると、かろうじてザンジバル島の面積に立つことができるということから、人類は否が応でも過密なこの地球上で生きていかねばならない、という厳しい現実の象徴として述べられています。
(2006/01/25)
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