いやーJScriptでこんなに嵌ったのは初めてです。悪夢ですよこれは。なんせエラーを特定するのに、もう「最後の手段」を使うしかなかったのですから。
var a.a;
もちろん私のミスです。見れば分かります。見れば、ですが……。
さて、オブジェクトのメンバーにvarを付けると、スクリプト全体が無視されます。var a[0];とか、var a["a"] = 'a';とかでも同じです。また、どこにあっても同じことです。そう、関数の中でさえ……。
function f(){ var a.a; }
これもアウトです。一箇所でもこれがあると全て無視されます。
外部JSファイルの中でこれをやってしまうと、まず誰でもJSファイルのパスが間違っている事を「確信」するのではないでしょうか。エラーは何も発生せず、作成したはずの関数オブジェクトが悉く「undefined」なんですから。でもパスはあっているのです。パスが正しいことを3回くらい確認しないと納得いかないのではないでしょうか。
私はこの暮れにサイト内の大掃除をしようと思ってスクリプトを書いておりました。1500行位になっていたと思います。JScriptにはモジュールをインポートする方法が無い為、過去に書いたものを継ぎ接ぎした結果で、良くあることです。さて、この1500行の中から、どうやってエラー箇所を見つけたかといいますと……。
まずtry catchしてみました。何も起らず茫然とします。コーヒーを一杯飲んだ後、次に、半分くらいを消してみました……何も起らず以下略。もういいでしょう。そういうことです。
検索をかけて変数宣言を一つ一つチェック……でしょうか。
やってくれましたMark Pilgrimさん。記事の中のcite要素を利用して、アーカイブを作られた模様。
Let's see, why can't you do this? Wait, wait, don't tell me... it's coming to me... oh right, you don't use semantic markup. Sucks to be you.
痛快ですなあ。私大好きですこの人の文章。何故オライリーの記事にはスパイスが効かなかったのかと小一時間(以下略)。
ただこの話をHTMLに結び付けるのは勘違いの原因になります。何故って、個々人が勝手にクラスで定義した<span class="cite"></span>でも一向構わないわけですから。このような制作者サイドの利用に限っては。
このような方法に基づいた記事収集を検索エンジンが行ってくれるなら、その時は私も攻勢(謎)に出ますけれども。
うーむ、どうも無意味な記事に思えてきた。お蔵入り(謎)。
一年前は私には絶対に関係ないだろうと思っていましたが、自分用XSLT変換インターフェイスを考えている際に必要になってきました。メソッドの継承というやつが。
とはいっても私の場合は完全なニーズ志向でして、完璧な汎用性、機能性はとりあえずは考慮しません。で、この際必要な継承についての性能は次の二つでした。
というわけで、これでOK。
というわけにもいきません。一応、newを用いた方法で解決しましたが、某所でナンセンスだという記事を読んで凹みました。しかもその意味がわかんねーし。確かに参照で済む話なのにnewしてしまうのは無駄だという点は分かるのですが、一回くらいなら良いのではないかなあなどと思ったのです。兎も角どうしようか悩み中です。
私も閉鎖時の文句というのを考えてみました。しませんけれど。
もうリンクはありません。
素晴らしいです。これは是非使わせていただきたい(何に)。
前半部分はその通りなのだろうけど、It's alsoからの下りがなぜ唐突に語られるのかが不明。
Nielsen氏は常々、インターネット、イントラネット、ローカル等々という概念は一体化して、WWWブラウザが言わば「リソースブラウザ」としてあらゆるリソースの閲覧を補助する総合インターフェイスの役割を担うべきだ、というような話(うろ覚え)を熱心に語られておりまして、そういう前提で話しているのかと思います。
って、そんなことは本人に聞いてみないと何とも言えませんねえ。好い加減なことを言ってはいけない。
そういえば最初期の当サイトはこのような緑地白字だったのでした。
背景色#005555は、緑どころか真っ黒にしか見えず愕然としました。
#007777まで明度を上げて、ようやく黒との区別がつくかつかないかというレベル。#008888にすれば明らかに黒とは違う色に見えます。
眼科に行くことを考えてみた日。
ジャーナリストの筑紫氏が歴史に無知であったり事の経緯や状況を見誤る筈がなかろう。だから氏の反論は、詭弁あるいは居直りを交えた見苦しい自己弁護としか思われない。
納得。なんか私も同じような批判の手法を使ったことがあったなあ。「こいつは悪質だ、無知だ。しかしそんな筈は無いからわざとやっているに違いないのだ、うんぬん。」
22日・23日とサンタさんが沢山来店されていきまして子供たちへのプレゼントを購入されていきました(^^
和みますなあ。
当サイトの場合、リファラは一切知り得ません。本音としては知りたい気持ちももちろんありますが、それよりも出来る限り自然な関係性を保っていたいというわけです。
海外の一部のWeblogやtDiary等は、言及、引用されるなどしてリンクされたリソースと自動的に双方向リンクするような仕組みになっているようですが、利己的、戦略的なリンクを許容する仕組みなので注意が必要です。戦略的とは例えば、Googleのランクアップを狙って有名どころのtDiary等に意味も無くリンクする、という行為であり、これを助長するのです。この戦略的なリンクの一番の被害者となり得るのはGoogleのような検索エンジンの利用者で、検索結果の信憑性が下がる等の実害が予想されます。
しかしこのような「実害」は、検索エンジン側の工夫によって防止できる可能性もあります。問題の本質は、文書の制作に「他者が関与可能」である、ということです。掲示板同様、制作者によるきめ細かな管理が要求されます。
尚、サイト制作とは制作者の為でも閲覧者の為でもなく、サイト内の文書の作成及びその価値を高めてやること、という独自の定義に基づいて書いております。
事實として、「闇黒式引用」しかなかつた時點で、胡桃の中の航海日誌に當方からのリファラが30殘つてゐました。
私はそのリファラを残した一人です。闇黒式引用、すなわちcite属性にURLを記述するという行為は、れっきとしたリンクです。リンクしたのですから、リファラが残る等々という結果が残るのは自然なことです。
cite属性にしろ何にしろ、文書内に別のリソースの存在の手がかりが示されていれば、それはその「別のリソース」にリンクしたことになります。User Agent、主にブラウザがそれを解析し、簡単な移動手段としてユーザーに提供したものが、ハイパーリンクになります。
cite属性による引用元の明示は、引用、被引用の関係というリンクの性質をUser Agentに伝えることが「可能」です。例えばGoogle等の検索エンジンのクローラーロボットは、他のリンク、href属性で明示されたリンク等と、何らかの形でその評価を異にすることが出来ます。より自然な(意味に基づいた)関係性を評価出来るのです。実際に行っているかどうかは知りません。
Mark PilgrimさんがO'REILLYのxml.comにRSSの記事を執筆されました。
どちらかというと「RSS1.0 people」に属する方なのかと(勝手に)思っていたので、贔屓な文章を期待していたのですが、特にイデオロギーを感じられなくて残念です。嫌な読者だねえ、私も。
ところで、何故人にとってのシンプル性が求められなければならないのでしょう。もちろんUserLand系のRSS(RSS0.9x, RSS2.0)のことを言っています。ある意味当たり前ですけれも私はRSSを「手書き」したことなんか一度もありません。
シンプル化したければすれば良いのですが、それをそのまんまパブリックな仕様にしてしまうのが馬鹿げているんです。変換すればいいんですよ。よりUser Agentにリッチなデータを提供できる形式のものに。AuthorにとってもUser(Agent)にとっても、その方が良いに決まっています。人が直接編集するデータ形式なんて、各自にとってシンプルなものを各自が勝手に作ればいいんです。で、変換。あるいは、そのようなローカルな仕様を作ったなら、RSS1.0等々に変換する手段とあわせて公開すれば良いのです。
私の場合、直接編集するのはupdate.xmlで、ローカルでの変換に用いるスタイルシートはupdate.xslです。公開するのはRSS1.0形式のputdata.xmlになります。
update.xmlのスキーマは定義していませんけれども、新規アイテムの追加はスクリプトが行いますから特に必要ありません。編集する際の見易さを考慮してソースをシンプルな形式にしています。ルート要素に対して、トップレベルの要素がただズラズラ並ぶだけの、完全にフラットな文書です。グループ化は機械にやらせています。
しかし、パブリックな場所に置くデータとして、「フラット」あるいは「シンプル」である利点は、少なくともUser Agentにとっては、ありません。解析に負担が掛かるだけです。text/htmlとしてserveするならまだしも、application/xml系なのですから、もう全く利点はないといって良いはずです。
しかしこれ、スキーマ論争なんかにも言えることなんですよねえ。XML Schemaを「煩雑だから」「分かり難いから」という理由で否定する……そこまでは分かるのですが、どうしてここで、別のパブリックな規格を作る、という方向に行くのかが理解できません。実装の困難性とか、機能不全とかが理由なら分かるのですが。
さて、私は、XML Schemaが本当に実装困難なのか、全く分かりません。また、機能不全があるのかどうかですが、少なくとも私が使うレベルである限り、それも無いように思われます。煩雑で分かりづらい……まあ主観ですが私もそう思います。従って、私が取る行動は一つです。自分が最も分かりやすいスキーマ言語をでっち上げて、そのインスタンスをXML Schemaインスタンスに変換します。XML Schemaなど覚える必要が無いのです。一度だけ学ぶ必要があるのですが。
ふと思ったのですが、最も実装が困難な規格は、CSSなのではないですか? そうでなかったなら、CSSはあまりにもナメられ過ぎているような気がします。何れにしろ、ある意味実装は困難と言えるかもしれません。正しく実装しなくても見た目以外には何のエラーも出ませんから。……なんとかしてくれよホント。
ここは閉さしたのでした。なんで閉さしたかというとそれはつきねこが頭わりいからでした。あたま良くなたら別のさいとを作るかもしれないけれどそれがあるかどうかはわからない。
過去の自分の記事をみて、頭わりいとか恥かしいとか思ったりしますが、いえむしろいつもそう思うのですが、成長の過程を破棄するのは、かっこいいのかなあなどと、わりい頭で反省してみたりするのでした。
というか:
というのも何だか胡散臭いではありませんか。
ご挨拶。
身を尽くし言の葉編めど伝わらじ我泣き濡れて歌を詠むなり
言の葉に たえて信念なかりせば 編めど散らせど 空虚なりけり
ところで、「泣き濡れて」いる方が、「わかるかな〜わかんねえだろうな〜」なんてふざけたタイトルをつけるでしょうかねえ。嘘をついちゃあいけません。
手始めに。
「勉強する」という選択肢は存在しない模様。
そのような「言論の自由」はありません。それに「不勉強な人間は口を出すな」は、実質的には「勉強しろ」と言っているに過ぎません。
誰もが共有できる一定の基準として、 W3C の仕様・規格があるのです。貴方が基準としていようがいまいが、 Web 関連企業の業界団体である W3C が勧告した仕様・規格は、否応なく Web 業界の基準であります。基準に合致している物は利用価値も高く、技術的にそれはとても「良い」事だし「正しい」あり方でもありましょう。
その「誰も」の中には僕は入っていないようです。僕は一体何者なのでしょう。
W3Cの仕様・規格は誰もが利用できるようWWWに公開されていますから、それゆえ「誰も」が共有できる基準であるという命題が必然的に導かれるのであります。その「誰も」の中に入っていない等ということはあり得ないのです。ありみかさんは、当たり前の事実を述べたに過ぎません。
従って僕は一体何者なのでしょう
と問われれば「あり得ない存在」だと答えることが出来ます。
政治的な人間は、大多数の存在を何より大事にします。少数の存在は無価値と感じ、如何に論理的であろうとそこに正当性は感じられないものです。
一方で仕様・規格に沿って、いかにロジカルであろうとも、人間の目にふれない(IEでリンク元URLが表示されない)のであれば、正当性なんてどこにあるのでしょうか。そんな人間にとって有用性の無い正当性などと云うものは単なる抽象概念でしかありません。
IEでリンク元URLが表示される私などは、人間に含まれないのであります。私のような存在は「特殊な例外」として政治的な人間に考慮される余地はありません。
面白い実例があります。闇黒日記から正式に? アンカーでリンクされる前のお話です。私を含め、数名の方がこの「胡桃の中の航海日誌」に闇黒日記のリファラを残していたのです。「闇黒式引用」は引用元のリソースに「リンク」していますから、当然の結果です。しかしいずし氏には我々のような人種は見えない存在でしかありませんから、リファラーが分からないのはフェアではない等と的外れな主張をすることになるのです。
また、このような「ものの一分で書ける台本」によって利用できる概念は、有用性の無い抽象概念とはいえません。
普通の人ならいざ知らず、いずし氏はこう述べたのですから、JavaScriptは分からないなどという言い訳は受け入れられません。
全くヘンではないです。世の中というのは出来損ないなものをどう運用するかにかかっています。
私は出来損ないな
IEを運用
している者です。いずし氏にも、有言実行、是非「運用」して頂きたいものであります。
理想郷を追い求める態度をとるのも一つの生き方ですが、人は必ずしも貴方が目指している理想郷を目指しているのではありませんし、それの価値を強要するのはどうかと思います。今ある出来損ないのものでなんとか満足を得ることのほうが大切に思う人もいます。そして、僕はその中の一人です。
いずし氏はそういった努力を「大切に思う人」なのですから。筋を通して下さい。信念なのでしょう? 貫いて下さい。でもやらない。何故か。僕はその中の一人です
なんて嘘っぱちだからです。むしろ、ある意味私がその中の一人です。制約の中で如何に理想を追求するか、こんなに面白いことはそうそうありません。
現実に則さない理屈は屁理屈と云うのです。
- へりくつ 【屁理屈】
- 筋道の立たない理屈。道理の通らぬ理屈。「―をつける」「―をこねる」
屁理屈というからには、論理的な間違いを指摘しなければなりません。いずし氏にとっては「IEで見れないこと」が「現実」であるので、IEで見れないにも拘わらず正しいと主張することが、もう問答無用で間違いなのです。そこで思考停止です。
IEの存在を根本として論理を展開されるのですから、すなわち、いずし氏は「IE原理主義者」であります。まあ世の中のアンチはすぐに原理主義者原理主義者と中傷しますが、私はきちんと理由を述べた上でIE原理主義者であると断定しました。
さて、IE原理主義者は、決してIEに責任があるとは考えません。IEの都合に合わせない人間にこそ責任があると考えます。IEに逆らう如何なる論理も、屁理屈なのです。
「IE」を「多数派」に置き換えても良いでしょう。
先にも述べましたように、厳格な引用方式があり、それが正しく記述されたとしても、UIが利用しなければ我々にとっては何の意味も無いのではないでしょうか。それでも、人間にとって有益ではない規格があったとしても、それに厳格に従い、固執したいと仰るのであれば、それは個人の価値観の自由の領域です。
ありみかさんも、このような「我々」と同類にされてしまっては堪らないでしょう。当人でもないのに胃がむかむかしてきました。
まあ確かにcite属性にのみ引用元のURLを記述する方式は、現状として利用しづらいですから文句を言いたくなる気持ちも分かりますが、何故自分の使っているブラウザへの不満でなく、制作者への不満になるのでしょうか。個人の価値観の自由の領域
なるものを引き合いに出す人なのですから尚更謎です。知らなかった時分なら話は分かりますが、論争を通じて教えてもらったでしょう? それでも尚主張を撤回しないのだから悪質です。
信念に基づく人様の態度と出来そこないの道具を比べ、前者を否定し後者を擁護するのですから、とんだ「価値観の自由」もあったものです。ってなんだこれ? 似非ヒューマニズム?
正に永遠の消費者。言い得て妙です。ハイパーテキストがまだ認知されていない頃だったら、やはりハイパーテキストは我々にとって何の意味も無い
代物だったのでしょう。現在で言えばRDF辺りが「我々にとって何の意味も無い代物」にされてしまうのでしょうねきっと。我々とか言うな。
というか、もうくだらなすぎて公開する気も失せた。客寄せの道具にされるなんてまっぴら御免です。既に十分叩かれ済みってこともありますが。
どうしようかなこの駄文。破棄するには労力がかかり過ぎてしまった。
Article on how to reduce your word count, quoting Donald M. Murray: "Brevity is achieved by selection rather than compression." Excellent advice. I would add that if writing for the Web, some of the deleted material referred to in the article could have been moved into a secondary page linked by hypertext (see my 1996 article How to write inverted pyramids in cyberspace).
文章を簡潔にするには、ぎっしり詰め込んだ濃い内容に圧縮するのではなく、重要な部分を残す方が良いそうです。Webの場合は、その作業で排除された部分を別の文書にしてリンクできますから、尚更その方法は有効です。
しかしそう巧くいくケースはあまり思いつきません。私の場合、削った段落は単独で文書にするほどの内容にならないことが多いのです。今月の6日にDocumentFragmentの記事を書いたときのようなケースは例外的で、意外と少ないのです。
サイト制作者ならぬ「HP管理人」の方々におかれましては、何故かJavaScriptを「JAVA」あるいは「Java」と表現される方が多いようです。これが深刻な問題だと思うわけではありません。不愉快は不愉快ですけれど。しかし、どうしても知りたいのです。
きっと「Java」界のカリスマのようなような方が、「HP管理」を始めたばかりの方一人一人に「Java」を布教して回っているに違いありません。少なくともそう思えるほど、何故かJavaScriptをJavaと呼ぶHP管理人さんは絶えず、毎日のように、初心者の名のもとに誕生しているのです。
さて、まず私は「HP管理人」さんの気持ちになって、右クリックを禁止しようと考えてみました。理由は特にありません。そんな私はまず、「右クリック禁止」で「Yahoo検索」をかけます。
その結果、たった一件のYahoo登録サイトが表示されます。
さすがにYahooに登録されているだけのことはあり、内容が濃いです。このような無駄かつ閲覧者に害にしかならないような小技を、何章もかけて丁寧に解説されています。しかし私は今、HP管理人です。このような難しそうな文章を最後まで読んではいけません。理解するのを諦めてみました。あるいは、チカチカ点滅する広告に騙されて変なところへ飛ばされてしまい、迷子になってしまいました。
これでは駄目ですね。そもそもこのサイトではJavaScriptをJavaと呼んでいません。私は次に、「簡単」「サルでもわかる」といったフレーズを追加してみます。
検索結果の二番目が「簡単」そうでしたので、とりあえず「ジャンプ」します。すると、そこには素晴らしい世界が広がっていたのです。
「右クリック禁止」はもちろんのこと、「きらきら星のストーカーマウス」に「HPを開いたときにブラウザがぶるぶる振動」、「カーソルを追尾する画像集」欲しかったんですこういうの。「日付を表示」できるんですか凄いです。でも「HPを開いた」時にフェードイン幕が開くのはどうやってやるの? ねえどうやってやるの?
済みません。すっかり興奮してしまいました。
しかし残念ながら、誠に残念ながら、ここでも「Java」を発見することは出来ませんでした。旅はまだ終わりません。
つづく(嘘)
見るもの、聞くもの、何故か何もかも面白くて仕方のない日が、一年に一回くらい訪れます。
スポーツ面。社会面。経済面。一面。さて、「ホーム面」というものがあったとして、それが新聞を意味したらどうでしょう。違和感を覚えなかったら阿呆です。Web siteをHome pageと呼んでいるネイティブがいたら、まあまず阿呆だと思って間違いありません。しかし阿呆だと断定する前に、本当にWeb siteのことをHome pageと呼んでいるのか、そこのところをしっかり確認する必要はあるでしょう。何故ならそれは所謂真性だからです。
私は、外来語には言霊が宿っていないということを身に染みて感じました。日本人には、良く分からない概念を、良く分からないからこそカタカナ語にする傾向があるようです。曖昧で結構じゃあないですか。私はこの日本という国が大好きです。ジョークや小話なんてでっち上げる必要ありません。笑いの種がそこらに沢山落ちていますから。
理性的な人ばかりが気の利いたジョークで笑いあう世の中なんて御免です。やっぱり天然90%くらいが良いのです。
あーるぴーじー批判というのは良く見かけます。私が理解できないのは、どうしてそのように真面目に批判出来るのかということです。批判している皆さんに言いたい。「こんな笑いどころは無いんですよ」と。あの支離滅裂なストーリーが笑えます。別に笑えないという方は、是非是非、あれらのストーリーを客観的に眺めてみてください。どうかお願いします。インタラクティブな演出と、プレイ「時間」によって構築されたキャラクターへの愛着度というものを抜きにして、です。何をどう考えたって、単独では成立し得ない愚かなお話です。まさかそんなことは無いと思いますが、あのノリで映画などにしてしまったとしたらと思うと笑いが止まりません。それにしても「ストーリー重視派」たちは、一体全体、何回世界を救えば気が済むのでしょうか。
The data necessary to complete this operation is not yet available. ...which troubles me greatly.
これに一票。
このオブジェクトはどうも不安定というか謎というか……。自作デッドリンクチェッカは、しばしば固まってしまうので全然使えません。URIにフラグメント識別子があっただけでフリーズしてしまうのですから。わらい。
本気でそう思ってるのかエンタテイメントだと思ってるのかよくわからん。 要するに自分の仲間たちにチヤホヤされてるうちは良いが、白日の元に晒されると内容、態度ともにオコチャマというまぁ典型的な例かと。
オコチャマというか、信念が無いだけでしょう。信念も無いくせに、どうしてべらべらウェブ上で「論争」する必要があるのか、私には到底理解できない。だから言い訳臭くなるんだっつーの。
例えば馬鹿エンターテイメント屋が将棋のルールを作り変えると、こうなる。
こういうのがエンターテイメントのいたるシーンで見られるのだけど、大丈夫かなあ。特にコンシューマゲーム業界。わらい。
どうでもいいか。
世間知らずだから知らないのだけど、blog騒動って何だろう。
テーマが無く、自由に、好きなように書けるという環境は、まず私の「文章を書く力」を低下させる。泡のような駄文しか書けなくなる。それではこのコンテンツの目的上本末転倒だから、積極的に日記というカテゴリに括らないことにした。それだけのことだ。自制が効くなら、日記だってなんだっていい。
なんだか言い訳臭い。
先月のCSSと文書構造について補足など。
先日からそふぃあさんが書かれている「CSS と文書構造」という一文が気に掛かっています。各ページに同じ様にあるナビゲーションなどの Repeated Menu は、ユーザビリティの問題ではなくリンクの問題であり、文章構造の問題である、というのがそふぃあさんの論。(多分)
論旨は半分くらいはわかりますし、ナビゲーションは link 要素でやるべきなのかもしれないとも思いますが、ヘタレな私はそこまで思い切れません。今やっている某地方自治体のサイトでも、「全セクションへのリンク」を全ページに装備しようと思っています。とすれば、すべてのページの title 要素にサイト名くらいは入れておくべきなのか。
DDTさんが指摘されているように、先月書いたCSSと文書構造は纏まりのない駄文でして、そのうちきちんと纏めたいと思っています。
すべてのページに全セクションへのリンクを設けないこと。ヘアドライヤーを探しているユーザが、グランジ・ミュージックのページに行きたくなる可能性がどれほどある?もっとはっきり言おう。人類史上で、こんなリンクが必要になる日がやってくる可能性がどれほどあるというのだろう?たんにホームページに戻れば済む話ではないだろうか(きちんとコードが書いてあれば、すでにキャッシュに入っているページの表示には0.5秒しかかからない)。
このように、Jakob Nielsen博士は、「全セクションへのリンク」をユーザビリティの観点から否定していますが、私は「その文書との関係性が希薄だから駄目だ」と主張したいわけでして、例え他のセクションへのリンクであったとしても、その文書から参照される必然性があれば何も問題ないと思います。ですから、関係のないリソースへのリンクであることが駄目なのであり、link要素であろうとそれは同じです。
というか、纏めてから書けよ>自分
アンチW3Cで検索していたら見つけた。
特に納得行かないのは先ほどから何度か出している「非推奨」という発想である。HTMLにバラバラにスタイルの概念を持たせたら互換性を保てなくなっちゃうから、今後はスタイルはスタイルシート言語でね、という思想は理解できるし、同意もできる。じゃあ何で今まで上手くやってきたタグまで非推奨にするっちゅーねん? CSSに対応していない環境ではフォントの指定もするな、って事ですか。必ずCSSには(あるいはその他のスタイルシート言語に)対応しろってことですか?......というわけで、私はこのHTMLの「非推奨」の存在には大いに疑問を感じるわけです。
今後はスタイルはスタイルシート言語でね、という思想
なのだったら、物理要素が推奨されないのは当たり前じゃないか。大いに疑問
って、禁止された(廃止された)わけじゃあるまいし。大丈夫か? この人。
ああ、アレルギーかな。一々突っ込むのも野暮だろう。パロディでもこさえますか。
某社にて。
面白すぎ。アレルギーは恐いね。
先日の記事CSSと文書構造にコメントを頂きました:
dive into markのh1要素の妥当性について述べられているようですが、その通りだと思います。
同じくh1以下にRepeated Menuのようなグローバルナビゲーションを配置しているサイトは、これを見習うべきだとさえ思っています。つまりサイト名をh1要素にするのが妥当だということです。
しかし、それが嫌ならRepeated Menuのようなステロタイプなウェブデザインを見直すべきだということです。
海外に多く見られるような、雇用機会を窺っている(個人)サイトでは、「サイトロゴ」を文書の前面に出す必要性があります。そのようなプロモーションの方法の一つとして生まれたデザインを、非営利個人サイトが真似する必要は無いはずです。
ああ何だか言い訳くせえ。同じことを言っているだけだ。ボツ。
はてなアンテナのカスタマイズが完了。全ユーザがデータを共有しているらしいので、他所とかぶっているチャンネルも片っ端から追加してみた。疲れた。しかもまだ終っていないというのが何とも。
編集ページを開いてURLを登録し、詳細モードを開いて微調整。この作業を延々20回くらい繰り返した。まとめて登録させて欲しいところ。
カスタムパネル用にCSSとJScriptを改良したのだけど、はてなのinvalidなソースのお陰で骨が折れた。
ソースを見ると、li要素の兄弟にp要素があったりする。かといって、そのp要素はli要素のnextSiblingというわけではなく、IEの補正後のノードツリーを頭で描いて、liのchildNodesの一つとして考えねばならない。どう補正されるのかなんて分かったものじゃないから、Mozillaではまた違ったりするのかも知れない。
CSSに関しても、匿名ブロックのせいで実現したいスタイルが不可能。floatで無理矢理やったりすると妙に不安定になってしまって駄目だ。これは別にinvalidうんぬんとは関係ないけれども。
brで強制改行しておらず、liでマークアップしてくれているので、辛うじてカスタマイズの可能性を残してくれていたわけだけれども、もしこれがwell-formedなXHTMLだったら、それこそ自由自在にカスタマイズして利用できる。しかしさすがにそこまで求めるのは酷というもの。
と、ここまで書いて思い出したのがこれ。
主張の中身が空っぽ。結論は、「text/htmlで公開するならXHTMLではなくてHTMLを使え」という事なんだけれども、何故XHTMLでは駄目なのかというその理由がひどいのです。その主張が通ったところで、世の中どうなるっていうんですか? そこまでは絶対考えていないよ。まるでゲーム脳の何とか博士みたいに、「衝撃的な事実」をでっち上げたいだけなのではないか。
一つ一つ検証してみました。暇があったら英訳してメールを送りつけるつもりです。(Comments welcomeと言っているし。)
Current UAs are HTML user agents (at best) and certainly not XHTML user agents (certainly not when sent as text/html), so if you send them XHTML you are sending them content in a language which is not native to them, and relying on their error handling.
そのためのHTML互換性ガイドラインです。しかし、実にもっともらしく聞こえるのが、「HTMLブラウザのエラー補正に頼っている」という くだり です。
さて、HTMLにも色々な種類があります。そしてそれらは微妙に仕様が異なっています。この人のいう「HTML user agents(HTMLブラウザ)」とは一体何でしょうか。「SGMLブラウザ」では無いというのがポイントです。この人の想定する「HTMLブラウザ」はスキーマ(DTD)を解釈しませんし、SGMLもフルサポートしていません。否定論に都合の良い、ありもしない「理想的な」HTMLブラウザを前提にしないで下さい。確かにXHTMLで不具合の出るブラウザはありますが、それはそもそもSGMLブラウザとしてペケなものばかりでしょう。HTMLはSGMLのサブセットなんですから、error handlingも糞も無いんですよ。
互換性ガイドラインを守ることの出来ないXHTML1.1を止めてXHTML1.0にするのならまあ分かるけれども、XHTML1.0を止めてHTML4.01に回帰する人まで出ている(From the Orient: XHTML Considered Harmful)。
他は「XHTMLの利点が生かせない」という内容が主のようですが、だからどうしたというのでしょうか。HTML4.01の形式に変更すると、それらの何がどう改善されるのでしょうか。何も改善されませんね。ならばHTML4.01に戻す理由にはならないのです。
application/xml+xhtmlにした方がベターだ、という主張なら分かりますが、HTML4.01に戻せ、text/htmlは止めろと主張するのは大きなお世話です。
いつも見ている他所のアンテナとかぶっているチャンネルは、登録するだけトラフィックの無駄かなあと思っていたのだけど、そういうことは無いらしい。そんなわけで、見ているところは片っ端から登録してゆくことにした。
うわ。空から石が降ってきた。
悲惨だなあ。でも石を売ったらお釣りが来たりして。うちのは10年前のAudiだもの。
むしろ降ってこい。
「刷り込み」で調べていて面白かったのがメディアミックス刷り込み論。何が面白かったかって、全く感じていることが違うというところが。
「機動警察パトレイバー」は知らないのでどうしようもないが、「STICKY FINGERS」を引き合いに出して「SWAY」に言及せずにいられるというのが信じられないし、「刑務所のリタ・ヘイワース」も「ショーシャンクの空に」も確かに面白かったが二度と見たいとは思わない小話に過ぎないし、「いやー、初代はいいね。Zの次にいい」などという発言は、30前後の皆さんには悪質な冗談としか思えないのではなかろうか。
というのだけは全くその通りでそんな発言をするガキがいることが信じられないけれども、人間の目なんて大したことない
というという結論には呆れるばかり。しかし……。
結局人間なんて、ファーストインプレッションが何より大事なのよ。ね、そうでしょ?
これは中々興味深いことだ。初代>Z という認識はファーストインプレッションのせいなのかなあ。信じたくないよ、そんなの。
ああ、もしかして読者の中に「いやー、初代はいいね。Zの次にいい」とか言っている人がいたら気分を害してしまってすみません。でも帰ってください。永久に分かり合える日は来ないでしょう。わらい。
もちろん冗談ですよ。念のため。
ゲーム日記は面白くない、つまり自分に興味のない日記は面白くない。それはそうだ。
では一般受けする話題にすれば良いのだろうか。「良い」って何が?
なるべく誰でも知っている話題にするのが無難な「ウェブ日記」ということになるのだろう。お客を集める方法としてはベター。闇黒日記は客寄せということかなあ。見てもらいたいのはコンテンツだけれども、それだけでは中々多くの人に認知されない、だから、日替わりコンテンツでアクセスアップを図っている……もしそうなら、なるほど巧いやり方かも知れないけれども、そこまで意識的にウェブ日記をやっている人がどれほどいるのか。「テキストサイト」なんかを見てみると、客寄せがサイトの目的になっているものばかりだよ。わらい。
というわけで?ゲーム日記を書いてみよう。なんだそりゃ。「FF」の話題にでもするかね。
私は中学生時代にFF3, 4、FF1, 2、高校時代にFF5, 6、その後興味が失せ、中古で1000円台になったFF7, 9で遊びました。
どれもこれも「Game」ではありませんでした。
まあ自分なりの「ルール」を設定してやって、始めてそこで「Game」として遊べるようになるわけですが、どうも、その設けなければならない「自分なりのルール」が、だんだん膨大な量になってきているような気がします。
「〜を遊ぶ」の「〜」に当たるのがGameです。「将棋を遊ぶ」「オセロを遊ぶ」「テトリスを遊ぶ」等々。
一方で、「〜で遊ぶ」の「〜」に当たるのはGameではありません。そういうものをToyと言います。「ブロックで遊ぶ」「竹馬で遊ぶ」「PCで遊ぶ」等々。
FF、ドラクエ、いわゆる「あーるぴーじー」はGameじゃあないんですよ。皆ドラクエで遊んでいるし、FFで遊んでいるんです。何故って、彼らが言うに「FFの遊び方は人それぞれ」なんだそうですから。ルールなんか無いんです。
さて、玩具としてはFF4が最も楽しく遊べました。何故ならば、Gameとして成立させる為のルールが最も少なく、かつ自然なものだったからです。それは次の三つでした。
目的はコンプリート(エンディングを迎えること)です。この三つの割と自然な制約を課すことで、このFF4という玩具は、異常な程にバランスの取れた素晴らしい「戦闘シミュレーションゲーム」を提供してくれます。知っている人は異常に少ないですが、まあ武器防具の性質が隠蔽されているので仕方ないのかも知れません。
居ないかも知れませんが、この記事を読んでもう一度FF4で遊んでみる気になった方に一言二言。
中盤以降、無駄な武器というのは一切無いと思ってください。殆ど全ての武器に存在意義があります。ステータスに騙されないように。というか、有効種族ならダメージは8倍くらいになるので、攻撃力の数値は全然関係ありません。武器の性質の発見に楽しみを見出せないなら、公式攻略本の「基礎知識編」が必要です。
むう。何だかダラダラと長引くなあ。
Googleは退化してしまったのだろうか。
検索結果のページにて、要約文が奇妙なところで改行されている。一体何時からだろう。タイトルをざっと眺めたいので、要約文が4行になってしまうと、一度に目に入るタイトルが減る。どうしてこんなことをするのだ。
トップページを開くだけで利用できる「イメージ」「グループ」「ディレクトリ」なる(テーブルレイアウトされた)リンクを、何故、毎回毎回検索の度に見なければならないのだろう。邪魔。
おかしいなあと思っていたら、私がProxomitronをBypassしていただけだった。退化も何も、元からそうだったというオチ。
Name = "Screw Google"
Active = TRUE
URL = "www.google.co(.jp|m)/search(^\?q=cache)*"
Limit = 512
Match = "<br>"
"(^<font|"
"[#0:*]</a>|"
"<span\sclass=$AVQ((i|b))>)|"
"<a href=/>*</a>|"
"<center*</center>"そういえば「アンチGoogle」は見たことが無い。いや実際本当に少ないのだな、これが。
2002年10月11日現在、全部あわせて8件。海外ではGoogle Watchなんて有名どころがあるけれども。
なお,語いの混乱をなくす意味で整理すると,DTDやXML Schema,RELAXのようなものをスキーマ言語と呼び,これらによって決められたMathMLなどXMLの各種フォーマットのことをXMLのスキーマと呼んでいる。
初耳だ。schema言語のインスタンスがschemaじゃあないの? MathMLなどは、XML応用言語とかで良いのでは。
XMLにおけるスキーマでは,このようにXMLの構造(木構造)を規定(制限)したり,タグの名前,データのタイプなどを規定(制限)することができる。
「このXMLにおけるスキーマ」に「MathML」を代入するとおかしなことになる。
XMLもHTMLもSGMLという仕様から派生して生まれた。HTMLはSGMLを表示の部分に絞って簡略化してできたものだ。
これもどうだろう。XMLの「凄さ」を強調するためにHTMLを「表示の為の言語」ということにしたい、という気持ちは分かるのだけど。
HTMLは、自然言語で作成された文書に大まかな意味づけができる汎用的な言語なので、HTMLにXMLが取って代わるとか、そういう問題じゃあないと思う。
謝罪であるにもかかわらず言葉遣いを間違ってしまったりすると、その文書は抹殺される可能性が高い。また、URLが不適切である場合等も同様。将来のデッドリンクが予想される場合、「リンクはしない」という選択肢を十分検討したい。
Latest 番長方面日記で発見。
私はPSOユーザでもSEGAファンでも何でもないのだけど、この文書はちょっと頭に来た。私はみなさん、こんにちはで始まる謝罪文は生まれて始めてみた。顧客であるユーザーを「みなさん」呼ばわり。こんにちは
ってあなた。ファイル名がnews1.html。ニュースか。まあ遅かれ早かれ、このリソースはデッドリンクになるだろう。何か言及したい場合、該当箇所を引用した方がベターかもしれませんよ>丸藤さん。
脱線するが、このファンタシースターオンライン エピソード1&2のサポートサイトはかなり愉快だ。まず、配色を完全に間違えているので、色弱の私には文字が読めない。なんだか文字がブツ切れ。3つのframesで構成されているが、下のframeには右から左に流れる鬱陶しい画像が。しかもそれを制御しているJavaScriptが凄すぎる。100行以上のJavaScriptで、やっているのがこれだけかい。
書物から精神的経験を獲得しないタイプは、知識しか得ないために所謂スノブになるのだけど、連中は、自分たちがどうして他人の思想を理解できないのかを理解できない。本を読む時は、その世界を受け入れて意識的な体験として消化すべきなのに、連中のやり方は違う。いつも何か疑念をもってその本を読んでいる。あるいは、著者のバックグラウンドを勘ぐりながら、著者の人間性を理解した気になるのが「通」の読み方だと思っている。
このような態度は盲目的な無意識的な恍惚への反発であり、本質を知りたいが為にメタな部分に敏感になり過ぎた過敏症ともいえる。だがやはり、自分が何者であるかについては無頓着であると言わざるを得ない。
精神的経験が乏しいとは、例えばこういうことをいう。
信仰心も知らない癖に宗教を否定する馬鹿。
忠誠心も知らない癖に戦争を否定する馬鹿。
その他。
「著作権を主張」といえば、「お気に入り追加」のJScriptを公開して利用者に報告を義務付けている人がいて仰天したことがある。これだけなのに。
external.AddFavorite(sURL [, sTitle])半年前くらいだったかなあ。探しても見つからない。ひょっとして「閉鎖」したのかも。
代わりにこういうキャッチコピーを見つけた。
このスクリプトが有効なのは、ゲストに
- 1. ホントにお気に入りのアイコンが変わるんだろうか?という興味を誘うことと、
- 2. そういえばまだお気に入りに入れてなかった人に思い出させてあげられること。
さらに、- 3. 正しいURLをお気に入りに入れてもらうことができるという、
一石三鳥スクリプトなのです。
読めば読むほど意味が分からなくなってくる不思議な文章だが、こう書いた方が良いのでは。
という、碌な事の無いスクリプトなのです。
なめくじの天敵って何だろうと思って調べたところ、コウガイヒルがそうだと分かってげんなり。
ちなみに、この世で私が最も恐れている最凶の生物が「コウガイヒル」なので、これを飼う(飼う!?)のは本末転倒もいいところだったりします。
闇黒日記経由でJapan.internet.com Webマーケティング ニュース - 【コラム】死に絶えたはずのスプラッシュページが急増中へ。
テレビのニュース番組などで番組タイトルなどのアニメーションを見させられるのに抵抗が無いのは、その番組が始まったことを知らせるという大切な役割があるからであって、ウェブでは、そのサイトに訪れたことは誰より訪問者自身が良く分かっている。
企業に問い合わせの電話をかけたら、その企業のテーマ曲か何かを最初に聞かされるのと同様、フラッシュによるウェルカムページは滑稽なものだ。
例外がある。その企業にイタズラ電話をした場合だ。テーマ曲を聞かされて喜ぶかも知れない。要するに、そういったウェルカムページに喜んでいるのは、そのサイトのコンテンツに用事のないユーザーだろう。別の好奇心が閲覧動機であるユーザーだけだ。
イタズラ電話などそのうち飽きるのと同様、用事がないのにウェブサイトに訪れる人の数も、そのうち減っていくような気がする。
私がWWWを知ったのは、Mac OSの8が最新の頃でした。某サイトのURLをメモしてアクセスしてみたのです。
しかし疑問が生じました。皆どうやって色々なサイトのURLを知るのだろうか、という今思えば馬鹿馬鹿しい疑問です。そこで友人に聞いたところ、Yahoo! Japanを紹介されました。なるほど沢山のサイトがカテゴリ別に紹介されており、これで疑問は解消しました。
Yahooを出発点とし、興味ある情報を扱ったサイトを巡っていると、「リンク集」と呼ばれるページから、さらに関連した情報を簡単に得ることができることを知りました。これこそ、WWWの持つ最も大きな魅力であると感じ、非常に感動したのを覚えています。何故これに感動せずにいられるのでしょうか。私には理解できません。
閲覧者側の視点で考えると、「馴れ合い」によるリンクは信用なりません。制作者同士の付き合いで生じたリンクは、大抵の場合誉め言葉で飾られ、リンク先の評価が歪められているからです。閲覧者にとっては、制作者同士の関係ではなく、文書と文書の関係こそが重要です。
一方で多くの制作者は、要するに自分が誉められることを糧としてサイトを構築しています。それが悪いことだとは全く思いませんが、思うに、情報を公開できることに喜びを感じていないのです。大抵は、俺の、私の、僕の「コンテンツ」を見せびらかすのが最大の目的となっています。故に当然それらは私物のつもりです。自分が望んだとおりに利用されなければ不愉快、自分の嫌いな人から紹介されるのは不愉快、自分の嫌いな人に見られるのは不愉快、そういった私物を平然と公開し、当たり前だと思っています。恐らくこの文章を読めば、何を公開しようと自由じゃないか、何が悪いんだと開き直ることでしょうが、そのような人を「ケツの穴が小さい」と評した方もいました。
「リンクするときには報告をするのがマナーだ。少なくとも報告して下さいといっているサイトには報告すべきだ。それをしないのは失礼だ。何故なら相手が嫌がるからである。相手が嫌がることをするのはいけない。」という主張を堂々としている人々に、リンクの価値を説いても馬の耳に念仏です。
リチャード・ドーキンスは有名になりすぎた為かスノッブから睨まれていますが、agendaの読者にスノッブが居ないことを祈りつつ「ミーム」という言葉を使わせていただくと、我々はミームのお蔭で偉そうな事を喋れるんです。トマス・ジェファーソンはこれを蝋燭の炎に喩えました。
まあいいや。偉人の名前を引き合いに出し始めると、以降碌な文章にならないことが多い。
何かに基づいて話しているとき、その何かより大事なものがある、とか言い出すの辞めてください (泣)。
「何かに基づいて」の「何か」って誰が何時決めたんだろうね。私はろばQさんだけに向けて書いているんじゃあない。読者に向けて書いているんだ。もちろん「議論」の部分とは分けたつもりだ。agendaは「議論掲示板」じゃあないよ。
直接名指しでいうなら兎も角、仄めかされるとはねえ。というか泣かれちゃったら終りだよ。興ざめ。
width、height属性を記述した場合に、alt属性値の可読性が損なわれる、というアクセシビリティ問題について
「width、height属性はプレゼンテーション要素か否か」が論点でないことは承知しています。また原文の解釈うんぬんという話も、私は普段は忌避するところですからやめておきます。
で、論点となっている特定User Agentへの配慮についてです。ろばQさんは深刻なアクセシビリティ問題だと仰いますが、そういう問題は、厳しい条件を敢えて考えれば幾らでも無尽蔵に出てくるものです。
故意に画像を見ないようにしている閲覧者なら、画像を表示させればアクセシビリティ的に問題はありません。また、マウスが使えるなら、ポイントしてポップアップさせればアクセシビリティ的に問題はありません。つまり:
という、非常に特殊な条件の閲覧者が、このアクセシビリティ問題の対象になるわけです。特に三番目の条件、「画像を表示できない」というのは一体どういう状況なのでしょう。しかしそれは分かりませんからこの際置いておきます。二番目、「駄目グラフィカルブラウザ」ですが、駄目であるか否か、その根拠を仕様書に求めれば、確かに駄目ではありませんが、どう考えても不便であり、ユーザーにとって「駄目」であることは疑えません。
どうでしょう。確かにあらゆる閲覧者にアクセシビリティの高いコンテンツを提供するというのは理想ですが、程度というものがありませんか。私がもし、このような条件を満たす閲覧者からクレームを頂いたとしたら、「自助努力」を薦めると思います。その方が、その閲覧者にとって有益であると信じます。
余談ですが私は、もう既にNetscape Navigator4.xユーザに対するアクセシビリティは考慮しないことに決めました。何か問題が生じたとしても、正当性がこちらにあれば、「自助努力」をしていただくことにしたのです。やむなくNN4.xを使わざるを得ない状況にある人の存在も知っています(私もそういうことがあります)が、どこかに線を引かなければなりません。その線引きの基準を考えるに、既に挙げた特殊な条件は十分それを満たすものです。
歯車は自分の中に持っているべきものであること、それは制作物と自分との間で噛みあっているべきものであること、これだけは忘れないようにしたい。
「サイト閉鎖」はただの一閉鎖ではない。「リンクが無くなった」と捉えるべき。これが最も痛い。現存の、周辺リソースのネットワーク的価値も激減するといってしまっていいだろう。link-freeサイトでもない限り。わらい。
<span class="date">止め。
というわけで、CSSも修正したのだが、rightプロパティを使っているにもかかわらず、Opera(6.02)でお墨付きをもらった。淡い記憶によると、Operaはrightプロパティに不具合があったと思ったのだが、勘違いだったのか、それとも6.02で解消されていたのか。勘違いであれば助かるのだけど。
Netscape7.0 PR1は、OSが不安定になったので即削除してしまい未確認。面倒なので、これからもNetscapeを導入することはないだろう
最近はMozillaやNetscapeは使わず、K-Meleonにてスタイルの確認をしている。
そういえば、一昨年に「K-MeleonやOperaは日本語に対応していないので非推奨です」とか何とかどこかに書いた気がする。何故そんな余計なことを書いたのだろう。
タイガースファンのダンカン氏のほーむぺーじを見てみる。選手のあまり表に出てこない情報を知りたかったからだ(一部交友があるらしい)。こういう場合、素人っぽさが濃ければ濃いほど期待できる。かなり珍しい事例だ。
それはともかく、お目当ての中野猛虎会の記事をみると、変な場所で強制的に改行されている(横幅約800px時)。
見づらいので例のスクリプトでbr(強制改行)要素を消去してみたが、全然効果が無いのでソースを見てみると、p(段落)タグで改行されている。MS WordやFront Page Expressなどにおける、EnterとShift + Enterの意味の違いをご存知ないのだろう。
これは要素除去スクリプトではお手上げなので、懲りずにまた作ってみた。fub_red 3.35ベータ用カスタムパネル。別にこのために作ったわけじゃあなく、そのうちやろうと思っていて……ってだから何で言い訳するの。
とりあえず、件はpセレクタにdisplay:inlineで解決。というかこれで解決してしまうところが恐ろしい。
何度か書いていますが、このサイト周辺がリンクされたとしても、純粋な評価でないと本気で無意味だと思っているので、この辺で言及することはまずありません。出向いてお礼とかもありません。
まあそれで無礼だと思われたならそれまでということで。
というか、Google検索でリンクに気づいた頃には遅すぎる話題になっているということが良くありまして。
なんだ言い訳かよ。
50メートルほどの急勾配の坂道。小学生は自転車を降りて押して登っていた。
「ここは、大人のパワーを見せつけてやらねばなるまい」などと考えた私は、決して自転車を降りずに登りきる覚悟を決めたのであった。
ところが、これが辛い。いや予想をはるかに越える辛さである。呼吸をしている余裕もないほどのフルパワーを必要とした。
が、別にオチはない。普通に登りきった。後で気づいたが、ギアがローに入っていなかったのが異様に辛かった原因らしい。
仮に5年間PCから遠ざかっていたとしましょう。ブラウザのバージョンは3つ上がり、CSS3完全対応です(仮)。しかし私のOSはそれらのブラウザに対応していません。なにせ化石のような扱いですから。
ところが、オーサリングツール(ホームページ作成ソフト)はCSS3を利用するようになっているので、多くのサイトのレイアウトはさっぱり訳のわからない状態になっています。
いざ、CSSをオフにしてみても、マークアップが不適切なものですから、まるで意味が分かりません。
私はトマトが嫌いだったが、料理をするようになってからトマト特有の「甘み」に気づき、それ以来、生でかじるのもそれほど嫌ではなくなった。苦痛には違いないが。というか、生で食べるものじゃないよ。トマトって。
今の子供はキュウリが嫌いらしい。私も嫌いだった。しかし最初に食べたキュウリが、味噌つきのキュウリスティックだったらどうであったか。浅漬けとか。
爺さんは、「野菜は生でかじるのが美味い」と言うけれども、それは爺さん、思い出も一緒に味わっているのだろう。空腹の少年時代、野菜畑から拝借したキュウリだのトマトだのを青空の下かじりついた思い出をさ。そういう「野菜とのふれあい」を根絶するような経済発展を礼賛しておきながら何を言うか。って、親戚の爺さんをこんなところで批判しても馬鹿馬鹿しいので止めにするが、ともかく食べものは、味だけじゃないということ。
それから、近所のスーパーで売られているような野菜は、非常に質が悪い。魚もそうだ。特有の臭いがする。調理が必要なんだ、調理が。
常識であるか否かが嫌悪感の原点であるとするならば、それは唾棄すべきこと。理由づけをしようとすると馬鹿な文章が出来上がる。何故かって、その「理由」とやらは、「おまえのかあちゃんでべそ」式に、まったく別の問題から引っぱってこなければならないからだ。筋が通らない。
意見は分かれることと思いますが、とにかくフェイスマークを使わないでかつ文語体の堅い文章を書くのだけはやめてほしいなって私は考えてます。特に技術系の方が陥りやすいのでは?いくら、ネットワークが「議論する」ことのできる場だからといっても、論文調で書いたらそりゃあコミュニケーションにはなりませんって。
意見は分かれることと思いますが
、というからには、ある種の反論を予想できるということだろう。しかしその「仮想反論」をやってみよう、と思う人はあまりいないのだろうか。私は必ずやるのだけど。何故ってそれをしないと、結論が先行した独り善がりな意見がでっちあげられるか、または、本当は分かっているくせに初めて気づいたフリをして「そうですよねー」とかいう馴れ合いになるかのどちらかになってしまうから。
どうもこの場合のコミュニケーション
というのは、ちょっと考えれば導き出せた結論を敢えて相手にやらせて、ウンウンと頷きあっているだけのものを指している気がしてならない。真っ向から対立しあうものは、きっとコミュニケーション
ではないのだろう。
ネチケットを笑い飛ばせには、ネットワークで他人に嫌われない為にはどうすれば良いか、より多くの人に好かれるにはどうすれば良いか、が多く論じられている。が、筆者自身が文書内でそれを実践してしまっている為、結論が見えてこない。多くの人に嫌われないようにする為には、はっきりした結論を書いてはならないからだ。必ず、「〜ではないでしょうか」と問いかけるような形にして、読者に考える余地を与えねばならない。しかしそんな形式でないと「考える余地」を持てない読者に問題があるとは思うし、実際そんな読者がいるのかどうか。
私は、読者は自分より賢い(論理的思考力に優れている)という前提を立てて書くことにしている。読者を馬鹿にしてしまったら、良いものはできないんだ。
顔文字や文体について。私は当然メールを論文調にすることは無いし、チャットでは顔文字も使う。伝える相手、内容によって適した形式が違うからだ。「顔文字は駄目だ」、「いや使ったっていいじゃないか」という2つの意見にはそれぞれきちんとした理由がある。じゃあ何故きちんとした理由があるのに相反しているのか、について考えなきゃ駄目なんだ。そりゃあ、嫌われないことも大事だが、問いかけに終っていては「何故」を考える機会を逃してしまう。
●半角カナ・機種依存文字の使用
多くのユーザー環境を方々のご利用を考えて機種依存文字の使用はご遠慮ください。一般のブラウザーがサポートしているJIS、S-JIS、EUC等の日本語コードに定義されていない文字種の使用はされないように心がけてください。文字化けの原因となることもございます。
半角カナを禁止するくらいなら、不思議マークアップを禁止してみたらどうか。
世も末とか言われそう。
世の中間違っている。なぜ連中の言いなりにならなきゃならないんだ。煙草を吸ったって良いじゃないか。酒を飲んだって大丈夫なんだ。栄養のバランス? 関係ないね。規則正しい生活だって無関係に決まっている。
私は騙されない。
だってそうだろう? 彼らを見てみなよ。自由気ままに暮らしている彼らホームレス達を。
髪の毛、フサフサじゃないか。
高確率で。
私は高校時代から、ずっと見てきた。中年世代との交流があれば、必ずその人の頭皮と性格とを注意深く比較し、観察してきた。
嫌な高校生だが。
断言する。禿げには2種類しかない。遺伝性のものとストレス性のものだ。前者は諦めて悟りの境地に入るしかない。後者については、特に対人ストレスが、生え際の後退を促進する。そして持続的な緊張、これも悪い。
方々で頭を下げつつ内心穏やかでない、こういう性格の人で、頭皮の薄くない中高年の方を私は知らない。
かくして私は、心から頭を下げることのできる人間になろうと決意したのであった。
最後の一行だけ見ると立派な決意だな。笑い。
コメント等で嫌味の紛れ込んだ愚痴をこぼしているような連中に、フィードバックを送るのはもう止めようと思った。
そんなことをしている暇があったら、自分のところの酷い記事を何とかすべきだ。
コメントっていうのはな、賛美や謝辞の照れ隠しに使うものなんだよ。
中国人が育てた赤いイルカと泳いだ後、鯨型の使徒(何)と壮絶な闘い。「取りつく島」という名前の宝石を譲ってもらった(誰から?)。
夢って、凄いよ。しかもどこかしら嫌味。
imgオブジェクトにもhrefプロパティがあるとは知らなかった。srcプロパティと同じ値が入っているし。href属性があるかどうかでアンカーを認識しているというのに余計なことをしやがって頭に来る。IEだけだったら尚。
物理タグのネストでsrcElementがa要素以外になる場合を考慮して、hrefプロパティを持つまで親を探して返すスクリプトを書いたのだけど、普通の画像にも効いてしまって驚いた。
ホーバーの状態を確認するだけなのに、何故こんな苦労をしなければならないのだろう。何かを見落としいそうな気がする。