モンテビデオのタンゴショウ

―ラ・クンパルシータの発祥の地―

後藤信男:

国際協力事業団ウルグァイ獣医研究所強化計画短期専門家

(派遣期間:97年1〜7月,99年4〜6月)


   ウルグァイで私が是非見たいと思っていたものの一つにタンゴショーがあります。タンゴはアルゼンティンのブエノスアイレスの下町のボカ地区で発祥したものといわれていて,ブエノスアイレスでは劇場とかホテルで歌と華麗なダンスのショーを見ることができます。観光コースに入っている場合もあります。ブエノスにはまだ一度しか行ったことがなく,まだ,ショーを見たことはありません。

アルゼンティンタンゴ協会公認のラ・クンパルシータの発祥の地のプレート(Palacio SalvoのAv.18 de Julio側)
la-cumpar
 ウルグァイの首都モンテビデオはアルゼンティンとはラ・プラタ河をへだてた対岸にあり,ブエノスには高速船で2〜3時間で行くことができます。タンゴの代名詞のような有名なラ・クンパルシータ(BGMの曲)は実はウルグァイ人のヘラルド・エルマン・マトス・ロドリゲスが1917年に作った曲です。詳しくは分かりませんが彼は1910年代から40年代にかけてここモンテビデオの下町にあるタンゴバーでピアノを弾いていたそうです。彼の通称はベチョというのですが,彼が働いていた「ベチョの家」というバーがまだあって,そこでは毎週金曜日,土曜日の夜にタンゴショーを開いています。市内の主なホテルにはそのパンフレットがおいてあります。

 先日,そのショーに同じJICAプロジェクトチームのYさんと行ってきました。Yさんはモンテビデオにもう2年半滞在していてずっとショーを見たいと思っていたのですが,ショーが夜の11時頃から始まり3時頃に終わるので今まで誰も一緒に行ってくれなかったそうです。前述したように丁度私も見物したいと思っていたのでこれ幸いと2人で出かけました。「ベチョの家」があるところは下町で昔はもっとにぎわっていた所でしたが,現在は寂れて治安もあまりよくありません。Yさんは勿論自家用車をもっていますが,路上駐車は危険ということでタクシーで行きました。ウルグァイでは有名な店ですから運転手はその場所をよく知っています。夜10時半でしたがその辺りには人や車が全く通らず回りの家も真暗で気のせいか無気味に感じました。1カ所若者が4〜5人かたまっていましたがとても近づく気はしませんでした。

タンゴが盛んなころのタンゴバーのポスター(複製)
Tango-bar

 「ベチョの家」はなんの変哲もない普通の家屋でした。しかし,小さな扉をあけると中には既に数人の人がカウンターの前でタバコの煙を吐き出しながらお酒を飲んでいました。中は2階まで吹き抜けになっており,1,2階とも壁という壁には古い写真とかポスターなどがぎっしりと貼ってあります。当然ながらロドリゲスに関するものが圧倒的に多く,彼と一緒に写っている家の内部はまさに今のものと同じでした。もちろん,あれから内部を改造したのですが階段やカウンターの位置など基本的な構造は全く同じです。まさに何十年も前にロドリゲスがここでピアノを弾いていたのに間違いはありません。ポスターは何といってもラ・クンパルシータを中心とするリサイタルのポスターが一番多いようですが,興味があるのは大正時代の風俗を思い出すような幅広の帽子,長いドレスをまとい,カールした髪の毛をした女の人のポスターです。色も今みたいに鮮明ではなく同じ赤でも一寸違います。後日,このようなポスターを入手したくてフェリア(骨董市)を探索しました。フェリアには何のために使うのか理解できないもの,たとえば古い水道栓とか安物のビン,錆びた鉄筋,なかには誰が使ったかわからない入れ歯まであらゆるものを売っている店が沢山あるのですが欲しいポスターはとうとう見つかりませんでした。

 さて,タンゴショーですが10時半からの予定が11時すぎから始まりました。お客は観光客としてメキシコから2名(男女),アルゼンティンから4名(男2,女2)それに日本の私どもだけであとの数名は地元の常連客のようでした。50畳位の部屋の壁ぎわに小さなテーブルと2コの椅子が7〜8組おいてあり,その机の上にお客の国の小さな国旗が立ててあるのでどこの国からきたか分かります。アルゼンティンのタンゴショーではピアノ,バンドネオン2名,ギター,バイオリン2名,バスからなるオルケスタが出演するのですが,ここではバンドネオンとギター各1名計2名で一寸がっかりしました。

 ご存知の方も多いと思いますが,バンドネオンとは鍵盤のないボタン式の小型のアコーデオンでやや金属的な音を出す楽器で,ドイツの職人が作ったものが,何かのルートでアルゼンティンに伝えられと言われているようです。バンドネオンはタンゴの花形楽器です。和音を奏でることができ,メロディーも弾けるこのバンドネオンは,やがてギターの座をうばい,タンゴの主役楽器として成長していったのです。

バンドネオン
Bandoneon
しかし,タンゴの歌に登場するバンドネオンはほとんどが悪役です。バンドネオンが奏者の膝の上で身をよじらせ,のたうちながら嘆き,訴え,語り,歌い,うめく姿はまさに人生の縮図です。人はその姿に自分自身を見,厳しい現実を突きつけられ,過去の痛みをあらわにされ,果ては,自分の不幸はすべてこの妖しい小箱によって操られているのではないかという錯覚まで引き起こされます。
 バンドネオンが「ばけもの」(duende)や「悪魔」(diable)と呼ばわりされたり,不幸の象徴みたいに言われる理由はこんなところにあるのかもしれません。

バンドネオン演奏家というとアルゼンティンなどでもたびたび演奏したことのある日本人で藤沢嵐子と名を馳せた早川真平や京谷弘司などは有名です。

 日本でもそうだと思いますが,このようなショーでは真打ちは最後の方にでます。ここでも,最初は司会者兼歌い手の若い男性,2番目に中年の男性がそれぞれ3〜4曲のタンゴを歌いました。前座といえども素晴らしい音声の持ち主でした。カップルによるタンゴのダンスが2〜3曲あり,その後,客の中で踊れる人は夫婦で踊ったりダンサーと踊ったり実に楽しそうでした。
 司会を勤めた若い男性とカウンターにいた金髪の美人はその間私どもの所に話にきて,6ヶ月間日本に滞在し札幌から長崎まで各地のホテルでナイトショーをしていたとわかりました。女の人は「瀬戸の花嫁」を歌ってくれました。真打ちはその体格と同様にすごい声量をもった中年の女性の登場です。歌う曲はほとんどタンゴですがミロンガという形式の歌も歌います。

タンゴに欠かせないバンドネオンとギターの演奏
Tango-bar

     タンゴのもっとも基本な部分は,それは言うまでもなく,その強烈なリズムにあります。では,どうしてこんなにもダンサブルで強烈なビートが生み出されるのでしょうか? その答えは,ずばり「タンゴのビートの基本は2拍子である」と言うことに尽きるでしょう。
     2拍子とは,音楽的に言えば「1小節の中に2つの拍子(リズム)が存在するリズム形式」とでもいうことになるのでしょうが,もっと分かりやすく言うなら,今耳にするポピュラー音楽の元祖に当たるリズムだということです。
     ミロンガとは,ヨーロッパで生まれたハバネラというリズムをベースに,ラテンアメリカ的な要素を強く加えたリズムで,「チャッチャ,チャッチャ」というとてもリズミカルなリズム形をしています。一度聴いたら忘れないそのリズムは,まさにラテンのリズムで,タンゴを単なる2ビートあるいは4ビートの音楽にとどまらせない多様性を音楽に与えています。タンゴでもミロンガをベースにした曲は多く存在します。有名なところでは「ミロンガ・センチメンタル」や「エル・エスキナーソ」などがミロンガベースの曲です。  「ラテン音楽」というと,サルサやマンボ,ルンバなどを思い浮かべるかと思いますが,これらはブラジルを中心に中南米の国々で広く演奏されているジャンルの音楽です。しかし,いわゆるアルゼンティンタンゴを中心としたタンゴという音楽は,どうもこのラテン音楽の中に入れていいものかどうなのか,迷ってしまうところが大いにあります。それというのも,タンゴの持つリズムの特色と,一般のラテン音楽が持つリズムの特色がかなり異なっているからなのです。

    音楽としてのアルゼンチンタンゴより抜粋


観光客でにぎわうタンゴバーでのショー(ソロカバーナ)
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 いろいろ歌ってくれましたが,一度も聞いたことがないものばかりでした。タンゴバーといっても一寸した飲物をとればよく,私達2人はアルコールはダメですから,ジュースを1杯ずつとっただけで金額は合計270ペソ(3000円)でした。2人でこの位の値段で3時間以上もタンゴを満喫できるのですから物価の高いウルグァイとしては大変貴重な一時を過ごすことができます。

 翌日の夜,他のタンゴバーにも行きましたが,やはり最後に登場したのはこの体格のよい方でした。この方は私達のことを覚えていて握手を求めてきました。このバーは,店の名前はソロカバーナといって,セントロ(中心街)にあって昼間はおいしいコーヒーと軽食をだしている大きな店です。広さは「ベチョの家」の10倍以上あり舞台もあります。やはり吹き抜けの2階だてで,2階の三方から舞台を見ることができます。舞台の上には数個の椅子が置いてあったのでフルバンドのタンゴが聞けると楽しみにしていたのですが伴奏はやはりギターとバンドネオンの2人だけでした。

お客を楽しくリードしてくれるダンサー(ベチョの家)
Tango-bar
ショーの中味は大体「ベチョの家」と同じでしたが,観客の数はずっと多く100人位だったでしょうか,やはりお年寄りが多いようでした。ここではジュース2人分とおつまみ(ピーナッツ,チーズ,ハムなど20種類のおつまみが小皿に盛ってでます)で340ペソ(3740円)でした。ショーが終わったのは夜中の3時でしたが,さすがにセントロでまだ外はこうこうと明るくレストランも満員でした。両方のタンゴショーともプログラム等は全く配られず,歌い手の名前はもちろん楽器奏者の名前や曲名など全くわかりませんでした。

Carlos GARDEL,肖像画(1933)
Gardel
 この国でも音楽に関する若者の関心はロックやポップスにあり,金曜日の夜などこのような音楽で彼らは一晩中ディスコで楽しんでいます。モンテビデオにはラジオ局が40ほどありますが,その中のたった一つ「ガルデル」というFM局(91.1MHZ)がタンゴとフォルクローレを交互に流している程度です。ガルデル(Carlos GARDEL, 1890-1935)とはアルゼンティン人とかフランス人とかウルグァイ人とかいわれて国籍ははっきりしませんが,有名なタンゴ歌手で飛行機事故で地中海で若くして亡くなった人の名前です。テレビでは「テレムシカ」(33チャンネル)というポピュラー音楽専門の局があるものロックとポップスばかり流しています。もう20年もたつと,本場のウルグァイでもタンゴショーを鑑賞できなくなるかもしれません。

(1999年7月記)

 

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Last update:August 7, 1999