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夢の架け橋−ラ・プラタ河にウルグァイとアルゼンティンを結ぶ架橋計画

New Bridge コロニア(ウルグァイ側)とラ・プラタ(アルゼンティン側)を結ぶ架橋の完成予想図 (El Pais紙 1997/1/26) ―>

完成すればギネスブックに世界一として載せられることは間違いないといわれるラ・プラタ河横断架橋計画が話題になっています。

モンテビデオからラ・プラタ河の上流約170kmのコロニアとアル[ンティンのブエノスアイレス首都圏の下流の都市ラ・プラタとの間41kmを5つのポイントを持つ架橋を計画しています。 このウルグァイの正式国名をウルグァイ東方共和国(La República Oriental del Uruguay)といいます。この名称もラ・プラタ河の東側に位置することから由来しています。この河は広い所で100kmを越え ,狭い所でも40km以上の幅をもつ大河です。モンテビデオからは対岸のアルゼンティンは見えませんし,水平線しか見えません。その支流のパラナ河やウルグァイ河がいっしょになりラ・プラタ河となるものでブラジル,パラグアイ,ボリビア,アルゼンチンやウルグァイに降った雨をゆっくりした落差で運んできます。南米大陸の中央部のテラロシャといわれる赤茶色の土砂を含んでいるため常に濁っており,大西洋と合流する海水のところまで青く澄むことはありません。

約400年前にヨーロッパ人により南米大陸への探検や征服がくりひろがれる中で,この大河は船で上流へさかのぼる交通になくてはならないものでした。特にアンデス山脈にいたる奥地は金,銀が多く眠っているといわれ,それを求めてラ・プラタ(銀)と名付けられたこの大河を経て夢を追い求めてゆきました。

ラ・プラタ河横断架橋計画の概要

総延長

41km

橋幅

18m

見積もり総工費

10億ドル

年間通行車両

150万台

通行料(片道)

自家用車:60ドル

トラック:225ドル

バ ス:360ドル

通行所要時間

約30分

使用セメント

428,000トン

使用鋼材

149,000トン

通行者

510万人

ラ・プラタ河横断架橋計画は1985年頃から検討されています。さらに,近年メルコスール(南米共同市場)の促進により具体的な建設への構想が推し進められているようです。
メルコスールがラ・プラタ河を中心にアルゼンティン,ブラジル,パラグアイ,ウルグァイさらにはチリと貿易の拡大を目指して推し進められています。特に地理的に中心にあたるアルゼティンにとってはメルコスール域内の物流の活性化は今後の貿易拡大に重要な課題であります。

一方,ウルグァイにとっては観光地プンタ・デル・エステへのアルゼンティンからの避暑客の拡大は外貨獲得の主要なもので一層の交通手段の整備改善を求められています。現在,ブエノスアイレスとモンテビデオの最短距離の陸上路はラ・プラタ河からウルグァイ河に入ったFray Bentosにある橋(Puente Internacional Libertador Gral San Martin)を経由して570kmですが,この架橋によって約半分の258kmに短縮されることになります。

日本の本四架橋計画は戦後の”○○査定”とか批判も多かったようですが,この架橋は民間ベースの民営化の事業で行われる予定とのことで,それぞれの政府の資金負担はありません。

しかし,いろいろな賛否両論が繰り広がれられているとのことです。その主なものは1)採算が取れるコストであるか否か,2)水上交通への障害,さらに3)環境への影響などです。1)の採算については一次産品の多い現状で陸上交通が採算に合わず,水上,海上交通に頼ったほうがよいとの意見やウルグァイを通らない他のルートの方が通関の簡素化や経済性などをあげています。2)水上交通への障害については何万トンもの船舶が往来し,しかもあちこちに座礁した船の残骸をみると十分に検討しなければならないことでしょう。上流のブエノスアイレス港やパラグアイへの航路にもなっています。3)環境については架橋による河の流れの変化による影響を懸念されており,今後の調査に待たなければならないでしょう。
当初2002年完成をめざし,本年11月の入札,99年工事開始の計画はしばらく据え置きになりそうです。
この架橋の実現の可能性は,今後の経済の好転に期待するところが多いと思います。夢の架け橋に終わってしまうか,南米調でいつの日にか実現するのか関心を持って見守りたいと思います。(井上忠恕 1998/11/30 記)


コロニア<―>ブエノスアイレス,
現在,高速フェリーで1時間
Ferry


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Last update:November 30, 1998