太平洋を「世界青年の船」で渡った一ヶ月半

―両親の祖国へのはじめての訪問と,世界の青年たちとの出会いから―

森 美津子(Mitsuko MORI):

国際協力事業団ウルグァイ獣医研究所強化計画勤務

ウルグァイ共和国大学経済学部


Nippon-maru
今年(1999年)1月11日から2月26日まで,私は日本政府が主催する「世界青年の船」(SWY)という世界交流プログラムに参加しました。
「世界青年の船」は,日本の総務庁が主催する青少年国際交流事業の一つで,チャーターした客船「にっぽん丸」(22,00トン)に日本と世界各国の青年が乗船し,共同生活の中で,研究・討論を行ったり,クラブ活動や訪問国での活動を通じた交流を行うことにより国際協力の指導性を発揮できる青年の育成を目的として実施されているものです。第11回目の今年は日本(120名)をはじめ,オーストラリア,ニュー・ジーランド,トンガ王国,ソロモン諸島,フィジー,カナダ,アメリカ合衆国,メキシコ,エクアドル,ペルー,ヴェネズエラ,ウルグァイの12ヵ国から156名,合計276名の青年が参加しました。

個性豊かなウルグァイの13名の青年
Uruguayan
 ウルグァイから参加した青年は13名(男性3名,女性10名),YMCA,YWCA,SCOUT MOV,ウルグァイの大学,青年庁等による様々な青年団体を代表した青年たちで,私は在ウルグァイ日本人会の青年部の代表者として参加することになりました。 各国の青年団体は1月11日までに東京に集合し,日本国内での交流活動が始まりました。私がこのような事業に参加するのは初めてであるだけに,なじみのない国々の若者と出会い,最初はどのようにみんなと接していいのか戸惑いました。やっぱり,もっと英語を勉強しておくべきだった,と少しあせりました。しかし,みんなが話しやすいように各国の参加青年はたくさんの小さなグループに分けられ,様々な交流活動が企画されていたので私もだんだん自信をもってみんなと話を交わせるようになりました。

実は私,生まれも育ちも南米のウルグァイです。しかし両親は日本人なのでウルグァイ日系二世なのです。家庭では多少の日本語を話しているし,日本のしきたりに違和感はないと思っていました。とはいっても,日本の土地を踏んだのは生まれて初めです。「ついに親の故郷に来たんだ,飽きるほど聞いてきた日本のすばらしさ,今自分の体で確かめられる!!」という思いで胸がいっぱいになりました。

私たちは,東京都庁舎の真ん前にあるホテルに泊まりました。東京には目がまわるほどの超高層ビルがいくつも並び,活気のある世界のビジネスセンターとして感じられました。その大都会で一番感動したのは,東京のホテルの一室から真っ白な雪をかぶった富士山が見ることができたことでした。

私たち一人ひとりが日本の家庭に二日間のホームステイをすることになりました。私は群馬県の家庭に行き,若夫婦とリサちゃんというかわいい女の子に迎えられました。そこで,初めの失敗をしました。靴を履いたまま家の中へ上がろうとしてしまいました(知っていたはずなのに・・・)。布団で寝るのも初めて,やたらと天井が高く見えました。朝ごはんには小さい食卓にたくさんの食べ物が並び,なんとサラダや卵まで。ウルグァイの朝ごはんはパンとコーヒーだけ,特に私は朝が苦手なためお茶を飲む程度ですましています。群馬県のホストファミリーは私をとても親切にして下さり,いろいろな所へ案内していただきました。他の青年たちも日本でのホームステイは深く印象に残ったことだろうと思います。日本の家庭で日常の暮らしをすることは,東京のホテルの一室から観る日本とは全く違った,ぬくもりのある体験でした。

群馬県でのホームステイが終わって,また東京に戻りました。青少年総合センターという所で日本の青年たちと交歓会が開かれました。その後,出航に備えてオリエンテーション,研修,講演会が三日ほど続きました。

今年は「世界高齢者の年」です。日本での活動の一つとして日本の高齢化の問題について講演があり,その後,東京都の老人介護施設を見学しました。私たちはその施設の優れた設備,清潔さ,老人に対する行き届いたケアに驚きました。ウルグァイでも従来から社会の高齢化問題が心配されています。でも今は,国は経済的な余裕がないため,公立の老人ホームはベッドと食べ物を与えることが精一杯という状態で,他の余裕はないようです。看護婦も給料が低いため不足しています。私たちには想像もつかない行き届いたサービスがなされているので日本の高齢者は大変恵まれていると思いました。この活動によって,お年寄りを思いやる心を改めて認識させられました。

日本での活動はハードスケージュルで進められました。ウルグァイの青年たちは講義に飽きてきたらしく,自由時間がない,規則が多すぎる,子供扱いをする,といった反発の声が出てきました。各国の青年団には,ナショナル・リーダーがついていましたが,リーダーがいても,ウルグァイ人というのは個人主義者が多く団体行動が苦手のようでした。悪いことに,ウルグァイ人同士の意見が合わないこともしばしばでした。ウルグァイを出発する前に,何回も準備のミーテイングを重ねてきたのに・・・ついに私は我慢できなく爆発しました。「みんなの態度は残念だと思うわ。企画者の立場を理解しようとするのは,私が50%日本人だから?もっとリーダーに従って一体として行動すべきよ」。その後,みんなは立ち直り,もっと前向きになって一時の危機を乗り越えたようでした。実は,今考えれば,みんな疲れていたのでしょう。そこでみんなは六本木のディスコでストレスを解消することにしました。今までとはちょっと違ったノーフォーマルな形で友好関係を築くことになりました。

大根田ファミリーが激励に船室へ
Dr.Oneda
そして,にっぽん丸に乗船する日がやってきました。ウルグァイには,ウルグアイ獣医研究所強化計画というJICAの技術協力プロジェクトがあり,私は日本の技術派遣専門家のもとで働いています。ウルグァイでお世話になった大根田専門家ファミリーが宇都宮からわざわざ東京湾へ私を見送りに来てくださいましたのでとても感動しました。大根田ファミリーは二年間ウルグァイに滞在し,4ヶ月前に日本へ帰国していました。晴海埠頭から心を込めて手を振ってくれる人がいて私はとてもうれしく,幸せでした。あとで両親にそのことを話し,出航の写真を見せたら,両親がウルグァイへ移住した35年前も同じように横浜から船で日本を離れたそうです。かつて両親がいよいよ日本を離れ,ウルグァイへ不安のなかにも希望を膨らませて旅立ったときの気持ちがちょっぴりわかったような気がしました。

多くの皆さんに見送られていよいよ出航(東京晴海埠頭)
Harumi
出港式が終わって,緊張がほぐれたせいか,私を含め何人もの青年が風邪をひいたり,体調を崩しました。でもせっかくの交流活動に遅れないように出来るだけ早く治るようにみんなは心がけました。船上での活動は何から何まできめ細かく計画がたててありました。私たちの日程は次の通りでした。

時  間

日    程

 7:30

起床アナウンス

 7:45〜8:45

朝食

 8:50〜9:20

国旗の掲揚,リーダー・指導官の朝のミーティング

 9:30〜10:20

船上活動(1)

10:25〜00:15

船上活動(2)

12:30〜14:00

昼食

14:15〜15:00 

船上活動 (3 各国紹介活動)

15:15〜16:00

船上活動 (4 各国紹介活動)

16:15〜18:00

グループ・ミーティング

18:30〜20:00

夕食

20:00〜 

自由行動

船内での講義やセミナーは,文化交流,経済のグローバル化,国連の変革など,今世界共通の課題をとりあげ,みんなでデイスカッションをし,時間がいつも短く感じられるほど熱心に意見交換が行われました。その他,各国の事情の紹介,クラブ活動等がありました。

私たちウルグァイの青年団は,マテ茶を飲む会とタンゴクラブを開きました。“マテ茶”は南米南部独特の飲物でマテという葉っぱをひょうたんの入れ物にいっぱい積め,金属のストローを使って飲みます。多くのウルグァイ人は,朝起きたらまずマテ茶を飲み,目が覚めて,頭がさえるといいます。そして一日中同じ茶の葉っぱにお湯を注いで飲みます。しかし,そのマテ茶の入れ物の選び方,仕立て方,お湯の沸かし方にもコツがあって,おいしいマテ茶が飲めるには時間がかかります。幸いこのマテ茶を飲む会は日本人に好評でした。私は,テレビなどで見てずっとあこがれていた柔道を習いたくて,柔道クラブに入り,基礎的な技を学びました。このようなクラブ活動によって他の国の青年たちとの交流がもっと深くできました。

女三四郎をめざしてがんばりました
Jyudo
もう一つの課題は,各国の青年団がそれぞれの自国のことを一時間で紹介することでした。最初の国はソロモン諸島でした。南米の青年たちはソロモンという国についてほとんど知識がなく,珍しさ,興味しんしんということもあって,ソロモン国の紹介は衝撃的でした。優雅な動きの伝統舞踊,意味は分からなくとも,美しいメロデイーにみんなはうっとりしました。

ウルグァイはタンゴとサッカーの国です。私たちウルグァイの青年は,あるバー(飲み屋)で友達同士がウルグァイの歴史,社会情勢,今の若者の趣味やスポーツについて話し合う場面を演じ,二人のカップルが色っぽくタンゴを踊りました。そして世界でも一番長いと言われ,約5分かかる国歌を皆で声高らかに歌い,最後はウルグァイ独特のカーニバルの歌でみんなを踊りに誘ってワイワイと終わりました。

船はこれまで夢にも見なかった島国へと次々と寄港して行きました。新しい国に入港するとその国は私たちの船を歓迎しました。日本を出航してソロモン諸島,トンガ,タヒチ,エクアドル,メキシコへと航海しました。どの国も私たちをあたたかく出迎え,みんなは楽しい想い出をいっぱいつくりました。トンガでは,とても小さな港町に入り,カバという植物の根のお酒を飲みながらトンガの住民が儀式を披露したことがとても印象的でした。

船の上は,もうすっかり友達になった各国の青年たちがともに行動する世界であり,船を降りると,素晴らしい景色と自然が私たちを待っていました。

イルカの大群が船と伴走
dolphin
海のまっただ中からみる夜空はとてもきれいで,夜明けまで空を見上げていると,せっかくだから朝日を見よう,とみんなが言い出して何度も寝ないではしゃいだ日もありました。ガラパゴス諸島の近くを通過するときに日の出とともにイルカの大群に出迎えられたのも感動的でした。今思い出してもそのときのしょっぱい海とあたたかいそよ風が感じられます。

船旅が進むにつれて交流活動もスムーズに行われるようになりました。世界の様々な国の青年が何日間もいっしょに生活することによって,文化の違いは大きくても,私たちはみんな同じ地球人なのだな,とはっきりと感じ取られました。

約一ヶ月半の船旅は,楽しい時間や,辛いこともありましたが,充実した体験でした。それはいくら相互理解を求めても,やはり人間同士は,ぎくしゃくすることもしばしばでした。特にウルグァイの青年同士の間で活動の進め方について意見の食い違いがよくありました。そこをうまく譲り合って問題を乗り越えることも大きな勉強であることがわかりました。私たちは,ただ楽しい旅行をするのではなく,ある組織の一員として,責任を持って行動し,積極的に何かを築き上げる大切さを心得たと思います。

アカプルコ港から日本へ向う
にっぽん丸を南米組は見送った
Nippon-maru
この体験を短い言葉で表すとしたら,世界は一つ,そして友情,理解,譲り合い,という意義について覚えました。さらに,世界を観る私の視点が以前よりはるか大きくなったと思いますし,それは他の青年たちも同じだったことでしょう。いま,帰国して数ヶ月がたち,各国の青年たちと手紙,メールのやりとりをして,いつかまた会おうという約束をしました。実は,もはや来週オーストラリアから1人の友だちを私の家へ迎えることになっています。にっぽん丸に乗った青年たちは,一つの大きな家族になった感じです。

最後に,この貴重な経験を与えていただいた日本政府,在ウルグァイ日本大使館,にっぽん丸のみなさんを始め,参加各国のみなさん,仕事の休暇を下さった方々に心を込めて感謝いたします。

 この体験は私の宝であり,これからも世界の相互理解に役立たせたいと思います。

 

1ヶ月半をにっぱん丸で過ごした276名の各国の仲間たち(アカプルコ)
SWY11
(1999年7月記)


主な「1999年世界青年の船」関連リンクサイト
  1. Davo's Homepage
  2. The New Zealand Delagation
  3. The Venezuela Delagation
  4. The Mexican Delegation
  5. The Uruguayan delegation
  6. Nippon Maru January - February 1999

 

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Last update:August 11, 1999