19世紀で一番偉大な博物学者のイギリスのチャールズ・ダーウィンは,170年前の独立間もないウルグァイでいろいろの調査をしました。22歳の青年ダーウィン(スペイン語ではカルロス・ダーウィン)は74名の乗組員とともに1831年12月27日に軍艦ビーグル号でイギリスを出航し,ブラジルを経由し,1832年7月にはモンテビデオ港に碇泊しました。ダーウィンは,その後ラプラタ河を中心にウルグァイやアルゼンティンを調査し,アルゼンティンの南端のパタゴニアやフェゴ島に出かけたこともありましたが,1833年12月にラプラタ河を離れるまでウルグァイのモンテビデオ,マルドナド,ミナス,コロニアなどを調査したことが「ビーグル号航海記」に書いてあります。その後のダーウィンはアルゼンティン南部からチリ,ペルー,さらにガラパゴス島に渡り,ニュジーランド,オーストラリアなどを経て5年間の航海を終えました。帰国後革新的な理論といわれる「進論」を発表したのは周知のことです。
9月4日早朝に柏崎専門家の四輪駆動車でモンテビデオを発ち,ダーウィン村へ向かいました。前日まで1週間降り続いていた雨は,北部では洪水を起こしていましたが,雨はやみ,朝から雲ひとつないなかを快適なドライブになり,1号線から3号線を経て14号線に入り,14号線からさらに14kmの所のダーウィン村に4時間余りで到着しました。ダーウィン村についてはモンテビデオの関係者に聞いてもほとんど情報もなく,この村の存在すら知らない人がほとんどでした。そこでまず村の入り口にある駐在所に立ち寄り様子を聞くことにしました。4,5人いるお巡りさんのなかで責任者の副警視(Sub Comisario)のアンチョレナ氏(Anchorena)に説明を求めました。彼はパイサンドゥー(Paysandu)出身でモンテビデオの警察学校を卒業し1年余り前にこの駐在所に赴任した新進気鋭のお巡りさんです。この親切なお巡りさんは結局夕方まで半日我々に付き合うことになりました。ダーウィン村の案内に加えて,55km離れたメルセデス市とその郊外にある古生物博物館の案内までお願いすることになってしまいました。夕方4時頃に道路沿いの食堂で即席で作ってもらったサンドウイッチが昼飯となった程の強行軍でした。この村は本年4月に発生した口蹄疫の初発地から20kmしか離れておらず,その時は交通遮断や消毒車両などの誘導などに活躍したとのことで,われわれが獣医研究所の関係者であることに一層親近感を持ってくれたようでした。

ダーウイン村の入り口の歓迎の標識
1833年11月26日にダーウィンはこの牧場で巨大な頭骨が見つかったと聞かされ,主人に連れられて馬をのりつけてトクソドンの頭骨を手に入れました。トクソドンは約10万年頃まで南アメリカに棲んでおりカバのように水中生活をしていたと考えられています。また,ここから300km離れたテルセロ川のほとりでは巨大なアルマジロの仲間の甲羅からはずれたかなり大きな断片と,ミロドンの大きな頭の一部も発見されています。

ダーウインの訪問記念碑はネグロ河に
面している
なお,このトクソドンは絶滅動物とするマクダニエル派と,まったくの想像上の動物であるとするポクリントン派にわかれて論争が続いています。アンデス地方,海抜3800メートルの高さにあるチチカカ湖の西側の渓谷に廃虚の都市『ティアワナコ』がひっそりと息をひそめていますが,この古代都市にある半地下神殿には,トクソドンに酷似した動物が彫刻されています。
このダーウィン村をJICAの専門家であった高木一夫氏(1988年3月〜1990年の9月)が訪れています。モンテビデオに滞在し,その間,余暇を使ってウルグアイのほとんどの地域でダーウインの後を辿って,鳥類の観察を行い,航海記に記された場所でバードウオッチングを楽しみ,撮影できるものはビデオに収めました。高木氏は害虫の専門家でしたが,「パンパの鳥」を追いながらウルグァイの自然について次のように書いておられます。

メルセデス市の郊外にある古生物博物館、ダーウインが
興味を持ったネグロ河近辺の発掘標本が陳列してある
「ダーウインがビーグル号航海記の中で,160年前のウルグアイの鳥類と生息する環境について書いた情景は,都市空間がやや広がったことをのぞけば,今でも全く変わっていなかった。信じられないことに,
160年間ウルグアイの自然環境になんの変化もなかったのである。これはウルグアイが工業化を選択せず,モンテビデオの一部を除けば自分の国内には大きな煙突は立てない方針を貫いてきたおかげである。それが出来た畜産資源の豊かさ,言い換えれば自然環境資源と人口の比率が適正に保たれた結果であるといえる。ハドソンが心配した北米,ニュージーランド,オーストラリアではたくさんの動植物が絶滅し,遅ればせながら,現在その保護が盛んに行われているが,それらの国でも家畜の形成した草原があたかも自然そのものであるかのように成熟し,現代のツーリストを引きつけている。パンパでも1500年代以前の生物と自然環境はさておき,家畜が導入されてから変化した自然が
300年ほどで極限の遷移を示し,その後はほとんど変化がなかったと考えるのが自然ではなかろうか。」
われわれは高木氏からさらに10年後ではあるが,ダーウィンが見たであろう,うつくしい夕日に映えた変哲もない風景を見ながら,高木氏の言われる「ダーウィンが訪れて以来,ウルグアイの自然環境になんの変化もなかったのである」の意味を噛みしめながらダーウィン村を後にしました。
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