文書指向 ウェブデザイン

文書指向のウェブデザインとは

最終更新
2003-10-14T18:06:54+09:00

文書指向のウェブデザインとは、文字通り、文書を重視したウェブデザインのことです。次の二つのアプローチと比べてください。

  • 1. 製作者の都合で決定されたデザイン
  • 2. 閲覧者を中心に考えられたデザイン

両者ともに、公開される「文書」以外の、不確定のパラメータを考慮に入れていますが、一方、文書指向のウェブデザインは、公開される文書自身を中心に考案されるものです。

何故、文書を中心に考えるべきなのか

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2003-10-14T18:06:54+09:00

閲覧者との関係

閲覧者を中心にデザインを考えて何が悪いのか、と思われるかもしれません。しかし、そのアプローチは非常に失敗しやすいのです。

失敗例 その一 冗長なナビゲーション

「Table of contents へのリンク一つ」だけでは、「何についてのサイトか」を読者は理解できません。読者に唯一のナヴィゲーション・リンクを辿ってもらうための動機づけとして、弱くはないでしょうか。同様に agenda のパンくずナヴィゲーションなら、Personnel が親サイトであることは見て取れますが、何についてのサイトかまでは読み取れません。「○○について」等の補助的な情報を示すことで、覗いてみようと思う読者も出てくると思うのです。

Web日記の「最新版」と「アーカイヴ」等 より

Su さんの仰ることは、間違っていません。しかし、私はagendaの閲覧者に「ペルソネルは何についてのサイトか」を知ってもらおうとは考えていません。目次へのリンクだけでなく、パンくずを用意するのは、サイトを紹介したいからではなく、サイト内におけるその文書の階層的な位置、或いは、具体性のレベルを示すためです。

もしサイトについて知りたい人がいたなら、パンくずの一番左をクリック等すれば良いことです。特に知りたくない人はクリックしないでしょう。知りたい人も、知りたくない人も、能動性を妨げられることがありません。この能動性についてもう少しお話します。

閲覧者は、大量のウェブページの中からその文書を参照するか否かを決定してやってきました。その決定を裏切らないように配慮することは、当然閲覧者の利益になります。例えば、最上位見出しをナビゲーションその他の内容以外の情報より遥かに目立たせることによって、閲覧者の決定、つまり内容を読むことを第一に尊重する結果になります。

内容と関係のない異物(広告等)を混入させないこと、なるべく関係性の高いものに絞ってナビゲーション等のアンカーを用意することは、閲覧者の決定を尊重することに繋がります。その「決定」と関連性のあるもののみが、表示される結果になるからです。

これらの配慮は、文書を主体に考えていれば自然と行うことが出来るものです。また、広告とナビゲーションを混同したり、コンテンツに適さない誤ったデザインを採用するといったミスを、文書を主体に考えていればある程度防ぐことが出来ます。

閲覧者の目的志向を妨げない。これが文書中心主義の利点のその一です。

製作者との関係

ある目的でウェブサイトを運営する際には、実に様々な解が存在します。SEOだとかアクセスアップだとか、想定する閲覧者にとっての解等々、色々と製作者が考えることは多いのですが、そういった各論ではなくて、文書を大切にしようというシンプルな発想から、それらの表面的な問題の解決のヒントを見つけることができれば、製作者の意思決定における負担はとても軽くなるのではないでしょうか。

また、SEOに興味がなくなったとき、アクセスに興味がなくなったとき、想定する閲覧者が変わったとき、そうした製作者の運営態度と「文書」を切り離しておいたなら、過去の意思決定が無駄なものになりません。

さて、製作者の都合で閲覧者を想定するのは良くあることですが、それは運営態度の問題なので私がどうこう言うべきことではありません。しかし公開された文書は著者が読むためのものでしょうか。著者にとって最適化されたデザインを行うというアプローチは、文書を公開することと矛盾していないでしょうか。

私にとってはこうすると読みやすいから、こうする。そういったアプローチは、トレードオフが発生しない場合に有効です。しかし、他人にとっては読みにくい場合があることを予想できるとき、つまり、その決定が閲覧者の趣味嗜好によっては間違ったものとなる場合にはどうでしょうか。製作者は精々、自分が読み易いのだから良いではないかとか、想定する閲覧者がどうとかと言って居直ることくらいしか出来ません。

制作者の利己的な態度と公開するという利他的な態度の間の矛盾を生じない。これが文書中心主義の利点のその二です。

存続性との関係

閲覧者を絶えず意識して運営されるウェブサイトは、それが原因となって閉鎖の道を辿ることがあります。製作者の精神的な都合で運営されるウェブサイトも同様です。しかしながら、文書を中心に考える場合、各々の文書は独立して存在意義を持ち、ウェブサイトは実在しない概念に過ぎなくなります。従って、ウェブサイトの運営を止めたいと考えたとしても、各々の文書はそのとばっちりを受けることがありません。文書を主体として考えるならば、削除は忌避すべき自殺行為であるからです。

存続性を保つ上で有効であること。これが文書中心主義の利点のその三です。

WWWとの関係

誰でも納得してしまう「コンテンツが王様」というお題目があります。しかしながら、これは「多くの読者を獲得することを目的とするならば」という条件の下で正しいと直感できるだけであり、それを目的としない場合には虚しいものです。

文書の存在と存続を目的化した場合、コンテンツは王様ではありません。公開し、維持することが最も重要であり、コンテンツ、即ち文書の質を高めて読者を獲得することは公開の為のモチベーションの一つに過ぎなくなります。

無数のハイパーテキストが織りなすリンクによって各々の文書の利用価値が上がるという、WWWの仕組みと親和性が高いのが、文書中心主義の利点のその四です。

ちょっと個人的な理由

他人の文書を検討する際には論理的である人でも、何故か自分の文書については理由無く一方的に誹謗する人がいます。謙遜のつもりなのでしょうけれども、これは私は許せない。私が良い文書だと評価したものを、根拠なしに誹謗される。それだけでも嫌なのに、その誹謗した人間がその文書を最も良く知るであろう著者自身である。何とも嫌らしいではありませんか。

しかし文書を主体として考えるなら、自分のそれと言えど客観的に見ることが出来ます。「わたくし」と「文書」を切り離しておくことで、照れ隠し等々に基づく謙遜、保身といったものをせずに、評価を読者に任せることが出来ます。

存在

私は、多くの人が精神的な抑圧から解放されているという意味で、気軽に文書を公開できることは良いことだと考えています。

序 - 飽き と Design-

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更新はありません

私が運営している「あるサイト」は、すぐにデザインに飽きが来ます。それは何故か。

一言で言ってしまえば、無理をしているからです。人様の作ったキャラクタをモチーフにしている為、自分の表現したいものとは自然、かけ離れていきます。また、ウェブサイトのインタラクティブ性なる風潮に踊らされて、内容自体私の表現したいものとは全く異なるものとなってしまいました。ほとんど「責任」で更新しているようなモノです。サイトを立ち上げた当初から宣伝しまくったことを深く後悔しています。中身のないままサイトが成長してゆく。余程表現したいものがしっかりしていないと流されるのは目に見えていました。

ところが、他人の目に触れることを全く意識せずにデザインした、ΣOΦIA's(Sophia's)のトップページは、もう一年近く放置しているにも拘わらず、飽きが来るどころか逆にしっくりと馴染んでくる感じです。

自分が表現したいものは一体なんだったのか。それを深く見つめなおすことを第一の目的、ウェブの特質と、自分の表現したいものとの融合のあり方を再認識することを第二の目的として、このコンテンツを立ち上げました。ウェブデザインのあり方について、その認識を言葉で表すことをもって、その手段にしたいと考えます。

対象

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2004-06-22T23:00:39+09:00

賛否両論あるでしょうが、私は自己表現の全くない個人サイトを、完全に否定する明確な立場を取ります。このようなサイトは、Webのあちこちから素材をかき集め、自分では何も作ろうとしないのですぐに見分けがつきます。あるいは、何かを作ったらそれでお終い。変化が全くないサイトも同じです。人は変化する生き物です。ならば変化のないサイトは自己表現が出来ているとはいえないわけです。

また、自分の好みを示したからといって、自己表現にはなりません。その対象について、何を感じているのかを表現できなければ、単なる自己紹介で終ってしまうでしょう。

ではなぜ私が自己表現のないサイトを否定するのか。

デザインとは表現過程ですから、表現するものを持たないサイトは対象外なのは当然であります。仮にあったとして、それが何も意図するもののない、単なる飾りであったとすれば、一時的な自己満足で終ってしまうわけで、デザインに時間を割くほどの価値を私は見出せません。一時的な自己満足で何が悪いかという疑念については、ウェブサイトの作成即ち自己発見の過程であるという大前提を立て、この迷いを断ち切ります。私は、自分あるいは他人について、ある発見を見出すことにこそ興味があります。私は、人間の主たる興味の対象は、やはり人間だと思っています。映画にしろ文学にしろ、人間を対象としない創作物がありますか?

ウェブサイトの作成そのものを楽しみたい人間にとって、自己表現は最も重要であると思います。コミュニティ系サイトの場合でさえ、ウェブサイトの作成自体は一時的な楽しみでしかなく、第一の目的は気の合う人と知り合い、その人たちとコミュニケーションを取ることです。そしてそのコミュニケーションの中で(チャットや掲示板を通して)自己表現を行っているのです。従って、やはり興味は人間そのものであることに変わりありません。それが内向的であるか、外交的であるかの差であるに過ぎません。

しかし私は、ウェブで他者を知ることは非常に難しいものと考えます。文字だけのコミュニケーションでは実に誤解が多いし、何より非効率です。オフ会など開いて現実に会うか、ウェブなどを利用せずに実生活上の友人とのコミュニケーションを楽しんだ方が良いと思います。どちらにしろ、自前でウェブサイトを構築する必要はほとんど無いと、私は断言します。あるとすれば、まだウェブ上にあまり存在していない分野に限られるでしょう。

ところが世の中にはそう考えない人が多いようです。簡単な自己紹介と日記と掲示板、そして申し訳くらいのコンテンツのみで更新は滅多に行われないという、典型的なサイトが乱立しています。流行という化け物は、いつも不必要なものを生み出します。不必要なものはそのうちに消え行く運命ですから、私は関知しません。このコンテンツで対象に含めないのはもはや必然です。

ウェブデザインの定義

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まず、ウェブとはどういう性質を持つのかを認識しなければ、ウェブデザインを定義できませんし、ましてやウェブデザイン特有の「美学」というものも発生しません。

1.ウェブは、見るものであるとは限りません。つまり、ブラウザのウィンドウに表示されるといった、特定の閲覧方法に縛られません。ただ1つ言えることは、公に開かれた位置にリソース(資源)が置いてあるということだけです。それをどう処理するかは、ユーザーエージェントに任されています。ユーザーエージェントは、その置いてあるリソースを取って来て、様々な形でユーザーに提供します。InternetExplorer5のようなディスプレイに文書をレンダリングすることに特化したブラウザであるかもしれないし、携帯端末かもしれない。テキスト情報を音声や点字に変換するアプリケーションであるかも知れない。あるいはそれ以外の何か・・・例えばリソースをある一定の規則で分析して、整理するプログラムかも知れない。

2.リソースが転がっているだけ、ということは、ウェブサイトと呼ばれるものが実体のない幻想であることをも意味します。ウェブに存在するのは、html文書であり、gif画像であっても決してウェブサイトという単位では在りえません。試しにhttp://img.yahoo.co.jp/images/main6.gifをアドレスバー等に直接入力してファイルを呼び出してみてください。視覚系ブラウザならば、Yahooのロゴが表示されたことでしょう。WWWサーバに置かれたファイルは、ある特別な処理を施さない限り等しく公開された1つのリソースです。私はあるCG作家の作品が好きでしばしば閲覧しに行きますが、トップページから入ることは稀です。大抵の場合「ギャラリー」というタイトルのついたhtmlファイルを直接呼び出し、サムネイルをクリックして新作のCGを拝見します。こういった閲覧方法が簡単にできてしまうのがウェブです。「するな」とか、「失礼だ」とか主張してみても、あまり意味のないことと言えます。初心者は大抵の場合何も言われずともトップページからコンテンツを辿るでしょうし、専用のブックマーク管理ソフトを使っている人は、更新されているコンテンツだけを直接見ることなど日常茶飯事でしょう。ところで私はこの文章を書いている現在、ダウンロードソフトを使ってあるサイトの中身を一括ダウンロードしています。そのサイトはサーバが頻繁に不調になる為、まともに動いている時にローカルに取り込んでおいて、後で余裕を持って閲覧したいからです。この他、ウェブ上のリソースは様々な形で利用されます。私の小さな頭では想像し切れません。

このように、ウェブは極めて能動的なメディアであると言えます。そしてそれはウェブの主たる利点もであるため、製作者が閲覧方法やその順序を指定することは困難であり、かつ、嫌がられるわけです。従って製作者は、ユーザの操作系に(javascriptなどで)干渉すべきではありません。製作者側がすべきこと(できること)は、それぞれの本来独立したりソースを、緩やかに結び付けることです。つまり、まず目次を担うhtmlファイルを用意し、各htmlファイルにはhome、rootあるいは目次ページのタイトルといったテキスト(場合によっては画像)を記述し、それをその目次へのハイパーリンクとして両者を結び付ける、という「良く知られた方法」でナビゲーションを構築することです。

というわけで、デザインは自己表現であるという前提、閲覧者の環境は不特定であり、リソースは個々に独立して存在するものであるという事実から、ウェブ(サイト)デザインとは・・・

  1. 核たる情報を、特定の環境に左右されないウェブの基準言語(html)に正しく変換する行為
  2. それらを有機的に緩やかに結び付ける行為
  3. 自己表現過程を踏む行為

の3つの要素を併せたものであると考えることができます。以下、これを前提として読んでください。

目次

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2004-05-01T17:46:58+09:00

1. 核たる情報を、特定の環境に左右されないウェブの基準言語(html)に正しく変換する行為

2. 文書群を有機的に結び付ける行為

  • 概要
    • ハイパーリンクをより良いものに
    • ナビゲーション用のリンクを設ける
    • rel属性、またはrev属性をもったlink要素を、head要素内に記述する
    • 共通したスタイルシートを用いる
    • ウェブサイトの構造を記述した文書を、各文書からリンクする

3. 自己表現過程を踏む行為