agenda 2001-09(下旬)

IE6、DOM1完全対応か@9/30

公開
2001年09月30日

これ……本当に期待していいのですか。(document.implementation.hasFeature(feature, version)はDOM実装をチェックするメソッドです。IE5.5ではサポートされていません)

試験
document.implementation.hasFeature('HTML','1.0');
IE6(6.0.2600.0000IS)の結果
true

というか、実際アクセスキーに関する実験その2で挙げたDOM1のメソッドが全部使えるようになっている。

NamedNodeMapインターフェイスも実装しているではないか。こ、これは……

祝! IE6 DOM level1 完全対応!?少なくともこれでやれることがまた増えた(ユーザーとして)。祝うべし、祝うべし。

メモ

IE6がDOM1をフルサポートしているとしたら、当然これらも使えるはず。

  • Document doctype
  • Document createComment()
  • Document createCDATASection()
  • Document createAttribute()
  • Document createEntityReference()
  • Node hasChildNodes()
  • Text splitText()

とりあえずやってみたかったのは、そのサイトのDOCTYPE宣言をステータスバーかどこかに自動で表示するというもの。でも仕様書を見ると、HTML文書は悉くnullが返るとか。つまらないことに使おうとしてはいけません(笑)。

アクセス解析は害悪か@9/30

公開
2001年09月30日

私はアクセス解析には複雑な思いを持っている。ウェブを巡回するようになってから最もショックだったのは、ガイアックス(Giax?)系のサイトに、訪問者のログが名前付きで公開されていたのを見たときだった。

●誰々さん 23:30

しかも名前はハイパーリンクになっていて、href属性にはメールアドレスが。正気か、この管理者は、と。強烈な違和感を覚えた。そして私はこう思った。

「アクセス解析は、どう利用されるか分かったものではない。そしてそれは碌に知りもしない管理者の良心に任されている、これは恐ろしいことだ。」

一方、自分のサイトを持つようになった頃、アクセス解析は「やたら気になるもの」だった。たまに投稿してくれる方は本当にサイトを見てくれているのか、とか気になったりしたものだが、一日50PVを超える頃からは、面倒臭くて一々で見ていられなくなり、やがてリファラが主な関心になった。しかしそれとて、だからといって自分が何か向上するような要素ではなかった。つまり、全て好意的なリンク。それもそのはず。当り障りのないことしか書いていなかったし、思想でもなんでもなかったのだから。何故、そうなってしまったのか。私は、すべてを掲示板、アクセス解析、アクセスカウンタのせいにした。つづく(かも知れない)

恐怖@9/29

公開
2001年09月29日

ページ内の全てのリンクを別窓で開くというJavaScriptを試しに某所で使用してみたら、延々と別窓が開きつづけて無限ループをやってしまったかと思った。ところがそうではなくて、どうやら始点アンカーも別窓で開いてしまっていたらしい。ハイパーリンクはそれほどなかったのに、始点アンカーが山ほどあったというオチ。意図的なブラウザクラッシャーというのに遭遇したことが無いので結構恐怖だった。

バラバラに

ちなみに今、「恐怖のバラバラスクリプト」なるものを製作中です。スローガンは、「テーブルレイアウトに死を」

新聞社のサイト(日経のNIKKEI NETなど)の段組レイアウトは、トップページ以外は実に見苦しく、記事本文に集中できない。この見苦しさはユーザースタイルシートでもどうにもなりません。そこで、DOMでテーブルセルをバラバラにぶっ壊してやろう、と思ったわけであります。

とりあえず、tdを全部divにしてみました。まるで馬鹿です。見やすくするには作者の指定したbgcolorなど色々と尊重する必要があり、一筋縄では行きません。別名「不思議マークアップ研究」。果たして彼らはcolspan="n"nを何の尺度として使っているのだろうか? 本来何の要素が適切なのであろうか? とか色々変なことを考える羽目になりそう。

レッテル@9/29

公開
2001年09月29日

WWWにお世話になり始めてからというもの、オタクという言葉が、蔑称から敬称に変ってしまった。

「オタクですか?」

「ち、ちがいますよぉ。」

「オタクですか?」

「いえ、ボクなんかとてもとても……」

もっと適切な呼び方が一般化しないかな。実際に二人称に「オタク」なんて使う人がいるかね。いたとして「オタク」とは無関係。

IE6の疑惑@9/29

公開
2001年09月29日

IE6は、CSSのtop、leftを動的に変更したとき、そのレイヤーの背景画像をダウンロードし直している……のはうちだけの現象かな。divの位置を変更したなら、divの背景画像だけ読み直していて、子要素は問題なし。条件がイマイチ特定できない。5.5の時はこういうことはなかった。

あと、複数の要素を生成した時に、CSSで背景画像を指定してあると、同じ画像であってもそれぞれダウンロードしてしまう。言い換えると別々の画像として認識されてしまう。これは要素生成のタイミングの問題のような気がする。

UserJavaScript日記@9/29

公開
2001年09月29日

Googleのキャッシュを次々開いてゆく関数が完成。ただ……これはGoogleでしか使わないのだから、ProxomitronでGoogleの検索結果ページにのみ生のJavaScriptを埋め込んだ方が良いような気がしてきた。

とりあえず、JavaScript Promptを出して、*(アスタリスク)を入力した時には全てのリンクを別窓で開いて、Cacheと入力した時にはGoogleキャッシュのみ全て開かせる、とか、そういう少しばかり面倒臭い方向にもっていこう……かな。

Googleの検索結果ページの時だけ、自動でキャッシュを開くようにする方が良いか。

有料@9/28

公開
2001年09月28日

無料で www の仕組みを使っておいて「俺様のデータに限り有料です」とは、盗人猛々しい以外の何者でもないと思う。
それに有料化するとどうしてもきつい縛りが入るのだ。参照するなだとか言及するなだとかいう馬鹿が、ただでさえ多いのに。

雑感@こころのたな。 より

有料コンテンツからリンクされようが、どうということは無いのだけど、そうは思わない人はたくさん出てきそうな予感がする。ただ人は当たり前になってしまうと簡単にありがたみを忘れるから、そういう考えを抑止する意味で、有料コンテンツもあって良い。

なんだか話がすっ飛んでしまうが、三度の飯が「当たり前でない」人間にとって、食事のマナーができていない(頂きますも言えない)人間は酷く醜く見える。阪神大震災の折、支給されたおにぎりを当たり前のような顔をして口一杯にほおばるおばさんの絵を見たときは吐き気がしたものだ。実際にあまり美しい顔で無かったという事もあって良い例ではないが。

この種の嫌悪感が信仰か何かで裏づけられていれば、これが憎悪に変ってしまっても不思議は無い。憎悪が悲劇を生むのならば、まず足元から、自分たちが然るべき何ものかに感謝する気持ちを忘れていないかを見つめなおす必要がある。そうでないと、こういう憎悪を貧しさゆえの嫉妬であると捉えてしまったり、気違いのレッテルを貼ってしまったりしがちだ。

どんな当たり前のことにも感謝できるようになれば、生活は引き締まるに違いない。そういう人が羨ましい限り。って何の話だ。

お詫び@9/26

公開
2001年09月26日

このサイトのJSファイルを完全に書き換えたのですが、アップロードをするのを忘れていました。agendaの過去ログで、更新履歴の生成などの処理でスクリプトエラーが出てしまった方にはご迷惑をおかけしました。

HTMLとJavaScriptの分離を中途半端にしているとこういうことになるという教訓になりました。

Google検索@9/26

公開
2001年09月26日

検索というのは、キーワードが少ない方が情報を漏らす心配が減るわけで、私の場合モノによっては一万件くらいの検索結果を一週間くらいかけて虱潰しにあたるという方法をとることがある。この場合検索結果は100ページくらいあるわけだが、すべてGoogleキャッシュを別窓(別タブ)で開いてゆき、20ページ前後を調べてはそこをブックマークして、日を改める。

思うに、JavaScriptのwindow.openは、ユーザーが使うべきメソッドなのではないか。GoogleキャッシュのURIは、http://www.google.com/search?q=cache:(等?)が含まれると思われる。この文字が含まれているリンクを自動で別窓で開いてゆく関数は、よく考えてみたら結構必要としているものの一つだった。

この関数ができたら、User-JavaScriptの改良版を一応完成として公開してみようか。でもユーザークッキーを使うとスクリプトエラーになるサイトがまだまだ多いので困る。

余談ながら、Googleにfaviconがあるのを知った。fubだと見れなかったみたい。Googleのfavicon

Googleの検索結果などは、一時的なブックマーク用フォルダに入れているためfaviconがあると見分けやすくて便利だ。

色々追加@9/24

公開
2001年09月24日

「そんなの自由じゃないか」@9/23

公開
2001年09月23日

だから、何だ。 CSSを使わないのも、物理マークアップをするのも、DOCTYPE宣言をするのも、個人の自由、個人の自由、個人の自由。って、そんなことを知らないとでも?

CSSを使うか使わないか。物理マークアップか論理マークアップか。DOCTYPE宣言をするかしないか。どちらがベターかを考えるのに、個人の自由だから、何だというのか。ある考え方が好ましいか好ましくないかを考えるのに、個人の自由だから何だというのか。

誰もがすでに知っていて、誰もが納得する、お手軽論法。しかし誰にでも通用すると思ってはいけない。特に真剣に議論している人には逆効果。品性を疑われます。

前にも書いた気がする。ここだったかどうか忘れたのでもう一度。

アクセシビリティ@9/21

公開
2001年09月21日

世間一般に、ハイパーリンク(というかURI)が軽視されているのは仕方ない現実と受け止めるとして、だったらリンクする側として能動的になにをすれば良いのかと考えると、やはり文脈でのAタグの内容に注意を払うということ以外に無い。

やってしまいがちな、A
「 今日、とても<a href="http://foo/bar.html">面白い話</a>を見つけました。 」

この「面白い話」がいわゆるデッドリンクになっている場合、これ、つまり「面白い話」をgoogleなどで検索しても何も出てこない。あまりに多くの検索結果が出すぎるといったほうが正確か。しかもその中に探しているものがある可能性は低いし、あったとして判断できない。

ここは、リンク先のリソースの内容が的確に表現された内容、例えばtitle要素等にすべきであり、デッドリンクに遭遇した際のアクセス可能性は間違いなく向上するだろう。文字通りの「アクセス可能性」だ。HTML文書の原型となるテキストファイルを作成する際、普通の文書を書くときとは決定的に異なる唯一の(?)差異。

書いていてふと思ったが、世の中にデッドリンクがあろうと無かろうと、これはWWW的に他所様のリソースを参照する際の作法ではないのか。「ここをクリック」とどれだけの差があるのか疑わしい。むしろ「ここをクリック」は、自分のサイト内でやることだから、より悪質なのではないだろうか。「ハイパーリンクすなわち生命」を前提としてきた人間として、今更なにを言ってるんだというか、ものすごく恥かしくなってきた。

どんなにつまらないリソースであったとしても、たとえ批判対象であったとしても、一定の敬意は払うべきだ。過去の自分の所業を見返してみると、どうもこういうリンクの仕方をした時というのは、決まって相手のリソースを実は馬鹿にしていた時に限られているようだ。そんな気がする。なぜってとっくの昔からこういうことは意識していたから。

ウィルスからメールアドレスを守る@9/21

公開
2001年09月21日

ウイルスお断り【Something Alternative】

パソコン教室を開いていらっしゃるそうで。

パソコン講師といえば、「トップページにJAVAアプレット満載」「列車」というイメージが連想されるのだけど、これ、なんだっけか。

アクセシビリティとは@9/19

公開
2001年09月19日

多くの環境のユーザーが閲覧できるようにする努力は素晴らしいことと思います。しかし、それと全く逆の行為、つまり、すべてのユーザーに対して閲覧を不可能にしてしまう行為が、当然の権利のように考えられているのは何故ですか。

削除@9/18

公開
2001年09月18日

不本意ながら、「Tips/WebPage/CSS のテクニック・アクセシビリティ編 - outsider reflex」をリンク集から削除。というかリソースそのものが削除されました。事故?

ユーザー本位と製作者本位、メモ@9/18

公開
2001年09月18日

ユーザー至上主義

ユーザー至上主義者にとっての「コンテンツ」とはユーザーのための商品(モノ)であるから、完成されていることが望ましい。モノの価値はユーザーが決めるものであり、上がったり下がったりする。したがって、アクセス解析は重要である。全てのコンテンツにアクセス解析を仕掛け、人気のあるコンテンツを把握しておくのはほとんど義務である。

コンテンツという食事、ユーザビリティという居心地の良い座席でもって如何に多くの客を寄せ、常連にしてしまうかというのが、ユーザー本位のウェブサイト構築の考え方の本質である。手段としてはまずコンテンツの充実が挙げられ、次にユーザビリティと来る。マイノリティに目を向けることは非効率であって、大多数の客に、質の良いサービスをするのが効率的である。従ってユーザー至上主義者は、アクセシビリティに一定以上の興味を示さない。居心地の良い座席や、店内の景観は、運営者が一切を管理する(できると思っている)。信頼を得るには、ブランドイメージが重要なことは常識だからである。

ユーザー至上主義者は、コンテンツが重要であると考えるのであれば、「誰もが簡単に作れる環境が大事」などと嘘をついてはならない。「コンテンツの濃い」ウェブサイトは誰にでも簡単に作れるものではないからである。

製作者至上主義

製作者至上主義者にとっての「コンテンツ」とは人間そのものであり、いかに自分を表現できているかが重要である。それゆえコンテンツの価値は、作った本人にもサッパリ分からない。

製作者至上主義は、多様な思想を重んじる。思想その他を様々な環境下の人々に正しく伝えたいという当たり前の欲求に基づいて自然とアクセシビリティが向上し、マイノリティは排除されない。また、自分の思想を整理しようとした結果、ある程度のユーザビリティが生まれる。それらを可能にしてくれるのが諸々の標準規格であるから、製作者至上主義者は恩人であるW3Cが無知に基づいて誹謗されると報復行動に出ることがある。また、様々な思想に触れたいという欲求から、「誰もが作れる環境」を考え、「誰もが見れる環境」を考えるが、見栄えや使いやすさは、ユーザーに任せて良いと考える。特に後者の「使いやすさ」は、代理人になんとかしてもらいたいと考えている。

製作者至上主義者は、思想の洗練が重要であると考えているのであれば、自分の思想に対して肯定的な意見よりもむしろ否定的な意見を重視し、尊重しなければならない。

追記

私はユーザー至上主義を否定しません。現実的には、両者の良い部分を織り交ぜた運営が最適となると考えています。私が否定するのは「コンテンツ至上主義」です。

  • コンテンツ至上主義者にとってのコンテンツは、我が子である。我が子の価値は、なんだかんだいっても最終的には親たる本人が決める。
  • 問題は、その「我が子」を私物化していることである。
  • コンテンツ至上主義者は、自分の意図した通りにコンテンツが利用されないと、それは失礼だと考える。
  • コンテンツ至上主義者にとって、ユーザーは訪問者である。文句を言うのにわざわざ訪れる訪問者は馬鹿だと考えている。
  • コンテンツ至上主義者にとって、アクセス解析、アクセスカウンター、掲示板は三種の神器であり、これらを失うとアイデンティティを失いかねない。
  • コンテンツ至上主義者は、要するに親ばかである。

長めの文になってしまった。多分Mozillaでボーダーの表示バグが起こるんだろうな。って、こんなことで悩むのはいい加減疲れた。

観念でしかない@9/17

公開
2001年09月17日

アメリカに「報復するな」と言う人とか、上院・下院で可決されたコトについて苦言を言っている人というのは……イヤ実際、私の知人にもいるのだが……、自国の国民、そして自国を訪れていた他国の人間が数千人殺されたコトに対して、報復をしない、「何もしない」コトが、国民や他国にどう思わせるかってコトを考えているのだろうか。

番長方面日記 より

考えていないと思う。恐らく観念でしかないのだ。こういった深刻な問題も、彼らにとってそれらは単なる物語、あるいは映画の中のワンシーンに過ぎないからだろうか。あんなにおぞましい映像を見せつけられても。

戦争を否定するというのなら、まず始めに代替手段について自分なりに十分検討していなければおかしい。そういう代替手段は当然無いだろうが、その上で遺憾を表明する、というのが戦争を否定する真面目な人間の取る態度だと思う。

ほーむぺーじ論の著者にもこれは当てはまる。アクセシビリティについて自分になんら深刻な問題がなく、具体的に何かを考えたことが無いにも関わらず、強引にアクセシビリティを自己正当化の飾りにしようと考えるから、こういう訳の分からないことを書くことが出来るのだろう。

インターネットもそういったメディアの一種になってきていますが、受け取る人にとってのインターネットは最近ユーザビリティなどが進んできましたが、創る人・発信する人にとってのアクセス性はまだまだです。

ほーむぺーじ論|コンセプト編|機能美ではない より

創る人・発信する人にとってのアクセス性とは一体何なのか。アクセシビリティとは、すべてのユーザーが、如何なる環境においても情報その他を利用可能にするために追求されるものである。製作者にとってのアクセシビリティというのは言葉自体矛盾している。利用するという側に立った時点でそれはユーザーである。この人のアクセシビリティとは、観念でしかないに違いない。

謙虚さ@9/17

公開
2001年09月17日

謙虚な態度というのは、本来相手を思いやるために取るべきものだ。自分の知識や能力を卑下してみせるのも、それは明確な相手があってこそ、意味があるというもの。

ところが、そういったものを公開文書に織り交ぜた場合、全く異質のものになるということに気づいている人は少ない。思いやっているどころか、逆に傷つけていることがあるのです。

ほーむぺーじ論@9/16

公開
2001年09月16日

正しい正規のHTMLを書くことで洗練されたウェブになった?いや、それは、正しいとされている、規格というやつに、洗脳されたのかもしれない。言い過ぎかな(^^;) 

ほーむぺーじ論|コンセプト編|機能美ではない より

私が顔文字を嫌いになったのは、こういう下品な使い方をする人がいるからです。

汗をかいた振りをすれば何を書いてもいいと思ったら間違い。何かを論述する際に、感情を表すことで何かをカバーしようというのは怠慢だし、あるいは自らの勉強不足を暴露しているだけである。

心の貧しい人間が顔文字を使うと、それはもう悲惨だな。