《吉岡実の詩の世界》 編集後記(小林一郎 執筆)

最終更新日2016年11月30

吉岡実の著書や編纂書(所蔵本を中心に、一部吉岡家蔵本を含む)
吉岡実の著書や編纂書(所蔵本を中心に、一部吉岡家蔵本を含む)


目次

編集後記 169(2016年11月30日更新時)

編集後記 168(2016年10月31日更新時)

編集後記 167(2016年9月30日更新時)

編集後記 166(2016年8月31日更新時)

編集後記 165(2016年7月31日更新時)

編集後記 164(2016年6月30日更新時)

編集後記 163(2016年5月31日更新時)

編集後記 162(2016年4月30日更新時)

編集後記 161(2016年3月31日更新時)

編集後記 160(2016年2月29日更新時)

編集後記 159(2016年1月31日更新時)

編集後記 158(2015年12月31日更新時)

編集後記 157(2015年11月30日更新時)

編集後記 156(2015年10月31日更新時)

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編集後記 144(2014年10月31日更新時)

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編集後記 135(2014年1月31日更新時)

編集後記 134(2013年12月31日更新時)

編集後記 133(2013年11月30日更新時)

編集後記 132(2013年10月31日更新時〔2013年11月30日追記〕)

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編集後記 128(2013年6月30日更新時)

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編集後記 122(2012年12月31日更新時)

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編集後記 113(2012年3月31日更新時)

編集後記 112(2012年2月29日更新時)

編集後記 111(2012年1月31日更新時)

編集後記 110(2011年12月31日更新時)

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編集後記 79(2009年5月31日更新時)

編集後記 78(2009年4月30日更新時〔2012年12月31日追記〕)

編集後記 77(2009年3月31日更新時)

編集後記 76(2009年2月28日更新時)

編集後記 75(2009年1月31日更新時)

編集後記 74(2008年12月31日更新時)

編集後記 73(2008年11月30日更新時)

編集後記 72(2008年10月31日更新時)

編集後記 71(2008年9月30日更新時)

編集後記 70(2008年8月31日更新時)

編集後記 69(2008年7月31日更新時)

編集後記 68(2008年6月30日更新時)

編集後記 67(2008年5月31日更新時)

編集後記 66(2008年4月30日更新時)

編集後記 65(2008年3月31日更新時)

編集後記 64(2008年2月29日更新時)

編集後記 63(2008年1月31日更新時)

編集後記 62(2007年12月31日更新時)

編集後記 61(2007年11月30日更新時)

編集後記 60(2007年10月31日更新時)

編集後記 59(2007年9月30日更新時)

編集後記 58(2007年8月31日更新時)

編集後記 57(2007年7月31日更新時)

編集後記 56(2007年6月30日更新時)

編集後記 55(2007年5月31日更新時)

編集後記 54(2007年4月30日更新時)

編集後記 53(2007年3月31日更新時)

編集後記 52(2007年2月28日更新時)

編集後記 51(2007年1月31日更新時)

編集後記 50(2006年12月31日更新時)

編集後記 49(2006年11月30日更新時)

編集後記 48(2006年10月31日更新時)

編集後記 47(2006年9月30日更新時)

編集後記 46(2006年8月31日更新時)

編集後記 45(2006年7月31日更新時)

編集後記 44(2006年6月30日更新時)

編集後記 43(2006年5月31日更新時)

編集後記 42(2006年4月30日更新時)

編集後記 41(2006年3月31日更新時)

編集後記 40(2006年2月28日更新時)

編集後記 39(2006年1月31日更新時)

編集後記 38(2005年12月31日更新時)

編集後記 37(2005年11月30日更新時)

編集後記 36(2005年10月31日更新時)

編集後記 35(2005年9月30日更新時)

編集後記 34(2005年8月31日更新時)

編集後記 33(2005年7月31日更新時)

編集後記 32(2005年6月30日更新時)

編集後記 31(2005年5月31日更新時)

編集後記 30(2005年4月30日更新時)

編集後記 29(2005年3月31日更新時)

編集後記 28(2005年2月28日更新時)

編集後記 27(2005年1月31日更新時)

編集後記 26(2004年12月31日更新時)

編集後記 25(2004年11月30日更新時)

編集後記 24(2004年10月31日更新時)

編集後記 23(2004年9月30日更新時)

編集後記 22(2004年8月31日更新時)

編集後記 21(2004年7月31日更新時)

編集後記 20(2004年6月30日更新時)

編集後記 19(2004年5月31日更新時)

編集後記 18(2004年4月30日更新時)

編集後記 17(2004年3月31日更新時)

編集後記 16(2004年2月29日更新時)

編集後記 15(2004年1月31日更新時)

編集後記 14(2003年12月31日更新時)

編集後記 13(2003年11月30日更新時)

編集後記 12(2003年10月31日更新時)

編集後記 11(2003年9月30日更新時)

編集後記 10(2003年8月31日更新時)

編集後記 9(2003年7月31日更新時)

編集後記 8(2003年6月30日更新時)

編集後記 7(2003年5月31日更新時)

編集後記 6(2003年4月30日更新時)

編集後記 5(2003年3月31日更新時)

編集後記 4(2003年2月28日更新時)

編集後記 3(2003年1月31日更新時)

編集後記 2(2002年12月31日更新時)

編集後記 1(2002年11月30日開設時


編集後記 169(2016年11月30日更新時)

●本サイトは開設14周年を迎えた。改めて記すことは特段ないが、近日中にサイトを取りまく環境が大きく変化する、と予告しておこう。なに、来訪者・閲覧者にとって大した問題ではないのだが、制作する側にはあれこれと気骨の折れる作業だった、というだけの話である。
吉岡実の引用詩(1)――高橋睦郎〈鑑賞〉を書いた。入沢康夫はかつて追悼文〈吉岡さんの死〉で「〔……〕吉岡さんは、当世風にいつてみれば「書くことのエロス」の体現者、権化のやうな人であつたが、――そしてその作品は、戦後の詩に実に多方面にわたつて(一見さうとは見えないやうなところにまでも)エネルギーを与へつづけて来たのだが、――そのエネルギーの実体を、作品に即して(つまり逸話風ではなく)解き明かす作業は、まだ全く(わづかに高橋睦郎氏の「解説」の試みはあるにしても)始つてゐない」(《ユリイカ》1990年7月号〔追悼=吉岡実〕、三三ページ)と書いた。吉岡実の生前、その詩の「エネルギーの実体を、作品に即して解き明かす作業」はほとんどなされてこなかったが、歿後25年以上経った今日でも、事情はさして変わっていないように思う。残念なことだ。今月から3回にわたって、「中期」以降の吉岡実詩を貫く創作原理である「引用詩」について書いてみたい。
●うちの子どもは雨上がり決死隊が司会進行を務めるバラエティトーク番組《アメトーーク!》(テレビ朝日)が好きで、録画して観ている。11月10日は〈本屋で読書芸人〉企画だった。「3 読書芸人の本棚を公開!!」のコーナーで、ゲストの又吉直樹(ピース)の本棚が紹介された。又吉は芥川賞を受賞した小説家だから「読書芸人」という括りが適切か疑問だが、寝室の本棚を自身で撮影しながらコメントするのを観ていたら、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)があるではないか。慌てて巻き戻して凝視する。又吉は町田康や古井由吉の単行本、定番の太宰治全集などに言及してから、「歌集のコーナーがあって……で、下に辞典系が、」の「……」の処でカメラが本棚をパンしていく一瞬、《吉岡実全詩集》の函の背文字がはっきりと映っていた。「残りの色んな本はリビングにあります」とのことで、その数約3000冊(手放さないから、増えつづけるのだ)。世の詩誌の編集者は、又吉直樹の本格的な吉岡実論が読みたくはないか。
●ジェスロ・タルの2枚(といってもそれぞれ2枚組だが)のアルバム《Nightcap: The Unreleased Masters 1973-1991》(1993)と《The Best of Jethro Tull: The Anniversary Collection》(同)を聴いている。全67曲、4時間半近い長尺だ。私は総じてアメリカのロックよりもイギリスのロックを好むが、最もイギリスらしいバンドとはジェスロ・タルのことではないか。Wikipediaに拠れば「2011年、バンド活動が事実上の停止。2014年に〔リーダーの〕イアン・アンダーソンは、無期限停止を公表した」そうだから、ジェスロ・タルの命脈は尽きたのだろうが、4半世紀近くまえのアルバムがいま眼の醒めるような鮮烈さで迫ってくる。〈Aqualung(アクアラング)〉など、とんでもないヘヴィロックだったし、〈Too Old to Rock 'n' Roll: Too Young to Die(ロックン・ロールにゃ老けたけど、死ぬにはチョイと若すぎる)〉はもろだけんじ名義の短歌にまでした。一般にプログレッシヴロックとして括られるジェスロ・タルだが、エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシス、キング・クリムゾンを取りあげた《U.K.プログレッシヴ・ロックの70年代Vol.2》(マーキー、1997)の〈マイ・フェイヴァリット・アルバム×10〉という一種のアンケート企画でもほとんど挙がっておらず、《Live! Bursting Out》《Thick As a Brick(ジェラルドの汚れなき世界)》が目につくくらいだ。ジェスロ・タルは、なんといってもイアン・アンダーソンのヴォーカル(とフルート)が最大の魅力だ。ジェネシスのピーター・ゲイブリエルとはまた違った、男の色気を感じさせる。

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編集後記 168(2016年10月31日更新時)

●太田大八さんの挿絵画家としてのデビュー作、ジョーエル・チャンドラー・ハリス作・八波直則訳《うさぎときつねのちえくらべ――リーマスじいやの夜話〔こども絵文庫 1〕》(羽田書店、1949)を取りあげて、8月に亡くなられた太田さんを偲んだ。70年になんなんとする太田さんの画歴は、戦後日本の絵本の歴史そのものである。その全貌は、絵本の専門家でない者がうかがい知るにはあまりに広大だ。一読者としては、お気に入りの一冊を繰ることが太田さんを追悼することに通じると信じる。作品を概観するには《太田大八作品集》(童話館出版、2001)が、人物を知るには《私のイラストレーション史――紙とエンピツ》(BL出版、2009)が最適だ。なお、今までこの〈編集後記〉には画像を掲げることをしてこなかった。今回初めてその禁を破って、太田大八さんとのツーショットの写真を掲げる。撮影は太田さんの奥さま、十四子[としこ]さんである。
小林一郎と太田大八さん(2005年11月30日、東京・練馬の太田さん宅にて)
小林一郎と太田大八さん(2005年11月30日、東京・練馬の太田さん宅にて)
〈詩篇〈模写――或はクートの絵から〉初出発見記〉と題して、同詩の初出発見の経緯について書いた。本文では触れなかったが、オークションの落札価格は1,200円である。仮に12,000円でもあっても私が持っていなければならない資料だが、そこまで高騰しなかったので助かった。まえにも書いたように、ウェブ上の書誌情報がなければ、いくら私が熱心に探索したところで掲載誌の《海程》と出会うことはなかったかもしれない。だがそれ以前に、なんとしても探しだすという気概がなければ、ものごとは始まらない。今回は発表媒体がわからないケースだったが、吉岡実装丁本(限定版の某書)や吉岡実論(欧文の某論文)など、具体的な資料名までわかっていながら、入手閲覧できていない。それらも今回のようにうまくいくと好いのだが。
●《日本の古本屋》で吉岡実関係の資料をチェックするのは私の日課だが、10月15日の土曜日、いつものように同サイトを見ていたところ、神田神保町の小宮山書店が「オリジナル詩画集あんま 土方巽のために 作品3枚+奥付の計4枚シート 【奥付には全作家サイン入/Signed】」を86,400円で出品していた。シート4枚の画像が掲げられ、説明に曰く「吉岡実 Minoru Yoshioka 飯島耕一 Koichi Izima 瀧口修造 Syuzo Takiguchi/1968年 1セット 吉岡実・瀧口修造・飯島耕一の版画作品3枚+全作家サイン入奥付有/Signed 限定50部/Limited Edition of 50 copies」。一方、神田小川町の喇嘛舎が出品している同書(小宮山書店のものは端本である)は「オリジナル詩画集あんま 土方巽のために 池田満寿夫・加納光於・野中ユリ・中西夏之・三木富雄・滝口修造・三好豊一郎・加藤郁乎・中村宏・吉岡実 デザイン 田中一光」で、1,512,000円である(ちなみに私は完本を1996年、世田谷文学館で開かれた《土方巽展》で観ている)。その説明に「1968/限定50 2重箱 オリジナル版画他 各署名入 外ダンボール箱 少コワレ・キズ 背に署名〔ママ〕カキイレ」とある。140万円は問題外だが、8万円は考慮に値する。ところで、10月15日は同サイトをチェックしていたPCのハードディスクが虫の息で、下手にメールをやり取りしたり、決済したりしていると途中で機械が壊れそうな按配だった。PCを騙し騙ししているうちに一両日経ち、《日本の古本屋》を再訪してみると詩画集が検索できなくなっていた。大魚を釣りおとした感懐を抱いたが、時すでに遅し。具眼の士が購入したのだろう、と慰めるしかなかった。だが、諦めるには及ばない。ウェブで「吉岡実」を検索しているうちに、いつしか小宮山書店のページにたどりつき、眷恋の書を入手することができたのである。ここで、本書に関してまことに心苦しい報告をしなければならない。《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》での同書の書名の記載が、どこでどう間違ったのか――もしかすると元藤Y子《土方巽とともに》(筑摩書房、1990年8月30日、一七八ページ)の記載 を鵜呑みにしたせいかもしれないが――《あんま――愛欲を支える劇場の話》となっていたのだ(10月31日時点で修正ズミ)。この、土方巽へのオマージュを収めた豆本に関しては《あんま〜愛欲を支える劇場の話〜》を ご覧いただくに如くはないが、「〔……〕本書の執筆陣は非常に豪華である。澁澤龍彦・埴谷雄高はもちろん、特に三島由紀夫の参入は非常に大きい。ちなみに三島は『詩画集・大あんま』には執筆していないから非常に貴重な発言である」とあるように、豆本《あんま――愛欲を支える劇場の話》に対して本書、詩画集《土方巽舞踏展 あんま》(アスベスト館、1968年12月1日)を《詩画集・大あんま》と通称するようだ。端本であれ、書誌であれ、じっくり観るのならば《詩画集・大あんま》が《あんま――愛欲を支える劇場の話》のわけはないのだが、実物を観ていないのは恐ろしい。そのことをまざまざと知らされた一件だった。なお「土方巽公演〈土方巽と日本人――肉体の叛乱〉を記念して出版された詩画集《土方巽舞踏展 あんま》に再録された詩篇〈青い柱はどこにあるか?〉の葉」と「同書〈目録〉葉の13人の作者による自筆署名」の写真2点を《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》の〈「暗黒の祝祭」――吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈(1)――〈青い柱はどこにあるか?〉〉の「T 詩で書いた暗黒舞踏」に掲載しておいた。ぜひ、ご覧いただきたい。
●今月は《〈吉岡実〉を語る》に太田大八さんを追悼する文と〈模写――或はクートの絵から〉発見にまつわる記事を掲載した。来月は本サイト開設の記念の月だ。長らく温めていた企画――仮題〈吉岡実の引用詩〉――を準備中だが、うまくいけば3回連載でお届けできると思う。

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編集後記 167(2016年9月30日更新時)

●「その日」がついに来た。吉岡実が生前に刊行した12冊の詩集に収録した全262篇の初出情報(=初出形)が明らかになったのだ。詳細は来月以降、なるべく早めに掲載の予定だが、とりあえず《吉岡実年譜〔作品篇〕》の〈一九六三(昭和三八)年 四三〜四四歳〉末尾に「/この年 模写――或はクートの絵から(E・4、四七行)初出未詳〔◆一二月までに発表か〕191」とあったのを、同年「八月 模写――或はクートの絵から(E・4、四七行《海程》〔発行所の記載なし、発行者は出沢三太〕九号〔二巻九号〕)191」に改める。今後は、《〈吉岡実〉を語る》の〈吉岡実詩集《静かな家》本文校異〉やPDF版《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第3版〕》の訂正、さらには冊子体《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第4版〕》の刊行が控えているが、なにはともあれ30年来の懸案が解決されたことを歓ぶ。
秋元幸人〈森茉莉と吉岡実〉の余白に、を書いた。秋元は《吉岡実と森茉莉と》の〈後記〉に「これは我が偏愛の詩人と作家とに捧げたささやかなオマージュの一本である。〔……〕今散逸を恐れて上梓するに当っては」うんぬん、と刊行の意図を記している。同書の一篇〈森茉莉と巴里〉は2003年2月、《Ultra Bards[ユルトラ・バルズ]》 Spring 2003 vol.9に〈森茉莉三都物語 第一章〉として発表された。同誌の〈後記〉には「☆新連載「森茉莉三都物語」第1章は、雑誌「三田文学」2000年夏季号・特集「作家たちの西洋体験」に既発表の拙稿を訂正の上、加筆したものです。これを以て定稿とします。以下「森茉莉と江戸」「森茉莉と東京」と続ける予定です。(秋元)」(二八ページ、原文横組)とある。《吉岡実と森茉莉と》所収の〈森茉莉と下町〉がこの「森茉莉と東京」に違いないが、「森茉莉と江戸」はどこかに発表されたのだろうか。「三都物語」という括りが本書に見えないのは、巴里・江戸・東京という三幅対を成すことが叶わなかったためか。秋元には、まだまだ書いてほしいことがたくさんあった。たとえば1998年10月10日、渋谷の勤労福祉会館で開かれた〈西脇順三郎を語る会〉(代表:藤富保男・新倉俊一)主催の講演会《西脇順三郎を語る》において、秋元は〈吉岡実と西脇順三郎〉という演題で登壇している。残念ながら講演は聴けなかったが、後日、ワープロ文書(テープ起こし)を送ってもらった。同文が秋元の著書に収められていないのは、《吉岡実と西脇順三郎と》といった著作の中心とすべく、書きあらためるつもりだったためか。他にも〈巫術師の鎮魂――入沢康夫と吉岡実〉や専門のテオフィル・ゴーティエ関係の〈テオフィル・ゴーチエとテオドール・ド・バンヴィルの詩的交歓〉や〈ジュゼッペ・ヴェルディのオペラをめぐるテオフィル・ゴオティエの音楽批評〉等、単行本未収録の文章、さらには詩篇の創作がある。書肆山田か思潮社あたりが一冊にまとめてくれないものだろうか。
深瀬基寛《エリオット》を中心に〔鑑賞世界名詩選〕シリーズの装丁について書いた。かなり前になるが、田中克己《李白》の再版本が吉岡実装丁ではないかという記事をインターネット上で読んだ。吉岡本人や関係者の証言になかったので、そのときは原物を入手して調べるまでにはいたらず、国会図書館で閲覧したのが1955年刊の初版本だった。本文にも書いたように、これが吉岡実装丁本に見えなかった。それ以上の材料もないまま、時は過ぎた。最近《エリオット》の再版本を見るに及んで、念入 りに調べた。創業50周年を記念した《筑摩書房図書総目録》は便利な工具書で、ふだん重宝しているから文句を言えた義理ではないが、〔鑑賞世界名詩選〕に関しては不満がある。判型の違い(B6判と四六判)が記されているだけで、シリーズの刊行途中で装丁が変わったことがわからないのだ。書誌の紙背を読まないと陥穽に嵌まる、という実例である。だが、今回これで吉岡実装丁本が一挙に4点も増えたことは、探索者冥利に尽きる。
●「創業130周年記念企画」と銘打った池澤夏樹個人編集《日本文学全集〔全30巻〕》(河出書房新社、2014-2018〔予定〕)の〔第29巻〕として〈近現代詩歌〉が出た。詩は池澤夏樹(吉岡実詩に言及したことは、おそらくかつてない)、短歌は穂村弘(数度、言及)、俳句は小澤實(何度も言及)の選になる。このところ本格的な日本文学全集自体がなかっただけに、今回の選は詩に限らず注目しないわけにいかない。ところで、池澤さんは今でこそ世界文学全集と日本文学全集を単独で編む小説家=批評家だが、その文学的な出発は詩である。現に、吉岡実のバストアップの扉写真で始まる《ユリイカ》1973年9月号の〔特集・吉岡実〕の手前の3ページには、池澤夏樹の詩篇〈ティオの夜の旅〉が掲げられている(同詩は1978年、書肆山田刊の第一詩集《塩の道》に収められた)。今を去る43年前のことだ。
●《ジェネシス――眩惑のシンフォニック・ロック〔KAWADE夢ムック〕》(河出書房新社、2016年5月30日)が出た。巻頭の岩本晃市郎・片山伸〔対談〕〈ジェネシスより他に神はなし――ベスト5を選出しながらすべてを語る〉からして熱い。私のベスト5はこんな感じだ(発表順)。《Foxtrot》(1972)、《Seconds Out》(1977)、《...And Then There Were Three...》(1978)、《Genesis》(1983)、《We Can't Dance》(1991)。『そして3人が残った』は後輩の室井さんに薦められて、初めて聴いたジェネシスのアルバム(同人仲間の勝部さんはシングルにもなった〈Follow You Follow Me〉がお気に入り)。『フォックストロット』は先輩の橋爪さんの赴任地長崎で聴かされ、衝撃を受けた。『ウィ・キャント・ダンス』は同僚の宮崎さんと来日待望論を語りあったころの作品。というわけで、1970年代末からの遅れてきたファンは、ジェネシスも、フィル・コリンズも生まで観てはいない。〈Supper's Ready〉はジェネシスにしか創れないとてつもない楽曲だが、ただ1曲だけ挙げるなら《Wind & Wuthering》(1976)のトニー・バンクス作〈Afterglow〉しかない。スタジオ録音も悪くはないが、ライヴ『セカンズ・アウト』の1分半近い長いアウトロ(歌いおわったコリンズがチェスター・トンプソンとのツインドラムを決める)でマイク・ラザフォードが繰りひろげるベースラインは感涙ものだ。〔KAWADE夢ムック〕でいちばん興味深く読んだのは、村松正人によるジム・オルークへのインタビューだった。「――ジムさんはジェネシスのライヴを観たことあります?/『デューク』のツアーをシカゴで観ました。〔……〕私は一二歳で、まわりは大人ばかり。アンコールでは「サパーズ・レディ」のオープニングをやったんですね。私はイエーと狂ったように絶叫。すると前のオジさん――といっても当時の私にしてみれば、ということですが――が「うるさい」といわんばかりの顔でふりかえったんですが、子どもの私が興奮しているのを見てこう(サムズアップ)やったんです。ユー・アー・グレイトって(笑)。あのときはほんとうに泣きました。スティーヴ・ハケットはいませんでしたが、チェスター・トンプソンのドラムもすばらしかった。「サパーズ・レディ」のインストゥルメンタル・パートでフィルさんとドラム・デュオをやったんですよ」(同誌、七六ページ)。一つのコンサートが人生を変えることもあるだろう。一冊の本が人生を変えることがあるように。
●ジミー・ペイジによる最新リマスタリングに、未発表音源を加えたレッド・ツェッペリンの《The Complete BBC Sessions》(Atlantic)が9月16日に全世界同時発売された。Amazonに注文したCD3枚組の〔デラックス・エディション〕が届いたので、それを聴きながら書いている。ディスク3のうち、〈White Summer〉を除く〈Communication Breakdown〉〈What Is and What Should Never Be〉〈Dazed and Confused〉〈What Is...〉〈Communication...〉〈I Can't Quit You Baby〉〈You Shook Me〉〈Sunshine Woman〉の8タイトルが未発表音源だ(つまりコンパニオンディスク)。かつて書いたことだが、彼らのライヴのベストアクトは1971年の初来日公演初日の9月23日(生まで、しかも初めて観たのだから、こいつばかりは如何ともしがたい)。ベスト音源は1970年9月4日、ロサンゼルスフォーラムでの公演のブートレグ《Live on Blueberry Hill》だと信じて疑わないが、当時この《BBC Sessions》を聴いていれば、ノックアウトされていたに違いない。要は、早く接したものほど繰りかえし視聴するという、しごく当たり前の話になってくる。1970年の9月、中学生だった私はエレキギターを買う余裕もなく(ちなみに初めて触ったのは、同級生の鶴岡くんが学校に持ってきた赤いボディのストラトシェイプの国産物)、ガットギターに白いピックガードを貼り、2本のストラップピンをレスポールと同じ位置に取りつけ、ジミー・ペイジと同じ色のストラップをいちばん長く伸ばして〈Whole Lotta Love〉のリフを弾きまくり、家族の顰蹙を買っていた。あんなにキャッチーなリフなのに、レッド・ツェッペリンのギターのコピーは難しい。それはジミー・ペイジが「ヘタウマ」だからではなくて、そのタイム感覚が独得で、ジョン・ポール・ジョーンズのタイト極まりないベースと、それよりはペイジ寄りのややルーズなジョン・ボーナムのドラムスのグルーヴとが絡みあって、単体では起こりえない化学反応が起きたからだ(Tight but Loose!)。ペイジのギターが再現できたからといって、レッド・ツェッペリンのサウンドになるというほど単純なものではないのだ。そうした錬金術的なマジックを実感するのに、今回の初期の(スタジオ)ライヴ盤は恰好の素材[マテリアル]を提供してくれる。例えば、ディスク3の〈What Is...〉〈Communication...〉(1971年4月)を《Live on Blueberry Hill》におけるパフォーマンス(1970年9月)と較べると、実に興味深いものがある。

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編集後記 166(2016年8月31日更新時)

《土方巽頌》の〈40 「静かな家」〉の構成について書いた。参考になるかと思い、荒井美三雄企画・監督によるDVD《土方巽 夏の嵐 燔犧大踏鑑 2003-1973》(ダゲレオ出版、2004)を観かえした。以前にも書いたように、「踊る土方巽(映像のシューティングはこの舞台が最後)を伝える貴重な作品」だ。吉岡実はこの1973年6月の京都大学西部講堂における公演を観ていないようで、《土方巽頌》(筑摩書房、1987)の〈71 ライヴスペース・プランB〉に「また京都公演「夏の嵐」の記録フィルムは初めて観るので、興趣深いものがあった」(同書、一四四ページ)とある。本文で触れた、土方のその後の舞台出演作品《静かな家前篇・後篇》も大駱駝艦・天賦典式《陽物神譚》も映像は残されていないのだろう。かくして《夏の嵐》と《静かな家前篇・後篇》の比較という目論見は、みごとに当てが外れたのだった。だが私はなおも思う。それらは《サフラン摘み》と《夏の宴》、もしくは《薬玉》と《ムーンドロップ》のような関係ではなかったか、と。こうした表と裏にも比すべき構成がどこから来たのか、土方作品との関連を含めて探求してゆきたい。
●以前、ビートルズの1曲ということで〈Penny Lane〉(1966年末録音)を挙げたが、これはポール・マッカートニーの曲だった。ではジョン・レノンの曲は何か。〈Across the Universe〉(1968年2月録音)を推そう。同曲はいま4つのヴァージョンが聴けるが、《Let It Be...Naked》(2003)のそれが好きだ。イントロのギターの爪弾きから、すでに名曲と呼ぶにふさわしい。レノン本人も自負しているその歌詞がすばらしい。ここには余分なものがない。必要なものはすべてある。1966年末録音の〈Strawberry Fields Forever〉を構築型の頂点とすれば、これはその対極の最高傑作である。加藤郁乎によれば、土方巽は吉岡実が初めて観た舞台《ゲスラー・テル群論》(1967)で「鳴り止まぬ拍手に応えてビートルズ・ナンバー『イェスタデイ』をBGにくり返し」(《土方巽頌》、一〇ページ)ていたという。ちなみに、吉岡自身がビートルズの音楽に言及したことはない。
●ウイングス(Wikipediaには「元ビートルズのポール・マッカートニーと彼の妻リンダ・マッカートニー、元ムーディー・ブルースのデニー・レインの3人を中心に構成されたロックバンド」とある)の音楽には時間軸が存在しないように感じられる。アルバムごとの輪郭がさほどはっきりしていないのだ。ポールとリンダとデニーがいればあとはセッションミュージシャン的な役割に甘んじていたと言えば極論だろうが、主要メンバーによる音楽的変遷こそあれ、そこにはビートルズに見られた音楽的変貌がない。そうしたなかで私が好きなのは、アルバムでは《Band on the Run》(1973)、曲では《London Town》(1978)の〈I'm Carrying〉だ。同曲でストリングスのように聞こえるのは、ゴドレイ&クレームが開発したアタッチメント「ギズモトロン」によるエレクトリックギターだというが、それとコーラスによるオブリガートの旋律がすばらしい(その手触りはポールのソロアルバムに限りなく近い)。バンドとしての力量はライヴアルバム《Wings Over America》(1976)に隠れもない。一方、ポールのソロの曲では《Tug of War》(1982)の〈Wanderlust〉の主旋律と副旋律の絡みあいが〈I'm Carrying〉のそれに劣らずみごとだった。
●メリー・ホプキン《大地の歌》(1971)を聴いた。ホプキンといえば〈悲しき天使〉(1968)やポール・マッカートニーのペンになる、彼のデモ音源が出色の〈グッドバイ〉(1969)のポップシンガーの印象が強いが、《大地の歌》はアップルに残した2枚めにして最後の、ブリテッシュフォークの香り高いアルバム。ホプキン自身がシングルを中心に編んだ《Those Were the Days》(1995)のライナーノートに「セカンド・アルバムを作るにあたっては、バッドフィンガーやT・レックスを手がけたトニー・ビスコンティをプロデューサーに迎えた。ビスコンティはメリーの真意を理解したうえで制作に取り組み、ストリングス・アレンジも手がけた。レコーディングはジョージ・マーティンが設立したAIRスタジオで行なわれた。最終的にはメリー自身が選曲し、今度こそ満足できて、楽しめて、かねてから望んでいた作品ができあがった。自然、街、人間、精神的な世界などを歌ったアルバム」(ザ・ビートルズ・クラブ)とあるように、ポップシンガーの片手間仕事ではない清新な出来映えになっている。小西勝は《英国フォーク・ロックの興亡》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2015)でメリー・ホプキンのデビューアルバム《Post Card》(1969)のジャケットを掲げ、プロデューサーのマッカートニーがドノヴァンの作品を3曲選んでいると記している。小西氏の《大地の歌》の評が読んでみたかった。
●ビートルズ関連の作品は、楽曲・アレンジ・録音・ジャケットデザインから、汲めども尽きぬものが得られる。それと同じように、吉岡実の詩集にも活版印刷本の完成形を見る想いがする。

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編集後記 165(2016年7月31日更新時)

吉岡実にとっての富澤赤黄男を書くに当たって、関連する本を何冊か読んだ。四ッ谷龍編著《富澤赤黄男〔蝸牛俳句文庫〕》(蝸牛社、1995年1月10日)には「瓜を啖ふ大紺碧の穹の下」、「冬蝶の夢崑崙の雪雫」、「軍艦が沈んだ海の 老いたる鴎」、「灰の 雨の 中の ヘヤピンを主張せよ」(全ての漢字に付されたふりがなは割愛)といった句が掲げられていて、それぞれ〈苦力〉(C・13)、〈崑崙〉(F・8)、〈鎮魂歌〉(D・15)、〈ピクニック〉(G・7)を想起させる。吉岡実詩のスルスが直接これらだったと断定することはできないが、赤黄男句の無意志的記憶[レミニサンス]を完全に排除するわけにもいかない。櫻井琢巳《地平線の羊たち――昭和時代と新興俳句》(本阿弥書店、1992)は書名を赤黄男句「地平線羊ましろく生殖す」から採っただけあって、力篇〈『天の狼』の詩人・富澤赤黄男〉を収める(なお永田耕衣の独立した項目はなく、三橋鷹女の項にほんの少しだけ顔を出す)。私はこの赤黄男句から村上春樹の《羊をめぐる冒険》(講談社、1982)を連想したが、村上は12年後に《ねじまき鳥クロニクル》(新潮社)を出している。
●架空の書物、吉岡実撰《河原枇杷男句集》について書いた。いったいに吉岡は俳人や俳誌とのつきあいが良くて、恵投された句集についての感想や好きな句の撰がさまざまな俳誌に残されているのは幸運なことだ。その俳誌の筆頭は永田耕衣の《琴座[りらざ]》だが、高柳重信の《俳句評論》も逸することができない。吉岡が枇杷男句に出会ったのが、同誌の媒によると想われるからだ。1954年、耕衣に入門した河原枇杷男は《琴座》《俳句評論》の同人を経て、1989年まで《序曲》を編集発行した。同誌の〈蝶卍日録〉には、たとえば永田耕衣・梅原猛・川名大・津澤マサ子・杉山平一・鶴岡善久・多賀芳子・安井浩司の諸氏からの枇杷男宛の書信が引かれている。耕衣における《琴座》の〈愛語抄〉と同じ手法による、自作への反響の紹介だ。師系というものがあるとすれば、この辺が勘所かもしれない。
●インターネットで《サフラン摘み》(1976)の手製本[ルリユール]を見つけたので、購入した。以前入手した同書の改装本とは別の作者のようで(背文字の標記や配置が異なる)、誰が、いつ、何のために(高見順賞の受賞を記念して、とか)作ったものなのか、かいもく見当がつかない。《吉岡実書誌》の同書の項目の記載を補訂して、写真2点を追加した。
●孫悟空や《西遊記》関係を中心に、中野美代子の本を読みかえしている。想えば〈崑崙〉(F・8)や〈哀歌〉(J・13)について調べていたころ、その著作を懸命に読み解いていたものだ。今はそうした火急の必要がないだけに、一つの主題にどうアプローチするかを掴みたく思う。《孫悟空の誕生――サルの民話学と「西遊記」》と《西遊記の秘密――タオと煉丹術のシンボリズム》の岩波現代文庫版を手始めに、《三蔵法師》、《孫悟空はサルかな?》、《西遊記――トリック・ワールド探訪》(新刊で読了後、神保町・東京堂書店で著者署名入り本を求めたので、2冊ある)あたりは再読だが、《なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?〔岩波ジュニア新書〕》(岩波書店、2013)は初読だった。しかし今回も《龍の住むランドスケープ――中国人の空間デザイン》(福武書店、1991)に感銘した。中野美代子の著作のなかでは、これがナンバーワンだ。
●Amazonで購入した《Live Yardbirds: Featuring Jimmy Page》(1971〔2008〕)を懐かしく聴いた。ヤードバーズに最後まで在籍したジミー・ペイジはこのレコードを認めていないが、なかなかの好演だ。国内盤が出ていないのを受けて、ライナーノーツのつもりでアルバムのレビューを投稿した(〈Amazon.co.jp: Live Yardbirds - ミュージック〉)。お読みいただければありがたい。
●旧知の山田哲夫さんが田中千鳥の生誕百年を期して映画を作る。《千鳥百年 ‐田中千鳥生誕百年 | ホーム》の〈プロフィール〉に「むかしむかし、今から100年ほど前、大正という時代、山陰鳥取に詩や日記を書く少女がいました。七歳半で彗星のように消えました。1917年(大正六年)3月 鳥取県気高町浜村に生まれました。1924年(大正十三年)8月18日没。享年八歳。尋常小学校二学年でした」とある。私は今回はじめて千鳥の作品を読んだ。こうした稀有の作品が出現する背景に、千鳥自身の才能や家庭環境があることはいうまでもないが、大正時代という枠組みも無視できないと思った。母親である田中古代子の〈編集後記〉に、千鳥は学校の唱歌よりも〈ゴルキーの「どん底」の歌〉(「夜でも晝でも 牢屋はくらい/いつでも鬼奴が 窓からのぞく」)が好きで、自分たちといっしょに「夜でも晝でも」よく歌った、とあるのが印象的だ。佐藤春夫も、萩原朔太郎も、この大正という白昼夢のような時代を生きた詩人だった。

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編集後記 164(2016年6月30日更新時)

吉岡実と西東三鬼を書くために《奴草》を再読した。私はかつて《旗艦》に載った吉岡実=皚寧吉の俳句を蒐めたことがあった。そのため、どうしても稿本句集〈奴草〉だけにある句の印象が薄いのだが、今回読みかえしてみて、とても二十歳前後の人間が書いたものとは思えなかった。これが、ほぼ同時期の詩集《液體》なら、いかにも二十歳すぎの青年の作だと思えるから、作品の内実が、というよりも、俳句という型式が作者に老成を強いるのだろうか。三十三歳で俳句を始めたコスモポリタン三鬼の初期の句のほうが、時として〈奴草〉よりも若く感じられる。
●架空の書物、吉岡実編《北原白秋詩歌集》について書いた。私の書庫には岩波版白秋全集の6巻と7巻だけがある。精興社・牧製本による活版・布装函入りの、20世紀の全集本である。20年以上前、東京・荻窪の教会通りにあった古書店(深沢書店か?)で買ったものだ。栞がわりに《日本古書通信》第849号(2000年4月号)の〈古本屋の手帖〉をちぎって挟んでおいた。〈短歌俳句の校異〉に「近代の歌人俳人の作品数の多さはその〔=芭蕉や蕪村の〕比ではない。研究者は多くても斉藤茂吉短歌約一万八千首に対し歌誌掲載の初出稿、歌集の定稿、再版の改稿等一々校訂するのは困難なのだろう。ただ、北原白秋の短歌に関しては、自身による改稿や編成変更が極めて多く、岩波の全集における紅野敏郎氏等による校訂は初出稿を収録、各版との校異等も詳細を極めているのは異色と言っていい」(同誌、三六ページ)とあったからである。
●文庫本による自家製の丸谷才一全集を作っている。正確には、集めている。丸谷の主要な業績は歿後に編まれた《丸谷才一全集〔全12巻〕》(文藝春秋、2013〜14)の小説6巻と評論6巻だが、これは表向きの顔で、全貌にはほど遠い。エッセイと対談という別の、しかし極めて重要な顔が収められていないからだ。書評は《快楽としての読書 日本編》《快楽としての読書 海外編》《快楽としてのミステリー》(いずれもちくま文庫、2012)、エッセイと対談は《腹を抱ヘる》《膝を打つ》(いずれも文春文庫、2015)という傑作選が編まれたが、いずれも喰いたりない。丸谷の批評活動の全貌は、評論・書評・エッセイ・対談といった区分をとっぱらって、時系列に並べて読むに如くはない。執筆順に読んでいけば良いのだろうが、丸谷文学の研究者でない私にはそこまで手が回らない。次善の策として単行本の刊行順となるが、それも省略して文庫本で代用させてもらう。最初の評論集《梨のつぶて》(晶文社、1966)は文庫になっていないし、マガジンハウスから出た一連の書評集もほとんど文庫化されていない。だが、相当数の単行本(とりわけエッセイ)は文庫本になっているので、歯抜けになっているタイトルを古本で求めて欠を補っている。これらを読みかえすと、丸谷の持続的な関心事がわかる。民俗学、イギリス文学、日本文学の三本柱がそれで、試みに折口信夫や《黄金の枝》、《ユリシーズ》やシェイクスピア、夏目漱石や《源氏物語》に言及した文章を撰んでまとめるなら、たちどころに長短・硬軟・軽重取りまぜた一冊の論集ができあがる。百目鬼恭三郎(1926〜91)は《大きなお世話》(文春文庫、1978)の〈解説〉で「丸谷のエッセイ集には、いたるところにこの種の教養〔=過去の重層的な文化遺産を正しく受けとめて、それを未来へつなごうとするありかた〕が露頭していて、おのずから教養の百科事典の趣きを呈している。だれか、これを項目別にまとめて事典を作ったらどうかと思われるくらいである(三田村鳶魚にはその種の事典がある)」(同書、三四四ページ)と書いた。「小股の切れ上がった女」やモーツァルト、和田誠と装丁(丸谷の表記は「装釘」)などの事項や人名、書評の対象となった書名を立項した私家版丸谷才一全集の索引づくりが今後の課題である。
●MD(ミニディスク)を愛用している。MDを初めて見た若い世代が「カセットテープとCDのハイブリッド」とコメントしたというが、パッケージ系のメディアは過去の遺物となりつつある。私はこの「パッケージ」が好きで、LP4のモード(本来は会議やラジオの録音などの用途)だと、80分×4=320分にCDを詰めこんでいくことができる。オリジナルアルバムが10枚くらいのアーティストなら2枚のMDに収まってしまう。私はアラン・パーソンズ・プロジェクトの1作めから5作め、6作めから10作め(と《Sicilian Defence》)を2枚のMDに入れて全集にして、原稿書きのときに聴いている。前者は49曲で202分24秒、後者は53曲で242分42秒。寝室にはビートルズのオリジナルアルバムの新訂リマスター盤をMDに落としたボックスがあって、その傍らには亡き中山康樹の《これがビートルズだ〔講談社現代新書〕》がある(本書の形式で《これが吉岡実だ》が書かれたら、と夢想する)。寝つかれない夜は、これを聴きながら読む。これを読みながら聴く。ときには反駁しつつ。中山の新著がもう出ないと思うと、さびしくてならない。枕頭の曲を聴く所以だ。

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編集後記 163(2016年5月31日更新時)

吉岡実と石田波郷について書いた。恩地孝四郎装丁になる〔現代日本文學全集 91〕は《現代俳句集》(筑摩書房、1958年4月5日)で、《石田波郷句集〔角川文庫〕》と同じ5句集から、500句を抄録しているが、私の現代俳句との出会いは山本健吉《現代俳句〔角川文庫〕》(角川書店、1964年5月30日〔改版八版:1975年5月30日〕)だ。手許の一本は、正岡子規から永田耕衣まで42人の俳人の名を連ねた目次の、子規と夏目漱石、石田波郷に鉛筆で○印が付いている。40年前に新本で買ったから私が付けたものに違いないが、まったく憶えがない。巻末の〈作者別引用句索引〉の作者では、高浜虚子、富田木歩、水原秋桜子、山口誓子、川端茅舎、石田波郷、西東三鬼、永田耕衣に印が付いている。吉岡実が随想で触れた俳人をマーキングしたものか。
●架空の書物、吉岡実編《西脇順三郎詩集》について書いた。むろんこんな本があるわけではなく、私たち読者にとってあらまほしき書物、あっておかしくない書物の謂であって、例によって一種の思考実験である。1959年当時、現代詩人会幹事長だった西脇順三郎が書くべき《僧侶》評が「H氏賞事件」の余波で雲散霧消してしまったことは惜しんでも余りある痛恨事だが、吉岡実編《西脇順三郎詩集》はしかるべき出版社が(例えば思潮社が《現代詩手帖》の〔西脇順三郎特集〕、あるいはこちらは実在する出版物だが《現代詩読本 西脇順三郎》の一企画として)推進すれば実現したかもしれない。それと田村隆一編《西脇順三郎詩集》と同時掲載、というのは大胆すぎるプランだろうか。萩原朔太郎の詩から三好達治と西脇順三郎の詩業が生まれたとすれば、西脇順三郎の詩から田村隆一と吉岡実の詩業が生まれたと考えることもできるだろう。本稿とあわせて〈吉岡実と西脇順三郎〉もお読みいただけるとありがたい。
●必要があって旧稿《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》を 全ページ(A4判縦位置で印刷すると約306ページ)、プリントアウトして読みかえした。公開時に充分チェックしたつもりだったが、何箇所か誤りを見つけた。最終更新(2013年5月31日)以降の状況の変化に対応した修正も必要だったので、字句の訂正や追記の形で本文に手を入れた。→で異同を示す箇所の(削除)は(トル)に統一した。KompoZerのバグによる不要の半角スペースは、ひとつひとつ手で修正した。引用した詩篇のふりがなは〈ruby〉のタグを用いて原文を再現していたが、画面上でもプリントアウト上でも意図した表示になっていないので、ふりがなを[ ]に入れる方式に変更した(傍点も同じ)。引用といえば、詩句の行数を表示するライナーが行頭にあったり行末にあったりしてまちまちだが、各評釈の執筆時点で良かれと思う書き方に従ったのであえて統一しなかった。これをもって現時点での定稿とし、吉岡実歿後26年の記念としたい。ちなみに《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》のテキストは400字詰め原稿用紙で約1100枚、画像が51点。吉岡実に関する私の主要な著作ということになる。
●グリン・ジョンズ(新井崇嗣訳)《サウンド・マン――大物プロデューサーが明かしたロック名盤の誕生秘話》(シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年3月13日)を拾い読みした。お目当ては〈1968年10月、レッド・ツェッペリン〉。ある日、ジミー・ペイジから新しいメンバーと組んだバンドのマテリアルが揃ったのでアルバムを作る、ついてはエンジニアを担当してほしいと電話がかかってきた(ジョンズとペイジは同郷で、若年のころ同じバンド!にいたこともある由)。これが9日間、36時間で録音したデビューアルバム《レッド・ツェッペリン》(アトランティック、1969)。「彼らが創出したサウンド、彼らが考案したアレンジ、彼らの楽才の水準、そのどれもが等しく驚愕だった。彼らが用意していたものがわたしの目の前で次第に姿を現わしていくなか、セッションは回を重ねるごとにわくわく感を増していった。わたしはただ録音ボタンを押し、あとは椅子の背に身体を預け、僕は今、重要な現場にいるのだという興奮を抑えていればよかった。/このアルバムのステレオ・ミックスは間違いなく、わたしが手がけたなかでも指折りのサウンドを誇るが、称えるべきはバンドだ。わたしがしたのは彼らが繰り出すものを忠実にテープに収めるよう努めただけで、あとは雰囲気を際立たせるべくそこここにエコーを多少加えたに過ぎない」(同書、一三七〜一三八ページ)。アルバムの出来に自信を持っていたジョンズだったが、アセテート盤を聴かされたミック・ジャガーも、オリンピックスタジオでマスターテープを聴かされたジョージ・ハリスンもまったく評価しなかった。ジョンズはそのときのジョン・ボーナムのドラムサウンドに触発されたマイクのセッテイングとステレオ録音の方法で今日、歴史に名をとどめる(もっとも、ボーナムは録音されたドラムサウンドに不満だった)。「この手法について、さまざまな説明がYouTubeにアップされていて、いずれもそれこそがわたしのやり方だと断言している。けれど、どれもまったくもって正確とは言えない。そもそも、大方の予想に反して巻き尺は使ったこともないし、そんなに厳密なものじゃない。常識を用い、うまくいくと信じ、ドラム・セットと目の前でドラマーが供しているバランス、そしてそのドラマーが叩いているものに応じて微妙に調節する、それだけの話だ」(同書、一四〇〜一四 一ページ)。ドラムセットとドラマーでひとつの楽器なのだから、いくら私がボーナム遺愛のラディックを叩いても、あの音は出ない。グリンの実弟であるアンディ・ジョンズ(1950-2013)も前期レッド・ツェッペリンのエンジニアとして活躍した。〈When the Levee Breaks〉のドラムサウンドを手掛けたのは彼だ。ボーナムもこれには満足したという。

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編集後記 162(2016年4月30日更新時)

俳人の作歌として田尻春夢の短歌と吉岡実の俳句のことを書いた。〈「短歌のすすめ」短歌と私(43)私の愛誦歌(9)   吉岡 実 ( 短歌 ) - 日々の気持ちを短歌に - Yahoo!ブログ〉に〈忘れ得ぬ一俳人の一首〉が掲げられている。吉岡文以外のオリジナルの文章(紹介など)が記されていないようで、なぜ掲載されているのかわからない。田尻春夢で検索するとこれがヒットするから、春夢の辞世の句とともにこの歌が広く知られることになるかもしれない。
●このところ、吉岡実と俳句の関係について考えることが多い。吉岡の主戦場はいうまでもなく「現代詩」だが、いちばん愛読したのは同時代の俳句(どうも「現代俳句」とは呼びたくない)であり、いちばん愛した詩型は俳句だったのではないか。永田耕衣への傾倒は措くにしても、俳句の雑誌への寄稿や立風書房の一連の俳書への参画を見ると、そう考えざるをえない。だがその俳句愛がどのように吉岡の詩作へ還流したかははっきりしない。というか、そもそも関係があるのかさえよくわからない。いったい吉岡実にとって俳句とはなんだったのか。
●《小笠原鳥類詩集〔現代詩文庫222〕》(思潮社、2016年4月1日)が出た。第一詩集《素晴らしい海岸生物の観察》(思潮社、2004)全篇――巻末の〈動物論集積 鳥〉が圧巻――、続く《テレビ》(同、2006)の抄録、未刊詩篇〈寒天幻魚 かんてんげんげ〉を収める(〈未刊詩篇初出一覧〉のあるのがなんとも素晴らしい)。小笠原さんの詩の特徴は「反抒情の極北を指す、ことばの未知の光景」(本書帯文)であるのは誰しも認めるところだが、私が強調したいのは詩篇執筆に際して参考にした資料や引用の典拠を掲げている点だ。どうやらそれらは実在する書物のようだが(残念!)、たとえ架空のものであっても少しも不思議でないのが小笠原鳥類詩なのだ
●ビートルズのCD《Anthology》の2(1996)の後半と3(同年)が面白い。ライヴをやらなくなってスタジオにこもりはじめた時代の音源で、ジョン・レノンの楽曲が興味深い。アコースティックギターを抱えての弾き語りが多いが、公式のスタジオ録音のようには歌声が加工されておらず、楽曲の構造も透けて見える。作曲の水準はポール・マッカートニーが高い。ポールのアコースティックギターは、ベースラインを効かせた分散和音がすばらしく、アレンジも卓抜だ。自身の鉱脈を掘りあてたジョージ・ハリスンのメロディラインは鮮かになった。ビートルズの4人は1968年5月下旬(のちの《The Beatles》の録音のためにアビー・ロード・スタジオに入る直前)、2月のインド滞在中に作った楽曲をデモ録音した。その「イーシャー音源」からの7曲が《Anthology 3》に収められている。小西勝の《英国フォーク・ロックの興亡》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2015)によれば、「イーシャー音源」は「『ホワイト・アルバム』のアコースティックなアンプラグド・ヴァージョン」・「『ホワイト・アルバム』のデモ音源のなかには、実現することのなかった、ビートルズの幻のフォーク・ロック・アルバムのコンセプトが隠されている」(同書、一一九・一二〇ページ)。《ホワイト・アルバム》こと《The Beatles》(1968)のわかりにくさに「イギリスのフォークロック」という視点を導入すると、蔓の絡んだ藪のような同アルバムの姿がかなりすっきりする。とりつきにくいものを二つ重ねることで見えてくるものがある。
●ようやく耳に馴染んだポール・マッカートニーのナンバーを収めたソロアルバムを聴きはじめた。《McCartney》(1970)、《Ram》(1971)、ウイングスを率いた8枚のアルバム、《McCartney U》(1980)、《Tug of War》(1982)、《Pipes of Peace》(1983)、《Give My Regard to Broad Street》(1984)、《Press to Play》(1986)、《Flowers in the Dirt》(1989)、《Off the Ground》(1993)、《Flaming Pie》(1997)、《Driving Rain》(2001)、《Chaos and Creation in the Back Yard》(2005)、《Memory Almost Full》(2007)、《New》(2013年)。マッカートニーはベースはもちろん、ギターが堪能なだけでなく、ピアノやドラムスにも長けていて、作詞・作曲(アレンジ)、歌となんでもござれだから、マルチトラックを使った文字どおりの「ソロ」の音源がたちまちできてしまう。それゆえ、その溢れる才能をきちんとプロデュースしないと締まりがなくなるわけで、今までどうも食指が動かなかった。だが落ち着いて考えてみれば、独りで原稿を書いてウェブに発表する者にとってこの稀有の音楽家の作品が参考にならないわけがない――などと大上段に構える必要はない。ただ聴くだけで面白いのだ。とりわけ惹かれたのが宅録の《McCartney》ときちんとプロデュースされた《Chaos and Creation in the Back Yard》の2枚である。「ワンマンレコーディング」という言葉があるか知らないが、一人多重録音の世界でなにができるかが見事に立証されている。近年のライヴでも歌声がほとんど衰えていないのには驚かされる。

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編集後記 161(2016年3月31日更新時)

《指揮官夫人と其娘達》あるいは《バルカン・クリーゲ》のことを書いた。インターネットで調べていたら、東京書院版《バルカン戰爭》を紹介したページがあった。書影を13点掲載していて、見応えがある。ジャケット(?)の表紙に書名の、背に書名と版元名の、裏表紙に版元名の貼込があるようで、それなりに凝っている。だが、いかんせん資材が貧相なのは否めない。一方、別丁本扉(?)は赤と黄とスミの3色刷で、鮮やかだ。本文は周囲をエロティックな絵で縁取りしてあって、これは当時の東京書院版がよく用いた手法。こうすると、1ページに収容する文字数が少なくなり、ページ数が増える。《指揮官夫人と其娘達》の本文は、冒頭部分の写真版を見るかぎり子持ち罫で囲ってあるが、こちらはページ数稼ぎという感じはしない。
田村義也装丁作品目録と装丁作品サイトのことを書いた。田村の《のの字ものがたり》(朝日新聞社、1996)には岩波書店の学術書の装丁(一六八ページ)、貼函の製作(一九五ページ)といった興味深い記載が多いが、「あれ〔添田知道作詞〈東京節〉〕は街頭でやっている救世軍の楽隊を聞いていて、それに詞をのせたものなんだよ」(一五四ページ)という添田語録がいちばん面白かった(原曲は〈大きな古時計〉で知られるヘンリ・クレイ・ワーク作曲の〈ジョージア行進曲〉)。こうした具体的な挿話の厚みが、あたかも田村装丁本のようなコクを湛えた一書である。本書はもちろん田村の自装。堀川貴司《書誌学入門――古典籍を見る・知る・読む》(勉誠出版、2010年3月29日)には、版心題(スペースの関係で簡略化されている題が多い)しか手掛かりのない書物の同定では同じ版心題で外題のある伝本を調査することが必要だとしたうえで、「将来的には、各所蔵機関が共通した項目を備えた古典籍の書誌データを記述し、共有するシステ ムが出来ることが理想でしょう。/さらに、すべての内容が画像によって公開されれば理想的ですが、少なくとも表紙・巻首・刊記奥書などの重要な部分の画像をそのデータに付けてもらえれば、大いに参考になります(逆に、現在公開中のフル画像の古典籍には、書誌情報を付加していく努力が必要だと思います)。/また、書誌学調査のツールとしては、インターネットで検索できる蔵書印や筆跡、奥書、刊記等のデータベース(画像を伴うもの)の作成も望まれます」(〈おわりに――書誌学の未来〉、同書、二四九ページ)とある。田村義也装丁本を古典籍と同列に論ずべきではないだろうが、モノとしての書物の側面(堀川による「書誌学」の定義)を考える際の有効な手段であり、充分に活用できよう。書誌学調査のツールとして画像データベースは、今後ますます重要となるに違いない。
●ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンが去る3月8日、亡くなった。90歳だった。ジョージ・マーティン(水木まり訳)《メイキング・オブ・サージェント・ペパー(Summer of Love)》(キネマ旬報社、1996年5月1日)を再読して、マーティンを偲んだ。私はかつて〈神秘的な時代の詩〔集〕――吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈(終章)――長篇詩の試み〉の〈ビートルズ《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》の波紋〉で、同書から400字ほど引用したことがある。論旨に関わる文言としてはなんの過不足もないが、マーティンの評価があまりにも面白いので、そこに引かなかった箇所を掲げる。「私がこのアルバムに自信を持てるようになったのは、キャピトル・レコードの傲慢社長、アラン・リヴィングストンのおかげだった。彼は我々の様子を探りにロンドンに来ていた。〔……〕私は彼に〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉を聴かせた。この歌は彼にショックを与えた。彼はすっかり仰天してしまった。奇妙な歌詞、アヴァンギャルドなプロダクション、そういった歌の一部始終が彼を仰天させた。彼は感嘆のあまり声も出せなかった。/そのとき私は、安心していいのだと悟った。/〔……〕/もしも〈ストロベリー・フイールズ・フォーエヴァ〉と〈ペニー・レーン〉を〔シングルの〕ダブルA面として1966年に発売せず、《ペパー》に収録していたら、その代わりにどの曲がアルバムから消えていただろう。〈ウィズィン・ユー・ウィズアウト・ユー〉かもしれない。だが、そうするとアルバムにいつもジョージ・ハリスンの歌を入れるという黄金律を破ることになる。そうなると〈ラヴリー・リタ〉と〈ホエン・アイム・シクスティフォー〉ということもあり得る。これら魅力的な2曲を加えて《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》を編集し直したら、どんなアルバムになっていただろう? あれこれ想像してみるのは楽しい」(同書、二二一〜二二二ページ)。《神秘的な時代の詩》は吉岡の《ペパー》だった。

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編集後記 160(2016年2月29日更新時)

吉岡実日記の手入れについて書いた。吉岡は日記を継続的に書くことはなかったが、こんにち目にすることできるそれは、いずれも再読三読に値する重要なものだ。現に「――〈日記〉と〈引用〉に依る」と副題にある《土方巽頌》は、当の日記がなければこれほど重層的な記述にはならなかっただろう。同書や吉岡の随想に象嵌されている日記を綴りあわせた《吉岡実日記》を編むことで、いろいろと新たな発見がありそうだ。いつの日か試みてみたい。
《朝日新聞》の〈装丁でも才能発揮する詩人の吉岡氏〉を書いた。記事が出た1976年4月当時、わが家では同紙を購読していた(私が会社勤めをするようになってからは、《日本経済新聞》)。その新聞を切り抜いてスクラップしたはずなのだが、《1970年代後半》という吉岡実参考文献のファイルに見あたらない。なにかの折に抜きだして戻しておかなかったのだろう。しかたがないので、文献目録を頼りに図書館で縮刷版をコピーした。そのくせ、書庫を整理していると同じ本や雑誌が複数出てくるのにはあきれる。関心事はみごとなまでに継続している。
●イタリアの哲学者・小説家ウンベルト・エーコが2月19日(日本時間20日)、亡くなった。84歳だった。エーコといえば(河島英昭訳)《薔薇の名前》(東京創元社、1990)だ。私の1990年6月16日(土)の日記――「昼、急に強い雨。吉岡実逝去を報ずる《琴座》第四六○号届く。健在なら参加したであろう永田耕衣旭寿の会が葬儀の当日だった由。書かれざる《永田耕衣頌》を想像して、吉岡と耕衣の縁を偲ぶ。午後、ひきつづき〈マクロコスモス〉論に手入れ。WP上で訂正した第三稿をつくる。深夜、LDで《薔薇の名前》を観かえす。吉岡は小説《薔薇の名前》は読んだだろうか。〈僧侶〉の詩人の感想が聞きたかった」。なんとした偶然だろう。2月20日は、ウンベルト・エコ(谷口勇訳)《論文作法――調査・研究・執筆の技術と手順》(而立書房、1991)を読んでいる最中だった。来るべき吉岡実の引用詩論のために、エーコが引用についてどう書いているか確かめたかったからだが、ここはそれに触れる場所ではない。エーコはこの初学者のための手引書で「学問上の矜持」についてこう述べている。「悠然と,「こう思う」とか「こう考えられる」と言いたまえ。君が語っているときには,君が[・・]エキスパートなのだ。〔……〕君はその特定テーマについて共同体の名において語る人類の役人なのだ。ものをいう前には謙遜かつ慎重でいたまえ,だがいったんしゃべり出したときには,高慢かつ尊大でいたまえ。〔……〕そのテーマについて語られたすべてのことを要約しただけで,何ら斬新なことを付け加えていない,編纂的な論文を選んだとしても,君は他の権威者たちによって語られたことについては一権威者なのだ。そのテーマについて語られたすべての[・・・・]ことを,君以上によく知っている者は皆無のはずである」(同書、二二二ページ)。この碩学にしてこの言あり。

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編集後記 159(2016年1月31日更新時)

永田耕衣の書画と吉岡実について書いた。先だって永田耕衣書画集《錯》を入手し、耕衣の書や画を堪能した。吉岡実が耕衣の句はもちろん、その書画に心酔したことは、公刊された随想集や未刊行の耕衣宛書簡に記されている。吉岡編纂になる《耕衣百句》は耕衣の句と吉岡の関係を語って余す処がないが、書画のやりとりを含めた交友を偲ばせる二人の往復書簡が、両者の全的な関係を示してくれるに違いない。そんな思いから本稿を書いた。それにしても不思議なのは、耕衣が自著の装丁を吉岡にしてもらっていないこと、そして当然それにも関わるが、吉岡が耕衣の書画を装丁に使っていないことである。双方とも、あくまでも文人として(「画の人」としてでななく)付きあっていた、ということの証だと考えたい。
栃折久美子の〈吉岡さんの装幀〉を書いた。本文でも触れた臼田捷治は《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》(みずのわ出版、2015)で、栃折は題字類を手書きで仕上げていたと、かつて栃折装丁を論じた《装幀時代》(晶文社、1999)では言及しなかった点を事後報告している。題字の精度の高さゆえの誤認だったという。ひとつの事実を公けにするのに、かくも長い年月を要することがあるのだ。ところで、私は栃折久美子装丁本では、井上究一郎《ガリマールの家》(筑摩書房、1980)がいちばん好きだ。あのグレーの函と表紙の手触りを確かめたくて書庫を探したのだが、どこに雲隠れしたのか、いっこうに出てこない。
●近年発行のルリユール関連の一般書を続けて読んだ。いせひでこ《ルリユールおじさん》は197×270ミリメートルの横長絵本で、2006年9月に理論社から初刊が、2011年4月11日には講談社から〔講談社の創作絵本〕として再刊が出ている。まるで映画を観ているようだ、という言い回ししか泛かばないのが歯痒い見事な作品。三二〜三三、四五ページの図解的な処理も違和を覚えるどころか、細部に見入ってしまう。手許に置いて、何度も繰り返してページを翻したくなる逸品だ。「「ルリユール」ということばには「もう一度つなげる」という意味もあるんだよ」(同書、二五ページ)。もう1冊、村上早紀《ルリユール》(ポプラ社、2013年10月10日)は児童向けの物語。主人公の少女の母親(図書館の司書だが、物語には直接登場しない)の修復の話などもっと書きこんでほしかったし、黒猫工房でのルリユール作業の描写もコクがない。「美しい本の作り方を教えてあげましょう。人類の文明が続く限り、航海をやめない箱船。心をのせ技術をのせて、時を渡る船。あなたもそんな箱船を流すひとりになれる――」(同書、〔三ページ〕)というエピグラフを読んで当方が期待したものとは違った、ということか。このファンタジーの世界に没入することはできなかった。
●いずれ近いうちにと思いつつ叶わない願いはこの人生で数えきれない。吉岡実がアンケートで推薦した「《喜楽》(渋谷・道玄坂)の野菜のたっぷり入ったもやしそば」を食そうと志しながら、今日まで果たさずにきた。〈【渋谷・喜楽】名物オヤジ引退!超有名店のもやしと揚げネギたっぷり醤油ラーメン - 己【おれ】〉と聞けばなおさらだが、1月下旬、渋谷にいて時分時だったのをさいわいに「もやし麺」(800円)を食べた。厨房には6人ほどの料理人がいたが、吉岡がアンケートに答えて42年。店が、メニューが存続しているだけでありがたい。喜楽のはす向かいには道頓堀劇場もある道玄坂百軒店は、吉岡のホームグラウンドだった。
●小西勝《英国フォーク・ロックの興亡――ポップとトラッドの接点から生まれた音楽を巡る旅》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2015年10月20日)を熟読した。これはノートをとって、YouTubeで楽曲を検索して、学究のように自分の関心のある音楽の系譜をたどるに値する、驚くべき書物である。本文では人名・作品名(アルバムタイトルや曲名)がカタカナ表記だが、ページ下部の欄外には原綴りで重要アルバムが紹介されているから、なんとかなるだろう。「それでも〔デイヴィ・〕グレアムがいなければ、この地のアコースティック・ギター・ミュージックはまったく別の道をたどったにちがいない。彼が撒いた種は、バート・ヤンシュらの手によってより高い次元で開花し、ジミー・ペイジ在籍時のヤードバーズをあいだにはさんで、英国音楽史上もっとも大音量のフォーク・バンド、レッド・ツェッペリンへと引き継がれていくのだから。」(本書、四九〜五〇ページ)という一節には、衝撃に近いものを覚えた。以下の5ページは、「英国音楽史上もっとも大音量のフォーク・バンド」=レッド・ツェッペリンの考察として、必読に値する。

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編集後記 158(2015年12月31日更新時)

《うまやはし日記》のために、を書いた。そのあとのことだが、買ったままだった松本哉《すみだ川を渡った花嫁》(河出書房新社、1995年10月25日)を引っぱり出してきた。〈厩橋の風光明媚〉に「近いうちに絵を書きたいと思っているのはこの橋の上だ。ここから浅草方面を見た景色がたいへんよろしいのである。駒形橋が見え、その向こうに浅草と本所の街が見える。大きな金玉を載せた黒いビルやビールのジョッキを思わせる建物もご愛敬。観光船の行き交う水面もほどよいスペースで見えるし、この厩橋の造りもなかなか変わったものである。これら全部を取り込めば川と橋の美、および付近の発展と賑わいが手に取るようにわかる。現代のすみだ川を代表する景観であろう。/真夏の「隅田川花火」もここの水面から上がる」(同書、一〇〇ページ)とある。文だけでなく絵もよくした著者だけに、説得力がある。
〈吉岡実の装丁(作品)を最初に論じた文章〉は、吉岡実装丁に対する最も早い論考の回顧である。あと何回か重要な吉岡実論の歴史的展望を総括していきたい。来るべき《装丁家としての吉岡実》における、先行文献の顕彰という位置づけだ。
●このところ必要に逼られて、書籍の処分をメインに、書庫を整理している。久しく引越しをしていないので、ほそぼそと溜めた本でも収まりきらずアクセスもままならない。本サイトで執筆するために必要な本や雑誌やコピーや切り抜きが「どこかにあることは確かなのだが」状態が限界を超えているのだ。よって、過去に記事にした資料は英断のすえ売りはらうことにした。要するに手許に残すのは、これから執筆するのに必要な一次資料(吉岡実の著作や装丁作品)と厳選した二次資料(吉岡実論や周辺資料)ということになるわけだが、副本には副本の価値があるので、おいそれと処分できないのが辛いところだ。と言いつつも、何冊かは手放した。
●児童文学作家の舟崎克彦(ふなざき・よしひこ)氏が去る10月15日亡くなった。70歳だった。Wikipediaには「1973年、単独で執筆した初めての長編ファンタジー『ぽっぺん先生の日曜日』を出版社5〜6社に持ち込んだところ、それまでの児童文学とあまりに違っていたのでことごとく拒絶反応を受けたが、高橋睦郎によって紹介された吉岡実の仲介で筑摩書房からの出版が決定。以後、シリーズ物となって刊行されている」とある。《ぽっぺん先生の日曜日》は未読だったので、これを機に読んだ。動植物(とりわけ鳥の名前)が惜し気もなく書きこまているのが、なんとも嬉しい。書評をくまなく読んだわけではないが、これは《不思議の国のアリス》へのオマージュではあるまいか。アリスではコーカス・レースをするドド(ドードー鳥)が、本書にも出てくる。

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編集後記 157(2015年11月30日更新時)

〈アリス詩篇〉あるいは《アリス詩集》について書いた。詩篇と詩集は本文にあるとおりなので、まずルイス・キャロルのアリスのことを書こう。柳瀬尚紀訳でアリスを再読した。〈「少女の夢のはらみ方」――吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈(10)――〈少女〉〉の題辞に引いた箇所は「「あたし――あたしは女の子よ」アリスはいったが、いささかあやふやだった。この日、何度も変わってばかりなのを思い出したのだ。」(《不思議の国のアリス〔ちくま文庫〕》筑摩書房、1987年12月1日、七三ページ)だった。この、常体が好い。一方、吉岡が〈わがアリスへの接近〉で引用した岡田忠軒訳と同じ箇所は「「この子の花弁[はなびら]がもうちょいとカールになっていれば、とやかくいうところはないんだ」」(《鏡の国のアリス〔同〕》同、1988年1月26日、三六ページ)。
●沢渡朔の《少女アリス》(河出書房新社、1973年12月15日)はわが国のアリスブームの火付け役となった写真集だったが、アリス役のモデルはサマンサ・ゲイツ、当時8歳。サマンサはヒプノシスが手掛けたレッド・ツェッペリンの《聖なる館》(アトランティック、1973年3月26日)と《プレゼンス》(スワン・ソング、1976年4月6日)のジャケットにも登場する。同じ年に発表された写真集とアルバムのジャケット撮影はどちらが先か、web上のページによっては見解が異なるが、発表の時期や制作期間を考えると後者だろう。《聖なる館》のフォトセッションは1972年11月、《少女アリス》撮影のための沢渡の滞英期間が1973年9月10日〜29日。「沢渡 なんというのかなあ、アンドリュー〔ロンドンでの撮影のプロデュースとコーディネートをしたアーティスト〕もそうだけと、あの頃のロンドンて、やっぱりロックでしょ。『少女アリス』もロックだったのかもしれない。若い人同士に通じるものがあったんじゃないかな? 当時おれは30代前半、アンドリューも30代半ばで、みんなロックが好きな人たちだった。ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンなどの名作のレコードジャケットをたくさん作った「ヒプノシス」(1968年に結成された)というデザイン・グループに、パウエル(オーブリー・パウエル)という人物がいたんだけと、彼がアンドリューの友達で、ストロボを貸してくれたり、サマンサを推してくれたのも彼がいたからかもしれない。「ヒプノシス」は、当時イギリスのロックバンドのレコードジャケットの名作をいっぱい作った、デザイナーであり写真家でもある人たちです。レッド・ツェッペリンのレコードジャケット〔……〕で、ジャイアンツ・コーズウェーに上っていく写真があって、それに写っているのはサマンサです。『少女アリス』の前にその写真は撮られているんで、サマンサを連れてきたのはたぶん、パウエルじゃないかと思う」(沢渡朔・桑原茂夫〔対談〕〈ロックの自由な発想と重なっていた!〉、沢渡朔《少女アリス〔スペシャル・エディション〕》河出書房新社、2014年10月30日、一二ページ)。《少女アリス》の方が先だという説はストーム・トーガソン、オーブリー・パウエル編著(篠原和子訳) 《100 ベスト・アルバム・カヴァーズ》の「子供たちは未来、裸は無防備の象徴だ。二人の子供はサマンサ・ゲイツとステファン・ゲイツ、実の姉弟だ。選んだ理由は、ふたりがすでに日本の写真家、沢渡朔の『不思議の国のアリス』〔ママ〕でヌードになっていたからだ」(ミュージック・マガジン、2001年11月10日、七七ページ)というコメントに引きずられたせいに違いない。沢渡から贈られただろう《少女アリス》を観たオーブリー・パウエルが記憶に混乱をきたすほど、衝撃的な写真集だった。
●Wikipediaには《プレゼンス》の1950年代アメリカを想起させる日常的な情景の写真は《ライフ》から採られたとあるが、《ナショナル・ジオグラフィック》1956年8月号に想を得た表ジャケットの四人家族の団欒図と、裏ジャケットのサマンサ(と弟のステファン?)と女教師の写真は、ヒプノシスとジョージ・ハーディ(「オブジェ」を手掛けたデザイナー)の編著(奥田祐士訳)《アートワーク・オブ・ヒプノシス》(宝島社、1993)に拠れば、パウエルとピーター・クリストファーソンの撮りおろしである。《プレゼンス〔リマスター/スーパー・デラックス・エディション〕》(スワン・ソング、2015年7月31日)のブックレットにあるフォトセッションが1976年なら、サマンサはこのとき11歳。沢渡=サマンサの第二作《海からきた少女》(河出書房新社、1979)には、妖しいまでの幼女の面影はもはやない。吉岡自身がレイアウトした初出〈ルイス・キャロルを探す方法〉の扉写真(乞食の少女に扮したアリスの全身像)、すなわちキャロルが撮ったアリス・リデルは、撮影当時6歳だった。
●《吉岡実の詩の世界》は今月、創設13周年を迎えた。本サイトは秋元幸人の《吉岡実アラベスク》(書肆山田、2002年5月31日)が刊行された半年後に創設した。秋元本が吉岡実詩について詳述した内容だったから、私は詩人としての吉岡に加えて装丁家としての吉岡を視野に収めた調査・研究を志向したのだった。前出の私版《アリス詩集》を秋元幸人(1961.6.10.-2010.4.29.)に捧げて、併せて本サイトの当初の企図が達成されつつあることを報告したい。

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編集後記 156(2015年10月31日更新時)

吉岡実のフランス装について書いた。本稿は夏頃から準備を始めたが、それに先立って前川佐美雄と斎藤史の歌集を入手し、9月には竹之内静雄(古田晁の後継として筑摩書房の2代目社長を務めた)旧蔵の《静物》を需めた。私が読んだことのある《静物》の初刊は、高見順旧蔵の日本近代文学館所蔵本と、吉岡の生前、田村書店で購入した鮎川信夫旧蔵本(《僧侶》よりも《静物》を択んだので、吉岡さんから褒められた)と、今回、静岡市の太田書店から購入した本書で、いずれも献呈署名入り。久しぶりに吉岡本を古書で手に入れたが、本稿執筆のための資料であると同時に、自祝の意味もある。これで《静物》以降の、戦後刊行された吉岡のすべての単行詩集が複数冊揃ったわけだが、そうした理由でも付けないことにはなかなか手が出せるしろものではない。さて来月11月は、本サイト《吉岡実の詩の世界》創設13周年である。吉岡実歿後25年の年の記念になるような企画を準備しているので、ご期待いただきたい。
●晴れた土曜日の午後、神保町のOKIギャラリーで〈永田耕衣展――著作と短冊と〉(9月29日〜10月9日)を観た。耕衣の短冊に対面するのは、1992年の京王百貨店新宿店での〈永田耕衣92翁92短冊展〉以来だ。同年に沖積舎から出た《狂機》の題字を掛け軸に表装した一幅が目を惹いた。耕衣の短冊には手が出せなかったので、手許になかった《錯》(永田耕衣書画集刊行会、1986)を購入し、沖山隆久さんと耕衣の書や吉岡実の色紙(毛筆による俳句)のことなどを話した。沖山さんは《耕衣全集〔全五巻予定〕》の企画が頓挫したことを嘆いておられた。まさに印刷物による個人文学全集にとって冬の時代である。
●インターネットで閲覧していると、「これは」というものに出会う。イアン・ペイス(ドラムス、Deep Purple)を中心とする〈Sunflower Superjam 2012〉というロイヤル・アルバート・ホールでのチャリティーコンサートで、セッションバンド――ブルース・ディッキンソン(ヴォーカル、Iron Maiden)、ブライアン・メイ(ギター、Queen)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース、Led Zeppelin)、ブライアン・オーガー(オルガン、Trinity)をメンバーとする――がDeep Purpleの〈Black Night〉(1970)を演っているのには驚いた。演奏(メイがエンディングの入りをはかりそこねているのはご愛敬)にではなく、この面子にである。音楽雑誌を読んだり、 ラジオを聴いたりしなくなって久しいので、こういうイヴェントがあったこと自体知らないのだ。若死にすることが多いハードロック系のドラマー(キース・ムーン、ジョン・ボーナム、ジェフ・ポーカロ、コージー・パウエル)の中にあって、切れ味鋭いドラミングのイアン・ペイスが健在なのは頼もしい。
●Queenといえば、フレディー・マーキュリーが死んで、ジョン・ディーコンが引退して、音楽界にいるのはブライアン・メイとロジャー・テイラーだけになってしまったが、先日、Night of Queenという楽団(リードヴォーカルがJohan Bodingで、Night of Queen Band & Choirというのが正式名称)がカヴァーするQueenの曲の数数を視聴して、感心した。とりわけ女性を交えた8人編成のコーラスには唸った。一体にロックバンドの場合、録音に凝るようになるとステージで再現することが難しくなる(例えば後期ビートルズ)。Night of Queenは、劇団のように整然と歌唱と演奏をこなしている(ブライアンの多重録音も、二人のギタリストが分けあっている)。コーラスをフィーチャーした曲、なかでも〈The March of the Black Queen〉の出来がよいように思う(カメラは酷いが)。

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編集後記 155(2015年9月30日更新時)

「無尽蔵事件」について書いた。吉岡実が1959年に結婚して、最初に住んだのが渋谷区竹下町二十七アパート向陽七号室だった。随想〈消えた部屋〉にはこうある。「古いコンクリートの建物で、二階の通りに面した部屋でした。〔……〕原宿駅の竹下口前の通りをへだてて、横丁がありました。小さな坂を降りると、すぐに菊富士ホテルがあり、若干の商店も並んでいました。余談ですが、当時、世間を驚かせた、外国人神父のスチュワーデス殺人事件松本清張の小説『黒い福音』の主人公たちの逢いびきの場所、それがこのホテルだったそうです」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二七五ページ)。吉岡が読んだであろう《黒い福音》(中央公論社、1961)を読んでみようと思いつつ、未だに果たしていない。
ジャック・ブルースの《Songs for a Tailor》(1969)をCDで聴いた。《Goodbye Cream》(1969)は初めて買ったロックのLPだったが、ブルースのソロも愛聴した。このアルバムはジョン・ハイズマンやクリス・スペディングといったジャズ畑のミュージシャンとのセッション、自身がギターやチェロを弾いたクリームの音楽の延長線上にあるもの、のちにフェリックス・パパラルディ率いるマウンテン(レズリー・ウェストのピッキングハーモニクス!)がカヴァーした〈Theme for an Imaginary Western〉といった曲が収められた、収録時間が31分強とは信じられないヴァラエティに富んだ作品集である。なお、ギターのL'Angelo Misteriosoは《Goodbye Cream》の〈Badge〉で客演したジョージ・ハリスン。ハリスンとクリームの関係は、エリック・クラプトンばかりではなかった。
●クリームといえば2枚組のアルバムの先駆者だが、その《Wheels of Fire》(1968)は1枚がスタジオ、もう1枚がライヴ録音だから、渾然たる世界とは言いがたく、現に同じデザインで地色違い(銀と金?)のジャケットで別売りされたLP盤もあった。一方、《The Beatles》(1968)や《Physical Graffiti》(1975)は全曲スタジオ録音で、絞りこんで1枚物にすればとてつもない、つまりビートルズやレッド・ツェッペリンの最高傑作[ベストアルバム]になったかもしれない、などど考えたこともある。はっきり言えば、これらの2枚組が苦手なのだ。ところが近年では様子が変わってきた。先入観を払うべく、それぞれのアルバムをランダム再生で聴くと、個個の曲に注目することになって、これがけっこう良い。《Physical Graffiti》は、このアルバムのための新録音だけを収めた盤(53分39秒の自家製である)も捨てがたい。《The Beatles》は――こちらはやっていないが――メンバー4人全員が録音に参加した曲だけ、ポール・マッカートニーが書いた曲だけ、リンゴ・スターがドラムスを叩いている曲だけ、という選曲もありえて、ジョージ・マーティンになりかわって収録曲や曲順を自在に設定した45分ほどの1枚物を想像する愉しみは尽きない。

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編集後記 154(2015年8月31日更新時)

●吉岡実詩における難語、「ねはり」と「受菜」について書いた。私は自分で書く文章中に意図的に造語を登場させることはない。ただ顧みて、ある語を本来もっているのとは異なった意で用いていることはあるかもしれない。難語が登場する背景はそうしたものだろうか。語は文中に、文は文章中に置かれ、その制約を受ける。全体がわからなければ、個個の語の意味もわからない。一方で、文章全体は個個の文、文は個個の語から成る。すなわち、鍵となる語の意味が文章全体の意味を左右/決定する。吉岡実の散文は、難語を含む率がその詩に較べて相対的に低いだけであって、両者の構造がさほど異なるわけではない。それは、書く前にじっくりと考え、一気に書いて、あまり手を入れない、という執筆態度からくるものと思われる。そこに難語(造語)がときおり顔を出したとしても、意に介さなかった。そのあたりのことを自解したのが吉岡唯一の詩論〈わたしの作詩法?〉(1967)における「餌食[ジショク]する」であり、「万朶の雲」だった。吉岡実の詩と散文の比較検討は、今後の大きな課題の一つである。
●中川右介構成《大林宣彦の体験的仕事論――人生を豊かに生き抜くための哲学と技術〔PHP新書〕》(PHP研究所、2015年7月29日)を読んだ。20年ほど前に、広報誌《三菱重工グラフ》の仕事で大林さんの成城の自宅で話をうかがったことがある。事前に見本誌を郵送して取材を依頼し、後日、電話したところ折良くアポイントが取れた。インタビューの後で訊くと「留守電は使わない。それで通じなければ、そういう縁だったのだ」とのことだった。おりしもカメラマンや広告代理店の社員が携帯電話を使いはじめたころだったので、私は意外にも思い、やはりとも思ったものだ(お宅の電話は固定電話だった)。前掲書の〈十四日間、寝ないで撮った『廃市』〉には「そこで福永武彦の『草の花』が夢の映画でしたが、それが無理なら、短編の『廃市』をやろうとなりました」(二七四ページ)とある。ひさびさに《廃市》(1984)をDVDで見返した。特典映像では、大林監督が本作とともに《草の花》と原作者について、35分にわたってゆったりと語っている。
●ハンク・ボードウイッツ編(五十嵐哲訳)《ZEP on ZEP――レッド・ツェッペリン インタヴューズ》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2015年8月4日)を読了した(BGMはもちろんリマスター盤付属のコンパニオンディスクだ)。A5判、本文13級47字×20行で600ページになんなんとする大冊だが、談話の集積なので重量感はそれほどない。かつて音楽雑誌で目にした記事もあるが、「活字としては本書が初掲載となる記事を含む50本を越えるインタヴューを掲載」とのことだから、読みごたえは充分だ(四七ページの、ジミー・ペイジがフラット・ペダル・スティール・ギターを入手した件など、じつに興味深い)。吉岡実の発言を集成した《吉岡実トーキング(小林一郎 編纂)》の本文は自家製の資料のため本サイトで公開できないのが残念だが、試算してみると本書の組体裁で624ページ相当の、これまた大冊になる。

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編集後記 153(2015年7月31日更新時)

吉岡実と恩地孝四郎について書いた。恩地孝四郎の装丁が吉岡実の装丁に与えた影響についていつか書いてみたいと思っていたが、臼田捷治《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》(みずのわ出版、2015)が執筆のきっかけとなった。装丁に関する恩地の著作で最も有名なのは「本は文明の旗だ」という章句で知られる《本の美術》(誠文堂新光社、1952・出版ニュース社、1973)である。今回はもっぱら《新装普及版 恩地孝四郎 装本の業》(三省堂、2011〔元版は同社、1982〕)を典拠にして恩地孝四郎装丁を論じた。同書の装丁作品カタログはモノクロの書影の掲載を兼ねていて、一覧性に欠ける。このため、恩地孝四郎装幀美術論集《装本の使命》(阿部出版、1992)の〈恩地孝四郎装幀作品目録〉を引いたが、これは《装本の業〔元版〕》のカタログを踏襲しているから、実質的に参照した文献は一冊である。同書の、コート系本文用紙に横組というのは図版と文章を収めるこの種の本の一つの型だが、マット系の微塗工紙に縦組という《書影の森》の型が優っていよう。恩地における版画制作、吉岡における詩篇執筆という楕円形的創作活動の他方の焦点も見すえた論考は、一冊の書物を要求するテーマだ。
《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》を補綴した。前回の更新以来、2年以上手を入れてこなかったことになる。今回施した追記は軽微で(新たに立てた項目はない)、大半は執筆した記事にリンクを張る作業だった。本サイトを運営しながら目標としたことのひとつ、吉岡実装丁本全冊の探索はいま小憩といった処だが、吉岡実が言及した書籍の探索も目標にしていたことは、どうしたわけか忘れがちである。本ページのメンテナンスも怠りなくしていきたいと思う。
●モルゴーア・カルテットの《Destruction―ROCK MEETS STRINGS》(1998)を聴いた。本作は廃盤で、《21世紀の精神正常者たち》(2012)や《原子心母の危機》(2014)の先駆をなすアルバム。のちの2作のようなオリジナルを尊重した編曲がある一方で、原曲の香りやモチーフを活かした創作といった面もある、方法的模索の混在した作品といえよう。私は〈レッド・ツェッペリンに導かれて〉3部作に惹かれた。Tでは〈Friends〉や〈The Wanton Song〉を織りこんだ演奏、Uでは〈No Quarter〉や〈Stairway to Heaven〉、〈Gallows Pole〉、〈Going to California〉を織りこんだ演奏、Vでは〈Stairway to Heaven〉のストレートなそれが聴ける。丸谷才一の最後の長篇小説《持ち重りする薔薇の花〔新潮文庫〕》(新潮社、2015年4月1日)には、ブルー・フジ・クヮルテットなる弦楽四重奏団が登場する。もちろんこちらは、プログレッシヴロックを演奏するわけではなく、ハイドンやボッケリーニ、モーツァルトを弾く。私は不明にしてそれらのほとんどを知らない。逆に言えば、これから聴く楽しみが残されているわけだ。丸谷のモーツァルト好きは隠れもなかったが、ハイドンも愛聴していた。湯川豊は〈解説〉で「丸谷才一の生前最後の買い物は、CD百五十枚に及ぶハイドン全集だった」(同書、二三〇ページ)と書いている。
●ザ・ビートルズもレッド・ツェッペリンも4人組のバンドで、オリジナルメンバーのひとりが欠けると(ポール・マッカートニーの脱退、ジョン・ボーナムの死去)、解散を余儀なくされた。5人組のザ・ローリング・ストーンズとイエスがメンバーの入れ替えを伴いながら長命を保っているのとは対照的である(と草稿に書いて日ならずして、イエスのすべてのスタジオアルバムに参加した唯一のオリジナルメンバー、ベーシストのクリス・スクワイアの訃に接した)。3人組のクリームとザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、メンバーが存命のまま解散した。吉岡実が加わった最後の同人詩誌《鰐》(1959〜62)は短命に終わったが、5人のメンバーはその後、長く活躍した。
●ビートルズとストーンズとツェッペリンは20世紀におけるブリティッシュロックのビッグネームだが、ツェッペリン結成前のジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズはストーンズと近しかった。スタジオミュージシャン時代のペイジは、多くの歌手のジャガー=リチャーズ作品の録音にギタリストとして参加している。一方、音源や映像のリリースにおいてペイジが範としたのはビートルズで、このほど完結したオリジナルアルバムのリマスター盤にコンパニオンディスクを付ける手法は、ビートルズの《アンソロジー〔1〜3〕》(1995〜96)なくしては考えられない。吉岡実は詩篇が完成した時点で途中の草稿を破棄したというから――《僧侶》(1958)以降、吉岡実自筆の詩の草稿というものは基本的に存在しない。残されているのは陽子夫人の手になる入稿原稿であって、吉岡自筆の詩稿は完成作品の書写である――、万万が一それらが発見されることでもあれば、《アンソロジー》やコンパニオンディスクがそうであったように、多くのことを語ってくれるに違いない。〈死児〉(1958)の自筆草稿など、想像するだけで心躍るではないか。

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編集後記 152(2015年6月30日更新時)

臼田捷治《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》について書いた。私は吉岡実の新刊が出るたびに、最低でも2冊(ときにはそれ以上)購入してきた。単行詩集も、事情が許すかぎり2冊は入手を心掛け、《僧侶》(1958)以降のすべての市販の詩集は複数冊が手許にある。装丁や本文を相互に比較するためである。一体に活版印刷では同じ刷でも本文に異同が起こり得るから、それらの照合は欠かせない。《夏の宴》(1979)を除いて単行詩集にその種の問題はないが、《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(1959)は、奥付に増刷次が記されていないことも手伝って、本文の異同に関わる調査を要する。もっとも《書影の森》を2冊求めたのは、比較検討が目的ではない。1冊はブックカヴァーも付けずに心おきなく読むためであり(付箋を貼ったり、スキャンしたり、メモを書き込んだり)、もう1冊は美本として保存しておくためである。そして、われながらあきれてしまうが、本書の本扉と表紙をワンカットに収めた書影で、観る人を驚かせたいという気持ちも若干はある(誰も驚かないか)。「篤実な吉岡研究者の小林一郎」(〈はじめに――出版界のロールモデルとしての時代を超える魅力〉、本書、六ページ)とあるからには、地道な調査研究を続けなければならないのだが、ときには遊び心も忘れまい。
吉田精一《現代日本文学史》の装丁について書いた。そこでも触れたように、本書は林哲夫さんから恵投されたもの。臼田捷治《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》を入手して短い感想をメールしたところ、送っていただいた。未知の吉岡実装丁本はほかにもあるだろうことを肝に銘じつつ、とりあえず本稿をもって《〈吉岡実〉の「本」》の吉岡実の装丁に関する記事の締めとする。その意味で記念すべき一冊となった。林さん、どうもありがとうございました。《吉岡実書誌》の〈W 装丁作品目録〉に 掲載した吉岡実装丁と目されるタイトル数は185で、すべての作品を紹介しおえている。吉岡実装丁作品を総覧する《〈吉岡実〉の「本」》は、今後は文章や写真の追記を行うことになるだろうから、いまのところ紙媒体への出力を前提としたページレイアウトの予定はない。《アイデア idea》誌367号〔特集・日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律〕(誠文堂新光社、2014)や同誌368号〔特集・日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン〕(同、同)、そして本書の書影やページレイアウトを研究のうえ、いつの日か右開き・縦組にレイアウトして一書にまとめ、PDFを公開できれば、と思っている。本文の横組を縦組に(表記)変更しなければならないのと、書影とキャプションを処理するのが厄介だが。
●クラフト・エヴィング商會《星を賣る店》(平凡社、2014年1月24日)は楽しくて悔しい本だ。同書は、2014年1月25日から3月30日まで世田谷文学館で開催された〈クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会・星を賣る店〉の公式図録にして、同商會の「商品目録」「ベストアルバム」(〈前口上、申し上げます――。〉、〔五ページ〕)だが、展覧会を観ていないのだ。昨春は身辺多忙で、3月には父が入院し、二月後に逝った。そのため展覧会の開催を知らずに、後追いで本だけ読んだ。同商會は臼田捷治《書影の森》の〈第V部 1990-/さらなる独自性の追究と原点回帰と〉における最も重要な装丁作家で(10ページに亙って紹介)、坂本真典の写真を副えた《らくだこぶ書房21世紀古書目録》(筑摩書房、2000)はオブジェと写真とオフセット印刷の特性を知りつくした者の恐るべき仕事である。私の書籍工房(組版・造本・装丁)兼プライヴェートプレスを「トリウム商會(Torium & Co.)」としたのも、クラフト・エヴィング商會に敬意を表してのことだった。
●ペダルスティールギターのことが知りたくて、インターネットで文章や動画を調べた。CSN&Y《Déjà Vu》(1970)の佳曲〈Teach Your Children〉でペダルスティールギターを弾いているグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアの動画を観たかったのだが、どうやらなさそうだ。Wikipediaには「ボリュームペダル、弦の調を変えるためのペダル、ニーレバー(膝レバー)で音程を調整するベンド機構を備えた大型のスタンドタイプ〔のスティールギター〕」とあって、カントリーやハワイアンに欠かせない楽器だが、ロックでもスティーヴン・スティルスの《マナサス》(1972)でアル・パーキンスがいいプレイをしている。初期のレッド・ツェッペリンで及び腰ながらペダルスティールギターを操っていたジミー・ペイジは、《聖なる館》(1973)以降、ブルース色を薄めていくとともに、通常の6弦のギターでペダルスティールふうのフレーズを探究している。ストリングベンダー付きのテレキャスターを愛用していたのもそのためか。私自身がペダルスティールギターを弾くことはないだろうが、スリーフィンガー奏法は、原理的にも箏に近いものがあるように思う。そういえば、箏についても調べなければならないことがある(これは吉岡実詩がらみ)。

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編集後記 151(2015年5月31日更新時)

吉岡実とマグリットについて書いた。下の子(国立新美術館で展覧会をいっしょに観た)が学校の美術の授業でシュルレアリスムふうのペン画を描くというので、美術出版社(この3月、民事再生法の適用を申請した)の《シュールレアリズム》を探したが、どうしたわけかあの大判の画集が見つからず、かわりにマックス・エルンスト(巖谷國士訳)《百頭女〔河出文庫〕》(河出書房新社、1996)が出てきた。あのころは河出文庫もがんばっていた。手の切れそうな、という形容はほんとうは別の使い方をするのだろうが、さきごろ亡くなった金子國義が装画・挿絵を描いたバタイユ(生田耕作訳)《マダム・エドワルダ〔角川文庫〕》(角川書店、1976)のような、手の切れそうな文庫本があったものだ。ここはやはり、ちくま文庫版の《吉岡実詩集》に登場してもらうしかない。各詩集から抄録する、などというチマチマしたことはやめて、《静物》《僧侶》《サフラン摘み》《薬玉》の4詩集を全篇収録する。詩篇の本文で4700行ほどになるだろうか。これが吉岡実歿後25年、拙サイト150回を閲した私の宿望だ。なお、2012年に公開した吉岡実年譜〔改訂第2版〕は、文庫版詩集の巻末資料を想定して心をこめて書いたもの。併読を乞う。
●臼田捷治《書影の森――筑摩書房の装幀 1940-2014》(みずのわ出版、2015年5月3日)が出た。森銑三は〈見ることを得た書物〉で「書物も見れば写したい箇所が出来、写したものは更に多少の研究を進めて、何かに発表したくなる。身辺はますます多忙となるばかりであるが、忙しい中から都合をつけて、見たい書物を見に行くのは、私等に取ってはやはり楽しい」(柴田宵曲との共著《書物〔岩波文庫〕》岩波書店、1997年10月16日、二〇〇ページ)と書いている。本書を見ることを得たのは、大きな歓びである。来月にレヴューを公開するための算段をしている。
●私が高校の放送部員だったころ録音といえばアナログのテープだけで、機材は@ラジカセAステレオカセットデッキBオープンリールのテープデッキが主だった。Bはテープスピードが19、9.5cm/秒と選べて、ヘッドが録再兼用の1個だったため、片チャンネルで再生しながら他チャンネルに録音して一人二重奏が楽しめた(いちばんシンプルなオーヴァーダブ)。マルチトラックレコーダーを使うようになって、歌やギターを多重録音した音源をAでカセットテープに落として知友に配った(前に紹介した〈醒めた瞳で〉)。@では小林克也の洋楽番組をエアチェックした。当時は新譜のアルバムをまるまるかけるFM局があったのだ。深夜、寝しなにラジオを聴いていると、宇宙の寂寞を感じた。友人たちが集まればステレオマイクで一発録りしたから、スタジオ録音=ライヴ録音のようなものだった。その仲間と放送室や友人宅で録った秘蔵のオープンテープが出てきたのでBで再生しようとしたところ、動作不良で聴くことができない。今回の歴史的音源の再生プロジェクトは、オープンリールのテープデッキをオークションで入手する処から始まった。それをカセットにダビングして(ここまでが私の作業)、友人がデジタル音源に整えてくれたおかげで、PCで再生できるようになった。40年以上前の録音が甦ったのは嬉しい。インターネットで公開するほどの代物ではないが、すべてオリジナル曲であるところがミソである。先頃、松前公高《いちばんわかりやすいDTMの教科書》(リットーミュージック、2010)でDTMの概要を学んだが、本格的にやるとなるとべらぼうな時間をとられそうで、踏みこめずにいる。楽曲の完成に必要なのは、作詞・作曲・編曲・演奏・歌唱を中心とする(時間と空間に関する包括的な)構想力だ。それは本サイトの運営と、時空の比重が異なるだけで、基本的には同じであるはずだ。
●里中哲彦・遠山修司《ビートルズを聴こう――公式録音全213曲完全ガイド〔中公文庫〕》(中央公論新社、2015年4月25日)を読んだ。対談の基本資料であるマーク・ルーイスン(内田久美子訳)《ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2009)と大人のロック!編・フロム・ビー責任編集《ザ・ビートルズ全曲バイブル――公式録音全213曲完全ガイド》(日経BP社、2009)とともに、参考文献としてイアン・マクドナルド(奥田祐士訳)《ビートルズと60年代》(キネマ旬報社、1996)とチャック近藤《新装版・全曲解説!! ビートルズサウンズ大研究〔P-Vine Books〕》(ブルース・インターアクションズ、2009)が挙がっている。本書の仮想敵は今年1月に急逝した中山康樹の《これがビートルズだ〔講談社現代新書〕》(講談社、2003)だが、中山の芸達者ぶりに太刀打ちできていない。私が酷愛するジョン・レノン中期の作〈I am the Walrus〉の遠山の評価が「わけのわからない傑作ということにしておきましょう」では、それこそわけがわからず、中山による同曲の全否定に及ぶべくもない。だが、巻末の「私の好きな1曲」は好企画。私も同書の体裁で参加してみた。「小林一郎 Kobayashi Ichiro 吉岡実研究家/Penny Lane」。―All Together Now.

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編集後記 150(2015年4月30日更新時)

吉岡実と木下夕爾について書いた。木下夕爾は詩人なのか俳人なのか。むろん詩人として出発したし、オリジナルの著書の数からいっても、詩集が句集に優っている。しかし、雑誌の特集号を見るかぎり、俳句のほうが厚遇されているようだ。それにしても手軽な《木下夕爾詩集》がないのは残念なことだ(句集には廉価版の良書がある)。これだけ多くの文庫や叢書があるのに、詩を専門とする出版社が企画しないのはなぜだろう。望むらくは、《木下夕爾詩集》にはオリジナルの全6作品を全篇(重出を厭わずに)掲載してほしい。《定本 木下夕爾詩集》(牧羊社、1972)のようにまとめられてしまうと初収録の形がわからなくて、まことに困る。
《夏目漱石全集〔全10巻〕》(1965〜66)と《夏目漱石全集(筑摩全集類聚)〔全10巻別巻1〕》(1971〜73)の装丁について書いた。吉岡実が在社中に手掛けた筑摩書房の全集には、基本的に装丁者のクレジットがない。このため、本サイトの開設当初、吉岡の装丁作品は本人を含む関係者による証言にあるものだけを掲げたが、のちに吉岡の装丁と思しい書目も◆印(未確認の意)を付けて《吉岡実書誌》の〈W 装丁作品目録〉に加えた。そのタイトル数は現在184。今月の漱石全集の2タイトルで、すべてを紹介しおえた。吉岡実装丁作品を新たに発見するまで、《〈吉岡実〉の「本」》は文や写真の追記を不定期に行うだけとなろう。ご愛読に感謝する。
●かつて聴いた曲が最近のライヴでどう再現されているかは興味深い。私の場合、1970年ころから聴きはじめた洋楽が嗜好の核で、それを一言でいえば「ブリティッシュロック」となる。その前史には日本のグループサウンズがあって、体現していたのはザ・タイガースだった。磯前順一・黒崎浩行編著《ザ・タイガース研究論――昭和40年代日本のポピュラー音楽の社会・文化史的分析》(近代映画社、2015年3月15日)の資料篇は立派だったが、研究篇は喰いたりない。同書が言及する当時の音源(ザ・ゴールデン・カップスの〈This Bad Girl〉など)がYouTubeで簡単に聴けるのはありがたい。カップスのベースはルイズルイス加部だが、これがすごい。そういえばユーライア・ヒープの〈Why〉(《悪魔と魔法使い》のボーナストラック)もほぼ同時期で、こうした「リードベース」は多弁のベーシスト、ジャック・ブルースやジョン・エントウィッスルの影響だろうか。ヒープはケン・ヘンズレーのペンになる曲が身上で、《悪魔と魔法使い》(1972)の〈楽園/呪文〉のスライドギターがヘンズレー本人の演奏で視聴できるのは嬉しい。ヘンズレーはそこでまず、リードギタリストのミック・ボックスとともに、全音下げたアコースティックで伴奏する。スローな〈楽園〉とのメドレーでGのシャッフル〈呪文〉が始まり(ここでハモンドに持ちかえる)、曲は途中からCmのメディアムテンポの8ビートになる(そこまでは「G G/C」のリフ、拍を無視してコードを記せば、「G-Bb-D-G-Eb-F-Eb-F-Bb-Ebm-Ab-G7-Cm」が大まかな流れ)。そして

Cm F Bbm Eb
Abm Db Fm G7

という4度進行で繰りひろげられるドリアンスケールの節回し(全音で下がるゼクエンツ?)が絶品だ。ワウペダルを踏んだボックスのバッキングは、間奏後のパート(「Cm/F/Cm/F/Cm/Ab/Bb/Eb/Cm/Cm」)のスタジオ盤が素晴らしい。前作《対自核》(1971)も忘れがたいアルバムだったが、これはその上をいくのではないか。オリジナルメンバーがミック・ボックスただ一人となった先の来日公演(CDは《Official Bootleg V――Live in Kawasaki Japan 2010》)では、アルバムの全曲を再演している。自信のほどがうかがえよう。《悪魔と魔法使い》こそ、ケン・ヘンズレー=ユーライア・ヒープの代表作である。
●漫画家の小島功氏が4月14日、87歳で亡くなった。亡父は永年国鉄に勤務したが、なぜか小学生だった私を上野駅の散髪屋に連れていった。店はいつも混んでいて、順番待ちの間に小島のお色気たっぷりの漫画(今にして想えば実業之日本社の《週刊漫画サンデー》だっただろう)を禁断の作品として享受したものだ。久しぶりに〈現代漫画〔全15巻〕〉の《7 小島功集》(筑摩書房、1969年8月20日)を引っぱり出してきて小島功を偲んだが、〈俺たちゃライバルだ!〉の赤穂浪士の討ち入りの巻(わずか3ページ、24コマ)には感嘆した。吉岡実も同書を読んでいるに違いない。ユニコーンの〈ヒゲとボイン〉は、小島漫画にインスパイアされて成った楽曲(作詞・作曲:奥田民生)で、2009年の〈蘇える勤労〉ツアーでのライヴ(3/4の33分過ぎ)がみごとな出来。

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編集後記 149(2015年3月31日更新時)

フラン・オブライエン(大澤正佳訳)《第三の警官》について書いた。本文では触れなかったけれども、《第三の警官》の語り手の地下世界めぐりは(訳者の指摘するダイダロスの迷宮神話、《神曲》、《不思議の国のアリス》もさることながら)、村上春樹の《世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド》(新潮社、1985)や《図書館奇譚》(同、2014)を思いださせる。村上とオブライエンといえば、ティムの方しかないようだが、フランとの間にもなにかありそうな気がする。本稿で触れた画家の松井喜三男は、1982年に自死したという。松井の画集が観たくて調べてみたところ、《金子國義と友の会展》(書肆ひぐらし、1997)という図録に収められた〈うしろ向きの少女〉のカラー図版くらいしかなかった。《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991、〔一〇六ページ〕)の〈論考・エッセイ・追悼文〉の扉写真にも「うしろ向きの少女」のタブローが写っているが、これは〈フォーサイド家の猫〉(G・17)のスルスにもなった別の松井作品。松井は、矢川澄子訳《おおかみと七ひきの子やぎ ほか〔こどもの世界文学15〕》(講談社、1973)の挿絵を担当している(画家の紹介文に「1947年、東京に生まれる。12さいごろから、独学で油絵を勉強する。すきな画家はアンリー=ルソー。こどもの本のしごとは、はじめて。」と見える)。どこかで松井喜三男の油彩をまとめた画集を出さないだろうか。
《森鴎外全集》(1959)と《森鴎外全集(新装版)》(1965)と《森鴎外全集(筑摩全集類聚)》(1971)の装丁について書いた。今回は書影に必要な一冊がなかなか揃わなかった。該当書籍をいつものように《日本の古本屋》で検索するもヒットせず、結局、Amazonから購入した。価格が1円(!)という出品があったが、さすがに手が出なかった。テキストを読むというよりブツの写真を撮るのが目的だから、送料よりも安いものはどこかに難があるのだろう。書影をインターネット上の画像から拝借するのも、本サイトの制作 方針にもとる(だいいち、実見しないと仕様を記述できない)。ないものはあえて掲げず、いつの日か入手のあかつきに〔追記〕の形をとる、というのが私の流儀だ。というわけで今月は、記事とともに《清岡卓行詩集〔限定版〕》の書影を追加した。ときに、鴎外―芥川龍之介―堀辰雄―福永武彦、という系統がある。未定稿〈森先生〉はあまりに短くて、芥川が鴎外の文学をどうとらえたかわからなかった。福永の鴎外論(〈鴎外、その野心〉と〈鴎外、その挫折〉)は、小説家の評論としても出色のものだと思う。読みやすい講談社文芸文庫の《鴎外・漱石・龍之介――意中の文士たち(上)》は現在品切れか。
●東雅夫編《文豪怪談傑作選 芥川龍之介 妖婆〔ちくま文庫〕》(筑摩書房、2010年7月10日)を読んだ。幼少期を本所で過ごした芥川ゆえ不思議でもなんでもないのだが、吉岡実の生まれ育った土地を舞台にした小説がある。〈奇妙な再会〉の冒頭に近い部分、「旦那の牧野は三日にあげず、昼間でも役所の帰り途に、陸軍一等主計の軍服を着た、逞しい姿を運んで来た。勿論日が暮れてから、厩橋向うの本宅を抜けて来る事も稀ではなかった」(同書、五〇ページ)には厩橋が出てくるし、近所の寄席で日清戦争の幻燈を観る場面もある(吉岡の随想〈懐しの映画――幻の二人の女優〉には「ときどきは浅草六区へ行くこともあったが、両親と私は普段着のまま、近くの本所日活館か石原町の八千代館へ通ったものだった」とある)。一方で、〈海のほとり〉や〈蜃気楼〉はつげ義春の描く漫画のようで、一読、忘れがたい。
●《吉岡実書誌》の歌集《魚藍〔新装版〕》の写真を入れ替えた。同書の表紙は、地色が緑で文字の書体がゴチックのものと、地色が藤で文字の書体が明朝のものの2種類が知られている。今まで後者は表紙の一部が剥けていて見苦しかったが、このほど帯が付いてビニールの覆いのある完本(?)が入手できた。うら表紙はおもて表紙の画像を陰陽反転させたもので、いま出つつあるレッド・ツェッペリンのリマスター盤CDの紙ジャケットでも同じ手法が使われている。
●レッド・ツェッペリンは世界的に成功を収めたが、初期にイギリスや、アメリカ西海岸のプレスから叩かれたことはよく知られる。2012年、存命のメンバー3人がケネディ・センター名誉賞を受賞した。ハートのアン、ナンシーのウィルソン姉妹やジョン・ボーナムの遺児ジェイソンたちによる《天国への階段》の御前演奏を、ツェッペリンのファンでもあるオバマ大統領(“It’s been said that a generation of people survived teenage angst with a pair of headphones and a Zeppelin album...”とスピーチ)やヨー・ヨー・マ(前年の受賞者)とともに聴衆の一人として聴くロバート・プラントの目に光るものがあったのは、こうした仕打ちが去来したためか。作曲のジミー・ペイジや編曲のジョン・ポール・ジョーンズが終始にこやかだったのとは対照的だった。なお、ハートによる同曲の別カヴァーが《リトル・クイーン》(1977/2004)のボーナストラックで聴ける。

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編集後記 148(2015年2月28日更新時)

吉岡実と福永武彦について書いた。本稿を書くにあたって《福永武彦戦後日記》(新潮社、2011年10月30日)と《福永武彦新生日記》(同、2012年11月30日)を読んだ。どちらにも吉岡実は登場しないが、《戦後日記》1945年12月21日の「チクマに行くつもりでゐたが時間がなくて局に行き白井〔浩司〕に会ふ」のチクマが筑摩書房かは不明(《新生日記》1952年6月と11月には筑摩書房の岡山猛、石井立の来訪が記されている)。なお、鈴木和子による〈註釈〉と 〈福永武彦小伝〉に、わが《文藝空間》10号〈総特集=福永武彦の「中期」〉(1996年8月)の秋吉輝雄さんのインタビュー〈従兄・武彦を語る――文彦・讃美歌・池澤夏樹〉からの引用がある。顧みれば、特集号を原善・星野久美子(福永の1946年日記原本の提供者)と編んだのは、母すみえを亡くした直後だった。そして、昨2014年5月に私は父長太郎を見送った。福永はその最晩年に堀辰雄と堀の父について一書を捧げたが、父の意味を考える時機が私にも到来したのだろうか。
《定本 太宰治全集〔全12巻・別巻1巻〕》など5シリーズの太宰治全集の装丁について書いた。太宰の全集については、@(〔第1次筑摩書房版〕)を〈吉岡実の装丁作品(89)〉、A〈吉岡実の装丁作品(90)〉
、Dを〈吉岡実の装丁作品(18)〉で、 と3回にわたって取りあげてきた。そのなかで各全集の特色がわからないとこぼしたが、今回ようやくIまでの全集を概観し、それなりの結論を得た。私は太宰のよい読者ではないので、揃いの全集は持っていない。どれか一つとなれば、本文校訂、造本・装丁、さらに活版印刷である点から、Fを選ぼう(恐らく吉岡実装丁)。だが現実的な選択となると、Hちくま文庫に落ち着く可能性が高い。研究するのでないなら、文庫本で充分だからだ。吉岡実全集をA5変型判で出すとすれば、〈詩集〉は《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)の増補改訂版に任せて、第1巻を〈詩〉として、発表されたすべての詩篇の初出形を発表順に収録するというのはどうだろう。太宰のような複数の版次の全集が許されないのなら、これからの冊子体の個人全集にはそのくらいの「蛮勇」が必要にして不可欠である
●山本貴光《文体の科学》 (新潮社、2014年11月25日)を読んだ。著者の博覧強記には驚かされるが、私は次の箇所に傍線を引きたい。「ここで注意しておきたいのは、印刷では作文と組版とが分業になるということだ。昨今作家が文章を書く場合、それが書物になった暁に、一行何文字で構成されるかということまで考えるケースは少ないと思われる。〔……〕多くの場合、それはブック・デザイナーやエディトリアル・デザイナーの仕事であり、かれらが書体やその大きさや色の選択も含めて、実際に書物に印刷されるかたちを設計している。つまり、作家は文章の内容には細心の注意を払う一方で、文章のすがたにはそこまで意を用いない。書き手が文章のすがたに強く関与するのは、言うなれば改行と句読点を入れる位置である」(本書、三〇ページ)。吉岡実や京極夏彦は両者を兼ねる存在だが、ミュージシャンがプロデューサーを兼ねる(あるいはその逆)ようなありかたは、今後ますます増えることだろう。それが作家本来の姿だからだ。
●渡辺具義《ギタリストのためのオープン・コード事典――いつものプレイにひと味加えるキレイな響きが900個!》(リットーミュージック、2009年8月25日)は奥深いコードブックだ。ガロの〈一人で行くさ〉(作詞・作曲:日高富明)は6弦のE、2弦のB、1弦のEをオープンで保ちながら、5〜3弦をE・F#m・G#mコードの第2転回形で上下する「レギュラー・チューニングでも広がる開放弦を使った特殊コード」を鏤めた佳曲だったが、イントロのA・G#m・F#m・E が決まっていた(《GARO LIVE》の21分30秒過ぎを参照)。私は4度進行を中心に据えた自作
〈醒めた瞳で〉(作詞:若尾留美)を長いことアレンジしあぐねていて(MTRによる多重録音のデモテープは存在する)、本書を手掛かりにして完成させたいと思う。リードシートから平歌1番のコード進行を掲げる。

さめたひとみであいをよむのは
Em Am D F/E7
もうおわりにしましょう
Am Dm G C/B7
かたちのないくもがながれて
E7 Am D G
かぜはふいてゆく
C/D Em  

イントロは平歌とは別のモチーフで、「Em Cmaj7 D G/D」。これを「Em9 Cmaj7 Dadd9 G6/Dadd9」と常にE音が鳴っているようにするところまでは決まった。そこから先は《ギタリストのためのオープン・コード事典》を参照しながら、ギター1本でオリジナルな響きを追求したい。 

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編集後記 147(2015年1月31日更新時)

《アイデア idea》367号〈特集・日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律〉と《アイデア idea》368号〈特集・日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン〉のことを 書いた。郡淳一郎さんは《ユリイカ》を離れてからも、耳目をそばだてる企画を連発している編集者だが、各分野の専門家をオーガナイズする力も半端ではない。そうした力量をいかんなく発揮した特集にはほとほと感じ入った。ここでは文学を美術やデザイン(「ブツ」)の視点から見る立場が強調されている。詩人・装丁家としての吉岡実をとらえるための、正統的なアプローチだ。
《芥川龍之介全集〔全8巻別巻1〕》(筑摩書房、1958)と《芥川龍之介全集(新装註解)〔全8巻〕》(筑摩書房、1964〜65)の装丁について書いた。芥川の全集といえば、本家は岩波書店で、筑摩もそのへんのことは心得ていて、1958年版全集最終巻の月報に〈編集部より〉として、次のように記している。「〔……〕版権の関係から岩波版(昭和二十九年)全集に比べ、手記・雑纂その他で若干篇を省略いたしました点、御了承下さい。半面、本巻補遺に在来〔末→未〕収のものを新しく収めました」(第八巻〈月報8〉、1958年12月25日、三ページ)。本稿を書いていて、随筆や紀行文はともかく、芥川の短篇小説を全部は読んでいないことに気付いた。私が芥川をまとめて読んだのは、30年以上もまえ、あのグレーのジャケットの新潮文庫でだった(芥川や堀辰雄を分厚い文庫本で読む気にはどうしてもなれない)。漱石の次は芥川を読んでみよう。
●夏目漱石《心》(岩波書店、2014年11月26日)を購入した。この、漱石の書き間違いも訂すことなく起こした「ほぼ原稿そのまま版」の装丁は、漱石と祖父江慎。《心》の新版は手に取って見るだけの価値ある校訂・造本・装丁だ。多くを語るまい。岩波も隅に置けない出版社である。
●リニューアルした《日本の古本屋》で検索していたら、《俳句とエッセイ》1982年1月号の〈特集 木下夕爾の詩と俳句〉に吉岡実が散文〈夕爾の詩一篇〉を 寄せているのを見つけた。吉岡は同文で詩集《生れた家》(詩文学研究会、1940)から〈昔の歌――Fragments〉を全篇引用しているが、漢字の誤植が一箇所、字下げが原本と異なる処が一箇所(これは吉岡の誤記かもしれない)、吉岡自身の文章にも誤植が一つある。見開き2ページに三つというのは、雑誌の組版や校正の力を疑わせるに充分だ。9年前の2006年1月に藤田湘子に関する吉岡の未刊行散文を発見したが、俳句誌に発表されたままの逸文はまだほかにもありそうな気がする。
●冬の夜長はプログレッシヴロックが聴きたくなる。そこで《ジェネシス》(シンコーミュージック・エンタテインメント、2014年12月9日)を読んだ。モルゴーア・クァルテットの 《21世紀の精神正常者たち》(日本コロムビア、2012)を聴いた。続篇の《原子心母の危機》(同、2014)は、図書館に予約中である。ジェネシスの曲は前者に〈月影の騎士〉と〈アフターグロウ〉が、後者に〈ザ・シネマ・ショウ〜アイル・オヴ・プレンティ〉が収められている。ピンク・フロイドを措いて、これからしばらくは、ジェネシスを聴くことにしよう。とりあえず《ジェネシス》(1984)から《コーリング・オール・ステーションズ》(1997)までの4枚のアルバムを中心に、「後期ジェネシス」(1983〜98)を。――スティーヴ・ハケット(g)がジョン・ウェットン(v、b)、ジュリアン・コルベック(k)、チェスター・トンプソン(d)たちを従えて来日したときのライヴ《TOKYOテープス》(1999)もよく聴く(WOWOWが放映した映像もよかった)。とりわけ〈クリムゾン・キングの宮殿〉や〈風に語りて〉で本家のイアン・マクドナルド(キング・クリムゾンのオリジナルメンバー)のフルートが堪能できるのは嬉しい。

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編集後記 146(2014年12月31日更新時)

詩篇〈模写――或はクートの絵から〉評釈を書いた。吉岡実詩の評釈を書くのは久しぶりだ。《詩人としての吉岡実》を 書きおろして以来ではないか。この「なになにとしてのだれそれ」が誰の発明なのか知らないが、ちくま学芸文庫の丸谷才一《後鳥羽院〔第二版〕》(筑摩書房、2013)を読んでいたら、最初の章題が〈歌人としての後鳥羽院〉だった。私は本書を初めて読むのだが、この見出しや柱の書体の選択には違和感を覚える。扉はいい。だが、次の〈目次〉の第一行「【目次】後鳥羽院 第二版」のゴチック体は堪えられない。〈目次〉中の本文の標題は細めの教科書体だが(これはどうにかがまんするにしても)、本文ページの標題は太明朝体である。せめて明朝体で揃えるべきだった。柱に至っては妙なゴチック体(しかも平体がかかっている)で、なにをかいわんやである。総じて、これらの書体の選択に品格が感じられない(その点、《新々百人一首[しんしんひやくにんしゆ]》の新潮文庫の組版は、さすがというしかない見事なもの)。本書が後鳥羽院の歌の評釈として秀抜なのは、ここに付言するまでもないのがなんとも痛い。
《宮澤賢治全集〔全12巻別巻1〕》(筑摩書房、1967〜69)の装丁について書いた。宮澤(宮澤が何人もいるのでないときにも「賢治」と呼ぶ言い方が、私はきらいだ)は生前、心象スケッチと童話集を一冊ずつ出しただけだったが、歿後は草野心平や高村光太郎の称揚も相俟って、筑摩書房からは個人全集が何度も編まれた。吉岡実は上記の全集と《校本 宮澤賢治全集》の装丁を手掛けている。だが、1948(昭和23)年12月21日の日記に「牛窪忠さんから《宮沢賢治詩集》をもらう。はじめて賢治の詩を よむ」(《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》思潮社、1968、一一三ページ)とあるだけで、作品そのものへの言及がないのはどうとらえたらよいのか。
●10月の《アイデア idea》367号〈特集・日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律〉に続いて《アイデア idea》368号〈特集・日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン〉が 発行された。巻頭〈第5章 人文書空間の興亡〉の扉裏から8ページにわたって〈吉岡実:筑摩書房〉がカラーで紹介されている(極美の《昏睡季節》は見開きで)。圧巻だ。以降も、清水康雄:青土社、湯川成一:湯川書房、渡辺一考:コーベブックス―南柯書局、長谷川郁夫:小沢書店、中島かほる:筑摩書房、諸氏のページに吉岡の著書や編纂書、装丁作品が登場し、吉岡の著書のほとんどの書影が〈日本オルタナ文学誌〉と本誌の2冊に収められたことになる。これらに、吉岡が若き日に手にしたであろう詩書を掲載した〈特集・日本オルタナ出版史 1923-1945 ほんとうに美しい本〉(2012年8月の354号)を加えれば、70年余にわたるわが国の活版印刷時代における見るべきほどの書物は、「この血統の後継者はある日突然、思いもよらない場所から現れる」(同誌、一四〇ページ)と言挙げして始まった「三部作」――この書物の墓標、あるいは記憶の貯蔵庫[アーカイヴ]――に己が姿を永遠にとどめた。12月15日、午後7時から2時間余りにわたって神田神保町の東京堂書店6階の東京堂ホールで郡淳一郎・山中剛史・山本貴光・内田明・扉野良人・室賀清徳、6氏による日本オルタナ出版史三部作の完結を記念するトークショーが開かれた。客席にも多くの寄稿者たちが姿を見せる盛会だったことを付記しておこう。
●赤ア勇、天野浩、中村修二の3氏が今年のノーベル物理学賞を受賞したが、枚田繁《評伝 赤ア勇 その源流》(南方新社、2015年1月10日)が出た。著者からのご指名で、本書の編集を手伝った。書籍の編集をするのは何年ぶりだろうか。赤ア氏のWikipediaに〈参考資料〉として掲げられている《「青色発光ダイオード開発物語〜赤ア勇 その人と仕事〜》(全44分、サイエンスチャンネル、2004年制作・2012年改訂)を手掛けたのが枚田さんで、その制作体験をふまえた興味深い仕上がりになっていると思う。想定読者は、中学校の理科の先生とのこと。
●元ガロの堀内護(マーク)が亡くなった。昨年秋、 MARK from GAROとして《時の魔法》(Epic Records Japan、2013)――〈学生街の喫茶店〉や〈地球はメリーゴーランド〉といったガロの曲のセルフカヴァーと新曲――をリリースしたやさき、癌に倒れた。65歳。40年ほど前になるが、ガロのステージを観た。確か〈吟遊詩人〉(名曲です)だったと思うが、途中でミスしたようで、今は亡き日高富明が「もう一度」と頭からやり直したのが印象的だった。ガロのライヴレコードで堀内が歌う自作曲〈涙はいらない〉はすばらしかった。稀有の音楽的才能が消えたことを惜しむ。

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編集後記 145(2014年11月30日更新時)

吉岡実と鷲巣繁男に ついて書いた。先日、手許にない鷲巣の著書を国会図書館でまとめて閲覧した。初期の稀覯本はほとんどがデジタル化されていて、原本を手に取れなかった。しかし、本文で言及した歌集《蝦夷のわかれ》や、奇書《イコンの在る世界》、歿後刊の《神聖空間》に触れられたのは幸いだった。国会図書館のデジタル本はハンドリングがまだるっこしいので嫌嫌つきあっているが、原装がわかりづらいという難点は画像の解像度云云で解消されるべくもなく、隔靴掻痒の感を覚える。本文用紙に触らずに装丁を、書物を論じることはできない。
西脇順三郎詩集《禮記》の装丁について書いた。先月の《壤歌》に続いての筑摩書房の西脇本の登場である。吉岡実が〈西脇順三郎アラベスク 8 《人類》出現〉に「詩集《鹿門》が刊行されてから、約十年の歳月が経っている。今度もまた私が造本・装幀を任せられた」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二三九ページ)と書いたのを、私は最近まで控えめに受けとっていて、 《人類》と《鹿門》のことだとしていた。だがよく考えてみるまでもなく、《鹿門》の前の《壤歌》も、前の前の《禮記》も吉岡実装丁本とするのが妥当である。《禮記》には西脇による散文のあとがきがなく(〈あとがき〉と題した詩篇が掲げられている)、したがって制作スタッフへの謝辞が見えないが、おそらく井上達三、会田綱雄、吉岡実が関わっているだろう。ちなみにこの筑摩の3人は、計画の実行に3年かかったという西脇の《詩學》(1968)の〈あとがき〉に登場する。
●2002年11月の本サイト開設以来、12年経った。当時今日が想像できなかったように、現在も今後の姿が想像できない。ただ、私が公表する吉岡実関連の文章の大半がここに収められており、それは今後も変わらない。ゆくゆくは文章だけでなく、画像資料にも力を入れていきたい。
●このところ夏目漱石の小説を発表年代順に読みかえしている。おそらく30年ぶりだ。《吾輩は猫である》の〈八〉にある、詩人には逆上が不可欠だという処など、思わず噴きだしてしまう。もっとも吉岡実も、詩を書かないときはただの人だと自認していたから、この逆上=狂気説に共感するかもしれない。それよりも、作家である漱石自身の狂気をこの処女小説からまざまざと感じた。漱石は、おそろしい。30年前にはまったく覚えがなかったことである。
●先月、レッド・ツェッペリンのアルバム2作、4枚めの通称「フォー・シンボルズ」あるいは「レッド・ツェッペリンW」と5枚めの《聖なる館》が、ジミー・ペイジ監修の新デジタルリマスター音源で再発された。4枚めには、言わずと知れた〈Stairway to Heaven(天国への階段)〉が収められている。私はこの曲の映画《永遠の詩》ヴァージョンのギターパートのコピーを宿願としているが、あのギターソロは弾ききれないので、4枚めのソロで代用している。どこかの人気投票でナンバーワンに輝いたあれである。そのチューター役は、教則DVD《Guitar World: How to Play the Best of Led Zeppelin》(Alfred Pub Co、2010)のジミー・ブラウンだ。〈Stairway...〉と同じかそれ以上に気に入っているのが、《聖なる館》の〈The Rain Song〉だ。いつかレギュラーチューニング(の全音落とし)の12弦エレキギターでこの曲を奏でたいと思っている。ジミー・ペイジといえば、写真で綴られた自伝《JIMMY PAGE》(Genesis Publications、2014)をようやく入手した。静止画はこれで充分だ。日々の動向に関しては《JimmyPage.com》が無二で、過去の日記を参照しながら書いているのだろうが、セッションマン時代の記録(内容のほか、日時や録音スタジオ名など)がやたら詳しく載っていて、ほほえましい。年譜作者にとって恰好の素材資料だ。

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編集後記 144(2014年10月31日更新時)

吉岡実と珈琲に ついて書いた。私が吉岡さんと対面したのは、つねに渋谷の珈琲店トップにおいてだった(種村季弘が吉岡実追悼文で「最後にお元気な姿にお目に掛かったのは、昨年夏の澁澤龍彦三回忌の席だったが、それよりすこし前に渋谷道玄坂のコーヒー店ヒル・トップの入口で、こちらが出しなに外階段を下りてこられたところを鉢合わせになったことがある」と書いたのは、珈琲店トップ渋谷道玄坂店でのこと)。本文では《うまやはし日記》に登場する戦前の珈琲店を挙げたが、《土方巽頌》には戦後の珈琲店が、「霧笛」以外にも、多数登場する。
●吉岡実歌集《魚藍》初刊を入手したので、書影を差し替え、書誌の解題に〔追記〕を書いた。本書購入のため10月の初め、久しぶりに神保町を歩いた。古書は足で探すに如くはない、と改めて実感した。吉岡実の詩篇初出、著書(とりわけ特装版や私家版)、装丁作品(同)のコンプリートへの道のりは、ますます険しさを増してきた。99%では無に等しいのだ。
●西脇順三郎の長篇詩《壤歌》の装丁について書いた。最近は吉岡実装丁本に関する追記や書影の差し替えが続いているが、今年5月の伊達得夫遺稿集《ユリイカ抄》以来の新規掲載となった。こんな調子で、あと何回か新しい記事を書くことになるだろう。よって、《装丁家としての吉岡実》を一本にまとめるのはしばらく先になる。ご了解いただきたい。
●郡淳一郎さんが構成を手掛けた《アイデア idea》367号〈特集・日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律〉を 恵投いただいた。特集の印象をひとことで言うなら「凄まじい」に尽きる。〈第1章 墓標または種子〉の〈1 岩波文庫〉の冒頭が白秋歌集《花樫》(改造文庫)の書影で、吉岡実の随想からの引用が添えられている。以下、吉岡の著書・作品掲載誌・装丁作品(〈第2章 書物の王としての詩集〉の〈4 小田久郎 思潮社〉の吉岡の詩集の書影など、大判の誌面を活かしたほれぼれする出来ばえ)がいたる処に鏤められている。書棚に排架して背文字を見せる工夫は、各冊の大きさが判って嬉しい。川本要氏作成の書誌も充実しているし、内田明氏による活字の呼称にも教えられる処が多かった。繰りかえし紐解く、必携の文献になるだろう。吉岡実本を紹介した、近来まれにみる雑誌特集として推奨に値する。
●高校時代は放送部に入っていた。その関係で、NHKのベテランアナウンサー小林利光さんからアナウンス指導を受けたことがある。「きみの発音は〈い〉と〈え〉の区別が曖昧だね。どこの出身?」と問われたので、東京育ちだと答えると、じゃあ両親は、と重ねて訊かれた。父は群馬で母は新潟だと言うと、腑に落ちない様子だった。地域性にも還元できない奇妙な発音だったようだ。一方で、軽音楽(いや端的にロック)にも興味があったから、一学年先輩のバンド(ギターの津田さん、オルガンの鎌田さん、それにベース、ドラムスの4人編成)の選曲には大いに関心を抱いた。アイアン・バタフライ〈In-A-Gadda-Da-Vida〉、ディープ・パープル〈Strange Kind of Woman〉はいかにもだったが、変わったところではCSN&Yの〈Ohio〉があった。そうした中でいちばん印象深いのがピンク・フロイドの〈A Saucerful of Secrets(神秘)〉だ(フロイドの演奏は、オリジナルのスタジオ録音よりもライヴの方が圧倒的に素晴らしい)。当時のフロイドのステージでも再現されていた前半のSEふうの展開や、中間のメイスンのドラムスを中心とする打楽器の乱舞があったかどうかはっきり憶えていないが、後半のコード進行があるパートはみごとだった。4小節ごとに【 】で括ってそれを示せば、次のようになる(曲のクレジットはメンバー全員の共作になっているが、実質的な作者はヴォーカルをとっているギルモアだといわれる)。
【Bm A E F#】【D G E A】【F# Bm G F#】【Em D F# F#】
これを繰りかえして、エンディングの【B】はGSふうでもある。かつてピンク・フロイドに熱狂した覚えはないのだが(来日公演も観ていない)、黄金期のウォーターズ、ライト、メイスン、ギルモアが最後に揃った2005年のライヴ8のステージには感動する。1970年代の初めに、ジミー・ペイジがレッド・ツェッペリンはプログレッシヴかと問われて、本当にプログ レッシヴなのはピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだと答えたのは有名な話だ。ピンク・フロイドは中心人物がシド・バレットからウォーターズに切り替わった時期だろう(フロイドとツェッペリンは、ロイ・ハーパーを介してつながる)。ちなみに、私が愛聴するのは《Atom Heart Mother(原子心母)》(1970)だ。タイトル曲は、1970年代後半、確か佐藤信の黒テント公演(〈喜劇昭和の世界 三部作〉のどれか)で使われていたと記憶する。土方巽歿後の暗黒舞踏のステージでは、APPのインストゥルメンタル曲がかかっていた(〈Where's the Walrus?〉だったか)。前衛的な舞台とプログレッシヴロックとの親和性をうかがわせるが、《土方巽頌》にそれらに関する記載はない。

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編集後記 143(2014年9月30日更新時)

吉岡実と写真について書いた。先に〈〈父の面影〉と出征の記念写真〉を 執筆したが、今回は写真全般にわたる。デジタルカメラの登場以降、写真の撮り方は激変した。なんの惜しげもなくシャッターを切るようになったのだ。私の父は二眼レフをおもに三脚に据えて家族の写真を慎重に撮っていた。私は小学生のときに初めて買ってもらったオリンパスのペン――同級生の父親のプロのカメラマンが薦めてくれた――というハーフサイズカメラ(35mmのフィルムに2コマ写せる傑れ物)を手始めに、カメラ好きの伯父が薦めてくれたニコンのFE(吉岡家蔵の稀覯書を接写した)、富士フイルムのカルディア(岡嶋二人の長篇小説《とってもカルディア》に登場する)、リコーのコンパクトカメラ(RZ-75――《ラクラクDTP 編集者バイブル〔特集アスペクト42〕》アスペクト、1998、七〇ページ――は当時私が使用していたもの)などのフィルムカメラを使ってきたが、本サイト開設の少しまえにデジタルカメラ(パナソニックのLUMIX DMC-LC5)に切り替えた。本サイトに掲載する1点の書影のために10カットくらい撮るのだが、フィルムカメラでこんな撮り方はできない。フィルム代も現像代もかかるうえ、撮ってすぐに見ることさえできなかった。デジタルカメラ全盛の時代、吉岡実詩の「秘密写真」がどんなものかは伝わりにくい。「笠井叡「タンホイザー」公演のために、中西夏之が製作したポスターが、限定頒布された。それは、澁澤龍彦秘蔵の外国の古い桃色写真ともいうべき、裸の少女ふたりの相愛図である。銀色のシルクスクリーンで刷られ、朱と緑の微細な点がかすかに見える。公演の当夜、入口近くに展示されていたのだが、官憲に通報されたらしいとのことで、すぐに覆いをかけられてしまった。しばらくして、予約した一枚を、笠井叡が届けてくれた」(《土方巽頌》筑摩書房、1987、三三〜三四ページ)。この〈19 少女相愛図のポスター〉の「桃色写真」がそれに近いか。四半世紀ほど前には、その手の写真が神保町あたりの怪しげな本屋で売られていたものだが、写真はおろかハードコアの動画までインターネットで簡単に視聴できる今日、はたして「秘密写真」は存在するのか。
●壺井繁治詩集《老齢詩抄》の特装限定版を入手したので、〈吉岡実の装丁作品(3)〉に追記した。ついでだから、《風船》と《老齢詩抄》普及版の書影も撮りなおした(中村光夫・氷上英廣・郡司勝義編《中島敦研究》、西脇順三郎詩集《人類〔限定版〕》、飯田善國詩集《見知らぬ町で〔特製版〕》の書影も修正して、必要に応じて〔追記〕を掲げた)。普及版と特装版が同寸な ら、なるべく同比率で撮るようにしている。また、仕上がりは左右290ピクセルを基準にしている。もとより本のサイズは《風船》と《老齢詩抄》のようにまちまちだから、すべてが同じ比率ではない。そのためもあって、各タイトルの本文ページの天地左右の寸法を記している(上製本なら、天地にチリの6ミリを足した大きさがおよその仕上がり)。ブックデザイナーの遠藤勁さんの《遠藤勁のブックデザイン 1967-2012――発行順書目一覧》(遠藤勁デザイン事務所、2013年12月1日)は「書影のほとんどはカバーの表1(表面[おもてめん])。各書影の縮小比率は〔冊子の〕本文中を実物の0.082%、表紙まわりを0.16%としたが〔……〕」(〈メモのような「あとがき」〉)と同じ縮小率を謳っている。キリヌキ写真なのも目に快く、シャドウが付けてあるのも丁寧な仕事だ。本サイトでは書物のバック紙としてフォレストグリーン色の「ビオトープGA」を敷いているが、色調を揃えるまでには至っていない。自然光で撮っているせいのバラツキもある。
●宮坂康一《出発期の堀辰雄と海外文学――「ロマン」を書く作家の誕生》(翰林書房、2014年3月20日)の〈はじめに〉には「堀辰雄が海外文学をいかに咀嚼し、自己の創作意識を、それを反映した作品を作り上げていったか、その文学的歩みを可能な限り明らかにしていくこと。これが本書のねらいとなる」(同書、一七ページ)とある。ところで、ユリシーズ編《解読レッド・ツェッペリン》(河出書房新社、2014年6月30日)には、野崎歓や林浩平といった文学者を顔色なからしめるように、〈レッド・ツェッペリンと300枚のアルバム〉という紹介記事が掲げられている。圧巻である。そのまえがきに相当する座談会で、レヴューの執筆者の一人でもある平治が「ツェッペリンのファンはシド・バレットもテレヴィジョン・パーソナリティーズも聴いた方がいい」(同書、一四七ページ)と発言している。後者は知らず、シド・バレット(1946〜2006)はピンク・フロイドの《夜明けの口笛吹き》(1967)と最初のソロアルバム《帽子が笑う…不気味に》(1970)のCDがあったから、第二作《その名はバレット》(1970)と拾遺的な《オペル》(1988)を借りてきて、本稿を執筆しながら聴いている。ジェイムズ・ジョイスの詩に曲を付けた〈金色の髪〉なる曲もある。デヴィッド・ボウイやジミー・ペイジがこの「クレイジー・ダイアモンド」に傾倒したのも頷ける。

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編集後記 142(2014年8月31日更新時)

吉岡実詩における絵画に ついて書いた。今回は触られなかったが、いずれ曽我蕭白、長沢蘆雪、伊藤若冲といった江戸期の異端の画家たちとのことも書きたい。ところで、本後記の草稿を7月19日に書いているのだが、各紙は河原温が81歳で亡くなったと12日に報じた。いま改めて《私のうしろを犬が歩いていた》収載の河原の〈浴室〉を観ると、そこには「カワラ・オン 53」と描きこまれていて、吉岡が《静物》(私家版、1955)の詩を書きつつあった時代の作品だと知れる。吉岡の日記には、1959年「〔昭和三十四年〕四月十二日〔日曜〕 銀座、ウェストで江原順の紹介で河原温と会う。「浴室シリーズ」の一作品をわけてもらう」(〈断片・日記抄〉、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》思潮社、1968、一二〇ページ)とある。その5日前の4月7日には《僧侶》がH賞を受賞しているから、自身の40歳の誕生日(4月15日)と併せて、それを記念するために入手したものか。私には河原の〈浴室〉が《僧侶》と地続きの世界に見えてならない。ちなみに「河原温様/1959.8/吉岡實」と献呈署名のある《僧侶》がかつて神保町の小宮山書店に出ていた。
〈編集後記 103〉でも触れた元APPのエリック・ウルフソンのアルバム《Poe: More Tales of Mystery and Imagination》(2003)の舞台化を収録したDVD《ERIC WOOLFSON'S POE――THE WORLD PREMIERE SHOWCASE PERFORMANCE at Abbey Road Studios》(2010)を視聴した。ミュージカルに詳しくないのでインターネットで検索すると、「ショーケース公演」は「「公演」〔と〕いう文字が付いていますが、大規模な会場で大々的にやる本来の「公演」とは違い、こじんまりとした会場で、ファンクラブの会員や、招待者を対象に、実験的なことや、劇団や楽団なら研究生の発表の場としたり、お試し公演というような形のステージです。〔……〕本格公演の前に演出の反応を見たり、裏方スタッフのトレーニングという狙いの場合もあります」([Q&A] ショーケース公演って・・ 【OKWave】) とある。ウルフソンの秘蔵っ子(といっても《Jesus Christ Superstar》で名を挙げていたが)スティーヴ・バルサモがポウを演じた本作の聴き処は、ラストナンバーの〈Immortal〉だ。キーがGm(サビはBb)なのに、歌が始まるのはFから、という大胆極まりない展開だ。4小節ごとに【 】で括ってコード進行を示す。イントロはGm9とGm(+5)9の繰りかえし。
【F Eb Gm7 Gm7】【F Eb Gm7 Gm7】【Cm7 F7 Bb Cm7】【F Eb Gm7 Gm7】――A1
【F Eb Gm7 Gm7】【F Eb Gm7 Gm7】【Cm7 F7 Bb Gm】【Cm7 F7 Bb Eb】【F Eb Gm7 Gm7】――A2
【Bb Gm(on Bb) Bb Bb(on Bb・D・Eb・D)】【Cm Ab F7 F7】――B1 B2=B1
エンディングは、B1をハ長調に転調して「不死」を謳いあげる(最後は【C Am Ab Fm7】【C】)。フェイク気味に崩した節回しもウルフソンのデモ音源にすでにあるものだ(ミュージカルの本格公演だろうYouTubeの〈Steve Balsamo- Immortal〉における最終ミの音は、バルサモの付加だろう)。ウルフソンのソロ《Poe: More Tales of Mystery and Imagination》をアラン・パーソンズとのデビューアルバム《Tales of Mystery and Imagination: Edgar Allan Poe(怪奇と幻想の物語――エドガー・アラン・ポーの世界)》(1976)に及ばないとする意見がある。たしかにコンセプトの二番煎じの感は否めない(プロジェクトをやっているあいだに、もう一度ポウを手がけるわけにはいかなかっただろう。しかしこの実質的なラストアルバムの爛熟ぶりは、《ゴールドベルク変奏曲》に始まり、同曲で終わったグレン・グールド――このピアニストもスタジオ録音の魔術師だった――を彷彿させる)。《Poe》はバルサモをポウに見たてたことによって、そのミュージカルふうの楽曲にロックバンドの背骨が一本通って、持てるアイデアをすべて投入したかのような《Tales》のサウンドと一線を画した。ミュージカルには食指の動かない私がウルフソンの作品に惹かれるのは、バルサモのヴォーカルに代表されるロックバンド性ゆえだろう(ショーケース公演は歌手たちの演技がそれなりに楽しめたが、スタジオ録音とは別物である)。イアン・ベアンソンのギターがなくても、アラン・パーソンズのプロデュースがなくても、これはソングライターとしてのウルフソンの最も重要な作品である。ときに、APPが現役時代にライヴパフォーマンスをしなかったのは、エンジニア=パーソンズではなく、音楽家=ウルフソンの主張に基づいたのではないか。スタジオ録音のマジックをライヴで再現することは不可能だからだ。私は、“Eric Woolfson Project”の代表作として、ウルフソンの最初のソロアルバム《Freudiana》(1990)――ベアンソンがギターを弾き、パーソンズがプロデュースした最後のウルフソンの作品――と白鳥の歌である《Poe》をダビングした2時間ほどのMDを繰りかえし聴いて、いっこうに飽きる気配がない。
●魚籃観世音菩薩像(三田・魚籃寺)の写真を〈《魚藍》と魚籃坂〉に追補した。

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編集後記 141(2014年7月31日更新時)

吉岡実と落合茂に ついて書いた。かわじもとたか編《装丁家で探す本――古書目録にみた装丁家たち》(杉並けやき出版、2007)は1000人を超える装丁家を収容した労作だが、落合茂の名は見えない。一方、先月紹介した真鍋博は109タイトルが収録されている。そこから真鍋が装丁した詩集を拾ってみると、岩田宏《いやな唄》、黒田喜夫《地中の武器》、田村隆一《言葉のない世界》、関根弘《約束したひと》、高見順《わが埋葬》、金子光晴《屁のやうな歌》、黒田三郎《もっと高く》、入沢康夫《牛の首のある三十の情景》がある。吉岡実と真鍋博で触れた思潮社刊の〔現代日本詩集〕が多いが、真鍋が単行詩集の仕事も大事にしていたことがうかがえる。
●林哲夫さんのブログで《菊地信義とある「著者11人の文」集》を読み、7月6日、梅雨の合間の晴れの休日、横浜まで足を延ばした。午前10時、そごう横浜店のそごう美術館で四谷シモンの《SIMONDOLL》(5月31日〜7月6日)を観る。アトリエを模した撮影自由の一画に〈シモンドール〉(2013)が飾られていたのは嬉しかった。展覧会開催を記念して求龍堂から刊行された作品集を求める。みなとみらい線の元町・中華街駅で降りて、港の見える丘公園の県立神奈川近代文学館へ。菊地信義の装丁作品を集めた《装幀=菊地信義とある「著者50人の本」展》を観る。前日が菊地さんの講演だったせいか、お客も少なめでじっくりと観ることができた。吉岡実関連の展示があったので、備忘のために《吉岡実年譜》【草稿】として以下に録しておく。
――二〇一四年(平成二十六年)歿後二十四年 《装幀=菊地信義とある「著者50人の本」展》(県立神奈川近代文学館、五月三一日〜七月二七日)で、菊地がアートディレクターを務めた書肆山田の雑誌《潭》全九冊が入沢康夫のコーナーに展示される(第二号は吉岡実の詩篇〈ムーンドロップ〉冒頭の見開きページ、他の八冊は表紙)。 ――
展覧会の記念刊行物《菊地信義とある「著者11人の文」集》(200部限定版)を購入。1978年7月9日、吉岡実が土方巽夫妻、澁澤龍彦夫妻、種村季弘夫妻、唐十郎・李礼仙夫妻、松山俊太郎夫妻たちと「四谷シモンの唄に聴きほれ」(《土方巽頌》筑摩書房、1987、一一三ページ)たという茶房「霧笛」で小憩。チーズケーキと珈琲のセット。茶房の前には、赤白二つのビーチパラソル。
●ギタリストの人気投票などに登場することはまずないが、イアン・ベアンソン(1953-)を評価したい。そのベアンソンがパイロット、アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)、キーツ以来の盟友であるベーシストのデヴィッド・ペイトン(1949-)と組んで、APP往年のヒット曲のカヴァーアルバムを発表した。《A Pilot Project》(Air Mail Recordings)の選曲構成は、2枚め(A)の《I Robot》(1977)から1曲、B《Pyramid》(1978)2曲、D《The Turn of a Friendly Card》(1980)4曲、E《Eye in the Sky》(1982)4曲、F《Ammonia Avenue》(1983)2曲、G《Vulture Culture》(1984)1曲の全14曲。なおAPPのオリジナルアルバムは、2007年リリースのボーナストラック満載のリマスター盤CDではなく、オリジナルフォーマットの11枚組全集《Complete Albums Collection》(2014)に依りたい。新生パイロットのベアンソンとペイトンは、APPのスタジオ録音でも演奏していて(ベアンソンは全作に、ペイトンは1987年の最終作《Gaudi》以外の9作に参加)、まったく違和感がない。内容空疎な新曲よりも、充実した過去の素材[マテリアル]を取りあげたのは見識である。だが私には、このアルバムが新作を発表しないアラン・パーソンズへの当てつけに思えてならない(邦題は《パイロット・プレイズ・アラン・パーソンズ・プロジェクト》だが、原題《A Pilot Project》=APPと、《Eye in the Sky》を模したジャケットが雄弁にそれを物語る)。本作が企画ものの水準を超えた出来だけに、彼ら二人をもってしてもAPPの故エリック・ウルフソンの穴を埋めることができなかったのは残念だ。すなわち、アラン・パーソンズの相方は務まらなかった。それはAPPの、いやアラン・パーソンズ(個人)のプロジェクトの現状を見れば明らかだろう。というわけで、ソングライターとしてのウルフソンの功績は日を改めて論じたい。
●岩波文庫の新刊が熱い。先月6月17日には、〈吉岡実とナボコフ〉で触れたナボコフ(富士川義之訳)《青白い炎》が刊行された。例の「月明り的[ムーンドロップ]な題名」は一七六ページに載っている。訳者の書き下ろし〈解説〉が読みたくてとりあえず購入したが、今度読めば《筑摩世界文學大系 81 ボルヘス ナボコフ》(筑摩書房、1984)、《青白い炎〔ちくま文庫〕》(同、2003)以来3度めになる。岩波文庫にはジュリアン・グラックの《陰鬱な美青年》をリクエストしたい。

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編集後記 140(2014年6月30日更新時)

吉岡実と真鍋博に ついて書いた。真鍋博初期の出版関係の仕事の一つに、栗田勇訳《ロートレアモン全集〔全V巻〕》(書肆ユリイカ、1957〜58)がある。角背・継表紙の平に各巻異なる金箔押しのカットを施したのは伊達得夫か。本文で触れたとおり、真鍋は第V巻のエッチングによる口絵を手掛けている(第T・U巻の口絵はいずれもダリ)。一方で真鍋は伊達が厚く信頼するデザイナーでもあった。大岡信の〈解説〉(伊達得夫《詩人たち――ユリイカ抄》)に依れば《ユリイカ》の表紙を飾ること21回に及ぶ。私が好ましいと思う真鍋博装丁本は、辻邦生の長篇小説《夏の砦》(河出書房新社、1966)だ。井上明久は同書の文春文庫版〈解説〉で「緑色の表紙の上製本がスッポリと納った機械函には、うすく淡い水色の地に、ロマネスク彫刻から想を得た、葡萄の木と天使と悪魔らしき鬼のようなものが点描で描かれている」(文藝春秋、1996年11月10日、四五二〜四五三ページ)と書いている。いま気が付いたのだが、緑色の表紙まわりの本に惹かれるのは、この布クロス(アートカンバス?)の《夏の砦》のせいかもしれない。
●井上自助《西洋美術史〔増訂版〕》(内田老鶴圃、1983)を読んだので、感想を記す。題して〈絵画・彫刻・建築から見た「人類史」〉。――著者は昭和大学客員教授を務めた洋画家(1912〜86)。初版は1968年だが、1983年に出た増訂版が現在も新刊で購入可能だから、半世紀近い驚異のロングセラーといえよう。モノクロの図版がほぼ全ページに入った本書は、書名のとおり「西洋・美術史」には違いないが、「美術」の側から見た「西洋史」とも受けとれる内容になっている。しかし、なんといっても興味深いのは、画家の視点で書かれた次のような記述だ。「クレタ絵画は技法と題材と表現法で特に興味深い。/技法の点ではまず宮殿の壁画を挙げねばならない。これは単に壁に描かれたというだけでなく,このような古い時代に,ほんとうのフレスコの技法を実にたくみに使用しているのである。/題材の点から見ると,彼等の好 んで描いたものは,花園や,またその中で鳥を狙う猫や,サフランを摘む貴人,花園に憩う貴婦人の姿,さらに海中に游泳する魚類などである。このような題材のとりあげ方をみると,絵画は彼等の生活の具象的な説明であるばかりでなく,彼等の生活と自然に対する感情や態度の表現として重要なものであったのである」(21〜22ページ)。油彩に比べてやりなおしのきかないフレスコ画の難しさを指摘する一方で、描かれた対象から描き手の内面を分析する。こうした柔軟な姿勢が、先史時代の美術から第二次大戦後の絵画まで、という途方もない時間=歴史における人類の歩みを凝縮して書ききる支えになっているように思う。著者が本書の執筆に励んでいただろう1960年代の半ば、私は井上絵画教室で先生から水彩画の手ほどきを受けていた。奇妙な形の唐冠貝の貝殻や、からからに乾いたトウモロコシ、季節の果物といった静物を写生する小学生の傍らで、美大受験を控えた青年が石膏像の木炭デッサンに励んでいた。消しゴムのかわりに食パンでこするのを見ながら、不思議なことするものだなあと感じた。
●レッド・ツェッペリンの初期3作(《レッド・ツェッペリン》、《同U》、《同V》)が、ジミー・ペイジ監修の新デジタルリマスター音源で再発された。1986年から順次CD化された国内盤、1993年のボックスセット《Complete Studio Recordings》、そして今回の《2014リマスター〔デラックス・エディション〕》と聴いてくると、録音や映像関連の技術の動向に通じたペイジだけに、それぞれの時代にふさわしい仕上がりになっている(バンドの凄まじい歌唱=演奏とそれを定着した音源があればこそだが)。永年のファンにとって、オリジナルアルバムのリマスターもさることながら、目玉はコンパニオンオーディオ、付属CDだ。〔T〕が1969年10月10日、パリはオランピア劇場で収録されたライヴ演奏。Uが同アルバムのラフミックスやバッキングトラック、未発表曲。Vが同じくラフミックスやバッキングトラック、オルタネイトミックスなど。〔T〕―デビュー当時の彼らのライヴパフォーマンスは語り草になっているが、それが大袈裟でなかったことが実感できる。U―〈Whole Lotta Love〉のラフミックスは、楽曲の立ち姿がりりしく、プラントの歌が冴えわたっている。また、〈Thank You〉のバッキングトラックを聴けば、彼らの丁寧な仕事ぶりがわかろうというものだ。ツアーの合間に「勢い」でなされたなどという代物ではない。V―〈Bathroom Sound〉(〈Out On the Tiles〉のバッキングトラック)ではボーナムの「リードドラム」が炸裂している。一方で〈That's the Way〉の静謐な音像も捨てがたい。当時20代半ばのペイジは、一騎当千のメンバーを引きつれて、怖いものなしだった。なおかつギタリストとして、レコーディングプロデューサーとして、完全にできあがっていた。吉岡実が《静物》(1955)においてすでに吉岡実であったように。

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編集後記 139(2014年5月31日更新時)

岡崎武志・山本善行=責任監修《気まぐれ日本文學全集 57 吉岡実》目次案に ついて書いた。その〔追記〕で丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士《文学全集を立ちあげる》(文藝春秋、2006)に触れた。読書の愉しみのひとつに、単行本で読んだ本を文庫本で読みかえすというのがある。同書も前に図書館から借りて読んでいたが、今回の記事を書くために文庫本を購入した。最近読みかえして面白かったのが、丸谷才一《ウナギと山芋〔中公文庫〕》(中央公論社、1995年5月18日)だ。「文学散歩といふものにはあまり関心がない。地誌および作者の伝記についての調べに熱中するあまり、文学作品そのものはどこかへ行つてしまふのが普通だからだ」(一八一ページ)という書評〈随筆と批評の間――野口冨士男『わが荷風』〉の冒頭は「〈吉岡実〉を歩く」の姿勢を問うている。「一体にわたしはいろいろさまざまの速度で本を読むのである。その極端な場合には、巻末についてゐる索引を覗いて必要なところだけちよいと読む。これはずいぶんやりましたね。わたしのこの読書法(?)のことはいつか篠田一士に書かれてしまつたくらゐである。そしてちようど篠田のその随筆に接したころ、わたしは、『清新詩題』といふ大正のはじめに出た、漢詩の題ばかりずらりと並んでゐる、つまり索引だけで本文はないと言へる本をおもしろがつてゐる最中だつたので、思はず苦笑した〔……〕」(三三二ページ)は標題索引への考察を強いる。「他人の読書生活について知るのは好きで、それをおもしろいと思つた最初は、これも中学時代、林達夫さんの随筆で、自分には本の見返しのところに手製の索引を作りながら読む悪癖(といふ言葉がたしか使つてあつた)がある、といふくだりに出会つたときである。何といふしやれた話だらうと思つて、むやみに感激し、しよつちゅうではないがときどき真似をして、本の見返しを汚した。今でもたとへばジョイス関係の本であまり学問的でない、そのため索引のついてゐない本や、江戸の随筆類を読むときは、ついこれをやつてしまふ。それから、索引つきの本でも、項目を自分で補ひながら読む。著者のつけた索引は手前勝手で、こちらの関心事はなほざりにしてあるのが困る」(三三三ページ)は、《吉岡実全詩篇標題索引》を編む者を鼓舞し、鞭撻する。この二つの文章は編著《ポケットの本 机の本》の序文〈縦横ななめ〉から。索引を重視する読み手は多いが、丸谷ほど熱心にそれを語った書き手=小説家・批評家をほかに知らない。
伊達得夫《ユリイカ抄》の装丁に ついて書いた。私はそこでも人名索引(「吉岡実」の項だけだが)を自作している。今回はそうした話題が多かったが、これは偶然ではなく、日頃からそうした方面に関心があるということだ。第一級の人物は創作し、二陣がそれを批評し、三番手がそれらを研究する、というのは偏見かもしれないが、索引づくりが最初でないことは確かだ。長谷川郁夫《われ発見せり――書肆ユリイカ・伊達得夫》(書肆山田、1992年6月15日)を再読していたら、伊達は昭和16年4月、京都帝国大学経済学部に入学、その秋に「京都帝国大学新聞」編集部に入部したとあった(同書、五一ページ以降)。伊達はUPU(旧社名はユニバーシティ・プレス・ユニオン)の吉澤さんや枚田さんの先輩に当たるわけだ。UPUは人材の宝庫だった。まず挙げなければならないのは、黒岩比佐子さんだ(さきごろ単行本未収録エッセイ集《忘れえぬ声を聴く》と文庫版《パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い》が出た)。花崎さんと竹沢さんは大分・国東で農業をしていて、我が家では「ヒノヒカリ」を五分搗きしてもらった米を常食している。向原さんは鹿児島県知事に立候補したが、惜しくも落選した。田柳さんは大学教授、宮崎さんは会社の社長だ。《エスクァイア日本版》(これが正式な雑誌名で、ロゴは「Esquire」。当時の関係者の経歴でも妙な表記が入りみだれているのは寒心に堪えない)の編集や営業が多士済済な顔触れだったことはいうまでもない。以前、編集後記で触れた池澤夏樹《ぼくたちが聖書について知りたかったこと》(小学館、2009)は、長澤編集長が手掛けた本だったし、朽木さんや石田さんなど女性の著者、編集者の活躍には目覚ましいものがある。黒岩さんが往時のことを書いてくれていたら、どんなに興味深い回想=社史に なったことだろう、と夢想する。
●吉岡実装丁本の紹介を一通り終えたので、《装丁家としての吉岡実》を縦組みの書籍に編集して、PDFファイルで後日公開する予定だ。《〈吉岡実〉の「本」》は不定期掲載になるが、長い間ご愛読いただきありがとうございました。今後は、吉岡実装丁本の限定版書籍等の記事を補っていきたい。今日5月31日は吉岡実の祥月命日。2014年、菩提寺の醫王山東光院眞性寺は「江戸六地蔵尊開眼三百年祭」を執りおこなっている。境内には多くの献燈が置かれ、白赤黄緑紫五色の吹きながしがひるがえり、銅造地蔵菩薩坐像の赤いよだれかけが常になく鮮やかだ。

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編集後記 138(2014年4月30日更新時)

《魚藍》と魚籃坂について書いた。この冬、東京は近年にない積雪に二度見舞われた。掲載写真はその間に撮影したもの。幽霊坂からは、ライトアップされた東京タワーが目前に見えた。
● 今月は《〈吉岡実〉の「本」》の定期更新がないので、最近読んだ装丁に関する二冊の新書について書こう。長友啓典《装丁問答〔朝日新書〕》(朝日新聞出版、2010年12月30日)と和田誠《装丁物語〔白水Uブックス〕》(白水社、2006年12月20日)で、前者の書名は想定問答のもじりだ。後者は単行本で読んでいるから再読になるが、細部を忘れていて新鮮に読める。長友本は気に入った装丁を語りつつ自己を語るというコラムふうの体裁で、和田装丁の井上ひさし《円生と志ん生》・小出龍太郎《小出楢重》、和田誠《指からウロコ》を評した二つの記事(〈デザインが表に出ない装丁〉、〈「ええ顔」をしている本〉)がある。一方、和田本は長友に限らず他者の装丁を語らず、話し言葉の文体を採用して、随筆の体を装う。単行本の〈あとがき〉には「白水社の和気元さん〔……〕を聞き手に語りおろしをすることにしたのですが、一どきにあまりたくさんのことはしゃべれません。断続的に少しずつ話をして、結局一年かかりました。/これは仕事の話ですから、専門用語がたくさん出てきます。編集者の和気さんにはなじみの言葉ばかりなので問題はないのですが、想定する読者は専門家ではなく、一般の本好きの方々です。そのことを考えて大幅に加筆した結果、語りおろしの部分より、書きおろしの部分が多くなりました」(《装丁物語》白水社、1997年12月10日、二八九ページ)とある。両氏の執筆の姿勢の違いは装丁の作風にも表れているようで、興味深い。すなわち、長友の直球勝負に対するに和田の親切設計。長友本から引く。( )内の数字は掲載ページのノンブル。

@ 指定の方法、A装丁者のクレジット、B「造本設計案」、C表紙まわり、D腰巻き=帯、E著者自装、F全集もの。レベルは異なるが、みな吉岡実装丁を論じるときの重要な観点となる。《装丁家としての吉岡実》の総論を執筆する際にじっくりと考察したい。和田本からは、映画に関する書籍の本文レイアウトについての証言を引く。

 この時〔渡辺武信の『映画は存在する』(75年・サンリオ出版)〕も本文のレイアウトをやりましたが、そのデザインが実はその後の映画の本の作り方にちょっと影響をおよぼしているんです。
  と言うのは『映画は存在する』の著者は本文の原稿だけじゃ映画に対する想いが書きたりなくて、本文を補足する註をいっぱい書いたんですね。註というのは、巻末にまとめて入れるか、各章の最後に入れるのが普通のやり方でした。でも文章に沿ってついている註なので、ぼくは文章のその個所のできるだけ傍につけようと思いました。それで脚註という形をとった。〔……〕
 ついでに脚註と同じ位置に写真も使いました。ページいっぱいの大きな写真もあるんだけど、映画の本なんだから、映画を説明するのにその映画のスチールはぴったりです。それで写真に註の役割をさせる。これもちょっと新しい試みでした。〔……〕
 まあそんなわけで、映画の本に脚註というのはとてもうまく行きました。映画は監督や出演者、カメラマンや作曲家、製作年度、カラーかモノクロか、スタンダードかワイドスクリーンか、原作者は誰か、などなど説明したい要素が山ほどあります。それをいちいち本文の中に入れていたら文章として間のびがしてかったるくなる。そんな時、その文章のそばにこういう補足的なことがあるといいんですね。興味のある人は註で確認できるし、特に興味のない人は註を読まなくても差しつかえないわけですから。(98〜100)

〔白 水Uブックス〕(元版も)の表紙とジャケットに脚註の図解が掲載されているから、「そのころから映画に関する本はA5判で脚註入りというのが多く見られるようになったような気がします。とは言っても脚註自体はぼくの発明ではありませんから、とりわけ自慢しているわけではありません。ちょっとだけ」(101)は謙遜である。本文のすぐ近くに註や写真を置くという、考えてみれば当たり前のことを誰が最初に始めたかは、和田のように本人が証言しない限り後世に伝わらない。安藤元雄は、詩集のレイアウトで詩篇を見開きで起こすやり方を早い時期に採用した吉岡実を讃えた(〈吉岡実を偲ぶ会〉〔1991年10月、浅草・木馬亭〕での発言)。開発したのは吉岡でも安藤でもないようだが、造本・装丁に人並以上の関心を持つ詩人に依ることは確かだ。
●ひさびさにギタリスト=エリック・クラプトンを堪能した。私が最初に買った洋楽のLPはクリームの《グッバイ・クリーム》(1969)だった。今にして思えば、《クリームの素晴らしき世界(Wheels of Fire)》(1968)の縮小再生産、活動期間2年余りで解散したバンドの置き土産に過ぎないが、当時の私にとってはロックに開かれた窓だった。A面に2曲しか入っていないのを見て驚嘆した。ライヴの部では(LPはライヴが3曲、〈バッヂ〉を含むスタジオ録音が3曲)、後年〈トップ・オブ・ザ・ワールド〉などの粘っこいブルーズギターも愛聴するようになったが、血気盛んな中学生は〈アイム・ソー・グラッド〉一本槍だった。十六分音符のスピード感はスリルに富み、三連符でタメをつくって煽るフレーズは泉のように清冽で、その音色は優美。それゆえ初めてジミ・ヘンドリックスを聴いたときは、粗野にさえ感じた(ヘンドリックスのグルーヴにはまると、クラプトンがお上品に感じられてしまうのだが)。スティーヴ・ウィンウッドを擁したブラインド・フェイス、デュアン・オールマンが客演したデレク・アンド・ザ・ドミノスあたりまでは新譜で聴いたが、ソロになってからは興味を喪った。達者なギターを弾く歌手は、私のエリック・クラプトンではない。ジャック・ブルースがいてジンジャー・ベイカーのいたクリーム時代が、ギタリストとしての絶頂期だったのではないか(好敵手ヘンドリックスも健在だった)。2011年の来日公演が好評だったウィンウッドとの共演を、《Live From Madison Square Garden》(2009)で聴いた。二人はそこで、ヘンドリックスの〈ヴードゥー・チャイル〉をカヴァーしている。オリジナルの《エレクトリック・レディランド》(1968)でハモンドオルガンを弾いていたウィンウッドは、ヘンドリックスのヴォーカルパートも担当。クラプトンはギターに専念しているせいか(イントロのギターとのユニゾンのパートだけ歌っている)、うねるようなロングトーンのチョーキングなど、鬼神が乗りうつったかのようだ。さすがにヘンドリックスがB-D-B-D……とハンマリングオン/プリングオフを繰りかえしながら、すなわちトリルしながら徐徐にアームダウンしていくギミック(ドップラー効果?)は、再現していないけれども。ヘンドリックスやジェフ・ ベックとは異なり、クラプトンはストラトキャスターのトレモロアームを外して弾く。ベックはその後ギタリストとしてアーミングを極めたが、クラプトンはギターの上手い歌い手として大成した(ライヴCDとは別物だが、〈ヴードゥー・チャイル〉の映像はコチラ)。
●来る5月31日は、早いもので吉岡実歿後24年である。来月は、吉岡実装丁本の紹介の最終回、伊達得夫《ユリイカ抄》を予定している。飯島耕一が〈吉岡実〉の発見者なら、伊達得夫はその才能を引き出した最初の編集者・出版者だった。最終回にふさわしい記事になれば、と思う。

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編集後記 137(2014年3月31日更新時)

吉岡実と飯島耕一に ついて書いた。飯島の詩〈階段の上と下で〉(《私のうしろを犬が歩いていた――追悼・吉岡実》書肆山田、1996)にあるように、飯島耕一が吉岡実という詩人を発見した。吉岡には随想〈飯島耕一と出会う〉(初出は《四次元》7号、1978年8月)があり、両者の対話に〈詩的青春の光芒〉(《ユリイカ》1975年12月臨時増刊号)がある。同人詩誌《鰐》の中心人物だったのも、土方巽を吉岡に引き合わせたのも飯島耕一だった。詩人であり、名伯楽だった。
安藤元雄詩集《船と その歌》初版の装丁について書いた。本文でも触れたように、同書の初版は入沢康夫装丁で、吉岡実装丁の〔別製版〕は未見である(限定15部本だけに、いつ見ることができるかわからない)。現時点で私にとって「存在しない書物」の装丁について書いたため推測が多く、ご覧のような長文になった。吉岡実装丁のレビューも大詰めということで、対象本を見ていない点をご容赦いただきたい。なお、次回が吉岡実装丁本の紹介の最終回になる。
●林哲夫さんがブログで〈木山捷平資料集〉について「木山捷平に関するものなら何でもすべて集めようというのだから、もう空恐ろしい情熱だ。マン・レイ石原氏とか吉岡実の小林氏とか、世の中には岩を貫くような凄い人がいっぱいいて圧倒されるばかり」と書いている。マン・レイの石原輝雄氏こそ凄い人で、林さんの言は〈吉岡実〉の布教を地道に続ける私には面映ゆいかぎりだ。石原輝雄《マン・レイになってしまった人》(銀紙書房、 1983年6月6日)から引くなら、やはりここだ。「一八九〇年にフィラデルフィアで生まれた一人の男が「マン・レイ」と名乗って人格の置き換えをやってのけた背景には、レディーメードとしての人間に対するペシミズムがあるといえる。彼の芸術が普遍性を持つのはこの為であり、彼に関る私が彼に成り代わるのを許すのもこの点にあるのだが、この私は何人目の「マン・レイになってしまった人」になるのだろう」(同書、三ページ)。「マン・レイになってしまった人」といい、瀧口修造の土渕信彦さんといい、美術関係の研究者は資料収集が作品のコレクションに直結するのだから、資金面や資料の整理・保存など、文筆家を研究する者の想像を超える苦労があるに違いない。圧倒されるばかりだ。
●The Rolling Stones(以下、ストーンズ)が来日した。1990年2月の初来日時にはチケットの争奪戦があり、同僚からダブった券を定価で買わされて東京ドーム公演を観た。ファンとは身銭を切って音源や映像を購入したりコンサートに足を運んだりする人間のことをいうのだから、私はストーンズのファンではない。だが、その音楽には敬意を払ってきた。ミック・ジャガーとキース・リチャーズの曲作りで特徴的なコード進行がある。キーがCメジャーだと、ふつう根音がド・レ・ミ…シの順に、C・Dm・Em・F・G7・Am・(Bm7-5)といったコードを使う。ストーンズの初期の曲では(Cメジャーで説明すると)Tell Meに「E―F―G―C E―F―D―G」、As Tears Go Byに「C―D―F―G」というコード進行があって、このEやDの使い方が実に効果的だ。ほかにも(オリジナルのDのキーで表示しないと感じが出ないが)、歌が始まってすぐのCで驚かせるLady Janeがあり、サビはなんと「E7(on G#)―Am―D7(on F#)―G―Cadd9―D7(on F#)―Am―D」である。リチャーズのリズムギターの刻みも悪くないが(最高傑作はJumpin' Jack Flash)、初期のバラード系のコード進行こそ、ポップミュージックへの彼らの最大の貢献ではないか。私はベスト盤で初めて触れたSittin' on a Fenceを愛聴するが、「ストーンズこの1曲」となればHonky Tonk Womenだ。イントロのカウベルにドラムスが被さってくる処の「何かが始まる感」がたまらない。

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編集後記 136(2014年2月28日更新時)

吉岡実と加藤郁乎に ついて書いた。吉岡の1986年1月17日の日記に「午後いちばんで、加藤郁乎へ電話する。土方巽の病気のことはまったく知らず、驚く。宗教上の理由から、病気見舞いには行けないが、祈祷してくれると言う」(《土方巽頌》筑摩書房、1987、二〇七ページ)とある。崇教真光の熱心な信徒だった加藤は、私が見るところ吉岡の葬儀に参列していない(1月21日に土方巽が亡くなったのち、吉岡との精神的紐帯が切れてしまったようにも見える)。いずれにしても、晩年の吉岡実詩への言及がないのは寂しい。〈編集後記 52〉で紹介した松山俊太郎・渡辺一考との〔鼎談〕で、吉岡の稲垣足穂への親炙を指摘しているのは貴重だ。
野原一夫《太宰治 人と文学〔上・下〕》の装丁について書いた。私は太宰文学のよい読者ではない。研究書にも親しんでいないため、《太宰治 人と文学》が類書の中でどのような位置を占めるのか詳らかにしない。ただ、人間太宰と太宰文学への敬愛に満ちた本であることははっきりわかる。野原の他書にこうある――「失業中だった私が、社長古田晁の好意によって筑摩書房に入社させてもらったのは、第四回桜桃忌の直後の二十八年九月であるが、その二年後の三十年十月から刊行を開始した『太宰治全集 全十二巻』の編集を私は担当した。/〔……〕/私はただ、無二の文学者だと思っている太宰治の『全集』として、それにふさわしい本を造りたいだけだった。編集担当者として一番大切な仕事は、本文校訂に完璧を期することである。原稿、初出誌、初版本、再版本、すべてに当って、その間の異同を調べ上げ、その上で底本を決めていかねばならない。美知子未亡人からお手許に残っている原稿をお借りし、また東大図書館になど通いながら、この根気のいる七面倒な仕事に、私は打ち込んだ」(〈太宰治歿後五十年に際し〉、《回想 太宰治〔新装版〕》新潮社、1998年5月25日、二一九〜二二〇ページ)。言うは易いが、なかなかできることではない。第六次までの筑摩版太宰全集の編集を担当し、本文が血肉化した野原によって太宰治の人と文学の全貌が明らかにされたのは道理である。一方でそれが、太宰治に同情的でない読者をも巻き込んでいく底のものでないことも確かだと思う。
●ひところよく聴いていたのがスティーヴィー・ワンダー、1976年のアルバム《キー・オブ・ライフ(Songs in the Key of Life)》だ。《ファースト・フィナーレ(Fulfillingness' First Finale)》(1974)はリリース直後に愛聴したが、本作とはじっくり付きあう機会がなかった。1976年の秋といえば《サフラン摘み》が出たときだから、スティーヴィーの新譜など目に入らなかったか。楽曲の良さ――〈土星(Saturn)〉の悠揚として迫らぬ展開は出色――もさることながら、アレンジがすばらしい。スティーヴィーのアルバムは《トーキング・ブック(Talking Book)》(1972)から《キー・オブ・ライフ》ぐらいまでしか知らないが、本作は作曲家・演奏家・歌手としてひとつの頂点を極めた作品だ。

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編集後記 135(2014年1月31日更新時)

〈吉岡実の装丁作品〉の現在に ついて書いた。書棚を整理していたら、菊地信義《装幀談義》(筑摩書房、1986年2月25日)が出てきた。本書に一箇所、吉岡実の名前が見える。といっても菊地が吉岡実装丁に言及したわけではない。《潭》2号の表紙写真に執筆者として名前が載っているのだ(八三ページ)。菊地発言の「売れなくなった文芸書というのは、平台からもだんだん遠のいて、もう新刊書が二、三日で棚に入っちゃうという、つまり背の勝負みたいなことになっていくわけですね。そうすると、いくらそこにおへそみたいに何か絵のカットを入れてみても、もうそれはぼくの前の世代の方たちが、いろいろ工夫されているわけで、ぼくはぼくなりに何か背の工夫というのをしなければならないと思ったわけです」(九八〜九九ページ)の「ぼくの前の世代の方たち」の一人が吉岡である。菊地信義装丁の勘所は「テキストに対するイラストレーションや解説でありたくない」「テキストの構造でありたいと思っている」、物語の構造そのものに拮抗したい、という点にある(五五〜五六ページ参照)。その目指すところは「本というのは、どこか品があって、格があって落ち着いて、そこに相対して心を澄ましてくれるような印象が、まず第一になければいけないと思う」(一五五ページ)で、吉岡実装丁と相通じる。菊地が吉岡実装丁を論じないのは、吉岡が菊地信義の著書を装丁しなかったのとパラレルのような気がしてきた。
瀬戸内晴美《人なつかしき》の装丁について書いた。同書のちくま文庫版については本文で簡単に触れたが、文庫創刊時の全20タイトルを紹介した三つ折りの挟みこみに「目にやさしい八・五ポイント活字、読みやすい紙質、新鮮な装幀・造本は必らずご満足いただけることでしょう」とある。8.5ポの本文というのは英断で(それまで主体の8ポと8.5ポではページあたりの収容文字数が異なり、ページ数も増える、ということは原価も上がるわけだから)、年をとるに従って、目が衰えるに連れて、ちくま文庫のありがたみがわかろうというものである。
●《装丁家としての吉岡実》の進行状況をご報告しよう。前項の本文でも触れたように、存疑の作品を除く未紹介の吉岡実装丁作品は、残すところ3タイトルとなった。ひとつは原稿の準備が終わっており、ひとつは対象書籍が入手できないという前提で草稿ができており、ひとつは対象書籍は未入手ながら構想はある、というのが現状だ。毎月1タイトルずつ書いていけば、あと3箇月で完了することになる。《装丁家としての……》は吉岡の祥月命日の公開を目指しているが、作業の進行しだいで夏場にずれこむかもしれない。今が最後の追いこみであることは確かだ。
●2013年12月、ザ・タイガースが結成当時のオリジナルメンバー(加橋かつみ・岸部一徳・沢田研二・瞳みのる・森本太郎)で復活した。ツアーに合わせて刊行された瞳みのる《ザ・タイガース 花の首飾り物語》(小学館、2013年12月4日)は、彼らの代表曲の来歴を語って余すところがない。作曲者のすぎやまこういちは瞳のインタビューに「あれ〔〈花の首飾り〉の旋律〕は言葉〔公募に応じた菅原房子の歌詞〕を読んで、一番最初の1行〔「花咲く娘たちは」〕で出だしのメロディーが何か瞬間的にできたのかな。〔……〕そこまでできたところで、あっ、全部できたと思って、あとはスーッと、5分ぐらいでメロディーはもうできちゃいました」(同書、一六一ページ)と答えている。吉岡実は飯島耕一と歓談していて〈僧侶〉の想を得たというが、ともに一代の傑作にふさわしいエピソードだ。1月24日には(1971年のこの日、加橋の後任岸部四郎を擁した後期ザ・タイガースは解散した)、NHK BSプレミアムで最終日12月27日の公演が《ザ・タイガース 2013 LIVE in 東京ドーム》として放映された(22:00〜23:29)。1年前のツアーでは試運転といった感じの瞳のドラムが、今回はバンドの心臓として機能していた。瀬戸口雅資さんの〈2013.12.27東京ドーム『THE TIGERS 2013』 セットリスト&完全レポ〉によれば、瞳は初日の武道館公演のときより調子をあげてきたそうだが、40年間のブランクを感じさせない進化系には驚嘆のほかない。リードギタリストでもある加橋の歌声あってのザ・タイガースのサウンドだと再認識した。生で観ることはかなわなかったが、番組や昨年11月にリリースされた5枚組DVDでザ・タイガースのコンサートを堪能した。このバンドのファンであることを誇りに思う。

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編集後記 134(2013年12月31日更新時)

〈父の面影〉と出征の記念写真に ついて書いた。、組体裁確認用編者本《吉岡実未刊行散文集》(文藝空間、1999)の口絵に掲げたのが、〈父の面影――さがしもの〉の吉岡実自筆原稿だった。吉岡の未刊行散文の原稿は〈吉岡実資料〉を作成する際、陽子夫人から借覧したなかにもこの一篇しかなかった。詩は「草蝉舎」の名入りの原稿用紙に夫人が浄書したが、散文は吉岡が自筆で書いた。あとからの手入れはあるにしろ、一気呵成に仕上げたように見える。短距離走者型ゆえ、15枚の散文〈西脇順三郎アラベスク〉の構成にあれだけ苦労したのだ。まれに吉岡の詩稿(ほとんどが陽子夫人の浄書稿で、雑誌その他に掲載した印刷用の原稿で吉岡自筆のものは見ない)が古書市場に出るが、散文の原稿は私の知るかぎり一度もない。〈わたしの作詩法?〉が現存するのなら、なんとしても見たいものだ。
田村隆一《詩と批評E》の装丁について書いた。今回の記事は、今年の酷暑のころに第一稿を書いた。去る9月末に公開を予定していた《詩人としての吉岡実》の執筆や編集・修正・組版作業にどれくらい時間がかかるかわからなかったので、8月〜12月の5回分を夏に書きためたのだ。それが可能だったのも、田村隆一の《詩と批評》シリーズ全5冊まとめてだったからである。ところで、1960年代末から70年代初めにかけて、田村の《都市》や澁澤龍彦の《血と薔薇》といった文筆家の責任編集雑誌が発行されていて、吉岡は双方に詩集《神秘的な時代の詩》(1974)の詩を寄せている(田村は1950年代、ミステリーの編集者として早川書房に勤めていたから、単に文筆家とするのは正しくないが)。吉岡は吉岡で、田村と澁澤には筑摩書房のPR誌《ちくま》に書いてもらっている。とんでもない時代があったものである。
●伊藤信吉《ぎたる弾くひと――萩原朔太郎の音楽生活〔B版〕》を入手したので、〈吉岡実の装丁作品(24)〉に〔追記〕を書いた。通常の追記は数行のレベルだが、今回は同じ限定版ではあるが既報で対象とした〔A版〕とは別の〔B版〕であるため、本欄を通じてお知らせしておく(追記に合わせ、書影も撮りなおして差し替えた)。《〈吉岡実〉の「本」》では、今夏から落ち穂拾いのように追記を書いているが、これらは来年公開を予定している《装丁家としての吉岡実》の準備作業の一環である。どうか、《装丁家としての吉岡実》にもご期待いただきたい。
●ドリーム・シアターはウィキペディアで「アメリカのプログレッシブメタルバンド」と定義されているが、どうもこのヘヴィメタルというジャンルに食指が動かない。アイアン・メイデンやメタリカの音楽性に馴染めないのだ。バンドの実力はスローなバラードを聴けばわかる。そこでヘヴィネスが発揮できれば、本物だ。《Images And Words》(1992)の〈Another Day〉と《Metropolis Part 2: Scenes From A Memory》(1999)の〈The Spirit Carries On〉はドリーム・シアターのバラードの代表で、どちらもギターのJohn Petrucciのペンになる、ヘヴィメタルとは一線を画した楽曲。後者にはピンク・フロイド(とりわけロジャー・ウォーターズ)の影響が顕著だが、ライヴでの観客とのサビの斉唱が聴きどころだ。とはいうものの、スタジオ盤の出来は圧倒的で、ことばを失う。
●PCで原稿を書いたり調べ物をする部屋にスチール製の本棚を2本入れて、本やコピーのファイルを参照しやすくした。誰でもそうだと思うが、引用文や書誌を確認したくて資料を探したあげく、必要なものは見つからず、別の資料に読みふけることがある。企画段階ならそれでもいいが、原稿の仕上げにかかっているときに必要なものが見つからないのは辛い。自宅のどこかにある資料を諦めて、永田町の国会図書館(現在、印刷物資料のデジタル化を進めていて、50年ほど前の本や雑誌は軒並み「利用不可」になっている)や駒場の日本近代文学館(原本が手に取れるのはありがたいが、コピー代金が1枚100円と、国会図書館の4倍もする)で調べるときの虚しさ。これからは本サイトの各ページに対応した排架を目指して、デジタルデータと印刷物(およびコピー)資料を有機的に連動させたい。使えない資料は、資料と呼ぶに値しない。

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編集後記 133(2013年11月30日更新時)

吉岡実と佐藤春夫に ついて書いた。宮澤賢治(1896-1933)やパウル・クレー(1879-1940)がいつごろの人だったのかわからなくなっていつも困るのだが、佐藤にも同じような感じを抱く。文芸の諸ジャンルにおいて行くとして可ならざるはない活躍をする一方で、「ただひとつの作品」が想いうかばないせいかもしれない。いま佐藤の《小説永井荷風伝〔岩波文庫〕》(岩波書店、2009年6月16日)を読んでいる。「〔……〕彼が鏡花などの如く最初から天衣無縫の神韻をなす所謂天才型の作家ではなく能才型の律気に勤勉な自己に忠な努力家ではなかろうかと考えられるのである。この事はあの美しい然しながら格別に個性のある面白さというような趣ではなく、手本によってよく練習したがために出来たかと思う素直に品位のある荷風の筆蹟にも見られるように思う」(〈永井荷風――その境涯と芸術〉、同書、二四〇ページ)という指摘は順番が逆で、荷風の筆蹟からその才能の型を類推したかと疑えるが、佐藤の直感は信じられる。
田村隆一《詩と批評D》の装丁について書いた。《荒地》の主要メンバーとの関係については、〈吉岡実と田村隆一〉に書いた。吉岡や田村が他のメンバーと違うのは、萩原朔太郎(田村は明治大学で朔太郎に学んでいる)から出た三好達治と西脇順三郎に、ともに傾倒した点である。西脇に深く、三好には浅く。もっとも、田村が王朝和歌や俳諧に親しんだようには見えない。
●前に一人多重奏(唱)録音のことを書いたが、キーボード(とりわけシンセサイザーの登場以後)の奏者となると、枚挙に遑がない。グールドも絶賛したというワルター・カーロスの《スイッチト・オン・バッハ》(1968)はシンセサイザー音楽家・冨田勲を準備したし、ロック系の鍵盤奏者がソロアルバムで多重録音を試みなかった例はないだろう。現在、イギリスにあって音楽活動を中止している葛生千夏は、1990年代初めに2枚の画期的なソロアルバムを発表した。《The City in the Sea》(1991)と《The Lady of Shallott》(1992)である。私はポウの詩による前者の〈Eulalie―A Song〉を愛聴していて、中世ヨーロッパを想わせる葛生の歌声の最後の音を引き継いで始まる今堀恒雄のギターソロ(ロバート・《Red》・フリップ直伝のサステインの効いたトーン)は、じつに素晴らしい。《エスクァイア日本版》編集部が文京区後楽の日教販ビルにあったころ、プロモーションにみえた葛生さんと偶然ことばを交わしたことがある。詩人で音楽評論家の小沼純一さんに「葛生千夏はいい」とさんざん吹き込んだのは、そのあとだったろうか。
●8月に紹介した《Stairway to Heaven TSRTS》の演奏者、HIRO(larzgallows)こと古川博之さんは、成毛滋とも共演歴のあるベテランで、最近の作品に〈Canon in D / Pachelbel - YouTube〉がある。カノンの旋律部(原曲のヴァイオリンパート)は1回の演奏で、それをコピー/ペーストしたものだという。ブライアン・メイも真っ青の一人四重奏によるパッヘルベル〈カノン〉である。こういう途方もない試みに接すると、日頃の瑣事もどこかに吹きとんでいくから、愉快だ。
●今月は本サイトを開設して11周年。例年なら各ページ数の推移を紹介して、サイトの歩みを振りかえるところだが、〈編集後記 129〉に 書いたとおり、ページの字詰めも行間もそれまでと変わってしまった今となっては、比較しても意味がない(テキストだけの比較なら、400字詰め原稿用紙の枚数に換算すればいいが、画像もあるので算出する気になれない)。そこで、本サイトの制作環境の変遷を概観して総括に代えよう。2002年、吉岡実の十三回忌の半年後に開設した当時は、AdobeのGoLiveで制作していた。鈴木志郎康さんとパーティで会ったとき、ウェブの制作環境の話になった。htmlを手で書く鈴木さんは「GoLiveなんか使っているのか」という顔をされたが、文章を修正することが異様に多かった(今でもかなり多い)私は、タグの英字を見るのが嫌さに、その後も使いつづけた。Windows2000のPCが故障したのでWindows7搭載のマシンに替えたところ、GoLiveが走らない。GoLiveに見切りをつけたAdobeのDreamweaverを覗いたものの、私がつくるテキスト主体のページにこんな重装備は要らない。そこでフリーのウェブオーサリングソフトKompoZerを導入して今日に至るのだが、9月下旬にWindows7搭載のマシンのHDDが前触れもなくクラッシュした(《詩人としての吉岡実》の改訂の騒動は、先月の編集後記に書いたとおりだ)。なにが原因かわからないが、GoLive時代に設定したCSS(マージン、見出し1・見出し2のサイズ、本文の行間)が一部、効かなくなっていることはわかった。以前と同じ設定に戻したいのだが、かつて自分でしたことながら、これがどうにもわからない(現在の設定は近似値)。ウェブページの見せ方の難しいのには、ほとほと手を焼く。InDesignで組んでPDFファイル化した書きおろしも終わり、少しは落ち着いた。CSSを勉強しなおして、見やすい(プリントして美しい)ページにしたいと思っている。記事の執筆が第一義であることに変わりはないのだが。

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編集後記 132(2013年10月31日更新時〔2013年11月30日追記〕)

吉岡実と赤尾兜子のことを 書いた。兜子の句がある程度まとめて読める手頃な本は、平井照敏編《現代の俳句〔講談社学術文庫〕》(講談社、1993)だろうか。そこには「蟵に寝てまた睡蓮の閉づる夢」から「枯萩にけむりのごとく女立つ」までの32句が3ページにわたって掲載されている。同書には明治7(1874)年生の高浜虚子から昭和37(1962)年生の皆吉司まで107人が年生順に収録されていて、吉岡と同じ大正8(1919)年生の俳人には、森澄雄、佐藤鬼房、金子兜太、鈴木六林男、澤木欣一、石原八束、(本書には載っていないが、安東次男もそう)がいる。吉岡には歿後に一巻の句集《奴草》があるから、1919年生まれの俳人という括りは興味津津たるものがある。
田村隆一《詩と批評C》の装丁について書いた。〈銭湯〉には「屋号でも、神保町なんかの古い焼けのこった銭湯などはオモムキにとんでる。筑摩書房のとなり、「稲川楼」とかいって、建物の造りなんか戦前のままで、ぼくは例の〔石けんとタオルを入れた〕ビニール袋で二、三回入っただけだけど、客ダネがうれしい。神田の地元の連中ばかしでね、町内がわかるんだよ」(同書、二六一〜二六二ページ)とある。田村は、会田綱雄や吉岡を筑摩に訪ねるついでに稲川楼に浸かりにいったのだろうか。それとも、稲川楼に行くついでに筑摩に立ちよったのだろうか。
●先月の定期更新で掲載した《詩人としての吉岡実》(PDFファイル)を改訂して、差し替えた。改訂前のファイルをお持ちの方は、破棄のうえ最新版をご覧いただきたい。先月下旬、作業用のPCがトラブルに見舞われてHDDの取り換え修理に出すために、やむをえずPCが決定的にダウンする寸前、最終的なチェックの済まない状態で9月23日に「定期更新」した(99%の完成度だと自負していたから公開したわけだが)。当然ながら、締切の1週間前倒しはきつかった。今回、引用文の照合を中心に全体を見なおしたところ、甘く見積もって8 割だった。とりわけ各章末の(註)の記載は統一性に欠け、相当数の項目に手を入れた。いたずらに冗長にならないよう、本文で標題を挙げている場合は出典の書名以下だけ註記するといった工夫もしたので、少しは読みやすくなっていると思う。マシントラブルは不可抗力だったとしても、精度の低い状態で公開に踏み切ったのは失態だった。しかしこうした無理も、しなければならないときはしなければならない、というのは厳然たる事実である。
●9月27日午後10時〜11時半放送の、ニッポン放送のラジオ番組《ザ・タイガースのオールナイトニッポンGOLD》でバンドのオリジナルメンバー5人が勢揃いした。12月のコンサートツアーを控えての一種のプロモーション活動だが、《沢田研二 LIVE 2011〜2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳》では不参加だった加橋かつみのいることがなによりも嬉しい。番組での発言では、バンドの人間関係は瞳の交友を中心にしていたこと(沢田以外、みな学校時代の友人)、自分たちは「基本的にライヴバンド」という認識(ところで〈君を許す〉以外にも、スタジオ録音でメンバーが演奏していない曲があるという噂はほんとうだろうか)、加橋の高音が入ることでタイガースのコーラスサウンドが完成すること、稽古(自習、予習と別に)はこれからふた月で、といった感興深い内容が繰りひろげられた。ここへ来てザ・タイガース再結成は、ニューシングルの発売やDVDボックスのリリースの予定など、年末のコンサートに向けて盛り上がりを見せている。瀬戸口雅資さんの〈ザ・タイガース 「光ある世界」: DYNAMITE-ENCYCLOPEDIA〉は〈光ある世界〉を「セットリスト的中自信度★★★★☆(おそらくやると思います。これからタイガースの勉強を始めようという方々は、ここまでは予習必須です)」とハイスコアをつけており、同曲のセットリスト入りの期待も高まる。それというのも、私は岸部のベース(カール・ヘフナーだろう)が響きわたるこの名曲のライヴ(音源)を聴いたことがないのだ。
〔2013年11月30日追記〕新刊の磯前順一《ザ・タイガース――世界はボクらを待っていた〔集英社新書〕》(集英社、2013年11月20日)に「実のところ、『モナリザの微笑』からレコーディングの演奏はスタジオ・ミュージシャンが担当するようになり、タイガースは沢田のヴォーカルと、メンバーのコーラスを吹き込むだけになった。/スタジオ・ミュージシャンで演奏されるタイガースのシングルは、少なくとも、次の『君だけに愛を』と『銀河のロマンス/花の首飾り』まで続いていく。ミュージシャンであるにもかかわらず、自分たちが演奏していない楽曲が発売されてしま う状況は、タイガースのメンバーにとってフラストレーションの溜[た]まることであったのは想像に難くない。こうしたスタジオ・ミュージシャンたちによる録音は、ティーンエイジャーの女の子のファンはともあれ、音楽業界の人々からは、〔……〕好ましくない評判を招くことにもなる」(同書、九八〜九九ページ)という――少なくとも、発売後間もないシングル〈君だけに愛を〉(1968)を購入して聴いた「男の子のファン」にとって――衝撃的な指摘があった。しかし、バンドのメンバーの発言には綿密な出典の表示があるにもかかわらず、この記載にはソースが示されていない。本当にそうなのだろうか。百歩譲って、瞳みのるは〈淋しい雨〉と〈君を許す〉の2曲(?)以外のスタジオ録音では必ずドラムスを叩いた、とどこかで読んだ記憶があるのだが、真相やいかに。

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編集後記 131(2013年9月30日更新時)

吉岡実と岡井隆あるいは政田岑生の装丁を 書いた。吉岡は基本的に自著自装のため、政田の装丁になる吉岡本はない。ただし、湯川書房版の詩集《液体〔叢書溶ける魚No. 2〕》(1971)の編集が鶴岡善久・政田岑生の二人だった。同書には装丁者のクレジットがないが、発行者の湯川成一の装丁と思われる。吉岡は、永島靖子句集《眞晝》(書肆季節社、1982)の栞に〈永島靖子句抄〉を寄せており、これは著者の意を汲んだ季節社社主・政田岑生の采配だろう。
田村隆一《詩と批評B》の装丁について書いた。田村の《詩と批評》は増刷本も多いようだが、今では簡単に読める本ではなくなった。河出書房新社の田村隆一全集は散文が選集だから、熱心な読者は《詩と批評》や全集未収録の単行本を集めて読まねばならない。練馬区の公立図書館では、練馬美術館に隣接する貫井図書館が田村の《詩と批評》全5冊を所蔵している。
●かねて予告していた《詩人としての吉岡実》(PDFファイル)を掲載した。本文と註で400字詰め原稿用紙約428枚になった。対象作品である和歌・俳句・詩篇も引用したので、私の文章であると同時に吉岡実詞華集の一面をもつ。近年、吉岡実生誕の4月、命日の5月ころになると大きなプロジェクトを始動させて、夏休みに実作業するというサイクルができている(昨年は吉岡実年譜の改訂版をつくった)。今回は5月の連休明けから書きはじめたから、5箇月弱の執筆作業だった。作品の評釈は書きおろしだが、詩集の解題などは本サイトに既発表のもの(ただし印刷物にはなっていない)を流用している。いずれにしても、私の吉岡実論の第一歩である。すぐさま、来年(?)の《装丁家としての吉岡実》の準備にとりかかりたい。本書と同じ体裁で、1000ページ規模になりそうだ。InDesignの操作に関して土橋敬彦さんからいろいろ教えていただいた。道具(ソフトウェア)は同じだというのに、さすがにプロはすごいものだ。土橋さん、どうもありがと う。
●〈文藝別冊〉シリーズの最新刊《レッド・ツェッペリン》(河出書房新社、2013年8月27日)が出た。企画のひとつ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ディープ・パープル、ブラック・サバスとツェッペリンとの対比という設定は、クラプトン、ベック対ペイジといった懐かしのメロディーに較べれば新鮮だが、事実の羅列、表層の掻い撫でで、あきたらない。ここはひとつ、本人たちも意識していなかったサウンドクリエイトの奥義にまで立ち入ってほしかった。たとえばペイジの決めフレーズのひとつ、付点八分音符×4+付点八分音符×2(これ一回で上昇のメロディにしたのが〈天国への階段〉最後のヴァースのオブリガート、これ二回で下降のメロディにしたのが〈カシミール〉の第二のリフ。蛇足ながら、付点八分音符×2+八分音符×1をリフの骨格に据えたのが〈胸いっぱいの愛を〉)。これと同形のディープ・パープルの、ということはリッチー・ブラックモアの〈スピード・キング〉の間奏からメインのリフに戻るまえの上下二音のリズムパターン。この両者の違いを見きわめるといった試みがほしかった(ストーンズやサバスにこのリズムパターンはあるのか)。ジミー・ペイジのファンサイト《Midnight Moonlight blog》やジミー・ペイジ本人の《JimmyPage.com》も視野に入れた、清新で本格的な論考を待望する。

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編集後記 130(2013年8月31日更新時)

《詩人としての吉岡実》の〈はしがき〉を録した。そこにも書いたが、いま《詩人としての吉岡実》の本文を仕上げている。《神秘的な時代の詩》の巻頭と巻末の詩篇は、かつて〈吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈〉で取り上げたので、なるべく重ならないようにした(といっても、執筆前に旧稿を読みかえさなかっただけだが)。書きおろしは調整要素が多い反面、全体が見晴らせるから、有機体として満足のいく結果も得やすい。本文がうまく着地できることを祈っている。
田村隆一《詩と批評A》の装丁に ついて書いた。《詩と批評》のシリーズはEまであるので、以降についても書いていきたい。田村は太平洋戦争が始まる昭和16年の4月に明治大学の文芸科に入学した。本書の〈10から数えて〉という自伝に「面接のとき、この学校を出ても、中学校の教員にもなれないのだが、それでもいいのかね、と吉田甲子太郎という試験官から念をおされる」(二五四ページ)とある。〈編集後記 58〉に書いたように、翻訳家・児童文学者の吉田甲子太郎は、吉岡の親友だった吉田健男のオジだ(早川書房を退社後、田村が数多くの絵本を翻訳・紹介したことと、甲子太郎がなにか関係しているのだろうか)。田村と吉岡の奇縁である。
●《週刊 西洋絵画の巨匠 44 アルチンボルド》(小学館、2009年12月22日号)を楽しんだ。297×230mmの大判の誌面にカラーの図版が映える(印刷は日本写真印刷)。とりわけ感心したのが、センターの両観音開きに油彩《四季:春》(66×50cm)を掲載している〈原寸美術館〉だ。さらにうれしいことに、〈アルチンボルドの植物図鑑〉として、油彩に描きこまれた80点もの植物の図解と植物名の表が載っている。表〈植物の種類〉の番号を略して、植物名を掲げる。――薔薇、イチゴ、ジャーマンアイリス、ホウレンソウ、カッコウチョロギ、スベリヒユ、スミレ、ナツシロギク、オダマキ、ニガヨモギ、ヒメオドリコソウ、セリ科の一種、セージ、ツゲ、セイヨウスモモ、ワタスギギク、オランダワレモコウ、ヘンルーダ、レタス、ヨモギの一種、セイヨウタンポポ、タンポポの一種、ジャスミン、スノーボールツリー、マンテマの一種、フランスギク、ストック[白]、バーネットローズ、ジャスミンの一種、薔薇の一種、野薔薇の一種、カーネーション [白]、スズラン、ストック[ピンク]、ヒナギクの一種、カーネーション、白薔薇、キダチルリソウ、ボタン、パンジー、ジギタリス、ラベンダー、野薔薇の一種、ザクロ、ヒメツルニチニチソウ、クロガラシ、キンポウゲの一種、ミスミソウ、ウスベニタチアオイ、百合の一種、ストック[青]、ストック、ポットマリーゴールドの一種、キンポウゲの一種、クリスマスローズ、ヤグルマギク、ポットマリーゴールドの一種、オダマキの一種、ローマカミツレ、セイヨウヒルガオ、ニオイアラセイトウ、ナデシコ科の一種、ヒナゲシ、ハンニチバナの一種、ツバタシクラメン、カワラナデシコ、スイセンノウ、フラワー・オブ・ヨブ、ルリヂサ、マガリバナ、ホタルブクロの一種、ヒゲギキョウ、アルカネット、アフリカンマリーゴールド、白百合、セイヨウフゥチョウボク、タチアオイ、レダマ、ダマスクローズ、サクラソウの一種。――壮観というほかない。「春の果実と魚で構成された/アルチンボルドの肖像画のように」(〈サフラン摘み〉G・1)。
●一人多重録音のワンマンバンドに昔から興味がある。系統立てて調べたわけではいないが、かまやつひろし(現ムッシュかまやつ)のアルバム《ムッシュー/かまやつひろしの世界》(1970)が先陣か(本人によれば、最初がキース・ジャレット、次がかまやつ、三番めがポール・マッカートニー)。歌手・ギタリストの野口五郎の一人四役だったかの映像を観たときは、衝撃だった。今ではアマチュアでも多重録音をインターネットで公開しているので、楽しませてもらっている。最近感心したのは《Stairway to Heaven TSRTS》というページの〈ZoSoLo by HIRO(larzgallows)〉。レッド・ツェッペリン〈天国への階段〉(映画《永遠の詩》ヴァージョン)のジミー・ペイジの完全コピーである(ただしバッキングは繰り返しなし、ソロは全部)。《永遠の詩》や、前に紹介したジミー・ブラウンの教則DVDと一緒に観ると、これはすごいです(スタジオヴァージョンの方はこちら)。

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編集後記 129(2013年7月31日更新時)

《新詩集》あるいは大森忠行のことを 書いた。1000人を超える装丁家たちの装丁した書目を掲載したかわじもとたか編《装丁家で探す本――古書目録にみた装丁家たち》(杉並けやき出版、2007)に大森の項目がないところを見ると、装丁家としてはさほど注目されていないのかもしれない。もっとも、太田大八の項目もないから、これだけで判断するわけにはいかない。
《草野心平詩全景》の装丁について書いた。吉岡実は《「死児」という絵〔増補版〕》で草野心平に言及していない。1978年の春ごろ、《草野心平全集》の内容見本のために推薦文を西脇順三郎に依頼したとあるだけで(〈西脇順三郎アラベスク〉)、草野本人は登場しない。〈心平断章〉以外の未刊行の散文でも、東京で初めて開かれた耕衣展(1969年)の推薦者になってもらったことが記されているくらいだ。《草野心平詩全景》と詩集《凹凸》の装丁こそ、草野への最高のオマージュだ。
●加藤郁乎編《荷風俳句集〔岩波文庫〕》(岩波書店、2013年4月16日)を翻している。〈自選 荷風百句〉のほか、俳句・狂歌・小唄他・漢詩・随筆を収めるが、〈写真と俳句〉が楽しい。編者はこの本のために解説を書きおろさずに逝ったが、注解を担当した池澤一郎の解題が秀逸である。
●7月下旬、いつものように定期更新前の修正をローカルでしていると、こちらの意図しないところに破線の罫囲いが生じている。6月30日に公開済みの表示を見ても同じなので(公開当初はなかった)、ローカルのファイルを作業中に誤操作したわけではない。問題のファイルのソースには「outlineをnavy色の破線にして、幅2ピクセルに」などという頓珍漢な記述がある。毎月保存している過去のファイルにも「誤記述」が散見されるので、原因がわからず途方に暮れている。とりあえずoutlineのタグを削除したが、見出しや本文の字詰めが先月までと変わっている(総ページ数も減少)。原因が分かれば旧に復したいが、叶わないかもしれない。ご寛恕を請う。
●ハービー・ハンコックの《ヘッド・ハンターズ》(1973)を聴いている。私などジェフ・ベックの《ブロウ・バイ・ブロウ》(1975)に似ていると思ってしまうのだが、ハンコックのほうが先だ。1曲めのハーヴィー・メイソンのドラムスが素晴らしい。フェンダー・ローズ(ベックのほうはマックス・ミドルトン)とドラムス(ベックのほうはリチャード・ベイリー)の存在感で、ともに甲乙つけがたい名盤になった。

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編集後記 128(2013年6月30日更新時)

吉岡実が執筆した帯文のことを書いた。吉岡実の著書の帯文については〈吉岡実本の帯文の変遷〉がある。今回は3月の〈編集後記 125〉で触れた小中英之歌集《翼鏡》をはじめとして、吉岡が遺した帯文を振り返った。《小中英之全歌集》でも佐佐木幸綱らがこの帯文に言及している。
〈吉岡実と《アラビアンナイト》〉の〈追記〉に杉田英明《アラビアン・ナイトと日本人》(岩波書店、2012)を引用した。〈第三章 児童文学〉と〈第四章 好色文学〉しか熟読していないが、本文のみならず、凡例や後付に震撼させられた。稲垣足穂や三島由紀夫ファンも必読の高雅な研究書だ。
《内藤湖南全集》の装丁について書いた。湖南のことが知りたくて、新宿区立中央図書館から関連書籍3冊・雑誌1冊・ビデオ1本を借りた。ビデオは《内藤湖南――学問と情熱〔第6巻〕森深く 日に新たなり》(紀 伊國屋書店、1997)。こうした少し硬めの資料の閲覧に重宝していた中央図書館だが、これからは便が悪くなる。下落合1丁目(西武新宿線の下落合駅と高田馬場駅の中間)の現在の中央およびこども図書館は6月で閉館になり、7月から移転先の大久保3丁目(早大理工学部の近く)の仮施設で再開するからだ。中央図書館は1972年開設だから築40年あまり。移転は「新宿区緊急震災 対策(当該施設は老朽化が進んでおり、耐震補強工事を行ったとしても施設としての機能を果たすことが困難であるため、適切な時期を捉えて施設を解体する)」による。東日本大震災直後の館内を撮影した写真を見ると、資料が散乱していて、わが家の書棚とは比較にならないほど揺れが激しかったことがうかがえる。同館を頻繁に利用したのは、予備校や大学に通っていた1970年代後半だ。河出書房新社のエルンストのコラージュ集やマウンテンを収めたオムニバス盤のLP(オリジナルアルバムだと悪の華収録の〈Dreams of Milk and Honey〉〜〈Variations〉〜〈Swan Theme〉で、これはバンドのベストライヴ)が忘れられない。両方とも現在では所蔵されていないようだ。そういえば、高田馬場駅前のムトウ楽器店も4月末に閉店した。かつて名店ビルにあった楽器売場では、Tokaiのストラトモデルを買ったものだ。――茫々たる視界。
●バンジョーの響きがものがなしい〈ワシントン広場の夜は更けて〉のコードが採りたくて、1960年代のヒット曲を集めたCDを借りた。バーズの〈ミスター・タンブリン・マン〉が収録されていたので、インターネットの動画でボブ・ディランの30周年記念コンサートの〈マイ・バック・ページズ〉を観た。リードヴォーカルをロジャー・マッギン〜トム・ペティ〜ニール・ヤング〜エリック・クラプトン(歌の前にギターソロあり)〜ディラン〜ジョージ・ハリスンと回して、最後はヤングの狂おしいまでのギターソロ。このバーズのヴァージョンは、ディランのオリジナルとは微妙にコード進行が違う。イントロはE(sus4)で、以下4小節を\で区切ると、E/C#m/G#m/A/B7/E\E/C#m/G#m/A/B\C#m/G#m/A/B7\E/A/E/A/B7/E(sus4)という流れだ。なにかに似ていると思ったら、奥田民生のペンになるユニコーンの〈すばらしい日々〉のアウトロだった。キーは2曲ともギターが最も豊かに響くE(ホ長調)で、ここぞという小節の頭のC#mが効いている。ただしコード進行はまるきり別で(C#m/A/F#m/B/(onA)\G#m/A/E/E/B(onD#))、途中の擬似的U-X(F#m/B7)が大きく異なる。アウトロのギターリフ(奥田と阿部義晴の2本によるアラベスク!)の旋律が、Eのワンコード上で奏でられるイントロと間奏のそれと寸分違わない。畏怖すべきバンドアレンジである。〈マイ・バック・ページズ〉と〈すばらしい日々〉をフォークロックの2大名曲と呼びたい。

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編集後記 127(2013年5月31日更新時)

吉岡実と田村隆一の ことを書いた。田村は1993年3月、東京ステーションホテルで古稀を祝う会を開いている。「詩人、批評家を一切呼ばず、編集者総勢七、八十名の会。この中に詩人の平出隆、建畠晢がいたが、それぞれ河出書房新社、新潮社の元編集者であった」(田野倉康一編〈年譜〉、《田村隆一全詩集》思潮社、2000年8月26日、一四六九ページ)という件はすごい。そういえば田村は《エスクァイア日本版》の担当編集者、川口さんのこともどこかで随筆に書いていた。
竹西寛子評論集《読書の歳月》の装丁について書いた。竹西は《虚空の妙音》という別の本で内容見本について書いている。「必要があって、ある著作集の内容見本を求めた。私の知りたいことは知らせてもらえない内容見本だった。普通の読者の考えでは、各巻の内容について、委細を知りたいと思うのは自然だろう。〔……〕/全巻買い揃えてはじめて分かる内容なら、内容見本は要らない」(〈第一回配本のこと〉、同書、青土社、2003年7月5日、一四五〜一四六ページ)。私は荷風の〈杏花余香〉が読みたければ、本文の変遷の研究でないなら、全集本で済ます。だが手許には荷風全集も内容見本もない(内容見本に当たったところで、何巻に収載されているか手掛かりがない可能性は高い)。そんなときに重宝するのが《研究余録 〜全集目次総覧〜》というサイトだ。この〈『荷風全集』全30巻(岩波書店、1992.5〜1995.8)〉の「29 雑纂 1」には「杏花余香」が掲載ノンブルとともに出ている。「17 東綺譚 おもかげ」には「〔『杏花余香』はしがき〕」もある。あとは荷風全集の29巻と17巻を近くの公共図書館ででも閲覧すれば済む。〈《土方巽頌》と荷風の〈杏花余香〉〉執筆時も、そうして調べたのだと思う。もちろん〈『竹西寛子著作集』全5巻(新潮社、1996)〉も《全集目次総覧》に掲載されている。データベースサイトの鑑である。
●5月26日9時から30分間放送の《題名のない音楽会》(テレビ朝日)は〈なんてったってジミー・ペイジ〉の特集だった。ゲストのひとり佐野史郎によると、《ゴジラ》の映画音楽の作曲家として知られる伊福部昭(1914-2006)とペイジには、意外な共通点がある。伊福部は北海道出身で、アイヌの音楽を研究して、そうした曲をたくさん書いた。一方ペイジは、アレイスター・クロウリーの黒魔術の書物を愛読し、アイルランドのケルト文化やアメリカのカントリー音楽に影響された。洋の東西の違いはあれど、精神的には同類で、脈脈と伝わる原始的なエネルギーでつながっているという。ゴジラといえば、中学生のとき《レッド・ツェッペリンV》を貸したブラスバンド仲間は、〈フレンズ〉を「ゴジラの音楽だ」と評した(同曲の弦のアレンジはジョン・ポール・ジョーンズで、元ネタはホルストの〈火星〉)。ペイジは後年、アメリカ映画《GODZILLA》でパフ・ダディが〈カシミール〉をラップにアレンジしたカヴァー曲〈カム・ウィズ・ミー〉のギターリフを弾いているから、ここでめでたく両者はリンクした。〈編集後記 123〉に《Physical Graffiti》以降の楽曲への不満を書いたが、〈Ten Years Gone〉は例外だ。〈Achilles Last Stand〉と並んでペイジの「ギター軍隊[アーミー]」の最高の達成だろう。全15曲の《Physical Graffiti》(1975)から、3枚め〜5枚めのアウトテイク分7曲を削除して、新録音の8曲だけをMDに落とした53分39秒の《Physical Graffiti 8/15》(2013)なる自家制作盤を愛聴している。
●今日は吉岡実の祥月命日だ。早いもので、1990年に亡くなって23年、歿年で折り返してみればその23年前は1967年。土方巽と出会い、永田耕衣と対面し、暗黒舞踏に初めて触れ、思潮社版《吉岡実詩集》を刊行した節目の年である。今年も《吉岡実全詩集》を開いて吉岡さんを偲ぼう。春先から、10ポで組んでA5判200ページ超の〈詩人としての吉岡実〉を執筆中である。吉岡の詩業を初期・前期・中期・後期に分けて概観しようというもので、秋ころまでには完成させたい。

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編集後記 126(2013年4月30日更新時)

吉岡実とジイドを 書いた。ウィキペディアは〈アンドレ・ジッド〉という表記で、本文に引いた新潮文庫の山内義雄訳《贋金つかい》の作者名もジッドだが、吉岡実がジイド派なので、踏襲した。ジィドやジードは勘弁してほしい気がする。ベルグソンかベルクソンか(ウィキペディアでは〈アンリ・ベルクソン〉)、大学の講義で解説した師の川本茂雄なら、やはりジッドというだろう。
竹西寛子評論集《現代の文章》の装丁について書いた。《筑摩書房図書総目録 1940-1990》(筑摩書房、1991)には、竹西の著書として次の6冊が挙がっている。装丁関係の記述も録しておくと、@《往還の記――日本の古典に思う》(1964)、A《源氏物語論》(1967)「装幀 栃折久美子」、B《式子内親王・永福門院〔日本詩人選14〕》(1972)、C《現代の文章》(1976)、D《読書の歳月》(1985)「装幀 吉岡実」、E《古語に聞く〔ちくま文庫〕》(1989)「カバー写真/井上隆雄撮影 志村ふくみ「色と糸と織と」より」となる。Bはシリーズもので装丁者のクレジットはなく、おそらく吉岡以外の筑摩の社員による社内装丁であろう。CとDが吉岡実装丁、Eは1981年刊の講談社版の文庫化。竹西の著書の場合、「文芸書」が吉岡実による装丁だったことになる(なお、ウィキペディアによれば@も栃折久美子の装丁である)。
●北園克衛の《液體》書評について書いた。〈吉岡実の出版広告(1)〔2013年4月30日追記〕〉である。書評が載った詩雑誌《新詩論》は、北園と《新領土》の有力な書き手だった村野四郎による編集で、発行所は両誌ともアオイ書房だった。吉岡は入沢康夫との対談〈模糊とした世界へ〉(《現代詩手帖》1967年10月号)で「吉岡 〔……〕そのうちに北園克衛とかピカソの詩に触発されて、これは面白いんじゃないかという感じで模倣して書いたのが『液体』という詩集です。/入沢 その頃、そういうモダニズムが戦前には「新領土」などにあったそうですけど、そういうものはお読みになりましたか?/吉岡  あまり読んでいないんですよ。俳句をやる人は周辺にいたけれども、友だちは一人もいなかったから、北園さんの本を求めて、それを真似したわけです」(同誌、五七ページ)と語っている。戦前の吉岡は、俳句雑誌には作品を投じるほど積極的に関わっていながら、詩誌よりも北園や左川ちかの単行詩集でモダニズム詩を学んだ点に著しい特徴があった。
● 《クリムゾン・キングの宮殿(In the Court of the Crimson King)》(1969)は五指に入るお気に入りのロックアルバムだが、いつも聴くわけではない。頃日、チェリビダッケ指揮するムソルグスキー《展覧会の絵》(NHKテレビの録画)を振り出しに、グレッグ・レイクの〈賢人(The Sage)〉の動画を観て(以前、ギターソロの一部をコピーしたが、ポジションがかなり違っていた)、キング・クリムゾンの《エピタフ――1969年の追憶(Epitaph)》(1997)を引っぱりだしてきた。CDのタスキに曰く「最初のレコーディングであるBBCスタジオ・ライヴから、最後のコンサートとなったフィルモア・ウェスト公演まで、第1期クリムゾンの軌跡をたどるライヴCD2枚組」。続編の《続・エピタフ(Epitaph Volumes Three & Four)》(同)を聴くに及んで、スタジオ録音の2004年リマスター盤と2009年リミックス盤を聴かないわけにはいかなくなった。手許の《宮殿》は国内盤LPと1989年のリマスター盤CDで、音質を気にしない一般リスナーの選択である。このリマスター盤、ロバート・フリップとトニー・アーノルドが手がけているにもかかわらず、コピーマスターからのものだったという。身近な公共図書館所蔵CDの「出版年」「発行年」を見ても、1969年(これは初リリース時)、1994年、2001年とあるから、似たりよったりだ。ちなみに国立国会図書館の東京:音楽映像資料室所蔵の録音資料は、@出版事項「[東京] : 東芝EMI, 1987.2.」、発売番号「32VD-1063 (東芝EMI)」とA同「[東京] : ポニーキャニオン, 2001.8.」、同「PCCY-01523 (キャニオン・インターナショナル)」の2点で、大差ない。こうなれば、《In the Court of the Crimson King / An Observation by King Crimson》を 購入するしかない。1991年にシンコー・ミュージックから出たバンド・スコア(採譜・解説は佐藤史朗)を見ながら〈宮殿〉のマジックにやられたあとは、解毒剤の服用だ。〈Miku " The court of the Crimson King " 初音ミク (クリムゾン・キングの宮殿)〉。キーがDからEへと全音上がったエンディングまで完奏するとは!

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編集後記 125(2013年3月31日更新時)

〈首長族の病気〉と〈タコ〉に ついて書いた。岡井隆は〈吉岡実詩との一週間――「タコ」「サフラン摘み」その他〉(《ユリイカ》1973年9月号〈特集=吉岡実〉)で、〈タコ〉を論じている。「「タコ」の*印は三箇ある。三節にわかれた詩の、*は各節の第一行――否、零行にあたる。*印は、読者に何を伝える符号だろうか」(同誌、一七七ページ)と問を発して、その2ページあとで律義に、「〈タコ〉の*印は〈サフラン摘み〉には無い。*印は、詩節の断片を意味するが、それは、もう一歩突っ込んで言えば、詩人の内部を流れるイメージの断裂を示している」(同前、一七九ページ)と答える。詩篇標題の表記が「タコ」から〈タコ〉に変わっているにもかかわらず、岡井はアステリスク(*)について考えつづけている。吉岡実詩を読むとは、まさしくこういうことではないか。
山本健吉《詩の自覚の歴史――遠き世の詩人たち》の装丁について書いた。吉岡実は〈遥かなる歌――啄木断想〉(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、一四六ページ参照)で共感をこめて山本健吉の解説文を引いているが、山本その人に触れた文章は残していない。山本が吉岡の詩について書いた文章もないのではないか。二人の関係は、著者である文芸評論家と出版社である筑摩書房の人間、という面が強かったように思える。ときに、私が最初に親しんだ山本の著書は《現代俳句〔角川文庫〕》(角川書店、初版:1964、改版8刷:1975)である。久しぶりに引っぱりだしてみると、吉岡も随想に引用したことのある山口誓子の句「赤鱝は毛物のごとき眼もて見る」の評に「動詞終止形で止める方法は、彼や秋桜子・素十らが創[はじ]めたのであって、新興俳句によって一般化された」(同書、一六三ページ)とある。「赤えいの生身の腹へ刃物を突き入れる」(〈過去〉B・17)。吉岡が《凍港》の赤鱝の句を知ったのは〈過去〉を書いたあとだったという。
●吉岡実の未刊行散文を発見した。題名は〈単独の鹿〉。 《日本の古本屋》に石神井書林が出品していた「翼鏡/小中英之、昭56、1冊/第二歌集 帯文吉岡實 初函帯」の帯文である。吉岡実の署名のある帯文は少なくて、高柳重信句集・飯島耕一短篇小説集・夏石番矢句集・城戸朱理詩集・高貝弘也詩集の5冊が知られるだけだ。本書は、吉岡の帯文のある唯一の歌集ということになる。小中英之(1937〜2001)には第一歌集《わがからんどりえ》、第二歌集《翼鏡》以降の全短歌を収めた遺稿集《過客》があり、《小中英之歌集〔現代短歌文庫〕》、さらには《小中英之全歌集》がある。この「孤高の精神を貫き続け、明澄なしらべとしなやかな文体、徹底した自己凝視と病痾の感受性で、独自の抒情世界を彫琢した玄寂の歌人」(全歌集の惹句)の全貌を知りたいと思う。
●村野四郎と北園克衛が編集した詩雑誌《新詩論》の60号(1942年5月)に北園が《液體》(草蝉舎、1941)の書評を書いている。もっとも、自力で発見したわけではない。「しっぷ・あほうい!」の2012年10月24日の日記〈アオイ書房『新詩論』を閲覧する〉をインターネットで読んだのがきっかけだ。吉岡実詩集を世に初めて紹介したこの北園の書評について、来月にでも書いてみたい。
●年中聴きたいわけではないが、ドリーム・シアターやラッシュが無性に聴きたくなるときがある。ドリーム・シアターの《Black Clouds & Silver Linings》(2009)の〈The Best of Times〉はドラマーのマイク・ポートノイが父親のことを書いた作品で、なかなかの佳曲だった。ポートノイを探索していたら、〈Mike Portnoy's Top 100 Albums Of All Time〉というサイトがあった。トップ10は年代順で、@The Beatles〈Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band〉、AThe Who〈Tommy〉、BDavid Bowie〈The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars〉、CElton John〈Goodbye Yellow Brick Road〉、DPink Floyd〈The Wall〉、EBeastie Boys〈Paul's Boutique〉、F〈Mr. Bungle〉、GJellyfish〈Spilt Milk〉、HRadiohead〈OK Computer〉、IMuse〈Absolution〉。前半はともかく、後半となると、GやH以外ほとんどわからない。ロックのアルバムを聴く楽しみが、またひとつ増えた。

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編集後記 124(2013年2月28日更新時)

三橋敏雄句集《疊の上》十二句撰のことを書いた。三橋敏雄は俳句をめぐる散文の名手でもあった(吉岡は編著《耕衣百句》の解説文に三橋の〈鯰笑図 七句〉評を引いている)。私が感嘆するのは、たとえば朝日文庫版《高柳重信集》の 〈あとがき〉――「この「あとがき」は、高柳重信がもう少し長生きしていてくれたら、当然、彼が書くところであった。しかし、昭和五十八年七月八日午前六時十四分、急逝した。死因となった肝硬変については、ふだん、まったく自覚がなかったようである。むしろ宿痾の胸部疾患による機能の変異を周囲では心配していた。側近の関係者によれば、その前々夜まで、昭和四十三年この方、編集長をつとめている俳句総合誌「俳句研究」の仕事に当たっていた。絶筆は、同誌昭和五十八年八月号の「編集後記」であった」(《金子兜太 高柳重信集〔現代俳句の世界14〕》(朝日新聞社、1984年5月20日、三五二〜三五三ページ)というあたり――の、事実を叙しながら痛切な想いを秘めた文章だ。
《吉野弘詩集》の装丁について書いた。ウィキペディアで吉野弘の項を見ると、浜田省吾のミニアルバム《CLUB SNOWBOUND》(1985)が紹介されている。の 項には「本作ではCDでの発売はなく、実質廃盤となっている。しかし、後に発売される『CLUB SURFBOUND』と一緒になったCD盤『CLUB SURF&SNOWBOUND』にて再発されている」(ウィキペディア)とあるので、《CLUB SURF&SNOWBOUND》(1987)を公共図書館で借りて聴いた。
●NPO知的資源イニシアティブ編《アーカイブのつくりかた――構築と活用入門》(勉誠出版、2012年11月30日)を手にした。第V部の〈アーカイブをデジタルで活用する〉の実践事例、小出いずみ・山田仁美〈『渋沢栄一伝記資料』デジタル化――参照する資料集から、情報連結のプラットフォームへ〉を興味深く読んだ。わが吉岡実アーカイブの参考にしたい点も数多い。たとえば、渋沢栄一記念財団の内部で業務用に使用している「エキスパート・システム」(Excelにマクロ機能を搭載したもの)は、全68巻・本文4万8000ページの《渋沢栄一伝記資料》の高精度な文字列検索を可能にしているという。すなわち「検索結果の表示は文字列出現巻ページ、検索語と前後数文字、項目名、該当頁PDFへのリンクなど」(同書、一九九ページ)。なんとも羨ましいかぎりだ。
●《図書新聞》の代表、井出彰《書評紙と共に歩んだ五〇年〔出版人に聞くH〕》(論創社、2012年12月25日)を読んだ。《図書新聞》《週刊読書人》《日本読書新聞》(1984年に休刊。著者は1968年に入社、のち編集長)の3紙が戦後の代表的な書評新聞だが、吉岡実は出版人として《図書新聞》に座談会を、詩人として《週刊読書人》に散文を、《日本読書新聞》に詩篇を主に発表している。本書には《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991)の編集担当・大日方公男さんも登場する(氏はかつて《日本読書新聞》に在籍)。吉岡実と書評新聞は探求に値するテーマだと思う。
●レッド・ツェッペリンの楽曲の要、ジミー・ペイジのギターフレーズを解説した教則DVD《Guitar World: How to Play the Best of Led Zeppelin》(Alfred Pub Co、2010)を視聴した(講師は《Guitar World》誌のミュージックエディターにしてギター講師のジミー・ブラウン)。左手のフィンガリングはもちろん、右手のフラットピックのdown/upの説明も壺にはまった出色の内容である。ペイジは時として違うコードを同時にぶつけてくるので要注意なのだが(例えば〈コミュニケイション・ブレイクダウン〉のリフでは、メインのE-D-A-Dに対してサブはE-D-D-D、と微妙に異なる)、〈天国への階段〉のファンファーレの入りのコードが1stギターはD、2ndギターはConD(C/D)というあたり(つまり2本のギターの構成音は、4弦開放Dから上に向かって同じくD・G・A・C・D・E・F#)、PDFファイルのコピー譜は見事な出来だ。教則DVDは日本語の字幕なしだが、演奏しながらの解説なので講師の英語は理解しやすい。「ライヴでジミーはこう演ってるよ」と蘊蓄を傾けるのも見どころだ。
●「〔……〕音楽が記録されて以降の歴史において、ジミー・ペイジが最も「売れた」黒魔術師であるということとも関わっている。非常に入り組んだ迷宮のなかで、ペイジはおそらく何か強力な魔法を使ったのだ。それがどんな魔法なのか、わたしは知らない。わたしにわかるのは、「光と闇」を操るきわめて精緻かつ徹底的な手法によって、レッド・ツェッペリンが神話的ともいえる魅力を放つ作品を作り上げた、ということだけだ」(エリック・デイヴィス著(石崎一樹訳)《レッド・ツェッペリンW〔ロックの名盤!〕》、水声社、2013年1月1日、〇一八ページ)。本書で、改めてフェアポート・コンヴェンションや《指輪物語》の重要性を認識した。ロバート・プラントの詩世界にももっと注目しなければならない。ジミー・ペイジ語りおろしの自伝《奇跡》(ロッキング・オン、近刊)への期待が高まる。

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編集後記 123(2013年1月31日更新時)

吉岡実と堀辰雄に ついて書いた。両者の関係は本文に尽きるので、別のことに触れる。堀が芥川龍之介の弟子であったようには、吉岡は堀の弟子ではない。面識もないはずだ。しかし、吉岡が詩節の区切りに用いるアステリスク(印刷用星形印*のこと)は、私の見るところ、堀辰雄経由の用法である。堀はアステリズム(⁂)も愛用したが、さすがに吉岡がこれを使うことはなかった。
詩集《液體》の組版について書いた。内堀弘氏の《石神井書林古書目録》89号(2013年2月)掲載の《液体》は「函欠」で、「1075 液体 限定100部 非売品 函欠    吉岡實 昭16 262,500/草蝉舎刊。自費で刊行した第二詩集。巻頭に著者近影。あとがき(小林梁・池田行之連名)によると「召集令状を受けると第二詩集たる本書刊行の一切を私たちに嘱し」た。「内容の採択並に配列は一切著者の指図に従ひ、装幀は著者の自画及その指定に係わる素材を」用いたとある。吉岡は本書を戦地(満州)で受け取った。函入で刊行され、それを欠いている。経年程度の変化はあるが状態は良好。前年に刊行された第一詩集『昏睡季節』同様、ほとんど見ることがない詩集。」(同目録、四五ページ)とある。確かにこの貼函は傷みやすくて、手許の一本も芯紙に貼ってある「青染 柾和紙」が擦りきれて解体しそうだ。大東亜戦争開戦二日後の1941年12月10日に本書が刊行され て以来、71年(吉岡実の生涯と同じ歳月)が経った。
●《吉岡実未刊行散文集 初出一覧》に〈追記W(2013年1月31日)〉を掲げた。InDesignで組んだ〈編者あとがき〉のPDFファイルを公開した、という告知である。昨年の8月から、変更要素の少ない旧稿を逐次InDesignで組んできたが、今後はレイアウトが重要な文書に限ってPDF化したい。
●田中幸夫《卒論執筆のためのWord活用術――美しく仕上げる最短コース〔ブルーバックス〕》(講談社、2012年10月20日)を読んだ。私はWordというソフトが嫌いで、自分の執筆では使わないが、OCRで読みとった文章のチェックでは重宝している。旧仮名遣いの文章だと、的外れな処を疑問出ししてくるので苛苛させられるが。本書の「本来しなくても済む作業」をWordにさせるという姿勢には共感する。それというのも、InDesignでなにが助かるといって、柱文が見出しと連動するように指定しておけば、本文原稿の加除で見出しがページを移動しても柱文が自動で修正される。この「テキスト変数」には、感心したというよりも呆れた。こんなに便利でいいのだろうか。ただし、見出しに旧字を使いたくて本文ページで字形を変更しても、柱文は連動しないようだ。これは困る。
《人間国宝 大坂弘道展――正倉院から甦った珠玉の木工芸》(練馬区立美術館、2012年11月29日〜2013年2月11日)を観た。本の収納や楽器の装飾に活かしたら、さぞかし素晴らしかろう。
●レッド・ツェッペリンの《Celebration Day》リリースを機に過去のライヴ音源を聴きかえしている。録音年代順(〔 〕内は録音年次)に、@《BBC Sessions〔1969、1970〕》(1997)、A《How the West was Won〔1972〕》(2003)、B《The Song Remains the Same〔1973〕》(1976、2007)。C《Celebration Day〔2007〕》(2012)。細かいことをいえば、@はラジオ放送用の音源だし、Bは映画のサウンドトラック的側面があるものの、ツェッペリンの生演奏を収録したものとして、すべて「ライヴ音源」だ。Bの1976年リリース盤(当初はLPレコード)は最初に公式発表されたものだけに、いちばん馴染み深い。今回じっくり聴くまでは映像に引っぱられていたが、〈Dazed and Confused〉がベストトラックだ。@はバンド解散後のリリース。パリス・シアターでの演奏が熱い。ベストは〈Thank You〉。Aは文句なくトップクラスの作品。〈Rock and Roll〉の切れが凄まじい。Cは本割最後の曲〈Kashmir〉がベストだ。ライヴDVDの最高傑作は、1970年のロイヤル・アルバート・ホール公演だろう。
●レッド・ツェッペリンがほんとうにすごいのは、通常のコンサートの海賊盤においてである。1971年8月31日、フロリダ州オーランドの市民会館での音源《Led Zeppelin LIVE in Orlando 1971 FULL Concert》のプラントのヴォーカルはどうだ。セットリストが同年9月の初来日時とほとんど同じなのも嬉しい。後期では1977年6月21日、カリフォルニア州のロサンゼルス・フォーラムでの《Listen to This, Eddie》。ジョン・ボーナムのドラムスが途轍もないことを満天下に知らしめた、怒涛の190分間だ。私のように来日公演を2度とも観ていると、どうしても《Physical Graffiti》以降の楽曲に親身になれないところがあって、ペイジの演奏能力が低下していった後期の公演はとりわけつらい。だが本作は、ツェッペリンの海賊盤ライヴの五指に入る逸品だ。想うに彼らの聖地は、ニューヨークでもロンドンでも、ましてやトウキョウでもなく、この天使の街だった。ベストトラックは〈No Quarter〉か、〈Achilles Last Stand〉か、いや〈Stairway to Heaven〉だ。Does anybody remember...the forest?

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編集後記 122(2012年12月31日更新時)

〈《永田耕衣頌――〈手紙〉と〈撰句〉に依る》を編んで〉を 書いた。《永田耕衣頌》の公刊の予定はないが、耕衣に関する吉岡のさまざまな文献を束ねる器として、冊子体の印刷物=書物以上のものを想像することは私にはできない。ウィキペディアによれば「電子書籍に関する自炊(じすい)とは、自ら所有する書籍や雑誌をイメージスキャナ等を使ってデジタルデータに変換する行為(デジタイズ)を指す俗語」だから、複写機によるコピーの電子版と言えばそれに近いか。では、対義語は「外食」? 電子書籍が書物なら、「自炊」をめぐる編集論が待望される。
詩集《昏睡季節》の組版について書いた。同書の制作過程は、あれほど初期の自作について熱心に語った吉岡の証言に照らしても、不明な点が多い。用紙は友だちの餞別だそうだが(よりによってなぜ和紙だったのか)、印刷所の算段はどうしたのか。同書と稿本詩集《赤鴉》の詩篇(公刊された《赤鴉》には和歌と俳句しか載っていない)との関係など、追究すべき問題は山積している。
●《吉岡実書誌》の《土方巽頌》の解題に追記したように、《土方巽頌》の〈人名索引〉をInDesignで作成して、PDFファイルを公開した(土方巽頌・人名索引)。本の読み手として、無ければ文句のひとつも言いたくなるものの、本の作り手として最も骨の折れるのがこの索引づくりである。野村保惠は《編集者の組版ルール基礎知識》(日本エディタースクール出版部、2004)で「昔の人は、索引とは「後見出し」であるといわれましたが、しっかりと索引が整理されていれば、本の利用価値が高まりますから重要です」(同書、八八ページ)と書いている。《土方巽頌》に人名 索引がないのは、ひょっとしたら、フランス語の本のように巻末に〈目次〉を置いたせいだろうか。
●8月末の更新で公開した〈吉岡実年譜〔改訂第2版〕〉を 読んでいると、いろいろなことを感じる。大きな仕事に区切りがついたときに旅行に出かけること、H氏賞や高見順賞、藤村記念歴程賞を受賞した記念に主に美術作品を購入していること、1960年・70年・80年と10年ごとに詩篇の発表を控える期間を設け(世にいう「休筆」)、新たな詩風を模索すること、などである。そうした動きを原理的に研究することももちろん大事だが、同時代を生きた人との交流にももっと注目すべきだと感じた。そうした関心の現われのひとつとして、今回つくってみたのが、上記の《土方巽頌》の人名索引である。横組なので、〈目次〉と奥付の間にでもはさんで活用していただけるとありがたい。
●菅沼孝三《ドラム上達100の裏ワザ》(リットーミュージック、2006年12月31日)を読んだ。副題の「知ってトクする効果的な練習法&ヒント集」には違いないが、「トリプレッツ(3拍子)は、すべての音楽のルーツのような気がする」を解説した一文に衝撃を受けた。「また、クラシックではその昔、3拍子を「完全リズム」としてとらえていた。完全を表す拍子記号は「○」だったらしい。現在では、世の中で流れている楽曲のほとんどが4拍子だが、4拍子の拍子記号「C」は、完全だった「○」が欠けて「C」になったと言われている」(同書、一一四ページ)。トリプレッツ(3拍子)に神秘的なものを感じていた自分がいて、それでも4拍子が主流だと高を括っていたところを突かれたといえば、衝撃の実態に近いか。この一事に代表されるように、リズムあるいは音楽について深く考えつづけている著者の創見に充ちた書で、ドラムを奏しない人間も楽しく読める。インターネットで観る弟子の川口千里や、右手のピッキングが信じられないくらい美しいギタリスト、田川ヒロアキとのセッションの映像も圧巻だ(菅沼は演奏していないが、ジェフ・ベックのナンバー、〈Scatterbrain(スキャターブレイン)〉での田川と川口の共演は一見/一聴に値する)。

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編集後記 121(2012年11月30日更新時)

《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第3版〕》のあとがきを掲載した。初出未詳の詩篇〈模写――或はクートの絵から〉(E・4)の探索が成ったあかつきには、〔改訂第4版〕を印刷に付す所存だ。〔改訂第3版〕は、来るべき日までの〈Work in Progress(進行中の作品)〉という扱いにしておきたい。
吉岡実装丁と〈書肆山田の〈本〉展〉に ついて書いた。書肆山田にはその名も《書肆山田の本と書肆山田》(2011年10月15日)という印刷物がある。菊地信義が設計・造本・装丁にあたったリーフレットの説明するのは厄介だが、275×124ミリ仕上がりの16ページもので、横長8ページの紙を2枚重ねて両観音折した未綴じ本、で通じるだろうか。執筆者は、いろは順に入沢康夫・井川博年・池澤夏樹・石井辰彦・ぱくきょんみ・吉増剛造・高橋睦郎・高橋順子・高貝弘也・宇野邦一・岡井隆(「吉岡實さんと並びて畏れ多し『E/T』もこの秋の光に」という一首が見える)・前田英樹・藤井貞和・是永駿・季村敏夫・木村迪夫・白石かずこ・志村正雄・平田俊子・関口涼子・須永紀子・鈴木志郎康と、菊地の23人。これら、書肆山田と親しい作者からの巻紙の書簡のような冊子の詳細は〈リーフレット「書肆山田の本と書肆山田」〉で。創業50周年にはどんなものを見せてくれるのだろう。
●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸10年が経過した。120回の定期更新が一度の休載もなく続けられたのも、ひとえに読んでくださる方の存在あればこそである。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげて、本サイトの現状をご報告する。開設時の総ページ数(A4での印刷換算)は約139ページだった。10年後の現時点で、PDFファイルを除いて約1507ページ、開設時のほぼ10.8倍となっている。今年から、今までに書いてきた吉岡実関連の文書のPDFファイル化を始めた。通常のウェブページとの違いは、「印刷物に準じた資料」という位置づけで、より定稿性が高い。現在までに、@吉岡実年譜〔改訂第2版〕Aもろだけんじ句集《樹霊半束》B《吉岡実の詩の世界》 ゲストブック〔2005.11.7.-2003.4.14.〕C吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第3版〕の4タイトルがアップ済みで、今後も続刊の予定である。なお、10月末時点のアクセスカウンターの数値は033269だった。
 □ また、小林一郎のホームページ「吉岡実の詩の世界」(この文章の最後の「参考」を参照)は貴重で、吉岡実関連の網羅的な書誌、詩集『神秘的な時代の詩』の詩についての論考など、非常に充実している。――《諧謔・人体・死・幻・言語――吉岡実のいくつかの詩を読む》
 □ 小林一郎さんの手に成る「吉岡実の詩の世界――詩人・装丁家吉岡実の作品と人物の研究――」。綿密で網羅的。本拙稿の準備のため、念のためウェブ上の資料を検索して、今回初めてこうしたサイトがあることを知った。――《Night rain, in winter――吉岡実と餃子ライス》
 □ 小林一郎さんの《吉岡実の詩の世界》編集後記に、ここのことが出てました。――《「首長族の病気」――Tomotubby’s Travel Blog》
 □ 詩人・装丁家の吉岡実の作品と人物について研究しているサイト。「吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈」のページでベルメールと四谷シモンに言及しています。――《リンク――「ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響」》
 □  私が好きな詩人というと、西脇順三郎と瀧口修造、吉岡実である。存命の詩人では、もう詩人とは言えない面も多い人ばかりだが、吉増剛造、平出隆、松浦寿輝だ。女性では井坂洋子と小池昌代が好い。そして別格は谷川俊太郎である。こないだの"危険人物"が吉岡実の詩の世界というページを教えてくれた。すごいファンがいるものである。――《ソフィア、トパロフ優勝》
●面映ゆいかぎりの評だが、こうした声を励みに今後も吉岡実と〈吉岡実〉に関する新稿の掲載、既存情報の補綴に努めたい。ところで、ウェブの情報は私の吉岡実研究に裨益するところ大なるものがあるが、本サイトでは基本的に印刷物のみを文献として扱っている(私がウェブで公表した吉岡実関係の記事も〈吉岡実参考文献目録〉に挙げていない)。この機会に、吉岡実関連の文章や古書、吉岡実論の書誌をインターネットで発信している方、機関に感謝したい。それらがなければ、《吉岡実の詩の世界》は現状よりもだいぶ見劣りするものになっていたに違いない。
●レッド・ツェッペリンのロンドンはO2アリーナでの〈アーメット・アーティガン追悼コンサート〉のCD・DVDがついに出た(《祭典の日(奇跡のライヴ)》)。現存メンバーによる渾身のSwan Song(白鳥の歌)である。セットリストの全16曲は、オリジナルのスタジオ録音に較べて一音下げが9曲、半音下げが1曲、ママが6曲。ロバートの声域の都合による変更だが、ジミーのギターも併せて下げているため、常にも増して引っかかりの多い「ペイジ節」を連発している。信じがたいくらい素晴らしい。

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編集後記 120(2012年10月31日更新時)

〈吉岡実詩の変遷あるいは詩語からの脱却〉に ついて書いた。吉岡実の詩集を通読していて感じることは、一冊ごとの統一性と、前後の詩集との違いである。《サフラン摘み》のように「吉岡実の詩集の中ではもっとも雑駁な印象を与える一冊」(松浦寿輝)もないわけではないが、《昏睡季節》に始まり《ムーンドロップ》に終わる詩集群はそれぞれ、冬の夜空に嵌めこまれた星座のように、しかるべき空間にしかるべく位置しているように思われる。詩語の点からそれらを見ると、《紡錘形》と《静かな家》が最も著しい対照をなしていよう。本稿では、それを特定の一語から考察してみた。
辻井喬詩集《たとえて雪月花》について書いたが、《〈吉岡実〉の「本」》で取りあげるべき対象が残り少なくなってきた(筑摩書房の数次にわたる《太宰治全集》といった大物も控えている)。財力さえあれば入手可能な書物もあるが、市場に出回らない本もある。私は原則的に現物を手に取ったものでないと紹介しないから(一部、普及版を装丁だけ改めた限定版で未見の書があり、その場合、引用した書影は罫で囲んである)、対象を見ないことには記事が書けない。2003年1月以来一度も休まず執筆してきた同ページだが、やむなく休載ということもありえよう。私としては《吉岡実書誌》の〈W 装丁作品目録〉にある全作品(存疑の作を含む)の紹介を目標にしているので、ぜひとも実現したい。未読の書籍の探求・収集を続ける一方で、新しいシリーズを検討している。それは「吉岡実の手がけた本」の本文組版の分析で、まずは吉岡の著書の筆頭である単行詩集。自著の造本装丁は基本的に吉岡自身が行なったから、そこから得られるものは少なくないだろう。
●2003年4月から2005年11月までの2年半、公開していた本サイトのゲストブックの書きこみ(ほとんどが私だが)をInDesignで組み、PDFファイルをアップした(〈《吉岡実の詩の世界》 ゲストブック〔2005.11.7.-2003.4.14.〕〉)。その最後のページに書いたとおり、かつてこういうページも存在した、という記録としてご覧いただければありがたい。いま本サイトに電子掲示板の機能はない。
●全収録曲をリマスタリングしたCD16枚組の《ザ・ビートルズ BOX》(EMI ミュージック・ジャパン、2009)を聴いた(以前のCDはみな単体で持っているが、1年半待って近くの公立図書館で借りた)。とりわけ、初期の作品が素晴らしい。この「ビートルズ全集」、楽曲の裸形の姿が見えるとでもいえばいいのか、改版に際して活版から平版に印刷方式が変わった全集のようなおもむきがある。
●次回11月は、いよいよ本サイトを開設して10周年である。〈編集後記〉では恒例のページボリュームの変遷をご報告するが、記事として特別なものは考えていな い。現在、10周年記念特別付録として、12年前の2000年12月31日に刊行した《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕》をバージョンアップした〔改 訂第3版〕のPDFファイルを公開すべく、作業中である。ご期待いただきたい。

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編集後記 119(2012年9月30日更新時)

木下杢太郎と福永武彦のサフランのスケッチについて書いた。西脇順三郎の詩に登場する植物について書いたのは会田綱雄だったが、吉岡実詩に出てくる草木を一覧にしたいと思いつつ、今日まで果たせずにいる。InDesignの索引作成機能を活用して、いずれは〈鳥の名前〉いや〈吉岡実詩の鳥の名前〉と 対になるような文章をまとめたいものだ。ときに、杢太郎の随想に〈隅田川の諸橋〉があって「厩橋は遠く見て形がもつとも悪い。近づくに及び、両側のトラッスのアーチの相交錯する所に多少音楽的快感のないことはない。我々はしかしむしろこの橋に清洲のモチイフの再現することを望むものであつた」(《文学で探検する隅田川の世界〔東京〕》かのう書房、1987年1月15日、二三七ページ)と見える。初出は昭和5年6月の《東京朝日新聞》だから、これは昭和4年9月竣工の現在の厩橋についてだ。杢太郎による〈追記〉に、記事を読んだ読者から新聞社宛に抗議文(厩橋についてではない)が届いたとあるから、同文が辛辣な批評だったことは確かのようだ。
●丸谷才一《快楽としての読書 日本篇〔ちくま文庫〕》(筑 摩書房、2012年4月10日)には本文庫初収録の書評が24本あって(全体では123本)、福永の《異邦の薫り》(新潮社、1979)を評した〈趣味性 と学問性と〉も含まれる。同文の結語「〔……〕趣味性と学問性とが端的に出てゐるのは、巻頭にある十三冊の訳詩集の色刷り写真と、巻末の訳詩年譜であら う。福永武彦といふ詩を愛し書物を好む文人にふさはしい著作である」(同書、三五二ページ)を不用意に読むと、カラーの書影が趣味性で訳詩の年譜が学問性 となりそうだが、そうではあるまい。中程に見える「学的厳密さによつて裏打ちされてゐながら、表面は楽しい趣味の書」(同書、三五〇ページ)を福永のス ケッチに当てはめてみたくなる。巻頭の〈書評と「週刊朝日」〉には「ポケット版の植物図鑑を散歩にたづさへて行つて樹や草の名を調べるのもいいし、 〔……〕」(同書、〇一九ページ)という一節さえある。
辻井喬詩集《沈める城》の装丁に ついて書いた。辻井喬には「吉岡実は、先輩たちが、思想性を捨てて表現様式としてのみ導入したために失われたモダニズム本来の体制破壊的(この場合、体制とは政治体制そのものを指すのではない)な精神を、復活させた詩人であった。彼の内部には、思想≠ニしてのモダニズムが、そしてそれを支える何かがあったのである」(《現代詩読本――特装版 吉岡実》、思潮社、1991、二四五ページ)という一節をもつ〈吉岡実の詩法――世界そのものとしての喩〉がある。「吉岡実の主張する「白紙の状態」の主人公は吉岡実の体内から這い出してきた、生の場合には死であり、死の場合には生であるような他者、であることによって著しくモノローグ的と錯覚されるもう一人の吉岡実なの だ。しかも、この他者は、一篇の詩が書き進められるにつれて一行ごとに開かれた世界から顔を出すのである」(同書、二四九ページ)というのがその結論だが、「著しくモノローグ的と錯覚されるもう一人の吉岡実」の含意は大きい。
●宇佐見英治(1918-2002)の書簡・原稿・美術作品・著書を展示した作家展〈宇佐見英治 没後十年展〉(ハックルベリーブックス、2012年9月15日〜16日)を観た。柏までの車中、藤村記念歴程賞受賞の《雲と天人》(岩波書店、1981)を読みつづけたが、文藝空間の仲間と厄介になった北軽井沢の山荘が登場するので、懐かしかった。リーフレットに長男の森吉(同人なので敬称を略す)が晩年の父親の肖像を書いている。「時間が許すならば父はさらに敬愛する谷崎潤一郎に捧げた一連の文章からなる撰文集〔……〕を上梓することを夢見ていたが、その夢はかなわなかった」。吉岡実編集のPR誌《ちくま》第46号(1973年2月)に〈谷崎潤一郎の触覚的文体〉が掲載されているから、筑摩書房が宇佐見さんの谷崎潤一郎論を吉岡実装丁で出してもおかしくなかった。
●もろだけんじ句集《樹霊半束》をPDFファイルで公開した(《樹霊半束》三刊について〔追記〕も参照されたい)。レイアウトや漢字の異体字の表示など、InDesignでほぼ思いどおりの紙面にできたが、実際に作業してみてわかったことがある。基本となる本文の組体裁を確定するまでは試行錯誤の連続だが、決めてしまえばあとは見出しや改ページ・改丁の方針を守ってひたすらページをメークアップしていくだけだ。一方、目次や奥付となると、本文組との関係は(版面内に収めるといった鉄則を除けば)ほとんどないから、組み手の意図や狙いが問われる。扉や表紙・ジャケットとなると、デザイン上の創意も加わってきて、レイアウトや組版からは遠くなる。そうしたこ と を佐藤直樹+ASYL《レイアウト、基本の「き」》(グラフィック社、2012年6月25日)で学んでいるところだ。
〈サイトマップ(全ページの概略目次)〉を手直しした。PDFファイルをアップする機会が増えるので、末尾に専用目次を新設した。通常の概略目次にも掲載しているので、重出ということになる。

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編集後記 118(2012年8月31日更新時)

吉岡実と篠田一士の ことを書いた。先日、横光利一の小説を篠田がどう論じているか知りたくて、吉岡が装丁を手掛けた《日本の近代小説》(集英社、1988年2月10日)の〈風俗の効用について〉を読みなおしていたら、「描写――すなわち、『小説神髄』の作者の言葉をそのまま用いれば「写真」ということになるが、〔……〕。/ところが、この「写真」という言葉を追ってゆくと、「摸擬」「摸写」という風に変容、変形し、挙句のはてには、「摸写小説」といった言葉が現われ、これには、アーチスチック・ノベルとルビが振ってある。こうなると、現行の日本語の用法ではなんとも理解できない語法があるわけで、『小説神髄』のためのglossaireがつくられて然るべきではないかという気がしてくる」(同書、一三二ページ)とあった。吉岡の詩〈模写――或はクートの絵から〉(E・4)の初出が気にかかる私だからだろうが、こんな一節が天啓のように訪れるのも再読の効験である。
●本文でも触れた篠田一士《詩的言語〔晶文選書〕》(晶文社、1968)は、東洋印刷による活版印刷で、本文9ポ45字詰18行縦組。ぶら下げ組(対象は句読点に限る)だが、(」)や(』)などの受けの括弧類がぶら下がっているのには、驚くとともにがっくりきてしまう。篠田の文には作品名や書名が異常なまでに多くて、括弧類が頻出するのはたしかだが、同じ行のその直前には、二分の読点(、)+二分アキ( )+二分アキ( )+二分の二重鍵(『)があって、この二分アキ( )はひとつ余計だから、なおさら鍵括弧(』)のぶら下げが目立つ(同書、六三ページ)。このほかにも、山パーレン(《》)ではなく、数学記号の不等号(≪≫)が入っていたりする(同書、五七ページ)。「組版の作業を読者に気づかせないのがよい組版だ」とするなら、上記のような違和を含む本書に及第点は与えられない。《詩的言語〔小沢コレクション〕》(小沢書店、1985)もぶら下げ組を採用しているが、こちらは括弧類の組み方も筋が通っている。印刷所は明和印刷で、組版は新規である。
飯島耕一詩集《宮古》の装丁について書いた。本書は私が日本エディタースクールに通っていた1979年に刊行された。クラスの大半は20代前半の若者で、そんななかに沖縄・宮古島出身の女性がい た。詩を読むようには見えなかったので、本書の存在を教えた。読後、著者に連絡を取ったらしく、飯島さんからレスポンスがあったと聞いた。《宮古》をめぐるささやかな想い出である。
●〈『食道楽』の人 村井弦斎」を見て、聴いて、食べる。――黒岩比佐子が遺した「世界」〉(新宿・矢来町のアート ガレー カグラザカ、8月4日〜5日)で、黒岩さんの遺した村井弦斎関連資料を閲覧した。《食道楽》のまさざまな版や、《『食道楽』の人 村井弦斎》初 期バージョンの〈序章〉、赤字の入った校正紙、研究者や担当編集者に宛てた書簡(その手蹟の美しいこと!)も見物だったが、弦斎に関する何冊もの手書きのノート(横罫のごくふつうのキャンパスノート)に打たれた。とりわけ弦斎の命日に墓参に行くくだりや資料の貸借メモの記載。こうした取材や調査、準備のうえに、あの大作が花開いたのだ。イベントを支えたスタッフの、黒岩さんへの敬愛に満ちた展示だった。
●InDesignの操作に慣れる意味もあって、このところ旧稿に手を入れている。今回は《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991)掲載の〈吉岡実年譜〉の改訂版を作成して、PDFファイル〈吉岡実年譜〔改訂第2版〕〉をアップした。詳細は〈吉岡実の年譜〉の〔追記〕の文章をご覧いただきたいが、本サイトの〈目次〉にもその項目を設けたため、トップページの文言に手を入れて分量を調節した。年譜を収録した文庫本の書名(柱)が《吉岡実詩集》となっているのは、架空の書物《吉岡実詩集》の本文に《僧侶》《サフラン摘み》《薬玉》という三冊の詩集を想定して、本文はもちろんのこと、扉や目次、解説や書誌、奥付まで書いてみたその〈年譜〉という体裁で組んだからである。ついでに〈目次〉の抜粋を掲げれば、僧侶…11、サフラン摘み…71、薬玉…225、人と作品…311、年譜…320、著書目録…362となる。できることなら、三冊の代表作を単行詩集や全詩集で読んでから――欲をいえば〈吉岡実年譜〔作品篇〕〉を傍らに置いて――本年譜に接していただくと、雰囲気が出ると思う。吉岡実文献の再発プロジェクトは、InDesignを中心に進めることになるだろう。
●8月末、家族で鳥取・島根を旅行した。鳥取砂丘、青山剛昌ふるさと館、宍道湖(松江城を遠望する)、水木しげる記念館(水木しげるロードを通って)、古代出雲歴史博物館を巡り、出雲大社に参拝した。吉岡実は1980年陽春、宍道湖、松江城、出雲大社などを見ているが、自筆年譜で触れられているだけで、随想などの文章は残されていない。

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編集後記 117(2012年7月31日更新時)

吉岡実と骨董書画に ついて書いた。白崎秀雄《鈍翁・益田孝〔中公文庫〕下巻》(中央公論社、1998年10月16日)にこうある。「また、昭和五十五年その瀬津雅陶堂で行われた「鈍翁展」に、「螺鈿蜻蛉蝶菊文鞍」というものが出品された。わたしは、その繊細さ優美さ、加えてその完好さに、しばしその前に立ちつくした。国宝に指定されている日本の鞍には、「時雨螺鈿鞍」と、「円文螺鈿鏡鞍」の二点がある。いずれも鎌倉期の優品にはちがいないが、わたしには鈍翁旧蔵のこの鞍の方が、一段と意匠が優美で生きていて、作も古く、平安期にまで上るものではないかと見えた。/「あの鞍は、一番上の蔵の長持の中に、なにか入ってないかというのであけてみたら、鼠の死骸と一緒にあったものです」と〔瀬津雅陶堂の番頭で、最も多く益田の蔵へ通った瀬津〕古平はいう。/鈍翁のおびただしい茶会や展観に、この鞍が出品されたことを示す文献は、わたしの見ているかぎりではない」(同書、三八〇ページ)。この「鈍翁展」図録が本文で触れた《雅》で、鈍翁旧蔵の鞍の写真も掲載されている。白崎の著書に〈桃鳩図〉への言及はあるものの、〈猫図〉は出てこない。
《定本 那珂太郎詩集》の装丁について書いた。吉岡実は、これも小澤書店から出た那珂の《萩原朔太郎その他》(1975)の装丁を手掛けており、1978年に出た本書までの間に高橋睦郎の《詩人の血》《球体の息子》《聖という場》のエッセイ三部作を装丁している。吉岡装丁の同書店の本はもっとあるような気がするが、実際には那珂と高橋のこの5冊だけだ。小澤書店/小沢書店のブックデザインと吉岡実装丁の比較研究は興味深いテーマだと思う。
●大谷能生《植草甚一の勉強――1967-1979全著作解題》(本の雑誌社、2012年1月25日)を読んだ。私は植草甚一の熱心な読者とはいいがたいが、副題 に「全著作解題」とある以上、誰が誰について書いた本であれ手にしないわけにはいかない。「文章からどうしても映画のイメージが浮かんで来ないとき、植草甚一は原稿を書くための手つづきとして、まずは作品の外堀を埋めるために、おもに海外雑誌から得たその作品のデータを並べて、その監督についてこれまで語られてきた批評の言葉を拾ってゆく。書かれてある文章は映画についての記憶と異なり、実際に目の前にあって書き写すことが可能なので、文脈を辿りながらそのようにして指を動かしているうちに、昨日見た「映画」はまた再び、細部まではっきりとしたイメージのつながりを取り戻してくれるかもしれない……。こうした試みの一環から生まれてくるものとして、彼のコラージュや粘土細工などの「手遊び」は位置しているように、ぼくには思われる。植草甚一の映画批評の多くは、こうして、海外の批評から得られた書誌学的なデータと、彼が丸ごと記憶している視覚的なイメージとを奇妙な具合に混合させることで書かれることになる」(一一二〜一一三ページ)という箇所に注目した。そのまえに「試写メモをたよりに最初から最後までイメージがどうにかつなぎ合わさってこないと、ぼくには原稿が書けない」(一一一ページ)という植草の言があるだけに、書誌学的データと視覚的イメージを「手遊び」が媒介するという指摘は首肯できる。あの、データとイメージの見事な結合、《植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス》展の図録(世田谷文学館、2007)を観かえしたいのだが、わが家のどこかに埋もれていて、探しだせない。
●このところTotoを聴いている。正確に言えば、ジェフ・ポーカロ(1954-92)のドラミングを中心に聴きかえしている。バンド結成25周年のアムステルダムでのライヴ(2003)では、後任のサイモン・フィリップスが叩いていて、鋼のタガで締めあげたようなリズムキープは鳥肌ものだ。それを認めたうえで、叶わないことながら、〈グッドバイ・エリノア(Goodbye Elenore)〉などの初期の楽曲――スタジオ録音ではポーカロが担当――を円熟した本人のドラミン グで聴いてみたかった(《スタジオライト ドラム教室:エッセイ・メニュー》のポーカロとフィリップスの項目が興味深い)。ポーカロ唯一のドラム教則ビデオ(1988)も、短いながら素晴らしかった。ジェフ・ポーカロといえば、これ。〈ロザーナ(Rosanna)〉のハーフタイム・シャッフル

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編集後記 116(2012年6月30日更新時)

●兵士として戦争を体験した宮柊二と長谷川素逝の歌集と句集に ついて書いた。吉岡実の詩を読んでいると、詩篇を執筆している「現在」になんの前触れもなく「戦時」が地続きで出現することがしばしばある。それはフラッシュバックと呼んでもいいくらいで、吉岡の戦後のすべての詩集を戦争詩集だと思わせるほどに強いため、「戦時」の侵入のまえでは実際の戦時下での吉岡の文筆活動の有無はほとんど消しとんでしまう。むろん、それが現存するとして兵隊時代の「日記一冊と詩一冊のノート」(〈高柳重信・散らし書き〉)が重要このうえないことは言うまでもないのだが。吉岡が戦時下の文筆活動について多くを語っていないのは、語るに値するものがないからだろう。宮の歌集や長谷川の句集を、吉岡の謂う戦争文学として読むことに不都合はない。
石垣りん詩集《略歴》の装丁について書いた。石垣の詩篇や単行本のあとがきには、たびたび吉岡実が登場する。一方、吉岡は石垣の著書の装丁はおそらく気軽に引きうけたものの、その詩ではもちろん、文章でも、また私の知るかぎり残された談話でも、石垣に言及したことはない。一体に吉岡は女の詩人の作品に触れることが少なかったが、白石かずこや金井美恵子ほどでなくてもいいから、石垣(作品)について書いた文章が読みたかった。
●野村保惠《編集者の組版ルール基礎知識》(日本エディタースクール出版部、2004)については前回の〈編集後記〉に書いたが、野村保惠《本づくりの常識・非常識〔第二版〕》(印 刷学会出版部、2007年9月25日)を読んでいたらおそろしいことに気がついた。「本函は、貼函・機械函・組立函に分けられます」。「貼函は、台となる函を予め組立てておき、上に別に印刷した紙とか、クロスなどを貼る方法でつくります」。針金函(機械函)は「針金で止めた簡易な函です。/高価な専門書の函によく使われます」。ここまではいい。問題は次の箇所だ。組立函は「針金を使用しないで、糊で貼る函です。/印刷→型抜き(筋押)→組立(糊付け)/印刷は多色刷りが多く、何面付きかで印刷されて、あらかじめつくった型で抜き、同時に筋押しをします。これを組み立てて糊で接着します」(同書、二〇六〜二〇八ページ)。私は《〈吉岡実〉の「本」》で吉岡の装丁作品を紹介する際に、仕様の説明で本函を貼函と機械函に二分しただけで(針金函と組立函を機械函と総称していた)、針金やホチキスの代わりに糊付けしてある機械函、などと解説している。野村の分類どおり、本函には@貼函A針金函(機械函)B組立函がある、として、「糊付けした函」は組立函と称すべきだ。所蔵の吉岡実装丁本は、吉岡の編著書は別置とするが、自宅の各処に分散している。これらを一箇所に集めて刊行順に排列し、函の形状を確認しさえすれば〔機械函→組立函〕の訂正などたかが知れている。だが、今はその時間と作業場所がとれない。吉岡実装丁本の全冊を掲載したあとには、なんとかせねばならない(そのまえに、未入手のあの本この本の算段が控えているのだが)。
●《沢田研二 LIVE 2011〜2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳》のツアーファイナル(日本武道館、2012年1月24日)を全篇収録したDVDが発売された。大半(26曲中18曲)がすでにNHK BSプレミアムでテレビ放映された演奏だが、時間の都合でオンエアできなかった楽曲も収録されている。とりわけ〈割れた地球〉(《ヒュー マン・ルネッサンス》の「アートロックナンバー」!)や〈淋しい雨〉(〈スマイル・フォー・ミー〉B面の珠玉ナンバー)が初めて聴けるのは嬉しい。いずれにしても、今回のツアーのリーダーが名実ともに沢田であることを知らしめる見事な選曲であり、近い将来の加橋かつみを含むザ・タイガースの完全復活が待望される。加橋の〈廃虚の鳩〉や〈花の首飾り〉(今回は沢田が歌唱)が聴きたい。そして、岸部四郎の元気な姿が観たい。

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編集後記 115(2012年5月31日更新時)

吉岡実と横光利一について書いた。横光の短篇小説を再読しようと、《機械・春は馬車に乗って〔新潮文庫〕》(初版:1969、25刷:1984)を引っぱり出したはいいが、改行のほとんどない〈機械〉を見て怖気を振るった。調べてみると、筒井康隆朗読の音源(新潮カセットブック、1988)があったので、図書館から借りて聴いた。横光自身の朗読(あるとは思えないが)よりもいいのではないか。なによりも話者の狂気が自ずと滲みでているところがいい。筒井はホリプロ所属の俳優でもある。
鍵谷幸信《詩人 西脇順三郎》の装丁について書いた。本文で鍵谷編の西脇による詩論集に触れたが、こんにち最も手軽に読める一冊本の詩論集は新倉俊一編《西脇順三郎コレクション〔第4巻〕評論集1》(慶 應義塾大学出版会、2007年9月10日)である。これは《超現実主義詩論》、《シュルレアリスム文学論》、《輪のある世界》(ただし巻末の〈津軽の若い民俗学者〉を除く)、《純粋な鶯》を全篇収録している。昭和初年(1929-34)にかけて刊行された西脇順三郎の詩論すべてがこの一冊で読めるのだから、定価5,460円は決して高くはない。
●このところ、10ccの〈フィール・ザ・ベネフィット(Feel the Benefit)〉(1977年のアルバム《愛ゆえに(Deceptive Bends)》のラストナンバー)をオリジナル、1977年のライヴ、1993年のライヴ(これは来日公演での録音)で聴いている。以前、ジェネシスの〈サパーズ・レディ(Supper's Ready)〉(1972)に触れて、吉岡の〈死児〉(C・19)を想い出すと書いたが、一体に私はこの手の組曲形式の楽曲に弱い。この系譜の淵源は、ビートルズ《アビイ・ロード》(1969)B面のメドレー、あるいはクロスビー、スティルス&ナッシュのその名も〈組曲:青い眼のジュディ(Suite: Judy Blue Eyes)〉(1969)あたりか。ビートルズといえば、ジョン・レノン作の〈ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン(Happiness is a Warm Gun)〉(1968) も忘れられない。ウィキペディアに拠れば「ポール・マッカートニーは、このアルバム〔《ザ・ビートルズ》のこと〕ではこの曲がいちばん好きだと述べている」そうだから、ポールもこの手の楽曲に惹かれるところ、大なのだろう。ちなみにポールは、《プレス・トゥ・プレイ》(1986)で〈フィール・ザ・ベネフィット〉の作者エリック・スチュワートと共作している。
●Adobe InDesign CS6を購入した。2年ほどまえパソコンをリプレースしたとき、DTPまわりは未だ手つかずだと書いたが、以後もとくに不便を感じなかったためソフトの導入に積極的になれなかった(以前はAdobe PageMaker 6.5Jを使用)。ここへきて、懸案だった吉岡実の全詩集の本文校異を完了したこともあり、未刊詩篇を含む吉岡実の詩・和歌・俳句を創作順に収録した自分独りのための作業用印刷物《吉岡実の全詩業》(仮題)をまとめたい。要は《吉岡実年譜〔作品篇〕》に列挙してある詩歌句を網羅し、手入れがある場合はその変遷をも明らかにした本文を収録しようというもの。ウェブ上で表示できなかった旧字等は、InDesignの異体字表示機能に期待する。本サイトの記事との並行作業になるが、完成の暁には吉岡実研究に新展開を図りたい。続刊(?)予定のタイトルを掲げる。《吉岡実未刊行散文集〔最新版〕》、《吉岡実未刊詩篇〔最新版〕》、《永田耕衣頌――〈手紙〉と〈撰句〉に依る》(中心になるのは《耕衣百句》の解説たる〈覚書〉)。いま熟読中なのが、野村保惠《編集者の組版ルール基礎知識》(日本エディタースクール出版部、2004)と生田信一・大森祐二《InDesign標準デザイン講座》(翔泳社、2012)の二冊の「教科書」である。大橋幸二《Adobe InDesign 文字組み徹底攻略ガイド〔第3版〕》(ワークスコーポレーション、2010)も必携だ。
●《〈吉岡実〉を語る》の口絵に掲げている〈吉岡実の手蹟 〔詩篇〈永遠の昼寝〉の清書原稿〕〉を 差し替えた。といっても元の手蹟は同じもので、先月までは額装のマット部分まで収めていたため文字が小さくて読みづらかった。さきごろ画像を整理していた ら容量が大きくて読みやすい写真があったので、原稿用紙部分の天地寸法に合わせてトリミングした。プリントするといまいちだが、モニタ上では充分お楽しみ いただけると思 う。早いもので、吉岡さんが亡くなられて22年が経った。

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編集後記 114(2012年4月30日更新時)

1919年生まれの吉岡実のことを書いた。西暦1919年は大正8年で、ウィキペディアに 拠ればこの年、菊池寛の〈恩讐の彼方に〉や有島武郎の《或る女》が発表され、5月4日に中華民国で五・四運動が起こり、7月7日にカルピスが販売開始、8月に田辺元(のち筑摩書房から全集が出る)が西田幾多郎に招聘されて京都帝国大学文学部助教授に就任している、というようなことがたちどころにわかる。しかし、この手軽さはいったいなんだろう。ツールとしての重層性がない(それはリンクの有無とは無関係で、価値の多面性がないといえば近いか)のも不満だが、情報自体のツルツルしたミラーコート紙のような感触は、20世紀の半ば過ぎに生を享けた私のような者には違和感以外のなにものでもない。所詮これは粗筋で本篇は別にある、という感懐は抜きがたい。
丸谷才一《みみづくの夢》の装丁について書いた。1985年・中央公論社刊の同書は、グレアム・グリーン(丸谷訳)《不良少年》(筑摩書房、1952)以来の吉岡実装丁の丸谷の本となった。以後は間を置かず《鳥の歌》(福武書店、1987)、石川淳・丸谷才一・杉本秀太郎・大岡信《浅酌歌仙》(集英社、1988) と続く。これらの著書がみな吉岡が1978年に筑摩書房を退いてからの仕事なのは注目に値する(しかも版元がすべて異なる)。吉岡のエロティクきわまる詩を教科書に載せろとは言わない、という文章をどこかで読んだことがあるが、丸谷才一の本格的な吉岡実論が読みたい。三浦雅士は《ユリイカ》の吉岡実特集号のとき、丸谷には頼まなかったのだろうか。
●丸谷才一のエッセイ〈『ギネス・ブック』の半世紀〉(《綾とりで天の川》所 収)に拠れば、ギネス醸造会社の代表取締役サー・ヒュー・ビーヴァーがノリス・マクワーターとロス・マクワーターに編集を委嘱した《ギネス・ブック》の第一版(大真面目な、文章の多いものだったそうだ)が出たのが1955年の8月。まさに《静物》と同年同月の刊行である。ついでだからウィキペディアを引くと、《僧侶》刊行の1958年11月は「東海道本線東京 - 大阪間で国鉄初の電車特急「こだま」が運転開始」「宮内庁、皇太子・明仁親王と正田美智子の婚約を発表、ミッチー・ブームはじまる」、《サフラン摘み》刊行の1976年9月は「中国共産党の毛沢東主席が死去。中国政府はソ連、東欧諸国などの弔電受け取り拒否」、《薬玉》刊行の1983年10月は「三宅島大噴火」などとある。けっこう役に立つ。
●4月8日、〈Yahoo!オークション〉に「署名本、吉岡実、私家版詩集『静物』、初版函、昭和30年、200部」が出品された(入札は5,000円から始まり、最終的な落札価格は77,500円)。「吉岡実の私家版詩集『静物』の署名本です。昭和30年刊で初版函付、限定200部。/コンディションについて、本冊は汚れ、焼け、しみなど僅かにあるも、元セロも付いて好印象です。函は焼けが少し目立ちますが、その他はまずまずです。画像をご参照願います」という説明があり、掲載写真の見返しには「鈴木二朔様〔旁の下は「次」〕/吉岡實」と刊行当時の筆跡でペン書きされている。鈴木二朔は初めて目にする名前なので検索してみると、《小山清著書目録》に《犬の生活》(筑摩書房、1955)の装丁者として挙がっていた。なおも調べつづけてみると、C・D・ルーイス(深瀬基寛訳)《詩をよむ若き人々のために》(同、同年)、中野重治《外とのつながり》(同、1956)や天野格之助《女の悲しみ――ギリシャ悲劇は終ったか?〔河出新書〕》(河出書房、1955)などの装丁作品があった(いずれも未見)。吉田健男ほど点数は多くないにしろ、《静物》刊行当時、筑摩書房の書籍を装丁していた外部の人間と思われる。私の知るかぎり、鈴木二朔が吉岡実の著作と関わった形跡はない。
●ジム・フジーリ著(村上春樹訳)《ペット・サウンズ〔新潮文庫〕》(新潮社、2011年12月1日)を読んだ。原書名“PET SOUNDS(33 1/3)”のLPレコードの回転数が示すように、1966年の発表以来40年近く音源を聴きこんできた著者による、この作品と作者(ブライアン・ウィルソン)への愛情に溢れた一書。久しぶりに《ペット・サウンズ》のCDを聴きかえした。気になったので《ペット・サウンズ 日本盤CDの変遷》というサイトで調べてみると、手許の盤は1990年12月12日発売のものだった。これには山下達郎のライナーノーツが載っていないので、近くの公立図書館で1995年6月28日発売の盤を借りて読んだ(収録曲は同じ)。これが濃い緑の地色にスミ文字のとんでもなく読みにくいしろものだが、達郎のライナーノーツの主旨はわかった。ハル・ブレインのドラムに要注意らしい。だが、いかんせんオリジナルのモノラルミックスなのでよく聴きわけられない。ステレオミックスのCDを借りて、今度じっくり聴いてみよう。《ペット・サウンズ》、なかなかどうして手強いアルバムだ。

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編集後記 113(2012年3月31日更新時)

吉岡実の近代俳句選に ついて書いた。本サイトで新設したいページのひとつに、吉岡が随想に引用した詩篇・短歌・俳句の作者と出典を明らかにする、というのがある(《吉岡実言及詩歌句索引》と仮称しておこう)。たとえば〈大原の曼珠沙華〉の「まさしく、誓子のつきぬけて天上の紺曼珠沙華≠フ絶唱を実感した」の俳句に対して、「山口誓子句集《七曜》(三省堂、1942〔昭和17〕)所収」とするような按配だ。そもそもこうした典拠のデータベースをめざしたのが《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》だったわけで、自分でもあやうく忘れるところだった。さいわい《七曜》は吉岡がほかの随想で触れていて同索引に掲載済みなので、サンプルとしてリンクをはってみた。
野原一夫《含羞の人――回想の古田晁》の装丁について書いた。この「含羞の人」という書名だが、田村泰次郎の坂口安吾追悼文に〈含羞の人〉――初出は《坂口安吾選集〔第6巻〕》(東京創元社、1956)の〈月報〉で、のち《坂口安吾研究T》(冬樹社、1972)所収――があり、矢代静一に《含羞の人――私の太宰治》(河出書房新社、1986)があり、秋元千恵子に《含羞の人――歌人・上田三四二の生涯》(不識書院、2005)があり、藤波孝生追悼集《含羞の人》(藤波孝生追悼集刊行委員会、2008)がある。対象となった本人が言挙げしているわけではないが(ただし、太宰は「含羞[はにかみ]」と書く)、書名のプライオリティを云云するつもりもないのだが、世間にはこれほどにも「含羞の人」がいたのかと慨嘆するほかない。
●2012年1月から国立国会図書館のNDL-OPACが 新しくなった。同館のサイトでは、新しいNDL-OPACは@検索対象が増え、Aデジタル化資料も利用しやすくなり、B新しい機能が追加され、C稼働時間が増え、D固定URL(以前のNDL-OPACで書誌詳細表示・雑誌記事索引詳細表示画面に割り当てられていた)は引き続き利用可能、と謳っているので、さっそく利用してみる。簡易検索のキーワードに「個人書誌」と指定すると19件ヒットし、17番めが私の〈個人書誌《吉岡実の詩の世界》をwebサイトにつくる〉である。タイトルをクリックすると、表示形式が標準形式の画面に遷移する。表示形式には三つ――(1)標準形式(2)引用形式(3)MARCタグ形式――がある。以前の固定URLはこの標準形式に相当する表示形式しかなかったから、便利には違いない。今回、新設されたダウンロード機能も充実している。だが不満もある。私は当サイトの作業用に《筑摩書房の三十年》(筑摩書房、1970)の巻末資料〈小社発行図書総目録〉(自 昭和15年6月18日/至 昭和45年6月18日)の掲載書目を国会図書館所蔵本で実見・確認すべく、昨年末から対応リストづくりを進めている。最終的にExcelでデータを管理するつもりなのだが、国会図書館所蔵本を固定URLで対応させていた。この作業ができなくなって困っているのだ。書誌詳細表示画面下方にあった43桁の「http://opac.ndl.go.jp/articleid/9449614/jpn」が懐かしい(これなら従来の作業が可能)。現在の標準形式のURLは168桁もある! さて、筑摩書房のNDL本をどう対応させたものか。
●その新しいNDL-OPACで検索していたら、これまで見たことのなかった資料、日本文芸家協会編《日本詩集 1961-1》(国文社、1961年7月5日)がヒットした。新装なった国会図書館で閲覧すると(同書は〈国立国会図書館のデジタル化資料〉で、「この資料は、 国立国会図書館の館内でのみご覧いただけます。/また、図書・雑誌・古典籍資料の場合は、遠隔複写サービスもご利用いただけます」と便利なんだか面倒なんだか)、期待どおり吉岡実の未刊行散文だった。新発見の未刊行散文の詳細は〈〈首長族の病気〉のスルス〔2012年3月31日追記〕〉をお読みいただきたい。
●3月23日、NHK BSプレミアムのテレビ番組〈沢田研二Live 2011〜2012 ツアー・ファイナル 日本武道館 〜瞳みのる・森本太郎・岸部一徳をむかえて〜 ザ・タイガースを歌う〉を観た(22:00〜23:29)。今年1月24日の沢田のツアー最終日のステージ(〈Mr. Moonlight〉に始まり〈(I Can't Get No) Satisfaction〉に終わる全26曲中18曲がオンエアされた。ステージの詳細は瀬戸口雅資さんの〈[ 伝授・特別編 ] 2012・1・24 『沢田研二LIVE 2011〜2012』ファイナル・日本武道館 セットリスト&完全レポ: DYNAMITE-ENCYCLOPEDIA〉参照)とそこに至るメンバーの姿を追ったドキュメントだ。1971年同月同日同所でのザ・タイガース解散コンサート以降、「同窓会」(沢田・森本・一徳に加橋かつみ・岸部四郎)、Tea for Three(沢田・森本・一徳)といった元メンバーによるプロジェクトはあったものの、瞳みのるを含む全員が揃うことはなかった。今回のツアーには瞳がドラマーとして復帰し、ファイナルには病身の四郎がサプライズで登場、41年ぶりの顔合わせとなった。私はついに現役時代のザ・タイガースのステージを観ていない(年子の妹は従姉に連れられて行っている)。瞳のドラムセットはPearl(パール楽器製造)からYAMAHAに変わって(シンバルはZildjian)、初期よりもタムがひとつ増えた。もっとも瞳は、フィルイン以外でタムを多用するドラマーではないが。当 時の器材に関しては〈グループ・サウンズの楽器事情−1/ [ザ・タイガース篇]〉が 「森本太郎のヤマハのギターや、瞳みのるのパールのドラムについては無料という記載があり、つまりそれはモニター契約によりタダで提供されていたという事だ」と伝える。そういえば当時、プラモデルのドラムセットのバスドラのヘッドにThe Tigersのロゴを貼ったものだ(模型の部品になるくらいの人気!)。

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編集後記 112(2012年2月29日更新時)

《筑摩書房 図書目録 1951年6月》あるいは百瀬勝登のことを 書いた。〔第1次〕筑摩書房版《太宰治全集》(1955-57)の担当編集者・野原一夫は、筑摩に入社して最初に《現代日本文学全集》編集部に配属された。野原の小説《含羞の人――回想の古田晁》(文藝春秋、1982年10月25日)には「『現代日本文学全集』編集部の編集責任者は松本高校で古田の二年後輩の早瀬勝平〔百瀬勝登のこと〕で、終戦直前、筑摩の本が信州で印刷されたとき、古田からたのまれて校正を手伝った。終戦直後に入社した人だが、校正を得意とするだけあって仕事は緻密だった。〔……〕私はこの編集部に一年余しかいなかったのだが、たとえば、原典として何を選ぶべきかの検討など、仕事の進め方の筑摩らしい厳密さを学び、それはその後の私に大いに役立つ勉強だったのだが、しかしそのことに深入りするのは、この文章の主題から逸れることになるだろう」(同書、七三ページ)とあり、百瀬が叢書や個人全集の筑摩≠フ伝統をつくった一人だということがわかる。なお筑摩書房は現在、PR誌《ちくま》を月刊で発行しているほか、筑摩書房図書目録、ちくま文庫/ちくま学芸文庫解説目録、ちくま新書/ちくまプリマー新書解説目録を出している。
和田芳恵《一葉の日記》の装丁について書いた。和田は吉岡実の岳父だが、塩田良平と共編の《一葉全集〔全7巻〕》(筑摩書房、1953-1956)といい、古田晁に請われて本文を執筆した《筑摩書房の三十年》(同、1970)といい、さほど多くない吉岡実装丁の編著書は重要なものばかりだ。和田が吉岡に言及した文章はほとんどない。吉岡が随 想〈受賞 式の夜〉で「風格のある本館のプリンスホールには、百人を越える客が集まっていた。高見順賞の授賞式もすすみ祝辞が始まると、最初に壇上にあがったのは病身のおやじさん(和田芳 恵)だった。突然私たちの馴初めから話がはじまったので、私も妻も驚いた。そのうえ、私の人柄まで語り出したので当惑せざるをえない。まるで結婚式の席にいるような雰囲気だ。あとでみんなに聞くと、さすがは作家だけあって話がおもしろかったとのことで、まずはよかったと私はほっとした」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、四二ページ)と書いている和田の「祝辞」は、原稿なしの口頭だけのものだろう。スピーチを吉岡の受賞詩集《サフラン摘み》だけに限定していないようなのも、なにやらゆかしい。
パイロットの3枚めのアルバム《Morin Heights》(See For Miles Records、1976〔RPM、2009〕)を聴いた。傑作です。余勢を駆って、中心メンバーのデヴィッド・ペイトンがゲストとしてヴォーカルを務めた日本のバンド、ビーグルハットの《マジカル・ハット》(Avalon、2006)を聴いた。英国の歌手と日本の作曲家・演奏家の奇跡のコラボレーション。ブリテッシュポップス直系の音には、プログレッシヴの香りが立ちこめている。8曲めの〈Wrecker Pulls Away〉はビーグルハット1枚めのアルバムの〈レッカードライブ〉のリメイクで、PFMのイタリア語盤と英語盤の関係を想起させる。ビーグルハットは次のアルバム《オレンジ・グルーヴ》(Avalon、2009)を残して、先ごろ解散した。惜しみても余りある。《マジカル・ハット》のオープニングナンバー〈Casgabarl!〉(春日原[かすがばる]?)を聴いて勇姿を偲ぼう。2枚めのアルバムのタイトル曲にして、かれらの〈ボヘミアン・ラプソディ〉を。
西脇順三郎アーカイヴ開設記念〈没後三十年――西脇順三郎 大いなる伝統〉展(慶 應義塾大学アート・スペース、会期:2012年1月10日〜2月24日)を観た。西脇研究の第一人者、新倉俊一さんの多年に亘るコレクションがアーカイヴに寄贈され、このほど開設されたのを記念する展示である。さほど広くないスペースに関連資料の精髄が集結しているさまは、圧巻だった。とりわけ西脇のペンになるエズラ・パウンドの肖像画は、西脇絵画の最高作の感を深くした。展示物に吉岡実の名は見えなかったが、〈あとの日の物語〉というコーナーに《瀧口修造の詩的実験 1927〜1937》見本完成パーティーのときの集合写真がパネルにして飾ってあった。小田久郎さんの筆を借りてパーティー当夜の様子を録せば――〔一九六七年〕十二月七日夜、六十四回目の誕生日を迎えた瀧口修造氏を囲み、原宿のマンションの地下の穴倉バー「檻の中」で、小さなお祝いの会が開かれた。丁度できあがった『瀧口修造の詩的実験』を手渡された西脇順三郎氏は「いまの日本には稀な反俗的な本になったね」と眼を細め、瀧口氏の肩をポンと叩かれた。瀧口ファンの海藤日出男、東野芳明、大岡信、飯島耕一、吉岡実氏らに囲まれ、瀧口氏もやっと三十年来の肩の荷を降ろしてか、肩をすぼめ、細い眼を一層細めていた。(《戦後詩壇私史》、新潮社、1995年2月25日、三九七〜三九八ページ)――ということになる。

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編集後記 111(2012年1月31日更新時)

「H氏賞事件」と北川多喜子詩集《愛》のことを書いた。小田久郎さんは《戦後詩壇私史》(新潮社、1995年2月25日)の〈十一章 既成詩壇の崩壊 1959――H 氏賞事件と詩壇ジャーナリズム〉を「H氏賞事件について書くのは、気がすすまない」(同書、一五三ページ)と書きはじめている。吉岡実を語りながら「H氏賞事件」に触れないわけにいかないことは承知しているが、事件について語るのは億劫だ。後追いの第三者がそう思うくらいだから、当時の吉岡実の心中はいかばかりだったろう。よくぞ詩をやめないで続けてくれた、とさえ思う。〈H氏賞選考委員・吉岡実〉に書いたように、吉岡は1963年の第13回日本現代詩人会H氏賞の選考委員を務めた(選考委員会は日本現代詩人会に属するが、選考については同会から独立した自由な権限を持つ、と1960年に会則が改正されている)。このころには過去のわだかまりも解消したのだろうか。「H氏賞事件」は、《日本現代詩辞典》(桜楓社、1986)にも《現代詩大事典》(三省堂、2008)にも記載されていない。
飯島耕一詩集《バルセロナ》の装丁について書いた。飯島の著書の吉岡実装丁は《他人の空》(山梨シルクセンター出版部、1971)が最初だが、《バルセロナ》と同じ1976年には、3月に吉岡の装丁でもう一冊、《ウイリアム・ブレイクを憶い出す詩》(書 肆山田)が出ている。《他人の空》は二分冊の飯島耕一全詩集の上巻だったし、《ウイリアム・ブレイク》はのちの吉岡実詩集《神秘的な時代の詩〔普及版〕》と同工異曲だから、純然たるオリジナルの装丁という意味では、本書が嚆矢である。バルセロナといえばふつう連想するのは、ガウディの建築やピカソ、ミロ、ダリといった画家たちの絵画だろう。私にとってのバルセロナは、クイーンのフレディ・マーキュリーがオペラ歌手のモンセラ・カバリエと組んだアルバムだ。ロックでもオペラでもない、作曲家フレディが歌手フレディのためにつくった、フレディ・マーキュリーのための《バルセロナ》(1988)がそれだ。
●NHKのテレビ番組《SONGS》第204回(1月18日放送)の〈沢田研二 ザ・タイガースを歌う〉で、沢田がタイガースナンバーを熱唱した(ゲスト:瞳みのる・岸部一徳・森本太郎)。ザ・タイガース再結成としていないのは、前期メンバーの加橋かつみ、後期(解散時)メンバーの岸部四郎が参加していない「−1[マイナスワン]」状態だからだ。スタジオでの演奏曲目は@僕のマリー(1967)Aモナリザの微笑(同)B君だけに愛を(1968)C青い鳥(同)D誓いの明日(1970)。収録日は2011年11月1日。〈瞳 みのる(HITOMI MINORU) official site〉に「録画当日は大変緊張しました。曲目は4〜5曲ですが、リハーサルは音と映像で一度づつやり、本番に入りましたが、一回ではOKにならず再度やってどうにかそれなりの納得のいくものになりました」と書かれている。若き日のかれらがドアーズ〈タッチ・ ミー〉(1968)や、クリーム〈ホワイト・ルーム〉(同)をカバーしているのをテレビで観たのがロックとの出会いだから、あだや疎かにできない。吉岡実は《現代詩手帖》1978年3月号〈特集=テレビをどう見るか〉のインタビュー記事〈吉岡実氏にテレビをめぐる15の質問〉で、「好きなタレントをあげてください。どういったところがお好きなのでしょうか」という質問に対して、「歌謡曲もたまに視るといいんですよ。新鮮でね。そんなに好みはないんだけれども、いま は沢田研二が一番いいね。うたはいろんなの歌ってるけど、安全ピンを耳に差してみたり、手首に剃刀の刃をやってたりね。オレはあの人素晴しいと思うんだな。聴かせると同時に、あれだけ見せるっていうね。もし一人選ぶとしたら、見る歌手として」と答えている。沢田はこの年、ナチス親衛隊風の衣裳の〈サムライ〉、船員のセーラー服姿の衣裳の〈ダーリング〉、第29回NHK紅白歌合戦の大トリで歌った〈LOVE(抱きしめたい)〉など4曲のシングルを発表し、ソロシンガーとしての絶頂期にあった。
●昨年末、必要があって本サイトの第1回から前回(110回)までの全ページのフォル ダをハードディスクにコピーしたところ、累積のファイルが76,590個、2.69GBあった(コピーに約50分要した)。私は毎月の更新で新たにつくった記事やリストはもちろん、訂正や追加の入った既存の記事やリストの変更部分もプリントアウトしてファイリングしている。電子的なデータも大切だが、本サイトの場合、記載された記事やリストの内容がすべてで、その電子化は二の次である。ほんとうのところ手書きでもかまわないのだが、手書きだと草稿か定稿か紛らわしいのが難点だ。ウェブページに公開した内容に草稿の入り込む余地はない。本サイトの制作作業とは、草稿(記事の場合は新たな着想を、リストの場合は新たな情報を備忘したもの)を定稿(着想の展開および情報の根拠を提示したもの)にするために、最低でもひと月、ときには数カ月かけて精度を高めていくことである。今のところ、記事の企画は三月[みつき]先の分まで用意してある。並行して調査するためだ。

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編集後記 110(2011年12月31日更新時)

吉岡実詩集本文校異に ついて書いた。これだけ多くのウェブサイトがありながら、3年前に吉岡実詩の本文校異を志したとき、参考になるサイトはなかった。事情は今も変わらないだろう。完成した本文校異の内容には自信があるものの、見せ方は決して褒められたものではない。自分がなにを欲しているかは、つくったものを使ってみなければわからないのだ。初出―初刊―集成の各本文がレイヤーのようになっていて、ボタンひとつでテキストの表示が切り換えられるページはできないものか。近年刊行の文学者の個人全集を見るまでもなく、作品の本文校異・本文校訂は、印刷による冊子体の制作・頒布がいよいよもって難しい。ウェブサイトならハードルは低い。諸版と校合した信頼できる本文をわかりやすく提示し、かつ「見せる」ウェブページが増えてほしい。
ガストン・バシュラール(渋沢孝輔訳)《夢みる権利》の装丁について書いた。吉岡実装丁で翻訳書はきわめて少ない。ごく初期の訳詩集を除けば、本書も《ウンガレッティ全詩集》も、出版元が筑摩書房で、編集者が淡谷淳一さん(書きおろしの《土方巽頌》や筑摩叢書の《「死児」という絵〔増補版〕》、《吉岡実全詩集》を手掛けた)である。20年前、《現代詩読本》の〈吉岡実資料〉作成のため、吉岡実装丁本のリストや啄木全集の月報に寄せた随想のコピーを頂戴しに、蔵前の筑摩書房に淡谷さんを訪ねた。《うまやはし日記》の厩橋にほど近い新社屋には吉岡も来たことがある、と聞いたのはその折だったろうか。私の《吉岡実全詩篇標題索引》(文藝空間、1995)は、淡谷さんに見ていただきたくて作ったようなものだ。
●去る12月10日は《液體》(草蝉舎、1941)刊行70周年だった。当夜は日比谷でシアタークリエのミュージカル《GOLD――カミーユとロダン》を 観た。吉岡実が若年のころ夢見たのは彫刻家だったが(「軍隊の悲惨な日々の中で、ひそかに日記と詩を書きながら、折にふれて、岩波文庫のリルケの『ロダン』を読んでいた」――吉岡実〈読書遍歴〉)、そのスタイルは粘土を捏ねる塑像ではなく、大理石から鑿で掘りだす彫像だっただろう。帰宅の途中、星空に赤い皆既月蝕が架かっていた。
●1945年9月1日〜12月31日、1946年1月3日〜6月9日、1947年6月18日〜7月31日の日記を収めた《福永武彦戦後日記》(新潮社、2011年10月30日)が出た。吉岡実〈日記 一九四六年〉(《るしおる》5号、1990年1月31日・6号、1990年5月31日)は1946年1月1日から4月8日までの日記だから、併せて読むと興味深い。1946年3月20日の記述――「三月二十日 曇、水曜/やや朝寝をし、八時発列車にて加藤と共に上野駅を立つ。着席するを得。追分駅にて中村と落合ひ若菜屋にて閑談。信州の早春は始めてなり。夕食前堀〔辰雄〕氏を訪ふ。夜種々の物語を若菜屋のこたつにあたりつつ為す」(福永武彦)。「三月二十日 坪田譲治先生の話を聞く。文筆で暮せるようになったのは四十歳を越してからという。あわてずゆっくり作品を書いてゆきたいと思う」(吉岡実)。《風土》(1952)も《静物》(1955)もまだ誕生していないこのとき、福永は世田谷・九品仏の秋吉利雄家に、吉岡は兄の吉岡長夫家(大田・池上か)に仮寓し、それぞれ放送局と出版社に勤務していた。
●大友博《エリック・クラプトン〔光文社新書〕》(光文社、2011年11月20日)にこんな箇所がある。「〔少年時代、〕ラジオ以外にはスピーカーを通して音楽を聴く方法がなかった状況だったこともあり、彼は流れてくる曲を、それこそ全身を耳のようにして聴いてい た。/ 〔……〕もう一度聴きたいと思う曲は記憶のなかでマークしておいたのだそうだ。またかかることを心待ちにし、一度しか聴けなかった曲でも、レコードを買えるようになってから、あらためてじっくりと聴いた。/そのようにして、人生の旅を通して耳にしてきた音の断片のようなものをクラプトンは、メンタル・ジュークボックスという言葉で表現している」(同書、一六一〜一六二ページ)。この「メンタル・ジュークボックス」という表現は面白い。最初に買った洋楽のLPがクリームだった一介の音楽好きでさえ、メンタル・ジュークボックスをもっているのだから、クラプトンのそれがどれほど豊饒なものか。
●多難の一言ではいいつくせない2011年が暮れようとしている。自宅の増築工事が始まって間もない3月11日、大地震が東日本を襲った。わが家は、南面する土地を造成して基礎のコンクリートを打つまえだった。キッチンは予定していたIHクッキングヒーターをやめて、ガスでいくことにした。準備期間を含めると、かれこれ1年に及ぶ工事がようやく完了した。混乱を極める――内容ではなく、置き場・配置――吉岡実資料(書籍や雑誌の原物、そのコピーに加えて、インターネット情報のプリントアウトが急増中だ)を活用し、PCまわりを機能化して調査・執筆に専念し、《吉岡実の詩の世界》の充実に努めたい。みなさまにとって、来る2012年が佳い年でありますように。

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編集後記 109(2011年11月30日更新時)

吉岡実詩歌集《昏睡季節》本文校異を書いた。今回で吉岡実が生前に刊行したすべての詩集(全262篇)の本文校異を終えた。次回は吉岡実詩集本文校異の総括を予定している。
岩田宏詩集《頭脳の戦争》の装丁について書いた。小田久郎さんは《戦後詩壇私史》(新 潮社、1995年2月25日)で「『頭脳の戦争』は、思潮社の制作、発行になるはじめての本格的な詩集といってよかった。真鍋博の装画はいつものように線が繊細で、岩田宏のパワフルな迫力を描きこめたとはいいがたかったが、カルカチュアライズされたイラストは十分に岩田の諷刺の精神をシンボライズしていて、たのしめるものだった。そのイラストを大事に本に挟んで、吉岡が勤めていた神田小川町の筑摩書房へ岩田と一緒に訪ねていったときの胸ふくらむような思いを、いまでもなつかしく思い出す。そのころのふたりは、たいそう仲良しだった」(二四九ページ)と回顧している。
●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸9年が経過した。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげる。本サイトの現状をご報告しておこう。開設時の総ページ数(A4での印刷換算)は約139ページだったが、1年後には約243ページとほぼ1.7倍、2年後は約341ページで開設時の2.5倍、3年後は約474ページで同3.4倍、4年後は約693ページで5.0倍、5年後は約803ページで5.8倍、6年後は約892ページで6.4倍、7年後は約996ページで7.2倍、8年後は約1221ページで8.8倍、9年後の現在は約1422ページで開設時のほぼ10.2倍となっている。このうち《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》(約310ページ)は、サーバの容量の関係で4月から10月まで画像の掲載を停止していたが、今月から復旧した。ちなみに10月末時点のアクセスカウンターの数値は(031024)だった。今後とも吉岡実と〈吉岡実〉に関する新稿の掲載、既存情報の補綴に努めていきたい。
●本サイト《吉岡実の詩の世界》には、大別して記事的な文章(《〈吉岡実〉を語る》ほか)と資料的なリスト(《吉岡実参考文献目録》ほか)の二種類のページがある。後者は原典の所在を指し示すインデックスだから、探索する人にとって間違いのないデータを簡潔に記述すべく、注意を要する(掲載は昇順)。とは言うものの、リストを冊子体印刷物と照合すればあとはそのまま掲載するだけだから、校正は初校・再校の二回もすれば充分だ。それに対して前者の文章は、修正と確認が数回、場合によれば十数回に及ぶことも決して稀ではない(掲載は降順)。用紙もインクも無駄に使いたくはないが、内容をすべてに優先させている。作業手順を簡単に述べよう。@テキストエディタ(縦書きサポートのCoolMint Editor Yellow)で執筆した文字原稿と、デジタルカメラ(パナソニックのLUMIX DMC-LX5)で撮影した写真、スキャナ(キヤノンのMP560)で取りこんだ画像をPicasaやIrfanViewで加工して、htmlファイルに組む(ウェブオーサリングソフトはKompoZer)。Aブラウザ(Windows Internet Explore 9)で表示した画面でリンクを確認する。印刷のシミュレーションは印刷プレビュー画面で。Bゲラ刷りの必要な部分を印刷。C引用文など、原典と照合する箇所の引きあわせ校正と、自分が執筆した文章の素読み校正、ないし文章そのものの加筆・訂正。これがひとつのサイクルで、あとは@で作成したファイルを時間の許すかぎり、納得いくまで手直しする。語・文・段落の入れ替え、すなわち順序を整える作業が有効だ。BとCを詳しく説明すれば、A4縦位置で印刷したゲラを紙挟みに天地逆に、つまりバインダー金具を地にしてセットする。紙が落ちにくく、めくりやすい。その際、ウェブページの合番やページ数を書き込む作業シートでもあるトップページの〈目次〉は、本文と違う色紙に刷る。ペラの集合を並べかえたときに表紙が判りやすいようにするためだ。ゲラに赤字を記入する筆記具は、水性ボールペン(PILOTのV CORN)を使っている。キャップのクリップを紙挟みのバインダー部分に留めて、国会図書館の資料持ち込み用のビニール袋に入れる。この秀逸な手下げグッズを持ちかえらない閲覧者の気が知れない。ビニール袋を重ねれば、クリアホルダーに挟んでゲラと区別したコピー資料や大部でない参考書籍もいっしょに入れられるので便利だ。この一式をPCのデスクや出先、各地の図書館、就寝前の寝室、とどこへでも持っていく。Bのゲラは通常、ウェブページを出力したメインの一種類だけだが、詩集の本文校異や引用文、こみいった長文など縦組でチェックしたい場合は、作業中のウェブページの本文を選択、テキストエディタにコピーしてファイルに保存のうえ、縦書き印刷してサブのゲラとする。CoolMintで文字の大きさ・字詰め・行間を9ポ・110桁=55文字・50%などと調節するのがポイントで、内容の吟味に集中したいときは、印刷物と同様、行間の広いゲラが作業しやすい。逆に全体を一望したいときは、行間を10%などと調節する。このテキストエディタによる執筆方法は10年近く本サイトを更新する間に編みだしたもので、原稿を丹念に仕上げてからインターネットに公開するときの参考にでもなればと思う。ウェブページに掲載する文章のポイントは、サーチエンジンで見つけた訪問者がいきなり読んでもわかる内容を、くどくない程度に丁寧に、印刷物と同じ手順で手間暇かけてつくることに尽きる。私は短文の場合、よほど重要なバージョンでなければ、最新の作業用ウェブページと同一のもの一本にして、テキストファイルを上書きしている。無用の混乱を避けるためには、ファイルひとつにゲラひとつ。それと作業フローを変えないこと。これが一番だ。修正の履歴を残したいときは、赤字入りのプリントアウトの上辺を糊で貼り、冊子にして保存する。最終稿が完成したあと破棄すれば、修正の履歴はどこにも残らない。「わたしは詩篇が完成したと確認した時、草稿的なもの、書き損じ類を一切破棄してしまう」――吉岡実〈わたしの作詩法?〉。
●家の増築のため、ふだん使わない荷物のかたづけをしていたら、30年近く聴いていないドーナツ盤が出てきた。杉真理〈いとしのテラ〉(1984)、薩めぐみ〈KAZE/NORMANDIE(「天皇の料理番」より)〉(1980)、等等。懐かしさのあまりレコードプレーヤーにかけたはいいが、半分くらいまで進むと針が飛ぶ。全部のレコードが同じだから、ディスクではなくプレーヤーの不具合だろう。せっかくのご対面がこれでは台無しだ。〈テラ〉と〈KAZE〉が収録されているオムニバスCD(《80's ALIVE JAPAN〜ソニー・ミュージックエンタテインメント編》《'80sドラマ・ソングブック》)を探して、近くの図書館で借りた。調べてみると、薩めぐみは昨年の10月18日に亡くなっていた。黒岩比佐子さんが亡くなるひと月前のことだ。Alas!

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編集後記 108(2011年10月31日更新時)

吉岡実詩集《液体》本文校異に ついて書いた。そこでも触れた《液体》の篇数に関してだが、吉岡は《現代詩手帖》1985年1月号の特別座談会〈言語と始源〉(オクタビオ・パス・吉岡実・大岡信・渋沢孝輔・吉増剛造)でパスに「二十歳くらいの時、北園克衛という人がいて、それまでは普通の詩を書いていたんだけど、こういう〔シュルレアリスムの詩のような〕詩が面白いだろうと思って、書いてみました。ちょうど二十歳から二十一歳くらいの時です。その頃、友達は誰もいませんでした。やがて兵隊に行くことになりまして、それで遺書にと思いまして、三十二篇の詩が入っている『液体』という詩集を出しました。ちょうど太平洋戦争が始まる二日後に兄と友達が出版してくれたんです」と答えている。この席に《液體》があったとは思えないから、吉岡は記憶に基づいて答えたはずだが、ここで三十二篇と言ったか三十三篇と言ったかは微妙である。編集者が三十三篇を三十二篇に訂したこともありうるし、吉岡がそれまでの三十三篇を改めて正しく三十二篇と発言したとも考えられる。詳細は不明であり、談話を証文とするには慎重を要する。
渡辺武信詩集《過ぎゆく日々》の装丁について書いた。そこでも触れている渡辺の《移動祝祭日――『凶区』へ、そして『凶区』から》(思潮社、2010)は12級2段組300ページ近い本文の、当事者が著した画期的な一冊だが、巻末資料(参考文献リスト、『凶区』関連同人誌一覧、『凶区』関連年表、人名索引)が素晴らしい。註釈や写真キャプション、コメントにも細かい心遣いがみられる。
●八木忠栄《「現代詩手帖」編集長日録 1965-1969》(思潮社、2011年9月15日)を読んだ。八木さんには《詩人漂流ノート》(書肆山田、1986)という回顧録があり、こちらの方も再読したくなった。
●9月末、国立国会図書館で毎月恒例の書誌の記載チェックをしながら、何気なく詩集《神秘的な時代の詩》を検索してみると、なんと湯川書房版の初刊が ヒットした。《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》を作成した2004年には所蔵されていなかったから、その後に収蔵されたものだろう。いまのところ「吉岡実」の項の12タイトルだけだが、NDL-OPACの書誌情報ページにとぶように請求記号にリンクをはった。いずれは《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》のすべての請求記号に対象を拡げたい(それ以前に、未見や未詳の★印をつぶさねばならないのだが)。
8月の後記でも触れた瀬戸口雅資さんのdynamite-encyclopedia(side-B)〈[ 伝授・特別編 ] 9.8 『沢田研二 LIVE2011〜2012』 東京国際フォーラムA セットリスト&完全レポ〉が完結した。それによると、7月の後記で 触れた〈割れた地球〉と〈怒りの鐘を鳴らせ〉が続けて演奏されたという。〈光ある世界〉は見送られたが、〈スマイル・フォー・ミー〉のB面〈淋しい雨〉まで演ったそうだから、遠からずリリースされるであろうDVD(それともNHKテレビの番組が先?)が今から楽しみだ。ベースの岸部一徳の記事を検索していたら、ジョン・ポール・ジョーンズがサリーの演奏を高く買っていたことを知った。その流れというわけでもないのだが、最近はジョンジーが好んだモータウンのベーシスト、ジェームス・ジェマーソンがバックを務めるマーヴィン・ゲイのライヴ盤をよく聴く。

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編集後記 107(2011年9月30日更新時)

城戸幡太郎の《民生教育の立場から》のことを 書いた。同書の原本は、インターネットで古書を検索しても一度も見たことがなく、稀書のようだ。原装を見てみたいものだが、吉岡実装丁である可能性は低かろう。《城戸幡太郎著作集〔第7巻〕》(学術出版会、2008年2月25日)には編集部による略年譜が付いている。明治26年(1893)の項に「七月一日、愛媛県松山市の旅館「城戸屋[きどや]」(屋号は岱洲館。明治二八年四月、夏目漱石が松山中学校に赴任の時最初に泊まった宿。『坊っちゃん』の山城屋のモデルといわれる)の長男として生まれる」とあるのが目を引く。
平林敏彦詩集《水辺の光 一九八七年冬》の装丁について書いた。本書の出版元の火の鳥社は詩人の太田充広氏を発行者とする堺市の出版社だが、平林氏も長野で(ぽえむはうす)青猫座という版元を興こし、自身の詩(画)集を刊行している。平林氏には別名による散文作品もあり、制作を含めた総合志向のある書き手と言っていいだろう。
●かねて予告されていた《ウルトラ》14号(吉岡実特集)が刊行された。三省堂の《現代詩大事典》で〈吉岡実〉の項目を執筆している澤正宏さんの長文インタビューをはじめ、城戸朱理さんのインタビュー、高塚謙太郎〈作品「静物」を読むにあたって与えられたマニュアル〉など4氏による〈私と吉岡実〉、《静物》・《僧侶》から《薬玉》・《ムーンドロップ》までの詩に11氏が言及している〈吉岡実この一篇〉が100ページを構成する、及川俊哉氏渾身の編集である。及川氏執筆の〈生活の密儀――吉本隆明『戦後詩史論』における吉岡実評から〉は《六本木詩人会》のページでも読むことができる(末尾に本誌の購読案内が掲載されている)。《ウルトラ》は今号から電子版を無料配布する予定ときくが、これはぜひとも冊子体の印刷物で手許に置いておきたい文献である。【追記:《六本木詩人会》の〈ウルトラ14号の紹介〉ページの「電子データ(PDF)の配布について」に、版下作成の際のPDFデータが無料でダウンロード可能とある。】
アカシヤ書店店 主・星野穰さんの〈将棋・囲碁専門の古書店――文化的価値広めようと40年、海外からも注文〉(《日本経済新聞》文化面、2011年9月7日)を読んだ。私は将棋も囲碁もやらないので専門店としての真価はわかないが、ルカ医院に近い小畑雄二の宅で毎月詩誌を制作・発行していたころは、西武新宿線・野方駅から北原通り商店街を行ったはずれ、新青梅街道手前にあった同店をよく覗いたものだ。環七通り沿いの珈琲店・野方茶館でジェフ・ベックのギターアルバム《ブロウ・バイ・ブロウ》(Epic、1975)が新譜でかかっていたころのことである。
●NHKテレビ・BSプレミアムの〈旅のチカラ〉で《アンデス 星と雪の巡礼〜写真家 桃井和馬〜》を観た(9月10日の再再放送分)。番組ホームページには 「南米ペルー・アンデスの聖地。写真家・桃井和馬が巡礼の旅に出る。4年前、妻を病気で亡くし、“新たな人生の一歩”を踏み出すために、標高5000mの聖地を目指す」とあるが、久しぶりにドキュメンタリーらしいドキュメンタリーを堪能した。恩田陸の中南米紀行《メガロマニア――あるいは「覆された宝石」への旅》(日本放送出版協会、2009)を読んだばかりだったので、なおのこと感銘深かった。
●自宅を増築していて、念願の独立した書斎を構想中だ。余儀なく数箇所に分散保管している吉岡実関係の書籍や資料(大半はB4コピーとA4プリントアウト のファイル)をまとめて、MacintoshとWindowsマシン2台を並べるところまでは決まっているのだが、その配置すらおぼつかない。これを機 に、永いこと見ていない吉岡実装丁本が現われることを期待しているのだが、どうなることか。

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編集後記 106(2011年8月31日更新時)

〈吉岡実文学館〉を考えるを執筆した。2008年3月、深井人詩編《文献探索2007》(金沢文圃閣)に〈個人書誌《吉岡実の詩の世界》をwebサイトにつくる〉を寄稿したが、これはその続篇ともいえる思考実験である。私自身の《吉岡実の詩の世界》―《吉岡実全集》―《吉岡実文学館》という三幅対[トリプティク]を構想する力を検証する場にもなったと思う。
江森国友詩集《宝篋と花讃》の装丁に ついて書いた。同詩集がそうであるように、特装限定版には別に並装の通常版があることが多いが、丸谷才一《樹影譚〔特装版〕》(中央公論新社、2008年12月10日)には通常版がない。しかも、版元が単行本の文藝春秋でも、〈樹影譚〉掲載誌《群像》の講談社でもないところがすごい。同書は(1)本体《樹影譚〔特装版〕》に《樹影譚》(文藝春秋、1988)と同じ3篇の小説と、丸谷の〈三つの短篇小説〉〈あとがき〉を収める。(2)装丁の和田誠による描きおろしエッチング1枚(袋入)を添付する。(3)付録の冊子〈ふるさと富士〉に丸谷の発句〈玩亭新句帖〉、和田誠〈装丁物語(抄)〉、三浦雅士〈出生の秘密(抄)〉を収める。エッチングは本と別にしてあるので、額に入れて飾るなりしてくれ、という丸谷の批評が沁みとおった特異な一冊。
《澤》8月号が永田耕衣を特集している。久保田万太郎(2006年6月号)・田中裕明(2008年7月号)に続く俳人特集である。カラー口絵の小澤實さん宛ての耕衣書簡が素晴らしい。本文には高橋睦 郎・小澤實対談以下、26本の耕衣論(私は吉岡実編《耕衣百句》とその後について、〈永田耕衣と吉岡実〉という文を書いた)に一句鑑賞・略年譜と充実した内容で、耕衣俳句を丸ごと捉えようとした企画としては近年にない(ひょっとすると今後しばらくないかもしれない)出色の出来になっている。これを踏まえて、いずれは長文の〈吉岡実と永田耕衣〉を書かねばならないと考えた。
●筆名のもろだけんじ名義で執筆し、刊行した句集《樹霊半束〔TREE-SPIRIT: SEMI-LATTICE〕》に追記を書いた。永田耕衣選〈琴座集〉の3句を引いている。
●このところ恩田陸の小説を読んでいる。恩田作品を最初に読んだのは《ライオンハート》の 文庫本で、書店で「ライオンハート」という標題を見かけて、SMAPのそれ(正しくは「らいおんハート」)か、ケイト・ブッシュのそれかすぐに確認したと ころ、後者だった。恩田陸の小説は版元によって傾向が分かれていて、《ライオンハート》のような新潮社のものはホラーがかった文学作品、光文社 や祥伝社はミステリ色が濃く、講談社はミステリアスな長篇で、集英社はSF色が濃く、徳間書店は、幻冬舎は、双葉社は、角川書店は、……とそれぞれに特色 があって、読むまえから期待が高まる。というわけで、今回よく聴いたのはケイト・ブッシュ2枚めのアルバム(1978)である。ケイト自身は本作の出来に不満だったと聞くが、この無駄をそぎおとした音を作ったのが20歳になるやならずだったとは驚く。つくづく才能と年齢は無関係、の想いを深くする。恩田陸とケイト・ブッシュ。多作と寡作の違いこそあれ、天才は天才を知る。
●企画展〈牧野富太郎が夢みた万葉の世界〉(牧野記念庭園、2011年6月4日〜8月7日) を観た。〈万葉植物図〉にホンダワラの図があった。「夕焼けの映える/磯辺に残された/〔斎串[いわいぐし]〕や〔馬尾藻[ほんだわら]〕」(〈〔食母〕頌〉K・19)。同じ日に特別展〈磯江毅=グスタボ・イソエ――マドリード・リアリズムの異才〉(練馬区立美術館、2011年7月12日〜10月2日)を観た。〈鰯〉という静物画があった。「魚のなかに/仮りに置かれた/骨たちが/星のある海をぬけだし/皿のうえで/ひそかに解体する」(〈静物〉B・2)。盛夏の真昼に震撼した。
●瞳みのるを迎えたコンサートツアーが今秋から予定されているせいか、ザ・タイガース関連のページが増えている。いま私が愛読しているのは、筋金入りのジュリーファン・瀬戸口雅資さんのサイト《DYNAMITE-ENCYCLOPEDIA》で、 《ヒューマン・ルネッサンス》(ポリドール、1968)を含むタイガースの楽曲分析が楽しい。私は40年以上前のこのアルバム全12曲の和音進行のコピーを志しながら、果たしていない。ボーカルとギターコードを載せた当時の譜面で手許にある4曲(〈光ある世界〉〈青い鳥〉〈忘れかけた子守唄〉〈廃虚の鳩〉)以外は、耳コピーするしかない。ホール録音のためかミックスが渾沌としていて、和音進行の採りづらい〈光ある世界〉の譜面が残っていたのは幸いだ。イントロ・間奏・後奏のEm−D7−C−Am−F7-5−EmはベースがE音を出しつづけていて、「F7-5」なんてわかりっこないです、すぎやま先生。主和音EmでF−Eb−Bm−EmやF#7−F−Em…といったとんでもない進行があるのに、自然に響くところが素晴らしい、シングルB面曲。

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編集後記 105(2011年7月31日更新時)

《静物》の本文校異を 執筆した。《静物》(私家版、1955)は吉岡実が生前に刊行した12冊の単行詩集のうち、書きおろしの3詩集の1冊で、自筆原稿が現存する唯一の詩集。久しぶりに初版本を読んでみて、吉岡が詩をやめようと思って(実際は出発になったわけだが)これだけの作品を書いてしまったことが奇蹟に思える。とりわけ、戦後まもないころの未刊詩篇との隔絶がすばらしい。
飯島耕一詩集1《他人の空》の装丁について書いた。吉岡が装丁した本のなかでも多くの著書をもつ著者のひとりが飯島で、吉岡も飯島からの装丁の依頼に心安く応えていたようだ。
●瞳みのる(本名:人見豊)《ロング・グッバイのあとで――ザ・タイガースでピーと呼ばれた男》(集英社、2011年3月1日)を読んだ。「一九七一年にザ・タイガースを解散して、そ の翌々年〔……〕、六本木キャンティヘ食事に行ったときのことだ。二階で食事をしていると、ふらりと〔加橋〕かつみがやって来た。お茶を飲みに来たようだ。僕は解散以来会っていないので、懐かしくもあり、同席して話すことになった。話題がかつての音楽の話になり、僕らの最後のアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』の作曲家を僕が批判すると、彼は激昂し、結局喧嘩別れになった」(本書、一七〇〜一七一ページ)。《ヒューマン・ルネッサンス》(ポ リドール、1968)は中学生だった私が生まれて初めて買ったLPレコード。購入当時は自宅に再生装置がなかったので、叔父の家のステレオで聴かせてもらった。〈光ある世界〉のフロアタム16分音符連打のフィルイン、ジミ・ヘンドリクス(たしか瞳は、好きなドラマーにミッチ・ミッチェルを挙げていた)を意識した村井邦彦作曲〈割れた地球〉の、通常は4拍オモテのスネアをウラに遅らせた変則的なリズムパターンのほか、瞳のドラムのフレーズすべてを記憶している。瞳みのるのベストは、シングル盤〈都会〉のB面〈怒りの鐘を鳴らせ〉だと思う。
●内田善美の著作を何冊か読んだ。《白雪姫幻想》(サンリオ、1979)、《聖[セント]パンプキンの呪文》(新書館、1979)、《ソムニウム夜間飛行記》(白泉社、1982)、《草迷宮・草空間》(集英社、1985)。代表作《星の時計のLiddell[リデル]〔全3巻〕》(集英社、1985-86)はまだ通読していないが、こうした内田作品をリアルタイムで読んだ10代の少女が、長じてマンガを「描かなかったら」どうなるのか。どこでそのバトンを引き継ぐことになるのか、はなはだ興味深いものがある。

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編集後記 104(2011年6月30日更新時)

吉岡実詩に登場する植物について書いた。以前、〈吉岡実詩の鳥の名前〉を 書いたときは吉岡が残した雑誌の切り抜きをきっかけに鳥の名前を調べたわけだが、今回の植物の場合、それに相当する資料は目にしていない。拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》の〈人工花園〉(I・19)が唯一、資料(生け花関係の冊子かなにか)を参考にして植物名を織りこんだ詩篇だと思われる。
唐木順三編《深瀬基寛集〔全2巻〕》の装丁について書いた。深瀬基寛というと想い出だされるのが《オーデン詩集》(せりか書房、1968)だ。学生時代、いっしょにガリ版(と言って通じるだろうか)の月刊詩誌を出していた小畑雄二が、翻訳詩ならこれを読め、と薦めたのが深瀬訳の本書だった(大江健三郎の小説の標題が深瀬訳から採られている)。ボール紙に濃いピンクの題簽貼りの函の印象がいまだに鮮かだ。調べてみると、平野甲賀の装丁だった。ちなみに、吉岡は唐木順三、深瀬基寛に触れた文章を残していない(永田耕衣に宛てた書簡では両氏の名を挙げている)。
●吉岡実に言及した文献を私が探索する際の手法は、大きく分けてふたつある。既知の評者や発表媒体を定点観測するのがそのひとつ。インターネット上のさまざまな未知の情報をブラウズすることがもうひとつである。そうは言っても、amazon.co.jpGoogle Scholarでの検索結果は、相当の割合ですでに織りこみずみの情報で、その貴重な例外は、当該印刷物の原物もしくはコピーを実見のうえで、本サイトに掲載している。文献が高額であったり(詩誌《新詩集》に〈過去〉が収録されていたらしい)、通常の方法で入手・閲 覧で きない場合(バーバラ山中のドイツ語による修士論文〈吉岡実論〉)、これらの未見資料は本サイトに掲載しない。後日を期すためにあえて未見の◆印を付けた初出(《後継者たち》に連載された通雅彦の〈吉岡実に対するノート〉)もあるが、定稿と思われる文献(多くは書籍)の実見を旨としている。ゆえに書籍の人名索引は必要にして不可欠で、それがない本は、どれほど立派な本文であっても、論文ではなく随筆として扱うしかない。
●湯浅年子が
リュシアン・クートーのことを書いているのを知ったのも、「未知情報ブラウズ」のおかげである。〈リュシアン・クートーと二篇の吉岡実詩〉に追記を書いたのでご覧いただきたい。
●2011年6月17日、アクセスカウンターの数値が30,000を超えた(10,000を超えたのが2005年7月16日、20,000を超えたのが2007年10月29日で ある)。訪問者の方方に深く感謝する。2002年11月30日の開設直後は本文の制作で手一杯で、アクセスカウンターを設置したの は2003年3月31日だった。当時はリンクもたいしてはられておらず、アクセス数は微微たるものだっただろう。無知とは恐ろしいもので、私自身調べたいこ とがあるとトップページから入って閲覧していたのだから、1割近くは私のアクセスだったかもしれない(さすがに、その後はローカルのhtmlファイルを開 くので、カウントを「水増し」することはなくなった)。開設以来の日数でアクセス数を均せば、1日当たり約9.6、1月当たり約292となる。ちなみに現 在、Googleで「吉岡実」をウェブ検索すると約58,500件ヒットし、一位が〈吉岡実 - Wikipedia〉、二位が〈諧謔・人体・死・幻・言語 ――吉岡実のいくつかの詩を読む〉、三位がわが〈吉岡実の詩の世界〉、四位が〈Amazon.co.jp: 吉岡実全詩集: 吉岡 実, 飯島 耕一, 入沢 康夫, 大岡 ...〉、五位が〈[PDF] 吉岡実の長篇詩〉である(一・三・五が私の執筆)。
●このところ、また岡嶋二人(井上泉と徳山諄一の筆名)の文庫本を読みかえしている。どちらがアラン・パーソンズでどちらがエリック・ウルフソンか。どちらがイアン・ベアンソンでどちらがスティーヴ・バルサモか(いやこの二人が共演したことはないはずだから、組み合わせ自体おかしい)。どちらがアランでどちらがイアンかどちらがエリックでどちらがスティーヴか――難題である。
●しばらくまえ、ポータブルMDプレーヤーが故障したので買い換えた。すると今度は、MD/CDシステム(要はラジカセのカセットがMDになったもの)が壊れた。CDがかかりにくかったことろへきて、MDに録音できなくなったのだ。私はメディアがオープンリールのテープのころから録音しているせいか(高校時代のバンドのオリジナル曲)、カセットテープ(MTRでの宅録)、MDディスク(前述のバンドのリハーサル)といった、目に見える駆動系のメディアでないと安心できないところがある。

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編集後記 103(2011年5月31日更新時)

野平一郎作曲〈Dashu no sho, for voice and alto saxophone(2003)〉のことを書いた。桐朋学園大学音楽部門附属図書館のOPACには同曲を収録した〈Japanese love songs〉の項目があり、野平一郎の書誌がリンクされている。だが、野平書誌には当の〈Japanese love songs〉が掲載されておらず、その仕組みがどうなっているのかよくわからない。
布川角左衛門《本の周辺》の装丁に ついて書いた。本文でも触れたが、日本エディタースクールでは書籍づくりを学んだ。読書と執筆は見よう見まねでもできるが、共同作業の本づくりは体系的に学習しないとどうにもならない。現場で学ぶのが最も直接的だが、スクールでも疑似体験にはなる。オリジナルの出版企画を提出して、原稿整理まで実行する課目があった。そこで吉岡実の散文集を立案し、原稿用紙数百枚分の文章(新聞・雑誌・書籍のコピー)をまとめた。吉岡初の随想集《「死児」という絵》が八木忠栄編集で思潮社から刊行されたのは、翌1980年夏のことである。
●波瀬蘭の《村上春樹超短篇小説案内――あるいは村上朝日堂の16の超短篇をわれわれはいかに読み解いたか》(学 研パブリッシング、2011年3月29日)が出た。〈直喩 あるいは物語をめぐって〉〈物語 あるいは嘘の力をめぐって〉〈登場人物の越境 あるいは虚構の受容・創出をめぐって〉〈その他の超短篇 あるいは村上春樹のさらなる魅力をめぐって〉、ハルキ文学を解く鍵を超短篇に探った視点が新しい。私も長篇で村上春樹を記憶している者だが、頂針の書として読んだ。
●ゲイリー・ムーアが今年2月に急逝したのには驚いたが、つい最近、元アラン・パーソンズ・プロジェクトのエリック・ウルフソンが2009年12月に亡くなっていたことを知って驚愕した。享年64、腎臓ガンだった。エリックはイギリスのロック歌手、作詞・作曲家、キーボード奏者、なによりも双頭ユニットAPPの〈アイ・イン・ザ・スカイ〉の作者にして歌手である。《怪奇と幻想の物語――エドガー・アラン・ポーの世界》(1976)でデビュー以来、アラン・パーソンズとともに10枚のオリジナルアルバムを発表(私は1984年の《アンモニア・アヴェ ニュー》で出会った)。APPの11枚めとして制作を開始しながら、結果的に最初のソロアルバムとなった《Freudiana》(1990)が、アランとの最後の共演になった。その後は《Poe: More Tales of Mystery and Imagination》(2003)でデビュー作の続編を試み、《Eric Woolfson sings The Alan Parsons Project That Never Was》(2009) が最後の作品となった。今宵はAPPのCDを聴きながら、17曲を収めた楽譜集《The Essential Alan Parsons Project: Piano/Vocal/Guitar》(Hal Leonard、2008)をひもといて、APPの魂エリック・ウルフソンを偲ぼう。
●5月31日は吉岡実の祥月命日。吉岡さんが亡くなって21年過ぎた。歿年の1990年の21年前は1969年、年譜には「新年、土方巽が笠井叡と初めて来宅。七月、日本橋三越の〈書と絵による永田耕衣展〉で〈白桃女神像〉を予約する。耕衣と北浦和の海上雅臣宅を訪ね白隠や徳富蘇峰遺愛の黄山谷などを観る。田村隆一編集の季刊詩誌「都市」に依頼されて「コレラ」を書いた後、思うところあり詩を発表することを暫く止める。十二月、永田耕衣から妻に絵〈鯰佛〉を戴く」とある。耕衣俳句に親しむ一方、作詩での行詰まりが明らかになった年でもある。吉岡はこの「神秘的な時代」を1976年刊行の2冊、すなわち《耕衣百句》と《サフラン摘み》で打ちあげることになる。

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編集後記 102(2011年4月30日更新時)

《ムーンドロップ》の本文校異を 執筆した。これで吉岡実が生前に刊行した12冊の詩集のうち、書きおろしの3詩集――《昏睡季節》(草蝉舎、1940)、《液体》(同、1941)、《静物》(私家版、1955)――を除く9詩集の本文校異を終えた。そのうちの《神秘的な時代の詩》(湯川書房、1974)は《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》の〔付録〕として、評釈巻末に掲げてある(今回、評釈の画像を割愛して文章のみ再度アップロードした)。
〔第2次〕《太宰治全集〔第12巻〕》(筑摩書房、1958)の装丁に ついて書いた。塩澤実信(小田光雄編)《戦後出版史――昭和の雑誌・作家・編集者》(論創社、2010年日12月25日)の〈第Z章 筑摩書房 古田晁〉には「筑摩書房の元編集者晒名昇は、「例えば『芸者ワルツ』の、逢わなきゃよかった今夜の私これが苦労のはじめでしょうかといった部分を好んで歌っていました。太宰さんが好きだった『燦めく星座』の思い込んだら命がけ、男のこころ……の部分もお好きでしたね」と語っている。/筑摩書房には社歌はなかった。含羞の晁は恰好をつけたその種のことは嫌ったのである。社員の中には、酔って歌うこれらの演歌を社歌≠セと、たわむれにいうものもいた」(四四六ページ)とある。吉岡実(太宰と会ったことはないだろう)が社歌と言ったかどうか不明だが、〈芸者ワルツ〉は傑作であると激賞した、とは〈カメレオンの眼〉における太田大八さんの証言である。
●「吉岡実氏の装幀を踏襲した、限定復刻版!」の土方巽《病める舞姫》(白水社、2011年3月15日)が刊行された。税込価格4,200円。ちなみに《病める舞姫》の刊本はこれまで、初刊《病める舞姫》(白水社、1983年3月10日)、《同〔白水Uブックス〕》(同、1992年1月15日)、《土方巽全集》(河出書房新社、1998年1月21日)、《同〔普及版〕》(同、2005年8月30日)の4種があった。土方巽の文筆における代表作にして、吉岡実装丁の代表作の復刻(ただし細部は異なる)は見逃せない。
●和田芳恵《筑摩書房の三十年 1940-1970〔筑摩選書〕》(筑摩書房、2011年3月15日)と永江朗《筑摩書房 それからの四十年 1970-2010〔同〕》(同)が出た。前者は《筑摩書房の三十年》の 復刻版である。後者はそれに続く書きおろしの四十年史。八一ページの集合写真(百人以上が写っているこれは、初めて公開されたものか)のキャプションに「全社旅行(草津温泉大阪屋、1966年11月17日) 中央の膳の前に古田晁。向かってその右に、唐木順三、中村光夫、岡山猛、吉岡実。古田の左に、竹之内静雄、臼井吉見、高藤武馬、百瀬勝登、井上達三、大西寛」とある。この手の書籍に索引がないのは致命的である(とりわけ《筑摩書房の三十年》)。

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編集後記 101(2011年3月31日更新時)

吉岡実と吉屋信子について書 いた。そこでも触れたが、吉屋の俳句は全集第12巻に収録されていて、わりあい簡単に読むことができる。いくつか引いてみよう。「菊の鉢廻轉扉に抱き悩 む」「絨毯の花鳥に輕し桐火鉢」「八階へ春晝遲々と昇降機」「金塊のごとくバタあり冷蔵庫」「花疲れ吊皮分かつ知らぬ人」(〈昭和二十三年〉)。いずれも吉岡が吉屋と会った1948年の句である。
〔第1次〕《太宰治全集〔第12巻〕》(筑摩書房、1956)の装丁に ついて書いた。私は太宰の熱心な読者ではないので、その書誌もそれほど知らなかった。今回、山内祥史氏の編になる〈〔太宰治〕書誌〉に 拠って多くを知りえたのは幸運だった。塩澤実信《古田晁伝説〔人間ドキュメント〕》(河出書房新社、2003年2月28日)の〈念願の『太宰治全集』の刊行〉には、「〔『太宰治全集』の〕編集ははかどって、昭和三十年十月から毎月配本で刊行できるめどが立った。初版部数は四千と決まり、定価は四百二十円と、『現日』の三百五十円に比べ、かなりの高定価設定だった。本文用紙も表紙のクロスも、最高の資材を使ったとあって、この定価でも初版だけでは赤字を覚悟の上だった。/しかし、晁は生前心を許し合った太宰の全集を筑摩から刊行する以上、後世に残して恥ずかしくない立派な本を造りたい一心だった。〔……〕この後に『太宰治全集』は、岩波書店における『夏目〔ママ〕漱石全集』の役割をはたすことになった。同じ紙型を使い、あるいは組み直して版型を変え、さらに新たに発見された新資料を加えて、刊行されること今日までに九次に及んでいるのである。〔……〕『現代日本文学全集』につづく『太宰治全集』の成功で、筑摩書房は「全集の……」というイメージで括られる出版社になった」(二一二〜二一四ページ)と記されている。
●3月11日、東日本を襲った巨大地震に驚愕した。東京・練馬のわが家でも陶器が落ちて割れ、スチール製の本棚が倒れて吉岡実関係の書籍・雑誌や資料ファイルのほか、CD・ MDなどの音楽ソフトが散乱した。屋外では隣家のブロック塀の最上段が崩落してきたが、幸い人的な被害はなかった。PC環境は問題なかったので、こうして更新することができる。ありがたいことだ。
秋吉輝雄さ んが亡くなられた。秋吉さんは福永武彦の従弟(武彦の母・トヨの兄・秋吉利雄の次男)で、1996年8月の《文藝空間》10号〈総特集=福永武彦の「中期」〉では、《幼年》執筆のきっかけとなった写真を提供し、昭和30年代の福永武彦の身辺近くにあった従弟が語る「武彦にいさん」の想い出、をうかがった(〔聞き手:小林一郎・原善・星野久美子〕〈従兄・武彦を語る――文彦・讃美歌・池澤夏樹〉)。池澤夏樹《ぼくたちが聖書について知りたかったこと》(小学館、2009年11月2日)は、実質的に秋吉さんとの対談集といえるだろう。心よりご冥福をお祈りする。

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編集後記 100(2011年2月28日更新時)

吉岡実詩集《薬玉》本文校異で は、今までになく各詩篇の詩型や表記に詳しく触れた。将来、もしも〈吉岡実詩集《薬玉》評釈〉を書くとすれば、それを核に執筆することになるだろう。薬玉といえば、杉本苑子《天智帝をめぐる七人》(文藝春秋、1994)の〈薬玉――中臣鎌足の立場から〉(初出は《オール讀物》1993年10月号)に「沙宅紹明は学問の弟子の大友皇子に、薬玉の作り方を伝授した。/故国から大量に持ってきた丁字を砕き、絹の袋に入れて、そのまわりをさまざまな薬草で球形にかたどった飾り物である。五色のくくり紐が長く垂れ、ゆらゆら揺れるのがいかにも優雅なので、たちまち女官たちも真似て作りはじめ、重臣たちへの贈り物にした。/「病魔退散のお守りです。霊力を信じてください」/との口上附きで、鎌足も紹明から一個、彼の手に成る薬玉を貰ったが、なるほど心身に巣くう邪気邪念が気持よく消え失せていきそうな、すがすがしい香気を放っている」(《杉本苑子全集〔第19巻〕》、中央公論社、1998年4月7日、二八〇ページ)と見える。
天澤退二郎《紙の鏡》の装丁に ついて書いた。これで吉岡実装丁による天澤本全8冊の紹介を終えた。天澤退二郎の吉岡実論は、そのときどきでそれらの批評論集に収められている。《吉岡実》をめぐるこれらの文章を一冊の書物の形で読んでみたいものだ。冒頭は詩篇〈肉眼・航海の終り――吉岡実に〉、末尾は同じく〈報告――あるいは《早射ち女拳銃》〉がふさわしいと思う。
●林哲夫さんから《浪速書林古書目録》第28号〈西川満私刊本・著書特輯〉(浪速書林、1999年12月20日)をお送りいただいた。お手紙が挟んであったのは「特選品カラー版」のページで、そこには《昏睡季節》の表紙写真が掲載されている。キャプションは「344 詩集 昏睡季節 \2,800,000」。ほお、28万円だったのかと思いきや、280万ではないか。本文ページには「344 詩集 昏睡季節/吉岡實 草蟬舎/限定自家出版一〇〇部/(外装無完) 極美/昭15/1010/二、八〇〇、〇〇〇」、「幻のといわれるほどに極稀少な、吉岡實の第一詩集。『著者別詩書刊行年次書目』には「『液體』(第二詩集)の巻末に既刊として明記されてあるも不詳」と解説あり。/判型縦17・3×横12・1糎・三方折込表紙・本文和紙袋綴・序歌、本文七二頁。本書は第一〇番本。保存用帙付/―カラー版(2頁)参照―」とある。目録刊行当時、《昏睡季節》の本文は《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)で手軽に読めたから、この価格に本文の稀少価値は含まれていない。吉岡実詩集の最高額ではないだろうか。《吉岡実書誌》に目録のカラー写真を掲げた。
●平成12年4月の創刊号から平成22年3月号までの120冊の総目次をまとめた澤俳句会の《澤》2011年2月号別冊〈「澤」総目次〉をいただいた。本誌と同じ体裁、102ページの堂堂たる冊子である。《吉岡実参考文献目録》に録した最初の《澤》掲載の文章は「二〇〇二年〔平成一四年〕/小澤實〈霜月〉(澤、一月号別冊付録《礼のかたち》)」だった。〈「澤」総目次〉には「*この号〔【平成14年1月号】〕には折形デザイン研究所(代表 山口信博〈方眼子〉)と小澤實の共著になる「礼のかたち」が別冊付録として添付された」(同誌、一七ページ)と総目次の編者による注がある。小澤實さんと俳誌《澤》のさらなる活躍・発展をお祈りする。
●YouTubeで「Ian Bairnson live」を検索すると、スタンリー・クラーク(ベース)と二人だけで〈Blues Brothers〉を弾いたり、ビヴァリー・クレイヴェンのステージで〈Memories〉に伴奏を付けている動画がヒットする。イアン・ベアンソンはパ イロット、アラン・パーソンズ・プロジェクト、キーツを経て、現在はセッションギタリストだが(スペインに住み、地元でJUNKというバンドを組んでいる という)、歌伴ギターの天才だと思う。代表作はケイト・ブッシュの〈嵐が丘〉。パイロット時代から使っているギブソン・レスポールのジェントルな響きは、 流麗なメロディーラインと相俟って天下一品だ。根っからのギタリストだと思っていたら、1997年のアラン・パーソンズ初来日公演時、〈Old And Wise〉でサックスのソロを吹いて(スタジオ盤のメル・コリンズには及ばないが)、そのマルチプレイヤーぶりで人人を驚かせた。一方で、イギリスのボー カルグループ、バックス・フィズに楽曲を提供している。ジャズやプログレからポップミュージックまで、サイドマンとして余人をもって替えがたい音楽家だ。

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編集後記 99(2011年1月31日更新時)

吉岡実の未刊詩篇〈絵のなかの女〉について書 いた。これで《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)に収録されていない6篇を含めて、吉岡実の全詩篇の数は286になった。50年にわたって詩を、ほとん ど詩だけを書いた人間にとって、この数字は決して多いものとはいえないが、かといって少ないわけでもない。私が《〈吉岡実〉を語る》《〈吉岡実〉の 「本」》に書いた記事の本数が現在約200で、考えれば考えるほど、この作品の数というものがわからなくなってくる。
天澤退二郎《作品行為論を求めて》の装丁に ついて書いた。そこでも触れた〈映画における作品行為論――西部劇と性愛映画を中心に〉に見える若松孝二《胎児が密猟する時》《犯された白衣》や大和屋竺 《荒野のダッチワイフ》といった「エロスの自己超克を力強くうち出した意識的作品」(本書、一〇九ページ)が、吉岡実の談話〈純粋と混沌――大和屋竺と新 しい作家たち〉(《映画芸術》1969年3月号)にも登場するのは興味深い(初出は吉岡の方が先)。ところで、本書は9ポ43字詰18行ブラ下ゲ組の活版 印刷だが、受けの括弧類がブラ下ゲになっているのには違和感を覚える。
●私がときに読みかえす批評の書は何冊かあって、批評の対象への興味以上に著者・訳者の語り口に惹かれて、何年かに一度はそれぞれ通読する。 いま発行年を調べてみると、1960年代から2000年代にかけて各年代に一冊ずつあるのは、偶然だろうが嬉しいことだ。2010年代には、どんな書が私を鼓舞してくれることだろうか。
・鈴木信太郎訳《マラルメ詩集〔岩波文庫〕》(岩波書店、1963〔9刷:1974〕)
・清岡卓行《萩原朔太郎『猫町』私論》(文藝春秋、1974)
・丸谷才一《忠臣藏とは何か〔講談社文芸文庫〕》(講談社、1988)
・夏目房之介《手塚治虫の冒険――戦後マンガの神々〔小学館文庫〕》(小学館、1998)
・四方田犬彦《貴種と転生・中上健次〔ちくま学芸文庫〕》(筑摩書房、2001)
●クリス・ウェルチ、ジェフ・ニコルズ(藤掛正隆、うつみようこ訳)《真像 ジョン・ボーナム――永遠に轟くレッド・ツェッペリンの“鼓動”》(リッ トーミュージック、2010年9月25日)を読んだ。本書に導かれてYouTubeでカーマイン・アピス(ヴァニラ・ファッジ)のドラミングを観ると、確 かにボーナムの先達だとわかる。“Communication Breakdown”におけるスティックトワリングやシンバルを叩いてすぐ手で抑えて消音する技は、アピスの派手な“You Keep Me Hangin' On”のそれを洗練させた(地味にした?)ものに思える。ツェッペリンの二度めの来日公演を観たのは武道館の二日めで、ステージの真横からだったが、オペ ラグラスでボーナムの右足ばかり視ていたような気がする。「〔……〕彼はその技〔スネアやハイハットに絡めて、16分音符の3連の最後の2打をしのばせたバス・ドラムのプレイ〕を自分のものにし、できる限りそれをさらけ出して楽しんだ。仰天したジミ・ヘンドリックスはある晩のギグの後、ロバート・プラントに次のようなコメントをしたという――「君のところのドラマーはカスタネットのような右足を持っているな」。」(本書、一四四ページ)。

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編集後記 98(2010年12月31日更新時)

●昨年の12月に続いて、今年も年末に吉岡実の未刊行詩篇を一篇、発見した。ここに《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕》(文藝空間、2000)のそれ と同じ 形式に整えて、《吉岡実全詩篇標題索引》を増補して刊行する日のために、原稿化しておこう(詩篇番号38bの「b」は38の次に挿入するための仮のもの で、次回改訂時には正規の番号に付けかえたい)。
38b 絵のなかの女(えのなかのおんな)[――]
「かげろうは消え
18行▽《別冊一枚の繪》第4号〈花鳥風月の世界――新作/洋画・日本画選〉(一枚の繪)1981年10月1日▼未刊詩篇・15
なるべく早く詩篇を精査して、《〈吉岡実〉を語る》に発表する予定なので、ご期待いただきたい。
詩集《ポール・クレーの食卓》の本文校異につい て書いた。吉岡実の詩集は後年のものほど印刷部数は増える傾向にあるが、本書は初刷が850部で、部数に対する吉岡のこの感覚は鋭い。校異掲載を機に、未刊詩篇を最新にすべく〈拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》解題〉を修正した。
井 上靖詩集《運河》の装丁に ついて書いた。いい機会なので、久しぶりに短篇集《崑崙の玉〔文春文庫〕》(文藝春秋、初刷:1974、8刷:1989)の標題作を読みかえしてみた。 ジャケットの袖には既刊本が《おろしや国酔夢譚》以下20タイトル挙げられていて、当時の井上靖の人気のほどをうかがわせる。読み較べるべき吉岡実詩 は、言うまでもなく長詩〈崑崙〉(F・8)だ。
●林哲夫編著《書影でたどる関西の出版100――明治・大正・昭和の珍本稀書》(創 元社)の奥付刊行日は2010年10月10日だが、事前予約したAmazonから届いたのは11月下旬だった。書影が全点カ ラーというのは嬉しい。吉岡実の本は登場しないが、湯川書房の刊行物として《容器〔T・U・V〕》が取りあげられていて、「本の写真集」としても出色だ。 林さんの装丁・造本が素晴らしい。
●このところ、装丁関係の書籍の刊行が相次いでいる。長友啓典《装丁問答〔朝日新書〕》(朝日新聞出版、2010年12月10日)、桂川潤《本は物[モノ]である――装丁という仕事》(新曜社、10月28日)、グラフィック社編集部編《装丁道場――28人がデザインする『吾輩は猫である』》(グラフィック社、7月25日)、鈴木成一《装丁を語る。》(イー スト・プレス、7月23日)。新書はともかく、単行本は著者によるブックデザインが通例だから、それ自体の資材や仕様を記載するのは見識である。装丁関係 以外の一般書籍も、出版社のウェブページで資材や仕様を公開してくれるといいのだが、簡単にはいかないだろう。それよりも、奥付に装丁者・ブックデザイナー の氏名を(編集者の氏名とともに)明記することが優先される。それはともかく、手製本 派の私としては、美篶堂《製本工房・美篶堂とつくる文房具――上製ノート、箱、ファイルボックス、アルバムほか13種類のステーショナリー》(河 出書房新社、10月30日)やその前の《はじめての手製本――製本屋さんが教える本のつくりかた》(美術出版社、2009年5月1日)のような本が 増えることを期待している。
●中山康樹による〈マイルス新書シリーズ〉全5部作が完結した。刊行順に《マイルス・デイヴィス 青の時代〔集英社新書〕》(集英社、2009年12月)、《マイルスvsコルトレーン〔文春新書〕》(文藝春秋、2010年2月)、《マイルスの夏、1969〔扶桑社新書〕》(扶桑社、2010年2月)、《エレクトリック・マイルス 1972-1975〔ワニブックス〈plus〉新書〕》(ワニ・プラ ス、2010年6月)、《マイルス・デイヴィス 奇跡のラスト・イヤーズ〔小学館101新書〕》(小学館、2010年10月)。11箇 月間で5冊――《50枚で完全入門 マイルス・デイヴィス〔講談社+α新書〕》(講談社、2010年9月)を加えれ ば6冊!――の新書を執筆して出版するには周到な準備と綿密な設計図がなくてはならない。著者はジャズの乗りとロックの勢いでこれを走破した。中山=マイル スの根幹に位置するのが、総論に当たる《マイルス・デイヴィス〔講談社現代新書〕》(講談社、2000年2月)だ。5部作とともに必読の書である。
●本サイトの開設以来、書影を撮るのに使ってきたデジタルカメラPanasonicのLUMIX DMC-LC5(二台め)はバッテリーがチャージしにくくなったので、同じLUMIXのDMC-LX5を購入した。今回から「広角端でも望遠端でも ゆがみの少ない端正な描写を可能にするズームレンズ」(同社の〈デジタルカメラ総合カタログ〉から)で撮影を始めたわけだが、はたして出来映えはどうだろ う か。

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編集後記 97(2010年11月30日更新時)

〈うまやはし日記〉の本文校異に ついて書いた。ところで、《新潮》10月号に福永武彦(1918-79)の終戦直後(1945年9〜12月、46年の1月と3〜6月、47年の6〜7月) の日記の一部が掲載されている(日記の全文は2011年に新潮社から刊行される予定)。吉岡実にも1946年1月〜4月分の日記(《るしお る》5号・1990年1月、同6号・同年5月)があるから、比較してみるのも興味深いだろう。また《新潮》の2009年12月号には、新発見の井上靖 (1907-91)の〈中国行軍日記〉(昭和12〔1937〕年8月25日〜昭和13〔1938〕年3月7日)が掲載されている。井上は「日中戦争初期に 輜重兵特務兵として応召し、中国河北省に送られた」(曾根博義〈解説〉、同誌、二三一ページ)。やはり輜重兵だった吉岡の兵隊時代の日記は、(それがある としてだが)公表されていない。
《ウ ンガレッティ全詩集》の装丁について書い た。ウンガレッティ(1888-1970)というと、飯田善國の彫刻の先生だったペリクレ・ファッツィーニの木彫〈ウンガレッティ像〉の瞑想的な姿が想い うかぶ(飯田善國《彫 刻家〔岩波新書〕》、岩波書店、1991、四八ページ)。このイタリアの巨匠こそ、マラルメやオクタビオ・パスと並んで晩年の吉岡が親しんだ外 国詩人の一人ということになろう。
●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸8年が経過した。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげる。本サイトの現状をご報告しておこう。開設時の総ページ 数(A4での印刷換算)は約139ページだったが、1年後には約243ページとほぼ1.7倍、2年後は約341ページで開設時の2.5倍、3年後は 約474ページで同3.4倍、4年後は約693ページで同5.0倍、5年後は約803ページで同5.8倍、6年後は約892ページで同6.4倍、7年後は 約996ページで 同7.2倍、8年後の現在は約1221ページで開設時のほぼ8.8倍となっている。ただし、《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》〔約311ペー ジ〕はサーバの容量の関係で現在掲載停止中のため、これを除くと 約910ページ、ほぼ6.5倍となる(10月末時点のアクセスカウンターの数値は28431だった)。今後とも吉岡実と〈吉岡実〉に関する新稿の掲載、既 存情報の補綴に努 めていきたい。
●ここで毎回の記事掲載までの流れを披露しておくと、第一稿はテキストエディタで執筆する(縦書き表示の確認を兼ねる)。長文の引用は原典をOCRでテキ スト化し、画像も撮影やレタッチをすませておく。次に、サイトの各ページとは別の作業用htmlファイルで、掲載ページ用の素稿を組む(雑誌のカンプに当 たる)。このとき画像が間に合わなければ、同寸のダミーを貼り込んでおく。これに手入れをしていき、ページや行のボリュームの調整も行なう。毎月末日の定 期更新が完了した時点 で、素稿データを次号の正式なhtmlファイルに移す。その後は、時間の許すかぎり資料に当たり、論旨を通し、文章を整え、リンクを確認し、手入れを繰り か えす(テキストエディタでの縦組印字を活用)。公開した記事は基本的に訂正加筆せず、新たな知見は執筆年月日を明記して追記の形で文末に付け加える。以上 が大 まかな流れだ。ときに、本サイトの掲載記事の進行が何に似ているかといえば、かつて私が制作進行と広告の入稿管理を担当した《エ ス クァイア日本版》の流儀だと思いあたる。ウェブサイトの流儀でウェブサイトをつくるほどつまらないことはない。
●《サフラン摘み》(青土社、1977年3月30日〔5刷〕)をAmazonの中古品で購入した(1,260円+送料250円)。指名買い の場合、《日本の古本屋》は確かに強力なツールだが、刷まで限定して探すとなると、出品者が記載していないことが多いため、発行年頼みになる(ちなみに 「5刷」は私の表 記で、奥付では「五版」)。古書店は初版以外は面倒なのか「重版」という簡略化した記載が目立つ。むろん、奥付にこの表示はない。「三版」が「3版」「3 版」と記されているのも悩ましい。2007年秋に「1977年3月30日5版」の記載のある《サフラン摘み》をネットの古書で見つけたが、売約済みだった (帯なしで1,400円)。その後は思い出したときに検索する程度で、古書店に問いあわせることもなかった。今回入手した「五版」で、「初版」 (1976年9月30日)、「再版」(同年10月15日)、「三版」(1977年1月15日)、「四版」(同年2月20日)、そして「六版」(1979年10月30日)の すべてが揃った(ただし2刷・5刷は帯なし)。本書の増刷を概観すれば、初刊後好評につきすぐに2刷。高見順賞受賞で3刷、4刷、5刷。新詩集《夏 の宴》の刊行に合わせて6刷。以上、計9000部。この6冊の《サフラン摘み》が本サイト8周年の自祝となった。なお《サ フラン摘み》の増刷に関しては〈編集後記 56〉〈編集後記 60〉も併せてご覧いただきたい。
●11月17日午後1時37分、ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんが膵臓がんのため亡くなられた。52歳だった。黒岩さん(というより「清水さん」と 呼びたいが)はUPU社時代の同僚で、綿密な調査ぶりとそれに立脚した独自の史観は目覚ましかった。新刊の《パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い》(講 談社、2010年10月7日)が生前最後の作品となった。がんを宣告されて以降、この書きおろしに専念したかったであろうに、 治療の経過をブログに執筆し つづけた黒岩さんの真骨頂は、まさにその誠実さで一作ごとに新たな領域を開拓することだった。――「伝書鳩から村井弦斎へ」がそうであったように。ついに 書かれなかったテーマを想像すると暗澹たる想いを禁じえないが、「はたして最後まで書けるだろうか、という不安と闘いながら、なんとかここまでたどりつい た。〔……〕いまは、全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ」(本書、四一八ページ)という〈あとがき〉にすべてが籠められていよう。さよう なら、黒岩比佐子さん。《『食道楽』の人 村井弦斎》(岩波書店、2004)を、《編集者 国木田独歩の時代〔角川選書〕》(角川書店、2007)をありがとう。あなたの生涯は見事なラリー でした。どうか、ゆっくりとお休みください。

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編集後記 96(2010年10月31日更新時)

マラルメ《骰子一擲》のことを書いた。《マラルメ全集〔第1巻〕》(筑摩書房)については本文でも触れたが、全集の初回配本は吉 岡実が存命中の1989年である。吉岡さんからマラルメについてうかがったなかで、〈産霊(むすび)〉(K・1)の冒頭の詩句「〔聖なる蜘蛛〕」はマラル メからだ(出典は《ユリ イカ》臨増の総特集号?の誰かの文章)、という発言が昨日のことのように想い出される。
石 垣りん《焔に手をかざして》の装丁について書 いた。ところで、《〈吉 岡 実〉の「本」》の データが サーバの容量いっぱいになったので、《吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》を削除した(両ページとも、本サイトikobaの別館[アネックス]のmikobaサーバに 間借りしていた)。これから掲載しなければならない吉岡実の装丁作品を勘 案すると、《評釈》にはいっとき退場ねがって、時機を見て再登場させたいと思う(もっとも、その間に印刷物として展開することができれば、再登場の 機会はなくなるかもしれない)。装丁作品の書影はなるべく はっきりしたものを見てもらいたいから、少しでも高い解像度にする。すると、今度は容量が大きくなる。この兼ねあいが難しい。
●先日、東京都現代美術館で子供たちと一緒に《借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展》(2010年7月17日〜10月3日)を観た。いい機会だったの で、所蔵 の《難波田龍起自選展――造形の詩魂》(フジテレビギャラリー、1974)、《池田満寿夫の20年全版画展》(美術出版社、1977)、《マックス・エル ンスト――ケルンのダダ展》(佐谷画廊、1982)の3点の吉岡実関連資料を閲覧したかったが、時間の余裕がなくて果たさなかった。どれも吉岡実の本文を 掲載したページはコピーを持っているが、目次や 奥付など、書誌に欠かせないページをじっくりと見たかったのだ。必要なページ以外も繰ることで、予想もしなかった発見をすることがある。世にこれをserendipityと言うか。
●吉岡実が詩篇や随想を寄せた雑誌に詩誌や文芸誌が多いのは当然として、美術 誌(個展のカタログを含む)や俳句誌(結社誌を含む)も想いのほか目に付く。そうした媒体に、未見の吉岡実作品が載っている可能性は大いにある。一般の図 書館や文学館だけでなく、美術館付属のライブラリや資料室、俳句文学館などの専門の文学館が重要視される所以だ。
●ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)、ジ・エッジ(U2)、ジャック・ホワイト(ホワイト・ストライプ)という新旧三人のギタリストが共演する《It Might Get Loud》(監督:デイヴィス・グッゲンハイム)を観た。輸入盤 DVDなのでリージョンコードが心配だったが、新しいPCでなんの問題もなく観ることができた。今回いろいろと悩まされたWindows 2000からWindows 7へのパソコンのリプレースで、動画の再生環境だけは文句なしに向上した(もっとも、DTPまわりは未だ手つかずの状態だ)。
●来月11月は本サイトの開設8周年にあたる。通算100回めの定期更新も射程に入ってきた。とはいうものの、今のところこれといった特別の企画は用意し ていない。節目の月であろうが、記念の回であろうが、それぞれのページの更新を地道に重ねる以外、本サイトの意義はないと考える。

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編集後記 95(2010年9月30日更新時)

吉岡実とフランシス・ベーコンのことを書いた。ベーコ ンの作品は図版(たとえそれがどんなに大判の画集であっても)を観るだけではどうしようもないので、過 日、所蔵品の〈スフィンクス――ミュリエル・ベルチャー の肖像〉(1979)を観ようと、竹橋の東京国立近代美術館に行った。企画展の珠玉の決定版《上村松園展はそれなりに面白 かったが、肝心の〈スフィンクス 〉は、展示の都合によるのか、観られなかった。ちなみに同館は日本でただ一度開かれたベーコン展の会場で、1983年夏のそれを吉岡実はむろん観ただろう が、私は観ていない。
辺 見じゅん歌集《水祭りの桟橋》の装丁について書いた。同書は辺見の第二歌集で、菊地信義の「book design」になる第三歌集の書名は《闇の祝祭》(角川書店、1987)。奇しくも、1985年刊の吉岡実英訳詩抄《Celebration In Darkness――Selected Poems of YOSHIOKA MINORU》の邦題と同じである。本文に掲げた歌と呼応する一首を《闇の祝祭》から引く。「をみならは花 のゆらぎに似てゆるる/雪ふれば雪の暗きしづまり」(〈U 比叡暮れたり〉中の〈雪のまほろば〉)。
●《タブロオ・マシン〔図画機械〕――中村宏の絵画と模型》(練馬区立美術館、2010年7月25日〜9月5日)を最終日の前日に観た。深い紺碧の空間を 無 限に墜ちてゆく蒸気機関車を描いたタブロオ〈HUDSON-C62〉には震撼した。表紙に銅凸版の原版を使用した稲垣足穂・中村宏共著《機械学宣言――地 を 匍う飛行機と飛行する蒸気機関車》(仮面社)特装版の束見本(1970年7月/15.4×12.0×3.8cm)の、土中から掘りだされたような物質感に も圧倒された。中村氏の ギャラリートークの動画が練馬区立美術館のブログで公開されているのは嬉しい。
●最近よく聴くのはサンタナだ。手許にあるのは《天の守護神[アブラクサス]》(1970)と《キャラバンサライ》(1972) くらいだが、初期の作品を集めている。その音楽を聴いていると、マイルスやコルトレーン、マクラフリンやヘンドリックスからス ティーヴン・スティルスまで、いろいろなミュージシャンのことが思われる。それはそうと、この間ペイジ=プラントとニール・ヤングがレッド・ツェッペリン の〈レヴィー・ブレイク〉を演[ジャム]っている映像を観たら、ヤングばかりかロバート・プラントまでリードギターを執っているのには驚いた(ジミー・ペ イジは バッキングに終始している)。
●本サイトの制作環境が変わった。開設以来ずっと作業してきたウェブオーサリングソフトGoLiveがWindows 7で動かないため、この後記を書いているのはKompoZerというフリーソフトである。有償のものも含めていくつか比較した結果、これ が合っているように思えた。もっとも《〈吉岡実〉を語る》のページなど、ファイルサイズが大きすぎるせいか、保存できないというエラーメッセージが頻出す る。回避するためのいささか泥臭い方法を見出したが、公表するとあきれられそうだ――ともったいぶる必要はなくて、KompoZerを使ってなるべく自分 でタグを書かずに、あとはテキストエディタとウェブブラウザを併用して、自分が必要とするHTMLファイルにするだけのことなのだが。

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編集後記 94(2010年8月31日更新時)

《北海道の口碑伝説》のことを 書いた。昨年夏の北海道旅行では、札幌・時計台近くの、窓を開ければ時を告げる鐘が聴こえるホテルに泊まった。時計台一階の資料コーナーに同書が所蔵され ていることは確認したものの、閲覧する時間はなかった(その後、古書を入手)。吉岡実は昭和54年(1979年)の夏、和田一族や陽子夫人と北海道の国縫 まで墓参り旅行をしているが、残念ながら本書には、和田芳恵の故郷の国縫(現・北海道山越郡長万部町字国縫)が見出しとして立っていない。吉岡は北海道の 地で、40年ほど前に自分が手掛けた本のことをどう思っただろうか。
飯 田善國詩集《見知らぬ町で》の装丁に ついて書いた。本文で引用した作品からはわかりにくいが、この詩集の飯田の書法はかなり変わっていて、視覚上のセオリーに基づいて詩句中に空白[スペー ス]を埋め込んでいくことで、版面に大きなリズムを形成している。池田満寿夫が重戦車のようだと評したその評論文とは異なり、飯田の詩はスピードと軽快さ を身上としているようだ。
●柴田光滋《編集者の仕事――本の魂は細部に宿る〔新潮新書〕》(新 潮社、2010年6月20日)の〈W 見える装幀・見えない装幀〉にフランス装が登場する。しかしここに引きたいのは〈X 思い出の本から〉の指摘だ。「個人全集の要諦は書誌にあるということです。書誌とは、大雑把に言って著作の考証で、〔……〕さらには著作一覧や年譜の作成 などの作業を含む総称です。/個人全集は各巻末に解題、最終巻に書誌として年譜や著作一覧などを載せるのが一般的で、その出来が全集の勝負どころ。ここを 見れば全集の編集レベルがわかる」(同書、一七六〜一七七ページ)。このあと、柴田氏が手掛けた《平野謙全集》(新潮社、1974-75)の書誌を調査し た青山毅(1940-94)の編んだ〈平野謙書誌〉(第一部 全集収録作品初出一覧、第二部 全集未収録著作一覧、第三部 対談・座談会一覧、第四部 著作目録一覧、 第五部 共著・編集書一覧、第六部 年譜、第七部 補遺)の 紹介がある。平野と青山に献じた抜刷(といっても全集と同じ装丁の)《平野謙書誌》に、私は氏の編集者魂を見た。この一節は、ぜひとも原文につか れたい。
●「厩橋は一九二九(昭和四)年に竣工した復興橋で、下路アーチ。アーチの下が道路になっている。橋長一五一・四メートル、幅員二一・八メートル。緩やか なアーチの曲線、円形の橋脚が優しい。親柱の上には馬が描かれたステンドグラスが嵌め込まれていて、これがなんともほのぼのとしている。素朴な絵だ」(小 林一郎《目利きの東京建築散歩――おすすめスポット33〔朝日新書〕》、朝日新聞出版、2010年5月30日、一一 六ページ)。口絵の東京スカイツリーのカラー写真がいい。著者は1952年生まれの建築史・都市開発研究家で、筆者とは同名異人。
●ジョン・コルトレーンの代表アルバムといえば《至上の愛》(1964)だが、アシュリー・カーン(川嶋文丸訳)《ジョン・コルトレーン『至上の愛』の真実》(音 楽之友社、2006年2月28日)に次のような一節がある。「ブランフォード・マルサリスは語る。/レッド・ツェッペリンの〈ホール・ロッタ・ラヴ〔胸 いっぱいの愛を〕〉という曲を知ってるかい?(と言って歌い出す。リズムの変化がア・ラヴ・スプリーム≠フリフによく似ている) それからこれはウィ リー・ディクソンの〈ザ・セヴンス・サン〉という曲だ(と歌う。同じく似ている)。『至上の愛』のパート一に出てくるベース・ラインと同じだろう――これ はブルースのフレーズのひとつなんだよ」(同書、一七三ページ)。著者のカーンはこの前ページで「ア・ラヴ・スプリーム≠フ有名なリフは基本的にブルー スを構成するフレーズの一部分である」と書いており、吉岡実の〈僧侶〉のリフレイン「四人の僧侶」と俳句の関係など、想い起こされる。
●サイト開設以来ずっと作業してきたPC(OSはWindows 2000 Professional)がAdministratorでログオンできなくなった。潮時なので新たにWindows 7マシンを購入した。毎月中旬は原稿のチェックや書誌の確認に費やすのが通常のスケジュールなのだが、今月はそういうわけでPC関連の作業に忙殺された。 そのしわ寄せで来月の原稿に影響が出ないか、気がかりである。

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編集後記 93(2010年7月31日更新時)

〈吉岡実と彫刻家〉を 書いた。吉岡実が語った「ついこの間飯田善国の個展があったのよ。それで行ったらサ、当然西脇さんが来ているのかと思ったら、ポツンとしているのよ。 〔……〕ぼく、そばに行ってだいぶ話していたのよ。そうしたら、早くから来てたのかな、疲れちゃって、吉岡君、そろそろ自動車拾って帰ろうというわけよ。 ぼくはまだ遊んでいたいわけよ。〔……〕そのとき南画廊の出した自動車だったんだよ。だから、西脇さん、南画廊の自動車だったらよろしいんじゃないです か、乗ってお帰りなさいと言ったら、吉岡君、帰ろう帰ろうって、とうとうぼく、思いを残して、お宅へ送って、そのまま帰っちゃった。善国さんと食事する約 束だったのに」(吉岡実・加藤郁乎・那珂太郎・飯島耕一・吉増剛造〔座談会〕〈悪しき時を生き る現代の詩〉、《短歌》1975年2月号、五九ページ)の「個展」は《飯田善國展――chromatophilologia》(1974年10月14日〜11月2日) だろうか。
石 垣りん詩集《やさしい言葉》の装丁について書いた。同詩集は初刊本、同じ花神社の〔石垣りん文庫4〕(1987年12月20日、装丁:熊谷博人)、童話屋の復刊詩集(2002年6月12日、装丁:島田光雄)、と三つの刊本を持ち、石垣りん詩集の根強い人気をうかが わせる。なお、文庫版〈あとがき〉の編集部注には「本書は一九八四年の吉岡実氏の装幀により刊行された」とある。
●7月3日、土渕信彦さん企画・構成の〈瀧口修造の光跡U「デッサンする手」〉(森岡書店、6月28日〜7月10日)の関連イベント、土渕さんのギャラ リートーク〈瀧口修造の詩的原理〉を聴いた。瀧口の1962年までのドローイング・水彩を中心に32点が展示されたギャラリーで、瀧口の詩的テクストの変 遷の根底にある詩的原理の展開が論じられ、近・現代詩に類例のないその高度な思索性が称揚された。また、《洪水》第6号 (2010年7月)の〈『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈(一)〉は、昨年12月の〈詩と詩論の会〉での発表を踏まえた密度の濃い文章で、続編が待たれ る。
●竹内まりやの〈家[うち]に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)〉(1992) には、短いながら複音を多用した美しいギターソロがある。私はこの複音を採るのが苦手で、ピアノ伴奏譜を入手してようやく把握できた。最後の小節、Aの トップノートの下でD-C#-D-Eと動くあたり、ベンチャーズの〈10番街の殺人〉のライヴバージョンに似た展開になっている。竹内まりやのライヴ盤《スーベニール》(2000)では、次に控えるイントロのモチーフを決めるためだろう、ギタリスト(佐橋佳 幸?)が必殺フレーズをピアノに任せてスルーしているのは残念だ。この難所をどう切り抜けるのか聴きたかったのに。
●中山康樹《リヴァーサイド・ジャズの名盤50》(双 葉社、2010年6月13日)を読んだ。巻頭・巻末がオールカラー(全ミュージシャンの索引付き。目次は本体ではなくジャケットの袖に英文表記)。本文の 基本フォーマットは4ページで、最初のページにジャケット写真やアルバムデータ、続く3ページが文章(初めの見開きが4色で、後の見開きが1色)。《ビートルズから始まるロック名盤〔講談社文庫〕》の不満を 解消して余りある、見事な出来の文庫判単行本だ。〈Afterword――きわめて個人的なあとがき〉の次の一節には打たれた。「2009年、古庄〔紳二 郎〕さんから『リヴァーサイド・ジャズ・レコーズ』の改訂版を送っていただく。それは想像をはるかに超える豪華な書籍であり、リヴァーサイドのすべての作 品がカラーで掲載されていた。そしてまたしても自費出版。それがどれほど大変なことか、情熱をもちつづけることがどれだけ「すごいこと」か」(同書、二二 三ページ)。本書とほとんど同時に刊行された《エレクトリック・マイルス1972-1975――〈ジャズの帝王〉が奏でた栄光と終焉の真相〔ワニブックス 【PLUS】新書〕》(ワニ・プラス、2010年6月25日)はマイルス・デイヴィスの「各論」シリーズ第四弾。中山=マイルスの新書攻勢も佳境 に入ってきた。

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編集後記 92(2010年6月30日更新時)

〈吉岡実詩集《夏の宴》本文校異〉を 書いた。《夏の宴》で吉岡実がおぼめかして書いた「近世の女植物学者」(H・1)、「伊太利の宗教画家」(H・3)、「或る近代詩人」(H・8)、「或る 西欧の画家」(H・16)――これはジョルジュ・ブラック――、「古代の夭折詩人」(H・24)が誰を指すのか、それとも指さないのか、あれこれ考えてみ るのも一興だ。
金 井美恵子詩集《花火》の装丁について書いた。金井は近年詩集を出していないが、《スクラップ・ギャラリー――切りぬき美術館》(平 凡社、2005年11月1日)はスワンベルク、ゾンネンシュターン、李朝民画、バルテュス、フランシス・ベーコンといった吉岡好みの画家たちの並ぶ、観て 愉しいエッセイ集である。巻頭の〈長谷川潾二郎――静かな家の猫たち〉(副題からして吉岡実詩!)の書き出しのセンテンスは、「〔……〕、なんとも愛らし い様子で眠っている黒トラ柄の猫の絵を描いた画家・長谷川潾二郎のことを知ったのは、詩人の吉岡実が、それを〈猫の絵の傑作〉と言って教えてくれたからな のだが、〔……〕」(同書、八ページ)を含み、この3倍ほどもある。
●6月12日、渋谷の珈琲&ギャラリー〈ウィリアム モリス〉(宮益坂・中村書店の斜め裏手)で林哲夫さんと《ちくま》編集長・青木真次さんの茶話会を聴いた。開催中の林さんのちくま表紙画展〈四角い宇宙〉――ほの暗い店内で 油彩作品〈窓〉が金色に輝いていた――の記念イベントである。青木さんがこうした席で話すのは初めてだそうで、〈徹子〉ならぬ〈哲夫の部 屋〉という感じの和気藹藹とした1時間半だった。70周年記念版《筑摩書房図書総目録》刊行の予定がないのは淋しいが、ウェブ上で品切れ本も含めた総目録 を充実させていくということなので、楽しみだ。
《現 代日本文學大系〔全97巻〕》が「筑摩書房創業七十周年記念特別企画」として復刊されている(吉岡実は《現代詩集》に 登場)。A4判8ページの内容見本は、「最高の造本・魅力ある装幀です/用紙その他の資材はできるだけ良いものを使用し、造本・装幀は気品と現代的センス にあふれています。きっとご満足いただけることと信じます」、「造本・体裁 菊判・上製・貼函入・表紙特製バクラム装・本文紙=特漉ウスクリーム上質紙使 用・組方=8ポ2段組/平均456頁・口絵1丁・月報8頁付」と謳っている。装丁者のクレジットはないが、初刊当時社員だった吉岡実である。
●6月20日、黒岩比佐子《古書の森 逍遙――明治・大正・昭和の愛しき雑書たち》(工作舎、2010年6月20日)を購入した。折に 触れてブログ《古書の 森日記 by Hisako》で 読んできた文章だが、編集が凝らされていて、活字で読むのは格別だ(写真版も見事)。同日から神田・東京古書会館で開催された〈作家・黒岩比佐子が魅せら れた明治の愛しき雑書――日露戦争・独歩・弦斎〉の展示会場で、久しぶりに会った黒岩さん(UPU時代の同僚である)に署名してもらえたのは幸運だった。 そのあと、三省堂書店神保町本店や東京堂書店ふくろう店で開かれている黒岩比佐子選のブックフェアも見て回った。工作舎製だろう、A4を四つ折したチラシ 〈古書の森マップ〉も出色だ。
●6月26日、大曲の印刷博物館で田中栞さんの講演〈書肆ユリイカの美しい本〉を聴いた(「印刷文化懇話会 神田川大曲塾 6月例会」として開かれたもの)。田中さんが所蔵のユリイカ本を解説するという趣向で、那珂太郎の第一詩集《Etudes》(1950)を皮切りに、国会 図書館にもない貴重な詩書を数十冊、昨年10月の〈「書肆ユリイカの本」展〉よ りも間近に観ることができた。吉岡実関係では《プリュームという男》《キャスリン・レイン詩集》、同人誌《鰐》が紹介された。終了後、かねてから中村稔詩 集《無言歌》(1950)との類似が気になっていた書肆山田の〈草子〉限定版(天沢退二郎《「評伝オルフェ」の試み》)を見てもらったところ、「吉岡実の 創意だろう。三つ目綴じ仕様は他にもけっこうある」とのことだった。吉岡が自著と筑摩書房の業務以外で本格的に装丁を開始したのが書肆ユリイカの本だか ら、吉岡の詩書装丁を牽引したのは伊達得夫その人だった。
●野崎歓《異邦の香り――ネルヴァル『東方紀行』論》(講 談社、2010年4月2日)を読んだ。Parfum exotiqueと言えばボードレールの詩篇だが、晩年の福永武彦がわが邦の訳詩集を論じた《異邦の薫り》(新潮社、1979)も思い出だされる。ネル ヴァルの《東方紀行》は、古い訳書(《東方の旅》)をもっていながら今まで敬して遠ざけてきたところがあるので、これを機に挑戦してみたい。

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編集後記 91(2010年5月31日更新時)

●秋元幸人さんが亡くなられた。4月29日、このサイトをご覧になった従弟のかたからメールで逝去を知らされたときは、わが目を疑った。5月3日、 目黒・サレジオ教会での通夜でヨハネ秋元幸人さんとお別れをしたあと、〈秋 元幸人氏を送る〉を草した。刊行時に購入した方ではなく、秋元さんからいただいた方の《吉岡実アラベスク》(書肆山田、2002)をひもといて、氏の冥福を祈った。
〈発言本文を除く《吉岡実トーキング》〉を 掲載した。本体の《吉岡実トーキング》は吉岡実のエクリチュールにあらざる全発言を、T(吉岡本人)、U(相手が一人)、V(相手が二人)、W(相手が三 人以上)に分けて、細大漏らさず収録したもの。その発言本文を除いて、私が書いた前付(はじめに・凡例・目次)・編者註・後付(初出一覧・編者あとがき) を残したのが今回掲載する〈発言本文を除く《吉岡実トーキング》〉である。冊子体を引きあいに出すなら、本文を欠いた全集の解題といったところか。400字詰原稿用紙1200枚超の 《吉岡実トーキング》は秋元幸人さんに捧げられる。
丸 谷才一《鳥の歌》の装丁について書いた。そこでは触れることができなかったが、丸谷は瀬戸川猛資の歿後まもなく刊行された《夢想の研究――活字と映像の想像力〔創元ライブラリ〕》(東 京創元社、1999年7月30日)に寄せた文を「天がもう二十年、せめて十年、時間を与へてくれたならと残念に思ふけれど、まあこれは仕方がない。しかし 彼が持つてゐた優れた資質と力量、大きな可能性のあかしとしては、ここに『夢想の研究』といふ一冊がある」(同書、二六一ページ)と締めくくっている。 〈真珠とりの思ひ出〉と題する、解説にして追悼文の見本のような一文である。
●長尾真《電子図書館〔新装版〕》(岩 波書店、2010年3月18日)を読んだ。1994年刊の旧版は読んでいないが、今こそ本書の真価が問われるときではないだろうか。「画像のディジタル化 技術は図書館の場合、貴重本に対して適用するとその価値を発揮する。貴重本はその取り扱いがむずかしく、頻繁に閲覧に供することができないなどのことが あって、限られた専門家だけがようやく見られるというのが実状である。しかし、そのようなものは一度電子化しておけば誰でもいつでも気楽に見ることができ る。十分な精度で電子化しておけば、文字のかすれ具合や、裏に書かれた文字のすけて見える状態や、紙質なども表示装置の上である程度確かめられるから、こ れはぜひとも推進すべきことである」(本書、三五〜三六ページ)。《静 物》手稿本をぜひこれで読みたい。
●5月31日、吉岡実が亡くなってちょうど20年めの祥月命日である。本サイトの記事を見て回っていると、そこここに「今後の課題にしたい」という文言が 残っている。いずれそれらを解決する一方で、とりあえずは《夏の宴》以降の吉岡実詩集の本文校異を進めていきたい。
●原田和典《コルトレーンを聴け!》(ロ コモーションパブリッシング、2006)に導かれて、ジョン・コルトレーンのアルバムを聴いている。マイルス・デイヴィスとのボックスセットを別格に、 《ジャイアント・ステップス》(1960)や1965年の《至上の愛》のライヴ盤をよくかけるが、《オラトゥンジ・コンサート(ザ・ラスト・ライヴ・レ コーディング)》(1967)の渾身のブロウも堪らない。

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編集後記 90(2010年4月30日更新時)

吉岡実と瀧口修造について書いた(連載は今回で終 了)。瀧口の著作は《コ レクション瀧口修造〔全13巻・別巻1〕》(み すず書房、1991年1月〜1998年7月)としてまとめられているが、「造形作家としての瀧口修造の作品を集成する」と予告されている〔別巻2〕は未刊 行だし、当然のように索引もないものだから(索引のない全集は欠陥品だ)、完結にはほど遠い。吉岡実は筑摩書房在社時代に《瀧口修造全集》出版の打診をし たことがある。しかし、当時も今も瀧口の単著は筑摩から出ておらず、仮に瀧口に全集を出す意向があったところで版元としては3番手以下だったろう(2番手 は美術出版社)。西脇順三郎が《西脇順三郎全集》を出したように、晩年の瀧口が筑摩から《瀧口修造全集》を出していたら〈吉岡実と瀧口修造〉がどのような 展開を見せたか、想像もつかない。
●入沢康夫詩集《古い土地》の装丁について書いた。これで吉岡実装丁の入沢康夫の本の紹介はすべて終わった。すなわち、詩集《古 い土地》(梁山泊、1961)、《入 澤康夫〈詩〉集成――1951〜1970》(青土社、1973)、詩集《「月」 そのほかの詩》(思潮社、1977)、《入 澤康夫〈詩〉集成――1951〜1978》(青土社、1979)、詩集《死 者たちの群がる風景〔限定版〕》(河出書房新社、1982)、詩集《死 者たちの群がる風景〔新装版〕》(河出書房新社、1983)、そして《ネ ルヴァル覚書》(花神社、1984)で、これらのなかでは《ネルヴァル覚書》の落ち着いた造りが好ましく感じられる。
〈吉 岡実編集《ちくま》全91冊目次一覧〉の〔付記〕で橋本靖雄の吉岡実追悼文に触れたが、同文を含む《ちくま》の編集後記が橋本靖雄《時の栞に――私家版文集》(橋本靖雄、1992)に再録されていることを知った。また、遺稿集《一旅行者の覚書》(橋 本恭、2007)で橋本さんが2005年10月に73歳で亡くなられたことも。吉岡実を偲ぶ会で識った橋本さんは好々爺のように見えた。筑摩の社内向けに 発表された吉岡の未刊行散文を探していただき、コピーを頂戴した。《時の栞に》初出記録の「私たちのしんぶん」筑摩書房労働組合機関紙の方が、《「死児」 という絵》の筑摩書房労組機関紙「わたしたちのしんぶん」よりも正確なように思うが、原紙を見ていないので断定できない。
●来る5月31日は吉岡実の20周忌だ。「なにか記念になる記事を」とも考えたが、本サイト自体が〈吉岡実〉を顕彰するものだから、改めて特別なことをす るのはやめた。ところで、先日どうしても必要な資料があって部屋中を捜索していたところ、久しく見なかった吉岡実の談話・対談・座談会の一件書類が出てき た。いま、これを活かすべく《吉岡実未刊行散文集》と同様の構成で整理している最中だ(今回は冊子ではなく、電子ファイルにして)。当然、吉岡(たち)の 本文は公開できないので、私が書きおろす予定の前付と後付、各本文に付す〈編者註〉をアップしたいと考えている。
《吉岡実未刊行散文集 初出一覧》を2年数箇月ぶりに更新した。若干のデータ修正をして、上記 の発言集《吉岡実トーキング》(仮題)と符節を合わせた。作業中の印象を述べれば、吉岡はほんとうに俳句好きだった(件の《初出一覧》のデータ修正は、俳 句に関する随想の追加である)。
●ジミ・ヘンドリックスの新譜《Valleys of Neptune》が出た(1968年から70年にかけてスタジオ録音された未発表音 源で、標題曲やクリームのカヴァーなど全12曲収録)。ジミの未発表音源で思い出されるのは、ルイス・シャイナー(小川隆訳)《グリンプス〔創元SF文庫〕》(東 京創元社、1997)だ。主人公が「60年代のロック・ミュージックに思いを巡らす。すると当時未完に終わったはずのあの[・・]名曲が、スピーカーから 流れ出た! ドアーズ、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックスの未発表音源を求めて過去へのトリップが始まる」(ジャケット・表4から)懐かしくも切な い長篇小説だった。もっとも、ジミの《The Cry of Love》をレコード(CDではない)で聴いてきた者には、今回の新譜よりも《First Rays of the New Rising Sun》の方が重要で、シャイナーの本を読み かえしながら、ブライアン・ウィルソンの《SMiLE》やビートルズの《Let It Be... Naked》と併せて聴きたいと思う。

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編集後記 89(2010年3月31日更新時)

●前回に続いて吉岡実と瀧口修造について書いた。そこで は触れなかったが、二人とも山田耕一時代の書肆山田から書下ろしによる叢書〈草子〉を出している(《異霊祭》と《星と砂と》)。昨秋のトークショー〈瀧口修造の本と書肆山田の最初の10年〉の 会場で特別展示された《星と砂と》の原稿(土渕信彦さん所蔵)は実に興味深いものだった。「LIFE C 155 20×20」17枚にわたる瀧口自筆の印刷入稿用原稿で、1枚め冒頭に「この組み方、草子の全体の構成により再考」とか、節表示のアラビア数字に対して 「以下コノ数字ハ比較的大キナイタリックデ 位置ハ本文ト頭ヲ揃エルカ?」といった組版に関するメモが記されていて、瀧口が〈草子〉の装丁と本文組に心を 砕いた様子がまざまざと伝わってくる。《星と砂と――日録抄》は〈草子1〉(自筆原稿の冒頭には鉛筆書きで「草紙1」とある)で、吉岡が〈舵手の書〉の詩 句に書名を引用したことは本文に書いたとおりだ。
伊 良波盛男詩集《ロックンロール》の装丁に ついて書いた。「ロックンロール」は“rock'n'roll”で、“rock and roll”と同じだから「ロッカンロール」か「ロッケンロール」(ビートルズやビーチ・ボーイズの〈Rock And Roll Music〉を聴くと、これがいちばん近い)でもいいはずだが、一般的に「ロックンロール」なのは、綴りに引っぱられたためか、歴史的に後発の「ロック」 に引きずられたためか。
●武川武雄《日本古典文学の出版に関する覚書》(日 本エディタースクール出版部、1993年12月8日)を再読した。刊行時に通読したはずだが、《吉岡実の詩の世界》を管理運営してきた身にとって、創見に 富んだ書であると再認識した。帯には「古典文学の注釈書の出版は、底本の誤りの処理や現代の読者に理解しやすくするための方策など、複雑で細かい作業を必 要とする。本書は、出版社で長く校訂本の製作に携わった著者による、校訂の基本的事項の取扱い方と製作のガイドである」とあり、とりわけ第3章〈実務 古典注釈書の製作ポイント(印刷篇)〉の基本版面の決め方の解説が印象深い。基本版面といえば、新刊の臼田捷治《杉浦康平のデザイン〔平凡社新書〕》(平 凡社、2010年2月15日)に、杉浦のブックデザインになる《吉岡実詩集》(思潮社、1967)が登場する(〈本文組という〈聖域〉への挑戦〉)。「実 際、この詩集はページの「天」より十二ミリで詩文が組まれており、六十字は優に入る判型であるにもかかわらず、収められている詩の一行の字数は最大で二十 七字しかない。下半分以上が空いた極端に上昇志向の強い文字組といえる。そのことから生まれる独特の浮遊感が心地よい緊張感をもたらす」(同書、五一〜五 二ページ)とあるが、元になった単行詩集(吉岡自身の造本になる《僧 侶》《紡錘形》、さらに当然この《吉岡実詩集》の本 文組を流用した《静かな家》も)がみな27字詰であることを指 摘しておこう。
●足立大進編《禅林句集〔岩波文庫〕》(岩波書店、2009年4月16日)が出ていることを知り、入手した。〈吉岡実の書〉で 触れた「石上栽花後/生涯自是春」が「石上栽花〔原本では旧字体表記〕後/生涯共是春」「石上[せきじょう]花[はな]を栽[う]えて後[のち]、/生涯 [しょうがい]共[とも]に是[こ]れ春[はる]。(貞和一〇)」(本書、二三五ページ)とある。[ ]内はルビだが(見出し語下の訓読の全ルビが嬉し い)、捨て仮名使用で読みを正確ならしめている。また《東邦書策》掲載の 「禅房花木深」は「禪房[旧字体]花[同前]木深」「禅房[ぜんぼう]花木[かぼく]深[ふか]し。(唐詩)」(同前、八七ページ)とあり、吉岡実の書と 詩における禅語の存在は無視できないものだと思う。
●《筑摩書房図書目録2010》が出た。表紙には鰐のイラスト、裏表紙には筑摩書房HPの紹介がある。 いわく「検索機能が充実、新刊情報、「webちくま」筑摩書房の読み物サイト」。さっそく[著者名:吉岡実]で検索してみたところ、わずかに《現代日本文学大系93 現代詩集》がヒットしただけだった(なお《筑摩書房図書目録 2010》の〈著者名索引〉に吉岡実の名は見えない)。
●NHK教育テレビ〈チャレンジ!ホビー〉(月曜・午後10:00〜10:25)で《めざせ!ロック・ギタリスト》が始まった(3月29日〜5月31日の 全10回)。講師は野村義男、チャレンジャーは増田英彦で、最終的にCharの“SMOKY”をステージで弾くというから(大丈夫か)、今から楽しみだ。

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編集後記 88(2010年2月28日更新時)

吉岡実と瀧口修造について書いた。「大岡信  ぼくはある時期「鰐」っていう同人詩誌を吉岡実、清岡卓行、飯島耕一、岩田宏とやっていたんですが、そのグループで「鰐叢書」というのを出そうということ になって、その第一冊目に「瀧口修造詩集」を予定しておりました、許可もとってあったんです。しかし、「鰐」を出してくれていた書肆ユリイカの伊達得夫が 急死してしまったものですから、この計画はつぶれました」(《現代詩手帖》1991年3月号、一六ページ)。――小B6判三十二頁の小冊子〈鰐叢書〉の第 一集《瀧口修造詩集》(書肆ユリイカ、1960)を想像すると、目が眩みそうだ。
〈吉 岡実編集《ちくま》全91冊目次一覧〉を書いた。本文中でも触れている〈《ちくま》編集者・吉岡実〉を 掲載したのが2003年10月だったから、もう6年以上前になる。同文の末尾に「いつの日か、吉岡実編集の《ちくま》全冊を読破したいものだ」と書きなが ら、いまだに果たせないのは残念だが、今回、標題を照合しながら本文を拾い読みできたのは収穫だった。もっとも、これらの目次リストからだけでもいろいろ なことがわかる。登場回数が最も多いのは?――布川角左衛門の70回。その連載は吉岡実装丁で《本の周辺》(日本エディタースクール出版部、1979)と して一本になった。/「難波淳郎」それとも「灘波淳郎」?――NDL-OPACでは「難波淳郎」となっている。/(磯)あるいは(磯目)とはだれ?――磯 目健二であろう。/《鰐》同人で執筆していないのは?――岩田宏。/連載が長かったのは?――吉岡実編集以前からのものも含めて10回以上の連載には、布 川角左衛門の〈本の周辺〉(90回)・寿岳文章の〈ほん・その目でみる歴史〉(60回)・岡田隆彦の〈美術散歩〉(50回)・寺田透の〈毎月雑談〉(44回)・吉川幸次郎の 〈読書の学〉(39回)・生島遼一の〈春夏秋冬〉(26回)・富士川英郎の〈鴟鵂庵閑話〉(25回)・渡辺一夫の〈世間噺・もう一人の ナヴァール公妃〉(24回)・下村寅太郎の〈読書漫録〉(18回)・福島鋳郎の〈「戦後雑誌」発掘〉(12回)・一海知義の〈河上肇と中国の詩人たち〉 (12回)がある、といった具合に興味は尽きない。
●中山康樹《マイルス・デイヴィス 青の時代〔集英社新書〕》(集 英社、2009年12月21日)を読んだ。本書は《カインド・オブ・ブルー》に到るマイルスのモダン・ジャズの時代を扱っていて、〈ラウンド・ミッドナイ ト〉のアレンジャーが誰かというあたり(ギル・エヴァンスではなく、ギル・フラー)、過去の自著の記述の訂正に留まらない面白さがある。本書でのハイライ トは《カインド・オブ・ブルー》の第1曲〈ソー・ホワット〉のプレリュード――単純明快な本篇前のビル・エヴァンス(ピアノ)とポール・チェンバース (ベース)の二人による導入部――が誰のペンになるかという、クライマックスでの展開だろう(ギル・エヴァンスだとされる)。改めて《カインド・オブ・ブ ルー》が聴きたくなった。

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編集後記 87(2010年1月31日更新時)

《サフラン摘み》の校異を作成す る合間に、小説家や詩人による「サフラン/さふらん」という題名の作品をいくつか読んでみた。森鴎外〈サフラン〉(初出:《番紅花》1914年3月〔創刊 号〕、所収:《妄人妄語》至誠堂書店、1915)、司馬遼太郎〈サフラン〉(初出:《未生》1957年2月号、所収:《司馬遼太郎短篇全集〔第1巻〕》文 藝春秋、2005)。そして立原道造〈さふらん〉(1932年秋制作の未刊の手書き詩集、所収:《立原道造全集〔第2巻〕》角川書店、1972)である (ほかにも、中里恒子に〈洎夫藍[サフラン]〉という短篇小説がある)。司馬の小説は原題が〈沙漠の無道時代〉というだけあって《千一夜物語》のなかに あってもおかしくないような話だが、それがなぜ〈サフラン〉という題に替えられたのかはよくわからない(連作《花妖譚》の一篇ではあるのだが)。
那 珂太郎詩集《音楽〔普及版〕》の装丁に ついて書いた。最近は古書店を覗いてもなかなか購入したい本が見つからないのだが、本書は向こうから飛びついてくる感触があった。すでに入手していた限定 版とこの普及版を対比することで、吉岡実の実質的なデビュー作にしてフランス装丁の代表作である《静物》(私家版、1955)の造本を照射したいと思い、 いつもは行なわない細かな分析をした。いつか《静物》と《紡錘形》(《音楽》の造本・装丁の先蹤)を比較して書いてみたい。
●松井栄一《国語辞典はこうして作る――理想の辞書をめざして》(港 の人、2005)を読んだ。《日本国語大辞典》(小学館)の代表編集委員を務めた氏が、ことばの用例を辞書に記載する際、引用するに足る個人全集として挙 げているのが、《国木田独歩全集》(学習研究社、1964-67)、《漱石文学全集》(集英社、1970-74)、《樋口一葉全集》(筑摩書房、1974-94)である。 語句の校異の厳密な独歩全集でさえ、ルビや句読点の異同にまでは及んでいないという指摘に蒙を啓かれた。原本・増補訂正本・個人全集・叢 書本・文庫本の本文の問題点についても首肯させられる。
●必要があって八木敏雄・巽孝之編《エドガー・アラン・ポーの世紀――生誕200周年記念必携》(研 究社、2009)をのぞいてみた。巻末の河野智子・西山智則・山本晶編の〈ポー研究書誌〉は「全集・選集」「書簡集・写真集」「書誌・索引・事典」「海外 の研究文献」「国内の研究文献」「特集雑誌」「ポー関係の小説・映画」「音楽」「絵画」から成る労作だが、本文書体がゴチックなのはいただけない。本書 は、本篇の見出し・本文の書体とも総じて太くて、品位に欠けるだけでなく、読みづらい。手数の多い指定の割に、それに見合った効果が出ていないと言わざる をえないのは残念だ。
●成毛滋(1947-2007)を悼んで《Dr. SIEGEL'S FRIED EGG SHOOTING MACHINE》のラストナンバー〈Guide Me to the Quietness〉を聴いたことは〈編集後記 58〉に書いたが、この曲(作詞:クリストファー・リン、作曲:成毛滋)はプロコ ル・ハルムへのオマージュだったと今にして気づいた。本歌はデビューアルバム《プロコル・ハルム》(1967)のラストを飾るインストゥルメンタルナン バー〈ヴァルプルギスの後悔〉(作 曲:マシュー・フィッシャー)だ。その根拠として、「Tm→Y♭→Um7-5→X7」というコード進行の流用のほか、ギターのこもり気味の音色とロビン・ トロワーのソロを意識したフレーズ(成毛はチョーキングビブラートを鋭く決めている)、そしてこれが一番だが、鍵盤楽器(ハモンドオルガン)のための曲で あることが挙げられる。ブレイクを活かした盛りあげ方からは、Dr.シーゲルの「よい子のみなさんは、もうおわかりですね」という目配せが見える気がす る。

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編集後記 86(2009年12月31日更新時)

●前回予告したように、吉岡実の未刊行詩1篇を発見したことを 書いた。高柳重信門下の俳人・志摩聰(1928-2003)の句帖《白鳥幻想》に寄せたわずか2行の〈序詩〉だが、こうした詩がほかにも存在するのではな いかという気がしてならない。《吉岡実年譜〔作品篇〕》に 同詩篇の記述を追加するにあたって、未刊詩篇の番号(今までは《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第2版〕》のそれを踏襲していた)を振りなおした。今後とも地 道な文献探索を続けて、《吉岡実全詩篇標題索引〔改訂第3版〕》にはそれらを、初出の発表順に付けかえた未刊詩篇の番号で記載したく思う。
西 脇順三郎随筆集《じゅんさいとすずき》の装丁について書いた。四方田犬彦《翻訳と雑神――Dulcinea blanca(人 文書院、2007年12月10日)の〈西脇順三郎と完全言語の夢〉には《じゅんさいとすずき》から「おそらく人間はみな古代人にもどろうとする」という後 記の一文が引かれ、晩年、ギリシア語と漢語の意味音韻をめぐる比較研究に心血を注いだ西脇の「古代への回帰が想像的次元において、まず言語の再現という形 をとってなされたことは、たやすく推測できる」(同書、五二ページ)とある。「現代思想を西脇の詩を通して捻転し発展させてゆく」(同、六九ページ)ホセ ア・ヒラタ氏の論考を援用した〈天気〉の解釈も斬新な、四方田氏渾身の西脇論だ。
《神 秘的な時代の詩》の校異を作成し た。表現にかかわる詩句の異同、すなわち改稿箇所については、同詩集の評釈を執筆した段階ですでに触れているが、今回改めて初出形と各種刊本掲載形のテク ストをつぶさに照合した結果、刊本間の異同という側面が見えてきた。この作業結果を踏まえて、《神秘的な時代の詩》評釈で触れた各詩句を再検討したいと思 う。
●〈詩と詩論の会〉で土渕信彦さんの瀧口修造〈TEXTE EVANGELIQUE〉(のち《瀧口修造の詩的実験 1927〜1937》所 収)読解を中心とする発表を聴いた(12月19日、東洋大学にて)。同会は昭和初年の詩誌《詩と詩論》を第1冊からひたすら読んでいくという集まりで、メ ンバーには林浩平さんや安智史さん、黒沢義輝さんたちがいる。土渕さんによれば〈TEXTE EVANGELIQUE〉は〈仙人掌兄弟〉から〈絶対への接吻〉までの「中期詩篇」を代表する、《詩的実験》の要をなす作品である(初出と《詩的実験》で はかなり異同がある)。いずれ〈吉岡実と瀧口修造〉を書かねばならない。
●若島正《殺しの時間――乱視読者のミステリ散歩》(バジリコ、2006)に導かれて、チャールズ・ウィルフォード (浜野アキオ訳)《炎に消えた名画[アート]〔扶桑社ミステリー〕》(扶 桑社、2004年8月30日)を読んだ。それにしても、小説結末の数ページ前の「51/2のボールド体で印刷された筆者名につづき、ドゥビエリュー〔現代 美術史上、最も重要な存在でありながら、作品はすべて火災で失われ、その後は沈黙を守っている幻の老フランス人画家〕に関係した著作および主要文献の簡潔 なリストが掲載されている。書誌のなかにも誤植は見当たらない」(本書、二九二ページ)というあたりに反応してしまうのは、われながらどうしたことだろ う。滝本誠の〈解説〉に瀧口修造《地球創造説〔現代詩叢書3〕》(書肆山田、1973)が登場するのも、偶然とは思えない。
●難波弘之・井上貴子編《証言! 日本のロック 70'S》(ア ルテスパブリッシング、2009年4月20日)を読んだ。とりわけ四人囃子のドラマー・岡井大二氏をゲストに招いた〈プログレの技術と精神〉の章が面白い (レギュラースピーカーは編者のほか、PANTA、ダディ竹千代の四氏)。脚注も充実していて、そのせいでもないが未聴だったピンク・フロイドの2枚組 《Is There Anybody out There?―The Wall: Live 1980-1981》(2000)をスタジオ盤《The Wall》(1979)と交互に聴きくらべた。
●森繁久彌が去る11月、96歳で亡くなった。森繁は1939年、NHKのアナウンサー試験に合格して満洲に渡り、敗戦を新京(現在の長春)で迎えてい る。吉岡実が満洲で兵役についていたころ、放送局や満映の仕事をしていたのだ。森繁は吉行淳之介との対談〈と言うてしもたらしまいや篇〉で「ぼくは中国 人っていいなあと思ったのは、食うや食わずの農民が、春になると、自分が飼っている雲雀[ひばり]を丘の上に出て飛ばしながらその啼き声を競い合う。その シーンはなんともいえずいいものですね」(吉行淳之介ほか《恐・恐・恐怖対談》、新潮社、1982年2月20日、一七八ページ)と語っている。「動くインテリア/ヒバ リがしきりと鳴きのぼるとき」(〈フォークソング〉F・7)。

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編集後記 85(2009年11月30日更新時)

〈吉岡実詩集《静かな家》本文校異〉を 書いた。校異を作成するために初出雑誌のコピーや単行詩集や全詩集を繙読していると、吉岡の詩句の意味やイメージが迫ってきて、ゾクゾクする瞬間がある。 「スポンジ」や「雨傘」など、なんでもない言葉が立ちあがってくるのだ。いつの日か、そういった感覚的なことまで含めた《静かな家》についての評釈を書く 機会はめぐってくるだろうか。
ア ンリ・ミショオ《プリュームという男》の装丁について書いた。書誌的事項を田中栞さんの〈書肆ユリイカ出版総目録〉から引いたが、同目録を増補改 訂した冊子では本書の記載が「プリュームという男  アンリ・ミショオ 小海永二訳 34.9.20 450円 A5判上製角背、ジャケ 装丁・吉岡実、挿画・著者、モーリス・アンリ ◎」(《書肆ユリイカ 出版総目録〔第2版(平成21年10月増補改訂)〕》、紅梅堂、2009年10月4日、八ページ)となっている(〈書肆ユリイカ出版総目録〉からどう変 わっているかは、対照してみてください)。最後の「◎」は、田中氏所蔵本で、前回〈編集後記〉で 触れた〈「書肆ユリイカの本」展〉に展示されたことを表わす。2刷が出た《書肆ユリイカの本》は〈書名索引〉のノンブルを中心に修正が入るということなので、同書からしばらく目が離 せない。
●竹内淳子《紫――紫草から貝紫まで〔ものと人間の文化史148〕》(法 政大学出版局、2009年10月20日)の〈華岡青洲創出の紫雲膏と薬玉〉という章に〈「クスダマ」は薬玉〉と〈貴人の真似から薬玉をつくる〉という節が ある。ときに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は現行の事物に関する記述は詳しいが(祝事に使用される薬玉を「割り玉」と呼ぶと 知った)、歴史的な展望に欠ける憾みがある。竹内氏の著書には、今日でも薬草を束ねて軒下に干しているから「薬玉は、薬の束[たば]からきたものではない か」(同書、一八三ページ)、「以前から匂袋は、薬玉の名残りとおもわれてならなかった」「薬玉の周囲を美しく飾ったのは、子どもを病魔から守る大切なも のを入れておくためのものであり、そして目立つものでなければならなかったから」(同書、一八四ページ)とある。吉岡実の《薬玉》を民俗学的な観点から読 みなおすことは、今後の大きな課題だろう。
●11月28日、渋谷のポスターハウスギャラリー 長谷川でアトリエ空中線10周年記念展〈インディペンデント・プレスの展開〉を観て、山田耕一(書肆山田・創設者)×間奈美子×郡淳一郎の三氏によるギャラリートーク〈瀧 口修造の本と書肆山田の最初の10年〉を聴いた。吉岡実の詩《異霊祭》(1974)、詩集《神秘的な時代の詩》(1976)、そして詩集《ポール・クレー の食卓》(1980)を世に送った山田さんと、アトリエ空中線を主宰する一方、未生響の筆名で空中線書局から詩作品を刊行する間さんによる新旧プレスによ る共演だった。インディペンデント・プレスについてはいずれじっくりと考えてみなければならない。展覧会と同題のポスター=図録(空中線書局、2009年11月13日) と72部限定の〈山田耕一発行図書目録〉(同、2009年11月28日)は郡さん編集になる労作だ(同目録には協力者として田中栞さんとと もに、面映ゆいことだが、私の名もクレジットされている)。
●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸7年が経過した。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげる。本サイトの現状をご報告しておこう。開設時の総ページ 数(A4での印刷換算)は約139ページだったが、1年後には約243ページとほぼ1.7倍、2年後は約341ページで開設時の2.5倍、3年後は約474ページで 同3.4倍、4年後は約693ページで同5.0倍、5年後は約803ページで同5.8倍、6年後は約892ページで同6.4倍、7年後の現 在は約996ページで開設時のほぼ7.2倍となっている(10月末時点のアクセスカウンターの数値は25661だった)。今後とも吉岡実と〈吉岡実〉に関 する新稿の掲載、既存情報の補綴に努めていきたい。
●11月更新の記事をほぼ書きおわったあとで、吉岡実の未刊行詩を1篇、新たに発見した。詳しい文章を次回更新時に掲載するので、ご期待いただきたい。こ の〈編集後記〉では原則として次回予告をしないのだが、7周年記念の今回は自祝の意を込めて、特に。

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編集後記 84(2009年10月31日更新時)

吉岡実と《現代詩手帖》に ついて書いた。そこでは触れなかったが、《現代詩手帖》は1990年の逝去時に〈追悼特集・お別れ 吉岡実〉を、1995年2月に〈特集・吉岡実再読〉を、その間の1991年4月に同誌のムックともいうべき《現代詩読本――特装版 吉岡実》を発行することで、歿後の吉岡に対しても変わらぬ敬意を払ってきた。版元の思潮社に希むらくは、《続続・吉岡実詩集〔現代詩文庫〕》と《吉岡実未 刊行散文集(仮題)》の刊行の一日も早からんことを。
●高橋睦郎の三部作の第三作《聖 という場》の装丁について書いた。《友達の作り方――高橋睦郎のFriends Index》(マ ガジンハウス、1993)には三島由紀夫から川端康成までの77の巻が収められており、吉岡実や長谷川郁夫にも1巻が当てられている。それによると、三分 冊構成の試論集は初め、植草甚一を通じて晶文社にもちかけられたが、結局、設立当初から高橋さんの本を出したかった長谷川氏の小沢書店から初案どおりに出 た(本文の引用で省略した段落に当たるのがこれ)。三部作の後も詩集や台本修辞などを含む十数冊が、同書店から刊行されている。
●10月5日、神田の東京古書会館でユリイカ本244点約340冊を展示した〈「書肆ユリイカの本」展〉を観て、奥平晃一(田村書店・店主)×郡淳一郎(元《ユリイカ》編集長)×田中栞(《書肆ユリイカの本》の著者)三氏のトーク ショーを聴いた。鼎談は《からんどりえ》30部本の展覧に始まり、郡さんに宛てた足穂の息女・稲垣都の本書礼状(若き日の伊達得夫を回想してい る)を田中さんが朗読して終わる2時間弱。展示会場から運びこんだユリイカ本を手に、《書肆ユリイカの本》で は触れられなかった話題満載だった(入沢康夫の第一詩集《倖せ それとも不倖せ》のビニール袋探求譚など)。会場には平林敏彦氏の姿もあった。私の質問に答えられた奥平さんによると、吉岡実は田村書店に来ても本は買わ ずに――「詩集はみんな献本される!」――自著の値段を確認していたとのこと。会場で配布された《書肆ユリイカ出版総目録 第2版》(紅梅堂、2009年10月4日)の体裁が《鰐》を模したA5判未綴じアンオープンドなのも、ユリイカ者・田中栞さんならではの趣向だった。
●中山康樹《ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか〔幻冬舎新書〕》(幻 冬舎、2009年3月30日)を読んだ。私はミックとローリング・ストーンズになんのシンパシーも抱いていないので食指が動かなかったのだが、どうやら 「ストーンズ本」でないとわかったので一読に及んだ。スティーヴン・スティルスがCS&Nに「4人目のメンバーを加える際に真っ先に推したのがステーヴ・ ウインウッドだったこと」(本書、一七二ページ)など初めて知った(現実にはニール・ヤングが加入)。そのまま氏の新著《ビートルズから始まるロック名盤〔講談社文庫〕》(講 談社、2009年9月15日)を読む。本書は「ボブ・ディランを中心に聴く1960年代ロックの通史」と言える。扉(ジャケット写真やアルバムクレジット などのデータ)と本文3ページが基本フォーマットだが、13級38字×14行の版面はゆるゆるで、中山氏の文章にいつもの切れが感じられないのはそのせい か(それにしても、対象のロック名盤50枚のアルバムを矩形に嵌めただけのジャケットデザインは、なんとかならなかったものか)。
8月のグールドが きっかけで、最近バッハのCDをよくかける。《管弦楽組曲》《ブランデンブルク協奏曲》、いくつかの協奏曲とソナタが中心だが、なかでもキム・カシュカ シャンとキース・ジャレットによる《ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ》を聴くことが多い。ヴェルナー・フェーリクス(杉山好訳)《バッハ――生涯と作品〔講談社学術文庫〕》(講談社、1999)を再読してから、バッハ音楽の本丸である声 楽曲を聴くことにしようか。

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編集後記 83(2009年9月30日更新時)

吉岡実の自筆年譜に ついて書いた。自筆だからすべて正しいとは限らず、それ以上になにが書かれていて、なにが書かれていないかがあらゆる年譜のポイントになる。ところで、私 が吉岡実年譜を編むにあたって最初にした作業は、1年ごとに1枚(以上)の専用の台紙を用意して、そこに年次のわかる内容の文章を(もちろん吉岡の作成し た年譜も)コピーして切り貼りすることだった。
●高橋睦郎の三部作の第二作《球 体の息子》の装丁について書いた。同じ散文でも、軽やかな随筆とはまったく異なる硬質なエッセイ(試論)は、高橋睦郎の世界の重要な一角を成して いる。
●田中栞《書肆ユリイカの本》(青 土社、2009年9月15日)がついに出た。すぐれて本書を体現した〈あとがきにかえて――「書肆ユリイカの本を調べる」番外編〉を読むと、巻末の〈書肆 ユリイカ出版総目録〉一行の記載にどれほどのエネルギーが投入されたか、目も眩む想いがする。吉岡実の著書では《僧侶》と《吉岡實詩集〔今日の詩人双 書〕》が登場するが(ほかに吉岡実装丁の《キャ スリン・レイン詩集〔海外の詩人双書〕》も)、《吉岡實詩集》は三つ!の異なる版――ただし奥付の発行年月日はどれも1959年8月10日――が 存在するという(本書、一一八ページ)。二つの版しか見たことがなかった私は、この指摘に蒙を啓かれた(〈吉岡実詩集《僧侶》本文校異〉参 照)。本書の読者は、著者が収集した関連資料の豊富さにではなく、収集・閲覧したユリイカ本を束ねるその膂力と見識に驚くべきなのだ。私は「筆者は初版本 マニアというより増刷本マニアなので、普及版でも増刷本があるならぜひとも欲しい」(本書、二二七ページ)という一節に共感した。著者は早くも〈書肆ユリ イカ出版総目録〉の増補改訂版を準備中と聞く。リリースが待たれる。
●太田大八さんの《私のイラストレーション史――紙とエンピツ》(BL 出版、2009年7月1日)を読んだ。〈デビュー――子どもの本の世界へ〉の一節に「また筑摩書房の小学生全集が始まったとき、この挿絵の依頼に来た吉岡 実は、一九九〇年彼が没するまで家族同様の親しい友人となりました。彼は戦後最大の詩人と言われ、彼の詩から受けたビジュアルなイマジネーションは、私の イラストレーションのよい刺激になっているにちがいありません」(同書、五七〜五八ページ)とある。また「〔……〕まだ駒込に住んでいた頃の仕事で、少年 活劇文庫の中の『母をたずねて三千里』の挿絵の依頼に来た、東京創元社の山崎柳子という女性編集者がいました。この人も極めてユニークな人柄で、当時よく 私の家に泊まり込んでいた吉岡実と同様、たびたび家に遊びに来ていました。/彼女のおかげで、一九六一年、アラビアンナイト六巻の口絵挿絵を描かせてもら いました」(同前、六七ページ)とある後者は(おそらく吉岡が〈突堤にて〉で触れた)川端康成・野上彰訳《アラビアン・ナイト》(東京創元社、1960-61)で、《私のイラ ストレーション史》には躍動する馬が見事な〈おどけものアブーの物語〉のモノクロ挿絵が再録されている。
●ビートルズのアルバム14タイトルのデジタルリマスター盤が発売されたので、1枚だけ《アビイ・ロード》を 選んだ。オリジナルLPは中学2年の秋、その兄が大のビートルズファンだった同級生の、庭先の芝に陽が当たる電電公社の社宅で聴いた(それが夏の一日だっ た気がしてならない)。当時出ていた音楽雑誌《ガッツ》掲載の《アビイ・ロード》曲集には、Northern Songsのレノン=マッカートニー作品しか載っていなかったから、同級生に〈サムシング〉のコード譜を書いてもらったりした。それから40年の月日が流 れ、今や私はバンドスコアなる便利なツール片手に、〈ジ・エンド〉中盤のポール→ジョージ→ジョン→ポール……と回すギターソロを共に弾くまでになった。

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編集後記 82(2009年8月31日更新時)

下田八郎の〈吉岡実論〉と〈模写〉の初出に ついて書いた(詩篇〈模写――或はクートの絵から〉の初出についてはわれながら呆れるほど何度も書いているが、吉岡実が詩集に収めた詩で唯一初出が未詳な のだからしかたがない、と本サイトをお読みのかたにはご海容いただきたい)。そこにも書いたように、初出年次の下限が1963年末にまで繰りあがったのは 喜ばしいのだが、発表雑誌(新聞ではなかろう)がわからなくては探索のしようがない。人様をあてにしていてもしかたがないので、気長に探すことにしよう。 資料探索とはそもそもそういうものではなかったか。
高 橋睦郎《詩人の血》の装丁について書いた。ときに《〈吉岡実〉の 「本」》の各記事には、目次からリンクが張ってあるほか、《吉岡実書 誌》の〈W 装丁作品目録〉掲 載の書名からも移れるようにしてある。その目録の凡例に「著者名など《書名――副書名〔版〕》(発行所名、発行年月)」とあるごとく「発行年月」だったの を、実見した(つまり〈吉岡実の装丁作品〉に取りあげた)タイトルに限り「発行年月日」まで記載することにした。どのみち毎月の作業で新たにリンクを張る のだし、目録の並び順をより正確ならしめることにもなるからである。
●柏原成光《本とわたしと筑摩書房》(パ ロル舎、2009年6月18日)を読んだ。吉岡実に言及している箇所はないが、1996年から99年にかけて社長を務めた筑摩書房に関する興味深い証言に 満ちている。「私はこの「筑摩」の終焉の象徴的出来事は三〇年間続いた「筑摩叢書」の打ち切りにあったと思っている。最終刊は、一九九二年一一月二五日、 カーレン・ブリクセン「アフリカ農場」であった」(〈14 「筑摩」から「ちくま」へ〉、本書、一九七ページ)。「筑摩」を「ちくま」と読めない読者というのも情ないが、30年以上もまえのこと、明大の生協でアル バイトしていた友人が「岩波[がんぱ]文庫と呼ぶ学生がいる」と嘆いていたから、「ちくま」でいいのかもしれない。
●岩佐東一郎《書痴半代記〔ウェッジ文庫〕》(ウェッジ、2009年4月22日)を読んだ(著者は、吉岡実が《液 体》の出版広告を出した《文藝汎論》の編集・発行人でもあった詩人・随筆家)。「明治八年東京奎章閣発兌[はつだ]、永峯秀樹訳、開巻驚奇『暴夜 物語』二冊が出て来た」(本書、一三二ページ)は、戦後、足利で貸本屋を始めた岡 崎清一郎の土蔵で、埃だらけの和本の山から《暴夜物語》(《アラビアン・ナイト》の本邦初訳本)が出現したときのくだりである。
●8月のNHK教育テレビ水曜の〈こだわり人物伝〉は宮澤淳一《グレン・グールド――鍵盤のエクスタシー》のアンコール放送だった(初放送は2008年5月)。そこで、 久しぶりにグールドの《バッハ全集》(1955年のモノラル録音〈ゴールドベルク変奏曲〉から1981年デジタル録音の 同曲までの20枚組ボックスCD)を出して、〈イタリア協奏曲ヘ長調〉を聴いている。晩年の再録音盤(《シルヴァー・ジュビリー・アルバム》)も捨てがたいが、この《グレン・グールド 27歳の記憶》撮影時の溌剌とした演奏は、言わんかたなく素晴らしい。とりわけ、第3楽章は「鍵盤のエクスタシー」そのものだ。

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編集後記 81(2009年7月31日更新時)

ケッセルの長篇小説《昼顔》と吉岡実の詩篇〈感傷〉に ついて書いた。《昼顔》の本邦初訳は堀口大學による第一書房版(1932年6月15日発行)だが、堀口訳の新潮文庫第26刷改版(1969年1月5日)後 の53刷(1992年4月5日)の〈プロローグ〉と上掲文に引いた〈プロロオグ〉を校合すると、訳文は基本的に大差ない。もっとも、吉岡の散文にしばしば 見られる「怖れをなして」が文庫版では「こわくなって」と改変されて、平板になっているのが不満といえば不満である。
《キャ スリン・レイン詩集〔海外の詩人双書〕》の装丁について書いた。本書は久しぶりのオークションで、古書価3,500円のところ約半額で落札した。1996年に田村書店で購入した 《吉岡實詩集〔今日の詩人双書〕》は少し傷んでいたものの3,000円だったから、昨今の桁違いの値段には驚く。
●松岡正剛《多読術〔ちくまプリマー新書〕》(筑摩書房、2009年4月10日)に続いて《ちょっと本気な千夜千冊虎の巻――読書術免許皆伝》(求龍堂、2007)と《松岡正剛 千夜千冊〔全7巻・特別巻〕》(同、2006)――こちらは 通読というわけにはいかない――を読んだ。かつて吉岡の〈色彩の内部〉(F・4)を掲載した「タブロイド版16ページの新聞スタイ ルのフリーペーパー」《the high school life》(MAC)が、高校生向けの読書新聞として《多読術》に写真入りで紹介されているのは嬉しい。
●四方田犬彦《歳月の鉛》(工 作舎、2009年5月20日)を読んでいたら、《映画芸術》編集長だった小川徹氏について「あるときから小川さんは健康を害し、すっかり痩せてルイス・ブ ニュエルに似た風貌となった。『昼顔』に登場する日本人のモデルは小川さんだと澁澤龍彦が書いていますが本当ですかとわたしが尋ねると、ニコニコしている だけで、何も答えようとしなかった」(同書、二五二ページ)とあった。四方田氏の《濃縮四方田――The Greatest Hits of Yomota Inuhiko》(彩流社、2009)の〈書物刊行計画〉 にある《ルイス・ブニュエル》(作品社)の刊行が待たれる。
●加入しているケーブルテレビがWOWOWのアナログ放送を終了するため、地上デジタル放送が受信できる環境に替えた。モニターがアナログのときのままな ので、画面が小さいのはつらい。
●このところ、ドリーム・シアターを聴いている。作りこんだスタジオ録音盤(たとえば《Images and Words》)もいいが、ライヴアルバム(たとえば《A Change of Seasons》)も楽しませてもらっている。John Petrucciのギターは破綻がなくて面白味に欠けると言いたくなるほど、凄まじくも素晴らし い。
●夏休みを利用して北海道に出かけた。旭川・旭山動物園に始まり、札幌・円山動物園(キリンを見ながらドーナツを食べた)に終わった旅行のあいだ、村上春 樹《羊をめぐる冒険〔講談社文庫〕》(講談社、1985)を読み返して、皆既日食の当夜に帰京した。「音楽は思想ほど風化しない」(同書〔下〕、一三五 ページ)。《プルターク英雄伝》や《ギリシャ戯曲選》に価値を置く「僕」の表明である。

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編集後記 80(2009年6月30日更新時)

歌集《魚藍》の本文校異に ついて書いた。吉岡実は未刊の随想〈忘れ得ぬ一俳人の一首〉で、自身の俳句・短歌について「少年の頃から、いろいろと短歌や俳句の本を読み耽っていたもの だ。ことに俳句のほうは十人ほどの仲間とで、吟行や句会をやって勉強したが、短歌は独習したにすぎない」(《短歌のすすめ》、有斐閣、1975、二七三 ページ)と書いている。詩篇〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)に組み込まれた〈反歌〉以外、戦後の吉岡に短歌作品はないものと思われる。
三 好達治詩集《百たびののち》の装丁に ついて書くため、古書を購入した(本文は、公立図書館の「リサイクル資料」に出ていた、古びてはいるがそれほど傷みのない端本の三好達治全集で読んだ)。 いい機会なので、萩原葉子《天上の花――三好達治抄》(新潮社、1966)に目を通したところ、「ある日、三好さんはT書房の「三好達治全詩集」を、〔文 章会のメンバー〕全員に配った。「全詩集というものは、印税の全部で買い取って人に贈るものだ」と、いつかも中野重治氏と話していた。今日まで世話になっ たことの礼であると、三好さんは言った。その通りに高価な詩集を、惜しげもなく贈呈して、皆をよろこばせたのである」(同書、一五三ページ)とあった。と もに萩原朔太郎を敬愛しながら、三好とは犬猿の仲だった西脇順三郎も、全詩集では同様のことをしている。
●《現代詩手帖》が50周年を迎えた。吉岡実は創刊号に〈遅い恋〉(未刊詩篇・7)と〈詩人のノオト〉を発表していて、小田久郎さんが《戦後詩壇私史》(新潮社、1995)の〈第十章〉でふたつとも引用している。同書は吉岡と《現代詩手帖》 (吉岡は詩を20篇、散文などを21篇発表していて、寄稿雑誌としてはおそらく最多)との関係を考察するうえで今日でも筆頭の文献に数えられる。
●美篶堂《はじめての手製本――製本屋さんが教える本のつくりかた》(美術出版社、2009年5月1日)を読んだ。4ページとコンパクトではあるが フランス装のつくりかたが載っていて、表紙の切りとり部分を寸法入りの図面で説明している。《〈吉岡実〉の 「本」》では吉岡実装丁になる数種類のフランス装に触れているが、本書が説くのは〈日 本風景論〉シリーズのそれに相当する。
●小森俊明・折笠敏之両氏がプロデュースする音楽空間創成プロジェクト〈groove transformiste〉の 初回公演《LIVE Performance 06/'09》(東京藝術大学音楽学部 第1ホールにて、2009年6月26日)は、ピアノ・チェロ・オーボエとパーカッションの演奏、映像とパフォーマンスによる1時間で、久しぶりに愉快な体 験だった。終演後、小森さんに初めてご挨拶することができた(小森さんが〈草上の晩餐〉と〈立体〉を歌曲にした件はかつて〈小森俊明氏作曲の吉岡実の歌曲〉でご紹介した)。
●生まれて初めてマニキュアなるものをした。先日、包丁で左手人差指の爪を抉ってしまい、伸びるにつれて爪が剥がれないように固める必要が生じたのだ。爪 が伸びるまでのあいだギターを弾けないと思うと憂鬱だが、こうしてPCのキーボードが叩けるだけでもよしとしなければなるまい。

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編集後記 79(2009年5月31日更新時)

●5月31日は吉岡実の祥月命日だったので、久しぶりに 〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉(《昏睡季節》)と《赤鴉》の短歌・俳句を読みかえした。興味深いことに、そこに は動物としての馬(日本陸軍いうところの「馬匹」)を詠んだ作品がなかった。いずれ、吉岡実詩最初期の「馬」について書いてみたい。
詩篇〈銀幕〉と梅木英治の銅版画について書いた。いい機会な ので、グレタ・ガルボの主演映画を数本、ビデオで観た。吉岡が随想で挙げている《肉体と悪魔》(1926)、《マタ・ハリ》(1931)、《グランド・ホ テル》(1932)等。《マタ・ハリ》には、件のガルボの裸体も一瞬だが登場する。
《浅 酌歌仙》の装丁に ついて書いた。吉岡は《俳諧七部集》の書名を《うまやはし日記》に記しているくらいで、連句に関してなにも書きのこしていない。その点で、高柳重信〈吉岡 実と俳句形式〉における「たぶん、これ〔「一人は死んでいてなお病気/石塀の向うで咳をする」という〈僧侶〉の一節〕は、きわめて昇華され、高度に洗練さ れた俳諧連句の諧謔として受けとることも可能であろう。〔……〕吉岡には、俳句形式の歴史が少しずつ育ててきた幾つかの知恵が、どことなく備わっているの であった」(《ユリイカ》1973年9月号、一八四ページ)という評言は示唆に富む。
●グラフィックデザイナーの粟津潔氏が4月28日に亡くなった。80歳だった。AD・田中一光《1979グラフィックポエトリー》(モリサワ、1978) に再録の〈カカシ〉(G・28)は粟津氏の書画によるもの。臼田捷治《装幀時代》(晶文社、1999)の〈粟津潔――反近代の民俗的性〉を読んで氏を偲んだ。
●楠見朋彦《塚本邦雄の青春〔ウェッジ文庫〕》(ウェッジ、2009年2月23日)を読んだ。1920年8月生まれの塚 本は吉岡実の1学年下で、年譜の生年(従来は1922年)の問題や戦中の足跡を追う記述はスリリングである。吉岡の《あむばるわりあ》評も引かれており、 目配りがきいている。
●月刊《エスクァイア日本版》(エスクァイア マガジン ジャパン)が2009年7月号で休刊した。1987年春の創刊(版元はユー・ピー・ユー、最初の5号は季刊で書籍扱い)から数年間、制作進行担当として刊 行に携わった身としては感慨無量である(本号の吉澤潔・長澤潔・木村裕治〔鼎談〕が当時を伝える)。吉岡実の歿後、〈卵〉(B・7)が同誌1991年8月 号に再録された。ヴィジュアルとして中西夏之作の卵形オブジェにも似た「ガイヤ製シトリン」の写真(撮影:藤井保氏)が添えられているが、「吉岡といえば 卵」(それとも「卵といえば吉岡」?)という理由での掲載だったのだろうか(この号は琉球特集で、「吉岡実の詩と共に切り取ったウェットな瞬間」の編集担 当は木下和也氏)。

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編集後記 78(2009年4月30日更新時〔2012年12月31日追記〕)

●去る4月15日は、 吉岡実の90回めの誕生日に当たった。4月15日、この日は「四十一歳の誕生日。〈波よ永遠に止れ〉夜十二時に完成。陽子に浄書しても らう」(1960年)。「わたしが何故、《固い卵》をその〔〈詩人の白き肖像〉〕テキストに選んだかは、一つの思い出があったからだ。だぶん、四十五、六 才の誕生日の時であったろうと思う。妻から贈られたのが、この《固い卵》であった。家にあった古書目録のなかで、この詩集に私が赤い印をつけておいたの を、妻は見つけて買い求めたのである」(1964/65年)。「今日は私の誕生日だった。いつもなら妻がネクタイの一本もくれるはずであるが――宿〔高遠 城址の裏手下の「ホテル絵島」〕の朝飯でささやかに祝った」(1972年)。「四月十五日、晴。追悼詩「聖あんま断腸詩篇」ついに完成す。わが誕生日」 (1986年)。いくつもの記念碑的な詩篇が、自らの生誕を祝すように、この日に完成されたのだった。
詩篇〈壁掛〉の校異を 掲載した。行頭の揃っている詩の校異では字下げに関する注記は必要ないが、吉岡実詩の場合、《薬玉》から本格化する階段状の詩形(《薬玉》詩形)の異同を どう表示するかが難しい。今回、ひとつの試みとしてその表記法を開発した。後期吉岡実詩の校異の表記として実用に堪えるか、検討していきたい。
●林綾野・新藤信・日本パウル・クレー協会編著《クレーの食卓》(講談社、2009年3月6日)は不思議な書物である。クレーが残した料理メモ(1935年)、日記や手紙、 家族に伝わる話からクレーが食べたであろうメニューを選び再現レシピを作った、と本書のリードにあるが、食を中心に据えた新しい形の評 伝と見た。
●先月末、商船三井の客船にっぽん丸の1泊2日のクルーズに参加した。娘が海について書いた作文が賞を受けて、保護者として同伴したのだ。小学生のときに こうした体験ができるのは、貴重なことこのうえない。私が子供のころ得た最高の賞品といえば、水彩画や毛筆習字を出品して貰った、芯が黒・赤2色のシャー プペンシル(今でもあるのだろうか)だった。
●このところジェネシスのCDを聴いている。彼らは基本的に作曲家の集団で、自作曲(とりわけ前期)のアレンジやライヴでのバンドアンサンブルは、時とし てピンク・フロイドやキング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク&パーマーのそれを凌ぐ(逆に、ジェネシスに即興演奏や名人芸は期待できない)。楽 曲では、メンバー全員の共作〈サパーズ・レディ(Supper's Ready)〉――スタジオ録音《フォックストロット》 (1972)のオリジナルバージョンも素晴しいが、ピーター・ゲイブリエル在籍時の73年のライヴ(《Genesis Archive 1967-75》、1998)、フィル・コリンズがリードボーカルをとった77年のライヴ(《セコンズ・アウト》、1977)ともロック史に残る名演――を逸するわけには いかない。このキメラのような、モザイクのような長尺曲を聴くたびに、私は吉岡の〈死児〉(C・19)を想い出すのだが、ゲイブリエルと スティーブ・ハケットがいたころのジェネシスは観ておきたかった。
〔2012年12月31日追記〕黄金のクインテット時の映像〈Genesis: Live 1973 - First time in HD with Enhanced Soundtrack - YouTube〉を 観た。〈Watcher of the Skies〉で幕を開け、〈Dancing with the Moonlit Knight〉〈I Know What I Like〉〈The Musical Box〉〈Supper's Ready〉の全5曲。ハケットのタッピングギターが確認できたのは嬉しいが、なんといってもラストナンバーだ。メンバーの楽器の持ち替えや、ゲイブリエルの出で立ちなど、ライヴパフォーンマンスを誇ったバンドの本領発揮である(この音源は初めてだった)。映像と音の定位が逆の処は、ヘッドホンを左右逆さまにして聴いた。

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編集後記 77(2009年3月31日更新時)

〈青山政吉のこと〉を お読みいただいたご子息の青山大作氏から「吉岡さんと父青山政吉は新京の陸軍病院で知り合ったようです」というメールをいただいた。メールには、詩人の吉 岡が「画家の父青山政吉と気が合ったようです。二人とも戦争には苦い思いをしたということも共通点です。父は満州で当時珍しく運転免許を持っていたのでト ラック部隊に所属していました。ただ目も悪く、耳もよくなかったのとその上、上司に殴られ耳が余計悪くなり陸軍病院に入ったのです。そのときの軍医さんが 父がスケッチしているのを見て「上手だな、日本に帰りたいか?」と言われ「帰りたいです」と答えたら「よし日本に戻って画業に励め」といって帰してくれた そうです。あまり役にも立たなかったというのが本当のところと思います。吉岡さんの病名はよくわかりませんが父はそういうことです。吉岡さんは来阪される と我が家によくお泊りになりました。吉岡さんの現代詩文庫に登場する「西宮へ戻り雅子ちゃん大作ちゃんとさようなら。夜行列車にのる」の大作ちゃんは私で す。そのときだったと思いますが、私にお土産として猿がシンバルを持ってパンパンする人形をプレゼントしてもらいました」とある。実に興味深い話なので、 お許しをいただいてここにご紹介する(大作氏と同世代の私にも、シンバルを叩く猿のオモチャは懐かしい)。
〈吉岡実詩集《紡錘形》本文校異〉を掲載した。手許の《紡錘 形》は1989年5月24日、渋谷・宮益坂の中村書店で入手した一冊(33,000円だった)。その年の12月20日、吉岡さんと面談の折に献呈つきの署 名をしていただいたが、そのときが吉岡さんにお目にかかった最後となってしまった。
〈中尾彰―津和野・東京・蓼科―展〉(練馬区立美術館、2009年2月21日〜3月29日)を観た。油彩画の ほか、紙芝居の原画の展示が嬉しい。吉岡実の絶筆〈日記 一九四六年〉に「三月二十六日 春の空は晴れている。梶井基次郎《檸檬》を読む。 午後、坪田譲治《黒人屋敷》の装幀を江古田の中尾彰氏のところに頼みにゆく。畑の中を一里近く歩いた」(《るしおる》6号、1990年5月31日)とあ る。件の書名、正しくは《異 人屋敷》で、吉岡が当時勤務していた香柏書房から1946年7月に刊行されている。この本のことや香柏書房についても、いずれ書きたいと思う。
●〈秦恒平・湖(うみ)の本〉は創刊以来定期購読を続けているが、創作シリーズの52巻として《自筆年譜(一) 太宰治賞まで・他》(「湖(うみ)の本」版元、2009年3月14日)が刊行された(非売品)。標題作は全7部の第1部。本文8ポ2段組89ページという ボリュームが物語るように、「「作品」の成って行く基盤や経過や背景がすこしでも具体的に見え、見えはじめることが「創作者年譜」の本来と 考えて来た」(本書、三四ページ、〈凡例〉)秦さんの「一の「年譜」試行」 (同前)である。「〔……〕「畜生塚」(「羽衣の人」改題)百六十七枚初稿擱筆。作品はその後、何に限らず繰返し改稿を重ねている。例外なく最終稿を定稿 とし前稿は作者の意志により「破棄」とする」(同書、七六ページ、1963年12月の項)。日記に相当する〈ノート〉の記録をもとに書かれたこの「自筆年 譜」は、創作者の作品と生活についてさまざまなことを考えさせる。なお〈秦恒平・湖(うみ)の本〉の詳細は、ウェブサイト《作家 秦 恒平の文学と生活》の〈湖の本の事〉につかれたい。
●このところ、プログレッシヴロックやブリティッシュロックの邦文資料を見ている。そのなかで、赤岩和美・石井俊夫監修《ブリティッシュ・ロック大名鑑》 (ブロンズ社、1978)の飜刻新訂版《ブリティッシュ・ロック大名鑑 一九五〇年代―七八年》(柏書房、2002)がコンセプト・内容・体裁とも 一頭地を抜いている。ただし、ルネッサンスの項でアルバム《ノヴェラ》と《お伽噺》が別物として記載されている(五一七ページ)のはどうしたことか (“Novella”の邦題が「お伽噺」で、ふたつは同一作品)。
●「かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド」の一冊、北村薫《野球の国のアリス》(講 談社、2008)を読んだ。題辞にあるルイス・キャロル《鏡の国のアリス》は当然だが、満田拓也原作のテレビアニメ《メジャー》の登場人物が想いだされて しかたがなかった(北村氏にその意図はなかっただろうが)。本文はもちろん、跋文の〈わたしが子どもだったころ〉がいい。

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編集後記 76(2009年2月28日更新時)

吉岡実と片山健に ついて書いた。吉岡実の詩を読みはじめたころ、シャルル・ペロー(澁澤龍彦訳)《長靴をはいた猫》(大和書房、1973)で片山健の挿画にも親しんだが、 のちに《美しい日々》を再刊本で入手して、この端倪すべからざる画家のもうひとつの世界を知った(1985年10月10日刊行の喇嘛舎版には〈著者略歴〉と著者の〈あとがき〉が新たに付けられた)。片山さんには吉岡実の十七回忌の墓参の とき、ご挨拶することができた。
高 橋睦郎詩集《舊詩篇 さすらひといふ名の地にて》の装丁について書いた。詩集は《続・高橋睦郎詩集〔現代詩文庫〕》(思潮社、1995)の巻頭に収められていて、全篇を読むことができる。
●ジュゼップ・カンブラス(市川恵里訳、岡本幸治日本語版監修)《西洋製本図鑑》(雄松堂出版、2008年12月1日)を読んだ。著者(1954年、バルセロナ生まれ)の製 本作品の写真集としても、ルリユールの技法書としても楽しめる。本文ではペラ丁の綴じの説明が役に立った。
●いせひでこ〔伊勢英子〕《ルリユールおじさん》(理 論社、2006年9月)は、ルリユールの工程を正面から作品化した異色の絵本。帯には「パリの路地裏に、ひっそりと息づいていた手の記憶。本造りの職人 [ルリユール]から少女へ、かけがえのないおくりもの」とある。こういう世界があると本書で知った子供が大きくなってどんな人間になるのか、興味深いとい う以上のものがある。
●手製本といえば、《吉岡実未刊行散文集》はDTPで組んだ見開き(裏白)を谷折りした折丁をボ ンドで綴じたが、8年近く繰りかえし読んでいるせいもあってか、ある見開きなどついに抜けおちてしまった。どうやら《西洋製本図鑑》の説く糊のさしかたの 方が、じょうぶで長持ちしそうだ。
●野平一郎作曲の〈舵手の書〉を収録したCD《Japanese Love Songs〔日本の恋歌〕》を入手した。クレジットに「Text: adapted from a poem by Minoru Yoshioka」とあるが、そう心して聴いても小林真理(メゾソプラノ)の歌詩は聴取が難しい。西村朗対話集《作曲家がゆく》(春 秋社、2007年5月30日)で野平氏は「僕の場合は、アイデアと音響が一致するところを求めるということが最も大切です。形式では、一回聴いてパッとわ かってしまうようなものは自分にとってはだめで、聴き込んで、ああ、こうなのかということがわかるような、一種の「迷宮の形式」みたいなものをいつも求め ているんですよ」(同書、二七二ページ)と語っているから、当分はこのCDを聴きこむことになりそうだ。
●しばらく前に川瀬泰雄(蔭山敬吾編)《真実のビートルズ・サウンド〔学研新書〕》(学 習研究社、2008年11月28日)を読んだ。〈ア・ハード・デイズ・ナイト〉の間奏ソロやイントロのコード(あの「♪ジャーン!」)の分析・解説には、 蒙を啓かれた。ビートルズの15アルバム収録の全226曲中、言及されているのは95曲。残りの曲を取りあげた続篇を期待したい。

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編集後記 75(2009年1月31日更新時)

●林哲夫さんが、2007年9月16日の〈昏睡季節〉に続いて〈昏睡季節(ふたたび)〉(2008年12月29日)を ブログ〈daily-sumus〉に書いている。雑誌《初版本》終刊号(人魚書房、2008年12月31日)の紹介文なのだが、林さん のご厚意で当該記事を読むことができた。島根の古書店で《昏睡季節》を10,000円で入手した経緯を伝える大地達彦氏のインタビュー〈詩集を掘り出す〉 が(先月のYahoo!オークションと並んで)この幻の詩集を彩る出色のエピソードである。同誌三七ページ掲載の「見返しに貼り込んである刊行当時の新聞 書評」の写真は、平林敏彦氏が《戦中戦後 詩的時代の証言 1935-1955》(思 潮社、2009年1月10日)の三五ページに書いたようには(後出「雑誌広告」にも引いた)、無反響でなかったことを示す新資料だ。吉岡が書評を知ってい た可能性は高いが、新聞の切り抜きの出典を探索することは困難で、今後の調査に俟つしかない。新聞書評が出た経緯を想像するに、平林氏が触れている雑 誌広告が影響していることは充分に考えられる。
吉岡実とリルケについて書いた。「永遠の視点はジイドとリル ケの書から俯瞰される」(〈果物の終り〉D・2)と、吉岡が詩の本文にその名前を記した唯一の詩人がリルケだった。
天 澤退二郎詩集《乙姫様》の装丁について書いた。吉岡実装丁の天澤本はまだほかにも評論集が数冊あるので、追い追いそれも紹介していきたい。
●今日までその存在すら知らなかった《サフラン摘み〔特装本〕》を入手できたので、《〈吉岡実〉の「本」》の〈吉 岡実の特装本〉に追加掲載した。そこにも書いたが、本書は市販の《サフラン摘み》三刷(青土社、1977年1月15日)の改装本で、高見順賞受賞 を記念して制作したものと推測される。本書刊行のいきさつをご存知のかたから、ご教示をたまわりたい。
《洪水》の 創刊メンバーのひとり、北川純氏から吉岡実論関連の文献をお送りいただいた。《洪水》は政田岑生の書肆季節社(!)が広島で発行していた詩誌で、寺山修司 がこれを塚本邦雄に示して激賞した。北川氏は第1冊(1957年10月15日)に詩的エッセー〈パウル・クレーの小宇宙〉を寄せていて、同じころ発表され た吉岡の〈ポール・クレーの食卓〉(I・1)とともに、クレー作品の受容史という面でもまことに興味深い。北川さん、ありがとうございました。
●アメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスが1月16日、91歳で亡くなった。生まれ故郷のペンシルベニア州と別荘のあるメーン州の田園風景を題材 に、水彩やテンペラ画を描いた。「岸辺に近く/ごつごつした岩がある/そのかたわらで漁夫が漁具を砂地に置き/しばし休息しているように/わたしたちには 見えた/それはアンドリュー・ワイエスの素描だった」〈謎の絵〉(H・26)冒頭。
●旧知の山田哲夫さんが田中幸夫氏とともに監督・脚本を務めた映画《未来世紀ニ シナリ》(2006年/日本/DV/カラー/68分/配給:フルーク)の東京での上映が予定されている(2009年3〜4月、渋谷UPLINK Xにて)。上掲リンクで予告の動画が観られるので、ぜひご覧いただきたい。
●ビートルズ後期の2枚組ベストアルバム《1967-1970》(1973)、通称「青盤」をCDで聴いた(アナログディスクは持っている)。28曲 で約100分。オールタイムNo.1曲集《THE BEATLES 1》(2000)が27曲で約79分、後期のシングル曲集《パスト・マスターズVol.2》(1988)、 通称「白盤」が15曲で約51分。収録時間が異なるので同列に論じられないが、青盤の選曲は素晴らしい。〈Strawberry Fields Forever〉や〈A Day in the Life〉(頭にSEが入っていたLPに対して、イントロの最初から収録されている)や〈I Am the Walrus〉といった《1》や《Vol.2》に収録されていないレノン作品が入っているのが嬉しい。連想は、吉岡実中期のベスト版(例えば〈マクロコス モス〉〜〈葉〉〜〈夢のアステリスク〉の10篇)、オールタイムのタイトルポエム集(〈昏睡季節1〉〜〈僧侶〉〜〈サフラン摘み〉〜〈ムーンドロップ〉の17篇)など、既存詩篇の セレクションによる私撰吉岡実詩集へと拡がってゆく。

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編集後記 74(2008年12月31日更新時)

●詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940、〈手紙にかへて〉付き)がYahoo!オークションに出品された(落札価格は179,000円)。《吉岡実 資料》編纂時にそのコピーさえ見ていない〈手紙にかへて〉原物の写真がsarugaku333さんによってアップされたので、《昏睡季節》の書誌に 掲載させていただいた。〈手紙にかへて〉は全文が随想〈わが処女詩集《液体》〉(初出は《現代詩手帖》1978年9月号)に引用されて知られるようになっ たが、それと〈吉岡実詩集覚書〉(《吉岡実全詩集》、筑摩書房、1996)の同文を件の写真と照合してみると、〈吉岡実詩集覚書〉の方が原文に近いことが わかる(解像度が低いので断定的なことは言えないが)。この出品がとんでもない代物であることは確かだ。
●先月の詩集《僧侶》の校異に続いて、〈わたしの作詩法?〉の校異を 書いた。吉岡実のこの詩論には〈苦力〉が全篇引かれ、コメントが付されている。このような調子で同じ《僧侶》の、たとえば〈冬の絵〉や〈単純〉や〈感傷〉 といった、作者による言及のない作品(3篇とも《吉岡実〔現代の詩人1〕》に収められていない!)へのコメントが残されていたら、どんなによかったことだ ろう。
天 澤退二郎《《宮澤賢治》鑑》の装丁について書いた。いい機会なので、《宮沢賢治の彼方へ〔ちくま学芸文庫〕》(筑摩書房、1993)や《《宮澤賢治》論》(同、1976)、《《宮沢賢治》注》(同、1997)など、天澤さんによるほかの賢治論もまとめて読んだ。久しぶりに賢治の作 品が読みたくなった。
●《石田徹也―僕たちの自画像―展》(練馬区立美術館、2008年11月9日〜12月28日)を観た。オリジナルの図録に替わる《石田徹也遺作集》(求龍堂、2006)も展覧した日は品切れで、人気のほどをうかがわせた。作品では〈捜 索〉(2001)の崩れゆく人体=ジオラマに見いってしまった。
●《月刊PLAYBOY日本版》(集英社)が2009年1月号(2008年11月売)で休刊した。1989年の5月、吉岡さんと歓談のおり、当時私が《エ スクァイア日本版》(ユー・ピー・ユー)に携わっていたこともあって、《月刊PENTHOUSE》(講談社)の休刊が話題になった。浅草・松屋デパートを 訪れて、「客もなく、ひっそりした書籍売場のガラスケースの中に、外国の写真集が飾られ、開かれた頁に、若い女の裸体が眺められ、私はしばらく釘付けに なってしまった」(〈学舎喪失〉、《文學界》1985年9月号、二九六ページ)と書いた吉岡さんなら、同誌の休刊を惜しんだだろうか。
●中山康樹《ビートルズの謎〔講談社現代新書〕》(講談社、2008年11月20日)を読了した。私はビートルズ音楽の いちファンに過ぎず、巻末の〈参考・引用文献一覧〉のうち《サージェント・ペパーの時代〔Nowhereザ・ビートルズ決定版シリーズ〕》(プロデュース・センター出 版局、2007)くらいしか手許になかったので、めぼしい資料を図書館から借りだして眺めている。ところで、中山氏の本の二一五ページに「アラン・パーソ ン」とあるのは「アラン・パーソンズ」(Alan Parsons)の誤植だろう。
●アラン・パーソンズ・プロジェクト(正確にはデヴィッド・ペイトンとイアン・ベアンソン)つながりで、パイロットのデビューアルバム《Pilot (From the Album of the Same Name)》(1974)を聴いた。6年ほど前、《みんなのうた》でブレス バイ ブレスが歌う〈ブレーメンのマペット音楽家〉の《マジカル・ミステリー・ツアー》を思わせるビートルズマジックに驚嘆させ られたが、パイロットはそこまであからさまでないマジックを繰りひろげる。ブリティッシュポップス最良の部分が、ここにはある。

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編集後記 73(2008年11月30日更新時)

●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸6年が経過した。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげる。本サイトの現状をご報告しておこう。開設時の総ページ数 (A4での印刷換算)は約139ページだったが、1年後には約243ページとほぼ1.7倍、2年後は約341ページで開設時の2.5倍、3年後は約474ページで同3.4倍 、4年後は約693ページで同5.0倍、5年後は約803ページで同5.8倍、6年後の現在は約892ページで開設時のほぼ6.4倍と なっている(10月末時点のアクセスカウンターの数値は22916だった)。この7月には〈吉岡実と本郷・湯島――〈吉岡実〉を歩く〉と題して、若年の吉岡 実ゆかりの地を歩いた。年に一度はこうした企画を実行したい。当サイトに割りあてられる容量を増やしたので、しばらくは心置きなく長文の記事も掲載できよ う。今後とも吉岡実と〈吉岡実〉に関する新稿の掲載、既存情報の補綴に努めていきたい。
●ここで、本サイトの舞台裏をご披露しよう。通常は毎月末に新稿をアップしてから次回分を準備するのだが、原稿が長文だったり調べもの中心だったりすると 前月から執筆を開始する。その場合も、ある時点からは《untitled》というhtmlファイル上で、リンクなどの仕上がりも想定して執筆・修正を繰り かえす(この〈編集後記 73〉の一部も、10月末日更新作業を前にして草稿を書くことで、11月執筆予定項目の調整をした)。本サイトに掲載する文章やデータは、印刷物と同じ手 順を踏んで制作している(たとえば、吉岡をはじめとする引用の原文はほとんどが縦組みなので、htmlから書きだしたテキストファイルを縦書きプリントし たもので校正している)。基本的にひとたび公開した情報は書きかえることはせず、新たな情報を「追記」の形で付け加えていく。記述の訂正を迫る新資料の出 現により記載を改める場合は、印刷物の改訂版を制作する姿勢で臨む。それでも完全ということはない。まことにもって、信頼に足るサイトを維持・運営するこ とは難しい。
●《僧侶》刊行50周年を記念して〈吉岡実詩集《僧侶》本文校異〉を 書いた。本稿を踏まえて、いつの日か、《神秘的な時代の詩》と同様、《僧侶》全篇の評釈を書かなければならない。
《詩 の本》の装丁に ついて書いた。そこでも触れたが、吉岡は第U巻の〈わたしの作詩法〉に〈わたしの作詩法?〉という唯一の詩論を発表している(題名にしてからすでに「作詩 法なんか知らないよ」と明かしている)。吉岡がそこに全篇を引いて自解したのが《僧侶》の〈苦力〉(C・13)だが、これまた反語的自解とでも呼ぶしかな いものである。いずれにしても、われわれとしてはひたすら詩篇を(できることなら《僧侶》全篇とともに)読むに如くはない。
●西村義孝編著、林哲夫構成・装丁の《佐野繁次郎装幀集成――西村コレクションを中心として》(み ずのわ出版、2008年11月1日)が出た。好評だった《spin》03号掲載の〈佐野繁次郎装幀図録〉をバージョンアップしたもので、全ページカラーの 図版が見所なのはもちろんだが、西村氏の〈佐野繁次郎装幀本と図録と展覧会と〉と《spin》誌から再録の〈佐野繁次郎コレクション蒐集について〉が素晴 らしくも、恐ろしい。わが《〈吉岡実〉の 「本」》でも大いに参考にさせていただこう。
●姫路文学館で《永遠の詩人 西脇順三郎――ニシワキ宇宙とはりまの星たち》展が開催された。残念ながら会場には行けなかったので、図録を入手した。A4判で本文四〇ページ、オールカラー。金田弘によるタイプ印字の手製本《旅人かへらず》 (1949)の書影など、観ていて飽きない。
アラン・パーソンズ・プロジェクト《怪奇と幻想の物語――エドガー・アラン・ポーの世界》デ ラックスエディション・紙ジャケット仕様が再発された。1976年発表(《サフラン摘み》と同年である)のアナログレコードで用いられたオリジナル音源を 初めてCD化したディスク1と、すでにCDになっている1987年のリミックス音源(イアン・ベアンソンの76年版のギターが変わっていたりする)のディ スク2をリマスターで収め、ボーナストラックも充実している。私は、マイルス者・中山康樹氏に倣ってオリジナルフォーマットの曲だけをMDに落として、76年版(今度はじめて聴く)・87年 版(すっかりお馴染みの)と続けて聴いている。APPの処女作にして最高傑作が甦ったことを喜ぶ。

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編集後記 72(2008年10月31日更新時)

青山政吉について書くため、朝日新聞社主催の《青山政吉「日本の四季百景」展》の図録(朝日新聞社、1996)を入手した。本書には吉岡実への言及はないが、〈青山政吉年譜〉(同書、一三〇〜一三一ページ)があるので、関連する事項を引く。
 1920年(大正9年)| 3月30日 〔……〕父・青山政吉、母・マサの長男(幼名雅美)として生まれる
 1924年(大正13年)|4歳 父・政吉死去、〔……〕政吉を襲名
 1939年(昭和14年)|19歳 旧満州(中国東北部)新京の自動車部隊に現地入隊
 1940年(昭和15年)|20歳 病により内地還送、のち除隊
 1947年(昭和22年)|27歳 〔……〕第1回二紀会展に出品
 1994年(平成6年)|74歳 〔……〕10月15日〔……〕死去
青山政吉の随筆集には年次の記述が欠けていて、事象の年代がはっきりしない。〈年譜〉の1940年(昭和15年)の「病により」が吉岡実と知りあった契機だとすれば、入院はおそらく2年ずれていて「1942年(昭和17年)」の「柳絮とぶ春を」(吉岡実)でなければ辻褄が合わないのだが。
中島敦全集の装丁について書いた。森田誠吾《中島敦〔文春文庫〕》(文藝春秋、1995)は、中島敦の2冊めにして生前最後の作品集となった《南島譚〔新鋭文学選集〕》(今日の問題社、1942)を編集した和田芳恵と著者・森田氏とのエピソードで締めくくられている。私は吉岡実も登場する末尾の8行を読むために、この本を読みかえす。……と書いたばかりのところへ、森田氏の訃報が届いた。なんということだろう。追悼の意を込めて《最近の〈吉岡実〉》に一文を草した。
●ブックデザイナーの遠藤勁氏からリーフレット〈「サンヤツ」のこと〉をいただいた。森田誠吾氏が亡くなったことから《三段八割秀作集》に及んで、――私が関与した作例〔《狂言――「をかし」の系譜〔日本の古典芸能〕》〕と当時「三八タイポグラフィー界?」で最も巧いといわれていた筑摩書房の作例〔《齋藤拷J集〔明治文學全集〕》と《定本金子光晴全詩集》〕を転載してみる。作者は筑摩書房宣伝課としか記されていないが、私の睨むところ詩人・吉岡実の作に間違いないだろうと思っている。氏の数々の装幀の活字扱いから推察した。朝日新聞の第一面は活版組みの道場でもあった。――とある(書影と三八広告3点を掲載)。遠藤氏からはメールで――吉岡さん(多分)のサンヤツが素晴らしいのは、「ことば」がそれぞれ的確な大きさで位置づけられていて、単なる抽象的なグラフィックエレメントで終わっていないところだと思います。「ことば」を大切にした詩人の作だと納得する由縁です。――と、かつて平凡社で三八を手掛けたデザイナーならではの所見をいただいた。森田誠吾と吉岡実を偲ぶ御仁がここにいる。
●林哲夫編《spin》04号〈湯川書房湯川成一さんに捧ぐ〉が出た。林さんの追悼記事、湯川氏のインタビュー(再録)、3氏の追悼文のほか、〈湯川書房限定本刊行目録(未完)〉(作成編集:伊東康雄・岡田泰三・戸田勝久、記録:福永幸弘)が掲載されている。この労作を見ているとさまざまな感慨が湧いてくるので、その一斑を〈湯川成一氏が逝去〉に追記した。
●林哲夫さんから《湯川書房刊本目録(限定版)》(辻邦生《北の岬》から長谷川敬《青の儀式》まで、1969年2月から78年度までの湯川限定本39冊の詳しい目録)のコピーをいただいた。湯川書房社主の手になる目録だから、追記する形で《吉岡実書誌》の《神秘的な時代の詩〔特装版〕》にそのまま引用した。同詩集は〈湯川書房限定本刊行目録(未完)〉には――27 吉岡実詩集「神秘的な時代の詩」/限定150部 238×180ミリ 印刷竹田光二 仮綴装(表紙 黒崎彰オリジナル木版画) 背革 ひらベラン装たとう 本文ロベール紙 1975.6.1(前掲誌、二九ページ)――とある。
●内堀弘《ボン書店の幻――モダニズム出版社の光と影〔ちくま文庫〕》(筑 摩書房、2008年10月10日)が出た。白地社の初刊も折に触れて読みかえしてきたが、本書も〈文庫版のための少し長いあとがき〉を読んでから、通読することになってしまった。鳥羽茂[いかし]のボン書店、伊達得夫の書肆ユリイカ、湯川成一の湯川書房。それぞれに吉岡実との縁、浅からぬ個人出版社だった。
Rush(カナダのロックバンド)のCDを聴こうとして、OPACで「ラッシュ」を検索したところ、Lush(ガールズロックのグループ)のCDを取りよせてしまった。道理でアルバムタイトルが違うわけだ。

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編集後記 71(2008年9月30日更新時)

吉岡実の書に ついて書いた(タイトルを〈吉岡実と書〉か〈吉岡実と書道〉とした方がよかったかもしれない)。吉岡さんに自作の篆刻を差しあげたことはどこかで触れた が、そのときなにか書いてあげようと言われたので、「神秘的な時代の詩」の八字をお願いしたものだ。吉岡さんはその後間もなく体調を崩されて、それが実現 することはなかったが。
●《東邦書策》のコピーを福島美術館(仙台市若林区)の尾暮まゆみ氏からお送りいただいた。吉岡は同誌に書作品が掲出されたことを、最後の著書となった 《うまやはし日記》で初めて明らかにした。《東邦書策》は所在はおろかその詳細もわからない幻の雑誌だったが、福島美術館のサイトの尾暮さん の紹介文で概要を知ることができた。今回得た知見に基づいて、《昏睡季節》の解題にも追記した。同誌を所蔵する佐藤研石のご遺族と福島美術館のご厚意に心 から感謝します。
《現 代日本文學大系》の装丁について書いた。紀田順一郎さんは本大系を「創意と迫力の点で元祖〔筑摩版《現代日本文学全集》〕に遠く及ばなかった」、 「特色のあるものとしてロングセラーとなったが、一時のように華やかな話題とはならなかった」(《内容見本にみる出版昭和史〔活字倶楽部〕》、本の雑誌社、1992、一一六ページ、一三〇〜一三一ページ) と総括している。
●来る10月3日(金)から11月16日(日)まで、姫路文学館特別展示室で《永遠の詩人・西脇順三郎展》(西脇の詩や絵画、評論、文学研究資料などを展示)が開催される。
●公立図書館のOPACはシステムが更新されるたびに使い勝手がよくなっているが、そのおかげで意外なCDが発見でき、検索していて飽きない。最近まとめ て借りたのはヤードバーズルネッサンス(どちらもキース・レルフが 所属していたバンド)の旧譜で、前者はジミー・ペイジがらみの数枚、後者はアニー・ハズラム在籍時のほとんどのアルバムは持っているが、手の出なかったベ スト盤や解散間際のスタジオ盤を聴いた。これはこれで悪くないものの、大枚を投じて購入するかとなると疑問だ。以前、ビートルズの新譜《ラヴ》(2006)を予約したら、半年近く待たされた。「聴いてみたいが買う(レンタルする)ほどではな い」という利用者がそれだけ多かったということか。
●中山康樹《マイルスを聴け! Version 8〔双葉文庫〕》(双葉社、2008年9月28日)が出た(2年前の後記で もVersion 7に触れている)。マイルス・デイヴィスの命日となった日は以前から私にとって特別の日なので、忘れることはない。中山氏のライフワークが2年に一度、装 いも新たにバージョンアップを続けているのは頼もしいかぎりだ。私は2004年のVersion 6でマイルスの音源に親しんだ者なので、その版がいちばん懐かしいが、Version 8も大いに楽しませてもらうつもりだ。

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編集後記 70(2008年8月31日更新時)

《僧侶》の本文について書いた。現時点で《僧侶》全篇 を新刊として書店で入手しようとしたら、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》《続・吉岡実詩集〔現代詩文庫129〕》(と もに思潮社)の2冊の選集を求めて、前者の〈告白/仕事/伝説/僧侶/単純/夏/固形/苦力/聖家族/喪服/感傷/死児〉と後者の〈喜劇/島/冬の絵/牧 歌/回復/美しい旅/人質〉を詩集の目次順に読まないことには全体像がつかめない。《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)の復刊とまでは言わないが、 《僧侶》全篇が読める一冊本が望まれる所以だ。
西 脇順三郎全集の装丁について書いた。そこでは触れなかったが、西脇の詩集でいちばん感心するのが《Ambarvalia[アムバルワリア]・旅人かへらず〔講談社文芸文庫〕》(講談社、1995)という、 代表的な二詩集を完全収録した文庫本だ。吉岡実における前期詩集《静物・僧侶》といったところだろうか(中期と後期を代表する《サフラン摘み・薬玉》とい うカップリングも捨てがたい)。
湯川成一氏が亡くなってからインターネットでいろいろな文章 を目にしているうちに、富岡多恵子《壺中庵異聞》が読みたくなった。いつか読もういや読まねばならぬと思いつつ、縁がなくて手にすることのない 本などいくらでもあるが、本書がその一冊だったのだからお恥ずかしいかぎりだ。本を書くことも尋常でなければ、まして本を造ることも尋常でないと感じ入ら せる「異聞」である。
●この夏も暑い。永田耕衣に宛てて「このところ、晴天つづきで、空梅雨になりそうです。小生人一倍、「水」のことを考えているので、夏の水不足が心配で す」(1980年6月25日渋谷局消印葉書)と憂えていた吉岡実なら、年年気温が高くなっている近頃の夏をなんと言っただろうか。
●吉岡実の詩集の題名に季節が織りこまれているのは《夏の宴》(青土社、1979)だけだ。本書が出版された当時は「夏」というより「引用の秋」という感 じだったが、最近ではとんでもない傑作という印象を強くしている。――「「一度書かれた言葉は消すな!」/身のまわりから/筆記具を片づける/そして/百 年前に見た男のように/ぼくは焼火箸を地へ突き入れる/八月は逝く」(〈雷雨の姿を見よ〉H・14)など、この年齢になってようやく有り難味がわかるとい うものである。
●前の会社で同僚だった大森裕二さんが造本設計・装丁した堀田正敦(1755-1832)著・鈴木道男編著《江戸鳥類大図鑑――よみがえる江戸鳥学の精華『観文禽譜』》(平 凡社、2006)が、ドイツはライプチヒで開かれた〈世界で最も美しい本展〉で銀賞を受賞したのは2008年2月だった。本書に掲載された図版点数1,170が驚異的なのは もちろんだが、昨日描かれたような禽譜の印刷も見事である。先ごろ開かれた大森さんの受賞をお祝いする会に、制作に携わったス タッフをはじめ、昔の仲間30人ほどがつどった。大森さん、おめでとうございます。また一緒に仕事しましょう。

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編集後記 69(2008年7月31日更新時)

吉岡実と本郷・湯島について書いた。吉岡が学校を出て すぐに奉公した南山堂は、当時の本郷区龍岡町(現在の文京区湯島4丁目)にあった。龍岡町といえば森鴎外や馬場孤蝶(博文館版《一葉全集》の校訂者)、さ らに宮澤賢治の年譜に見える地名だ。一葉ゆかりの法真寺もほど近い。
●その註で吉岡が卒業した「本所高等小学校」に触れたが、書家の金子鴎亭(1906〜2001)の年譜に「一九三二年(昭和七) 26歳 五月 上京、本所高等小学校に代用教員となる。〔比田井〕天来の書学院にて書の研究に励む」(矢壁柏雲《評伝 金子鴎亭――近代詩文書を拓く》、毎日新聞社、1992年12月20日、二〇三ページ)とある。吉岡は昭和7年、同校に入学しているから、まさに同時期に 教員と在校生となったわけだ。同年の吉岡実年譜には「二階に先住の盛岡出身の青年、佐藤樹光(春陵のち書家・油桃子)の影響で文学に親しむ。樹光は書道を 勉強しながら筆耕で生計をたて、ゴーリキーの『どん底』や『母』など、本をよく読んでくれた」(吉岡陽子編)とあるものの、「夢香洲書塾(佐藤春陵宅)に 身を寄せ書塾を手伝う」(同前)のは南山堂を退社した昭和13年、19歳の年だ。吉岡は金子鴎亭に言及しておらず、吉岡と書道との関わりは今後の課題とし たい。
入 沢康夫詩集《「月」そのほかの詩》の装丁について書いた。近作の詩集《かりのそらね》(思潮社、2007)の「2冊で一作品」の装丁も心愉しい(装画は梶山俊夫氏だが、装丁者名 はない)。
●南伸坊《装丁/南伸坊》(フレーベル館、2001年3月1日)につげ義春作品集の装丁が2点掲載されている (1975年の青林堂版と2000年の青林工藝舎版《ねじ式》)。 南氏は1972年に青林堂に入社して、いきなり《ガロ》のレイアウト・表紙デザインを任されたという。「豪華本の装丁も、かまわず任された。/『つげ義春 作品集』がそんな頃の仕事。金色込みの6色刷のカバー、表紙はクロス貼りダンボール箱にシルクスクリーン2色刷のラベルを貼った。「原価計算」というよう な考えはハナからない」。「クロス貼り、空押し、カバー四色描き下ろしイラスト、そのうえ函には、シルクスクリーン手刷り二色使いのラベルも貼った。/い まとなると、無意味なくらいに豪華仕様のゼイタク作りだ」(同書、八ページ・一九六ページ)。豪華本《つげ義春作品集》を、函つきで見てみたい。
●レッド・ツェッペリンが昨年12月、ロンドンはO2アリーナでの〈アーメット・アーティガン追悼コンサート〉で再結成したことは〈編集後記 62〉に書いた。その後、断片的にYouTubeで音と映像をチェックしてきた が、このほどDVDを入手した(〈レッド・ツェッペリン / O2 ARENA,LONDON 12.10.2007 [DEFINITIVE EDITION] (2DVD-R)〉)。13のソース(ビデオ4とオーディオ9) を使用した「リミックスヴァージョン」だ。このDVDをツェッペリン側が公式にリリースするはずもなく、もちろん ブートレグだが、草創期のLPレコードのブートを知る者にとっては隔世の感がある。演奏ではアンコール1曲目の〈胸いっぱいの愛を〉が、恒例のロックン ロールメドレーを挿むこともなく、ペイジのギターとジョーンズのベースが鉄壁のリフを刻み、タイト(にしてルース)で素晴らしい。

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編集後記 68(2008年6月30日更新時)

〈吉岡実とつげ義春〉を書いた。先だって谷内六郎の漫画について書いたが、吉岡実は漫画家として谷内とつげ にしか言及しておらず(手塚治虫にさえ触れていない!)、二人がいかに重要な作家であったかを物語っている。つげ漫画は30年ほど前に小学館文庫で読んだ きりだったが、これを機会に筑摩書房の《つげ義春全集》で読みかえした。A6とA5サイズとではなにかが決定的に異なっている。それは〈夢の散歩〉 (傑作である)のような白っぽい絵ではあまり気にならないが、描きこんだ絵では大きな違いとなる。菊地信義装丁の《つげ義春全集》が欲しくなって困った。
岩 成達也詩集の装丁に ついて書いた。そこでは紹介しなかったが、300部限定の《燃焼に関する三つの断片》(書肆山田、1971)を古書で入手した。表紙特漉耳付局紙、本文特 漉局紙・アンカット。12ポ活字でゆったりと組んだ本文は見事な出来映えで、造本も好ましい。これを見たであろう吉岡実も、書肆山田(当時の発行人は山田 耕一氏)の本造りに惚れこんだに違いない。
●《資生堂宣伝史〔全V冊〕》(資生堂、1979)に吉岡実が寄稿しているとオークションの通知メールにあった。Vが〈花椿抄〉だから、1962年7月号 の《花椿》掲載の詩篇〈塩と藻の岸べで〉(I・9)の再録ではないかと見当をつけて国会図書館で閲覧してみると、案の定そうだった。その情報を《吉岡実書誌》の〈主要作品収録書目録〉に追加したことはいうまでもない。
●全V巻から成る古川日出男の小説《アラビアの夜の種族〔角川文庫〕》(角川書店、2006)を読んだ。「あるのは過去(の一瞬)。あるのは未 来(の一瞬)。/現在はない。」(U、二一九〜二二〇ページ)。「はるかなる(過去) はるかなる(未来)/否/(すべてが現在だ)」(〈東風〉J・15)。
●NHK〈美の壺〉制作班編《文豪の装丁》(日本放送出版協会、2008年4月25日)を書店で見つけたので入手した。例によってテレビ 番組は見過ごしていたが(いつやったのだろう)、本だけでも楽しめる。とりわけ鈴木心氏による書影が素晴らしい。印刷は大日本印刷で、これも見事だ。
●同じくNHK〈趣味悠々〉のテキスト《お気に入りをとじる――やさしい製本入門》(日 本放送出版協会、2008年6月1日)が出ている。瀧口修造に捧げられた《雷鳴の頸飾り》(吉岡実の詩篇〈「青と発音する」〉(H・27)を収録)の、藤 井敬子講師によるルリユールが掲載されているのも楽しい。番組は全9回で、現在放映中だ(2008年6月〜7月)。もちろん録画して観ている。
●エルトン・ジョンが《Goin' Home:A Tribute to Fats Domino》(2007)でファッツ・ドミノのヒット曲〈ブルーベリー・ヒル〉(1956)をカバーしているのを聴いた(ピアノを弾く新旧のロッカーで は、はまりすぎの気味もあるが)。《油すましの独り言・・・。》やWikipediaの《Blueberry Hill (song)》を 見ると、ファッツ以前にもGene Autry(1941)のオリジナルやLouis Armstrong(1949)のバージョンがあり、以降にもElvis Presley(1957)やLed Zeppelin(1970)やThe Beach Boys(1976)など、総勢29のバージョンが挙げられている。わが美空ひばりも《ジャズ&スタンダード》(1990〔録音は昭和30年代か〕)でカ バーしている。映像ではやはり《YouTube - Fats Domino - Blueberry hill》のファッツ・ドミノだ。

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編集後記 67(2008年5月31日更新時)

〈吉岡実と土方巽〉を 書いた。詩人としての吉岡実に関わりの大きかった人物といえば、詩人の西脇順三郎、俳人の永田耕衣、舞踏家の土方巽だが、私は幸いにもこの3人の謦咳に接 することができた。西脇は講演会、耕衣は囲む会だったが、土方は《W-NOtation》のインタビュー取材に同行させてもらったのだ。編集長だった中原 蒼二さんが最近、ブログ〈吹ク風 ト、流ルル水ト。〉に「インタビューがあり、終了後、土方さんは質問項目に「死」がなくてよかった、とぽつんといった」と書いている。アスベスト 館での取材は1985年6月22日、土方死去の7箇月前のことである。
《一 葉全集》の装丁について書いた。そこでも触れたが、本全集の書名の書き文字は、空海の《請来目録》から来ている。吉岡はこれ以後、空海に限らず著 者以外の筆による書き文字を装丁に使っておらず、その意味でも吉岡実装丁史における重要な作品といえる。
●アスベスト館編集の詩画集《あんま――愛欲を支える劇場の話》(暗黒舞踏派十周年記念詩画集刊行会、1968年12月1日)が喇嘛舎か ら1,200,000円で出品されている。目録にはこうある。「オリジナル詩画集あんま 土方巽のために 池田満寿夫・加納光於・中西夏之・中村宏・野中ユリ・三木富雄・滝口修造・吉岡実・三好豊一郎・加藤郁乎 デザイン田中一光/1968/限定50 2重箱 オリジナル版画他 各署名入り 外ダンボール箱シミアリ」。まさしく「極端なる豪奢」!
石 井輝男監督の映画、土方巽が菰田丈五郎役で出演した《江戸川乱 歩全集 恐怖奇形人間》を輸入DVDで観た(英語題名は“HORRORS OF MALFORMED MEN”Wikipediaに は「地上波では未放送で日本ではソフト化されていないが」、「2007年、Synapse FilmsによりDVDが全米発売された」とある)。吉岡実は映画《恐怖奇形人間》を1969年11月7日の金曜日、渋谷の東映で観ている(《土方巽 頌》、三七ページ参照)。演技する土方(荒磯で踊ってもいる)がクリアに見られる数少ない映像のひとつで、国内外でカルト的な人気を誇るのもうなずける。 とてつもない怪作だ。
●ザ・ホワイト・ストライプスとザ・ストロークスの近作CD、それぞれ3枚を交互に聴いている。音楽は、能動的に受容しないと、10代20代に聴いた傾向 (その代表が1970年前後の英米ロック)ばかりということになってしまう。そこで意図的に自分に新しい傾向を試みて、最近はジャズの名盤をかける機会が 多かったが、同時代のロックの出番となった。ジャック・ホワイトのギターは、ジミー・ペイジが称揚するだけのことはある。ストロークスの方は、ザ・カーズ を連想させる。
●今日、5月31日は吉岡実の祥月命日である。先日、キトラ文庫で入手した《土方巽頌》(初版第二刷、1987年12月10日)をひもといてみることにし よう。

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編集後記 66(2008年4月30日更新時)

〈吉岡実編集の谷内六郎漫画〉を書いた。《谷内六郎オフィッシャルサイト》を運営する長女の広美さんから、《シンジツイチロークン》と《笛吹き小次 郎》の奥付のコピーをお送りいただいた。そのおかげで、書誌に正確を期すことができた。谷内さん、どうもありがとう。
●稲田奈緒美《土方巽 絶後の身体》(日 本放送出版協会、2008年2月25日)が出た。600ページ近いこの評伝の出現は、ひとつの事件である。「土方巽は一九五〇年代末より前衛舞踊の旗手と して、劇場、街、野山を駆けめぐり、その場に凄烈な痕跡を残してきた。前衛舞踊はやがて暗黒舞踏と呼ばれ、〔……〕吉岡実〔……〕ら文学者や、中西夏之 〔……〕ら多くの前衛芸術家を引き寄せる」(本書、四〜五ページ)と序にある本書を、《土方巽頌》の著者ならどう読んだだろうか。
●深井人詩さんが編集する《文献探索2007》(金 沢文圃閣、2008年3月31日)が発行された。2007年6月の〈編集後記 56〉で触 れた〈個人書誌《吉岡実の詩の世界》をwebサイトにつくる〉が掲載されているので、本サイトの生成に興味をお持ちのかたはご覧いただけるとありがたい。 ただし本体価格5,000円と高額なので、愛知県図書館から早稲田大学図書館までの寄贈100館(国会図書 館や道府県立図書館などの国公立図書館が中心)でお読みいただいてもいいと思う。
●菊地信義さんの《新・装幀談義》(白 水社、2008年3月6日)を読んだ。〈図像〉の節にフランス装に触れた箇所がある。「〔平田俊子詩集『宝物』の〕タイトルの宝物といったイメージをあれ これ考えていたら、「包む」という行為にいきあたりました。造本のスタイルで本が包まれているのはフランス装。本フランス装は、表紙(カバー〔ジャケット のこと〕を兼ねる)がグラシンで包んでかぶせてあります。/本フランス装には、クラシックなヨーロッパのイメージがあります」(本書、一五一〜一五三ペー ジ)。包まれた本! 今はなき飯田橋の文鳥堂書店では、本を買うと、包装紙の天地を背の脇の2箇所鋏で切って背丈に合わせて折り、本の表紙より大きい部分 は、小口は被せて、天地は角を畳んで潜らせてから折りこみ(表紙がジャケットごと包装紙にくるまれる恰好である)、和風の「フランス装」(という言い方も 妙だが)のようにして手早く包んで渡してくれたものだ。
●扉野良人〈全著快読 梅崎春生を読む(26)――事実は小説よりも奇なり〉《柾它希家の人々》の ことが出てくる(ただし《M家の人々》として)。扉野氏によれば、著者は梅崎春生の新聞連載小説《つむじ風》のモデルとのことだが、そうした方面にまった く興味のない私にはこれといった感慨もない。梅崎文学ということなら、1954年8月発表の短篇小説〈突堤にて〉(手近なところでは《ちくま日本文学全 集》の梅崎の巻で読める)の「医者はその〔肺尖カタルの予後の〕僕に、特に魚釣りに精励せよと命令したのではないが、僕の方で勝手に魚釣りなどが予後には 適当(オゾンもたっぷりあるし)だろうと、ムキになって防波堤に通っていたわけだ」という一節や、末尾の「〔日の丸〕オヤジの釣道具、放棄したビクや釣竿 などは、誰も手をつけないまま、三日ほど突堤上に日ざらしになっていた。そして三日目の夜の嵐で海中にすっかり吹っ飛んでしまったらしい。四日目にやって 来たら、もう見えなくなってしまっていた」というあたり、吉岡実の同じ題の詩的散文〈突堤にて〉(1962年1月発表)を想わせずにはいない。とはいうも のの、「同名異人」の気配濃厚だ。
●来月末で吉岡実歿後18年になる。なにか記念になる記事を掲載したいと思う。

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編集後記 65(2008年3月31日更新時)

吉田健男の装丁作品に ついて書いた。吉岡実が編集を担当した《小学生全集》(1951年7月〜1957年11月)は50年以上前の児童書で、古書でもなかなか入手しにくいが、 今回は区立図書館経由で都立図書館の所蔵本を何冊か借り出して読むことができた。また、国立国会図書館の国際子ども図書館でも閲覧した。《ことばの学校》 の3刷本(1956年4月30日刊)の奥付裏広告を摘する。

筑摩書房の小学生全集 全百巻/既刊80巻/前期五十巻を好評裡に完結した子供のための一大家庭図書自由分売

安倍能成・志賀直哉・中谷宇吉郎監修/小学生全集後期50巻 A5判函入美本口絵挿絵豊富価190円

51 山の湖 坪田譲治/〔……〕/80 科学をすすめた人びと 小川豊

以下続刊として、巻数表示なしの19タイトル20冊の書名・著者名が掲げられ、最後に「全巻目録進呈」とある。《小学生全集》全巻目録は未見だが、 おそらく吉岡の手になるものだろう。
●雨上がりの晴れた日曜の午前中のような清岡卓行の詩作品を全詩集で読みかえした。《日常》巻末の〈地球儀〉の「たとえば、春から夏への駈足の季節。池の ほとりに、柳の綿がふわふわ飛んでいるかと思うと、やがて、空いっぱいを黄色くして吹き荒れた蒙古風。それが過ぎ去ると、眼に痛いほど青く静まり返ってい た空。〔……〕雨は、その頃、激しく短かかった。濡れた赤煉瓦の家は、壁の色を渋く曇らせ、束の間の悲しみの表情をして見せた」という一節は、9年前の夏 に訪れた大連の街を私の裡に立ちあがらせる。思潮社の35周年のパーティ会場でただ一度お見かけした清岡さんは、大岡信さんと懐かしそうに話しこんでい た。《鰐》の同人には、吉岡・清岡・大岡と「岡」を姓にもつ詩人が3人もいたのだ。あとの二人は飯島・岩田と、ともに「い」で始まる姓である。
●《筑摩書房図書目録2008》は2007年12月現在在庫のある、文庫と新書を除いた図書の総目録だが、吉岡実の著書は掲載されていない。《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》《吉岡実全詩集》はともかく、筑摩叢書の《「死児」という絵〔増補版〕》が入手できないというのは痛い。
●〈何でもランキング――光に映える夜桜の名所〉(《日本経済新聞》、2008年3月15日)のベスト10中2位に高遠城址公園(長野県伊那市)が入って いて、「同所の固有種「タカトオコヒガンザクラ」が約1500本。4月中旬以降2週間程度(日没から午後10時)」(〈NIKKEI プラス 1〉、s1面)とある。吉岡実は〈高遠の桜のころ〉(初出は《鷹》1976年4月号)で「宿にもどり入浴と夕食を早々にすませ、私と妻は夜桜見物に出かけ た。そして赤い雪洞の灯った野趣にみちた、芝居の書割りの世界へ入っていった」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、二八〜二九ペー ジ)と書いている。
●ときどき無性に読みかえしたくなる本のひとつに、福永武彦《意中の文士たち[上・下]》がある。上巻(卓抜な鴎外論を収める)の〈序〉の一節にこうあ る。「なお諸家の引用文は、漢字は新漢字に改めたものの、仮名遣いは原文のまま歴史的仮名遣い(ルビを含めて)を踏襲してある。その漢字も、作家名や、題 名中に含まれる人名などは、正字を用いている。読むのにやや煩瑣かもしれないが、これも私の先人に対する敬意から出たことゆえ、読者諸氏の諒承を得たい」 (《鴎外・漱石・龍之介――意中の文士たち[上]〔講談社文芸文庫〕》(講 談社、1994年7月10日、八ページ)。肝心の書名のカモメが正字で表示できないのは腹立たしいかぎりだが、本サイトの表記の基本方針も福永のそれと同 じである(ただし福永は晩年、歴史的仮名遣いで執筆・発表した)。近年、ウェブだけでなく、印刷物で「芥川竜之介」だの「渋沢竜彦」だのを見かけるのは、 寒心に堪えない。

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編集後記 64(2008年2月29日更新時)

〈吉岡実とエズラ・パウンド〉西 脇順三郎詩集の装丁について書いた。ちなみに新倉俊一訳《エズラ・パウンド詩集》(角川書店、1976)の「装幀・口絵」は西脇順三郎である。
●今年は1958年に《僧侶》が刊行されてからちょうど50年である。吉岡実は《僧侶》の後、《サフラン摘み》(1976)や《薬玉》(1983)などエ ポックをなす作を上梓したが、今でも吉岡の代表作としてこの詩集を挙げる人が多いのではあるまいか。これから《僧侶》についてじっくり考え、できることな ら小型でもいいから〈吉岡実詩集《僧侶》評釈〉を書いてみたい。
●菊地信義《みんなの「生きる」をデザインしよう》(白 水社、2007年3月10日)を読んだ。「二〇〇五年十月十九日、NHKで放映された「課外授業 ようこそ先輩」シリーズ、「自分の『生きる』を表紙にし よう」をもとに、大幅に加筆・修正したもの」(本書、〔二五四〕ページ)だが、テレビは見のがしていた。別丁本扉よりあとの本文ページに明朝体だけ使って いるのは、著者自装である以上、「本体ではゴチックを用いない」という明確な主張である(ジャケットや本扉では、著者名・出版社名にゴチック系を使用)。 菊地さんの《装幀談義》(筑 摩書房、1986)は折に触れて読みかえす本だが、先日、古書店で文庫版を入手してまた読んでしまった。「〔……〕やっぱり本というのは、どこか品があっ て、格があって落ち着いて、そこに相対して心を澄ましてくれるような印象が、まず第一になければいけないと思うんです。それはなにも、いわゆる古めかしい という意味じゃなくて、常にその時代時代のなかにある視覚の環境のなかで、時代の流行を一方で意識しながら、結果として落ち着かせる方につくということだ と思うんですね」(筑摩書房〔ちくま文庫〕、1990年4月24日、一八三ページ)からは、吉岡実がめざした「飽きのこない装丁」が想い起こされる。
●かわじもとたか編《装丁家で探す本――古書目録にみた装丁家たち》(杉並けやき出版、2007)は1000人を超える装丁家 (装画の作者を含む)の装丁した書目を掲載した労作である。吉岡実の項には《液體》から巖谷國士《澁澤龍彦考》までの43冊が挙げられている(なお詩集 《ポール・クレーの食卓》は《吉岡実書誌》に も書いたように、吉岡の装丁ではない。また三好達治句集《柿の花》が2度登場するのは重複カウント)。おそらく原本に当たっていないため、書目によっては 刊行時期が不正確なのには眼をつぶるとしても、吉岡実の歿年を「平成11年・1999」(本書、三二一ページ)と誤っているのはいただけない。幸い全冊と も《吉岡実書誌》の〈装丁作品目録〉に掲載してあるので、かわじさん の書式(西暦と和暦の表示が混在しているうえ、刊行順でもないのはどうしたわけだろう)に則って、私なりにリスト化してみよう。

吉岡実(實) (詩人・装丁家 よしおかみのる 大正8年4月・1919〜平成2年5月・1990)

吉岡実『液體』 昭和16年12月 草蝉舎
吉岡実『静物』 昭和30年8月 私家版
吉岡実『魚藍』 昭和34年5月 私家版
太宰治『太宰治全集』 1955年10月〜 筑摩書房
村岡空『あいうえお』 昭和35年5月 世代社
壺井繁治『風船』限定500 1957年6月 筑摩書房
入沢康夫『詩集 古い土地』 昭和36年10月 梁山泊
吉岡実『詩集 紡錘形』 1962年9月 草蝉舎
石垣りん『詩集 表札など』 昭和43年12月 思潮社
西脇順三郎『西脇順三郎全集』全10巻 1971年3月〜 筑摩書房
宮澤賢治『校本 宮澤賢治全集』 昭和48年5月〜 筑摩書房
天澤退二郎『天澤退二郎詩集』 昭和47年2月 青土社
天澤退二郎『「評伝オルフェ」の試み』 昭和49年9月 書肆山田
川口澄子『待時間』300部 昭和49年6月 思潮社
草野心平『凹凸』 昭和49年10月 筑摩書房
吉岡実『異霊祭』101部 昭和49年7月 書肆山田
三好達治『詩集 百たびののち』680部 昭和50年7月 筑摩書房
宮川淳『引用の織物』 1975年3月 筑摩書房
吉岡実『サフラン摘み』 1976年9月 青土社
飯島耕一『ウイリアム・ブレイクを憶い出す詩』 1976年3月 書肆山田
三好達治『句集 柿の花』500部 昭和51年6月 筑摩書房
壺井繁治『老齢詩抄』 昭和51年8月 八坂書房
吉岡実『詩集 神秘的な時代の詩』 昭和51年8月 書肆山田
前登志夫『歌集 繩文紀』 昭和52年11月 白玉書房
赤江瀑『海峡』 昭和58年8月 白水社
那珂太郎『定本那珂太郎詩集』限定980部 昭和53年7月 小沢書店
西脇順三郎『詩集 人類』1200部 昭和54年6月 筑摩書房
西脇順三郎『詩集 宝石の眠り』 昭和54年11月 花曜社
渡辺武信『詩集 過ぎゆく日々』昭和55年10月 矢立出版
大岡信『詩集 水府 みえないまち』 1981年7月  思潮社
澁澤龍彦『城――夢想と現実のモニュメント』 昭和56年11月 白水社
塚本邦雄『半島――成り剰れるものの悲劇』 1981年12月 白水社
中井英夫『墓地』 1981年10月 白水社
入沢康夫『死者たちの群がる風景』700部 昭和57年10月 河出書房新社
金井美恵子『花火』 1983年4月 書肆山田
皆川博子『壁――旅芝居殺人事件』 1984年9月 白水社
土方巽『病める舞姫』 昭和58年3月 白水社
谷田昌平『回想 戦後の文学』 昭和63年4月 筑摩書房
土方巽『美貌の青空』 1987年1月 筑摩書房
吉岡実『土方巽頌』 1987年9月 筑摩書房
巖谷國士『澁澤龍彦考』 平成2年2月 河出書房新社

若き日の吉岡実の友人で、早逝した吉田健男の 装丁作品が7冊――小山清《落穂拾ひ》(筑摩書房、1953年6月10日)、武田泰淳《愛と誓い》(同、同年7月5日)、田宮虎彦《卯の花くたし》(同、1954年2月15日)、椎名 麟三《自由の彼方で》(大日本雄弁会講談社、同年3月10日)、井上靖《昨日と明日の間》(朝日新聞社、同年4月10日)、 小山清《小さな町》(筑摩書房、同年4月15日)、中野重治《むらぎも》(大日本雄弁会講談社、同年9月25日)――挙げてあるのは、まことにもってあり がたい。「出版流通の動脈を握る大手取次でも、装丁の情報はデータベース化できない」(多田明〈本の販促、装丁家に着目〉、《日本経済新聞》2008年2月10日、19面)だけ に、ジャケットなど表紙まわりの装丁・装画、中面の口絵・挿絵、そして本文のレイアウトを含む装本作家のデータベースが充実してい くことを期待したい。

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編集後記 63(2008年1月31日更新時)

《〈吉岡実〉を語る》に三好豊一郎のことを書いた。三 好には「詩人が書いた伝説絵本」の〈絵本・どうぶつ伝説集〔全8巻〕〉シリーズの《かっぱの伝説》(すばる書房、1989)という一冊があって、画家の久米宏一氏と組んで再話を担当してい る。本シリーズよりも時期的には早いが、1980年ころ吉岡実にも太田大八さんとの絵本(再話ではなくオリジナルか)という幻の企画があったと聞く。
●野村麻里編《作家の別腹――文豪の愛した東京・あの味〔光文社知恵の森文庫〕》(光 文社、2007年11月20日)の口絵に、吉岡実が〈ひるめし〉に書いた神田餃子屋の餃子がカラー写真で掲載されている。編者が〈ひがな一日、神保町で過 ごす〉で吉岡が本篇を書いたのは「40年近く前」としているのは、初出が1977年だから、「30年前」だろう。「吉岡実と餃子」であれば、 moondialさんの〈吉 岡実と餃子ライス〉を ぜひ併読されたい。道玄坂・トップで吉岡さんとコーヒーを飲んでいるうち想わず話が長びき、「何か食べる?」と誘っていただいたことがある。大詩人を前に して食事が喉を通るはずもなく、遠慮するしかなかったが、あのとき「餃子ライス」でも、「《喜楽》(渋谷・道玄坂)の野菜のたっぷり入ったもやしそば」 (秋元幸人さんの《吉岡実と森茉莉と》による)でもご一緒しておけばよかった、と今にして思う。
●白石かずこ《詩の風景・詩人の肖像》(書 肆山田、2007年11月10日)には、内外15の詩人のひとりとして吉岡実が登場する。そこで引用されている作品(抄録を含む)は「微熱ある……」(1句)、〈僧 侶〉、〈風景〉(A・19)、〈挽歌〉(B・12)、〈苦力〉、〈聖家族〉、〈死児〉、〈老人頌〉、〈紡錘形T〉、〈呪婚歌〉、〈劇のためのト 書の試み〉、〈馬・春の絵〉、〈わが馬ニコルスの思い出〉、〈夢のアステリスク〉、〈裸子植物〉、〈青枝篇〉、〈薬玉〉、〈産霊(むすび)〉、「灰皿 に……」(1首)の各篇で、《サフラン摘み》からの引用がなく、「馬」をめぐる詩篇の多いことが注目される。白石さんの新著は、詩人論・人物論としてもア ンソロジーとしても重厚な一冊である。
●小説家の古川日出男氏は「2006年に入って「朗読ギグ」と呼ばれる自作の音読イベントを積極的に行って」(《Wikipedia》)いるが、《新潮》2008年1月号特別付録CD の《詩聖/詩声――日本近現代名詩選》で、吉岡の雄篇〈わが馬ニコルスの思い出〉を朗読している。これは聴き物である。
●古書 落穂舎が《日本の古本屋》に吉岡実の詩集《紡錘形》を出品している。なんと「福永武彦宛献呈署名」入りである。家から近いので見に行きたいところだが、通 信販売専門店なので手に取れないのが残念だ。目録に曰く「紡錘形 詩集/吉岡 實、草蝉舎、昭37/限定400部〈福永武彦宛献呈署名〉初版函/古書 落穂舎  95,000円」。福永は筑摩書房から1960年に《古典日本文学全集〔第1巻〕》の〈古代歌謡〉を、翌年に《同〔第18巻〕》の〈お伽草子〉3篇を訳している (装丁は庫田叕)。《新選現代日本文学全集〔第32巻〕》(1960、装丁は恩地孝四郎・恩地邦郎)には短篇〈世界の終り〉を収録してい るが、単独の著書はないから、吉岡とは小説家と詩人の関係だろう。《廃市》(1984)を撮った大林宣彦さんから、ともに成城に住んでいながら、敬愛する 福永とはついに会わなかった、と成城のご自宅でうかがったことがある。吉岡さんに、福永と面識があったかは訊きもらした(福永武彦が活字のうえで吉岡実に 触れたことはない)。

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編集後記 62(2007年12月31日更新時)

●12月に入ってから、5周年(11月30日)時点の本サイトを全ページ、プリントアウトした。なにげなく見ていたら、開設時に活字文字認識ソフト を使って印刷物からデータ化した原稿に誤植を見つけた。恥を忍んで書けば、《吉岡実書誌》の一節 で「青土社」が「青士社」になっていたのである(今回の更新で修正した)。手でタイプした原稿なら、こんなことは絶対に起こりえないのだが。
●西崎憲編訳《エドガー・アラン・ポー短篇集〔ちくま文庫〕》(筑 摩書房、2007年5月10日)を読んだ。編訳者の解説に「〔「当惑[デイスタービング]」〕はポーの作品の普遍性を支えているのではないだろうか。なぜ なら、ポーの作品同様、人間にも恒久的な納得や結論は存在しないからであり、当惑しつづける存在だからである」(〈熱と虚無――エドガー・アラン・ポーと は何か〉、同書、二八五ページ)とあるのは、吉岡実の散文に見られるあの「当惑してしまう」を想わせて、興味深い。
●黒岩比佐子《編集者 国木田独歩の時代〔角川選書〕》(角 川書店、2007年12月10日)を読んだ。独歩といえば小説家という認識しかなかったが、本書の描く独歩の姿はまさしく雑誌の編集長のそれで(日本初の 本格的なグラフ誌《東洋画報》〜《近事画報》のほか、数誌を「同時に」手がけた超人!)、印刷メディアを生業とする文筆家の姿が活写されている。黒岩さん の調査は周到で、明治時代に疎い人間にもいろいろな連想を許すインデックスのような一冊になっている(装丁家・吉岡実を考えるためのヒントも多い)。参考 文献一覧、略年譜、人名索引の後付も充実している。
●最近まで、画像(JPEGファイル)は細部がよく見えるように、解像度の高いやや大きめの容量で作成していた。しかし、サイト開設以来5年が経過して点 数が300以上となり、画像フォルダ全体の容量も限界に近づいてきた。かくなるうえは、なるべく解像度を保ちつつ、既存の画像を軽くしたものに差し替える ことにした。今後も、吉岡実装丁作品の書影を中心とした掲載画像は、解像度よりも点数を優先する旨、ご理解いただきたい。なお、容量問題に対処するため、 急遽《〈吉岡実〉 の「本」》を別のサイト、ikobaならぬmikobaに移行することにした(万一、リンクに不具合があれば、早急に手直ししたい)。いい機会な ので、ついでに写真のキャプションまわりの整理統一も行なった。
●12月10日、レッド・ツェッペリンが再結成された(ロンドンはO2アリーナでの〈アーメット・アーティガン追悼コンサート〉)。私はツェッペリンのス テージを1971年の初来日と翌年の再来日の2度、観ている。初来日当時まだ珍しかったブートレグ(前にも書いた《Live on Blueberry Hill》) を聴きこんで初日に臨んだものの、なんの役にも立たなかった。F#のリフとあの雄叫びで〈移民の歌〉が始まった瞬間、すべてはぶっとんだ。渋谷陽一氏が言 うように、日本武道館の空間にマジックをかけることができたのはレッド・ツェッペリン(それも最盛期の)だけだったかもしれない。思い入れが強いだけに、 今回の一夜限りのパフォーマンスがどうだったのか気懸りである(2度のアンコールを含め全16曲を披露)。しばらくは、リリースされたばかりのCD《永遠の詩(狂熱のライヴ)〜最強盤》で なければ、ウイグルの歌かウズベクの音楽でも聴いて、心静かに過ごそう。――「ミック・ジャガーは〔……〕、アーティガンがレッド・ツェッペリンのような グループに興味を示したことは理解できるという。レッド・ツェッペリンも、基本的には「ブルース・ファン」だったからだ」(D・ウェイド、J・ピカー ディー著、林田ひめじ訳《アトランティック・レコード物語》、早川書房、1992年6月30日、二八四ページ)。アーメット・アー ティガンはツェッペリンが所属したアトランティック・レコードの創設者である。

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編集後記 61(2007年11月30日更新時)

●《吉岡実の詩の世界》を開設して丸5年が経過した。閲覧していただいた方に改めて御礼申しあげる。本サイトの現状をご報告しておこう。開設時の総ページ数 (A4での印刷換算)は約139ページだったが、1年後には約243ページとほぼ1.7倍、2年後は約341ページで開設時の2.5倍、3年後は約474ページで同3.4倍、4年後は 約693ページで同5.0倍、5年後の現在は約803ページで開設時のほぼ5.8倍となっている。この5月には、完成に4半 世紀を要した《吉 岡実詩集《神秘的な時代の詩》評釈》を擱筆した。10月末にはアクセスカウンターの数値が20000を超えた。今後とも吉岡実と〈吉岡実〉に関す る新稿の掲載、既存情報の補綴に努めていきたい。
●秋元幸人さんの随筆集《吉岡実と森茉莉と》(思潮社、2007年10月25日)が刊行 された。装丁、とりわけジャケットの美しさに感じいった(堀辰雄や瀧口修造の造本を彷彿させる)。本書は、折りに触れてこ の《編集後記》に感想を綴った吉岡実関連の3篇と森茉莉関連の3篇(〈森茉莉と吉岡実〉を 含む)と〈小説西脇先生訪問記〉から成る。〈小説……〉は初読だったが、「先生は間もなく八十五歳になられるというのに、お元気で先客の久我青年と、西欧 の或る哲学者の言葉を、旧い書物で調べておられた」という吉岡の随想の一節を想起した。吉岡ファン必読の新刊である。
●本サイトでも西脇順三郎関連の記事が重なった。〈吉岡実と西脇順三 郎〉と《詩學》を取りあげた〈吉 岡実の装丁作品(50)〉である。吉岡の〈西脇順三郎アラベスク〔(追悼)〕〉を巻末に収めた《西脇順三郎コレクション〔第6巻〕》(慶應義塾大学出版会、2007年11月10日)の刊行を機に、西脇順 三郎と吉岡実の浅からぬ縁をたどってみた(新倉俊一さんの《西脇順三郎 絵画的旅》も同所から同日刊行)。いつの日か、DTPで《西脇順三郎アラベスク》私家限定1部 本を造ってみたい。
●前衛芸術家の風倉匠氏が去る11月13日、71歳で亡くなった。吉岡は《土方巽頌》に「私のまさしく知らないこの〔「実験的な舞台上の行為と、舞踏の試 み」の〕時代の土方巽と舞台の状況を、関係者や友人そして支持者たちの証言で綴ってみよう」(〈64 暗黒舞踏派宣言前後〉)と書いて、市川雅の文章を引 くことで、土方巽がソロで踊って風倉氏の胸に真赤な焼鏝を当てた〈敗戦記念晩餐会〉(国立市公民館、1962年8月)の舞台を紹介している。
●11月の毎週火曜日、NHK教育テレビの《〔NHK知るを楽しむ〕私のこだわり人物伝》で4回にわたって《澁澤龍彦 眼の宇宙》が放映された。四谷シモ ン・金子國義・細江英公・巖谷國士の4氏がこの「偏愛≠フ作家」を語るのが番組の趣向である。各氏の談話以外で興味深かったのは、写真では充分すぎるほ ど露出している澁澤邸内部の映像で、銀座・青木画廊の青木外司氏の話も面白かった(氏には、吉岡実詩の初出探索の際にお世話になった)。四谷・金子・細 江・巖谷4氏の談話は、放送ではエッセンスしか使用されないので、全貌を知りたい向きは日本放送出版協会発行のテキストを読むに如くはない。
●高校時代の仲間の一人が近年テナーサックスに身を入れているのだが、11月25日、BlueStonesと いうローリング・ストーンズのカバーバンドでステージデビューした(バンド自体も初のコンサート)。本家のストーンズは4人編成だが、BlueStonesは総勢8名と ライヴ向きである。〈ブラウン・シュガー〉からアンコールの〈ジャンピン・ジャック・フラッシュ〉まで全22曲、疾走し てたね、Kaho!

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編集後記 60(2007年10月31日更新時)

〈随想〈学舎喪失〉のこと〉を執筆するに際して、戦前 の東京市本所区を地図で調べた。地形社編《〔昭和十六年〕大東京区分図三十五区之内本所区詳細図》(日本統制地図、1941年5月15日)の復刻地図(昭 和礼文社、〔1994年12月〕)や《古地図・現代図で歩く 戦前 昭和東京散歩〔古地図ライブラリー別冊〕》(人文社、2004年1月)で当時 と現在を重ねあわせてみると、戦災で壊滅的な被害を受けた本所も、想いのほか昔日の街並みを残しているように感じられるが、どうだろうか。
《吉 岡実の装丁作品(49)》に 宮川淳の本のことを書くため、《美術史とその言説[ディスクール]》を読んだ。三晃印刷による本文9ポの活版印刷が見事だ(ノドのアキが狭いので、本文版 面を1行くらい小口側にずらしたい)。もっとも、8ポ組みの〈書誌〉に付した長文の註が7ポというのは、いくらなんでも小さすぎないか。読みづらいのは当 方の眼の加齢のせいだけではないだろう。
●土方巽の資料を集成したウェブサイト《土方巽アーカイヴ》で「吉岡実」を検索すると、45件がヒットする。未見の資料もあったので、図書館などで 調査して《吉岡実参考文献目録》に記載した。
《サフラン摘み》の2刷(奥付の表示は「再 版」、1976年10月15日発行)を古書で入手した。初版発行半月後の増刷は、本書の好評を伝えて余りある(帯は無かったが、初版 の帯文と同じだったのではあるまいか)。あとは5刷を帯付きで入手したい。インターネットで検索すると5刷は「1977年3月30日発行」とあるから、こ れが正しいなら4刷(2月20日発行)の翌月で、高見順賞受賞の反響がいかに大きかったかが窺われる。ふだん読む《サフラン摘み》は4刷本で、1977年 ころ西武新宿線・都立家政駅前にあった実用書やベストセラー小説が並ぶ間口一間の古本屋で手に入れた。話題の詩集を買ってはみたもののろくろく読まずに手 放したのか、美本だった。ちなみに初版は、高田馬場のビッグボックス2階にあった三省堂書店で刊行日に購入した。
●マシュー・パール著、鈴木恵訳《ポー・シャドウ(上・下)〔新潮文庫〕》(新 潮社、2007年10月1日)を読んだ。その帯文に曰く「わたしが真相を暴く――エドガー・A・ポーの「最後の五日間」に肉薄! 『ダンテ・クラブ』につ づく歴史スリラー巨編」、「わたしに危険が迫る――いま明かされる恐るべき策謀! 米文学史上最大の謎に用意された驚愕の大団円」。エドガー・ポーとくれ ば、BGMはもちろんアラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)の《怪奇と幻想の物語――エドガー・アラン・ポーの世界》、いやむしろAPPを去ってなお「APPの音世界」を 紡ぎつづける相方エリック・ウールフソンによる《Poe―More Tales of Mystery and Imagination》だ。
●秋元幸人さんの随筆集《吉岡実と森茉莉と》(思潮社)の予告が《現代詩手帖》11月号に掲載されている。《吉岡実アラベスク》(書肆山田、2002)以来5年ぶりの新著だけに、刊行が待たれる。
●さる10月29日、アクセスカウンターの数値が20000を超えた。訪問者の方方に深く感謝する。本サイトは来月で6周年を迎えるので、なにか記念にな る記事をアップしたいと思う。

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編集後記 59(2007年9月30日更新時)

●吉岡実の談話を新たに発見した。《映画芸術》(1969年3月号)の〈今月の作家論〉(鈴木志郎康執筆の足立正生論との二本立て)に寄せた〈純粋 と混沌――大和屋竺と新しい作家たち〉である。いずれ〈吉岡実と映画〉というテーマの文章で触れることができれば、と思う。
●前回の《アラビアンナイト》つながりで、リチャード・バートン関連の本を調べた。藤野幸雄《探検家リチャード・バートン〔新潮選書〕》(新潮社、1986)の、レーン版・ペイン版・バートン版の本文 (日本語訳)を比較した箇所が〈吉岡実と《アラビアンナイト》〉で 引用した箇所と同じだったのには驚いた。藤野氏の本を先に読んでいたら、違う訳文ながら、引くのを躊躇したかもしれない。バートンといえば、ジョン・ダニ ング著、宮脇孝雄訳の小説《失われし書庫〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕》(早川書房、2004)の〈バートンとチャーリー〉(作者はここ が書きたかったに違いない)も想い出される。
●ブログ《daily-sumus》で 林哲夫さんが〈通俗三国志〉、〈昏睡季節〉、〈棗の木の下〉((9月14日〜16日)、〈誰がジャズを殺したか〉(9月18日)、そして〈昏睡季節〉(9月21日)と5回にわたって 吉岡の《昏睡季節》に触れている(私もコピーなどの資料を提供した)。一冊の古書をめぐって、これだけの証言が集まるのは壮観 と言うしかない。それにしても、近年の《昏睡季節》の価格の高騰には目を瞠るものがある(落札価格が200万円とは!)。現代詩集の古書価では最高値か。
《吉岡実書誌》の 全著書・全編纂書の解題を書きおえたので、題名に付した「追記」執筆年月日(2004年5月31日〜2007年8月31日)を削除した。私の作業メモのよ うなものだったからだ。今後は吉岡実の新著が出た時点で(いつ?)、逐次〈書誌〉と〈解題〉を執筆・掲載することにしよう。
●グラフィックデザイナーの松田行正さんの著書にはレッド・ツェッペリンがよく出てくる。《眼の冒険――デザインの道具箱》(紀伊國屋書店、2005)には4枚めの アルバムのシンボルマークと《イン・スルー・ジ・アウトドア》の全6種類のジャケット写真が、《はじまりの物語――デザインの視線》(同、2007)には《プレゼンス》のジャケット に登場するオブジェへの言及とともに「事務所にあるツェッペリン御用達のオブジェ」(323/1000番)の写 真が掲載されている。数年前、インタビュー取材で松田さんのオフィスを訪ねたときは、ペイズリー仕上げのテレキャスターしか眼に入らなかったが。
●いっしょにバンドをやっている高校時代の友人が北京に赴任するので、大山甲日《大ザッパ論――20世紀鬼才音楽家の全体像》(工 作舎、1998)を贈った。私は友人ほどザッパの音楽に詳しくないのだが、20世紀のポピュラー音楽はマイルス・デイヴィスとフランク・ザッパとザ・ビー トルズがあれば充分ではないか、と想うことがある。ところで、本書の題名のヨミはNDL-OPACのように「ダイ ザッパ ロン」であって、紀伊國屋書店のように「オオザッパロン」ではない。大雑把論!

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編集後記 58(2007年8月31日更新時)