温暖な気候で,自然草地を利用した粗放的な牧畜,特に牛肉と羊毛の生産で富を築いてきました。第一次および第二次世界大戦や朝鮮戦争時には戦争当事国の双方に食料としての牛肉、牛肉缶詰や乾燥肉,また衣料の原料としての羊毛や皮革などを大量に供給し,アルゼンチンと同様に特需景気により経済は大きく潤いました。一時は当時のアメリカ合衆国を上回る経済成長を遂げたこともあります。1950年代半ば以降は大規模な戦争がなくなったことや羊毛に代わる化学繊維の台頭による羊毛の需要の低下により経済は次第に疲弊してしまいました。伝統的なマテ茶を飲みながらの談笑に,第三次世界大戦を待ち望む不謹慎な話が飛び出すこともあります。現在は国内需要には限度があるため,ひたすらに輸出に力を注いでいます。ウルグァイ,パラグアイ,ブラジル,アルゼンチンの4カ国の間に設立されたメルコスール(南米共同市場)のなかで,いかに生き残り策を模索するかにかかっています。
ウルグァイは長年,口蹄疫の発生に悩まされてきました。当プロジェクトサイトの家畜衛生研究局の前身の一つは口蹄疫撲滅局であり,職員の多くは口蹄疫に関わりを持ってきました。これらの関係者や国を挙げての努力が実り,1990年の発生以後その後発生がなく,1994年6月のワクチン接種を最後にワクチンを接種しないで口蹄疫の無い国としてOIE(国際獣疫事務局)も認め,他の南米諸国に先駆けて名乗りをあげました。
かつては「南米のスイス」といわれるほど裕福で,社会福祉の進んだ国でありました。特に,社会福祉の政策の基盤を築いたのは1903〜7年および1911〜15年の二期間の大統領を務めたホセ・バージェ・イ・オルドーニェス(1856〜1926)であるといわれています。彼の主な業績に8時間労働の実施,労働法の制定(労働組合の結成,スト権の確立),不当解雇の禁止,失業保険,老齢年金などの諸改革が在任中及びその後に引き継がれて実施されることになりました。それらの基本的な制度は現在も生かされています。
労働人口は人口の65%の約200万人で,第一次産業が14%,第二次産業が25%,第三次産業が55%となっています。最近の失業率は12〜13%と高い状態が続いています。特に若年層や女性の失業率が高いことが特徴です。また,近年はインフレ率は緩やかながら低下傾向を継続していますが,財政赤字と国際競争力に弱い農牧産品の動向によっては弱い経済基盤をゆるがせかねないおそれは常につきまとっている不安材料です。
ウルグァイでは公務員であっても一定の手続きをすれば兼業を認められていますし,南米諸国では一般的です。2,3の兼業は当たり前で,そうしなければ暮らしてゆけないのが普通です。獣医研究所(DILAVE)の52〜3歳の室長クラスで月600ドルくらいですから物価の高いウルグァイではとてもこれだけで生活してゆけません。ほとんどの主婦も職業についていますから一般的な家庭では二人分の収入を合わせて生活しているのが普通です。またこれらの収入と勤務年数が老後の年金にも反映されますから当然一生懸命にならざおえません。DILAVEは午前8時から午後3時までがほとんどの職員の勤務時間ですから,午後3時以降を第2,第3の職業に精を出すことになります。これはまだましな方で,大学ではフルタイムの教授は学部長など数名を除いてほとんどが週数時間しか義務拘束時間がありません。日本でやっと数年前に研究機関を中心にフレックスタイム制がとられるようになりましたが,それよりずうっと前からこの国の事情からその制度が実施されてきました。特に若い教官などは大学の給料は極めて少ないため,拘束時間が長いと生活できないことになります。このような事情からこのプロジェクトの主たる拠点を何処にするかとの選択の時にカウンターパートになる職員の勤務拘束時間がはっきりして長いに決められた経緯があります。DILAVEの管理職の部長クラスでも2,3の兼業をしています。多くは共和国大学の教授を兼ねていますから,授業のある時は午後3時になると大学に直行します。大学の講義は夜8〜9時頃までありますので,夜のパーテー会場にやっと講義が終わったといって駆けつける職員がいるのはよく見られる光景です。
DILAVEでたまに賓客を迎えて昼食会や夕食会が開かれることがあります。その時の給仕役は蝶ネクタイをしたボーイさんで,タイミングよくお客さんの食の進み具合を見ながら会食をうまく取り仕切っています。この人たちがの研究室の職員であることは知っていましたが,さらに聞いてみると本格的プロでした。国賓級の会食などへも声がかかるほどで,自らもパーティーなどに人材を派遣する会社を経営しています。
DILAVEの研究者はほとんどが獣医師ですからペットクリニックを開業していたり,アルバイトで働いている人はよく見られます。大きな牧場,酪農家や養鶏場などのコンサルタントをしている人もいます。従って,土曜,日曜日もどこかで働いている職員が多いようです。兼業しなくてはならないほどの安い給与であるにもかかわらず公務員は人気の職業の一つです。その理由に他に安定した職業が少ないことのほかに,重大な過失がない限り簡単に退職させられないこと,また一定の年金が保証されることもあるようです。先にモンテビデオ市が清掃関係の職員を中心に400名を募集したところ約3万人が応募したそうです。いかに就職口が少なく,公務員への願望がいかに強いかがわかります。
ここで少し大学の制度について説明します。私立の文科系の大学が一校と国立の共和国大学が一校あります。共和国大学は12学部があり大学進学資格試験さえ合格すれば誰でも入学できます。学生個人は授業料は払わなくてもすみます。多くの学生をかかえ国の予算を圧迫しているようです。ただし,厳しい進級試験制度があり一度も落第しないで卒業できる学生はほとんどいません。獣医学部で最低卒業年数6年のところを平均在学年数は10年9ヶ月だそうです。人文学部の文学科は最も長く4年のところを平均18年11ヶ月だそうです。
これらの学生は親の援助の具合にもよりますが,授業の合間にアルバイトについています。勿論,休学してアルバイトに精を出している学生もいれば,受ける単位と時間を調整して日中はアルバイトで午後遅くや夜にかけて大学に通っている者もいます。ホテルの受け付けやドアーボーイ,レストランや市役所などの臨時職員もいます。卒業するころは30歳ぐらいですからすでに社会経験は十分に積んでいます。この学生時代のアルバイトが本職以外の第2、第3の仕事になっている人も結構いるようです。
医学,歯学,獣医学および法学部の弁護士コースを卒業すればDoctorの称号が与えられます。しかし,これらの資格をもっている人でも就職口は少なく,タクシーの運転手やアパートの警備員をしたり,市内のあちこちで行われる日用品や食料品などを持ち寄り誰でも即売できる市で物売りをしている人も珍しくないという巷のうわさ話はこのことを示しています。
ウルグァイの勤め人が一番に楽しみにしているのは長期休暇(バカンス)です。年間20日の有給休暇です。この有給休暇は連続して休むように決められています。土曜、日曜を加えると約1ヶ月になります。休みの前になると誰彼となくうれしそうにいつまで休みでどう過ごすかを話しながら挨拶してまわります。余裕のある人は郊外に別荘を持ちそこで過ごします。短期間の貸し別荘やそれぞれの機関の保養施設も利用されます。別荘といっても簡単な寝具と台所がある程度備わっているのが一般的ですが、必ず設備されているのが焼肉用のカマドです。高級リゾート地を除けば土地そのものは安いですから数百万円くらいで購入できるそうです。
休暇の過ごし方の典型的なスタイルは、庭の木陰や眺めのよいところに折りたたみのイスを持ち出し、延々とマテ茶を飲みながら過ごすことです。リゾート地や別荘に行けない一般庶民は、このような毎日を自分の家で休暇期間を過ごします。我々日本人にはなかなかこのような心境になり休暇を過ごすことは苦手のようで,1ヶ月はおろか,1週間でもこのように過ごすのは退屈に感じるのではないでしょうか。
焼き肉をする日は,夕方になると焼肉用のカマドに火をおこし焼肉の準備をしはじめます。はじめはユーカリなどの薪を燃やし‘おき’を作ります。その上の金網に肉やソーセージをならべ2〜3時間かけて遠火でじっくり焼きます。その間にサラダや飲み物を用意しはじめます。これらの準備はほとんどが男性の仕事のようで、主婦はサラダくらいを作ります。肉の焼け具合を見ながら、飲み物や前菜を食べはじめます。その中には焼いていたソーセージなども入ることがあります。やがてメインの焼けた肉が一人づつの皿にのせられます。おしゃべりをしながらの食事が2時間くらい続き最後に果物やアイスクリームのデザートで締めくくりになります。それでお開きになるのは12時を過ぎるのは普通です。この後,若い人たちは休暇の時ばかりではありませんが連れ立ってデイスコに出かけることもあります。金,土曜日の夜は翌朝の5時まで営業していますので,朝早く店の周辺には踊りつかれた若者たちがよくたむろしています。こんな遅くまで遊ぶのですから,特に若い娘を持つ親はろくに寝ないで明け方を待つようです。
このように見てくるとウルグァイ人は働き者なのでしょうか?遊び上手なのでしょうか?働く時はそれぞれの持ち場を決められた時間を精一杯働きます。勿論,例外があるのは何処の国も同じですが,時間外までせかせかと働くことはありませんが,一つ一つを確実にこなしてゆきます。そして気持ちを切り替えて第2,第3の職に出かけてゆきます。一方,休みは質素にゆったりと過ごすというのがこの国の生活のようです。
技術協力の現場ではそこの国の人々の生活の仕方を心得ておくことと同時に,そこの生活のリズムに合わせて過ごすことであると言われています。地球の反対側から来た我々にとっては,言葉の障害の克服とともに,このリズムにいかに早くなじむかも技術協力をすすめるうえでの大事な要因のように思います。
(ともしび No.33 全農林家衛試分会,1-3より転載)
