もうちょっと我慢しなさいっていつもママ言ってるでしょ。
約37100 対 約27000で、「リンクを張る」の勝ち。深く考えたことが無かったが、確かにハイパーリンクは、「ペタペタ貼るもの」というより、「クモの巣のように張り巡らせるもの」というイメージだから、今後は「リンクを張る」に統一しようと思った。
今後は、というか、いい加減ローカルサーバを活用した保守管理を考え始めなければ。CGIに興味がなくなってしまった今、Another HTML-lintくらいにしか使っていないのが泣ける。しかもスタートアップに登録しているし。
フィードバックとは、ある行為に対して応答するというような意味です。コミュニケーションにおいて、フィードバックとは、例えばある訪問者が「はじめまして」と言って掲示板に書きこんでくれたとします。そこでそのページのマスターは、「ようこそ」のように、返事をお礼などを返信することです。ポイントは、ただフィードバックをすることではなく、フィードバックの内容と方法です。
ほーむぺーじ論|コンセプト編|コミュニケーションとフィードバック より
何故わざわざフィードバックという言葉を持ち出すのだろうか。「応答」で済む話なのに。それらしく表現すればレスポンスとか。ともかく、フィードバックを送った経験があるなら、必ず違和感を覚えるはず。観念でしかない言葉を使って、思想を飾り立てようとすると、訳の分からない主張になってしまう。気をつけないといけない。
そういえば最近、自分の意志とはあまり関係なくマイクロソフトにフィードバックを送ることが多いような(無関係)。
- フィードバック
- [feedback](名)スル
- 入力と出力のあるシステムで、出力に応じて入力を変化させること。増幅器や自動制御などの電気回路に多く使われる。帰還。
- 心理学・教育学で、行動や反応をその結果を参考にして修正し、より適切なものにしていく仕組み。
- 転じて、結果を原因に反映させて自動的に調節していくこと。「消費者の声を生産者に―する」
折角、応答、反応が色々あったのに、一向に「フィードバック」しない人がフィードバックを語る。先月、かなりの長文を書いたのだけど、送らなくて良かったのかも知れない。誤字などがあったからといってこちらには何ら不利益がないのだし、それでいて報告しても修正されないとなるとがっかりするより他ないのだから。批判、指摘などはメールで送れと強要する人間は、ちと頭がどうかしているのではないか。少なくとも私の思想上の敵である。
私はむしろ積極的に(あつかましいほど)誤りの指摘などは行っているつもり。ただし思想的に賛同できるサイトの管理者に限る。そして大抵の場合、当然のように歓迎される。逆にいえば、そういうサイトの管理者にしか送らない。送りたくない。自分が使っている商品へのクレームなどではないのだから。
自分に対する(あるいはそう感じる)批判をどこかで発見したとしたら、それは「めっけもん」であって、私など実にありがたいと思う。なぜならこっそり修正したり、自問したりすることができるからである。メールなどの形で来たとしたら、それは「ありがたいもの」であって、強制、強要するような類のものではない。
掲示板はどうか。
掲示板での議論など、結局は言い繕うだけに終始してしまうことがあまりに多い。「ものはいいよう」。少しばかり頭をひねって考えれば、言い訳など幾らでも生産できるものだ。しかし、言い訳以外のものは滅多に生産されない。客観的に評価し、自分に素直に反映させることができるのはROMだけであって、良い掲示板論者は、ROMの為の生贄であることを自覚し、それに喜びを感じていると想像する(違うかもしれない)。ROMとは何か。読者である。読者は、本の著者の主張に少なからず耳を傾けることができる。自問することができる。そのために読むのだから。
同じ主張を何度も何度も繰り返している気がする。しかもまたタイトルとは別件の話に。そうでもないか。そうでもないな。
クレジットは、とりあえずコメントとして記述しておくとスマートだということを勉強しました。神崎さん有難うございました。
ご本人が見ていらっしゃるわけがないが、だからこそ。まあいつものことだ。
ともかく迅速なフィードバックに感動した日。フィードバックといえば、またかのサイトを思い出してしまった。
まず、ブラシは鉛筆を持つように軽く持ちます。従って人指し指、中指、親指のみを使います。ブラッシングは「磨く」というよりもむしろ「異物を掻き出す」ように行います。具体的には毛先を歯と歯の間の隙間に浸透させるようにイメージしながら、細かく左右に動かすのです。これを一箇所に付き約15回行います。ブラッシングは奥歯の裏側、前歯の裏側、奥歯の表側、前歯の表側の順序で行います。上の歯と、下の歯で歯みがき粉を別々に使用します。タップリ使う必要はありません。テレビCFであれほど沢山の歯磨き粉を使用するのは何故かというと(略)。
ちなみに自動二輪車をいつも綺麗にしている方は、しばしば虫歯知らずです。どのようにブラッシングすれば汚れが効率的に落とせるかを経験で知っているからです。
歯ブラシは手のひら全体で握るように持ちます。力を込め、歯を擦るように左右に大きく動かします。白い歯を目指して、歯の表側、それも笑った時に露出する部分を特に念入りに磨きます。
そのまま行くと、歯の再石灰化がその磨耗速度に追いつかず、いずれ歯を失うことになりかねませんが、そんなことを気にしてはいけません。歯磨きはエチケットであります。見栄えがよければどうでも良いのです。
歯医者さんが良い磨き方を教えてくれるとは限りません。なぜなら(略)。良い磨き方は、歯科医院に行ったことのない人、自称歯みがき先生に聞くのが一番です。
Alertbox: 低品質なコードはユーザの概念モデルを損なう(2001年10月28日)に、JavaScript否定の記事が。
エラーが出て動作しないという状況が信頼性を損ねるのだそうだ。クライアントサイドで動かしてもらうわけだから、あらゆる環境でテストしない限りどんなバグがあるか分かったものでない、では、どうすればよいか。使うなということらしい。
企業がクライアントサイドに依存して動作するサイトを作ると碌なことにならないのは、J-COM@Nethomeのメンバサービスで嫌というほど理解しているつもり。
方針としては、「標準準拠ブラウザ」プラス「自分でチェックできるブラウザ」を対象に限定して判別を厳しくする。といったところ。要するにMozilla、IE6、プラスIE5.5か。判別式を修正しなければ。いっそのことやめてしまうという手も十分に検討したい。やめないだろうけど。
観念でしかない事柄についてダラダラ書いても、大抵ろくな文章にならない。必ず、具体的な事例、例外的な事例について検討してからにしたいものだ。どうでも良い文章を書くコンテンツなら良かったのだが、あいにく私の場合、そのようなゆとりがない。
それにしても、読者からのクレームが鬱陶しいというサイト管理者が、メールアドレスを公開するのはどういうことだろう。ブランドか何かのつもりだったら困りもの。
つっこみ不要ならはっきりそう書いておいてもらいたい。明らかに見る目は変わるだろうけど、当方にとって有益な情報になるから。
サイトマップを表示させると、IE6にてpaddingにズレが生じる件をどうにかしようと思った。
address{ background-color:#fff }のCSSルールを追加。よく、a:hoverで、marginやpaddingのバグが直っているのを見かけ、この仮説を立てた。実は指定は何でも良くて、単にHTMLソースにおける登場順が下の要素に対してスタイルを変更してやれば良かった、ということか。
CSSルール追加の関数を作っておいたため、一行追加するだけで済んだ。でもなんか気持ち悪い。あ。サイトマップ表示しなければ関係ないのだから、サイトマップ生成のタイミングでやった方がいいか。
つい先ほど、ちょっとした買物があったので、外は冷えていたものの軽装でコンビニまで行ってきた。雨上がりでコンクリート塀が不気味に湿った路地裏を歩いていると、なんとなく白っぽくて丸い物体がそのコンクリート塀から覗いている。なにか嫌な予感がしたが、近づくと、髪がぼさぼさの女がしゃがんでブツブツ独り言を言っているではないか。その女の横を通り過ぎなければならないのがたまらなく嫌だったが、見ないフリをしてそのまま歩いていった。電灯の光は女の向こう側からこちらに向っていたので、通り過ぎた後振り返ればその女の顔がはっきり見えるはず。
ところで、私は怖いものが大嫌いだ。どういった質の「大嫌い」かというと、「リング」が恐くてたまらなかったので、貞子の顔をスローモーションで何度も何度も繰り返し見て克服しようとした、そういう質の「大嫌い」である。つまり恐いと思ってしまう自分の精神的弱さが嫌いなので、そいつを徹底的に否定できないと気が済まないのだ。というわけで、自分の精神力を試すためにホラー映画はよく見る。
そんなわけで、結局私は振り返ってしまった。あの時振り返っていなかったなら、多分書くことは無かっただろう。というのも、その女は私を睨んでいた。その激しさといったら、もう忘れられないような物凄い形相で睨んでいたのであって、私は生まれて初めて頭が真っ白になるという体験をした。なんというか、血圧が高くなったのか低くなったのか分からないが、とにかく頭に血の流れの変化をはっきりと感じた。耳鳴りも起った。それでも冷静を保って、とにかく普通に通り過ぎた。ただ、自分の耳に全神経を集中させた。その女がもし一歩でもこちらに向って歩き出したことを音で確認できたなら、全速力で逃げる準備をしつつ。
で、辛かったのは帰宅した後だった。あの女がいた場所から、自宅までは200メートルも無い。風呂に入っている間中、あの顔が頭から離れず、もし風呂の窓からこちらを睨んでいたらどうしようとか、もうそれしか全く考えられなかった。
【全裸盆踊り大会のお知らせ】というスパムメールが届いていた。普段なら怒るところだが、何故かほっとした。
明日はキリスト教徒と討論。気色の悪い顔文字を使って平然と誹謗中傷をするYahoo掲示板住人でもなければ、人の意見を聞くふりをしつつ、「考え方を提供しているだけ」と言って何も変えようとしない人でもない、そして、何かというと自分を卑下して見せて、心の内で自分以下の人間をあざ笑っている、あるいは自分以下の人間を蔑む結果に全く気づかない配慮の無い人たちでもない。いつも潔い「人間」と「人間」との討論を期待できる。
WWWにおいては、尊敬する人であれ反面教師であれ、全て私の師匠である。対等の立場ではあり得ない。
ローカルサーバが動いていなくても使えるのだそうです。ユーザージャバスクリプトを早速訂正。結構凄い勘違いをやらかしていました。また、Proxomitronには
というメタキャラクタが用意されていたそうで、これを使えばJavaScriptファイルをProxomitron本体と同じフォルダに置くことで、URIを\duser_javascript_v03.jsと簡略指定することができる、というありがたい情報も頂きました。これを利用して、フォルダごとProxomitron本体のあるフォルダに入れればインストール終了(大袈裟)という形にできました。
尚、現在自分で使っているものは、メモリ効率等を考慮した別モノになっており、しばらくテストした後、懲りずに公開いたしますので、誤りなど発見されましたら、馬鹿を叱るつもりでお気軽にご連絡頂けると助かります。
いつでもローカルのAnother HTML-Lintに渡せるようにするためにサーバソフトがスタートアップに入っているのって、もしかして私だけだったりして。
これをクリックしてもうんともすんとも言わないブラウザを、DOM対応とは認めない。
ちなみにfalseを返すブラウザがあったら知りたい。2.0にfalseはあるだろうけど。
例えば、何かを説明するのに、あるモデルを提示しており、それ以下にはそのモデルを例として延々と説明が並べられているとしたら、私なら、新しい窓を開いてそのモデルを左に、説明を右に並べて閲覧しようとする。これが面倒。
というわけで、任意の要素だけを、スクロールに追随させる機能を考えてみたい。
できそう。ただ、BODY直下にテキストを記述している、または段落を全てbrで整形しているページでは絶対に無理。いや画像くらいなら何とかなるか。
などと考えていたら、このサイトのUser Interfaceについて案が浮かんだ(全然関係ないのに)。
CSS切替(調整)だの、更新履歴生成だのといった機能は、全てサイトマップの現在地表示部にセレクトボックスのオプションとして纏めてしまおう。とかいう感じで。で、ページによってどういう機能が必要かは違ってくるから、サイト構造ツリー(Personnel.js)の節にプロパティとしてその情報を付け加えてやれば良い。そうすれば、BODY内にスクリプトを埋め込む必要は無くなる筈。サイトデータは、サイトマップの為だけに作ったわけじゃないということを実証できるかも。
ウェブサイト幻想論を打ち破るには、各細胞が固体の構造上の情報、それも全く同一の、をもっていることが必要条件だと考える。目指しているのは使いやすさではない。使いやすさは今後User Agentに任せるのが最適解になってゆくだろう。
そういえば、「機能美ではない」とか言っていた人がいた。「機能美というもの」にタイトルが変更されているが。「ほーむぺーじ論」を眺めていると、こんなのを見つけた。
コミュニケーション…はっきり言ってこれは非常に大切!なぜなら、コミュニケーションがあってこそ、自分のページを見てくる人がいて、相互リンクもでるわけで、またそれがホームページの発展へとつながっているわけです。ですから、コミュニケーションはどんんなページ作りにも欠かせない要素であるに違いありません。
ほーむぺーじ論|コンセプト編|コミュニケーションとフィードバック より
「コミュニケーション」を、「ハイパーリンク」に置き換えると、素晴らしい文章になる。ところが、この「コミュニケーション」とは、電子メール、掲示板、チャットのことであるらしい。「なぜなら」が全然「なぜなら」になっていないし、「ですから」が全然「ですから」になっていない「ほーむぺーじ論」を見て感心できる人というのも、また不条理の世界に住んでいるのだろう。
その「ほーむぺーじ論」の掲示板より。
最後に、わかってもらいたのは、本サイトは「論」として展開しているということです。良い悪いか、正しいか正しくないか、ではなく、あくまで私はこう考えるという、「考え方」を提供しています。
Re:例えば2 / Kei 01/10/22 (Mon) 1:11 より
あくまで私はこう考える
、といった類のものを、「論」とは呼ばないので、わかってもらいたい
と言われてもそれは無理というもの。反論があると、「考え方を提供しているだけ」と言ってそれを一切取り入れようとしない。話し合っても無駄だと主張する人間に、誰が好んでフィードバックなど送るものか。表面上でいくら寛容な態度を取ったところで、私は騙されない。掲示板というのは本質的に馴れ合うか喧嘩をするかという場所。切磋琢磨の場であるなどというのは理想に過ぎない。
人は、他人の思想を謙虚に聞くためには、その他人と師弟関係を結ばなければならない。師は、師たれ。弟子は、弟子たれ。中途半端な関係ではその人の思想を理解することはできないし、理解させることもできない。
って何の話だこれ。最近、タイトルをつけても無意味な文ばかり書いている。
abbr、acronym要素は、用語集などへのハイパーリンクに変換とか。
なんかヒントを得たんだけど、とりあえず寝る(AM3:15)。
ウチでつかっている画像を、素材として利用しても良いかというメールをもらったので、「はいどうぞ、リンクは義務ではありません」と返事をしたところ、二次配付もOKだそうです
という謎の文がトップページに記載されていた。そんなこと一言も言った覚えが無いが、確かにOK
なので放って置いた。
発作的に、変なバナー(?)を作ってみた。XHTML1.0が特に好きというわけでもないし、全ページにIMG要素を加えるのは面倒なので、ADDRESS要素の背景にしていつでも変更可能にしておいた。CSSを切っていると見えないという問題があるとはいえ、著作物の「バックグラウンド」という意味で、著作情報としてはなかなか適切な手法なんではないかとか思った。しかも、本来ADDRESSは問い合わせ先を記述する要素だから、IMG要素として実物を含めてしまうのはおかしい。そんなわけで「飾り」として使うのはますます適切じゃないかとか、一人悦に入ってみたり。
そういえば、カテゴリ別にbodyタグにclass名を分けてあったので、カテゴリによって文書型宣言が異なっても対処できる。これで、カテゴリ別classは無事、確定事項になった。
サイトの製作手法について、自分的に確定してゆくものがあるとなかなか嬉しい。私の場合、MathMLが使い物にならない限り、WEBでやってみたいことが一向にできないので、その「時期」を見計らった長期的、というよりむしろこの際、永続的なウェブデザインを考えたい。
実は、agendaではボツにした文章がいくつかある。ボツにする基準は、感情的な理由から出た言葉であるかどうかだが、今見返してみても納得できるものがあった。これは確か、「アンチW3C系発言」に頭に来たときに書いたものだ。
時代の流れ、とか、現状とか、そういったものに影響されてコロコロ変化するような(せざるを得ないような)標準規格に何の価値があるのでしょうか。
やがて使い物にならなくなるだけです。
「現状」とWWW標準規格@日付無し(自分の過去の文章です。agendaのボツネタより) より
この考えは今でも微塵も変っていない。って画像の話から逸脱しまくり。