高野長英ゆかりの地(旧水村玄洞宅)
板橋区仲宿56-15
| 幕府の対外政策を批判し、永牢の身となった蘭学者高野長英(1804〜50)は、弘化元年6月晦日小伝馬町獄舎の火災による切り放しのときに脱獄、そして逃亡した。出牢後の1ケ月は幕府の厳しい探索にも拘わらず消息不明であったが、7月下旬のある夜、彼の門人である医師杉村玄洞宅を訪れた。 玄洞は身の危険を知りながら一両日長英を奥座敷にかくまい、7月晦日の深夜には北足立群尾間木村に住む同門で実兄の医師高野隆仙宅へ人をして逃れさせた。 長英はその後郷里水沢の老母を尋ね、されに江戸、近畿、四国、九州と逃亡生活を続け再び江戸に舞い戻ったが、嘉永3年10月30日白青山町の隠れ家を幕吏に襲われて自殺した。 |
![]() |