〈吉 岡実〉を語る(小林一郎 編)

最終更新日2012年1月31

吉岡実の手蹟 〔詩篇〈永遠の昼寝〉の清書原稿〕
吉岡実の手蹟 〔詩篇〈永遠の昼寝〉の清書原稿〕


目次

「H氏賞事件」と北川多喜子詩集《愛》のこと(小林一郎、2012年1月31日)

吉岡実詩集本文校異について(小林一郎、2011年12月31日)

吉岡実詩歌集《昏睡季節》本文校異(小林一郎、2011年11月30日)

吉岡実詩集《液体》本文校異(小林一郎、2011年10月31日)

城戸幡太郎《民生教育の立場から》のこと(小林一郎、2011年9月30日)

〈吉岡実文学館〉を考える(小林一郎、2011年8月31日)

吉岡実詩集《静物》本文校異(小林一郎、2011年7月31日)

吉岡実詩に登場する植物(小林一郎、2011年6月30日)

野平一郎作曲〈Dashu no sho, for voice and alto saxophone(2003)〉のこと(小林一郎、2011年5月31日)

吉岡実詩集《ムーンドロップ》本文校異(小林一郎、2011年4月30日)

吉岡実と吉屋信子(小林一郎、2011年3月31日)

吉岡実詩集《薬玉》本文校異(小林一郎、2011年2月28日)

吉岡実の未刊詩篇〈絵のなかの女〉を発見(小林一郎、2011年1月31日)

吉岡実詩集《ポール・クレーの食卓》本文校異(小林一郎、2010年12月31日)

吉岡実〈うまやはし日記〉本文校異(小林一郎、2010年11月30日)

マラルメ《骰子一擲》のこと(小林一郎、2010年10月31日)

吉岡実とフランシス・ベーコン(小林一郎、2010年9月30日)

《北海道の口碑伝説》のこと(小林一郎、2010年8月31日)

吉岡実と彫刻家(小林一郎、2010年7月31日)

吉岡実詩集《夏の宴》本文校異(小林一郎、2010年6月30日)

発言本文を除く《吉岡実トーキング》(小林一郎、2010年5月31日)

吉岡実と瀧口修造(3)(小林一郎、2010年4月30日)

吉岡実と瀧口修造(2)(小林一郎、2010年3月31日)

吉岡実と瀧口修造(1)(小林一郎、2010年2月28日)

吉岡実詩集《サフラン摘み》本文校異(小林一郎、2010年1月31日)

吉岡実の未刊行詩篇を発見(小林一郎、2009年12月31日)

吉岡実詩集《静かな家》本文校異(小林一郎、2009年11月30日)

吉岡実と《現代詩手帖》(小林一郎、2009年10月31日)

吉岡実〈〔自筆〕年譜〉のこと(小林一郎、2009年9月30日〔2009年10月 31日追記〕)

下田八郎の〈吉岡実論〉と〈模写〉の初出(小林一郎、2009年8月31日)

ケッセルの《昼顔》と詩篇〈感傷〉(小林一郎、2009年7月31日)

吉岡実歌集《魚藍》本文校異(小林一郎、2009年6月30日)

詩篇〈銀幕〉と梅木英治の銅版画(小林一郎、2009年5月31日)

大竹茂夫展と詩篇〈壁掛〉(小林一郎、2009年4月30日)

吉岡実詩集《紡錘形》本文校異(小林一郎、2009年3月31日)

吉岡実と片山健(小林一郎、2009年2月28日)

吉岡実とリルケ(小林一郎、2009年1月31日)

〈わたしの作詩法?〉校異(小林一郎、2008年12月31日)

吉岡実詩集《僧侶》本文校異(小林一郎、2008年11月30日)

青山政吉のこと(小林一郎、2008年10月31日〔2009年3月31日追記〕)

吉岡実の書(小林一郎、2008年9月30日)

現代日本名詩集大成版《僧侶》本文のこと(小林一郎、2008年8月31日)

吉岡実と本郷・湯島――〈吉岡実〉を歩く(小林一郎、2008年7月31日)

吉岡実とつげ義春(小林一郎、2008年6月30日)

吉岡実と土方巽(小林一郎、2008年5月31日〔2008年7月31日追記〕)

吉岡実編集の谷内六郎漫画(小林一郎、2008年4月30日)

吉田健男の装丁作品(小林一郎、2008年3月31日〔2010年8月31日追 記〕)

吉岡実とエズラ・パウンド(小林一郎、2008年2月29日)

吉岡実と三好豊一郎(小林一郎、2008年1月31日)

吉岡実と映画(1)(小林一郎、2007年12月31日)

吉岡実と西脇順三郎(小林一郎、2007年11月30日)

随想〈学舎喪失〉のこと(小林一郎、2007年10月31日)

吉岡実の愛唱歌(小林一郎、2007年9月30日)

吉岡実と《アラビアンナイト》(小林一郎、2007年8月31日)

リュシアン・クートーと二篇の吉岡実詩(小林一郎、2007年7月31日〔2011年6月30日追記〕)

《「死児」という絵〔増補版〕》の本文校訂(小林一郎、2007年6月30日)

吉岡実と澁澤龍彦(小林一郎、2007年5月31日)

吉岡実と吉田健男(小林一郎、2007年4月30日)

詩篇〈斑猫〉の手入れ稿(小林一郎、2007年3月31日)

吉岡実のスクラップブック(2)(小林一郎、2007年3月31日)

吉岡実のスクラップブック(1)(小林一郎、2007年2月28日)

《柾它希家の人々》のこと(小林一郎、2007年1月31日)

高見順賞受賞挨拶(小林一郎、2006年12月31日)

吉岡実の書簡(4)――《吉岡実詩集》のこと(小林一郎、2006年11月30日)

初期吉岡実詩と北園克衛・左川ちか(小林一郎、2006年10月31日〔2010年 11月30日追記〕)

吉岡実とサミュエル・ベケット(小林一郎、2006年9月30日)

吉岡実詩の鳥の名前(小林一郎、2006年8月31日)

鳥の名前(小林一郎、2006年7月31日)

吉岡実の短歌(小林一郎、2006年6月30日)

吉岡実と左川ちか(小林一郎、2006年5月31日)

吉岡実と富澤赤黄男(小林一郎、2006年4月30日)

吉岡実の「講演」と俳句選評(小林一郎、2006年3月31日)

吉岡実の〈小伝〉(小林一郎、2006年2月28日)

吉岡実散文の骨法(小林一郎、2006年1月31日)

吉岡実と音楽(小林一郎、2005年12月31日〔2006年3月31日追記〕)

吉岡実の書簡(3)(小林一郎、2005年11月30日)

吉岡実の書簡(2)(小林一郎、2005年10月31日)

吉岡実〈突堤にて〉校異(小林一郎、2005年9月30日〔2006年4月30日追 記〕)

吉岡実の書簡(1)(小林一郎、2005年8月31日)

吉岡実とジェイムズ・ジョイス(小林一郎、2005年7月31日)

詩篇〈死児〉の制作日(小林一郎、2005年6月30日)

吉岡実との談話(2)(小林一郎、2005年5月31日)

吉岡実との談話(1)(小林一郎、2005年4月30日)

吉岡実とオクタビオ・パス(小林一郎、2005年3月31日)

吉岡実の詩稿〈裸婦〉(小林一郎、2005年2月28日〔2005年5月31日追 記〕)

《土方巽頌》と荷風の〈杏花余香〉(小林一郎、2005年1月31日)

厩橋を歩く(1)(小林一郎、2004年12月31日)

小森俊明氏作曲の吉岡実の歌曲(小林一郎、2004年11月30日)

吉岡実詩の中国語訳(小林一郎、2004年10月31日)

吉岡実とナボコフ(小林一郎、2004年9月30日)

吉岡実の視聴覚資料(1)(小林一郎、2004年8月31日〔2007年4月30日 追記〕)

ポルノ小説《アリスの人生学校》(小林一郎、2004年7月31日)

吉岡実の未刊行詩三篇を発見(小林一郎、2004年6月30日〔2004年9月30 日追記〕)

吉岡実愛蔵の稀覯書(小林一郎、2004年5月31日)

「吉岡實」から「吉岡実」へ(小林一郎、2004年4月30日〔2008年1月31 日追記〕)

吉岡実の俳号(小林一郎、2004年4月30日〔2005年2月28日追記〕)

吉岡実と村野四郎(小林一郎、2004年3月31日)

吉岡実宛書簡〔1989年11月5日付〕(小林一郎、2004年2月29日)

もろだけんじ句集《樹霊半束》のこと(小林一郎、2004年1月31日)

村松嘉津《プロヷ〔ワに濁点〕ンス隨筆》(小林一郎、2003年12月31日 〔2004年7月31日追記〕)

北原白秋自選歌集《花樫》(小林一郎、2003年11月30日)

《ちくま》編集者・吉岡実(小林一郎、2003年10月31日)

インターネット上の「吉岡実」(小林一郎、2003年9月30日〔2003年10月 31日追記〕)

吉岡実と《金枝篇》(小林一郎、2003年8月31日)

吉岡実詩集《静物》稿本(小林一郎、2003年7月31日〔2010年6月30日追 記〕〔2011年7月31日追記〕)

2003年版〈吉岡実〉を探す方法(小林一郎、2003年6月30日)

〈詩人の白き肖像〉(小林一郎、2003年5月31日)

H氏賞選考委員・吉岡実(小林一郎、2003年5月31日)

〈父の戦友、吉岡実〉(平井英一さん、2003年4月22日)

〈首長族の病気〉のスルス(小林一郎、2003年4月15日)

〈波よ永遠に止れ〉本文のこと(小林一郎、2003年3月31日)

吉岡実の話し方(小林一郎、2003年2月28日)

吉岡実の拳玉(小林一郎、2003年2月28日〔2006年9月30日追記〕)

吉岡実本の帯文の変遷(小林一郎、2003年1月31日〔2004年9月30日追記〕)

画家クートと詩〈模写〉の初出(小林一郎、2002年12月31日)

吉岡実の年譜(小林一郎、 2002年11月12日)



「H氏賞事件」と北川多喜子詩集《愛》のこと(小林一郎、2012年1月31日)

吉岡実は1959年5月、詩集《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)で第9回H氏賞(当時の名称は「H賞」)を受賞したが、このことに関して驚くほど寡黙で、書籍として刊行された《「死児」という絵〔増補版〕》(筑摩書房、1988)でも《土方巽頌――〈日記〉と〈引用〉に依る》(同、1987)でも同賞の受賞に言及しておらず、未刊行の散文で二度触れているだけだ。
一九五八年詩集『僧侶』刊行。一九五九年五月、和田陽子と結婚。第九回H賞受賞。(〈小伝〉、《現代日本名詩集大成11》、東京創元社、1960年9月10日、三一〇ページ)

〔昭和三十四年〕三月三十日 木原孝一から電話、現代詩人協会に入る意志あるかと打診がある。入ればH賞をくれるらしい。いっとき、考えさせて貰う。どうも気に入らぬのでことわる。/三月三十一日 伊達得夫、清岡卓行来る。現代詩人協会に入って、H賞を受けろとのこと。友情に感謝するが翻意せず。/〔……〕/四月七日 現代詩人協会から改めてH賞を受けるようにと言ってくる。受諾し、伊達得夫へまず知らせる。その折、今日の詩人叢書の一冊として《吉岡実詩集》を出すこと決定。(〈断片・日記抄〉、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》、思潮社、1968年9月1日、一一九〜一二〇ページ)。
賞に対して恬淡としていた面はあるだろう。しかし、なによりも第9回H氏賞にまつわる「事件」を忌避する気持が、この沈黙に働いていなかったとはいえまい。草野心平に触れつつ吉岡が「H氏賞事件」について書いたのは、その晩年、1980年代のことである。「昭和三十四年 一九五九年 四十歳/初春、『僧侶』第九回H氏賞に推されるが辞退する。しかし友人らに奨められ、賞を受ける(いわゆる「H氏賞事件」起こり、草野心平の推輓を知る)」(〈年譜〉、《吉岡実〔現代の詩人1〕》、中央公論社、1984年1月20日、二三二ページ)。そして〈心平断章――「H氏賞事件」ほか〉の
 「H氏賞事件」と謂われる一寸としたことが「詩壇」で起った。私の『僧侶』の授賞をめぐって、「怪文書」が新聞社や関係者などに、配られたのだ。だいぶ後で私は知ったのだが――当夜の選考委員会の席に、草野心平が遅れて来て、「オレは『僧侶』に一票入れるよ」と言ったらしい。まだ票決の段階に入っていない時なので、一部の人から、それは「事前演説」であり、違反だということになった。それが事件の発端になったようだ。当時、私は「ユリイカ」周辺におり、既成の詩壇とは、一線を画していた。この「事件」を他人事のように外部から眺めていた。(《草野心平 るるる葬送〔現代詩読本〕》、思潮社、1989年3月1日、九〇〜九一ページ)
原稿を見ていないので断言できないが、副題「――「H氏賞事件」ほか」を付けたのは編集部で、吉岡がタイトルに書いたのは「心平断章」だけだったろう。それにしても、文中の「 」の多さは尋常ではない。吉岡はふだん、このような文章を決して書かない。いわゆる、ひとつの、を連発しているのは、この件に触れることが乗り気でなかった証しである。賞の主催団体である日本現代詩人会(当時は「現代詩人会」。吉岡が〈断片・日記抄〉で「現代詩人協会」と書いているのは誤り)のウェブページ《H氏賞事件 ――その経過と結果 | 日本現代詩人会》に事件のあらましが載っている。書籍で同じ内容を掲載しているのが鎗田清太郎・丸地守〈日本現代詩人会六〇年史〉(日本現代詩人会編《資料・現代の詩 2010》、『資料・現代の詩2010』刊行委員会日本現代詩人会、2010)だが、それによると、ことの発端は吉岡が書いたような草野心平の事前演説ではなく、事務担当・木原孝一の選挙運動と受けとられかねない行為(選考委員会招集のハガキに吉岡実・安水稔和・茨木のり子の三詩集の名が記されていた)にあった。草野にしても木原にしても他意はなく、単にH賞には《僧侶》がふさわしい(臆測をほしいままにすれば、《僧侶》にH賞を授与することが現代詩人会にとって箔が付く)とでも考えたのではないか。曲折があったものの、最終の無記名・単記投票の結果は《僧侶》が最多の7票、以下、北川多喜子詩集《愛》が5票、《吉本隆明詩集》が1票だった。鮎川信夫編集解説の《吉本隆明詩集〔今日の詩人双書3〕》(書肆ユリイカ、1958)はともかく、こんにち北川多喜子の第一詩集《愛》を誰が読むだろう。同書は国立国会図書館にも日本近代文学館にも所蔵されていないので、〈日本の古本屋〉で検索して古書を入手した。なお北川多喜子の著書をCiNii Booksで検索したところ該当作はなく、Webcat Plusで山本和夫編《現代少年詩集〔新日本少年少女文学全集40〕》(ポプラ社、1961)がヒットした(本書は未見)。

北川多喜子詩集《愛》(時間社、1958年12月29日)の表紙と同・挟み込み冊子《北川多喜子を理解するために(各界諸家推薦の言葉)》
北川多喜子詩集《愛》(時間社、1958年12月29日)の表紙と同・挟み込み冊子《北川多喜子を理解するために(各界諸家推薦の言葉)》

北川多喜子詩集《愛》(時間社、1958年12月29日)の仕様は、二三六×一六三ミリメートル・七六ページ・並製・紐で中綴じ・くるみ表紙がんだれ装。帯文(表1に式場隆三郎・田中絹代・武田泰淳、表4に草野心平・三好達治・村野四郎)。二色刷りの扉の裏に「デッサン 林武/装釘 原安佑」のクレジット。小扉のあとに西脇順三郎の〈序〉(4ページ)、深尾須磨子〈北川夫人〉(3ページ)、林武のデッサン(1ページ)。〈愛――日日の不安〉の扉のあとから本文が始まる。五燭の電燈/愛/脱出のねがい/対決/月/格闘/土の抵抗/断崖/海の顔/荒海/川/首/火刑/魔境/早春(本文、合計34ページ)。林武のデッサン(1ページ)。〈跋〉として井伏鱒二(2ページ)、小野十三郎(2ページ)、今村太平(1ページ)、田中澄江(1ページ)、大江満雄(3ページ)。〈あとがき〉が北川冬彦(2ページ)、多喜子(1ページ)。〈目次〉(2ページ)、末尾に再び「デッサン 林武/装釘 原安佑」のクレジット。二色刷りの奥付(1ページ)。本体と別にA5判10ページの《北川多喜子を理解するために(各界諸家推薦の言葉)》という挟み込み冊子が付く。本体の〈序〉〈跋〉〈デッサン〉〈装釘〉の人名がクレジットされている同冊子表紙の下方に、本書の概要が記されているので引く。「B5変形大型判,上質紙百斤,フランス装極美麗本,定価355円(改訂)〒32」。「B5変形大型判」「上質紙百斤」はいいとして、「極美麗本」かどうかも問わないとして、私の手にしている古書が原装だとすれば、断じて「フランス装」ではない。単なる中綴じである。挟み込み冊子《北川多喜子を理解するために(各界諸家推薦の言葉)》には、中根巖(医博、方南病院長)に始まり櫻井勝美(詩人/「時間」同人)に終わる51人の推薦の言葉が掲載されている。標題を引くのは煩に堪えないので、肩書き抜きで執筆者名のみ掲げる(掲載順。旧字は原文)。

中根巖/田中絹代/四家文子/武田泰淳/澤村貞子/三好達治/村野四郎/草野心平/北園克衛/式場隆三郎/塩月正雄/南博/金子光晴/藏原伸二郎/飯田心美/橋本忍/鐡指公藏/滋野辰彦/原安佑/高橋新吉/安西均/木原孝一/三井ふたばこ/上林猷夫/土橋治重/中村千尾/塚谷晃弘/小海永二/植草圭之助/飯島正/加藤玉枝/榮田清一郎/宇井英俊/小林勝/依田義賢/鎗田清太郎/安藤一郎/澁川驍/真壁仁/宮崎孝政/長江道太郎/扇谷義男/三好豊一郎/長島三芳/鵜澤覺/杉山市五郎/江頭彦造/町田志津子/影山誠治/長尾辰夫/櫻井勝美

推薦の言葉のなかから、第9回H氏賞の選考委員を務めた村野、草野、木原の三人の現代詩人会幹事と、選考には関わっていないがモダニズム詩の重鎮である北園の評を見よう。
○ 村野四郎(詩人)
 シュペルヴィエルの詩の中にある、生と死の仕切りを、できるだけ薄く透明にしたのは、リルケだと、マルセル・レイモンは書きましたが、北川多喜子さんの仕切りをとって了ったのは誰なのでしょう。
 多喜子さんはオルフェのように、その境を自由に出入りする。その様子が私たちに、ある時は、とても新鮮な知覚を与えます。(《北川多喜子を理解するために(各界諸家推薦の言葉)》、一〜二ページ)

○ 草野心平(詩人)
 無気味で温暖なこれら一聯の夢は、リアリティに裏打ちされてゐるために突飛でなくまっとうである。
 詩の可能性といふものは計り知れない。(同前、二ページ)

○ 北園克衛(詩人)
 この詩集は、次ぎの二つの理由から、文学的業蹟としての価値を高く買うものです。
 その一つは、「時間」が永い間主張してきたネオ・リアリズムの理論が非常にフレクシブルに肉化されて、散文詩としてのスタイルを完成している点です。このことは、この詩集の全作品がそれぞれ均整のある作品となっていることでも明かであります。それから他の一つの理由はこの著の簡潔で弾力性に富んだ詩的想像力の独自性にかかるものですが、単純で素朴な表現のなかに微妙なフィクションをモザイクのように構成しているのは極めで魅力です。(同前、二ページ)

劇的迫力を持つ詩集 木原孝一(詩人)
 北川多喜子氏のこの詩集の魅力のひとつは、ヴィジョンの鮮明さにあります。そのヴィジョンは頭のなかにムリヤリにつくりあげたというものではなく、きわめて自然に内部風景としてつかまえられています。そしてさらに注目すべきことは、その内部風景のなかでは、なにかが必ず動いている、ということです。そのために、読者はこの鮮明なヴィジョンを見つめたとき、同時に詩人の内的ドラマをありありと見せられてしまうわけです。
 私はこの幾つかの詩のなかに、アヴァンギャルド映画のシナリオと同質のものを感じとったことを告白しましよう。それはカラアでなく、モノトオンで製作されねばなりません。
 なぜなら、このようなヴィジョンをカラアで再現し得るような手腕を持つ映画作家は、残念ながらまだどこにもいないからです。そしてそれは現代詩人のなしとげねばならぬ特権的な仕事のひとつでもあります。(同前、四ページ)
肩書きの(詩人)が《愛》帯文担当の時間社の編集者の間違いではないかと目を疑うような文言のオンパレードだが、これが《時間》の主宰者・北川冬彦への挨拶だと考えれば理解できないでもない。しかし著書への礼状など(どこから見てもそうだ)、篋底に秘すべき性質のものであって、それをとくとくと冊子にまとめてどうしようというのか。《静物》(私家版、1955)を出しただけの吉岡実にはまだ《ユリイカ》周辺の知友しかなかったにしろ、版元の社主・伊達得夫は違う。「推薦の言葉」を依頼できる「各界の諸氏」も多かろう。《僧侶》は、詩篇本文のほかは目次と創作期間、初出一覧と著書目録、奥付だけで、帯文も序も後書きもない(吉岡と伊達以外で制作に関わったのは、函の写真を撮影した奈良原一高ただひとり)。これが見識というものだろう。結果的に事件の発端を用意した木原孝一は、当時《詩学》の編集者でもあったが、16年後、日本現代詩人会についての文章でH氏賞とH氏賞事件を次のように総括した。
昭和二十六年、匿名の某氏の後援によって、現代詩人会に詩人賞が設けられ、その第一回は「時間」の詩人、殿内芳樹の詩集『断層』と決定した。この詩人賞は、長い間、後援者が明らかにされなかったが、そのイニシァルをとってH氏賞と呼ばれることになった。H氏賞は新人賞か、功労賞かその性格が不明確だったが、昭和三十九年〔上林猷夫の〈日本現代詩人会三十年史〉(後出)に拠れば「昭和三十五年一月十五日」(五六ページ)である〕、いわゆるH氏賞事件を契機として、「H氏賞選考基準」が定められ「この賞は新人のすぐれた詩集を広く社会に推奨することを目的とする」こととなった。H氏賞事件とは、昭和三十四年度のH氏賞をめぐって、その性格が曖昧なところから、二派に分れて論争が行われたもので、匿名の投書、怪文書などがあらわれて、ジャーナリズムの話題となった事件である。この事件は、現職幹事全員の辞任、当時の北川冬彦幹事長の脱退によって終止符を打ち、現代詩人会は新しく、日本現代詩人会と名を変え、H氏賞選考基準を設けて新発足した。このとき、H氏賞の後援者H氏は長い間のヴェールをとり、素顔をあらわした。H氏とは、かつてのプロレタリア詩人会の委員長平沢貞二郎が、戦後、実業家となり、新詩人育成のために賞金を提供したものであった。(《日本の詩の流れ〔日本の詩〕》、ほるぷ出版、1975年12月1日、二〇四〜二〇五ページ)
H氏賞は創設当初から新人賞であって、功労賞ではない。「H氏賞は新人賞か、功労賞かその性格が不明確だったが」に、木原の痛烈な皮肉を読まなければならない。分銅惇作・田所周・三浦仁編の《日本現代詩辞典》(桜楓社、1986)と安藤元雄・大岡信・中村稔監修、大塚常樹・勝原晴希・國生雅子・澤正宏・島村輝・杉浦静・宮崎真素美・和田博文編の《現代詩大事典》(三省堂、2008)の北川多喜子(多喜・多紀、こと田畔多紀もしくは田畔佳代子)の項を引くことで、北川作品の紹介に代える(執筆は、《日本現代詩辞典》が桜井勝美、《現代詩大事典》が山根龍一)。
北川多紀 きたがわ たき 詩人。明治四五・五・七〜(1912- )。本名田畔[たぐろ]多紀。福島県相馬郡生まれ。北川冬彦夫人。『愛』(昭34 時間社)は、極めて日常身辺的な事象を昇華させて鬼気迫る夢幻的な詩的現実の世界を創造している。ネオ=リアリズム詩の一成果を示すものとしての評価を得ている。ほかに『女の棧[かけはし]』(昭53 同)がある。「時間」同人。「ヨーロッパの見聞」(「時間」昭40・l〜41・7)により、第二回北川冬彦賞受賞。(《日本現代詩辞典》)

北川多紀〈きたがわ・たき〉 一九一二・五・七〜
 福島県相馬郡生まれ。多喜子とも表記。本名、田畔[たぐろ]佳代子。北川冬彦夫人。一九五四(昭29)年、「時間」同人となる。第一詩集『愛』(五八・一二 時間社)は病床で見た幻覚を綴ったもので、夢と現実、生と死の間を一行き交う作風は、「『時間』が永い間主張してきたネオ・リアリズムの理論が非常にフレクシブルに肉化されて、散文詩としてのスタイルを完成している」(付録小冊子・北園克衛の推薦の辞)とされる。「ヨーロッパの見聞」で第二回北川冬彦賞、「横光利一さんと私の子」ほかで第六回同賞を受賞。ほかに詩集『女の桟[かけはし]』(七八・一 時間社)がある。(《現代詩大事典》)
北川の没年だが、菅野俊之の〈H氏賞事件と北川多紀〉(《〔福島〕自由人》24号、2009年10月)は、南相馬市在住の詩人・若松丈太郎の調査に拠りつつ、「平成十三〔2001〕年ごろということになるが、この点については今後の調査に俟ちたい」(同誌、一一二ページ)としている。12歳年長だった北川の夫・冬彦と、北川より7歳年少だった吉岡実は、ともに1990年4月・5月と相前後して亡くなっている。吉岡実に北川多紀および北川冬彦に触れた文章はない。

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第9回H氏賞の選考委員は次の15名。いずれも現代詩人会の幹事である。安西均、安藤一郎、伊藤信吉、緒方昇、上林猷夫、北川冬彦、木原孝一(副幹事長)、草野心平、高橋新吉、土橋治重(副幹事長)、長島三芳、西脇順三郎(幹事長)、三好豊一郎、村野四郎、山本太郎。上林猷夫の〈日本現代詩人会三十年史〉には「第九回H氏賞は、直ちに各新聞、雑誌に通知すると同時に、事前の約束に従って、「詩学」五月号に事務当局からの選考経過と、各選考委員が感想を執筆することになった。しかし、十四名〔安西均は病気のため欠席〕の選考委員中、感想を書いたのは、安藤一郎、緒方昇、上林猷夫、北川冬彦、高橋新吉、土橋治重、村野四郎、長島三芳の八名であった。今回の選考方法は、無記名、単記投票であったが、従来通り選考委員それぞれの見識に従って決められるべきものであった。「詩学」に「選評感想」を書いたことで、当然ながら投票詩集が分った。ところが、二位になった北川多喜子『愛』に投票したものの中に、投書をしたものがいるのではないかと、投書主が確認出来ないままに、幹事相互間に疑心暗鬼を生じ、また、詩壇ジャーナリズムが明確な根拠もないのに臆測記事を流し、問題がひろがって行った」(日本現代詩人会編《資料・現代の詩》、講談社、1981年6月20日、五二ページ)とある。《詩学》1959年5月号の〈第九回現代詩人会H賞詮衡委員感想〉で吉岡実に言及したのは安藤・上林・北川・高橋・土橋・村野・長島の7名で、西脇の感想が書かれなかったのはかえすがえすも残念だ。西脇には《愛》巻頭の〈序〉ではなく、《僧侶》の感想をこそ! 菅野俊之は前掲文で「西脇順三郎は候補詩集を読んでいないという不可解な理由で〔選考を〕棄権したが、苦渋の選択だったのかも知れない」(同誌、一〇九ページ)と推測している。奇怪なばかりか幼稚で醜悪なこの「H氏賞事件」(たかが新人賞の選考ではないか)は、西脇順三郎による《僧侶》評の発表という千載一遇の機会を奪った。第9回H氏賞受賞者の吉岡実の側から見たとき、問題はこの一点に尽きよう。事を起こした現代詩人会の某幹事は、このことだけでも責めに値する。


吉岡実詩集本文校異について(小林一郎、2011年12月31日)

2008年11月30日、詩集《僧侶》(書肆ユリイカ、1958)の刊行50周年を記念して掲載を開始した吉岡実詩集本文校異は、2011年11月30日の詩歌集《昏睡季節》(草蝉舎、1940)をもって全12冊262篇の掲載を完了した。吉岡実が生前に刊行した全詩集の本文校異を掲載日とともに一覧にする。

@吉岡実詩歌集《昏睡季節》本文校異(2011年11月30日)
A吉岡実詩集《液体》本文校異(2011年10月31日)
B吉岡実詩集《静物》本文校異(2011年7月31日)
C吉岡実詩集《僧侶》本文校異(2008年11月30日)
D吉岡実詩集《紡錘形》本文校異(2009年3月31日)
E吉岡実詩集《静かな家》本文校異(2009年11月30日)
F吉岡実詩集《神秘的な時代の詩》本文校異(2009年12月31日)
G吉岡実詩集《サフラン摘み》本文校異(2010年1月31日)
H吉岡実詩集《夏の宴》本文校異(2010年6月30日)
I吉岡実詩集《ポール・クレーの食卓》本文校異(2010年12月31日)
J吉岡実詩集《薬玉》本文校異(2011年2月28日)
K吉岡実詩集《ムーンドロップ》本文校異(2011年4月30日)


吉岡実詩集本文校異は完了までに丸3年を要した、本サイトにおいて一、二を争う大きなプロジェクトとなった。一区切りついた現時点で総括を記すことは私にとって歓ばしい義務である。本稿では、こうした文書をパーソナルコンピュータ(PC)で作成し、ウェブページに公開することの効用と限界について述べる。効用はあとで触れるが、限界については上記の吉岡実詩集本文校異を閲覧する者にとって不可欠な情報となろう。それは、おもにインターネットにおける文字(とりわけPCで標準の文字コードであるシフトJISにない漢字)の表示に関する問題である。
21世紀を現代とすれば、現代文を表記するのに私は現行のシステムに特段の不便を感じない。PCのキーボードを叩いて文を綴りながら、手書きとどう違うか考える気も起こらないくらい、この執筆方法はなじんだものになっている。そんなことを言えるのも私が旧字・旧仮名で執筆しないからであって、塚本邦雄のような用字・用語(正字・歴史的仮名遣い)で文章を書こうと思えば、新字・新かなを前提にしたPCのシステムは桎梏と化す。アルファベットのキーを叩いてローマ字を綴り、かなを変換するIME(日本語変換プログラム)は想定したようには機能せず、執筆する者の思考は寸断され、最悪の場合、一文字一文字入力する破目に陥らないとも限らない。IMEの不便さえしのげば、「ゐ・ゑ」の旧仮名文字が標準装備されている仮名の表示・印刷はまだどうにかなる。それが漢字になると、点の向きひとつ違っても新字と旧字は別物だし、そうした漢字はシフトJISには新字しか用意されていない。ウェブページにユニコードで表示できる漢字(たとえば「雞」)でも、それをコピーしてテキストファイル(アルファベットや数字を含む文字と、句読点や括弧などの記号から成る)に保存すると「?」に化けてしまう。このように手蔓がまったくなくなってしまうのを防ぐために、本サイトのトップページでは「雞〔ニワトリ〕」とすると宣言したが、吉岡実詩集本文校異では原文を尊重して〔ヨミガナ〕を付していない。ところで私は、テキストファイルで表示できない文書は作成しないことにしているから、自分の文章にユニコードは使わない。これはあとで述べるように、文章(新字・新かなであろうが、旧字・旧仮名であろうが)の作成はテキストエディタで行ない、原則としてワードプロセッサを使用しないからだ。電子テキストの裸形をなすテキストデータを扱うのがテキストエディタであり、テキストデータに余分な衣裳をまとわせるのがワードプロセッサだと言ってもいい。もっとも、他者の文章を掲げる必要のある評論や研究では「ユニコードは使わない」とうそぶいていられない。「旧字は新字に、歴史的仮名遣いは現代かなづかいに改めた」と断わって引用文を掲げるのも、ひとつの方策ではある。だが詩集の本文校異ともなれば、可能なかぎり底本を忠実に再現しなければならないことは言を俟たない。話を具体的にするために、吉岡実の初 刊単行詩集本文の表 記をふりかえっておこう。

@《昏睡季節》 旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字)
A《液体》 旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)
B《静物》 旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)
C《僧侶》 旧字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)
D《紡錘形》 旧字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)
E《静かな家》 新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)
F《神秘的な時代の詩》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)
G《サフラン摘み》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)
H《夏の宴》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)
I《ポール・クレーの食卓》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)
J《薬玉》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)
K《ムーンドロップ》 新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)

本文旧字旧仮名が@〜B、旧字新かながCとD、新字新かながE〜K。(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)が@〜E、(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)がF〜Kとなる。電子テキストで可能なかぎり原文を忠実に再現しようとした場合、問題なのが@〜Dの初刊単行詩集の旧字の字体である(《液体》本文校異の〈液體U〉の旧字使用形を参照のこと)。吉岡実詩集本文校異は、詩篇の初出―初刊(単行詩集)―集成(《吉岡実詩集》や《吉岡実全詩集》など)に印刷された詩句を、《吉岡実全詩集》掲載形を基底[コピー]テキストにして、相違点を異読[ヴァリアント]として明示する形を採っている。校異の解説・解題では、この異読を便宜的に吉岡実の「手入れ」と呼んだが、そこには原稿上の誤記や組版上の誤植を訂正することを著者が認めた変更が含まれるわけだから、それらは「校訂」や「校正」と呼ぶのが正確である。吉岡実詩の創造過程の追跡を主眼にした場合、異読の表示に表記体系の変更に伴う漢字やかなづかいの違いまで持ちこむのは得策でない。吉岡の手入れであるだろう、有意の差異が埋もれてしまう危険性があるからだ。では、一連の本文校異の表記体系として採用すべきはどのようなものか。吉岡実詩は《神秘的な時代の詩》(1972)以降、すなわち思潮社版《吉岡実詩集》(1967)のあと、漢字は新字、かなづかいは新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)となり、その表記の方針は吉岡が1990年に亡くなるまで変わらなかった。吉岡実詩集本文校異ではこれを受けて、旧仮名表示しか存在しない《昏睡季節》(1940)を除いて基底テキストを新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)に統一し、漢字は新字に統一した。初刊の《液体》と《静物》(1955)の旧仮名は、のちに吉岡自身によって新かなに改められているので、新かなを採用した。つまり、中期・後期の吉岡実詩の表記方針を初期・前期の吉岡実詩のそれに適用したことになる。校異をPCで作成しウェブページに公開するに際して、それらと親和性の高い表記体系にする(かなは旧仮名も新かなも新かなに、漢字は旧字も新字も新字に統一する)ことで、一件落着かと思われた。
だが、これで終わりではなかった。新字に統一した場合でも変わらない「蠟」や「鷗」といった漢字を、シフトJISが採用する「蝋」や「鴎」という拡張新字体で表わさざるをえなかったのだ。吉岡は印刷物でこれらの拡張新字体を意図的に用いたことはなかった(新聞社や雑誌社・出版社、印刷所の都合によると思われる使用例はある)。したがって「蠟」や「鷗」とするのが本筋だが、これらは目下の私の作業環境であるOS(Microsoft Windows 7)では「環境依存文字(unicode)」のためテキストファイルでは画面表示も印刷もできないことは、すでに述べた「雞」の場合と同様である。校異の解説で拡張新字体は本意でないと釈明しながら使用している所以だ。私が吉岡実詩集本文校異をウェブページ掲載のhtmlでも、Word文書でも、Excelファイルでもなく、テキストファイルで操作することを最優先にしているのは、第一に電子テキストの根幹をなすテキストデータを最上位に置いたため、拡張新字体を環境依存文字に優先させたからであり、第二に文字情報をレスポンスよく処理するためにテキストエディタで作業するからである。拡張新字体の使用を除いた漢字の表記方針は、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)の〈本書の編集について〉の「(5) 用字・表記については、前記の各底本に準拠し、字体は新字体に統一する。「未刊詩篇」もこれに準ずる」(同書、七七二ページ)と一致する。全詩集が本文の表記に吉岡実詩後半(中期・後期)の表記体系を採用している理由は書かれていないが、これまでに述べてきた事柄から充分に納得いくものだ。さらに、吉岡実詩の〔〕という手入れの状況を詩篇の初出―初刊―集成の本文間で照合するには、テキストファイルで作業するに如くはない。具体例を挙げて説明しよう。〈挽歌〉(A・1)の本文をコピーして、テキストエディタを開いてペーストしテキストデータにすると、の太字はキャンセルされて次のようになる。
洋〔1Y燈→S灯→23燈〕は消え
頭骸をつき出る
銹びたフォークの尖に
一匹の狐がめざめた
それは医者のにぎる
北十字星よりも
距離を冷たく
呼吸管へ起伏し
ぬれた夕刊紙でつつまれ
少年たちは饒舌に
よごれた食器の中で
翼を焚き
落葉へかさな〔1YS2つ→3っ〕て
ながれてしま〔1ふ→YS23う〕
の異読はさほど重要でないと判断した場合、その表示を削除して整理すると
洋燈は消え
〔……〕
落葉へかさな〔12つ→3っ〕て
ながれてしま〔1ふ→23う〕
となり、校異の本文は「かさなつ/って」「しまふ/う」という(ひらがなの拗促音の並字/小字)と旧仮名/新かなの相違に帰着する。すなわち、〈挽歌〉には後年の吉岡実による詩句への手入れはない、ということになる。こうしたテキストデータのハンドリングには、可能なかぎりテキストファイルにした本文が最適だ。繰りかえすが、本文の電子テキストの基本はテキストファイルである。初出形であれ最終形であれ、詩篇の読解・研究の出発点は底本の確定であり、本文の策定である。印刷本による近・現代の詩人の本文校異はたいていの場合、異同箇所だけを摘した略記型の記述なので、本文の読解や比較・分析には通常の文章に戻す、つまり基底テキストに異読を嵌入する必要がある。作者の創造的な手入れに特化した分析では、誤記や誤植、表記体系の変更に伴う漢字や仮名の改変など、ノイズとなる要素を除去しなければならない。これを印刷本で最初から行なうとなると、本文を準備するだけで一仕事になってしまう。整えられたテキストデータから必要に応じて本文を作成することは、印刷本からの作業に較べてはるかに簡単だし、間違いも少ない。自分が必要とする本文(たとえば「作者の創造的な手入れ」だと思われる異読を嵌入した本文)を自在につくりだすことができる――これが作品をテキストデータ化することの最大の利点である。詩句の高速検索が可能なことは言うまでもない(印刷テキストとの比較・照合を考えると、プリントアウト時の書体は「MS明朝」などの固定ピッチフォントがベストだ)。このように校異の本流ができていれば、支流を加えることは容易である。かつて私は、本サイトで流布本における《僧侶》本文について解説を加えた。

現代日本名詩集大成版《僧侶》本文のこと(2008年8月31日)
吉岡実の装丁作品(60)(2008年9月30日)

作者の手入れのあった可能性のある本文をトレースしていけば、すなわち〈吉岡実詩集《僧侶》本文校異〉に上記のアンソロジー収録の内容を加え、さらにそれ以前に刊行されている《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)――複数回増刷されている本書を本文校異の対象として、いずれは精査したい――も加味すれば、詩集《僧侶》本文の変遷の大筋をたどることができる。しかしながら結論を先に言ってしまえば、力点を置くべき処はおのずと限られてくる。吉岡の制作態度からいって、詩集になって以降の本文の直しは誤記・誤植の訂正がほとんどで、実質的要素(サブスタンティブス)の変更はまずないから、初出―初刊の間の手入れこそ集中的に解明されるべきだ。その際、本文だけでなく掲載した媒体も細かく見る必要がある。
ところで、インターネット掲載の引用文に底本が明示されることは稀だ。原文の完全な再現が想像以上に難しいという別の側面もある。ためしに「吉岡実 僧侶」でGoogle検索してみると、約18,000件がヒットし、トップ10のうち6件が〈僧侶〉(C・8)全文を掲げているが、底本を明示しているものは皆無だ。再現の面では、10行めの漢字の表記にみな苦労している。6件のうち、ユニコード使用の「一人は自瀆」が1件、拡張新字体使用の「一人は自涜」が4件(そのうち〈僧侶 - 日本ペンクラブ:電子文藝館〉は私が著作権者に許可をもらって掲載したもの)。「一人は自潰」というのが1件あったのには、驚き、あきれた。どう考えても底本の誤植ではなく、OCRによる誤変換のチェック漏れだろう。こういう本文を検証もせずに孫引きすると、吉岡実詩に存在しない詩句が流通することになる(自潰とは「腫瘍がその部位ではこれ以上大きくなれなくなった時起こす潰瘍化」だと〈ももの時間  猫の乳癌〉にある)。ついでながら、9節から成る〈僧侶〉を「連作」とするのも誤りだ。詩篇〈僧侶〉は初出時から一貫して全行がまとめて発表・掲載されており、連作ではない。ある節だけ引かれた〈僧侶〉にどこかで触れて、各節が個別に発表されたものと臆断したか。インターネットに掲載する本文は、自分が執筆したものでないかぎり出典を表示(もしくは引用元にリンク)すべきだし、なによりも引用文は正確でなければならない。
吉岡実詩集本文校異のプロジェクトでは、原資料(印刷物〔のコピー〕)を直接参照しなくても概要が復元できるような記述を心掛けた。次の〈僧侶〉のように解題に詳述したから、初出本文の画像情報がなくても推察は可能だろう。画像情報の重要性はまぎれもないが、今回は印刷用原稿や稀少な図像に限定して掲載し、通常の本文版面は割愛した。なお、本文活字の組方・書体は、縦組・明朝体をデフォルトとして言及せず、ほかのときだけ記載した。

初出は《ユリイカ》〔書肆ユリイカ〕1957年4月号〔2巻4号〕三七〜四一ページ、本文新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、9ポ22行1段組、9節84行。なお、節表示のアラビア数字やローマ数字の位置は、が二字下がり、が天ツキ、が三字下がりだが、本稿では天ツキに統一し、数字の表示内容に異同がないため、を含めて校異の対象としなかった(以下同)。

現時点では残念ながら、吉岡実詩集本文校異はウェブページならではの使い勝手の面が考慮されていない。〔〕の異同を含んだリニアな詩篇本文のテキストデータという素材にすぎない。ただしそれは、吉岡実の全12詩集を構成する262篇の印刷テキストを電子テキストに転写した最初のものである。《吉岡実全詩集》は15年前すでに「最後の活版印刷」と言われた(活字製版による書籍は、書肆山田などごく少数の版元の出版物として、今日でも新刊が出されている)。いまや学術版編集は、活版印刷どころか印刷テキストですらなく、電子テキストに切り換わりつつある。電子テキストの問題点と利便性は本稿でそのあらましを指摘した。
今日、20世紀後半=昭和後期を代表する詩人吉岡実の全詩業を読解・研究することは、ひとり日本人にとどまらず、広く日本語を解するあらゆる人人にとっての歓びであると信じ、私の吉岡実詩集本文校異の試みがその礎となることを願っている。

――――――――――

* 本稿を執筆するにあたって、ピーター・シリングスバーグ(明星聖子・大久保譲・神崎正英訳)《グーテンベルクからグーグルへ――文学テキストのデジタル化と編集文献学》(慶應義塾大学出版会、2009年9月25日)、ルー・バーナード・キャサリン・オブライエン・オキーフ・ジョン・アンスワース編(明星聖子・神崎正英監訳、松原良輔・野中進訳)《人文学と電子編集――デジタル・アーカイヴの理論と実践》(慶應義塾大学出版会、2011年9月5日)を参照した。シリングスバーグは専門とするヴィクトリア朝小説のデジタルアーカイブについてこう書いている。
 W・M・サッカレーの作品の編集に長期間携わったことと、「ヴィクトリア朝小説の諸相」への新たな関心とが、私にある一つの方策を思いつかせた。それは、不可能な夢のような提案の核となるものであり、ヴィクトリア朝小説のデジタル・アーカイブの構築を体系的に行うためのものだ。まず、当時の装丁のままの初版本の画像から始まる。続いて、デジタル化されたオリジナルのテキストが含まれ、それに加えて、大胆な編集者によって編まれた新しいテキストと、出版その他の歴史的な註釈が与えられる。私は想像する。最初のホームページが、根茎を蓄えた地下室というか書庫への扉と同じ役割を果たし、利用者はそこを通って、ヴァーチャルな書誌のなかへと入っていくのである。書架のエリアは、まるで本物のような書物が並んでおり、クリック一つで、年代順(この場合、たとえば私は一八五九年に刊行された小説すべてを見ることができる)、著者名アルファベット順、初版の値段順、形式順などで配列し直すことができる(たとえば、一二シリングで発売された二巻本小説を、三六シリングで発売された三巻本小説と区別することができる)。私は夢見ている、このヴァーチャルな書架のなかに、パリッシュ、テイラー、ウルフ、メッツドルフ、サドラー、マクリーンといったコレクションに集められた書物が一体となり、それどころかボドリーアンや、ブリティッシュ・ライブラリーの書物も一体となることを。そして、キーボードを操作するだけで、その書架から好きな本を取り出して読めるのだ。さらにテキストを調べ、並行[パラレル]テキストを瞥見[べっけん]し、歴史・テキス卜についての註を読み、難解な箇所を冗長モードまたはバックグラウンド モードに回し、ハイパーリンクを――好きなところでいいのだが――映画や舞台での脚色、翻訳、その他関連する書評やコメントに向けて貼ることができる。(〈第6章 電子テキストのじめじめした貯蔵室〉、同書、二〇五〜二〇六ページ)
私はこの「不可能な夢のような」デジタルアーカイブを、本サイト《吉岡実の詩の世界》に掲載する文章をまとめる際の情報(冊子資料、インターネット資料とも)をその内容だけでなく、取得や解釈といった行為まで含んで包括的に構築したもの、というふうに理解した


吉岡実詩歌集《昏睡季節》本文校異(小林一郎、2011年11月30日)

吉岡実の詩歌集(ただし原本の表記は「詩集」)《昏睡季節》は1940年10月10日、草蝉舎すなわち吉岡の自宅を発行所にして自費で出版された。吉岡最初の著書であり、20篇の詩作品から成る〈昏睡季節〉と1篇の和歌作品〈蜾蠃〔スガル〕鈔〉(短歌44首および旋頭歌2首)の二部構成で、すべてが書きおろしである。なお、同書に目次はない。和歌作品の校異はすでに〈吉岡実歌集《魚藍》本文校異〉で行なったので、本校異では20篇の詩作品を対象とし、 自筆原稿形、 詩歌集《昏睡季節》掲載形、 《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)掲載形のうち、からまでの詩句を校合した本文とその校異を掲げた。これにより、詩歌集《昏睡季節》各詩篇の初出形本文がその後どう変化したかたどることができる。本稿は、からまでの印刷上の細かな差異(具体的には漢字の字体の違い)を指摘することが主眼ではないので、シフトJISのテキストとして表示できる漢字はそれを優先した。このため、不本意ながらユニコードによる「蠟」の代わりにシフトJISの「蝋」を使用している点をご諒解いただきたい。最初に《昏睡季節》各本文の記述・組方の概略を記す。
自筆原稿:2011年11月時点で未見。漢字は旧字、かなは旧仮名(拗促音は並字)で書かれたものと考えられる。では〈白昼消息〉(@・10)の3行めが
  頸の青い子供が燻銀色の硝子杯で電流をのみ
   こぼした
と20字で折り返してあるから、原稿は20字詰で書かれていたかもしれない。

詩歌集《昏睡季節》(草蝉舎〔東京市本所区厩橋二ノ十三 著作兼刊行者吉岡実〕、1940年10月10日):本文旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字)使用、9ポ20字詰(行数は最多で)14行1段組。印刷所の鳳林堂(東京市日本橋区茅場町二ノ三)に関しては、林哲夫氏の〈昏睡季節〉が詳しい。

《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日):本文新字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字)使用、10ポ20字詰19行1段組。なお《吉岡実全詩集》の底本は 詩歌集《昏睡季節》。
漢字の表示だが、の旧字はウェブ上で正確に再現できないので掲載を見あわせ、新字で表示した(したがって「感〔濕→湿〕性植物の〔莖→茎〕の内部で」などとしない)。からまでの変更箇所を概観すると――は吉岡実の歿後刊行だから、旧字から新字への変更は随想(後出の解題参照)に吉岡が引用したときの表記に倣ったか――、執筆や刊行当時の新聞・雑誌の表記基準に応じたものといえよう。なお〈吉岡実詩集本文校異について〉を参照のこと。

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《昏睡季節》詩篇細目

  詩篇標題(詩集番号・掲載順、詩篇本文行数、初出〔発行所名〕掲載年月日)

(@・1、10行、
詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日
(@・2、7行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
(@・3、8行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
(@・4、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
遊子の歌(@・5、5行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
朝の硝子(@・6、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
歳月(@・7、4行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
あるひとへ(@・8、5行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
七月(@・9、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
白昼消息(@・10、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
臙脂(@・11、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
面紗せる会話(@・12、19行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
放埒(@・13、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
断章(@・14、2行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
葛飾哀歌(@・15、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
桐の花(@・16、3行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
杏菓子(@・17、5行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
病室(@・18、6行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
昏睡季節1(@・19、7行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)
昏睡季節2(@・20、9行、詩集《昏睡季節》〔草蝉舎〕1940年10月10日)

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序歌(@・0)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)〔前付四ページ、本文9ポ1段組、4行。詩篇の部〈昏睡季節〉と和歌の部〈蜾蠃鈔〉から成る《昏睡季節》全体にかかる序の短歌。のちの歌集《魚藍》(1959)には、濁点を取りさった形で収められている(〈《吉岡実全詩集》巻頭作品〉参照)。
あるかなくみづを
ながるるうたかた
のかげよりあはき
わかきひのゆめ


(@・1)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)三ページ、本文9ポ1段組、10行。吉岡の随想〈新しい詩への目覚め〉(初出:《現代詩手帖》1975年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。
朝は蝶の脚へ銀貨を吊す
感湿性植物の茎の内部で
釦のとれた婚礼が始まる
蝋燐寸の臭ひに微睡む空気よ
白い手套が南方に垂れ
造花に翳つてゆく倦怠
檣壁へ逆さまに体温を貼り
卓子の汚点で曇天を吸ひとる
停車場の鏡に鱗形の夢を忘れ
尖塔へ喪はれた童貞と星を飾る


(@・2)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)四ページ、本文9ポ1段組、7行。吉岡の随想〈新しい詩への目覚め〉(初出:《現代詩手帖》1975年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。
注射器の午前九時十二分
露台の女の透明な胸奥に
麦藁蜻蛉の眼球の砕粉がちる
虹の輪を廻して鼻毛のふちを
鮑貝かぶつた懶惰な狩猟者達がゆく
氷菓子の断面に太陽が溶け
鶏が甃の上の黄色い精虫をついばむ


(@・3)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)五ページ、本文9ポ1段組、8行。吉岡の随想〈新しい詩への目覚め〉(初出:《現代詩手帖》1975年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。《「死児」という絵〔増補版〕》所収の同文では1行めと2行め、7行めと8行めがそれぞれ一文字分高く始められているが、手入れか誤植か不明(同文の初出や《「死児」という絵》では、引用詩の字下ゲ・行アキが〔増補版〕とも異なっている)。
 蛇の腹の瘡痕に仄めく昼の星

   硝子管の中ではしきりと木の葉がちる

白い卓子のふちを走る柩車の轍のひびき
  瞳膜へ蜘蛛が巣をはる

   遠い靴下のさきに広告気球がのぼる
     鋪道で子供が電球をこわした

 秋が窓からきらきら光らせ
   爪をきりこぼす


(@・4)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)六ページ、本文9ポ1段組、6行。吉岡の随想〈新しい詩への目覚め〉(初出:《現代詩手帖》1975年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。
亜鉛の錘が雪の蠅をつぶす
褐色な牡蠣の液汁が街を蔽ひ
時計の針は北へ折れ曲る
赤馬の鼻孔に夜行列車が到着した
地殻と粗い舌へ蝋燭の焔ゆらぎ
娼婦の骨盤に羽をひろげて鴉が下りる


遊子の歌(@・5)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)七ページ、本文9ポ1段組、5行。
朝夕の
襟飾がおもたくて
私は乳房のふくらみに
羊を飼ひ
草笛を吹く


朝の硝子(@・6)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)八ページ、本文9ポ1段組、6行。
裏がへされた微風が掌から
林檎の花の明るさに澪れる

山脈を旋回する反射鏡の光に
揺籃のみどり児は小便を匂はす

黒い犬は皿の上の朝をなめる
樹脂が流れゆく雲に粘りつく


歳月(@・7)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)九ページ、本文9ポ1段組、4行。
盲縞に昏れゆく眼瞼のうらで
切断される蜥蜴の尾の悲しさよ
色褪せた風の間を冷たく静かに
透明な時間が流れてゆく


あるひとへ(@・8)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一〇ページ、本文9ポ1段組、5行。
のこりし一本の巻煙草のにがみよ
たそがれてゆく窓掛と犬の遠吠え
まちわびて吹くけむりの輪のなか
いつしかに新月のきらめけれども
むなしくもああきみはきたらずや


七月(@・9)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一一ページ、本文9ポ1段組、6行。
氷菓子はとけて
銀の匙をつたはり
爪の紅へにじみゆく
淡い夏の夕

鏡の中の女の捲毛に
風がひとすぢゆれてる


白昼消息(@・10)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一二ページ、本文9ポ1段組、6行。吉岡の随想〈新しい詩への目覚め〉(初出:《現代詩手帖》1975年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。《「死児」という絵》と同〔増補版〕所収の同文では「自転車競争選手」となっているが、手入れか誤植か不明(同文の初出では「競走」)。
自転車競走選手が衝突する
夏蜜柑の内房の廊へ粘液がふき出す

頸の青い子供が燻銀色の硝子杯で電流をのみこぼした

傾斜地帯から円錐型帽子へながれこむ
一枚の風と約束と花蕊と

女の客が曲り角の化粧品店にはいつた


臙脂(@・11)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一三ページ、本文9ポ1段組、6行。
洋皿に春の蚊がとまり睡い日
鍵盤のなみへ薔薇や夢がただよひ
石鹸の泡から果実がうれて出る
糸で吊るされた水母に金矢を刺し
頸飾をかけて令嬢は結婚した

手巾のうすくよごれた都会の憂愁


面紗せる会話(@・12)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一四〜一五ページ、本文9ポ1段組、19行。では本篇だけ見開きにまたがる作品となっている。
花びらのうへに死んでゐる指のあとを
見ると あたし泣けるの
銀の針で その背後を失つた哀れな人を
女のやはらかな耳朶から
ほりだしたいの

硝子のやうにたのしい触手をもつ
あたしたちよ あなたの泪が靴の裏で
汚れるわ 十字架の蔭に 鼻孔をひろ
げる喪服の男のことなんか ぬれてゐる
樹液の香を唇にぬつて 忘れなさいな
紅の茸は湖のほとりに 咲いてゐるわよ
蒼黝い幹の疣に 夕ぐれを巻き
つけ 黄色の布と
距離のない春の光線を
明日の虹の流れへ すててきて
あきらめるわ

空をとべない風より 草むらに
墜ちてくる星を拾つて 掌の上にのせて
あたためませう


放埒(@・13)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一六ページ、本文9ポ1段組、6行。
真昼の影へ花粉がこぼれ
白い液体の底に指環はしづむ
肥つた紳士は皮膚の上を彷徨ひ
夢の女を探す……靴あとのこして
室内には夜の空気がふくらみ
螺線階段を青い虫の這ひあがる


断章(@・14)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一七ページ、本文9ポ1段組、2行。
わがこころになやみはてず
あをぞらにくものわく


葛飾哀歌(@・15)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一八ページ、本文9ポ1段組、6行。三首の旋頭歌に等しい形式を採っている。
川下る舟の灯にかかる青けむり
家々もはやあたたかき夕餉なるらし

古き橋わたりゆきつつ娼婦たたずむ
おくれ毛のあせし油香匂ほし風ふく

赤き星ひとつきらめき犬吠ゆる土手
草ゆれてゆくひともなく遠くつづけり


桐の花(@・16)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)一九ページ、本文9ポ1段組、3行。
白紙のうらにうつすらと哀しみわく午後

私は鉛筆の芯を尖らしては折る

雨あがりの窓べに桐の花がひとつおちた


杏菓子(@・17)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)二〇ページ、本文9ポ1段組、5行。
蛞蝓が這つて光つた空間を
落下傘で一滴の乳酪がおりてきた
草色の山脈は煽風機で歪曲する
噴水へ刺繍された午の月
忘れた衣装の女が杏菓子をたべる


病室(@・18)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)二一ページ、本文9ポ1段組、6行。
患者は白い窓掛に指紋を忘れ
朝の水銀にいのちを計られる

昼間の隙の青空で風船玉ふくらみ
再び失はれた追憶が雲に乗る

圧搾器から今日も葡萄の汁と
夕暮がしたたりそめる


昏睡季節1(@・19)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)二二ページ、本文9ポ1段組、7行。
水の梯子を
迷彩を失つた季候や
夜が眼鏡をかけてのぼつてゆく
葉巻の煙の輪の中で女達は滅び
電球に斑点がふえる
物憂く廻転する椅子の上に
目の赤い魚が一匹乾いてゐた


昏睡季節2(@・20)
初出は詩集《昏睡季節》(草蝉舎、1940年10月10日)二三ページ、本文9ポ1段組、9行。吉岡の随想〈わが処女詩集《液体》〉(初出:《現代詩手帖》1978年9月号)に新字旧仮名で全行引用されている。
牛乳の空罎の中に
睡眠してゐる光線と四月の音響
牡猫の耳のやうに透けてうすく
砂の上に日曜日が倒れてうづまる
麺麭が風に膨らむと卵は水へながれ
堊には花の影が手をひろげて傾く
眠り薬を嚥みすぎた男が口を尖らし
銅貨や皺くちやの紙幣を吐き出す
夜を牽いて蝙蝠が弔花をとびめぐる

――――――――――

校異を見ればわかるように、個別の詩句への手入れはない。の間にある相違は漢字が旧字から新字になったという表記体系の変更だけである。これは吉岡が生前《昏睡季節》を再刊しなかったため、の底本となったことによる。もっとも再刊の機会がまったくなかったわけではない。「《吉岡実初期作品叢書》T 歌稿篇」を謳った歌集《魚藍〔新装版〕》(深夜叢書社、1973)に続いて刊行が予定されていた「初期詩集」が出ていれば、《昏睡季節》が「《吉岡実初期作品叢書》U 詩稿篇」となって新たなテクストの誕生した可能性は否定できない。しかし、その確率は限りなく低い。それを詳述するまえに、吉岡実の初期作品(戦前の著作)の再刊の状況を振りかえってみよう。まず、詩歌集《昏睡季節》(1940)の後半の和歌作品を独立させた歌集《魚藍》が1959年に結婚の記念として私家版で刊行された。同歌集は、前述のように1973年に新装版が深夜叢書社から出ている(その間の1968年には、〈あとがき〉を含めた全篇が現代詩文庫版詩集に収録されている)。これは吉岡にとって短歌がすでに終わったジャンルであって、吉岡が著者ではなく、編者として刊行を推進・認知したためである。次の詩集《液體》(1941)は、1971年に湯川書房から〈叢書溶ける魚No. 2〉として再刊されている。このとき吉岡は、叢書の性格からいって《昏睡季節》の全体もしくは詩篇の部を再刊してもよかったはずだ。しかし同書刊行の1971年以前、吉岡が公的に《昏睡季節》に言及したことはなく(厳密に言えば、《昏睡季節》の刊本そのもの、《昏睡季節》刊行時の出版広告、《液體》奥付裏の〈吉岡実作品集〉における既刊紹介の三つが存在するが、戦後の吉岡実詩の読者にとっては無きに等しい)、この 時点で《昏 睡季 節》の詩篇を積極的に再刊する意思は皆無だった。その《昏睡季節》の存在を早い時点で吉岡に質したのは、吉岡が俳人として最も恃んでいた高柳重信だった。吉岡実・佐佐木幸綱・金子兜太・高柳重信・藤田湘子の座談会〈現代俳句=その断面〉の冒頭〈俳句との出会い〉に次の一節がある(《鷹》1972年10月号〔通巻第100号〕、一二〜一三ページ)。
 高柳 〔……〕ぼくの手許には、吉岡さんが兵隊に行くときにつくった詩集というのかな、あるいは歌集と呼んだほうがいいのか、それがあるんですよ。それをみるとぼくは、やっぱり涙ぐましい感じがするんだけれども、あのとき、吉岡さんがああいう小さな本を、なぜ出す気になったかというような話を聞いてみると、そういうことが少しわかってくると思うんですよ。
 吉岡 なんだったのかしら、それは。『液体』じゃないでしょ。
 高柳 ちがいますね。たくさんの短歌が載っている本で、たしか昭和十五年の発行だった。
 吉岡 『昏睡季節』というのがあったんですけど、それ?
 高柳 うん、それ。その本に「手紙にかえて」という挾み込みの文章があって、出版のいきさつが書いてあった。
 吉岡 お宅にあるの? それはずいぶん不思議だな。(笑)
高柳が《昏睡季節》を所有していたのは、富澤赤黄男に宛てた一本が高柳の目に留まった偶然による。吉岡は、戦後すでに貴重だった《液體》を献じたであろう仲間の詩人たちにさえ《昏睡季節》を献じることはおろか、呈示することも、いや話題にすることさえなかっただろう。それというのも、《昏睡季節》の詩は、詩集の編集後に一種の教育召集で軍隊の世界をかいま見た吉岡にとっては習作以外のなにものでもなかったからである。戦地で受けとった《液體》と異なり、自宅(草蝉舎)に戻って元の生活を続けた吉岡は、詩集の印刷が進行するさなかでも「いやこれは違う。自分の書きたいものはこれではない」という内なる声を聴いたはずだ。それを押しきって公刊に踏みきったのは、遺書として「召集令状を前に詩集を編んだ悲壮な当時の気持」(〈手紙にかへて〉)に忠実だったからに過ぎない。それは人間としては許せても、詩人としては許せない行為だったのだろう。生前の吉岡が《昏睡季節》からわずか6篇を随想で紹介しただけで――それも〈春〉と〈夏〉を引いたからついでに〈秋〉〈冬〉も披露するという、見方によっては投げやりな執筆態度で――ついに再刊することがなかった背景には、こうした事情があった。しかし、作者自身の評価と吉岡実詩における《昏睡季節》の意義とは別ものである。それをこれから見ていきたい。最初に《昏睡季節》の詩の書かれた順序だが、全篇書きおろしのため詩集の本文から推測するしかない。まずは周辺情報として、1939(昭和14)年、1940(昭和15)年当時の吉岡実詩のありさまを《うまやはし日記》(書肆山田、1990)に探ることから始めたい(【 】内の曜日は小林の補記)。
昭和十四年(一九三九)

 四月二十五日【火】
 との曇り。樹光さん女子学校へ教えに行く。詩想にふける。ガルシンの諸短篇を読む。(三〇ページ)

 五月三十一日【水】
 『アドルフ』、『春夫詩鈔』を読む。夜、習字に没頭。詩集を兵隊にゆく前に出したいと思う。(四六〜四七ページ)

 十一月六日【月】 
 詩作を試みるが、不発。西村さんの文意では一日でも早く、手伝って欲しいらしいのだ。いささか迷ってしまう。〔……〕(八五ページ)

 十二月二十九日【金】 
 反古類、草稿の整理。幼稚な詩、歌、俳句を読みかえす。夜、ノヴァーリス『青い花』。(一〇三ページ)

昭和十五年(一九四〇)

 一月二日【火】 
 晴。朝、雑煮を八つも食べた。詩や歌を考える。夜遅く、兄と松倉町の支那そば屋へ行った。(一〇九ページ)

 一月二十三日【火】 
 朝から履歴書を書く。やめて詩作にふけった。〔……〕(一二一ページ)

 二月四日【日】 
 兄夫婦の結婚三周年記念日。二日なのだが日曜日の今日にしたのだ。父と兄は葉子をつれて亀の湯に行き、部屋は静かになる。母は三つ目通りまで、父の好物の海苔を買いに出る。詩作にふける。壁に懸かった藤田嗣治の「麗人」の版画の下で。〔……〕(一二九ページ)

 二月六日【火】 
 曇。今朝も西村書店は閉っていた。古本屋で一時間ほど時間をつぶして戻る。廊下の長椅子に石川女史がぼんやりしていた。事務室の人に鍵をあけて貰って入る。湯をわかしてふたりでお茶を飲む。女史は詩を書いているのを知ったようだ。どこかに発表しているの。書きためているだけ。まあ、ほんとの宝ものねと、妙なことを言って、帰った。大日本印刷から、どさっとゲラが届く。西村、小林両氏も出ず、一日中、封筒の宛名書き。外は牡丹雪が降っていた。(一三〇〜一三一ページ)

 三月六日【水】 
 朝、牛込の大日本印刷へ行く。三階の出張校正室に通される。〔……〕夜八時過ぎまでかかった。夜、詩想にふける。〔……〕(一三九ページ)
1938年夏、南山堂を退職した吉岡は、最初の徴兵までのほぼ二年間を詩作のための執行猶予期間として、それまでに手を染めていた短歌・俳句から現代詩へと大きくカーブを切った。日記の記述で興味深いのは、あたかも思考が徴兵のことに陥るのを避けるかのように詩想にふけったり、詩作を試みたりする姿だが、ここで重要なのは1939年5月31日の「詩集を兵隊にゆく前に出したいと思う」である。吉岡はこのときまでにどのくらい詩を書きためていたのか。同年末の「反古類、草稿の整理。幼稚な詩、歌、俳句を読みかえす」は、幼稚な詩を破棄したのか、それとも見所のある詩を残したのか。吉岡が詩を書いているのを知った祥文閣(西村書店と同室の出版社)の石川鈴子と「どこかに発表しているの」「書きためているだけ」「まあ、ほんとの宝ものね」というやりとりがあった1940年2月6日の時点で、蜂が蜜を貯めるようにして成った詩はどのようなものだったのか。《吉岡実全詩集》の扉には《昏睡季節 1940》と記されているが、これは吉岡の戦後の詩集がそうであるような制作期間ではなく、刊行年次ととらえるべきではないか(現に《昏睡季節》の刊本には「皇紀二六〇〇年/うまやはし版」(同書、〔前付二ページ〕)とあるだけで、吉岡自身は制作期間を明記していない)。上の日記の引用には登場しないが、当時の吉岡の読書経験で特記すべきは《リルケ詩集》《左川ちか詩集》との出会いである。

『春夫詩鈔』を読む。(1939年5月31日)
浅草仲見世の清水屋書店で、渇望の茅野蕭々訳『リルケ詩集』を買う。(6月18日)
夜遅く『リルケ詩集』を読む。(7月25日)
『左川ちか詩集』届く。(7月27日)
湯島天神下を通り、古本屋で『白秋小唄集』を求める。(8月23日)
佐藤春夫の短篇と詩を読む。(9月11日)
『リルケ詩集』を読む。(11月1日)

北原白秋的・佐藤春夫的な短歌や旋頭歌に近い抒情詩から北園克衛的・左川ちか的な超現実主義の詩に急速に移行していったのがこの1939年だと考えられる。その変遷を図式化してみると、「【1】北原白秋→【2】佐藤春夫→【3】リルケ(茅野蕭々訳)→【4】北園克衛・左川ちか」となる。《リルケ詩集》(正確にはリルケの《ロダン》)がほんとうに吉岡実詩の血肉と化すのは《静物》(1955)である。二十歳前の反射神経の鋭敏なころの読書はすぐさま自作に影響したものと思われるが、【1】的なものから【4】的なものへの推移という大きな流れは動かない。それを前提にして、20篇を傾向別に分けてみよう。【3.5】は【3】リルケ(茅野蕭々訳)と【4】北園克衛・左川ちかの間というより、「短歌や旋頭歌に近い抒情詩」寄りの「超現実主義の詩」の意、同様に【2.5】は【2】佐藤春夫と【3】リルケ(茅野蕭々訳)の間というより「超現実主義の詩」寄りの「抒情詩」の意である。

(@・1) 【4】

(@・2)
【4】

(@・3)
【3.5】

(@・4)
【4】
遊子の歌
(@・5)
【2】
朝の硝子
(@・6)
【3.5】
歳月
(@・7)
【3.5】
あるひとへ
(@・8)
【1】
七月
(@・9)
【2】
白昼消息
(@・10)
【4】
臙脂
(@・11)
【4】
面紗せる会話
(@・12)
【2.5】
放埒
(@・13)
【4】
断章
(@・14)
【1】
葛飾哀歌
(@・15)
【1】
桐の花
(@・16)
【2】
杏菓子
(@・17)
【4】
病室
(@・18)
【3.5】
昏睡季節1
(@・19)
【3.5】
昏睡季節2
(@・20)
【3.5】

吉岡が《昏睡季節》を編む際、詩篇を【1】から【4】へ、短歌や旋頭歌に近い抒情詩から超現実主義ふうの詩へ、という自身の詩的軌跡に即して配置したとすれば、次のような構成になっただろうと考えられる。

【1】
あるひとへ(@・8)
断章(@・14)
葛飾哀歌(@・15)
【2】
遊子の歌(@・5)
七月(@・9)
桐の花(@・16)
面紗せる会話(@・12)
【3】
(@・3)
朝の硝子(@・6)
歳月(@・7)
病室(@・18)
昏睡季節1(@・19)
昏睡季節2(@・20)
【4】
(@・1)
(@・2)
(@・4)
白昼消息(@・10)
臙脂(@・11)
放埒(@・13)
杏菓子(@・17)

これを見てただちに気づくのは、生前の吉岡が《昏睡季節》からわずか6篇を随想で紹介したうち、4篇(〈春〉〈夏〉〈冬〉〈白昼消息〉)が【4】から、2篇(〈秋〉〈昏睡季節2〉)が【3】から引かれていることだ。【4】の作風が《液體》に近接していることからわかるように、後年の吉岡が〈わが処女詩集《液体》〉で「〔……〕二十篇の文体に統一なく、まさに雑多である」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七六ページ)と慊焉たるものを覚えたのは【1】【2】の和歌的発想の抒情詩が混入していたからである。短歌・旋頭歌を括弧にくくって「切断される蜥蜴の尾」(〈歳月〉@・7)とした余勢を駆って【3】【4】だけで詩篇の部〈昏睡季節〉を構成していれば、詩歌集《昏睡季節》を自身の最初の著作として認知したかもしれない、と想像することもあるいは許されよう。吉岡が長いこと《液體》を処女詩集と称してきたのは、単に「詩歌集」と「詩集」の違いが理由であるはずがない。個個の「詩篇」を集めたものが「詩集」と成 るのではなく、「詩集」を構成する詩作品が「詩篇」と呼ぶに値するのである。かくして、吉岡自身の評価では《昏睡季節》と《液體》は比較の対象にすらなら ない別次元のものだった。1940年元旦、伊良子清白(1877-1946)が「皇紀二千六百年の日の御旗今朝の衢[チマタ]に續くかしこさ」と詠んだ時代に、短詩型文学を離れてひとり現代詩を書こうとした吉岡実は、自己の内部を模索した結果をこれらの詩篇や和歌に刻んだ。最後に、標題に関する考察を試みる。標題が季節や月の詩は次の5篇である(うち2篇は詩句にも登場する)。〈春〉、〈夏〉、〈秋〉「秋が窓からきらきら光らせ」、〈冬〉、〈七月〉「淡い夏の夕」。標題ではなく詩句に季節や月が登場する詩は4篇。〈白昼消息〉「夏蜜柑の内房の廊へ粘液がふき出す」、〈臙脂〉「洋皿に春の蚊がとまり睡い日」、〈面紗せる会話〉「距離のない春の光線を」、〈昏睡季節2〉「睡眠してゐる光線と四月の音響」。以上の9篇をさきほどの【1】から【4】という仮想された時系列に配置してみる。

【1】該当なし
【2】〈面紗せる会話〉「距離のない春の光線を」、〈七月〉「淡い夏の夕」
【3】〈昏睡季節2〉「睡眠してゐる光線と四月の音響」、〈秋〉「秋が窓からきらきら光らせ」
【4】〈春〉、〈臙脂〉「洋皿に春の蚊がとまり睡い日」、〈夏〉、〈白昼消息〉「夏蜜柑の内房の廊へ粘液がふき出す」、〈冬〉

現実の季節のめぐりのなかで、眼前の時間を無条件に取りいれるのが創作であるはずがない。大日本帝国の東京市の一角で、迫りくる徴兵という一大事をまえに、1939年の春から翌1940年春まで、吉岡が詩を考えないときはなかった。「四季男」を俳号にもつ青年は春を、自分が誕生した四月を「昏睡季節」と規定し、自身の生と等価である一冊の書物を産みおとした。後年、本書を「遺書」と呼ぶ所以である。《昏睡季節》の制作はどう進行したのか。吉岡の〈手紙にかへて〉や随想を参照してまとめるとこうなる。1940年5月27日(月)、臨時召集を受けた吉岡は、その夜からおそらく6月3日(月)にかけて詩稿を整理し、薄い一冊のノオトの詩集《昏睡季節》を完成。友に託す。6月5日(水)、目黒の輜重隊に入隊。それは補充兵を教育するための教育召集であったらしく、馬の扱いを習いつつ軍隊の密室的世界をかいま見て、7月23日(火)に元の生活に戻る。その間、約50日。10月3日(木)の夜遅く、詩集に添える〈手紙にかへて〉を脱稿。完成した詩集(奥付の記載は10月10日)は、先に触れた高柳重信が師事した富澤赤黄男や、書簡をやりとりする間柄だった木下夕爾など、敬畏する先達に献呈された。当然、北園克衛にも送られたに違いない。ノオトの詩集が《昏睡季節》と名付けられたのは、巻末の詩篇〈昏睡季節〉を脱稿したあとのことだろう(1940年4月と考えたいが、本当のところそれがいつかはわからない)。「表題はあきらかに、ランボーの『地獄の季節』を意識した形跡がある。私もそのころすでに、小林秀雄訳の岩波文庫で、それを読んでいたからだろうと思う」(〈新しい詩への目覚め〉、《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、八一ページ)。最後に、書名の「昏睡」を「昏」と「睡」に分解して、それぞれを詩句に探ってみよう。

蝋燐寸の臭ひに微睡む空気よ(〈春〉@・1)
盲縞に昏れゆく眼瞼のうらで(〈歳月〉@・7)
洋皿に春の蚊がとまり睡い日(〈臙脂〉@・11)
牛乳の空罎の中に/睡眠してゐる光線と四月の音響(〈昏睡季節2〉@・20)
眠り薬を嚥みすぎた男が口を尖らし(同前)

「昏睡」は意識が完全に消失して目覚めさせることができない状態で、ときには反射も消失するから、つねに可逆的な「睡眠」とは異なる。上掲の詩句に睡眠はあっても、昏睡に該当する状況は描かれていない。昏睡の原因は、大脳半球の障害、脳幹(感覚神経路や運動神経路がある)の障害、代謝異常の三つに大別されるという。医書出版社に奉公していた吉岡が自らの状況・心境を医学用語である「昏睡」に込めたとしても、不思議はない。昏睡が垂直軸の急激な下降を表わせば、季節は水平軸の緩慢な推移を表わす。この見取り図に従って制作されたのが巻末の〈昏睡季節〉2篇と冒頭の〈春〉〈夏〉〈秋〉〈冬〉である。しかし吉岡にはそうした傾向の作品、シュルレアリスムふうの詩だけで《昏睡季節》を構成する時間が残されていなかった。詩集の柱や梁はこれらが担いつつ、床や天井、壁や窓には、それまでに書きためた和歌的な発想の抒情詩をも採用せざるをえなかった。それが、自身の生と等価だったから。戦争による徴兵という外的な圧力によって、初期吉岡実詩の一断面が、歌のわかれとともに詩歌集《昏睡季節》の形をとって永遠に残されたのである。

〔付記〕
吉岡実の1939年7月9日(日)の日記に

 〔……〕夜、『地獄の一季節』を読む。(《うまやはし日記》、五六ページ)

とある。当時、小林秀雄訳の《地獄の季節》(原タイトル:Une saison en enfer)は、初刊の白水社版(1930)も吉岡の回想にある岩波文庫版(1938)も書名は《地獄の季節》で、数は訳されていない。小林が訳稿を最初に載せた《文学》創刊号から5号(1929年10月〜1930年2月)に連載したときの題が〈地獄の一季節〉だったというから、吉岡はこの初出を古本かなにかで読んだのかもしれない。岩波文庫の初版はベリッション版に拠っており、1957年の改版後には入っていない〈この季節は〉という文――小林は「ランボオが、「地獄の季節」の序詞の積りで書いたものと見当をつけて、ベリッションが、彼の編纂したランボオ集に序詞風に挿入したもの」(〈後記〉、《地獄の季節〔岩波文庫〕》、岩波書店、1938年8月5日、一三六ページ)と書いている――が冒頭に置かれている。


吉岡実詩集《液体》本文校異(小林一郎、2011年10月31日)

吉岡実の詩集《液体》は1941年12月10日、草蝉舎すなわち吉岡実の自宅を発行所にして自費で出版された。収められた32篇すべてが書きおろしである。本校異では、 自筆原稿形、 詩集《液体》掲載形、 《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)掲載形、 《吉岡実詩集》(思潮社、1967)掲載形、 詩集《液体》再刊(湯川書房、1971)掲載形、 《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)掲載形のうち、からまでの詩句を校合した本文とその校異を掲げた。――および流布本として定評のある《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》(思潮社、1968)――には全32篇のうちの12篇が抄録されているが、それ自体、作者によるある時期の提示のしかただったことを考慮して、今回はこれら12篇を校異の対象とし、抄録された詩篇である旨を「〔抄〕に入集」と解題に記した。これによ り、吉岡が詩集 《液 体》各詩篇の初出形本文にその後どのように手を入れたかたどることができる。本稿は、からまでの印刷上の細かな差異(具体的には漢字の字体の違い)を指摘することが主眼ではないので、シフトJISのテキストとして表示できる漢字はそれを優先した。このため、ユニコードによる「蠟」の代わりに不本意ながらシフトJISの「蝋」を使用している点をご諒解いただきたい。ただし 詩集《液体》再刊では、すべてこの拡張新字体の「蝋」が使用されている。漢字に関しては、の旧字はウェブ上で正確に再現することができないので、掲載を見あわせた(参考までに、校異のあとに標題詩篇〈液體U〉の旧字使用形を掲げる)。最初に《液体》各本文の記述・組方の概略を記す。なお混乱を避けるために、以下では本詩集の初刊の書名を《液體》、再刊のそれを《液体》と表記する。とくに初刊であることを問題にしないときは、《吉岡実全詩集》に倣って《液体》と表記する。
自筆原稿:2011年10月現在、未見。吉岡実自筆の《液體》稿本(詩集印刷用原稿)の詳細は不明だが、吉岡の随想〈軍隊のアルバム〉(初出は筑摩書房労組機関紙《わたしたちのしんぶん》82号、1967年5月20日)に「わたしの大切なもの――というテーマで書くことを承諾してしまったが、いざ考えてみるとむずかしいので困った。〔……〕別な方では、詩集《静物》の原稿(これは書下し故に、唯一の原稿の残っているもの)。それに二十歳前後の日記。詩ノート」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、四五ページ)とあるところを見ると、おそらく稿本は焼失し、「二十歳前後の〔……〕詩ノート」に《液體》関連の草稿が現存する可能性が残ると推測される。

詩集《液體》初刊(草蝉舎〔東京市本所区厩橋二の一三吉岡方 発行者吉岡実〕、1941年12月10日):本文旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、五号(行数は最多で)17行1段組。二部構成〈T 午前〉(16篇)〈U 午後〉(16篇)の区分あり。

《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959年8月10日〔校異の底本には初刷と見なされる一本を使用した〕):本文新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、9ポ18行1段組。本書巻頭に〈T 液体(1940〜1941)〉として以下の12篇が掲載されている。〈挽歌〉(01)・〈蒸発〉(02)・〈牧歌〉(03)・〈乾いた婚姻図〉(04)・〈忘れた吹笛の抒情〉(05)・〈風景〉(06)・〈花遅き日の歌〉(07)・〈液体T〉(08)・〈液体U〉(09)・〈午睡〉(10)・〈灯る曲線〉(11)・〈夢の飜訳――紛失した少年の日の唄〉(12)。初刊にあったT・Uの区分はない。

《吉岡実詩集》(思潮社、1967年10月1日):本文新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、9ポ27字詰14行1段組。本書巻末に〈6|液体 1940〜41〉としてと同じ12篇が掲載された(T・Uの区分なし)。

詩集《液体》再刊(湯川書房〈叢書溶ける魚No. 2〉、1971年9月10日):本文新字新かな(ひらがな・和語の拗促音は並字、カタカナ・外来語の拗促音は小字)使用、五号17行1段組。32篇すべてを掲載(T・Uの区分なし)。

《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、10ポ27字詰19行1段組。32篇すべてを掲載(T・Uの区分なし)。なお《吉岡実全詩集》の底本は 詩集《液体》再刊である。
《液體》は全32篇、《液体》も全32篇の詩作品を収める。ところが、著者にして詩集編者の吉岡は、その散文において詩篇の数をつねに33とし、一度も32篇と書いていない。これはいったいなぜか。
(A)『液体』には超現実風な詩篇三十三、私家版百部。ぼくは、兵隊時代から持ち歩いた一冊を持っている、No.七七。(〈詩集・ノオト〉、《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七三ページ。初出:《詩学》1959年4月号)

(B)遺書のつもりで、それまでに書いた詩篇三十三を《液体》一巻に編んだ。(〈救済を願う時――《魚藍》のことなど〉、同、六八ページ。初出:《短歌研究》1959年8月号)

(C)「〔……〕《液体》には超現実風な詩篇三十三、私家版百部。ぼくは、兵隊時代から持ち歩いた一冊を持っている、No.七七」とある。/そのユリイカ版に《液体》を収める時、三十三篇から十二篇を選んだ。〔……〕そして今日まで「抄」のまま踏襲されてきている。/こんど、叢書〈溶ける魚〉に入れるにあたり、思いきって復元することにした。よかれあしかれ、それが真の姿であるからだ。(〈覚書〉、初出:《液体〔叢書溶ける魚No. 2〕》、湯川書房、1971年9月10日、〔四五ページ〕)

(D)《液体》は三十三篇から、十二篇だけを一般に公表しているが、《昏睡季節》はまだ一篇も、そのような意味では活字化されていない。〔……〕その〔《液体》の〕成立や挿話は、しばしば書いたり、語ってきたので、くりかえしたくはない。《液体》から、まだ公表していない詩を三篇ほど紹介して、責めを果したいと思う。(〈わが処女詩集《液体》〉、《「死児」という絵〔増補版〕》、七六〜七七ページ。初出:《現代詩手帖》1978年9月号)
以上が、吉岡実が《液体》の作品数に触れたすべてである。(C)の「 」内は(A)の引用だから実質的には三回だが、こうまで確信をもって書いているからには、それなりの根拠があるに違いない。私が披見できた《液體》は吉岡家蔵本(ただし77番本ではなく70番本で、献辞などの書き入れはない)と、吉岡が《静物》刊行の半年ほどまえの1955年1月6日に太田大八氏(《静物》の発行人)に献じた番外本(無記番)の二冊だけだが、33篇めの詩の痕跡はどこにも発見できなかった。これといった思案もないまま、なにげなく《液體》の〈目次〉を見ているうちに、あることに気づいた。最後の詩〈夢の飜譯〈紛失した少年の日の唄〉〉のあとに一行アキがきて、〈あとがき〈小林梁・池田行之〉〉とある。下の写真でわかるように、この二行とも前の行に較べるとかなり長い。吉岡は(A)を執筆する際、「No.七七」の目次で詩篇の数をカウントするときに、〈午前の部〉16篇に続けて〈午後の部〉を〈あとがき〈小林梁・池田行之〉〉を含めた17篇と誤ってしまったのではないか。一行アキがあるので、かなり苦しい説ではあるが、どうもそんな気がする。

吉岡実詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)の〈目次〉後半(〔目次〕二〜三ページ)
吉岡実詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)の〈目次〉後半(〔目次〕二〜三ページ)

(A)の〈詩集・ノオト〉は初出のあと、すぐ《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)の巻末に収められたから、以後の吉岡が《液体》について書こうとして〈詩集・ノオト〉を参照するたびに、「詩篇三十三」が再生産されていったのではないか。(C)で二部構成をやめて全篇を再録した際、編者(鶴岡善久・政田岑生)や発行者(湯川成一)は不審に思わなかったのだろうか。元本が33篇で、再刊本が32篇では困るではないか。(D)の本文は〈詩集・ノオト〉(または〈覚書〉)を参照しつつ執筆されたが、未公表の三篇〈誕生〉〈微風〉〈静物〉の引用元は《液體》か《液体》しかないわけだから、吉岡はこのときにも詩篇の数をカウントし(なおさ)なかったとみえる。三篇を「まだ公表していない」とするのは、〔抄〕に入集していないとともに、随想などに引用していない、の意だろう。なお〈吉岡実詩集本文校異について〉を参照のこと。

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《液体》詩篇細目

  詩篇標題(詩集番号・掲載順、詩篇本文行数、初出〔発行所名〕掲載年月日)

 〔午前の部〕
挽歌(A・1、14行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
花冷えの夜に(A・2、6行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
朝餐(A・3、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
溶ける花(A・4、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
蒸発(A・5、9行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
秋の前奏曲(A・6、9行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
失題(A・7、9行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
絵本(A・8、12行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
孤独(A・9、4行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
牧歌(A・10、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
相聞歌(A・11、12行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
誕生(A・12、4行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
乾いた婚姻図(A・13、13行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
微風(A・14、6行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
静物(A・15、4行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
忘れた吹笛の抒情(A・16、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日) 
 〔午後の部〕
透明な花束(A・17、5行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
微熱ある夕に(A・18、9行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
風景(A・19、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
ひやしんす(A・20、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
花遅き日の歌(A・21、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
みどりの朝に(A・22、13行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
或る葬曲の断想(A・23、12行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
失われた夜の一楽章(A・24、8行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
灰色の手套(A・25、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
液体T(A・26、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
液体U(A・27、11行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
午睡(A・28、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
花の肖像(A・29、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
灯る曲線(A・30、10行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
哀歌(A・31、8行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)
夢の翻訳(A・32、12行、詩集《液體》〔草蝉舎〕1941年12月10日)

――――――――――

午前の部→23(トル)〕


挽歌(A・1)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三ページ、本文五号1段組、14行。〔抄〕に入集(01)。
洋〔1Y燈→灯→23燈〕は消え
頭骸をつき出る
銹びたフォークの尖に
一匹の狐がめざめた
それは医者のにぎる
北十字星よりも
距離を冷たく
呼吸管へ起伏し
ぬれた夕刊紙でつつまれ
少年たちは饒舌に
よごれた食器の中で
翼を焚き
落葉へかさな〔YS2つ→っ〕て
ながれてしま〔ふ→YS2う〕


花冷えの夜に(A・2)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)四ページ、本文五号1段組、6行。
涙線がきれて
遠い窓の灯がきえる
夜は苑い〔12つ→っ〕ぱいに噴水して
白い繃帯をといてしま〔ふ→う〕
注射針のさきで呼吸してる星よ
花は冷えてねむれなか〔12つ→っ〕た


朝餐(A・3)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)五ページ、本文五号1段組、11行。
指揮者の手に
遅刻した春の山脈つらなり
林の館へ曲る
朝の洋燈の芯と
湖がめくれて
髪毛の植物性油が匂〔→2う〕
街には白い封筒が一枚
静にながれてゆく
莨の口からやがて
ふ〔え→ぇ〕ると帽子に
鳥が卵をうみにくる


溶ける花(A・4)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)六ページ、本文五号1段組、10行。吉岡の随想〈女へ捧げた三つの詩〉(初出:《現代の眼》1961年11月号)に全行引用されている。
     〈中村葉子に〉

春の葉脈に神々が膨脹して〔→2い〕る
金貨の見える丘よ
聖書の上で海盤車がひかる
扉をひらくと青空が一枚
浴室の石鹸の泡にぬれる
風見鳥は夜へま〔→2わ〕り
少年たちは白い皮膚へ沈んでゆく
天使の〔頸→頚→頸〕のあたりに漂着する
穴のある靴下と蝶
猫の唾液で花が溶けて〔→2い〕た


蒸発(A・5)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)七ページ、本文五号1段組、9行。〔抄〕に入集(02)。
聖母祭の樹の下を発車する
脳髄の午睡へ沙漠をはさむ
温室で鸚鵡の金属性の嘴の
重量が遠い女の乳房に沈み
手袋に飛行機は入らぬとて
メロンの輪切うすく仰ぐと
透ける少年と犬の舌の冷〔い→S23た〕
不眠性も終らない中に舶来→S23い不眠性も終らない中に舶〕
(ナシ)→S23来〕の手帛で〔つつ→S23包〕まれてしま〔ふ→YS2う〕


秋の前奏曲(A・6)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)八ページ、本文五号1段組、9行。
朝の皿を拭き〔をは→おわ〕り
蜻蛉たちがつなが〔12つ→っ〕てとんでゆく
いくら麺麭をふくら〔(ナシ)→23ま〕せても
故郷のない私の尖〔12つ→っ〕た咽喉骨
折れたとらんぷよりつめたい
角の洗濯屋の子供の瞳
影とひかりの間から
鳥打帽子ななめにかぶり
爪をみがいて秋がや〔12つ→っ〕てきた


失題(A・7)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)九ページ、本文五号1段組、9行。
病犬の瞳孔を
無数の砲弾が通過する
卵巣に仙人掌の花が萎え
皿に毛虫が繁殖して〔→2い〕る
灰色の魚骨の隙間で
歪んだ太陽が氷結しながら
手品師の汗臭い襯衣へ墜ち
死産〔兒→児〕の蹠より
敗〔戰→戦〕した艦隊が出てゆく


絵本(A・8)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一〇ページ、本文五号1段組、12行。
春のパセリの匂〔→2う〕まど
眼帯をは〔→2ず〕す朝です
異人さんの子供の青い靴下
寺院の鐘が聞える
みじかいおま〔→2え〕の手紙と
貝がらの〔→2よ〕うな雲と
犬は絵本もよめません
卵焼きのだいすきな叔母様
体温器はし〔→2ず〕かにねむり
蝶がと〔→2お〕りすぎる
インキのついた指
明日は雨がふるで〔せ→しよ→しょ〕う


孤独(A・9)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一一ページ、本文五号1段組、4行。
対角線の蝋燭く〔→2ず〕れて
花びら白紙をこえゆく
死せる魚族の鱗に蔽〔→2わ〕れ
月蝕の館でわれひとり眠る


牧歌(A・10)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一二ページ、本文五号1段組、11行。〔抄〕に入集(03)。
歯車が夥しくおちてゆく
神の掌より
杳なところ波があがる
笛を吹けよ
雨にぬれた青い葦の葉
羊たちはのびたり縮んだり
癈→YS廃→廢→廃〕園への道が見えなくなる
洋〔燈→灯→23燈〕の内側を拭き
重〔YS2つ→っ〕てくる蝶の翅をめくる
遅刻した短剣が月へ刺さり
花びらがしきりに溢れた


相聞歌(A・11)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一三ページ、本文五号1段組、12行。
白い橋で 病める女の あしうらに
かくされた 一枚の骨牌を やぶき
羊をつれて 私は秋の鏡を
さまよ〔→2い〕 霧の隙間に 木曜日の
靴下を吊れば かなしみは
と〔→2お〕く 林檎のなかに忘れた
夜光時計の〔→2よ〕うに 冷たい
花つぶす 爪に啼く鳥よ
繃帯のかなたを ああ 泪と
あなたの朝の汽船がゆく

   反歌

横顔を 魚族よぎれば 胸廓の
花く〔づほ→2ずお〕れぬ 君よい〔→2ず〕こに


誕生(A・12)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一四ページ、本文五号1段組、4行。吉岡の随想〈わが処女詩集《液体》〉(初出:《現代詩手帖》1978年9月号)に全行引用されている。
母胎が氷結する早晨
濁〔12つ→っ〕た血液の坩堝より
爬虫類に蔽〔→2わ〕れた太陽へ
一頭の青く濡れた馬かけのぼる


乾いた婚姻図(A・13)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一五ページ、本文五号1段組、13行。〔抄〕に入集(04)。
花やピストルも
いつしか枯葉の下になり
カレンダアのごとく
葬送の列へ滑り
皿の上に夢は冷えゆく
高階の夜の婚礼も
女の手鏡にばかし
華麗にたちのぼり
男たちは〔癈→YS廃→廢→廃〕園に
競売人の抱〔へ→S2え〕てる
蒸溜水盤から
音もなくこぼれて
やがて乾いてしま〔ふ→YS2う〕


微風(A・14)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一六ページ、本文五号1段組、6行。吉岡の随想〈わが処女詩集《液体》〉(初出:《現代詩手帖》1978年9月号)に全行引用されている。
灰色の括弧の中に〔→2い〕る星たちよ
僕はひとりぼ〔12つ→っ〕ちで誕生日を祝〔→2い〕
円頂塔の雲を手袋でなでたりする
幼いころ失〔12つ→っ〕た緑の矢が戻〔12つ→っ〕てきた
その晩から彼女の胸ふかくに
一羽の透明な鳩が見えはじめた


静物(A・15)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一七ページ、本文五号1段組、4行。吉岡の随想〈わが処女詩集《液体》〉(初出:《現代詩手帖》1978年9月号)に全行引用されている。
鵞鳥の〔頸→頚→頸〕ねむく
異人墓地へ曲り
午後の鼓膜から
女飛行士が下る


忘れた吹笛の抒情(A・16)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)一八ページ、本文五号1段組、11行。〔抄〕に入集(05)。
喪服の馬車が通〔YS2つ→っ〕てゆく
吹笛へ雨はふり
くすりびんのなかで
孔雀をひらいてはこ〔YS2つ→っ〕そり
水脈をかぞ〔へをは→YS2えおわ〕ると
ねむくなる僕は
たえず〔螢→蛍〕どもを匙でとら〔へ→S2え〕る
柔かい巣の上にできた斜塔へのぼり
青い樹木の年輪をぬけだし
灯る聖水盤の下をさまよ〔ふ→YS2う〕
ああ獅子の首を索めて


午後の部→23(トル)〕


透明な花束(A・17)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二一ページ、本文五号1段組、5行。
神の足跡へ傾斜してゆく
花と魚族の婚姻図
商館区の紳士は洋杖で
垂れさが〔12つ→っ〕た女体をたたき
窓帷にすばやく蛇をみつける


微熱ある夕に(A・18)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二二ページ、本文五号1段組、9行。
紡車のはるかなる丘
片道切符をちぎると
南風の街々から
果液がながれあふれて
昏れてゆく〔搖→揺〕籃に
い〔ひ→い〕そびれたことばが重く
噴水へ突然こわれた椅子おち
眼球は月と共に溶解し
鏡に微熱がある


風景(A・19)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二三ページ、本文五号1段組、10行。〔抄〕に入集(06)。
猿の頭に夕の灯がともり
肺管へま〔ひ→S2い〕おちる花びら
露台の夫人の指のあ〔ひ→S2い〕だに
ふるさとの泉があふれ
麦稈帽子い〔YS2つ→っ〕ぱいこもる慕愁
単音よりも遠いひとよ
眠りのほとりに
布の〔や→S2よ〕うに僕の一枚の皮膚がし〔づ→S2ず〕むと
青いけむりがたち
砂丘の尖〔YS2つ→っ〕た寺院の鐘が聞える


ひやしんす(A・20)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二四ページ、本文五号1段組、10行。
午前の昇降機は六階に停まる
温室咲きのヒヤシンス
半休日の交換手の耳から
こぼれでる蜜蜂たち
罅のある巡査の眼鏡をうり
まよ〔→2い〕やすいシャボンの泡すく〔→2う〕
一本の試験管となり
火の音にふと母性をした〔→2い〕
楡の木の下で旅装する
風船玉のしぼまぬうちに


花遅き日の歌(A・21)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二五ページ、本文五号1段組、10行。〔抄〕に入集(07)。
薬品〔1YS罎→壜→罎〕のなかで朝をまとうた牝鹿の
薔薇色のや〔は→S2わ〕らかい咽喉のあたりを
流浪する女たちは天鵞絨の傷の〔や→S2よ〕う
にやさしく私のねが〔ひ→S2い〕を羽毛襟巻へ
飼〔YS2つ→っ〕て〔ゐ→S2い〕る金魚の呼吸のひとこまに
秘めたころ退屈な水分の多量な妖し
い土曜日の指輪の内側の匂〔へ→S2え〕る華麗
な路へ曲〔YS2つ→っ〕てゆく婚礼自動車を追〔ふ→YS2う〕
死んだ鳥をかついだ男が急に煙草の
灰へく〔づ→S2ず〕れると街〔燈→灯→23燈〕がとも〔YS2つ→っ〕た


みどりの朝に(A・22)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二六ページ、本文五号1段組、13行。
     〈朝の序曲〉

四月の鏡から柔かい卵が浮び上る
おも〔→2い〕だせない手帛の縁の頭文字
朝の時計のなかで
水脈がし〔→2ず〕かにゆれて〔→2い〕る
化粧室の鍵がみつからない奥様よ
栗鼠が虹をとびこえます
新鮮な電報をやぶりきると
旅客機の音が聞える
莨をすこし吸〔→2い〕すぎました
塑像はまだ〔濕つ→湿っ〕て〔→2い〕ま〔せ→しよ→しょ〕う
重役の頭を一直線に上昇する
縞ズボンのポケットから
折目のない青空が出てくる


或る葬曲の断想(A・23)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二七ページ、本文五号1段組、12行。
     〈墓地にて〉

午睡は夥しく
花あんずの〔→2よ〕うに冷え
白い距離を走る
そこに炎える手紙を
南へむけてたらすと
抹殺された夜の傷口がしきり
蔦の窓を〔搖→揺〕曳し
濫ふれる水も
あきらめることなく昏れ
旅びとは風船の周囲をめぐり
や〔12つ→っ〕と死の旗をみつける
数字に扮装した甲虫の中に


失われた夜の一楽章(A・24)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二八ページ、本文五号1段組、8行。初出標題「失はれた夜の一樂章」。
遠ざか〔12つ→っ〕てゆく青い水泡
脣は蝙蝠となり
北側の硝子が粉〔碎→砕〕される
さようなら
左の爪に傷ついた月の出よ
す〔12つ→っ〕かり乾いた眼球の底で
喪の日に燐寸が燃えつきる
銀行員の肋骨で山鳩が啼いた


灰色の手套(A・25)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)二九ページ、本文五号1段組、11行。
いちめんにひろがる白い雲
なんべんも色鉛筆をなめました
や〔12つ→っ〕とみつか〔12つ→っ〕たお母さんの写真
あんずの花はよく匂〔→2い〕ますね
十字架のたそがれるころ
麦酒がこぼれて
私は旗の〔→2よ〕うにひとり
ああ遠いみ〔→2ず〕うみにし〔→2ず〕んだ
豆売娘のやさしい肩掛よ
墓地への道はながか〔12つ→っ〕た
太陽を蔽うてる灰色の手套の下


液体T(A・26)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三〇ページ、本文五号1段組、11行。〔抄〕に入集(08)。
水晶の粒にみどりの蛇の影がゆら
ゆらふる〔へ→S2え〕て〔ゐ→S2い〕たと思〔ふ→YS2う〕まに手紙
が配達されたので網膜が冷たくな
りながら湖へひろがり眠る女の明
るいトルソを蔽うて隅の方より南
の街へ燬け縮んでゆく赤い風船玉
がとびだす脳髄のうちで粉〔碎→YS砕→碎→砕〕され
た秋のガラス類が唾液に溶解はじ
めるほのかな音は菩提樹の葉をつ
た〔は→S2わ〕りテラスの石卓にわすれた朝
の月を羽毛の〔や→S2よ〕うに濡らして〔ゐ→S2い〕た


液体U(A・27)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三一ページ、本文五号1段組、11行。〔抄〕に入集(09)。
その指ききにあらゆる物体が溶化し
て虚空に剥奪される神々は〔輕→YS軽→輕→軽〕く震〔搖→YS揺→搖→揺〕
し累積された存在が瞬間の映像と接
触する血液が氷下で計量され枝を離
れる二重奏は〔みどり→S23緑〕の帽子に均衡を〔(ナシ)→S23失い〕
失ひ→失い→S23(トル)〕夥しい両側の皮膚が透〔(ナシ)→S23かし〕になりな
がら植物類へこぼれ忘れた約束と薄
明を華麗な王冠にうけまもなく地図
へおりてくる子供らを季節風にめく
られた金属で支〔へ→S2え〕換〔氣→YS気→氣→気〕筒を出てゆく
朝の驢馬を音もなく粉〔碎→YS砕→碎→砕〕する水の上


午睡(A・28)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三二ページ、本文五号1段組、10行。〔抄〕に入集(10)。
水平線へ体温計をつみかさねる
腕の青い血管のひとす〔ぢ→S23じ〕にふる
さとの霧ふかい提〔燈→灯→23燈〕を失〔ひ→S2い〕さぼ
てんの〔*→荊→S2*→莿〕に傷ついた卵巣を金貨 [*=草冠に剌]
で覆うて逃亡する冷たい蜘蛛の
息に翳る病院の廊下の硝子に映
YS2つ→っ〕た女の胸廓に花葩がちりつく
すと蝋燭は消え噴水があが〔YS2つ→っ〕た
り洋籠がひらくと鱗がふ〔YS2つ→っ〕てく
る電球のなかに夕の木琴が鳴る


花の肖像(A・29)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三三ページ、本文五号1段組、10行。
温室ノ硝子ヘアツマル
女ノ耳カラ花粉ガ氾濫シテ
午前中ノ小鳥タチハ透明ニナリ
角砂糖ノ街ヲトビサル
鉛筆ノ〔ヤ→ヨ〕ウナ風ハ折レテ
駱駝ノ雲ガ眠ルコロ
亜麻ノ花ニカ〔ヘツ→エツ→エッ〕テユク
古風ナ乳母車ノワダチノ音ヨ
冷エル眸ノ底モ斑ラニユレ
鈴ガ鳴ルト昏レル


灯る曲線(A・30)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三四ページ、本文五号1段組、10行。〔抄〕に入集(11)。
廻転扉をゆるくおしたら剃刀が雲を
切りおとしてしま〔ふ→YS2う〕たくさんの神経
をのぼ〔YS2つ→っ〕たりおりたりする春の蛇に
冷えてゆく異国女の脂肪がぬれてる
希臘風の客間の灯る鏡の瞬間にふと
銀の匙を失〔YS2つ→っ〕た夢を緬羊の瞳の中で
歯磨粉と混乱させては青銅の首をか
ぎりなく溶ける花にうかべ月よりも
上昇する音符に試験飛行士が衝突す
ると皿がわれて葡萄の種子がひかる


哀歌(A・31)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三五ページ、本文五号1段組、8行。
毛皮にう〔→2ず〕ま〔12つ→っ〕て
み〔→2ず〕うみはねむり
手帖の白い頁から
春のくらげらわき
一匙の雲啜るまも
わすれられぬひと
冷えた眸のそこに
花とともに溶ける


夢の翻訳(A・32)
初出は詩集《液體》(草蝉舎、1941年12月10日)三六ページ、本文五号1段組、12行。初出標題は「夢の飜譯」(での標題は「夢の飜訳」)。〔抄〕に入集(12)。
     〈紛失した少年の日の唄〉

金魚が紛失する午後の音譜線を走る
少年は蝋にまみれながらも牧師様の
帽子をこまかくちぎり暖かい卵をさ
かんにぬけ星とぬれた植物の隙間へ
のぼ〔YS2つ→っ〕てゆく伯爵夫人の扇をと〔ら→YS2ろ〕う
と手をのばしたら山羊の乳液があふ
れだし緑の周囲がまるく縮んだかと
思〔ふ→YS2う〕とたちまち旅行〔證→YS証→證→証〕明書と平行す
る夏の雲よりもはやく待避〔驛→YS駅→驛→駅〕が映る
女医の水晶の眼鏡へ蛾がおちて間な
くシャボン玉が湧きふりか〔へ→S2え〕る風に
葡萄が灯り首輪のない犬がもうきた

――――――――――

校異を見ればわかるように、 《液體》と 《液体》とでは漢字・かなとも、表記体系が別のものに変わっている。以下に、標題詩篇〈液體U〉(A・27)を旧字旧仮名で再現してみる。旧字をシフトJISで再現できない漢字は、新字を赤く表示した。つまり、赤の新字を旧字にしたものがの詩集《液體》での表記ということになる。
その指ききにあらゆる物體が溶化し
空に奪される~々は輕く震搖
し累積された存在が瞬間の映像と接
觸する血液が氷下で計量され枝を離
れる二重奏はみどりの子に衡を
失ひ夥しい兩側の皮膚がになりな
がら植物へこぼれ忘れた約束と薄
明を華麗な王冠にうけまもなく地圖
へおりてくる子供らを季風にめく
られた金屬で支へ換氣筒を出てゆく
朝の驢馬をもなく粉碎する水の上
なお吉岡は、《液體》でも《昏睡季節》でも「々」は使用しているが、「ゝ」や「ゞ」は使っていない。


 雑誌の本文組に「箱組」という、字下げや改行なしに文字や記号類がびっしりと詰まった組み方があって、リード文や短い本文に使用される。20字なら20字の字詰めで何行か組むとき、最終行も20字ぴったりに収めるのをとくに「完箱[かんぱこ]」(「完全箱組」の意か)と呼ぶ。このように組むと文字のブロックが全き矩形になるので、レイアウト上、誌面に独得の効果を与えることができる。ヴィジュアル重視のグラフィック雑誌で多用されるが、もとは広告の表現手法だろう。《液體》にこの箱組が多いことは驚くほどで、最後の行だけ2字足りない〈花遅き日の歌〉を含めれば、32篇中9篇にのぼる。9篇の字詰めと行数を一覧表にする。

#
標題 字詰め 行数 文字数 備考
1
蒸発(A・5) 12
9
108

2
静物(A・15) 7
4
28

3
花遅き日の歌(A・21) 16
10
158
(最終行は14字)
4
液体T(A・26) 15
11
165

5
液体U(A・27) 16
11
176

6
午睡(A・28) 14
10
140

7
灯る曲線(A・30) 16
10
160

8
哀歌(A・31) 8
8
64

9
夢の翻訳(A・32) 16
12
192


雑誌や広告の完箱の散文は、専用の字詰めの原稿用紙を埋めていって最後のマスに句点(。)が来るようなものだが、句読点・字アキともに無い《液體》では、行の変わりめと文節の切れめがなるべく合致するように詩句が整えられている(本稿では両者の合致を詩の完箱とする)。その志向性にもかかわらず、7×4の〈静物〉と8×8の〈哀歌〉以外、行の変わりめと文節の切れめがずれている詩句が見られる。もっともそれは、吉岡が完箱という形式よりも詩句の生成を優先したからで、上に挙げた9篇のうち、詩の完箱を実現している〈静物〉と〈哀歌〉を除いた7篇すべてが、(や現代詩文庫)の〔抄〕に入集している。吉岡は箱組を《液體》の代表的な詩型(この、液体の表面張力を表象する矩形)とし、クレシェンドを奏でるがごとく、詩集後半の〈U 午後〉に集約的に配置した。この詩型の発見こそ、吉岡を俳句という磁場から別の、詩の無重力空間へ解きはなつ契機となったと考えられる。ところで《液體》は奥付も箱組だが、原稿を吉岡が書いたかは定かでない。次の詩集《静物》(1955)は、奥付原稿(15字×5行+6字=81字)を校正時に加筆・訂正して、刊本では完箱(16字×5行=80字)に改めている。戦後、詩の箱組は顧みられなかったが、吉岡の箱組への偏愛はこんなところにも潜んでいた。



詩集《液体》再刊(湯川書房、1971)の漢字表記について一言する。本書の奥付はきわめてシンプルで、印刷所に関しても「印刷鈴木美術印刷」と記してあるだけだ。これが現在、大阪市浪速区日本橋東にある鈴木美術印刷株式会社(1961年創業)ならば、ウェブサイト《ようこそ鈴木美術印刷株式会社へ》に同社の創業後の沿革が掲載されている。現在、同社の主要印刷物はDM・ポスター・カタログ・パンフレット・チラシとあるから、創業当初の凸版(活版)印刷から平版(オフセット)のカラー印刷に移行していったことがわかる。本書刊行当時の同社の活版印刷物を検証していないので確かなことは言えないが、本書の本文で使用されている五号明朝の活字が9ポや10ポのポイント活字ほど装備されていなかったことはありえよう。本書が基本的に「本文新字新かな」でありながら、新字であるべき処に旧字や拡張新字体が使用されているのは、なんらかの事情が背景にあったと考えるしかない。その原因(著者の原稿・校正か、編集者の指定・校正か、印刷所の文選・組版か)の究明はともかく、吉岡実の著書にしては珍しく、使用漢字に統一感がない。校異の対象としなかったが、本書で「送」「羽」「前」「咲」「平」などの当用漢字(当時)が入るべき処に旧字が使用されているのは、いったいどう考えたらいいのか。私には論理的に解明する術がない。気をとりなおして、本文校訂に関わる箇所を中心に問題となる漢字を検討してみよう。以下、 詩集《液體》初刊と 詩集《液体》再刊が同じ場合は(……)と、さらに 《吉岡実全詩集》も同じ場合は(……)と補記する。

挽歌(A・1)
・洋〔1Y燈→灯→燈〕は消え(燈)

朝餐(A・3)
・朝の洋燈の芯と(燈)

溶ける花(A・4)
・天使の〔頸→頚→頸〕のあたりに漂着する

牧歌(A・10)
・〔癈→YS廃→廢→廃〕園への道が見えなくなる
・洋〔1Y燈→灯→燈〕の内側を拭き(燈)

乾いた婚姻図(A・13)
・男たちは〔癈→YS廃→廢→廃〕園に

静物(A・15)
・鵞鳥の〔頸→頚→頸〕ねむく

忘れた吹笛の抒情(A・16)
・たえず〔1YS螢→蛍〕どもを匙でとら〔1へ→YS23え〕る

花遅き日の歌(A・21)
・灰へく〔1づ→YS23ず〕れると街〔1Y燈→灯→燈〕がとも〔1YS2つ→3っ〕た(燈)

液体T(A・26)
・がとびだす脳髄のうちで粉〔碎→YS砕→碎→砕〕され(碎)

液体U(A・27)
・て虚空に剥奪される神々は〔輕→YS軽→輕→軽〕く震〔搖→YS揺→搖→揺〕(輕)(搖)
・られた金属で支〔1へ→YS23え〕換〔氣→YS気→氣→気〕筒を出てゆく(氣)
・朝の驢馬を音もなく粉〔碎→YS砕→碎→砕〕する水の上(碎)

午睡(A・28)
・さとの霧ふかい提〔1Y燈→灯→燈〕を失〔1ひ→YS23い〕さぼ(燈)

夢の翻訳(A・32)
・思〔1ふ→YS23う〕とたちまち旅行〔證→YS証→證→証〕明書と平行す(證)
・る夏の雲よりもはやく待避〔驛→YS駅→驛→駅〕が映る(驛)

これを見ると、では「燈」と「灯」が混在していた、あるいは書きわけられていたのが、 《吉岡実詩集》でひとたび「灯」に統一されたのち、(およびそれを底本にした)に至ってで「燈」だったものは「燈」に、「灯」だったものは「灯」に戻されたことがわかる(では「灯[とも]る」や「灯[ひ]」の場合は「灯」を、「街燈」「提燈」などでは「燈」が用いられている)。つまり、同じ本文をは混在ととり、は書きわけととったのである。それ以外は下のごとし。〔頸→頚→頸〕は頚が拡張新字体のため、旧に復したと思しい。〔癈→YS廃→廢→廃〕は、癈・廢が旧字のため新字に改めたと思しい。〔碎→YS砕→碎→砕〕も碎が旧字のため、〔輕→YS軽→輕→軽〕も輕が旧字のため、〔搖→YS揺→搖→揺〕も搖が旧字のため、〔氣→YS気→氣→気〕も氣が旧字のため、〔證→YS証→證→証〕も證が旧字のため、〔驛→YS駅→驛→駅〕も驛が旧字のため、新字に改めたと思しい。これらの旧字の使用状況は、高い確度での原稿が印刷物としてのの原本、もしくはそのフォトコピーだった可能性を示している。



《液體》巻末〈あとがき〉の原文は旧字旧仮名である。《吉岡実全詩集》には新字で再録されているので、シフトJISで表示できるかぎりの旧字で引用する。
 畏友吉岡實兄は御召に應じ、現在大陸に活躍してゐる。召集令状を受けると第二詩集たる本書刊行の一切を私達に嘱して勇躍征途に上つた。私達は元來淺學菲才、且、超現實主義の詩は本當のところ深く解し得ない。從つてその任にあらずとは思つたが、出征する畏友の命に背くのも不本意と、駑馬に鞭打つて、漸く茲に上梓する運びとなつた。
 本書の内容の採擇並に配列は一切著者の指圖に從ひ、裝幀は著者の自畫及その指定に係る素材を用ひて、之に私達の考案を若干加へ、御覧の通りのものにした次第である。戰野遠く、校正・下刷などを著者に校閲してもらふ事が出來ず、著者の希望に副はない所も隨分多い事であらう。從つて本詩集について讀者諸賢から御褒めを頂く點があれば、すべて著者の手柄であり、御叱りを受ける點があれば、一切私達の到らなかつた罪である。
 なほ本書刊行に就いて一方ならぬ御助力を頂いた小坂孟・佐藤春陵・西村知章の三氏に厚く御禮を申上ぐる次第である。
  昭和十六年十二月
                    小林 梁
                    池田行之
〈あとがき〉に登場する小坂孟は、本書奥付からわかるように大日本印刷株式会社の担当者。吉岡実が校正した城戸幡太郎《民生教育の立場から》(西村書店、1940年3月25日)、北海道庁編《北海道の口碑伝説》(日本教育出版社、1940年3月30日)の奥付にも小坂の名が記されている。《うまやはし日記》の読者には親しい夢香洲書塾の佐藤春陵は、吉岡を文学に導いた書家にして俳人。西村知章は西村書店の社長で、吉岡は1939年末に夢香洲書塾を退いて翌40年2月に同書店に入社後、1941年夏に出征するまで西村のもとで書籍の編集に携わった。小林梁は西村の知人の甥で、吉岡と出会った当時は開成館に勤務。編集者か。池田行之が《うまやはし日記》の池田行宇と同一人物なら、吉岡と佐藤春陵の俳句仲間。吉岡が〈溶ける花〉を捧げた中村葉子の消息に詳しいところを見ると、南山堂時代の同僚と思しい。費用面はおそらく吉岡の兄の長夫が管理し、制作面では南山堂・夢香洲書塾・西村書店、各時代の知己が結集した吉岡の詩集《液體》は、刊行の経緯を見るにつけても戦場に消えた若者の「遺稿集」さながらである。《液體》の装丁は目次裏に「著者自装」とあるから吉岡実でいいとして、詩篇の本文組を指定したのは誰か。この問にはあとで答えることにして、詩の行数(最少は4行、最多は14行)と行間の関係を比較してみよう。なお32篇のうち〈溶ける花〉は献辞入り、〈相聞歌〉は「反歌」という見出し入りのため、詩篇本文だけの組版と体裁が異なるので、検討の対象としなかった。「詩篇の本文行数・詩篇本文の幅・行間(本文活字の倍数)」を測った数値を掲げる。

詩篇の本文行数 詩篇本文の幅[mm]
行間(本文活字の倍数)
4
37
二倍(2.0)
5
48
二倍(2.0)
6
45
全角四分(1.25)
8
55
全角(1.0)
9
62
全角(1.0)
10
69
全角(1.0)
11
68
二分四分(0.75)
12 64
二分(0.5)
13
70
二分(0.5)
14
75
二分(0.5)

少ない行数ほど行間を広く取って、多い行数ほど行間を狭くする。その結果、行数で3.5倍もの開きがあるにもかかわらず、詩篇本文の幅は約2倍に抑えられている。これは、すべての詩篇を1ページに収めるという原則を振りだしに、ページ内で安定的な版面を設計した結果にほかならない。吉岡が〈詩集・ノオト〉で回想した「昭和十六年の夏、ぼくにも召集令状がきた。すだれを巻き上げて入ってきた郵便夫が魔の使いに見えた。母は驚愕した。四日ほどしか時間がない。ぼくはそれから二日間『液体』の整理編集に没頭した。あと一日は恋人と隅田川のほとりを歩いた」(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、七二ページ。初出:《詩学》1959年4月号)という切迫した時間内に「4行のときの行間は二倍アキ、14行のときの行間は二分アキ」などと吉岡が決めたとは想像しがたい。おそらく詩篇の本文を確定する、すなわち「詩ノート」から稿本を作るのが精いっぱいだっただろう。組版に関しては、詩篇はすべて1ページに1篇、行間を調節して見栄えよく、といった「著者の希望」が小林・池田両氏に伝えられたのではないか。召集令状がきてすぐに吉岡が《液體》を編集した1941年6月以降、半年かけて詩集を形にするのに際して、こうした両氏の苦労があったに違いないと想像する。



「リルケの詩や『マルテの手記』を愛読していたが、深遠すぎて、詩作のうえでは、影響を受けなかった。まだ私は本気で、詩を書くことを、考えてはいなかっ たようだ。遊戯するように、超現実風の詩を、少しばかりつくったにすぎない。それらの詩を収めた、私の処女詩集『液体』が知己の手で、出版されたのは、大 東亜戦争の始まった年の冬であった」(〈リルケ『ロダン』――私の一冊〉、《「死児」という絵〔増補版〕》、二八七ページ。初出:《東京新聞〔夕刊〕》 1982年4月19日)は、後期吉岡実詩(のちに《薬玉》となる詩篇)を書きつつあった著者による、40年後の《液體》の総括である。


城戸幡太郎《民生教育の立場から》のこと(小林一郎、2011年9月30日)

吉岡実《うまやはし日記》(書肆山田、1990)の1940(昭和15)年2月16日(金)と2月21日(水)に《民生教育の立場から》に関する記述がある。すなわち「朝から、城戸幡太郎『民生教育の立場から』の校正にはげむ」と「気分すぐれないが西村書店へ行く。『民生教育の立場から』のゲラを終日読む」(同書、一三四・一三六ページ)である。《吉岡実言及書名・作品名索引〔解題付〕》の当該項目を借りて《民生教育の立場から》の説明とする。

《民生教育の立場から》(西村書店、1940年3月25日)〔259-799〕
教育心理学者・城戸幡太郎〔1893-1985〕の著作。吉岡は「朝から、城戸幡太郎『民生教育の立場から』の校正にはげむ。読みながら感銘をおぼえた」と書いている。城戸のほか、安部磯雄・岡潔・沖野岩三郎・乙竹岩造・神近市子・桐生悠々・久布白落実・倉橋惣三・権田保之助・高島平三郎・野口援太郎・羽仁五郎・牧野富太郎・正木ひろし・三木安正・山高しげり・山田わか・吉田熊次の著作集が出ている学術著作集ライブラリーの《城戸幡太郎著作集〔全7巻〕》の第6巻として扉から奥付までを原寸で収録、復刻されている(学術出版会、2008年2月25日)。★原物未見。

同時期の日記に登場する《北海道の口碑と伝説》――正しくは北海道庁編《北海道の口碑伝説》(日本教育出版社、1940年3月30日)では、当時吉岡が勤務していた西村書店は制作会社として黒子に徹しているが、《民生教育の立場から》は西村書店が発行所だ。本書の仕様は、二〇八×一四七ミリメートル(推定)・三八六ページ(前付一四ページ・本文三七〇ページ・奥付一丁〔裏白〕)で、復刻版を参看したため函の有無・製本仕様は不明。以下に、本書の概要を記す。引用文の漢字は新字に改め(踊り字の二の字点は同の字点に改変)、かなづかいは原文のママとした。

◎本扉:城戸幡太郎著/民生教育の立場から/西村書店刊

◎ 題辞:輿論を指導する教学を/国民を感激さす政治を/世界を啓発する文化を

◎ 〈序〉の末尾には「皇紀二千六百年の紀元節を迎へて/著者」とあるが、これは1940(昭和15)年2月11日のことである。おしまいの二つの段落を引こう。文中の城戸の《生活技術と教育文化》(賢文館、1939年6月10日)は戦後の1946年に萬里閣から再刊されており、後述する。
 わたくしは、さきに『生活技術と教育文化』なる著述において民生教育なる一章を設けたが、それは単なる題目にすぎず、それが如何なる立場の教育を意味したかを十分に解明することができなかつた。留岡清男君は特にこの民生教育なる用語に対し、その意義を質問し、民生教育の立場を明かにすることを要求された。わたくしは何かの機会にその責任を果したいと思つてゐたところ、たまたま西村書店主西村知章君から教育に関する著述の出版を促されたので、それを機会にわたくしの立場を明かにして見たいと考へたが、それについて熟慮執筆するの余裕が与へられず、本書もこれまで雑誌や新聞に発表した論文を纒めたものになつてしまひ〔小林註:本書に初出の記録は掲載されていない〕、民生教育の理論や体系については一言も触れることができなかつたことは甚だ申訳がない。しかし本書を特に『民生教育の立場から』と題したからには、その立場だけは明瞭にしておかねばならぬ。
 わたくしがこれまで日本の教育について考へたことは、如何にすれば教育の力によつて益々国家の丕基を鞏固にし、八洲民生の慶福を増進することができるかといふことであつた。この長期建設期における重要国策として認められてゐる生産力の拡充とか労働力の確保とかいふことも国民の生活力を涵養することなしには達せられず、民生の慶福は国民の生活力を旺盛にすることによつて増進され、国家の丕基はそれによつて益々鞏固なものとなるのである。要するに民生教育の立場から考へられる将来の教育は、国民の生活力を涵養するために新しき生活技術を発見し、新東亜建設の基礎となる教育文化の発展によつて国民の生活を刷新することである。(本書、二〜三ページ)
◎ 〈目次〉〔一 …… 二 …… は原本ではそれぞれ独立した一行だが、改行箇所を斜線(/)に替えて追い込みで表示した。またノンブルは省略した〕
第一章 教育治国の本義
一 教学の刷新二 政権と教権三 教政一致への認識
第二章 新東亜の教育政策
一 民族性と国民性二 新東亜教育と東亜協同体三 興亜教育の三原則
第三章 日本教育の再建
一 文化新様式の創造/二 日本の教育文化/三 教育改革の根本問題/四 現代の学校問題/五 教育立地の問題/六 教育革新の目標/七 国民教育と教育科学運動
第四章 民生教育の政策
一 教育政策と社会政策/二 職業統制と計画教育/三 職業教育と職業指導/四 人的資源の利用厚生/五 義務教育免除の問題
第五章 児童保護教育の必要
一 貧困児童の教育問題/二 精神薄弱児の教育/三 児童虐待の防止/四 不良少年の教護
第六章 国民基礎教育の建直
一 国民学校案について/二 国民教育と幼児教育/三 保母に必要なる素養/四 教科改造の問題/五 教科書問題の検討/六 師範教育の改革
第七章 青年大衆教育の確立
一 教育的年齢の問題/二 大衆教育の体系/三 青年教育の組織化/四 産業政策と青年教育/五 青少年の保護立法/六 中等学校の改革/七 入学試験廃止の問題
第八章 大学教育の問題
一 国家と大学/二 大学教育の改革/三 忘れられた私学の使命/四 大学と青年文化/五 大学生としての教養/六 指導力ある教育/七 新東亜教育と大学の再組織
◎ 奥付〔下の写真参照〕
昭和十五年三月二十日印刷
昭和十五年三月二十五日発行

 民生教育の立場から
     定価 金壹円八拾銭
   ○
著作者 城戸幡太郎
発行者 西村知章
   東京市神田区小川町一ノ一内神田ビル
印刷者 小坂孟
   東京市牛込区市谷加賀町一ノ一二
   ○
発行所 西村書店
   東京市神田区小川町一ノ一内神田ビル
     電話神田(25)四五五・四五六
     振替貯金口座東京一六四八六四

大日本印刷株式会社印刷 〔原文は右から左への横組〕
《民生教育の立場から》(西村書店、1940年3月25日)の奥付〔《城戸幡太郎著作集〔第6巻〕》による復刻〕
《民生教育の立場から》(西村書店、1940年3月25日)の奥付〔《城戸幡太郎著作集〔第6巻〕》による復刻

本書〈序〉に登場する留岡清男(1898-1977)は社会教育活動家・教育科学研究者で、西村書店から《生活教育論》(1940年7月31日)を出しているから、西村知章は城戸にも留岡にも近かったと思われる。吉岡は1939(昭和14)年11月5日の日記に「西村知章さんから手紙がきた。小出版社を始めたと言う。学者肌の人かと思った」と書いている。留岡の《生活教育論》の〈序〉の終わりの部分を引く。当時の吉岡実日記は未刊行だが、同書の校正の手伝いもしていたか。

 なほ、私は、この「生活教育論」を自ら進んで出版する意志と勇気をもたなかつたのであるが、西村書店西村知章氏の切なるすすめによつて、つひに出版することになつたのである。そのために、原稿の整理や送届けが遅れがちになつて、多大の迷惑をかけてしまつた。また、校正に当つては、非常に綿密な注意を戴いた。西村書店に対して深謝する次第である。

  昭和十五年七月七日
           教育科学研究会東京事務局に於て
                         著者(同書、三ページ)
吉岡が《民生教育の立場から》を「読みながら感銘をおぼえた」のはどのような点だったのだろうか。今日、私が読んで興味を惹かれるのは次ような箇所である。
「人的資源の教育的開発には技術教育こそ重大な役目を果すもので、文学や哲学の如き一般文化的教養は音楽や体操と同様に教育におけるリクリエーシヨンとして社会生活の裡に学んで行くこともできるのであるが、技術の教育は特に学校といふ特殊の組織的教育機関なくしては効果を納め得ないのである。現在の如き法文学部の教育ならば、図書館でなり、ラヂオでなり学習することができるのであつて、特に大学の如き設備を必要とはしないのである。青年の教育についても特にこの点に注意して技術教育を主とする組織的教育機関を完備し、これによつて青年大衆の職能教育を行ふことが国家の必要とする国民教育の完成であるといへるのである。以上の如き見地から見れば、中学校は高等学校の準備教育でなく、それ自身一つの完成教育であり、進んで高等教育を受けんとするものは広く青年大衆から能力のあるものを選抜して教育を施すべきで、現在のやうに高等の専門教育が能力本位ではなく資力本位であることは教育資本主義の弊習であり、人的資源の教育的開発としては決して国家のために悦ぶべきことではないのである」(〈第三章 日本教育の再建〉の〈三 教育改革の根本問題〉、本書、八四〜八五ページ)。
「文学や哲学の如き一般文化的教養は〔……〕社会生活の裡に学んで行くこともできる」という一節には、吉岡実も体験的に共感したのではあるまいか。もっとも吉岡にとっての「社会生活」の実態は、その後の帝国陸軍および戦後日本という過酷きわまりないものであったが。
《民生教育の立場から》に著者のあとがきがないのは残念だが、戦後に再刊された城戸の《生活技術と教育文化》(萬里閣、1946年6月5日)の〈序〉にこうある。「わたくしは昭和十九年六月十三日突然検事の命令によつて世田谷署に留置され、翌年五月十三日漸く自由の身となつた。検束の理由はわたくしたちが共産主義を信奉して教育運動を行つたといふ嫌疑であつた。そしてその証拠としてあげられたものは、岩波講座「教育科学」と雑誌「教育」並びに「教育学辞典」に執筆した諸論文であり、著述としては賢文館より刊行した「生活技術と教育文化」と「幼児教育教育論」〔正しくは「幼児教育論」〕並びに西村書店より刊行した「民主〔ママ〕教育の立場から」であつた」(同書、三ページ)。自身の著書名を誤記・誤植しているのは、手許にないため記憶に頼って書いたからだろう。にもかかわらず《民生教育の立場から》を挙げているのは、城戸がこれらの著作になみなみならぬ自負とそれを裏書きする一貫した姿勢を保っていたからだと考えたい。
戦後の吉岡は城戸幡太郎(の著書)について、なにも触れていない。石田波郷との関連で、西村書店のあった内神田ビルに言及した以外は。「昭和十四、五年ごろ、私は淡路町の内神田ビルの一室にある、小さな出版社に勤めていた。そこの階段や便所の前ですれちがう、着ながしの和服姿の大きな青年の姿に心惹かれた。共同湯沸場でよく一緒になる、馬酔木発行所の娘さんから、それが石田波郷だと聞いた」(《俳句》1970年11月号、六一ページ)。戦後、吉岡が教育学界に詳しい西村知章と関わった期間が短く――吉岡は1945(昭和20)年12月、西村書店の社長が協力者を得て創った香柏書房に入社、翌1946年8月、香柏書房を退社――、その後は筑摩書房と城戸の付きあいがほとんどなかったことにもよるだろう。


〈吉岡実文学館〉を考える(小林一郎、2011年8月31日)

中村稔《文学館を考える――文学館学序説のためのエスキス》(青土社、2011年2月28日)を読んだ。帯文に「知的営為の保存と継承/文学者の 遺稿、初出誌、初版、遺品等、文学者の息遣いを伝える文学遺産にどう対処すべきか。そのために文学館は何をすべきか。文学館の理念、施設から運営の実務に いたるまでのあらゆる問題を系統的、網羅的、具体的に検討し、省察したわが国で初めての文学館論。図書を愛する人びとに必携の書」とあるように、現在のと ころ文学館を考えるための唯一の書物といっていいだろう。本書に吉岡実への言及は見えないが、本サイト《吉岡実の詩の世界》を展開していくための創見に満 ちている。以下では本文に即して、来るべき〈吉岡実文学館〉を――ひとつの思考実験として――構想してみよう。なお叙述の都合上、本文の項目ごとに見出しと (a)等の記号を付し、改行箇所を/で表わした。

中村稔《文学館を考える――文学館学序説のためのエスキス》(青土社、2011年2月28日)のジャケット
中村稔《文学館を考える――文学館学序説のためのエスキス》(青土社、2011年2月28日)のジャケット

(1)【文学館の図書館的機能について】
 文学館の本来の使命は、文学資料、すなわち、(a)肉筆原稿、(b)初出誌、(c)初版本、(d)推敲を経た後日の刊本、(e)日記、(f)書簡、 (g)創作ノート、(h)書き入れ本その他の蔵書、さらに(i)研究書等をひろく収集、保存、整理し、研究者等の閲覧に供することにある。きわめて限られ た少数の読者のための図書館的機能を果たすことが本来、文学館の役割である。だから、こうした活動に意義を認める篤志家、自治体等がなければ成り立ちえな い。日本近代文学館のばあいであれば、数多くの作家、学者、出版社等の支援と好意によって、これまで維持されてきたといってよい。俳句文学館、日本現代詩 歌文学館等も、おおむね、こうした図書館的機能を中心とする文学館である。(一九ページ)

吉岡実の場合、詩集の(1-a)肉筆原稿は日本近代文学館が所 蔵するB《静物》(1955)の稿本以外に存在しないと思われる。戦前の二詩集、@《昏睡季節》(1940)とA《液体》(1941)の肉筆原稿はおそら く戦災で焼失し、C《僧侶》(1958)以降すべての詩集の原稿は陽子夫人の浄書になるものだからである(随想を含む散文は、吉岡実の自筆原稿と思われ る)。(1-b)初出誌は〈模写――或はクートの絵から〉(E・4)を除く全詩篇の発表媒体とその本文が判明している。むろん、新たに未刊行詩篇の発見される可能性は残っている。(1-c)初版本は《静物》以降は各地の図書館や文学館が所蔵する詩集も多いが、私家版(とりわけ初期のもの)は部数も少ない稀書のため、未所蔵となっている。(1-d)推敲を経た後日の刊本の代表は何種類かの《吉岡実詩集》で、現時点での最終刊本は《吉岡実全詩集》(1996)である。(1-e)日記は生前最後の書籍《うまやはし日記》(1990)を筆頭に、雑誌や書籍に掲載されたものがいくつもある。(1-f)書簡は永田耕衣宛のものが耕衣の主宰誌《琴座》に随時掲載されていたが、書簡集のようにまとまったものはまだない。(1-g)創作ノートに類する資料の存在は現在に至るまで確認されていない。(1-h)書き入れ本その他の蔵書は不明の点が多いが、書架を背景にした肖像写真等から蔵書の一部が窺える。何冊かの手沢本を見たかぎり、吉岡は蔵書に書きこみをしなかったようだ。(1-i)研究書は吉岡実の生前に一冊、歿後に四冊があるが、二冊のモノグラフをもつ秋元幸人の早逝が惜しまれる。日本近代文学館には吉岡実の著書20冊をはじめ、《今日》や《鰐》といった同人詩誌の揃い、数多くの吉岡実詩の初出掲載誌があり、俳句文学館には吉岡の俳 句仲間の貴重な句集がある。私が日本現代詩歌文学館が所蔵する〈苦力〉(C・13)の初出誌である《現代詩》を岩手・北上まで探索にいったのは、同詩の掲載号 が日本近代文学館でも国立国会図書館でも欠号だったからである。

(2)【文学者の顕彰、文学者の研究について】
 真に文学者を顕彰するのであれば、まず、(a)その文学者の資料をひろく収集、保存、整理する、といった本来の文学館の活動が中心とならねばなるまい。 その上で、(b)その文学者に関する研究評論類をひろく収集、保存、整理する。これも文学館に求められる本来の活動である。その上で、(c)刊行物の発行 であろう。〔……〕/特に個人文学者の記念館のばあい、文学館はその文学者研究のメッカともいうべき、そこ へ行けばすべての研究資料が完備している施設であってほしい。そうすることによって、はじめてその文学者の顕彰の基礎がつくられるのだ、と私は考える。 (二三ページ)

(2-a)その文学者の資料は、吉岡実の場合はまだ全集が出ていないから、刊行分は個個の単行本および全詩集、未刊行分は初出誌紙ということになる。(2-b)その文学者に関する研究評論類は まず(1-i)だが、書籍に収録された、あるいは雑誌や新聞に掲載されたもの以外にも、インターネットだけで公開されている文献が数多くある。《吉岡実 参考文献目録》は紙媒体に発表された研究評論類に限定して採録しているが、ネット上の重要な文章に関してはこの《〈吉岡実〉を語る》ほかで言及するよう にしている。(2-c)刊行物の発行で最初に想いうかぶ企画は、現在、姫路文学館永田耕衣文庫が所蔵する吉岡実の永田耕衣宛書簡(耕衣からの来簡を併せた往復書簡集が希ましい)であり、吉岡の談話や対談・座談会など、エクリチュールにあらざるものの集成であ る(私はこれらの編集をほぼ終えている)。後者はもっぱら自他の詩歌句について語ったものだから、自作解説を好まなかった吉岡の証言としても貴重である。 なお、未刊行の散文(これも編集を完了している)は(2-a)その文学者の資料としていずれ吉岡実全集に収録すべきものである。

(3)【収蔵庫の重要性について】
 文学館の建物の設計を依頼し、あるいは公募するばあい、どういう性格の文学館とするかという理念が明確でなければ、施主の側が設計者に必要条件を呈示で きない。(a)資料の収集、保存、研究者等の閲覧、利用を中心とする図書館的機能か、(b)啓蒙、普及、顕彰等のための展示を中心とする博物館的機能か、 (c)文学研究、文学活動の中核的機能か。それらのすべてを兼ねることはできないのだから、これらの間の兼ねあいをどうするか。こうしたことを充分検討 し、地理的条件、敷地の条件、何よりも予算、それも開館後の維持・管理の費用まで考慮してはじめて、設計者に呈示する条件がきまるのだといってよい。/そ れでもなお、私は文学館における収蔵庫の重要性はいかに強調しても強調しすぎるということはないと考えている。展示中心の博物館的機能を目的とする文学館 であっても、収蔵品をもたない展示はありえない。資料を収める収蔵庫とこれを取り扱う職員こそ文学館活動の基盤である。(三四〜三五ページ)

実際に吉岡実文学館を建てるとなれば、建物を設計しなければならない。今回はウェブサイト上の架空の空間ということで、そちらには深入りしない。しかし、(3-a)閲覧、利用を中心とする図書館的機能、(3-b)展示を中心とする博物館的機能、(3-c)文学研究、文学活動の中核的機能、 のどれを重視するかは決定する必要がある。私は《吉岡実の詩の世界》を公開するにあたって、サイトの概要を「小林一郎が調査・著述・作成する、詩人・ 装丁家吉岡実の人と作品を研究するページ。吉岡実の著書を資料面から補完し、鑑賞と研究に資する。年譜・書誌・参考文献目録ほか」と記した。別言すれば、 小林ひとりが執筆者・編集者・制作者であること。吉岡実の詩人と装丁家の両面を研究すること。リアルな世界の吉岡の著書に対して、ヴァーチャルな指標とし てそれに作用すること。具体的な掲載項目としては、吉岡実年譜(これは吉岡陽子さん編の年譜を転載することができた)・吉岡実書誌・吉岡実参考文献目録で あること――これらはどちらかといえば(3-a)に近く、吉岡実文学館のストックに相当する。一方、《吉岡実の詩の世界》の真の目的が(3-b)の吉岡実作 品の啓蒙、普及、顕彰、そしてそれと表裏一体の関係にある(3-c)文学研究、文学活動であることは紛れもない。それはフローというよりも、つねに新しい吉岡実像の提示といえようか。私は同時にそれが、吉岡実を具体例とする新しい研究方法であることを願っている。

(4)【収集すべき文学資料、とりわけ図書について】
文学館とは文学資料を収集、保存し、研究者等の閲覧に供する施設であることが、その第一義的な存在意義である。コレクションのない美術館が展示ホールにす ぎないのと同様、文学資料のない、あるいは乏しい文学館はその名に値しない。/文学資料とは(a)図書、(b)雑誌、(c)原稿、(d)創作ノート、 (e)メモの類、(f)日記、(g)書簡、(h)自筆の書画、(i)愛蔵した書画、(j)筆記具等の日常の身の廻り品等をいう。日本近代文学館では、図 書、雑誌を除く、原稿その他を特別資料とよんでいる。資料の性質により、収集、整理、保管、利用等に違いがあり、これらを一様に取り扱うことはできない。 /特定の文学者の記念館のばあい、収集すべき図書としては、その文学者が刊行した(k)単行本のすべて、それに生前、死後に刊行された(l)全集、(m) 選集、(n)文庫版、さらにその文学者の作品が収録されている(o)文学全集、(p)アンソロジーをふくみ、その文学者に関する(q)研究書、(r)評 論、(s)回想等の伝記的資料となる図書までふくむ。(四六〜四七ページ)

(4-d)創作ノートは(1-g)で「現在に至るまで確認されていない」と書いたが、よく考えれてみればK《ムーンドロップ》(1988)の目次の初案がこれに相当したように、ほかにもまだ存在するかもしれない。(4-e)メモでは、自身の家系を系図にまとめようとした(おそらくは未完成の)それが印象に残っている。(4-f)日記は、 吉岡が活字化していいと考えたものはほとんど公表されているのではないか。ただし《うまやはし日記》が刊行されれば「感傷的な二冊の「原・日記」は消滅するはず である」という〈あとがき〉の文言をそのまま受けとめていいものかどうか。L《赤鴉》(2002)の原本が消滅を免れたように、「原・日記」も現存するのではない か。(4-i)愛蔵した書画は、吉岡実文学館の美術館的・博物館的資料として、展覧には最適である(吉岡の歿後には、典雁のコレクションが展覧された)。《サフラン摘み》のジャケット原画のようにすでに人手に渡った書画も一堂に会したら、さぞや壮観であろう。《吉岡実参考文献目録》は(4-q)研究書、(4-r)評論、(4-s)回想等の伝記的資料をひとくくりにしているが、これは細分化したほうがいいかもしれない。個個に解題を付すことは無理としても、言及されている作品名を補記することは、吉岡実研究に大いに役立つだろう。同様に《吉岡実書誌》は(4-l)全集、(4-m)選集、(4-n)文庫版、(4-o)文学全集、(4-p)アンソロジーに再録された作品をみな〈主要作品収録書目録〉にまとめているが、こちらも分けるべきか。

(5)【初版本とその意義について】
 個人文学者の記念館であれ、地域文学館であれ、対象とする文学者に関する収集する資料として、第一に図書、ことに(a)初版本がある。初版本収集の意味 は、流布本との比較による(b)推敲過程探求の資料であることにあるが、推敲については原稿との関係で後に考えることとする。〔……〕/だが、初版本がた だ一種と即断することはできない。漱石初版の複刻版の製作を手がけた、当時は日本近代文学館の職員、後に神奈川近代文学館の事務局長をつとめた倉和男さん から教えられたことだが、数種の初版本を比較検討しなければ、真の初版本を確定できなかったという。活字を組んで版を作り、印刷機にかけて印刷していく 間、当時の本のばあい、しばしば活字の脱落や飛び出しがみられるそうである。また、北川太一さんの調査によれば、龍星閣から刊行された高村光太郎『智恵子 抄』の初版第一刷には誤植が多かったと作者が語っているが、その後徐々に訂正されたものの、第八刷と第九刷との間で明らかに改版されているという。/だか ら、奥付を信頼して初版ときめこむことの危険、初版第一刷にありがちな誤植を考慮して私たちは初版本を見なければならない。(四八〜四九ページ)

吉岡実の12冊の単行詩集の(5-a)初版本の初刷部数は次の とおり。@100部、A100部、B200部、C400部、D400部、E270部、F700部、G不明(6刷で計9,000部)、H1,000部、 I800部、J2,000部、K1500部。不明分を除いて平均すれば、1冊あたり約670部になる。その作品のもつ影響力に比して、部数の少なさに驚 く。最初の《昏睡季節》を私家版で刊行したとき、吉岡はすでに出版社の編集者だった(装丁の業務はまだしていなかったようだ)。出版に精通した人間がつくればこう なるという例が、これら12冊の詩集である。(5-b)推敲過程探求の資料の面からは、不要な行アキが混入したH《夏の宴》(1979)以外、本文に致命的な瑕疵は見あたらない。それ以上に見事なのが部数の設定で、とりわけ《静物》の200部、E《静かな家》(1968)の270部には声を失う。

(6)【資料管理に必要な情報および装幀について】
 受け入れた資料をどう整理し、管理するかは、パーソナル・コンピュータ(以下たんに「コンピュータ」という)を利用しているばあいと、手書きで処理して いるばあいとで、方法がまるで違うけれども、管理すべき情報の本質に違いがあるわけではない。文学館が管理すべき情報は、豊富であればあるほど望ましい が、労力、費用等により自ら限度があることは止むをえない。また、文学館の在り方によってどれほど詳細な情報を管理するかも違うかもしれない。/図書であ れば、(a)著者名、(b)題名、(c)出版社名、(d)出版年月日、(e)寄贈者、(f)遺族の住所・氏名、(g)初版・再版の別などは最低限必要な管 理情報だが、(h)序文・跋文の筆者、(i)装幀者名、(j)第何刷かの刷次も管理しておきたい情報である。/〔……〕/私は書誌情報として装幀者名を記 述しておくべきだと考えている。見方によれば、図書とは内容をなす文章と外装する装幀との総合作品である。装幀は時代と共に趣きを異にし、装幀者の個性に よっても趣きを異にする。装幀は展観の対象ともなるし、研究の対象ともなるはずである。書誌情報の一つとして装幀者名を記述し、装幀者からの検索も可能な ようにしたいと私は考えている。(八二〜八三ページ)

(6-h)序文・跋文の筆者は句集や歌集では重要な書誌情報である。吉岡が宗田安正句集《個室》(1985)に寄せた〈『個室』の俳人への期待〉は、俳句文学館の「序・跋目録」で検索して発見したものだ。(6-i)装幀者名は通常、扉の裏や目次の最後、もしくは奥付に記載されており、(6-a)著者名の ように函やジャケット、表紙・本扉に記されることはない。さらにまた、出版社の社員が装丁した場合、編集者と同様、クレジットされないのがふつうである(筑摩書房在 籍中の吉岡実がそうだった)。神奈川近代文学館の資料検索は「検索項目」に「装幀・挿画者名(図書のみ)」を指定することができる。そこに「吉岡実」と入力 すると次の41件がヒットする(〔 〕内は、図書の請求記号)。

1.  あいうえお 村岡空著 世代社 1960.5.1 〔K02/5013〕
2.  句集 柿の花 三好達治著 筑摩書房 1976.6.30(昭51) 〔ミヨ/カ2〕
3.  ガラスの魚 (詩集) 井手文雄著 勁草書房 1983.7.15(昭58) 〔K02/0833〕
4.  貴種と転生 四方田犬彦著 新潮社 1987.9.25(昭62) 2刷 〔ヨモ/キ1〕
5.  球体の息子 高橋睦郎著 小沢書店 1978.2.20井(昭53) 〔タカ78/キ1〕
6.  清岡卓行詩集 清岡卓行著 思潮社 1970.12.1 〔b〕
7.  詩人の血 高橋睦郎著 小沢書店 1977.8.20(昭52) 〔タカ78/シ1〕
8.  詩と批評 A 田村隆一著 思潮社 1976.9.25 3版 〔タム8/1-1〕
9.  詩と批評 B 田村隆一著 思潮社 1977.5.25 4刷 〔タム8/1-2〕
10.  詩と批評 C 田村隆一著 思潮社 1976.9.1 3版 〔タム8/1-3〕
11.  詩と批評 D 田村隆一著 思潮社 1977.6.1 3刷 〔タム8/1-4〕
12.  詩と批評 E 田村隆一著 思潮社 1978.10.15 〔タム8/1-5〕
13.  澁澤龍彦考 巌谷國士著 河出書房新社 1990.2.20 〔918/シブ7/1〕
14.   澁澤龍彦著 白水社 1981.11.9 〔シブ7/シ1〕
15.  詩集 人類 西脇順三郎著 限定[版] 筑摩書房 1979.6.20(昭54) 〔ニシ14/シ5〕
16.  聖という場 高橋睦郎著 小沢書店 1978.10.10(昭53) 〔タカ78/セ2〕
17.  高橋新吉全集 1 高橋新吉著 限定版 青土社 1982.7.15 〔タカ43/1-1〕
18.  高橋新吉全集 2 高橋新吉著 限定版 青土社 1982.3.15 〔タカ43/1-2〕
19.  高橋新吉全集 3 高橋新吉著 限定版 青土社 1982.5.15 〔タカ43/1-3〕
20.  高橋新吉全集 4 高橋新吉著 限定版 青土社 1982.8.15 〔タカ43/1-4〕
21.  高柳重信全句集 高柳重信著 母岩社 1972.3.7(昭47) 〔K03/1745〕
22.  高柳重信全集 1 高柳重信著 立風書房 1985.7.8(昭60) 〔タカ65/1-1〕
23.  高柳重信全集 2 高柳重信著 立風書房 1985.7.8(昭60) 〔タカ65/1-2〕
24.  高柳重信全集 3 高柳重信著 立風書房 1985.8.8(昭60) 〔タカ65/1-3〕
25.  太宰治 上 野原一夫著 リブロポ―ト 1981.12.10(昭56) 〔ノハ/タ1-1〕
26.  太宰治 下 野原一夫著 リブロポ―ト 1981.12.10(昭56) 〔ノハ/タ1-2〕
27.  読書の歳月 竹西寛子著 筑摩書房 1985.6.30(昭60) 〔タケ49/ト1〕
28.  鳥の歌 丸谷才一著 福武書店 1987.9.16(昭62) 2刷 〔マル11/ト1〕
29.  西脇順三郎 変容の伝統 新倉俊一著 花曜社 1979.9.25 〔918/ニシ14/2〕
30.  日本の現代小説 篠田一士著 集英社 1980.5.10 〔シノ6/ニ1〕
31.  萩原朔太郎その他 那珂太郎著 小沢書店 1976.4.20(昭51) 2刷 〔ナカ95/ハ2〕
32.  詩集 百たびののち 三好達治著 筑摩書房 1975.7.30(昭50) 〔ミヨ/ヒ2〕
33.  風船 壺井繁治[著] 筑摩書房 1957.6.20 〔K03/1898〕
34.  宝篋と花讃 江森国友著 限定 母岩社 1971.5.1 〔エモ2/ホ1〕
35.  本の周辺 布川角左衛門著 日本エディタースクール出版部 1979.1.10 〔S06/020/32〕
36.  本の周辺 布川角左衛門著 日本エディタースクール出版部 1980.7.10 4刷 〔020/6〕
37.  水辺の光 (詩集) 平林敏彦著 火の鳥社 1988.6.1 〔K02/4440〕
38.  《宮沢賢治》鑑 天澤退二郎著 筑摩書房 1986.9.30(昭和61) 〔アマ4/ミ3〕
39.  やさしい言葉 (詩集) 石垣りん著 花神社 1984.4.21 〔K02/0706〕
40.  夜の音 安藤元雄著 書肆山田 1988.6.10 〔アン13/ヨ1〕
41.  略歴 石垣りん著 花神社 1979.5.9 〔K02/0707〕


日本近代文学館の所蔵検索では「フリーワード」に「装幀 吉岡実」と入力すると、上掲の「31.  萩原朔太郎その他」のほか、《定本那珂太郎詩集》と《異霊祭〔限定版〕》の計3件がヒットする。国会図書館のNDL-OPACはそもそも装丁者名を採録し ていないから、神奈川近代文学館の資料検索は貴重である。ところで、装丁といった場合は書籍の外装(函やジャケット、表紙、本扉)を指すことは問題ないと して、目次や奥付、本文組は含まれるのか含まれないのか。「ブックデザイン」や「造本」との違いはそのあたりにあるように思うが、吉岡実装丁では「装幀」 というクレジットが多く、これは書籍の外装に限定するのがふさわしかろう。吉岡はしばしば随想に「造本装幀は云云」と書いており、これは外装に加えて目次 や本文組を(編集者と共同して)担当したものと考えられる。

(7)【書誌情報のコンピュータ利用について】
 書誌情報を整理するばあい、コンピュータを利用するときは、資料情報の入力は一度で足り、検索のキーワードにより、著者名、題名等の書誌情報は直ちに見 いだすことができる。事務管理用の情報から閲覧者に提供すべき情報を区別して提供することも容易である。台帳、目録、カードを作成する必要もない。コン ピュータの導入が省力化に大いに役立つことは間違いない。/しかも、(a)国立情報学研究所の総合目録データベース(NACSIS-CAT, NC)等を検索し、各種のデータベース中にすでに入力されている情報はダウンロードし、文学館独自の書誌情報を補充すれば、すべてを自ら入力する必要はな い。これに加えて、この総合データベースに収録されていない図書、雑誌について新たに入力すれば足りるわけである。/しかし、コンピュータを利用すること には大きな陥穽が潜んでいることに留意しなければならない。まず、入力は所詮人間の手作業である。人間の作業にはつねに間違いがあることは避けがたい。一 旦間違えれば見直しはきわめて難しい。一方、台帳、目録、カード等を自ら作成し、あるいは転記する都度、その図書、雑誌に接することになるから、おのずか ら、自館にどのような資料が新たに収蔵されることになったか、などに詳しい知識をもつことになり、何人かの手作業を経ていく間に間違いに気付くこともあ る。コンピュータで簡便にすませれば、情報を入手することはできても、知識が体験になって職員の身につくわけではない。また、既成の情報にたよると、どう しても受身になりがちで、それぞれの館に適した分類や整理の体系を築くのは難しい。そのためにはよほど自覚的な姿勢を必要とするだろう。(八三〜八四ペー ジ)

(7-a)国立情報学研究所の総合目録データベースは当該資料 がどの機関(施設)に所蔵されているかわかってありがたいが、いかんせん検索結果が少なすぎる。著者名=吉岡実でヒットするのは6件、しかも単著はわずか に3件である。いずれにしても、データベースの書誌は紙の目録情報(日本近代文学館ではまだ使用できる)と同列に扱って、そこからたどりついた原物を確認 しなければ鵜呑みにできない。最近、インターネット上のある書誌(図書館のOPACではない)で出版社が精興社になっていたので、あの活版印刷で知られた老舗の印刷所が一般 書を出すのかと思って、原本の奥付を見たら、印刷所=精興社で、版元は別の出版社だった。私もまれに印刷日と発行日を取りちがえることがあるので大きなこと は言えないが、入力した人間が奥付を読みまちがえたのだろう。誤りのもとだからいまどき奥付に印刷日を記載するのはやめてほしいものだが、出版社にしてみれば増刷時 に初刷発行=何年何月何日、何刷発行=何年何月何日と2行にしたいのかもしれない。私が本サイトに書籍の発行年月日まで書くのは、資料を実見したことを確 認するためでもある(ただし、本文中の吉岡実の著書は年号だけの簡略表示)。

(8)【肉筆資料に関し入力すべき書誌事項について】
 私たちが特別資料とよんでいる肉筆資料の整理が難しいのは書籍、雑誌と違って、資料そのものから基本的データさえ不明なばあいが多いからである。さしあ たって調査未了の事項があっても、これは後日補充することとし、速かに台帳の記入、カードを作成、あるいはコンピュータ入力の作業は進めなければならな い。/入力すべき書誌事項を、すでに紹介した文学館職員研修講座の記述から引用すると、日本近代文学館では以下のような事項を入力している。/「(a)数 量、(b)寸法、(c)受入先、(d)購入・寄贈・寄託年月日、(e)執筆・制作の年月日、(f)資料の状態、(g)配架場所などは各分類に共通する」 が、その他必要な情報として、人名を標目に立てるものと事項を標目に立てるものの二種に分かれ、人名を標目に立てるばあい、/@(h)原稿―タイトル、原 稿・草稿の別、肉筆・ワープロ・清書原稿・自筆・他筆などの別、原稿用紙の字詰め、筆記具、初出・初版に関する書誌的データ、起草時期(分かれば)未発表 であればその旨/A(i)書簡―資料名は○○宛書簡とし、発信日付(自記日付が優先し無記の場合は消印)を付記、発信地、封書・葉書・絵葉書の別、便箋・ 巻紙・罫紙などの別、封筒の有無、内容の要約、受信人は補助カード(コンピュータの場合はキーワードとして入力)による/B(j)日記―何に書かれている か(日記帳、ノートなど)、筆記具、既発表(何にいつ)・未発表の別/以下は項目のみあげれば、C(k)自筆文書、D(l)筆墨、E(m)原画、F(n) 絵画、彫刻、G(o)切抜、H(p)印刷物、I(q)文書、J(r)写真、K(s)遺品、L(t)その他の如くである。/こうした整理、分類が一朝一夕で できないことはいうまでもない。各文学館が試行錯誤して各自の方法を確立するより、こうした情報は文学館間で共有すべきだと私は考える。(八七〜八八ペー ジ)

吉岡実の肉筆資料を詩集《静物》稿本を例に検証してみよう。(8-a)数量は1冊。本文は全部で39丁(そのうちペラの貼込が2丁)。(8-b)寸法は天地265×左右184ミリメートル。(8-c)受入先は日本近代文学館。(8-d)購入・寄贈・寄託年月日は、正確にはわからないが、寄贈時に中村稔に宛てた陽子夫人の書簡が2002年4月18日付なので、2002年4月とする。(8-e)執筆・制作の年月日は、稿本の最初の扉原稿に「吉岡實詩集/静物/1955.5.5」と三行横書きしてあるから、1955年5月5日としておく。なお、奥付は「昭和三十年八月二十日刊」と印刷されているが、稿本は「昭和三十年七月三十一日発行」である。(8-f)資料の状態は、袋綴じの原稿の背を糸でかがった諸製本で、吉岡自身が半永久的な保存を目指したことは確実である。(8-g)配架場所は不明だが、特別資料として一般資料(図書・雑誌)とは別置にしてあるのだろう。ここでは(8-t)その他として扱っておくが、装丁原稿はそれ自体が吉岡実の作品だから、刊本と対にしたその展示は吉岡実文学館の要素として欠かせない(吉岡実を偲ぶ会では、書肆山田の刊行物の装丁原稿が額装のうえ展示された)。真鍋博がカットを描いた《静物》の装丁原稿が現存するかは不明(稿本《静物》といっしょに保存されてはいなかった)。

(9)【企画展のテーマについて】
 常設展を止め、あるいは常設展のためのスペースを大幅に縮減すると、企画展が中心になるので、豊富な展示企画をもつ必要がある。(a)対象とする文学者 の名作を掘り下げて次々に相当期間をおいて展示していくことを私は一例として考えている。/作品ごとでなくても、斎藤茂吉についていえば、『赤光』『あら たま』の時代、『遠遊』『遍歴』の時代、『ともしび』の時代、『白桃』『暁紅』『寒雲』の時代、『小園』『白き山』の時代、『つきかげ』の時代、というよ うな(b)時代区分によって、それぞれの時代の茂吉の歌境をふかめた展示が考えられるであろう。/また、短歌とは別に、「茂吉の随筆」「茂吉と万葉集」な いし「茂吉と柿本人麻呂」「茂吉と医業」といった(c)テーマで展示を企画することも考えられるし、「茂吉の故郷と歌境」「茂吉の滞欧体験」「茂吉と永井 ふさ子」ないし「茂吉の女性関係」といった企画もありうるであろう。(一一四ページ)

(9-a)対象とする文学者の名作ということになれば、吉岡の場合、《僧侶》、G《サフラン摘み》(1976)、J《薬玉》(1983)の三詩集は外せない。(9-b)時代区分は 難しいところだが、1945年まで、1955年から1970年まで、1972年から1980年まで、1981年から歿年の1990年まで、を仮に「初期」 「前期」「中期」「後期」としたい。「前期」「中期」「後期」を代表する詩集が前掲の《僧侶》《サフラン摘み》《薬玉》である。(9-c)テーマで展示を企画とは、まさに私が毎月《〈吉岡実〉を語る》でやっていることで、〈吉岡実の何何〉〈吉岡実と何何〉は、事物・書物・人物と、それこそ枚挙に遑がない。吉岡実全集における事項名・書名・人名の各索引がこれらに相当することになるだろう。

(10)【収蔵資料の公表について】
 文学館の収蔵する資料は研究者等の閲覧に供することだけでは足りない。資料は公表しなければならない。公表しなければ、資料は死蔵しているにひとしい。 /公表には、従来は文学館が刊行している(a)館報、ニュース、紀要その他の刊行物に掲載することが通常であったし、今後も、これらの刊行物に掲載して公 表する必要があるけれども、現在では、あわせて、(b)インターネットをつうじて公表することが、刊行物の配布以上に多数の人々に注目される機会を提供す るので、インターネットの利用を考える必要がある。/ただ、刊行物に掲載するにも、インターネットを利用するにも、これに先立って、(c)資料の翻刻が必 要である。しかし、肉筆資料を翻刻し、刊行物に掲載することは決して容易なことではない。たとえば、明治期の筆書きの書簡を読解して、翻刻して、掲載する には、崩し字や筆者特有の書体等を読み解かなければならないが、それには当然、熟練、知識、経験、能力等が必要である。さらに、たとえば、資料の制作時期 を特定するためには、資料の内容、資料の用紙の種類等、様々な状況から推定しなければならない。その文学作品、書簡等に関する周辺の事情を知らなければ、 資料の内容が分らないことが多いし、文学者がどういう原稿用紙を使用していたかを知ることも制作時期の推定に役立つのである。(一八九ページ)

(10-a)館報、ニュース、紀要その他の刊行物は当該文学館を訪れる者には入手しやすいが、同じものが(10-b)インターネットをつうじた公表、たとえばPDFで見られればそれに越したことはない。本文の公開が難しければ、目次だけでも充分に有効だろう。(10-c)資料の翻刻は 必須で、写真版は原物の存在を裏付けるための補足にとどめるべきだ(校訂が必要になる場合もあるだろう)。同時に、文学者の業績の概観、当該資料の来歴や 全体におけるその位置づけ、特徴を簡潔にまとめた解題も欠かせない。こうした基礎的な作業の累積をまって初めて、吉岡実全集も吉岡実文学館も可能になると 考える。

〔追記〕
冒頭に《文学館を考える――文学館学序説のためのエスキス》が、現在のところ文学館を考えるための唯一の書物だと記 したが、中村稔には本書に先立って、旭川から鹿児島まで全国56の文学館を訪ね、その興趣に触れ、さまざまな苦況を実感した《文学館感傷紀行》(新潮社、 1997年11月30日)がある。さらに同書とその補遺を収めたのが《中村稔著作集 第5巻 紀行・文学と文学館》(青土社、2005年7月1日)だ。《文学館感傷紀行》の56館、補遺の9館の合わせて65館のうち、私が訪れたことがあるのは13館だけだが、備忘のために掲げておこう。

中村稔《文学館感傷紀行》(新潮社、1997年11月30日)のジャケット
中村稔《文学館感傷紀行》(新潮社、1997年11月30日)のジャケット

前橋文学館――群馬県前橋市〔2000年に安藤元雄展を観た〕
姫路文学館――兵庫県姫路市〔1996年に永田耕衣展を観た〕
鎌倉文学館――神奈川県鎌倉市〔1990年に澁澤龍彦展を観た〕
神奈川近代文学館――神奈川県横浜市〔2001年に野間宏と戦後派の作家たち展を観た〕
俳句文学館――東京都新宿区
軽井沢高原文庫――長野県軽井沢町〔1987年に福永武彦展を観た〕
大佛次郎記念館――神奈川県横浜市
世田谷文学館――東京都世田谷区〔1996年に土方巽展、2002
年に西脇順三郎展、2007年に植草甚一展を観た〕
日本現代詩歌文学館――岩手県北上市〔1994年に現代詩のフロンティア――モダニズムの系譜%Wを観た〕
東京都近代文学博物館――東京都目黒区
宮沢賢治記念館――岩手県花巻市
日本近代文学館――東京都目黒区
古河文学館〔1999年に和田芳恵展を観た〕


中村稔は〈古河文学館〉(1998年12月23日訪問)で「私はかねて和田芳惠の一葉研究の偉大な業績、晩年の珠玉のような小説に甚大な敬意を払 い、また、吉岡実との関係で親近感を覚えてきた。とはいえ、和田芳惠自身は古河の出身ではない。吉岡実夫人の母親である和田夫人が古河の出身であり、いま も古河在住というゆかりである。そして、「寂」という文字だけが刻まれている和田芳惠の墓石にも関心を抱き続けてきた。古河にあるというその墓石の写真が あった。林の中とおぼしく、潅木にかこまれた墓石はいかにも「寂」という文字にふさわしく、底光りする地味な文学者にふさわしいものであった。私は巣鴨の とげぬき地蔵に隣接する、ごみごみした墓地の吉岡実の墓を思いだしたのだが、「寂」という墓石は吉岡のような前衛的な詩人にはふさわしくないことも事実で ある。/それでも、この僅かな空間は和田芳惠の仕事の一端を伝えるにも足りない」(《中村稔著作集》、五九七ページ)と書いている。


吉岡実詩集《静物》本文校異(小林一郎、2011年7月31日)

吉岡実の詩集《静物》は1955年8月20日、私家版すなわち吉岡の自費で出版された第三詩集にして戦後初の詩集で、17篇すべてが書きおろしである。本校異では、 自筆原稿形、 詩集《静物》掲載形、 《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)掲載形、 《吉岡実詩集》(思潮社、1967)掲載形、 《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)掲載形のうち、の一部は解題で言及)からまでの詩句を校合した本文とその校異を掲げた。これにより、吉岡が詩集《静物》各詩篇の初出形本文にその後どのように手を入れたかたどることができる。本稿は、からま での印刷上の細かな差異(具体的には漢字の字体の違い)を指摘することが主眼ではないので、シフトJISのテキストとして表示できる漢字はそれを優先し た。このため、不本意ながらユニコードによる「瀆」の代わりにシフトJISの「涜」を使用している点をご諒解いただきたい。最初に《静物》各本文の記 述・組方の概略を記す。

自筆原稿:吉岡実自筆の《静物》稿本(詩集印刷用原稿)は、吉岡の歿後、陽子夫人によって東京・目黒の日本近代文学館に寄贈された。稿本の概要をまとめた拙論〈吉岡実詩集《静物》稿本〉の 記載から詩篇の標題と本文に関する部分を解題に盛りこんだが、必ずしも自筆原稿の内容すべてを反映したものではない。なお、入沢康夫〈国語改革と私〉には 吉岡の談として「『静物』は、自分の勤めてゐた出版社に出入りしてゐた中どころの印刷所に、頼んで引受けてもらつた。自分は当時広告部にゐて、すつかり新 仮名になじんでしまつてゐたので、校正は社内の校閲部のヴェテランの友人に特に見てもらつて、誤りが出るのを防いだ。しかし、自分だけでは誤りが正せなか つたらう。それで、次にユリイカから詩集を出した時には、原稿の段階から新仮名で書いた」(丸谷才一編《国語改革を批判する〔日本語の世界16〕》、中央 公論社、1983、二二八ページ)とある。

詩集《静物》(私家版〔東京都練馬区南町四の六二七九 発行者太田大八〕、1955年8月20日):本文旧字旧仮名(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、五号30字詰および24字詰・25字詰11行1段組。二部構成〈T 静物〉〈U 讃歌〉の区分あり。

《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959年8月10日):本文新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、9ポ30字詰および24字詰・25字詰18行1段組。T・Uの区分なし。初版の奥付であっても刷りによって版面が異なる点に関しては、〔追記〕を参照されたい。

《吉岡実詩集》(思潮社、1967年10月1日):本文新字新かな(ひらがなの拗促音は並字、カタカナの拗促音は小字)使用、9ポ27字詰14行1段組。T・Uの区分なし。

《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、10ポ27字詰19行1段組。T・Uの区分なし。なお《吉岡実全詩集》の底本は 《吉岡実詩集》。
漢字に関しては、の旧字はウェブ上で正確に再現することができないので、掲載を見あわせた(参考までに、校異のあとに巻頭詩篇〈静物〉の旧字使用形を掲げた)。の旧字が以降は新字使用に方針転換されたため、変更(燈→灯、戾→戻、絲→糸、繩→縄、罐→缶、墮→堕)に漏れた場合は、校異の対象として異同を掲げた。以降、では使用されなかった漢字の反復記号の同の字点(々)が使用されている。かなに関しては、全17篇を通じて、旧仮名遣いが新かなづかいに変更された箇所が106、ひらがなの促音が並字(つ)から小字(っ)に変更された箇所が39あり、カタカナの拗促音はすべて小字である。からま での手入れ箇所を概観すると――ごく一部のサブスタンティブな変更を除けば――執筆や刊行当時の新聞・雑誌の表記基準に応じたものといえよう。詩篇の節番号の数字の位置(字下げ)は最終形を収めた《吉岡実全詩集》に倣って三字下げに統一し、字下げ・行どりは校異の対象としなかった。献辞の字下げも《吉岡実全詩集》のそれに準じた。なお〈吉岡実詩集本文校異について〉を参照のこと。

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《静物》詩篇細目

  詩篇標題(詩集番号・掲載順、詩篇本文行数、初出〔発行所名〕掲載年月日)

〔T 静物〕
静物(B・1、21行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
静物(B・2、13行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
静物(B・3、15行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
静物(B・4、21行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
或る世界(B・5、9行分、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
(B・6、16行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
(B・7、12行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
冬の歌(B・8、40行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
夏の絵(B・9、28行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
風景(B・10、28行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
〔U 讃歌〕
讃歌(B・11、34行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
挽歌(B・12、37行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
ジャングル(B・13、21行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
(B・14、35行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
寓話(B・15、18行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
犬の肖像(B・16、7節40行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)
過去(B・17、30行、詩集《静物》〔私家版〕1955年8月20日)

――――――――――

01T 静物→234(トル)〕

静物(B・1)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)六〜八ページ、本文五号11行1段組、21行。 《静物》の冒頭は初刊以来、一貫してこの〈静物〉で、吉岡実の手になる稿本でも最初の作品として製本されているが、次に述べるように、印刷所に 渡った段階では本詩篇は〈静物〉連作の二番めに置かれていた。吉岡は詩集の校正段階のある時点で、〈静物〔夜の器の硬い面の内で〕〉こそ巻頭詩篇にふさわ しいと断を下したのである(稿本での第一行は「夜の器の硬い面の内側で」とあったのを、鉛筆で「側」一文字を抹消してある)。
夜の器の硬い面の内で
あざやかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶ〔だ→234ど〕うの類
それぞれは
かさな〔123つ→っ〕たままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこた〔は→234わ〕る
そのま〔は→234わ〕りを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のま〔へ→234え〕で
石の〔や→234よ〕うに発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加〔へ→234え〕る
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく


静物(B・2)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)一〇〜一一ページ、本文五号11行1段 組、13行。稿本では、第一行が「非在〔もしくは「非存」、二文字めは「土」「子」どちらかを先に書いて上書きしている〕の鏡」とあったのを赤線で消して ある(下の写真参照)。稿本で当初、中扉「T 静物」のすぐあとに置かれていた〈静物〔夜はいつそう遠巻きにする〕〉こそ、印刷入稿時における《静物》の巻頭詩篇だった(〈吉岡実詩集《静物》稿本〉参照)。

吉岡実詩集《静物》稿本の〈静物〉(B・2)冒頭〔《日本近代文学館》第189号から〕
吉岡実詩集《静物》稿本の〈静物〉(B・2)冒頭〔《日本近代文学館》第189号から〕
夜はい〔123つ→っ〕そう遠巻きにする
魚のなかに
仮りに置かれた
骨たちが
星のある海をぬけだし
皿のう〔へ→234え〕で
ひそかに解体する
12燈→34灯〕りは
他の皿へ移る
そこに生の飢餓は享けつがれる
その皿のくぼみに
最初はかげを
次に卵を呼び入れる


静物(B・3)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)一二〜一三ページ、本文五号11行1段組、15行。
酒のない瓶の内の
コルクにつながれる
ぼくらの咽喉
ぼくらのかぼそい肉体
秤とともに傾く美しい蛇
ぼくらの眼は金の重みをもたぬ
記憶すべきは太陽
つねに新しい距離があり
ぼくらの心臓は
馬の腸のながい管を巻かぬ
夏の回廊を一廻りして
くらげばかりの夜の海へ
半分溺れたまま
ぼくらの頭
光らぬものを繁殖する


静物(B・4)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)一四〜一六ページ、本文五号11行1段組、21行。
台所の汚れた塩
犬のたれさがる陰茎
屋根のつきでた釘の頭

それらのもろい下部構造の一角を
暗い鏡へ映しながら
やがては
まだ形をなさぬ胎児の手足
画家の心象の岸べの馬
計算されない数字
類似の抽象まで
他の部屋 他の次元へ
はこび入れる

それらの異質のものを同じ高さで
同じ角度で静止させる
夜の仕事の華麗なる狡猾さである
しかし
重すぎるので
ただ一個の卵はそのまま
窓の卓に置かれている

そこには夜のみだらな狼〔藉→籍→34藉〕もなく
煌〔煌→234々〕と一個の卵が一個の月へ向〔123つ→っ〕て〔ゐ→234い〕る


或る世界(B・5)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)一八〜一九ページ、本文五号30字詰11行1段 組、9行分。吉岡が《静物》を編集する当たって、おそらく詩ノートに書いた下書きを一篇ごとに原稿用紙に清書した段階では詩篇の順番は決まっておらず、 詩集の構成が決定してから鉛筆で通しノンブルを記入したものと思われる。この時点では「14」「15」とノンブルを記した、刊本の《静物》のどこにも見え ない〈音楽〉という詩篇が存在したはずだ。稿本の〈或る世界〉に鉛筆書きノンブルのないことを傍証として、〈或る世界〉はその〈音楽〉に替わる新原 稿と考えられる(〈吉岡実詩集《静物》稿本〉参照)。
薄明のなかで 呼びおこされ うごきだし やがて立ちあがり 喚〔ば→234ぼ〕うとする 黄いろい原形のむれ つまりなめくじのごときもののむらがるカオス その拡大された皺の下から現〔は→234わ〕れる ぼくたちの形相 猛烈な汗のながれる ぼくたちの鼻 生きるための嘔吐をくりか〔へ→234え〕す ぼくたちの咽喉 しかも冬の日にはげしくさらされて 日〔日→234々〕亀裂を深めてゆく ぼくたちの歯 その暗い奥へたえず追〔ひ→234い〕か〔へ→234え〕され 巻きか〔へ→234え〕〔123つ→っ〕てゆく ぼくたちの舌 いま 落日の皿の海に沈みかける 脂のきれた骨の世界 その前にきて ぼくたちの突然巨大にな〔123つ→っ〕た口が凍る涎をたらす


(B・6)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)二〇〜二一ページ、本文五号11行1段組、16行。
雨のぬらした藁の寝床から
若い女は鮮明な姿態で起き上る
そのかたちについて
樹も起き上る
まぶしい太陽の下で
羞恥の斑が花の〔や→234よ〕うに
女のかくれた幹をながれる
う〔づ→234ず〕くまる裸の樹
その渇く内部
やがてまた地から
充分な樹液が注がれ滑らかになる
さ〔へ→234え〕ぎるもののない野へ
しなやかな姿勢で
根の瘤から
いまはじめて樹は
男の〔や→234よ〕うに立ち上る


(B・7)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)二二〜二三ページ、本文五号11行1段組、12行。吉岡は1949年8月1日の日記に「或る場所にある卵ほどさびしいものはないような気がする。これから出来るかぎり〈卵〉を主題にした詩篇を書いてみたいと思う」と書いている。
吉岡実詩集《静物》稿本の〈卵〉(B・7)冒頭〔《日本近代文学館》第190号から〕
吉岡実詩集《静物》稿本の〈卵〉(B・7)冒頭〔《日本近代文学館》第190号から〕
「いきてゐるものの影もなく/死の臭ひものぼらぬ」と読める
神も不在の時
いきて〔ゐ→234い〕るものの影もなく
死の臭〔ひ→234い〕ものぼらぬ
深い虚脱の夏の正午
密集した圏内から
雲のごときものを引き裂き
粘質のものを氾濫させ
森閑とした場所に
うまれたものがある
ひとつの生を暗示したものがある
塵と光りにみがかれた
一個の卵が大地を占めて〔ゐ→234い〕る


冬の歌(B・8)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)二四〜二八ページ、本文五号11行1段組、40行。吉岡の随想〈女へ捧げた三つの詩〉に依れば、tまたはTは池田友子である。
     〔〈tに〉→234Tに〕

その夜の空の華やかでさびしい殷賑
塵のなかから離れ
いくつかの星は沈む
大きな氷る器のなかに

われわれにどうして反響が聴かれようか
この愛のないところには

多くの屋根
太陽に育ちゆくこともない
われわれの石の屋根
冬の狭い窓は
男の固い心臓の上に
切れた紐の端をたらす
ここには多くのものは〔12戾→34戻〕らない
猫や風の叫びの他には

きしむベッ〔12ト→34ド〕で男はうつむく
まるで汚れた藁の奥に
死を凌駕するもの
結び目のないもの
法外な愛の充足を
手でさがすかの〔や→234よ〕うに

やがてすべての窓はひらかれなくなるだ〔ら→234ろ〕う
小さな風景一つ映しはしないだ〔ら→234ろ〕う
その吹きさらされた外を
沈んでい〔123つ→っ〕た多くの星
それに蹤いてい〔123つ→っ〕た多くのミニッツ
それらは一度は通〔123つ→っ〕てい〔123つ→っ〕たかも知れぬ
その眠らぬ男の眼や
皮膚のなかを

ひとりの女の愛を求める
男の淫らな歯に囚〔は→234わ〕れた咽び
枯れた野の木の根には
限りなく春へ捧げられる地の液が注がれるのに

あふれることもない
ただ深さだけを示すひとつの海の秩序がたもたれる
その男の暗い眼のなかで
いまはじめて
多くの沈んだ星はぬれ
徐〔徐→234々〕に光りだす
大きな器をとりまく
冬の夜明けの夥しい反響のなかに


夏の絵(B・9)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)三〇〜三二ページ、本文五号11行1段組、28行。
商港や浚渫船もこの夏は
狂信的な緑の儀式へ参加する
同時に
マストはにぎやかに梢となり
鳥の斑のある卵をいくつもかか〔へ→234え〕る
大きな葉を風は
船長の帽子へ投げ入れる
さかさまにひ〔123つ→っ〕くりか〔へ→234え〕〔123つ→っ〕た船長の股に木の実が熟れる
前進せよ沖へ
緑の波の中へ
波も緑のモザイクの葉
停止せよ
棘の緑に船の旗も破られる
緑の祝日は
太陽すらのぞかせぬ
小便する船乗りの犬
それも緑のとげへ
縦横にみどりの毛〔12絲→34糸〕でひ〔123つ→っ〕かか〔123つ→っ〕て〔ゐ→234い〕る
すこしほどくと枯れだす
船は上陸した
横た〔は→234わ〕る
大きな樹木にな〔123つ→っ〕て
根にかか〔へ→234え〕る千の石をおとし
枝〔枝→234々〕の間から
千の鳥を
沖の波にかこまれた
み〔づ→234ず〕み〔づ→234ず〕しい桃のなる
島へ帰らせる


風景(B・10)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)三四〜三六ページ、本文五号11行1段組、28行。本詩篇は、稿本の段階では目次・本文とも〈クートーの風景〉という題名だった(「クートー」については〈画家クートと詩〈模写〉の初出〉および〈リュシアン・クートーと二篇の吉岡実詩〉参照のこと)。その〈クートーの風景〉が校正のある時点で〈風景〉に変わったわけである。
緑の樹は
すみずみまで
けものの歯の中から
船や海岸や館の庭まで繁りつくす
つ〔ひ→234い〕には棘ばかりのバラの蔓は
石の出窓をのりこえ
女の奥ふかくの卵型の殻のふちまで
とりかこみそ〔123つ→っ〕と支〔へ→234え〕る
それは泛かんでしま〔123つ→っ〕た
発端のない世界の変りはてたすがた
注ぐ雨にかたむく世界
稲妻の光にひととき映されて
台所をこのんで歩く鶏たち
パン職人の旺盛なる欲情の手にい〔123つ→っ〕ぱい
黄なびた蛙の脚はたれさがり
それへ近づく
非常に静かにな〔123つ→っ〕た空
緑の弱〔弱→234々〕しく洩れてくる
落日の地方
ブリキ製の亀の手足や
首のひとゆれが見える町の家の灯
母親が現〔は→234わ〕れる
器の中に食物が捧げられ
いちじくの葉に
美しくわれだす露が示される
黄色に枯れてゆく
事物や風景の下で
家族は団欒する


01U 讃歌→234(トル)〕


讃歌(B・11)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)三八〜四一ページ、本文五号11行1段組、34行。
ぼくには拡がりが必要だ
さわやかな水の響が希〔は→234わ〕れる
ある夕べの部屋で
女の肖像をみつける
ぼくはその不倫にとまど〔ふ→234う〕
別の意味で感動しようとする
物の混同の機能を証明できないか
き〔は→234わ〕めて貧しい食堂の隅
詮索する
女の死
いまはじめてぼくのうちで女は死んだのだ
枠から遠ざかる
肖像の中の女の眼
その女の髪の中で
輝いた星は
いま曇〔123つ→っ〕て外れて〔ゐ→234い〕る
残酷な生存の世界から
全人類が眠〔123つ→っ〕た後
ぼくは一本の〔123繩→縄〕の端の円で
新しい世界
夜明けの釘をさがす
反映する空へ正確にちかづく
秋の木の実が夥しい
ぼくの飢〔ゑ→234え〕
ぼくの渇きが現〔は→234わ〕れる
地上を這〔ふ→234う〕朝のランプ
その新鮮な啓示の卓の卵
何ものにも容れられてない
ぼくの純粋なる振動
火 河 人間をこえ
全身の露をはら〔ひ→234い〕おとし
りりしくも
卵を啖〔ふ→234う〕若い獣へと
ぼくは大きく転身する


挽歌(B・12)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)四二〜四六ページ、本文五号11行1段組、37行。
わたしが水死人であり
ひとつの個の
く〔づ→234ず〕れてゆく時間の袋であるとい〔ふ→234う〕ことを
今だれが確証するだ〔ら→234ろ〕う
永い沈みの時
永い旅の末
太陽もなく
夕焼の雲もとばず
まちかどの恋びとのささやきも聴かない

かたちのないわたしの口がつぶやく
むなしいわたしの声の泡
かたちのないわたしの眼がみる
星の〔や→234よ〕うにおびただしいくらげのし〔づ→234ず〕し〔づ→234ず〕のぼ〔123つ→っ〕てゆくのを
かすかに点じられた
微粒のくらげの眼
沈んでゆくわたしの荷を
い〔123つ→っ〕せいに一瞥する
それにはおそろしく沈黙の年月がある〔や→234よ〕うに思〔は→234わ〕れた

わたしの死の証人たち
それはくらげのむれなのか
やたらにわたしの恥部をな〔12ぜ→34で〕る
海の藻の類の触手なのか
わたしをうけ入れるために
ひとつの場所を設定する
も〔123つ→っ〕と深く
も〔123つ→っ〕とはるかな暗みへ置かれる
水平な岩であるのか

地上から届けられた荷
す〔123つ→っ〕かり中味をぬきとられた袋の周辺では
お〔ほ→234お〕くの世界
お〔ほ→234お〕くの過去と未来
お〔ほ→234お〕くの生の過剰と貧困
それらすべてを跨いでくる
ひとつの死の大きさ
そのしずかな全体

腐れかか〔123つ→っ〕た半身をひきず〔123つ→っ〕て
幾千種の魚が游泳する


ジャングル(B・13)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)四八〜五〇ページ、本文五号24字詰・25字詰11行1段組、21行。本文は四八〜四九ページが24字詰で、五〇ページが25字詰で折り返してある。本書の四八〜四九ページ以外は25字詰で折り返してあることから、24字詰は組版上の不統一と考えられる。
木が茂る 実は熟れる 茂るまま枯れる
沈黙の中で 或は形而上の外で 実がおちる
枯れた枝の上に しばらくは幻象の重みが谺する
また茂る 永遠にくりか〔へ→234え〕す 無償のみどり
黄色の視線 まれには深紅の微点 ここには
生の乱費 生の惑〔は→234わ〕し 生の脅威 鳥はとぶ 反映に炎えつづける雲
渇く天の井戸 切実なる死の庇護 夏がすぎて秋へ 蛇がは〔ひ→234い〕ま〔は→234わ〕る
肉体の到達の場がない のたうつ寸秒が 滅びが美に価する
異形の卵がふえる それら雑種の卵が空間をし〔づ→234ず〕かに塡めてゆく
すべてに死のみごもる季節
木の根の瘤 石の下 罌粟の花 落日
あまりにも繁殖する世界 別にもう一つの世界が輝く〔(ベタ)→(全角アキ)→34(ベタ)〕ならば
あまりにも暗い きのこの密生する地の屋根
雨また雨のふりそそぐ 河のながれ
猛獣はたちまち交尾し 終る 喝釆のない田舎芝居の舞台の裡で 叫ぶ
午睡の岩は千丈も裂かれる 神の手も血ぬれて
突然の死と空間の恍惚たる交感状態 夜でも昼でもなく
皮とい〔ふ→234う〕皮がむかれて垂れさがる風景
その間からのぞく 青〔青→234々〕とした遠方
他になにものも示されない 見えぬ
わ〔づ→234ず〕かな極地の薄明に 泛かぶ 結晶する牙 生れながらの未だ浄らかな牙の他は


(B・14)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)五二〜五五ページ、本文五号11行1段組、35行。
ふりつづく雪に
す〔123つ→っ〕かり匿された
鶏小屋のほのぐらいなかで
いきもののイマージュ
生きつづけるものの差恥
かなしい排泄の臭気がただよ〔ふ→234う〕
内と外のけじめがなくなる時
しじまの裡で
牝鶏は卵をうみはじめる
雪よりも炎えた
白い卵が一層重みを増し
暗い照り合〔は→234わ〕ない辺境から
意志を発して
ずりおちてくる
空間は感じやすい均衡をやぶり
きんいろの藁のう〔へ→234え〕に
苦痛の生をうけとめる
へこむものが
藁でなければ
この大地であ〔ら→234ろ〕うか
し〔づ→234ず〕まり輝きだす
一個の異様な物体のま〔へ→234え〕で
見えないもの 把握できないものに
おびえたりいらだ〔123つ→っ〕たり
叫喚するものたちがたしかに〔ゐ→234い〕る
このひどい雪ぶりの向〔ふ→234う〕で
たじろぎ遠ざかる
それら
麻痺した烏賊の〔や→234よ〕うなむれ
薄明の金網の外では
次第に
塑像の〔や→234よ〕うに
下から埋ま〔123つ→っ〕てゆく
樹や
不安な社会がある


寓話(B・15)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)五六〜五九ページ、本文五号25字詰11行1段組、18行。自筆原稿末尾に「一九五五・三・五.」と稿本中唯一、脱稿日らしき記述がある(〈吉岡実とフランシス・ベーコン〉参照)。
肉屋の千匹の蠅 とび終り 〔12包→34庖〕丁刃物の類は 仮設の暗がりから あとずさりして 一段と深い世界へ沈みゆき

慰めのない 真夏の仕事場 凍る肉の重い柱 さかさにつるされる 完全に浄められた空間 すでに人間のはげしい咀嚼の音もと〔ほ→234お〕ざかり
(一行アキ)→234(ベタ)〕
今この店先の調理台のう〔へ→234え〕に 尾もない頭もない 一つの肉の原型 魅せられた〔や→234よ〕うに よこた〔は→234わ〕〔123つ→っ〕て

すべてのものの耳がゆれ立ち
すべてのものの舌が巻かれる時

苦痛の鉤からは〔づ→234ず〕れた凝脂の肉の神
虚しい過去 生の真昼の空を夢みようとする

  甘い太陽とみどりの草 臓腑の中で輝く 河
  と星屑 角の間へぼうぼう風をとばし 疾走
  する四肢の下で みだれる夕焼の雲 小鳥の
  脱糞 金の藁の中で つねに反芻される 自
  我のエクスタシイ
  地平の端を 汚れた鼻づらで冒す 兇悪な笑
  〔ひ→234い〕と 混淆の涎 ときに牝の尻の穴 柔媚な
  紅の座を嚊ぎつけ 嫣然と眦をほそめてゆく
  時――ああ果は 滂沱たる放尿の海

主人の猫ものぞかぬ 化石めいた深夜のホリゾント すな〔は→234わ〕ち店先の部厚い矩形の処刑台をきしませ 裂かれた肉の衣装のかげから 触発されたもの 突然立ち上りよみが〔へ→234え〕り みるみる形成されだす 裸の牡牛の像

へばりついた梁で 夜あけまでみぶる〔ひ→234い〕する 肉屋の千匹の蠅


犬の肖像(B・16)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)六〇〜六五ページ、本文五号11行1段組、7節40行。稿本では最初の題名が〈雨ざらしの犬〉であり、同時に、あるいは後日〈犬の肖像〉と副題が付けられ、最終的に〈犬の肖像〉となった。「雨ざらしの犬」は本文に見える詩句だが、〈犬の肖像〉には遠く及ばない。〈雨ざらしの犬――犬の肖像〉にしたところで同断である。
   1

或る時わたしは帰〔123つ→っ〕てくるだ〔ら→234ろ〕う
やせて雨にぬれた犬をつれて
他の人にもしその犬の烈しい存在
深い精神が見えなか〔123つ→っ〕たら
その犬の口をのぞけ
狂気の歯と凍る涎の輝く

   2

多くのもの
犬にと〔123つ→っ〕ては不用のもの
一人の男にと〔123つ→っ〕ては少ないが
意味のあるもの
ころがる〔123罐→缶〕の灰色
雑多なとぐろまく紐の類
机の上の乾酪
釘へさがるズボンのね〔ぢ→234じ〕れた束
自涜と枯れた花にわ〔づ→234ず〕かに慰められる
破廉恥な生活のわたしの天体
輝く涎の犬は見上げる

   3

いまわたしのまなびたいことは
木枯の電柱の暗い下で
股の周辺を汚物でぬらしながら
怒りに吠える
匿名の犬の位置へ至ることだ

   4

き〔は→234わ〕めて自然な路傍の受胎にはじまり
涜れて輝かしい自己の発生に負目なく
しかも一匹の系類に〔も→(トル)→34も〕みとられず
空樽のかたわらで
孤独の骨の存在を終る
雨ざらしの犬

   5

たと〔へ→234え〕ば結晶する月の全面へ血の爪をかけるほどの
わたしに肉の渇き
心の飢〔ゑ→234え〕が一度でもあ〔123つ→っ〕たか
わたしの頭をぬらし
わたしの塩辛い眼をながれる
雨と真実の汗があ〔123つ→っ〕たか
否 わたしは永遠にぬれざる亡霊

   6

わたしは犬の鼻をなめねばならぬ
あたらしい生涯の〔12墮→34堕〕落を試みねばならぬ
おびただしい犬の排泄のなかで

   7

その犬の舌から全世界の飢〔ゑ→234え〕が呼ばれる
その犬の耳から全世界の雨がたれる


過去(B・17)
初出は詩集《静物》(私家版、1955年8月20日)六六〜六九ページ、本文五号25字詰11行1段組、30行。吉岡は随想〈誓子断想〉に本篇から9行引用したあと、「これは私の〈過去〉という詩の一節であるがこの奇怪な形の魚を過去[、、]の象徴として造型したことに、私は自負をもっていた」と書いている。
その男はま〔づ→234ず〕ほそいくびから料理衣を垂らす
その男には意志がない〔や→234よ〕うに過去もない
鋭利な刃物を片手にさげて歩き出す
その男のみひらかれた眼の隅へ走りすぎる蟻の一列
刃物の両面で照らされては床の塵の類はざわざわしはじめる
もし料理されるものが
一個の便器であ〔123つ→っ〕ても恐らく
その物体は絶叫するだ〔ら→234ろ〕う
ただちに窓から太陽へ血をながすだ〔ら→234ろ〕う
いまその男をし〔づ→234ず〕かに待受けるもの
その男に欠けた
過去を与〔へ→234え〕るもの
台のう〔へ→234え〕にうごかぬ赤え〔ひ→234い〕が置かれて在る
斑のある大きなぬるぬるの背中
尾は深く地階へまで垂れて〔ゐ→234い〕る〔や→234よ〕うだ
その向〔ふ→234う〕は冬の雨の屋根ばかり
その男はすばやく料理衣のうでをまくり
赤え〔ひ→234い〕の生身の腹へ刃物を突き入れる
手応〔へ→234え〕がない
殺戮において
反応のないことは
手がよごれないとい〔ふ→234う〕ことは恐しいことなのだ
だがその男は少し〔づ→234ず〕つ力を入れて膜の〔や→234よ〕うな空間をひき裂いてゆく
吐きだされるもののない暗い深度
ときどき現〔は→234わ〕れてはうすれてゆく星
仕事が終るとその男はかべから帽子をは〔づ→234ず〕し
戸口から出る
今まで帽子でかくされた部分
恐怖からまもられた釘の個所
そこから充分な時の重さと円みをも〔123つ→っ〕た血がおもむろにながれだす

――――――――――

校異を見ればわかるように、《静物》は234とで は漢字もかなも表記の体系が大きく変わっている。冒頭で触れたように、吉岡は新聞や雑誌などの媒体が戦後の時流に合わせてつくった表記に則って出版社の広告業務を担当した関係で、その後は《静物》の単行詩集がそうであったような旧字・旧仮名で作品を書くことが難しくなっていった。以下に、巻頭詩篇〈静物〉を可能なかぎり旧字・旧仮名で再現してみよう。旧字を再現できない新字は赤で表示した。つまり、赤を旧字にしたものがの詩集《静物》ということになる。
靜物|吉岡實

夜のの硬い面の
あざやかさを揩オてくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶだうの類
それぞれは
かさなつたままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調
大いなる樂へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたはる
そのまはりを
めぐる豐かな腐爛の時間
いま死の齒のまへで
石のやうに發しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加へる
深いのなかで
この夜の假象の裡で
ときに
大きくかたむく
その後、吉岡の単行詩集の本文表記は、《僧侶》(1958)以降はかなが旧仮名から新かなに、《静かな家》(1968)以降は漢字が旧字から新字に変わっていくわけだが、基本的に漢字に読みがなのルビは付かない。ところがここに《静物》全篇を収録した《現代詩集〔現代文学大系67〕》(筑摩書房、1967年12月10日)があって、この本文がぱらルビなのである。ルビを除いた本文の漢字・かなの表記は、後述する二箇所を除いて、の《吉岡実詩集》(思潮社、1967年10月1日)とまったく同一だから、《現代詩集〔現代文学大系67〕》の原稿は《吉岡実詩集》の校了紙/責了紙(もしくはその入稿用の原稿)だったかもしれない。それというのも、吉岡が永田耕衣に宛てた1967年3月1日付のはがきに「全詩集〔思潮社版《吉岡実詩集》のこと〕も校了となり、四月には刊行されると思います。たのしみに待っていて下さい」(姫路文学館永田耕衣文庫所蔵)とあるからだ。次に《現代詩集〔現代文学大系67〕》掲載形 ← 《吉岡実詩集》掲載形で、ぱらルビのある詩句を挙げる。
燈[あか]りは ← 灯りは    〈静物〉(B・2)

ぼくらの咽喉[のど] ← ぼくらの咽喉    〈静物〉(B・3)
秤[はかり]とともに傾く美しい蛇 ← 秤とともに傾く美しい蛇    〈静物〉(B・3)

ぼくたちの突然巨大になつた口が凍る涎[よだれ]をたらす ← ぼくたちの突然巨大になつた口が凍る涎をたらす    〈或る世界〉(B・5)

その夜の空の華やかでさびしい殷賑[いんしん] ← その夜の空の華やかでさびしい殷賑    〈冬の歌〉(B・8)
男の淫らな歯に囚われた咽[むせ]び ← 男の淫らな歯に囚われた咽び    〈冬の歌〉(B・8)
冬の夜明けの夥[おびただ]しい反響のなかに ← 冬の夜明けの夥しい反響のなかに    〈冬の歌〉(B・8)

棘[とげ]の緑に船の旗も破られる ← 棘の緑に船の旗も破られる    〈夏の絵〉(B・9)

ついには棘[とげ]ばかりのバラの蔓[つる]は ← ついには棘ばかりのバラの蔓は    〈風景〉(B・10)
それは泛[う]かんでしまつた ← それは泛かんでしまつた    〈風景〉(B・10)

さわやかな水の響が希[ねが]われる ← さわやかな水の響が希われる    〈讃歌〉(B・11)
いま曇つて外[はず]れている ← いま曇つて外れている    〈讃歌〉(B・11)
秋の木の実が夥[おびただ]しい ← 秋の木の実が夥しい    〈讃歌〉(B・11)
卵を啖[く]う若い獣へと ← 卵を啖う若い獣へと    〈讃歌〉(B・11)

それらすべてを跨[また]いでくる ← それらすべてを跨いでくる    〈挽歌〉(B・12)

枯れた枝の上に しばらくは幻象の重みが谺[こだま]する ← 枯れた枝の上に しばらくは幻象の重みが谺する    〈ジャングル〉(B・13)
生の乱費 生の惑[まど]わし 生の脅威 鳥はとぶ 反映に炎えつづける雲 ← 生の乱費 生の惑わし 生の脅威 鳥はとぶ 反映に炎えつづける雲    〈ジャングル〉(B・13)
異形の卵がふえる それら雑種の卵が空間をしずかに 塡[う]めてゆく ← 異形の卵がふえる それら雑種の卵が空間をしずかに塡めてゆく    〈ジャングル〉(B・13)
木の根の瘤 石の下 罌粟[けし]の花 落日 ← 木の根の瘤 石の下 罌粟の花 落日    〈ジャングル〉(B・13)
わずかな極地の薄明に 泛[う]かぶ 結晶する牙 生れながらの未だ浄[きよ]らかな牙の他は ← わずかな極地の薄明に 泛かぶ 結晶する牙 生れながらの未だ浄らかな牙の他は    〈ジャングル〉(B・13)

すつかり匿[かく]された ← すつかり匿された    〈雪〉(B・14)
麻痺した烏賊[いか]のようなむれ ← 麻痺した烏賊のようなむれ    〈雪〉(B・14)

地 平の端を 汚れた鼻づらで冒す 兇悪な笑いと 混淆の涎[よだれ] ときに牝の尻の穴 柔媚な紅の座を嚊ぎつけ 嫣然[えんぜん]と眦[まなじり]をほそめてゆく時――ああ果は 滂沱たる放尿の海 ← 地平の端を 汚れた鼻づらで冒す 兇悪な笑いと 混淆の涎 ときに牝の尻の穴 柔媚な紅の座を嚊ぎつけ 嫣然と眦をほそめてゆく時――ああ果は 滂沱たる放尿の海    〈寓話〉(B・15)

殺戮[さつりく]において ← 殺戮において    〈過去〉(B・17)
《現代詩集〔現代文学大系67〕》の《静物》末尾には「(初版 昭和三十年八月、自〔ママ〕家版)」(同書、四二三ページ)と註記があるが、校異を見ればわかるように、本文はの初版を再現したものではない。にぱらルビを施したその本文は、刊行の時期からいってもの間に位置している。前述したように、冒頭の「燈[あか]りは ← 灯りは」と「包丁刃物の類は ← 庖丁刃物の類は」(〈寓話〉B・15)は漢字の変更漏れだろう。さらに同書には底本・校訂方針・文責が記されていない。一方、のちに《僧侶》を全篇収録した《現代詩集〔現代日本文學大系93〕》(筑摩書房、1973年4月5日)は詩篇の漢字にルビはなく(初版《僧侶》にもない)、註記に「(初版 昭和三十三年十一月二十日、ユリイカ刊)/編集部注 本詩集は思潮社版『吉岡実詩集』による」(同書、二八六ページ)と、簡単ながら書誌と底本が記されている。《現代詩集〔現代文学大系67〕》の《静物》にぱらルビを付けたのが誰なのかわからないが、推察するに、〔現代文学大系〕の編集部ではないだろうか。吉岡が用意した本文原稿の難読漢字に編集部が読みがなを振り、吉岡がそれを了承した、というあたりが実情に近いように思う。こうしたこともあったため、《現代詩集〔現代文学大系67〕》の《静物》本文は今回の校異に組みいれることをせず、参考資料としてここに掲げた。

〔追記〕《吉岡實詩集》における《静物》本文の問題点

《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》(書肆ユリイカ、1959)の《静物》本文の問題点をまとめておこう。本書は増刷しているにもかかわらず、奥付は一貫して初版発行日「1959年8月10日」と記載するだけなので、実見できた各本を刷りの早いと思われる順に【1】【2】と区分のうえ、便宜的に何何本と呼んで他と弁別し、その特徴を付記する。
【1】評者所蔵中村書店本(1990年購入)。日本近代文学館所蔵本も同じ。特徴は奥付裏が〔今日の詩人双書〕と〔海外の詩人双書〕の広告。巻末の〈詩集・ノオト〉の刷り位置が詩篇本文より約1文字上。初刷り本と考えられる。今回の《静物》校異ではの底本とした。
【2】評者所蔵田村書店本(1996年購入)。国立国会図書館所蔵本および東京都立多摩図書館所蔵本も同じ。特徴は奥付裏が白。巻末の〈詩集・ノオト〉の刷り位置が詩篇本文より約2文字下。後刷り本と考えられる。
余談になるが、日本近代文学館所蔵本は原装で、古書店のラベルを剥がしたような跡が後見返しにあるものの、状態は良い(献辞等はない)。それに較べて私がもっている本は、2冊とも背がダメージを受けており、中村書店本にいたっては、本文用紙の最初と最後の丁が表紙・見返しまわりにくっついたままちぎれ、中身がすっぽり外れてしまった。造本設計に無理があったとしか思えない(製本が糸かがりなので、今のところ本体がばらばらになる懼れはない)。なお同館の所蔵検索で表示される《吉岡實詩集》は、書誌としてたいへん優れている。とりわけ「シリーズ」に仏文表記(正しくは「Poetes d'aujour d'hui」だが)まで載録しているのには感心させられた。

表題 吉岡實詩集 / 吉岡實著, 篠田一士編集解説
シリーズ 今日の詩人双書 = Poetes d'aujourd'hui ; 5
出版者 ユリイカ
出版地 東京
出版年 1959
出版年月日 昭和34.8
数量・大きさ 148p, 図版1枚 ; 17cm
注記 表紙 : 浜田伊津子
著者標目 吉岡, 実(1919-)
著者標目 篠田, 一士(1927-1989)
参照ID BA65593014

本筋に戻れば、これらの各本が完全に同一の版面なら一括してとして扱えばいいのだが、本によって版面の状態が異なるので厄介だ。その間の事情を記した田中栞《書肆ユリイカの本》(青土社、2009年9月15日)から、神奈川近代文学館の本に関する記述を引き(〔 〕内は小林の補記)、これを【3】神奈川近代文学館所蔵本とする(未見)。
 『吉岡實詩集』(「今日の詩人双書」第五巻、奥付の発行日は昭和三四年八月一〇日)は三冊所蔵しており、奥付の発行年月日は同じだが、制作時期が全部異なるようだ。印刷面の比較(一〇五頁参照〔=「活版印刷で紙型を取った場合、別本の版面の大きさを比較して、大きさが異なれば、小さいほうが後に印刷された本だと判断できる」〕)などから、次のような順だろうと推測できる。
・一冊目(昭和三四年八月発行)……富本憲吉文庫所蔵本。奥付裏に「今日の詩人双書」第四巻までのラインナップが記されたリスト(広告)〔1957年3月10日刊《山本太郎詩集》、1957年8月30日刊《安東次男詩集》、1958年1月10日刊《吉本隆明詩集》、1958年6月1日刊《黒田三郎詩集》〕が掲載されている。〔初刷り本〕
・二冊目(昭和三四年八月から三五年一〇月までの間に制作。本書と同版である国会図書館本は、一〇一頁に記したように〔=〈ユリイカの出版物の国会図書館への納本状況〉「35・10・17(18冊)……吉岡實詩集」〕、昭和三五年一〇月一七日に、一三か月分の発行日の出版物一八冊がまとめて納本されたうちの一冊として受け入れられている。したがって本書も、納本受入印の日付までの期間のうちのどこかの時点で制作されたものと考えられる)……坂本一亀旧蔵本。国立国会図書館本と同版。奥付裏の双書広告なし。〔後刷り本〕
・三冊目(昭和三六年に制作?)……木村嘉長旧蔵本。本文の版が縮み、後刷本(増刷)である。「詩壇に最大の波紋を投げた問題の詩集「僧侶」全篇収録!」という帯つき。吉岡から詩人木村にあてて昭和三七年に寄贈したもの。〔さらに後刷り本〕(同書、一一八ページ)
田中栞《書肆ユリイカの本》の刊行を記念して開催された〈書肆ユリイカの本〉展(東京古書会館2階ギャラリー、2009年10月)における展示本のキャプションにはこうあった。――「5『吉岡實詩集』篠田一士編 昭和34年8月発行 ※奥付の発行年月日を代えない増刷あり。初刷には奥付裏に「今日の詩人双書」4点・「海外の詩人双書」5点〔1958年1月10日刊《プレヴェール詩集》、1958年1月15日刊《アンリ・ミショオ詩集》、1958年8月10日刊《ルネ・シャール詩集》、1958年8月10日刊《カミングズ詩集》、1959年3月31日刊《ゴットフリート・ベン詩集》〕の出版告知あり。『僧侶』帯(灰色上質紙製)つきは後刷本、さらにその後の増刷あり(奥付の罫に傷あり)。/ジャケット画・浜田伊津子 展示本は初刷で、『現代詩全集』等の広告チラシ1葉つき」――これらを踏まえて、以下の校異ではを上記【1】【2】で表示するとともに、【3】を細分化して、1冊めの富本憲吉文庫所蔵本を【3a】、2冊めの坂本一亀旧蔵本を【3b】、3冊めの木村嘉長旧蔵本を【3c】と呼ぶことにする。すなわち【3a】は【1】と同じ初刷り、【3b】は【2】と同じ後刷り、【3c】はさらに後刷りということになる。ここで《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》後刷り本の〈静物〉(B・4)の問題の箇所を掲げよう。

《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》後刷り本の〈静物〉(B・4)の版面(本文8・9行めが誤植)
《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》後刷り本の〈静物〉(B・4)の版面(本文8・9行めが誤植)

静物(B・4)

【1】=【3a】画→【2】=【3b】(ナシ)→34画〕家の心象の岸べの馬
【1】=【3a】計→【2】=【3b】(ナシ)→34計〕算されない数字

すなわち、後刷り本である田村書店本、国立国会図書館所蔵本、東京都立多摩図書館所蔵本(これは途中で所蔵館が変わっており、最初に収蔵された東京都立日比谷図書館での受入印の日付は「昭37. 2. 27」で、国会図書館への納本よりも1年4箇月ほど後)、そして神奈川近代文学館所蔵坂本一亀旧蔵本の各本では、「画家の心象の岸べの馬」「計算されない数字」とあるべき処がそれぞれ「家の心象の岸べの馬」「算されない数字」となっている。「算されない数字」はともかく、「家の心象の岸べの馬」はこれはこれで意味が通ってしまうだけに、痛いミスプリントだ。
私の手許には本書〔《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》〕の初版と思われる古書と、後刷りと思われる古書とが1冊ずつある。両者の外見はまったく同じで(ただし後者にが付いていた可能性もある)、奥付も同一だが、前者の奥付が裏白なのに対して、後者の奥付の裏は〔今日の詩人双書〕4冊と〔海外の詩人双書〕5冊の広告になっている。これがいちばんの違いである。本文も、よく見ると前者の誤植が後者で訂正されている(事情はむしろ逆で、誤植のある方を「初版」、訂正されている方を「後刷り」と呼んでいるのだが)。
上掲文は2008年11月、私が〈吉岡実詩集《僧侶》本文校異〉に書いた文章で、これに続けて収録詩集《僧侶》の誤植などの組版上の不具合を4つほど指摘している。しかし、ここまで記してきたように、「初版」と「後刷り」を取りちがえた記述ゆえに誤りである。よってここに、「初版は奥付裏が〔今日の詩人双書〕4冊と〔海外の詩人双書〕5冊の広告になっている本で、後刷りは奥付裏が白の本である」と訂正する。もっとも、取りちがえるには取りちがえるだけの理由があった。【1】は組版的に善本で、それゆえかつての私は【2】の誤植を正したのが【1】だと推測したわけだ。
ここから先は今の私の想像だが、活字を組んだまま刷る「原版刷り」だったに違いない初刷りの後、紙型を取る際、組みあげた版をぶつけるなどしたトラブルがあったのではないか。その結果、ページ隅の活字の転倒という《僧侶》の不具合や〈静物〉(B・4)の2行にわたる行頭1文字の脱落が生じたまま紙型化されたものと思しい(〈詩集・ノオト〉の刷り位置の変化が、事故か意図的なものかはわからないが)。そもそも原版刷りは小部数の印刷物に適した方式である。当初は版元もそれほど部数を見こんでいなかったのだろう。それが予想を超えた好評のため、急遽増刷することになった(吉岡実詩を特集・紹介した《文學界》1959年11月号の存在が大きかったろう)。紙型の元になった組版の不具合は、急ぎの作業ということもあって見すごされた。《吉岡實詩集〔今日の詩人双書5〕》の初版(初刷り)本になかった不具合が後刷り本に起きた経緯は、こうしたものではなかっただろうか。田中栞の指摘する原版刷りと紙型鉛版刷りの版面の比較検討からも導かれる結論だが、著者校正をきちんとしたはずの初版にあれほどの不具合が残るはずがない、と考える方がいっそう筋が通っている。吉岡実は《現代詩手帖》1959年11月号に発表した未刊の随想〈体の弱つた妻と心の弱つた僕と〉で、「ユリイカよりぼくの全詩集ともいうべき「吉岡実詩集」が出た。はじめて自費でない本を出版できたのをよろこぶ」と書いて、自ら祝しているのである。

〔2011年8月31日追記〕
〈吉岡実詩集《静物》稿本〉に、奥付の 自筆原稿形と 詩集《静物》掲載形を、校異を介して掲げておいた。


吉岡実詩に登場する植物(小林一郎、2011年6月30日)

日本の近現代詩人で最も幅広く研究の対象となっているのは、宮澤賢治だろう(次いで萩原朔太郎、中原中也あたりか)。宮澤の場合、文学以外の研究者が自分の専門とする領域(それが自然科学であれ、仏教であれ)から行なった研究が多いように思う。たまたま近くの図書館に桜田恒夫〔解説・写真〕《賢治のイーハトーブ植物園》(岩手日報社、1996年10月20日)があったので、読んでみた。詩や童話など宮澤の文章からの引用と、そこに登場する植物の解説、著者が撮影した植物の写真の三つがセットになった内容だった。以下に写真掲載の植物名を〈索引〉から拾う。

アイリス、アオイ、アオキ、アカシア、アケビ、アザミ、アザレア、アジサイ、アステルベ、アスナロ、アスパラガス、アセビ、アネモネ、アヤメ、ア ワ、アンテリナム、イグサ、イタドリ、イチイ、イチゴ、イチジク、イチハツ、イトスギ、イヌガヤ、イワカガミ、ウイキョウ、ウコンザクラ、ウズノシュゲ、 ウツギ、ウッコンコウ、ウツボグサ、ウド、ウメ、ウメバチソウ、ウルイ、エゾマツ、エンドウ、オオマツヨイグサ、オキナグサ、オシロイバナ、オニゲシ、オ ニユリ、オモダカ、オリザサチヴァ、カエデ、ガガイモ、カカリア、カキツバタ、カシ、カタクリ、カツラ、ガマ、カヤ、カラスウリ、カラマツ、カリン、カンゾウ、カンナ、キイチゴ、キチガイナ スビ、キビ、キミカゲソウ、キャラボク、キュウカ、キュウリ、キリ、キンポウゲ、クサワタ、クチナシ、クマザサ、グミ、クリプトメリア、クルミ、クレス、 クロッカス、クロマツ、クロモジ、クワ、ケール、ケヤキ、コウゾ、コケモモ、コブシ、ゴボウ、コヌカグサ、ゴマ、コメツガ、コムギ、サイカチ、サクラ、サクラソウ、サクランボ、ササゲ、サツキ、サボテン、サラジュ、サルオガセ、サルトリイバラ、サルノコシカケ、シコタンマツ、ジシバ リ、シドケ、シノザサ、シバ、シラカバ、シラネアオイ、シャガ、シャクナゲ、シャムピニオン、ジュズダマ、スイセン、スギ、スギゴケ、スギナ、スズカケノ キ、スズメノカタビラ、スズメノテッポウ、スズラン、スミレ、セキチク、セリ、セルリー、ゼンマイ、ターニップ、タケ、タデ、タマナ、タマネギ、タラノキ、タンポポ、チガヤ、チゴユリ、チシャ、チャ、チャボヒバ、チューウリップ、ツバイモモ、ツバキ、ツメクサ、ツユクサ、ツリガネソウ、ドイツトウヒ、トドマツ、ナスタシヤ、ニレ、ニンジン、ネギ、ネズコ、ネコヤナギ、ノバラ、ハイビャクシン、ハイマツ、ハクサンチドリ、ハコヤナギ、葉桜、ハタンキョウ、バナナ、ハナヤサイ、ハマナシ、バラ、バンクスマツ、ハンノキ、ヒカゲノカ ズラ、ヒナゲシ、ヒノキ、ヒヤシンス、フキ、フジ、プリムラ、フレップス、ヘリオトロープ、ホウナ、ホウレンソウ、ホタルカズラ、ボタン、ホップ、マグノリア、マダ、マチョ、マツ、マメ、ミズ、ミズキ、ミズバショウ、ミョウガ、ムスカリ、モウセンゴケ、モミ、モロコシ、ヤドリギ、ヤマツツジ、ヤマブキ、ユキナ、ユキヤナギ、ユッカ、ユリ、ヨモギ、ライラック、ラン、レンゲソウ、レンゲツツジ、ワラビ

以上、202種。おなじみのものも多いが、初めて聞くようなものもある(たとえばアステルベ、ムスカリ)。私には吉岡実詩に登場する植物の解説・写真を掲載する準備も能力もないので、《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)の本文から植物名を拾うにとどめる(未刊詩篇に〈絵のなかの女〉を追補した)。記載は、吉岡が記した植物名と出典。同じ詩篇に複数回登場する場合も、一回しか登場しない場合と同列に扱った。同じ植物で呼称が異なる場合も、名寄せはしない(ウォーターメロンとスイカ/水瓜/西瓜、ひつじぐさと水蓮/睡蓮は別にした)。辞書・事典類に掲載されている語は問題ないが、犬藻やシナゲシはどうしたものか。後者を漢字で書けば支那罌粟となろうが、吉岡が雛罌粟から造語した可能性も捨てきれない。よって、通常の事典や図鑑類に掲載されていない犬藻とシナゲシのふたつは採録を見あわせた。固有の品種でない語なども採らなかった。例を挙げれば、植物、藁(以上、30回)、藻(19回)、くだもの/果実(計14回)、野菜(10回)などである(ちなみに「動物」は全詩句中、25回登場する)。また○○色として登場する植物も採らなかった。ももいろ(13回)/桃色(4回)、ばらいろ/ばら色/バラ色(以上、各4回)/薔薇色(2回)などである。

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林檎    〈朝の硝子〉    (@・6)
夏蜜柑    〈白昼消息〉    (@・10)
薔薇    〈臙脂〉    (@・11)
桐    〈桐の花〉    (@・16)
杏    〈杏菓子〉    (@・17)
葡萄    〈病室〉    (@・18)

メロン    〈蒸発〉    (A・5)
仙人掌    〈失題〉    (A・7)
パセリ    〈絵本〉    (A・8)
葦    〈牧歌〉    (A・10)
林檎    〈相聞歌〉    (A・11)
ヒヤシンス    〈ひやしんす〉    (A・20)
楡    〈ひやしんす〉    (A・20)
あんず    〈或る葬曲の断想――〈墓地にて〉〉    (A・23)
蔦    〈或る葬曲の断想――〈墓地にて〉〉    (A・23)
あんず    〈灰色の手套〉    (A・25)
菩提樹    〈液体T〉    (A・26)
亜麻    〈花の肖像〉    (A・29)
葡萄    〈灯る曲線〉    (A・30)
葡萄    〈夢の翻訳――〈紛失した少年の日の唄〉〉    (A・32)

りんご    〈静物〉    (B・1)
梨    〈静物〉    (B・1)
ぶどう    〈静物〉    (B・1)
桃    〈夏の絵〉    (B・9)
バラ    〈風景〉    (B・10)
いちじく    〈風景〉    (B・10)
罌粟    〈ジャングル〉    (B・13)

玉葱    〈仕事〉    (C・4)
レモン    〈牧歌〉    (C・7)
蕪    〈僧侶〉    (C・8)
ぶどう    〈僧侶〉    (C・8)
桃    〈単純〉    (C・9)
西瓜    〈夏〉    (C・10)
へちま    〈固形〉    (C・11)
たんぽぽ    〈固形〉    (C・11)
らっきょう    〈回復〉    (C・12)
ざくろ    〈回復〉    (C・12)
瓜    〈苦力〉    (C・13)
高粱    〈苦力〉    (C・13)
ねじあやめ    〈苦力〉    (C・13)
粟    〈苦力〉    (C・13)
楊柳    〈苦力〉    (C・13)
樅    〈聖家族〉    (C・14)
ひまわり    〈聖家族〉    (C・14)
ばら    〈人質〉    (C・17)
桃    〈感傷〉    (C・18)
睡蓮    〈感傷〉    (C・18)
じゃがいも    〈感傷〉    (C・18)
麦    〈死児〉    (C・19)
かぼちゃ    〈死児〉    (C・19)
菫    〈死児〉    (C・19)
ばら    〈死児〉    (C・19)
蓮華    〈死児〉    (C・19)

杏    〈果物の終り〉    (D・2)
梨    〈果物の終り〉    (D・2)
小麦    〈果物の終り〉    (D・2)
とうがん    〈下痢〉    (D・3)
梨    〈下痢〉    (D・3)
ゼラニュウム    〈裸婦〉    (D・7)
苺    〈裸婦〉    (D・7)
玉葱    〈編物する女〉    (D・8)
苺    〈編物する女〉    (D・8)
にんじん    〈呪婚歌〉    (D・9)
オレンジ    〈呪婚歌〉    (D・9)
麦    〈呪婚歌〉    (D・9)
にんじん    〈田舎〉    (D・10)
西瓜    〈巫女〉    (D・14)
さるすべり    〈衣鉢〉    (D・16)
げんげ    〈衣鉢〉    (D・16)
竹    〈衣鉢〉    (D・16)
トマト    〈受難〉    (D・17)
夏みかん    〈狩られる女〉    (D・18)
杏    〈寄港〉    (D・19)
りんご    〈寄港〉    (D・19)
綿    〈寄港〉    (D・19)
巴旦杏    〈灯台にて〉    (D・20)
コスモス    〈灯台にて〉    (D・20)
へちま    〈灯台にて〉    (D・20)
チーク    〈灯台にて〉    (D・20)
太藺    〈沼・秋の絵〉    (D・21)
灯心草    〈沼・秋の絵〉    (D・21)
いちじく    〈修正と省略〉    (D・22)
菱    〈修正と省略〉    (D・22)
葡萄    〈修正と省略〉    (D・22)

トマト    〈劇のためのト書の試み〉    (E・1)
葛    〈無罪・有罪〉    (E・2)
仏手柑    〈無罪・有罪〉    (E・2)
桜んぼ    〈無罪・有罪〉    (E・2)
ススキ    〈珈琲〉    (E・3)
百合    〈模写〉    (E・4)
ニンジン    〈模写〉    (E・4)
キャベツ    〈模写〉    (E・4)
アスパラガス    〈模写〉    (E・4)
芝    〈馬・春の絵〉    (E・5)
リンゴ    〈馬・春の絵〉    (E・5)
ナツメ    〈馬・春の絵〉    (E・5)
燕麦    〈聖母頌〉    (E・6)
西瓜    〈聖母頌〉    (E・6)
桃    〈桃〉    (E・8)
タンポポ    〈桃〉    (E・8)
桃    〈春のオーロラ〉    (E・10)
柳    〈春のオーロラ〉    (E・10)
ヒース    〈スープはさめる〉    (E・11)
キュウリ    〈スープはさめる〉    (E・11)
ストロベリー    〈内的な恋唄〉    (E・12)
サンゴ樹    〈内的な恋唄〉    (E・12)
テッポーユリ    〈内的な恋唄〉    (E・12)
麦    〈内的な恋唄〉    (E・12)
ケシ    〈内的な恋唄〉    (E・12)
糸杉    〈内的な恋唄〉    (E・12)
コンニャク    〈ヒラメ〉    (E・13)
アネモネ    〈孤独なオートバイ〉    (E・14)
バナナ    〈孤独なオートバイ〉    (E・14)
レンゲ    〈孤独なオートバイ〉    (E・14)
サボテン    〈孤独なオートバイ〉    (E・14)
スミレ    〈恋する絵〉    (E・15)
麻    〈恋する絵〉    (E・15)
クワイ    〈恋する絵〉    (E・15)
コルク    〈恋する絵〉    (E・15)
パセリ    〈静かな家〉    (E・16)
竹    〈静かな家〉    (E・16)
ニッキ    〈静かな家〉    (E・16)
ツタ    〈静かな家〉    (E・16)
大麦    〈静かな家〉    (E・16)
スギ    〈静かな家〉    (E・16)

パイナップル    〈マクロコスモス〉    (F・1)
葦    〈マクロコスモス〉    (F・1)
ハハコグサ    〈マクロコスモス〉    (F・1)
タケニグサ    〈マクロコスモス〉    (F・1)
コルク    〈マクロコスモス〉    (F・1)
スズカケ    〈マクロコスモス〉    (F・1)
クチナシ    〈夏から秋まで〉    (F・2)
カヤツリグサ    〈夏から秋まで〉    (F・2)
ミカン    〈夏から秋まで〉    (F・2)
ススキ    〈夏から秋まで〉    (F・2)
リンゴ    〈立体〉    (F・3)
朝鮮アサガオ    〈立体〉    (F・3)
鈴懸    〈色彩の内部〉    (F・4)
クスノキ    〈色彩の内部〉    (F・4)
葦    〈色彩の内部〉    (F・4)
ヒルガオ    〈少女〉    (F・5)
スイカ    〈青い柱はどこにあるか?〉    (F・6)
サクラ    〈青い柱はどこにあるか?〉    (F・6)
スミレ    〈フォークソング〉    (F・7)
梨    〈フォークソング〉    (F・7)
トウモロコシ    〈フォークソング〉    (F・7)
ミカン    〈崑崙〉    (F・8)
イチジク    〈崑崙〉    (F・8)
バラ    〈崑崙〉    (F・8)
トウモロコシ    〈雨〉    (F・9)
ススキ    〈雨〉    (F・9)
ザクロ    〈雨〉    (F・9)
西瓜    〈聖少女〉    (F・10)
ススキ    〈聖少女〉    (F・10)
かるかや    〈聖少女〉    (F・10)
天竺牡丹    〈神秘的な時代の詩〉    (F・11)
ニンジン    〈神秘的な時代の詩〉    (F・11)
蘭    〈神秘的な時代の詩〉    (F・11)
紅葉    〈蜜はなぜ黄色なのか?〉    (F・12)
笹    〈夏の家〉    (F・13)
トリカブト    〈夏の家〉    (F・13)
ミモザ    〈夏の家〉    (F・13)
アザミ    〈弟子〉    (F・15)
スミレ    〈弟子〉    (F・15)
スミレ    〈わが馬ニコルスの思い出〉    (F・16)
ニンジン    〈わが馬ニコルスの思い出〉    (F・16)
カシ    〈わが馬ニコルスの思い出〉    (F・16)
ハマムギ    〈わが馬ニコルスの思い出〉    (F・16)
ツバキ    〈わが馬ニコルスの思い出〉    (F・16)
鉄砲ユリ    〈三重奏〉    (F・17)
サボテン    〈三重奏〉    (F・17)
三色スミレ    〈コレラ〉    (F・18)
センニンカズラ    〈コレラ〉    (F・18)
ニンニク    〈コレラ〉    (F・18)
サクランボ    〈コレラ〉    (F・18)
ブドウ    〈コレラ〉    (F・18)
ゴム    〈コレラ〉    (F・18)
とうもろこし    〈コレラ〉    (F・18)

サフラン    〈サフラン摘み〉    (G・1)
ブドウ    〈タコ〉    (G・2)
ヒヤシンス    〈ヒヤシンス或は水柱〉    (G・3)
ヤマモモ    〈ヒヤシンス或は水柱〉    (G・3)
ユズ    〈ヒヤシンス或は水柱〉    (G・3)
松    〈ヒヤシンス或は水柱〉    (G・3)
アネモネ    〈葉〉    (G・4)
バラ    〈葉〉    (G・4)
栗    〈葉〉    (G・4)
菜の花    〈葉〉    (G・4)
芹    〈葉〉    (G・4)
ハタンキョウ    〈葉〉    (G・4)
紅葉    〈マダム・レインの子供〉    (G・5)
ザクロ    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
イチジク    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
胡麻    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
水瓜    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
コウリャン    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
麻    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
ドロの木    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
梨    〈悪趣味な冬の旅〉    (G・6)
アジサイ    〈ピクニック〉    (G・7)
チシャ    〈ピクニック〉    (G・7)
葡萄    〈ピクニック〉    (G・7)
茄子    〈聖あんま語彙篇〉    (G・8)
生姜    〈聖あんま語彙篇〉    (G・8)
西瓜    〈聖あんま語彙篇〉    (G・8)
胡瓜    〈聖あんま語彙篇〉    (G・8)
スギナ    〈聖あんま語彙篇〉    (G・8)
タモ    〈わが家の記念写真〉    (G・9)
コルク    〈わが家の記念写真〉    (G・9)
ナツメ    〈生誕〉    (G・10)
ニラ    〈ルイス・キャロルを探す方法〔わがアリスへの接近〕〉    (G・11)
イチジク    〈ルイス・キャロルを探す方法〔少女伝説〕〉    (G・11)
ツタ    〈ルイス・キャロルを探す方法〔少女伝説〕〉    (G・11)
バラ    〈ルイス・キャロルを探す方法〔少女伝説〕〉    (G・11)
キヅタ    〈ルイス・キャロルを探す方法〔少女伝説〕〉    (G・11)
カリフラワー    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
オレンジ    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
桃    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
燈心草    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
オリーブ    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
ひまわり    〈『アリス』狩り〉    (G・12)
水蓮    〈草上の晩餐〉    (G・13)
ぜんまい    〈田園〉    (G・14)
梨    〈田園〉    (G・14)
羊歯    〈田園〉    (G・14)
ウォーターヒヤシンス    〈田園〉    (G・14)
タマネギ    〈田園〉    (G・14)
蜜柑    〈田園〉    (G・14)
樫    〈田園〉    (G・14)
とうもろこし    〈田園〉    (G・14)
ミカン    〈不滅の形態〉    (G・16)
大豆    〈不滅の形態〉    (G・16)
韮    〈絵画〉    (G・18)
西洋李    〈絵画〉    (G・18)
胡瓜    〈異霊祭〉    (G・19)
茄子    〈異霊祭〉    (G・19)
蓮    〈異霊祭〉    (G・19)
セロリ    〈メデアム・夢見る家族〉    (G・21)
綿    〈メデアム・夢見る家族〉    (G・21)
百合    〈メデアム・夢見る家族〉    (G・21)
仙人掌    〈舵手の書〉    (G・22)
ストロベリー    〈舵手の書〉    (G・22)
キャベツ    〈舵手の書〉    (G・22)
薔薇    〈舵手の書〉    (G・22)
オレンジ    〈舵手の書〉    (G・22)
パセリ    〈白夜〉    (G・23)
リンゴ    〈ゾンネンシュターンの船〉    (G・24)
サボテン    〈ゾンネンシュターンの船〉    (G・24)
かぶら    〈ゾンネンシュターンの船〉    (G・24)
百合    〈サイレント・あるいは鮭〉    (G・25)
朝顔    〈悪趣味な夏の旅〉    (G・26)
ひなげし    〈悪趣味な夏の旅〉    (G・26)
綿    〈示影針(グノーモン)〉    (G・27)
白蓮[ロータス]    〈示影針(グノーモン)〉    (G・27)
どんぐり    〈示影針(グノーモン)〉    (G・27)
さやえんどう豆    〈示影針(グノーモン)〉    (G・27)
蓮根    〈カカシ〉    (G・28)
へちま    〈カカシ〉    (G・28)
玉葱    〈少年〉    (G・29)
じゃがいも    〈少年〉    (G・29)
ブドウ    〈少年〉    (G・29)
巴旦杏    〈少年〉    (G・29)
ひまわり    〈少年〉    (G・29)
松    〈少年〉    (G・29)
スミレ    〈少年〉    (G・29)
粟    〈あまがつ頌〉    (G・30)
稗    〈あまがつ頌〉    (G・30)
茄子    〈あまがつ頌〉    (G・30)
さんざし    〈あまがつ頌〉    (G・30)
あけび    〈あまがつ頌〉    (G・30)
杉    〈あまがつ頌〉    (G・30)
ねこじゃらし    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
アネモネ    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
梨    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
そらまめ    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
ヒース    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
芝    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
麦    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
百合    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
石榴    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
葡萄    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)
棕櫚    〈悪趣味な内面の秋の旅〉    (G・31)

花菖蒲    〈楽園〉    (H・1)
天人唐草    〈蝉〉    (H・3)
おおばこ    〈蝉〉    (H・3)
百合    〈蝉〉    (H・3)
バラ    〈蝉〉    (H・3)
柳    〈蝉〉    (H・3)
バナナ    〈子供の儀礼〉    (H・4)
無花果    〈子供の儀礼〉    (H・4)
胡椒    〈子供の儀礼〉    (H・4)
柘榴    〈子供の儀礼〉    (H・4)
冬瓜    〈子供の儀礼〉    (H・4)
げんげ    〈子供の儀礼〉    (H・4)
松    〈子供の儀礼〉    (H・4)
立葵    〈水鏡〉    (H・6)
栗    〈晩夏〉    (H・7)
柳絮    〈草の迷宮〉    (H・9)
ねじあやめ    〈草の迷宮〉    (H・9)
ウォーターメロン    〈草の迷宮〉    (H・9)
アネモネ    〈螺旋形〉    (H・10)
さくら    〈螺旋形〉    (H・10)
枝豆    〈父・あるいは夏〉    (H・12)
紫蘇    〈父・あるいは夏〉    (H・12)
巴旦杏    〈幻場〉    (H・13)
薄荷    〈幻場〉    (H・13)
ゼラニウム    〈雷雨の姿を見よ〉    (H・14)
葛    〈狐〉    (H・15)
かたくり    〈狐〉    (H・15)
つりふねそう    〈織物の三つの端布〉    (H・16)
栗    〈金柑譚〉    (H・17)
金柑    〈金柑譚〉    (H・17)
百合    〈使者〉    (H・18)
竹    〈使者〉    (H・18)
薄荷    〈悪趣味な春の旅〉    (H・19)
葦    〈悪趣味な春の旅〉    (H・19)
葡萄    〈夏の宴〉    (H・20)
タラの木    〈夏の宴〉    (H・20)
イタドリ    〈夏の宴〉    (H・20)
林檎    〈夏の宴〉    (H・20)
ネクタリン    〈夏の宴〉    (H・20)
キンポウゲ    〈夏の宴〉    (H・20)
薔薇    〈夏の宴〉    (H・20)
西瓜    〈夏の宴〉    (H・20)
トチ    〈夏の宴〉    (H・20)
胡瓜    〈夏の宴〉    (H・20)
うまごやし    〈夏の宴〉    (H・20)
オリーブ    〈夢のアステリスク〉    (H・22)
綿    〈夢のアステリスク〉    (H・22)
夾竹桃    〈夢のアステリスク〉    (H・22)
虎杖    〈詠歌〉    (H・23)
杉    〈この世の夏〉    (H・24)
あんず    〈この世の夏〉    (H・24)
キャベツ    〈裸子植物〉    (H・25)
オリーヴ    〈「青と発音する」〉    (H・27)
葡萄    〈円筒の内側〉    (H・28)
ツクネイモ    〈円筒の内側〉    (H・28)
桜    〈円筒の内側〉    (H・28)

ライラック    〈ライラック・ガーデン〉    (I・3)
かんらん    〈ライラック・ガーデン〉    (I・3)
冬瓜    〈家族〉    (I・11)
梨    〈春の絵〉    (I・12)
スイカ    〈スイカ・視覚的な夏〉    (I・13)
アイリス    〈花・変形〉    (I・14)
クローバー    〈花・変形〉    (I・14)
通草    〈鄙歌〉    (I・15)
胡桃    〈紀行〉    (I・16)
とるこききょう    〈人工花園〉    (I・19)
がま    〈人工花園〉    (I・19)
羊歯    〈人工花園〉    (I・19)
アナナス    〈人工花園〉    (I・19)
アロエ    〈人工花園〉    (I・19)
アンセリウム    〈人工花園〉    (I・19)
燕麦    〈人工花園〉    (I・19)
大麦    〈人工花園〉    (I・19)
マグノリア    〈人工花園〉    (I・19)
とりかぶと    〈人工花園〉    (I・19)
メリネ    〈人工花園〉    (I・19)
グロリオサ    〈人工花園〉    (I・19)
ブバリア    〈人工花園〉    (I・19)
われもこう    〈人工花園〉    (I・19)
イチゴ    〈人工花園〉    (I・19)
アマリリス    〈人工花園〉    (I・19)
あかのまんま    〈人工花園〉    (I・19)
ヒイラギ    〈猿〉    (I・20)
天人唐草    〈ツグミ〉    (I・21)

松    〈雞〉    (J・1)
灯心草    〈雞〉    (J・1)
とうもろこし    〈雞〉    (J・1)
ぶどう    〈竪の声〉    (J・2)
毒人参    〈竪の声〉    (J・2)
オシロイバナ    〈影絵〉    (J・3)
トウキビ    〈影絵〉    (J・3)
竹    〈影絵〉    (J・3)
葡萄    〈影絵〉    (J・3)
アネモネ    〈青枝篇〉    (J・4)
シキミ    〈青枝篇〉    (J・4)
カシワ    〈青枝篇〉    (J・4)
ガマ    〈青枝篇〉    (J・4)
かぼちゃ    〈青枝篇〉    (J・4)
ラッパスイセン    〈青枝篇〉    (J・4)
薄荷    〈青枝篇〉    (J・4)
粟    〈青枝篇〉    (J・4)
笹    〈青枝篇〉    (J・4)
葦    〈青枝篇〉    (J・4)
マツカサ    〈青枝篇〉    (J・4)
ウイキョウ    〈青枝篇〉    (J・4)
竹    〈壁掛〉    (J・5)
百合根    〈壁掛〉    (J・5)
オレンジ    〈巡礼〉    (J・7)
トマト    〈巡礼〉    (J・7)
桃    〈巡礼〉    (J・7)
すもも    〈巡礼〉    (J・7)
紅葉    〈巡礼〉    (J・7)
粟    〈巡礼〉    (J・7)
葱    〈秋思賦〉    (J・8)
山吹    〈天竺〉    (J・9)
やまもも    〈天竺〉    (J・9)
粟    〈天竺〉    (J・9)
稗    〈天竺〉    (J・9)
菊    〈薬玉〉    (J・10)
巴旦杏    〈薬玉〉    (J・10)
蕨手    〈薬玉〉    (J・10)
カミツレ    〈薬玉〉    (J・10)
トウモロコシ    〈春思賦〉    (J・11)
巴旦杏    〈春思賦〉    (J・11)
ひつじぐさ    〈垂乳根〉    (J・12)
にら    〈垂乳根〉    (J・12)
無花果    〈垂乳根〉    (J・12)
唐辛子    〈垂乳根〉    (J・12)
タラの木    〈哀歌〉    (J・13)
ヒョータン    〈哀歌〉    (J・13)
葫蘆[ころ]    〈哀歌〉    (J・13)
瓢箪    〈哀歌〉    (J・13)
かやつりぐさ    〈哀歌〉    (J・13)
すすき    〈哀歌〉    (J・13)
ボタンヅル    〈哀歌〉    (J・13)
えびかずら    〈甘露〉    (J・14)
ニワトコ    〈甘露〉    (J・14)
柳    〈甘露〉    (J・14)
葦牙[あしかび]    〈甘露〉    (J・14)
メボウキ    〈東風〉    (J・15)
桃    〈東風〉    (J・15)
竹    〈東風〉    (J・15)
匂いスミレ    〈東風〉    (J・15)
梨    〈東風〉    (J・15)
松    〈東風〉    (J・15)
槲[かしわ]    〈求肥〉    (J・16)
亜麻    〈求肥〉    (J・16)
丁子    〈落雁〉    (J・17)
歯朶    〈蓬莱〉    (J・18)
橙    〈蓬莱〉    (J・18)
榧    〈蓬莱〉    (J・18)
松    〈蓬莱〉    (J・18)
矢車草    〈蓬莱〉    (J・18)
樟    〈蓬莱〉    (J・18)
竹    〈蓬莱〉    (J・18)
マホガニー    〈青海波〉    (J・19)
瓜    〈青海波〉    (J・19)
桃    〈青海波〉    (J・19)
桑    〈青海波〉    (J・19)
松    〈青海波〉    (J・19)
無花果    〈青海波〉    (J・19)
葫蘆[ころ]    〈青海波〉    (J・19)
柊    〈青海波〉    (J・19)

苦艾    〈産霊(むすび)〉    (K・1)
賢木[さかき]    〈産霊(むすび)〉    (K・1)
カタバミ    〈カタバミの花のように〉    (K・2)
松    〈わだつみ〉    (K・3)
柳    〈聖童子譚〉    (K・4)
芥子    〈聖童子譚〉    (K・4)
ふくべ    〈聖童子譚〉    (K・4)
麦    〈聖童子譚〉    (K・4)
葦    〈聖童子譚〉    (K・4)
西洋梨    〈秋の領分〉    (K・5)
コスモス    〈秋の領分〉    (K・5)
柏    〈秋の領分〉    (K・5)
桜    〈薄荷〉    (K・6)
薄荷    〈薄荷〉    (K・6)
蓮    〈薄荷〉    (K・6)
糸杉    〈雪解〉    (K・7)
スミレ    〈雪解〉    (K・7)
蓮華    〈寿星(カノプス)〉    (K・8)
桜    〈寿星(カノプス)〉    (K・8)
西瓜    〈銀幕〉    (K・9)
マッシュルーム    〈銀幕〉    (K・9)
葦    〈銀幕〉    (K・9)
柘榴    〈ムーンドロップ〉    (K・10)
篠笹    〈ムーンドロップ〉    (K・10)
松    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
蕗    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
茗荷    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
菖蒲    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
葱    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
葦    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
蔦    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
菊    〈聖あんま断腸詩篇〉    (K・12)
葱    〈睡蓮〉    (K・13)
ざくろ    〈睡蓮〉    (K・13)
睡蓮    〈睡蓮〉    (K・13)
青葡萄    〈睡蓮〉    (K・13)
百合    〈睡蓮〉    (K・13)
匂いあやめ    〈睡蓮〉    (K・13)
茴香    〈睡蓮〉    (K・13)
銀梅花[みると]    〈睡蓮〉    (K・13)
無花果    〈睡蓮〉    (K・13)
おだまき    〈苧環(おだまき)〉    (K・14)
おきなぐさ    〈晩鐘〉    (K・15)
金雀枝    〈晩鐘〉    (K・15)
羊歯    〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉    (K・17)
オリーヴ    〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉    (K・17)
馬尾藻[ほんだわら]    〈〔食母〕頌〉    (K・19)
さるすべり    〈〔食母〕頌〉    (K・19)
花蓮[はちす]    〈〔食母〕頌〉    (K・19)

キャベツ    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
ジャガイモ    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
レモン    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
麦    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
けし    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
糸杉    〈哀歌〉    (未刊詩篇・9)
羊歯    〈冬の森〉    (未刊詩篇・11)
桃    〈スワンベルグの歌〉    (未刊詩篇・12)
ドリアン    〈絵のなかの女〉    (未刊詩篇・15)
ザクロ    〈白狐〉    (未刊詩篇・16)
杉    〈白狐〉    (未刊詩篇・16)
亜麻    〈亜麻〉    (未刊詩篇・17)
ホウセンカ    〈永遠の昼寝〉    (未刊詩篇・19)
杏    〈永遠の昼寝〉    (未刊詩篇・19)
蓮    〈雲井〉    (未刊詩篇・20)
白楊    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
桃    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
梨    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
蘆    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
ニッキ    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
あざみ    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
タマリスク    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
ライラック    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10)
葦    〈波よ永遠に止れ〉    (未刊詩篇・10))

バナナ    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
唐黍    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
薊    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
蘆    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
矢車    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
林檎    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
葦    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
葱    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
枇杷    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
蜜柑    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
筍    〈蜾蠃鈔)    (@・21)
桐    〈蜾蠃鈔)    (@・21)

――――――――――――――――――――

上記掲載回数が3回以上の植物を多い順に挙げてみよう(複数ある表記の場合、おおむねひらがな/カタカナ/漢字の順で列挙)。ぶどう/ブドウ/葡萄(15回)、葦/蘆(12回)、桃(11回)、スイカ/水瓜/西瓜、梨、ばら/バラ/薔薇(以上、10回)、いちじく/イチジク/無花果、松、りんご/リンゴ/林檎(以上、9回)、ざくろ/ザクロ/石榴/柘榴(8回)、あんず/杏、スミレ/菫、竹、百合(以上、7回)、とうもろこし/トウモロコシ、ハタンキョウ/巴旦杏、麦(以上、6回)、アネモネ、粟、さくら/サクラ/桜、歯朶/羊歯、すすき/ススキ、にんじん/ニンジン、ミカン/蜜柑(以上、5回)、オリーヴ/オリーブ、オレンジ、キャベツ、キュウリ/胡瓜、スギ/杉、タマネギ/玉葱、ツタ/蔦、葱、薄荷、柳、綿(以上、4回)、あざみ/アザミ/薊、亜麻、イチゴ/苺、糸杉、カシワ/柏/槲[かしわ]、栗、けし/芥子/罌粟、コルク、サボテン、じゃがいも/ジャガイモ、水蓮/睡蓮、とうがん/冬瓜、灯心草/燈心草、トマト、茄子、にら/ニラ/韮、蓮、パセリ、バナナ、ひまわり、へちま、紅葉、レンゲ/蓮華(以上、3回)。これら全部で58種の植物のうち、次の29種が野菜だったり、果実や種子が食用になったりするものなのは注目に値する。アワ、アンズ、イチゴ、イチジク、オリーブ、オレンジ、キャベツ、キュウリ、クリ、ザクロ、ジャガイモ、スイカ、タマネギ、トウガン、トウモロコシ、トマト、ナシ、ナス、ニラ、ニンジン、ネギ、パセリ、ハタンキョウ、バナナ、ブドウ、ミカン、ムギ、モモ、リンゴ。花らしい花は次の10種。アザミ、アネモネ、ケシ、スイレン、スミレ、ハス、バラ、ヒマワリ、ユリ、レンゲ。木らしい木は次の5種。イトスギ、カシワ、スギ、マツ、ヤナギ。ここからなにか結論めいたことを引きだすのは難しいが、静物画の対象にふさわしいものが多いということは言える。「りんごや梨やぶどうの類」(〈静物〉B・1)。秋のくだものに代表される吉岡実の植物は、目で食べられることを欲している。

〔付記〕
桜田恒夫 《賢治のイーハトーブ植物園》には〈参考文献〉(同書、〔二一五ページ〕)として次の書目――レファレンスブック(参考図書類)とテキスト(本文)――が挙 げられている。該当するであろう書目に、国立国会図書館の書誌NDL-OPACをリンクさせてみた(書名の〔 〕は小林の補記、複数巻の書目のリンクは割 愛した)。細かいことだが、〈参考文献〉を謳う以 上、標題の表記に正確を期すのはもちろんのこと、辞書や事典の類であっても編者名・版次・刊行年を掲げるべきである。

牧野新〔日本〕植物図鑑(北隆館)
万有百科大事典植物編(小学館)
〔図解〕植物観察事典(地人書館)
〔図説〕草木辞苑(柏書房)
英米文学植物民俗誌(冨山房)
花の歳時記〔カラー版〕(淡交社)

新修宮沢賢治全集(筑摩書房)
校本宮沢賢治全集(筑摩書房)
宮沢賢治語彙辞典(東京書籍)
年譜宮沢賢治伝(中公文庫)

国語大辞典(小学館)
広辞苑(岩波書店)
大漢和辞典(大修館)

仏教〔語〕大辞典(東京書籍)

《新修宮沢賢治全集》は一般読者向け本文、《校本宮沢賢治全集》は研究者向け本文、《宮沢賢治語彙辞典》はレキシコン(文筆家個人における語彙・用語集)、《年譜宮沢賢治伝》は伝記で、どれも文学研究に欠かすことのできない基本的文献だ。吉岡実にはこれらに相当するものがひとつとして存在しない。いずれはわが《吉岡実の詩の世界》を基に、それらを編んでみたいものだ。


野平一郎作曲〈Dashu no sho, for voice and alto saxophone(2003)〉のこと(小林一郎、2011年5月31日)

《吉岡実書誌》の〈V 主要作品収録書目録〉二〇〇八年 〔平成二〇年〕の記載を引く。「Japanese Love Songs(日本の恋歌)〔録 音資料〕 メゾソプラノ:小林真理、アルトサクソフォン:クロード・ドゥラングル 二〇〇八年一二月 BIS ▽舵手の書(抜粋)〔野平一郎作曲の Dashu no sho, for voice and alto saxophone(2003)の歌詞〕 *ライナーノーツ〔Dashu no sho (The Helmsman's Book), ...〕 *舵手の書〔1・5・6節〕原詩のローマ字表記および英訳」
ライナーノーツ〔Dashu no sho (The Helmsman's Book), ...〕 を和訳してみる。「〈舵手の書〉は、野平一郎(1953- )の作品の土台として用いられた吉岡実(1919-90)によるシュルレアリスム詩で、美しさと実現に至らない着想の要素とを鮮やかに示している。詩篇はもう一人のシュルレアリスト詩人である瀧口修造に捧げられているが、瀧口は武満徹の精神的父とみなされる(武満は作曲家としての経歴の初期に多くの瀧口の詩を音楽にしている)。野平一郎は東京藝術大学とパリ国立高等音楽院で作曲を学び、リゲティ、ドナトーニ、エトヴェシュ、ファーニホウの下で学んだ。1990年からは東京藝術大学教授であり、現在、作曲とピアニストとしての経歴に専念している。その業績全体により、サントリー音楽賞と芸術選奨文部科学大臣賞を受賞」 (《Japanese Love Songs》、ブックレット、六〜七ページ)。CDではトラック11が野平作品で、クレジットに「NODAIRA, ICHIRO (b. 1953)/DASHU NO SHO for voice and alto saxophone(2003)(Lemoire)    9' 35/Text: adapted from a poem by Minoru Yoshioka/Commissioned by Claude Delangle」とある。ブックレットに歌詞(ローマ字表記の原詩と英訳〔訳者名の記載なし、ただしブックレット全体の英訳者はAndrew Barnett〕)が載録されているので、ローマ字表記を原文に戻して引用する(ブックレットに節番号はない)。

1
雨は The rain
夏の仙人掌の棘の上に降る falls on the prickles of the summer cactus
それは一つのスタイルだ that is a certain style
ガートルード・スタイン嬢は語った Ms Gertrude Stein reported,
「人間の死の充満せる ‘The flower basket,
   花籠は     swollen with the deaths of people,
どうしてこれほど why is it such
        軽い容器なのか?」     a lightweight container?’
それを両手で支えて holding it in both hands
眼をみひらいて近づければ and bringing one's wide-open eyes closer to it
「光をすこしずつ閉じこめ ‘gradually shutting in the light
たり逆に闇を閉じこめたりする」 or on the contrary shutting in the darkness’
これは近世の神話といえるんだ one might say that it is a modern-day myth


5
人は自由な手を所持している Man possesses two free hands
それゆえに and thus
不自由な薔薇の頭を大切に抑えて carefully holds the hampered head of roses
「黙って ‘silently
歩いていってしまった」 walked away’
それは形態学上 morphologically speaking
きわめて自己撞着的だと this is extremely self-contradictory
へンリー・ムアは夢の王妃を鉄で造る Henry Moore sculpts the queen of the dreams in iron
炎のような内面 the interior like the flame
オレンジのなかの黒曜石 obsidian within the orange
それが島だ there is the island
青い海をリードする the helmsman and the octopus
舵手と蛸 conduct the blue sea


6
なぜ夜明けの聖像群はフィルムのように Why, at dawn, does the group of sacred images fade
灰色に沈んでいるのか into the grey, like in a film?
「憑きものの水晶抜け」の秋 autumn of ‘a possession beyond the crystal’
詩を書く少年の腰のあたりまで around the waist of an adolescent writing a poem
白い波がうち奇せ the white waves break
竜骨は海岸に出現する the keel emerges on the beach

Text: Minoru Yoshioka (1919-90), extracts from the poem‘Dashu no sho’, included in‘Safurantsumi’ (‘Saffron Picking’, Seidosha, 1976), used by the composer as the basis of the work‘Dashu no sho’

《Japanese Love Songs(日本の恋歌)》(BIS-CD-1630、2008年12月)のブックレット表紙
《Japanese Love Songs(日本の恋歌)》(BIS-CD-1630、2008年12月)のブックレット表紙

〈舵手の書〉(G・ 22)はかつて外国語に訳されたことがないはずだから、抄とはいえ貴重な翻訳である。野平の〈舵手の書〉の曲とCDの演奏についてだが、これが私には難物であ る。小林真理のメゾソプラノとクロード・ドゥラングルのアルトサクソフォンによる歌と演奏は、絶妙の掛け合いをみせる。小林の歌は(歌詞が日本語であることは確かなのだが)、やはり歌詞よりもアーティキュレーションを味わうべきものだと感じられる。ドゥラングルのサックスはしっとり とした質感を保ちつつ、縦横に駆けめぐり、ジャズの荒荒しさとは別の、この楽器が本来持っているゆかしさを発揮している。音楽全般に興味を示さなかった吉岡実が、この現代音楽を聴いてどう思ったか。黙って首を振っただろうか、それともこちらが予想もしなかったことを言っただろうか。訊いてみたかった。


吉岡実詩集《ムーンドロップ》本文校異(小林一郎、2011年4月30日)

吉岡実の詩集《ムーンドロップ》は1988年11月25日に書肆山田から刊行された。1984年12月から1988年9月までに発表された詩篇19作品を収める (なお、〈聖童子譚〉に変改吸収された〈小曲〉が1984年9月に、同じく〈少年 あるいは秋〉が10月に発表されている)。本稿では、 雑誌・新聞掲載用入稿原稿形、 初出雑誌・新聞掲載形、 《ムーンドロップ》(書肆山田、1988)掲載形、 《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)掲載形のうち、からま での詩句を校合した本文とその校異を掲げた。これにより、吉岡が詩集《ムーンドロップ》各詩篇の初出形本文にその後どのように手を入れたか、たどることが できる。本稿は印刷上の細かな差異(具体的には、漢字の字体の違い)を指摘することが主眼ではないので、シフトJISのテキストとして表示できる漢字はそ れを優先した(原本を再現するため、「」などのユニコード文字を使った箇所がある)。なお、漢字が新字の本文の新字以外の漢字は、シフトJISのテキストで表示可能なかぎり、校異としてこれを載録した。初めに《ムーンドロップ》各本文の記述・組方の概略を記す。

雑誌・新聞掲載用入稿原稿:おそらく陽子夫人の手になる詩集掲載用入稿原稿とともに2011年4月の時点で未見だが、漢字は新字、かなは新かな(拗促音は小字すなわち捨て仮名)で書かれたと考えられる。

初出雑誌・新聞:各詩篇の本文前に記載した。本文の表示は基本的に新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用なので、特記なき場合はこれを表わす。

《ムーンドロップ》(書肆山田、1988年11月25日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、12ポ13行1段組(ただし〈聖あんま断腸詩篇〉のみ五号15行1段組)。

《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、10ポ19行1段組。なお《吉岡実全詩集》の底本は 《ムーンドロップ》。
詩篇の節番号の数字の位置(字下げ)は最終形を収めた《吉岡実全詩集》に倣って三字下げに統一し、字下げ・行どりは校異の対象としなかった。本文前の献辞 や詞書、本文後の註記の字下げも《吉岡実全詩集》のそれに準じた。ところで、吉岡は《ムーンドロップ》の詩篇の標題、詞書、本文、註記で数種類の括弧を使 用している。具体的には以下の六種類である。使用頻度順に、
パーレン ( ) 296箇所
鍵括弧 「 」 149箇所
亀甲 〔 〕 114箇所
二重鍵括弧
『 』 2箇所
二重パーレン (( )) 1箇所
ギュメ 〈 〉 1箇所
本校異では、本文の読みがな=ルビや傍点を[ ]に入れて示し、印刷物のように行間に表示する方法を採らなかった。異同箇所は〔 〕に入れて指摘した。こ れらの措置により本文の字下げがわかりにくくなっているが、[ ]や〔 〕を外せば原本の状態が復元できよう。異同箇所を表わす〔 〕内の( )の中は、 校正用語を借用して手入れの説明とした。たとえば、詩句のあとの〔(三下)→23(天ツキ)〕は、初出形では天から三字下げで置かれていた詩句が《ムーンドロップ》と《吉岡実全詩集》では天ツキに変更になったことを表わす。この「天ツキ」だが、括弧類で詩句が始まる場合、123と も半角の括弧が組版の天のラインに接する「ベタ」がほとんどである(一部の新聞などでは半角括弧に先立って半角アキで始まる――見かけは全角に括弧が鋳こ まれているのと同じ――こともある)。本校異では半角括弧も一文字としてカウントし、半角括弧二つをもって一文字分の扱いとしなかった。これは、第一に吉 岡が括弧類を一桝に書いているのを重視したことと、第二にシフトJISでは和文の括弧類が全角のため、「天ツキ=ベタ」の場合と半角アキで始まる場合を技 術的に区別できないことによる。吉岡自身は、原稿では一字分(ときには数文字分)空けたあとの桝目に最初の文字を記して、起こしの括弧類は天のラインの上部に (あたかも組版の「ぶら下げ」と反対の「突き出し」のようにはみ出させて)書いている(〈吉岡実の手蹟〔詩篇〈永遠の昼寝〉の清書原稿〕〉参 照)。この書法は雑誌・新聞掲載用入稿原稿である陽子夫人による浄書稿もおそらく同じで(厳密に言えば、前掲括弧類のうち起こしと受けの鍵括弧「 」だけ は一桝に書かれず、原稿用紙に書かれた文字と同じ桝目の隅に、文字と同居する形で書かれている。玉英堂書店出品の陽子夫人の手になる〈雷雨の姿 を見よ〉(H・14)の原稿〔出典:玉英堂書店 : 吉岡実詩稿〕を参照のこと)、字句の配置を原稿のまま再現したと思われる印刷物に〈わだつみ〉〈銀幕〉〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉〈〔食母〕頌〉初出形がある。なお〈吉岡実詩集本文校異について〉を参照のこと。

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《ムーンドロップ》詩篇細目

  詩篇標題(詩集番号・掲載順、詩篇本文行数、初出《誌紙名》〔発行所名〕掲載年月日(号)〔(巻)号〕)

産霊(むすび)(K・1、62行、《ユリイカ》〔青土社〕1986年12月臨時増刊号〔18巻14号〕)
カタバミの花のように(K・2、29行、《朝日新聞〔夕刊〕》〔朝日新聞東京本社〕1985年7月26日〔35760号〕)
わだつみ(K・3、32行、《毎日新聞〔夕刊〕》〔毎日新聞東京本社〕1985年1月5日〔39054号〕)
聖童子譚(K・4、〔1 夏〕〔2 秋〕〔3 冬〕〔4 春〕83行、《ユリイカ》〔青土社〕1984年12月臨時増刊号〔16巻14号〕)
 少年 あるいは秋(〈聖童子譚〉に変改吸収、14行、《別冊婦人公論》〔中央公論社〕1984年10月〔秋・5巻4号〕)
 小曲(〈聖童子譚〉に変改吸収、20行、《Mainichi Daily News》〔毎日新聞社〕1984年9月17日〔22128号〕)
秋の領分(K・5、32行、〈小沢純展〉パンフレット〔青木画廊〕1985年9月17日)
薄荷(K・6、4節50行、《四谷シモン 人形愛》〔美術出版社刊〕1985年6月10日)
雪解(K・7、20行、《文學界》〔文藝春秋〕1986年1月号〔40巻1号〕)
寿星(カノプス)(K・8、5節78行、《海燕》〔福武書店〕1986年1月号〔5巻1号〕)
銀幕(K・9、39行、梅木英治銅版画集《日々の惑星》〔ギャラリープチフォルム刊〕1986年12月3日)
ムーンドロップ(K・10、5節80行、《潭》〔書肆山田〕1985年4月〔2号〕)
叙景(K・11、36行、《現代詩手帖》〔思潮社〕1986年8月号〔29巻8号〕)
聖あんま断腸詩篇(K・12、〔T 物質の悲鳴〕〔U メソッド〕〔V テキスト〕〔W 故園追憶〕〔X (衰弱体の採集)〕〔Y 挽歌〕〔Z 像と石文〕〔[ 慈悲心鳥〕196行、《新潮》〔新潮社〕1986年6月号〔83巻6号〕)
睡蓮(K・13、3節64行、《海燕》〔福武書店〕1987年11月号〔6巻11号〕)
苧環(おだまき)(K・14、34行、《季刊花神》〔花神社〕1987年8月〔1巻2号〕)
晩鐘(K・15、4節74行、《新潮》〔新潮社〕1988年5月号〔85巻5号(通巻1000号)〕)
青空(アジュール)(K・16、20行、《文學界》〔文藝春秋〕1988年1月号〔42巻1号〕)
銀鮫(キメラ・ファンタスマ)(K・17、6節112行、《ユリイカ》〔青土社〕1988年6月臨時増刊号〔20巻7号〕)
(K・18、35行、《毎日新聞〔夕刊〕》〔毎日新聞東京本社〕1987年12月28日〔40120号〕)
〔食母〕頌(K・19、4節74行、《中央公論文芸特集》〔中央公論社〕1988年9月〔秋季・5巻3号〕)
初出一覧

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産霊(むすび)(K・1)
初出は《ユリイカ》〔青土社〕1986年12月臨時増刊号〔18巻14号〕一六〜一九ページ、本文9ポ22行1段組、62行。
〔聖なる蜘蛛〕
       風をこばみ 露にあらがう日々
「緑となった躰を
        最後にひとしきり
                痙攣させて……」
(〔紡→23績〕麻[うみお])の屑のうえに
          〔匿名の器のような
            三つの卵をうむ〕
一つは(扇)のごとく浮遊し
一つは(書物)のごとく沈澱し
一つは(精液)のごとく消滅する
               〔(ナシ)→23野の〕夕映えの空の下で
「見ることは一瞬にして尽きるよ」
                捕虫網をかざしながら
わが少年は帰る
       (祓除人形[はらいひとがた])の流れる岸べを
限りなく溯行せよ
        石船型の(都市)まで
「影のなかには
       無数の知覚や記号が
       胚種としてひしめいている」
舗道の隅で
     「犬の糞を見て
            突然
     そこに(人生)があると叫んだ」〔(五下)→23(九下)〕
狂気の画家のように醒めて
            「子供として死に
             大人として再生する」
手順を模倣せよ
       少年はしばしの間(生と死)の境界線に
       身(魂)を置いている
〔狼と犬の間〕=黄昏どき
            「裸婦はものうく
肉体をさらしている」
          苦艾の匂いがする?
      〔〔→23(〕母胎[マトリクス]〔〕→23)〕
          「何かが現われるというより
何かがたえまなく
        消えてゆく」
              やさしい(闇)
草や苔などが繁茂し
         生物が殖えてゆく
(産霊[むすび])の世界
       太陽や神力の(業[わざ])を受け〔続→23継〕ぎ
賢木[さかき]で斎[いわ]い浄めて
        「言語の通用する
        (日常圏[テリトリー])を排除せよ」
(紫電金線)のなかで
          美しくはげしく
                 汚物は流れる
(白紙)の上に
       〔思考を抱える主体〕
        少年は物(語)を書くだろうか〔(八下)→23(七下)〕
「〔気持がいいとても→23意味のとぎれる境界線〕」
          〔眼の前→23(トル)〕で熟しつつある〔(一〇下)→23(一二下)〕
「一つの(果実)は
         〔(→23〔〕羽根 蜜 帆柱
                 なによりも処女性
晴雨計 歯型
      スポンジの多孔質
              腐敗と喪失〔)→23〕〕などの
多くの(部分)を含んでいる」

カタバミの花のように(K・2)
初出は《朝日新聞〔夕刊〕》〔朝日新聞東京本社〕1985年7月26日〔35760号〕七面、本文7.5ポ3段組、30行。初出・絵「加納光於」。顔写 真とともに、横組で「よしおか・みのる 1919年、東京生まれ。シュルレアリスティックなイメージにあふれた詩集『僧侶』で第9回H氏賞。著書に『サフラン摘 み』(高見順賞)、『薬玉』(歴程賞)など。」と紹介がある。本書〈初出一覧――〉には「(改作)」と記されている。
「兎を抱く少女像」
       これは今わた〔(ナシ)→23く〕しが見ている〔(七下)→23(九下)〕
朱塗りの額縁に収まった〔(天ツキ)→23(二二下)〕
          絵画[、、]なのか?〔(一〇下)→23(一六下)〕
「これは絵ではない」
        窓の外の崖の上で〔(八下)→23(一〇下)〕
カタバミの花はそよぎ〔(天ツキ)→23(一八下)〕
         雲は〔(ナシ)→23空を〕揺曳している〔(九下)→23(八下)〕
「青には大きさがない
        それは大きさを〔(八下)→23(一〇下)〕〔(追込)→23(改行・一七下)〕超えている」
夏→23涼しい風〕のひるさがり
      兎を抱いて少女が来る〔(六下)→23(一〇下)〕
二番煎じの→23わたくしは〕〔(改行)→23(追込)〕
    〔(四下)→23(トル)〕紅茶を〔すす→23啜〕り
          〔わたしは妄想する→23(トル)〕
「事物と密着した部分へ〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
         指を差し入れる」〔(九下)→23(二一下)〕
蝉がジージー鳴く
       竹すだれを透かして眺めよ〔(七下)→23(八下)〕
「肉体という〔(天ツキ)→23(二下)〕
    広大なる風景」〔(四下)→23(八下)〕
           男たちが遠方の藪や川で〔(一一下)→23(天ツキ)〕
探しあぐねているもの[、、]を〔(天ツキ)→23(一一下)〕
          女たちは素早く手に入れる〔(一〇下)→23(二二下)〕
吹出物だらけの少女よ
          「野の風は
               もはや帰らぬ」
やがて〔きみ[、、]→23少女〕は身籠り
        赤ん坊を産む時〔(八下)→23(九下)〕
        「光は影からもがき出てくる」〔(八下)→23(一六下)〕

わだつみ(K・3)
初出は《毎日新聞〔夕刊〕》〔毎日新聞東京本社〕1985年1月5日〔39054号〕四面、本文新聞活字1倍扁平1段組、31行。初出「写真・佐々木正和」。冒頭にも記したように、入稿原稿を忠実に再現したためだろう、他のほとんどの詩篇と異なり行頭の起こしの鍵括弧(「)とパーレン(()が天のラインの上部に組まれている。ここでは字下げの異同を初出形に対する手入れとして記載したが、最初=1行めの鍵括弧と文字(「祖)の間と最終=31行めの鍵括弧と文字(「真)の間を結んだ線を天のラインと仮定すると、9行め(ぼくは遊行のすえ家路をたどる)、20行め(洗われる下着や(撞木))、29行め(白波立つ 沸騰点より)の各詩句は、一字下げではなく天ツキということになる。
「祖父は山へ柴刈りにゆき
            松の小枝とともに
  谷の淵へ落ちてゆき〔(二下)→23(三下)〕
           祖母は川へ洗濯にゆき〔(一一下)→23(一二下)〕
(空虚舟[うつほぶね])で〔漂→23ただよ〕い出る」
           時じく 散る花 鳴く鳥〔(一一下)→23(一三下)〕
「死も一つの放浪である」
            とは〔賢者→23中世の詩人〕のことばだ
 ぼくは遊行のすえ家路をたどる〔(一下)→23(天ツキ)〕
               一歩〔二→23一〕歩ゆるやかに〔(一五下)→23(一四下)〕
「金色の亀が這っている大地」
        (夜見[よみ]) 遠見〔(八下)→23(一四下)〕
              此処からこの世を眺めよ〔(一四下)→23(二一下)〕
「包帯を巻かれた
        牛の脚が見え
        椅子の折れた脚が見え」
                   薄明がくる
「花咲く木の下に眠る女」
            〔わが妹→23ぼくの許婚〕のふとももが見える
 洗われる下着や(撞木)〔(一下)→23(天ツキ)〕
            みどりの網の目をひろげる〔(一二下)→23(一一下)〕
                   (地下茎)〔(一九下)→23(二三下)〕
     〔さざなみ (白骨) 裂けた岩→23(トル)〕
「わだつみの彼方は
         永遠に(妣[はは])のくに」
                   〔(ナシ)→23さざなみ 裂けた岩〕
               〔(ナシ)→23(白骨)〕
「母は船の帆のように美しく
       光と風を受け」〔(七下)→23(一三下)〕
              〔(ナシ)→23大きく〕孕んでいる〔(一四下)→23(二〇下)〕
 白波立つ 沸騰点より〔(一下)→23(天ツキ)〕
           父はいきいきと(朽木)で〔(ナシ)→23は〕なく〔(一一下)→23(一〇下)〕
「真紅の鯛を釣り上げる」

聖童子譚(K・4)
初出は《ユリイカ》〔青土社〕1984年12月臨時増刊号〔16巻14号〕一六〜二〇ページ、本文9ポ22行1段組、〔1 夏〕〔2 秋〕〔3 冬〕〔4 春〕83行。初出註記に「*(1)は別冊「婦人公論」、(2)は「英文毎日ニュース」に発表したものである。」とあるように〈少年 あるいは秋〉(《別冊婦人公論》〔中央公論社〕1984年10月〔秋・5巻4号〕三七三ページ、14行)と〈小曲〉(《Mainichi Daily News》〔毎日新聞社〕1984年9月17日〔22128号〕九面の〈20:20――20 Poems by 20 Poets in 20 Lines〉、20行、ローマ字表記〈Shookyoku〉とRoger Pulversによる英訳〈A Short Piece of Music〉を付す)のそれぞれ全行を変改吸収。〔1 夏〕は〈少年 あるいは秋〉をとして、〔2 秋〕は〈小曲〉をとして、〈聖童子譚〉本文との異同を記した。
   1 夏

ぼくは(父)を憎んでいるようだ
(母)のかくしどころの〔(天ツキ)→123(三下)〕
           (深淵)より〔(一一下)→123(一四下)〕
A1にがり→23藻〕や〔A1泡→23水〕沫とともに
          胎生の(弟)が浮かび上る〔A1(一〇下)→23(八下)〕
(句読点)の(点)のように
             あいまいな夏の日々
鯉は腹を割かれつつ
         一つの(呪文)をくりかえす
その口唇はやわらかく
          今宵の(姉)のようだ
荒ぶる魂 冷えるかかと
ぼくは〔A1(ナシ)→23ブリキの〕水鉄砲で〔A1(天ツキ)→23(一一下)〕
       (実体)なきものを撃ちつづける〔A1(七下)→23(天ツキ)〕

   2 秋

眼のまえで
     「一つの石が
           空中で溶け失せても
      驚かない」
絶世の美人がいる
       日傘をくるくる廻し〔 夕日のなかに→123(トル)〕〔(七下)→123(八下)〕
(ナシ)→123(一七下)夕日のなかに〕
ぼくは少年だから
        あらゆる〔B1(ナシ)→23(〕章句〔B1(ナシ)→23)〕に
               疑問符を打つ〔B1(一五下)→23(一七下)〕
「彼女の正体」を見よ
      柳の葉のかげから〔B1現われた幽霊?→23(トル)〕〔(六下)→123(一〇下)〕
      〔B1それともアフロディーテーの末裔?→23(一八下)現われた幽霊?〕〔(六下)→(一〇下)〕
今もツバメが飛びかい
          芥子の花が咲きみだれ
この世かあの世か判断できない
              「カーテンの
レース織りに包まれる」〔(天ツキ)→(二下)→23(三下)〕
            村落から沼沢地まで〔(一二下)→(一三下)→23(一四下)〕
「死ぬ人は駆け足だ」
          すでに〔B1(ナシ)→23晩〕秋〔B1のはじまり→23(トル)〕

   3 冬

「ふくべ棚のあなたより
           現われ出でる
北斗七星」
     旧家の中庭の狭筵[さむしろ]で
              母は詠っているようだ
狐は川から魚を取る
 猿は木から果実を取る
            みはるかす蒼海原〔から→23(トル)〕〔(一二下)→23(一四下)〕
父は手ぶらで帰って来る
           〔「→23(〕粟散辺土[ぞくさんへんど]〔」へ→23)に〕
隣人はいそいそと
        「麦の袋を数えたり
         墓碑銘を刻んだり」

   4 春

かげろうは消え→23かりうどは帰って行く〕
       土蜂〔はかえってゆく→23とともに〕〔(七下)→23(一〇下)〕
野の〔丈なす草むら→23仮りの住処〕へ〔(天ツキ)→23(二下)〕
         待ちつづけるもの〔(九下)→23(一〇下)〕
待〔(ナシ)→23た〕された(磐根[いわね])をめぐり
            ざわざわする 木立の木の葉〔(一二下)→23(一三下)〕
            ざわざわする (皺を持つ鏡)〔(一二下)→23(一三下)〕
それらの(霊媒〔化→23(トル)〕[メデイアム])
         土摺り 草摺り 岩摺り〔(九下)→23(八下)〕
探し求めよ!
      真言
        炭素
          卵
           福袋
             竪琴
「事物と〔ことば→23言葉〕は
        同じ傷口から〔(八下)→23(七下)〕
血を流す」
     カンノンビラキ
            の金色の扉より覗け
(秩序[コスモス]〔(ナシ)→23)〕を裂く〔)→23(トル)〕
       ひとりの女が腰をひねった
陽気立つ(空桑[くうそう])のおくから
  (賢者)も
  (愚者)も
       産みおとされる
              石のごとく 蝋のごとく
           漂泊の岸に〔(一一下)→23(九下)〕
葦の葉の舟は流れ
        いずこも春のひるさがり
水枕の恋しい(身削[みそ]ぎ)の母よ
              ぼくはいまだ(小男[おぐな])だ
蝶や小鳥の舞いとぶ
         花園を這いまわり
(ナシ)→23(〕黄頷蛇[さとめぐり]〔(ナシ)→23)〕を捕え〔た→23る〕

秋の領分(K・5)
初出は〈小沢純展〉パンフレット〔青木画廊〕1985年9月17日、本文16級17行1段組、32行。表紙に冒頭の4行が3倍アキの追込・横組で記されている。詩篇の本文用紙は薄葉紙。本書〈初出一覧――〉には「(改作)」と記されている。
「西洋梨の実はどっしりと
腰がすわり〔(天ツキ)→23(一二下)〕
     (豆電球)が点滅して〔(五下)→23(天ツキ)〕
               入っている」〔(一五下)→23(一〇下)〕
ぼくの〔つく→23造〕った
       この(作品)を見て〔(七下)→23(六下)〕
赤面症の〔從→23従〕妹は言う
         「死んだお母さんの肖像ね」
どこにでも見かける→23そうかも知れない〕
         〔(ナシ)→搖れる→揺れる〕「コスモスの波間」で〔(九下)→23(八下)〕
ぼくは瞑想する
       「何ものも説明しえない
                  体験は夢を〔導→23みちび〕く」
グロヴナー公の森〔を歩→23は深〕く
           鳥は啼き 草木は茂る
(影の書割り)
       「女たちの胎の〔なか→23中〕に入っている
 (火薬)を〔(一下)→23(二下)〕
      男たちは巧みに取り出している」〔(六下)→23(七下)〕
(ナシ)→23(二二下)(淫祠邪神)の苑〕
吐き気がする〔(改行)→23(全角アキ)(追込)〕
吐き気がする
      茸採りの一人の少年は帰って〔ゆき→23行く〕〔(六下)→23(一三下)〕
           〔冷えたサイダーを飲む→23(トル)〕
領地の終るところ
        柏の大樹の根もとをめぐり
        柏の葉を食べつづける野兎
(ナシ)→23道標のような〕
                    (鉄の彫刻体)〔(二〇下)→23(六下)〕
          〔(ナシ)→23その〕内部にさざなみの立つ〔(一〇下)→23(一三下)〕
暁がくるまで
      ぼくは思考し
            「横たわる紙の上で
             デッサンする」

薄荷(K・6)
初出は《四谷シモン 人形愛》〔美術出版社刊〕1985年6月10日、九六ページ、本文13級3段組、4節52行。対向ページ全面に人形を描いた四谷シモンの銅版画を掲載。なお、初出44行め(衣食住が必要である」)と45行め(揚げ物を食べた後は淋しい)の間に行アキはない。
     (人形は爆発する)〔(ナシ)→23―――〕四谷シモン

   1

夏が過ぎ
    秋が過ぎ
        「造花の桜に
雪が降り
    灯影がボーとにじんでいる」
                 池〔の→23之〕端の(大禍時[おおまがとき])
振袖乙女の幾重もの裾の闇から
              わた〔(ナシ)→23く〕しは生まれた
(半月[はにわり])の美しい子孫か
           「神は急に出てくるんだよ」
(非・器官的な生命)を超え
             (這子[はうこ]) ひとがた
人形は人に抱かれる
         (衣更忌[きさらぎ])の夜を

   2

母親の印象は
      裸電球の下で
            白塗りの女戦士のようだ
赤い乳房が造り物に見える
            「カミソリでサーとなでると
中からまた肌色の乳房が
           殻をやぶって生まれてくる」
それに噛みつくから
         わた〔(ナシ)→23く〕しは消化不良の子供
(唐子[からこ])の三つ折れ〔人形を→23(トル)〕
            〔(ナシ)→23人形を〕背負って〔(一二下)→23(九下)〕
                鈴虫の音色に聴きほれる
父親は冷酒をあおっては
           (毒婦高橋お伝)をたたえ
ヴァイオリンを〔彈→23弾〕く
         キー・キー・ギー
         「天国がどんどん遠くなる」

   3

窓まで届かない月の光
          ニーナ・シモンの唄が好き
          縫いぐるみの(稲羽[いなば]の〔素→23白〕兎[しろうさぎ])が好き
「固い真鍮のベッドで
          わた〔(ナシ)→23く〕しは紗のような
          薄い布を身にまとって寝る」
(ナシ)→23薄荷の〕花のように
     「ゆるやかな酸素に囲まれる」〔(五下)→23(八下)〕
     少女の輝く腹部を回転させよ〔(五下)→23(八下)〕
                  アー・アー・アァー〔(一八下)→23(二一下)〕
(官能的な生命)
        「人形にだって
               衣食住が必要である」

   〔(ナシ)→234〕

揚げ物を食べた後は淋しい
     この部屋の外は
            「巨大な蓮池の静寂を思わせる」

   〔4→23(トル)〕

「編み上げの黒い靴→23(トル)〕
         〔それには犯しがたい→23(トル)〕
         〔(聖的)な影が存在する」→23(トル)〕
(ナシ)→23水音 羽音〕
(土星)が近づく→23「何のおしらせもなく〕〔(天ツキ)→23(五下)〕
        〔何のおしらせもなく……→23(土星)が近づく」〕〔(八下)→23(一五下)〕

雪解(K・7)
初出は《文學界》〔文藝春秋〕1986年1月号〔40巻1号〕九ページ、本文9ポ1段組〔コラム〈扉の詩〉〕、20行。カット:司修。
雲形定規を操作して
         ぼくは(何か)を描いている
それは朝日に輝く
        蜘蛛の巣の糸か
               茜空の下の糸杉か
今は(肉)を主題とする
  (心)の問題であるから
             もしかしたら沐浴する
姉→23女中〕の似姿かもしれない
          神殿の園に咲く〔(一〇下)→23(一一下)〕
                 スミレの花のように〔(一七下)→23(一八下)〕
「ぼくの〔目→23眼〕差しをどこまでも
吸取紙のように吸い込む」〔(天ツキ)→23(一下)〕
            これは描かれた絵ではなく〔(一二下)→23(一三下)〕
たえず書き替えられる
          (言葉・記号)
聖俗いずれの領域にも属し
            「ブリキの上を歩く虚しさ」
月光 鱗光
     谷川から雪解の音がする

寿星(カノプス)(K・8)
初出は《海燕》〔福武書店〕1986年1月号〔5巻1号〕一六〜一九ページ、本文9ポ24行1段組、5節78行。初出巻末ページ〈執筆者一覧〉に「吉岡実(よしおか みのる)一九一九年生れ。著書「僧侶」」とある。
   1

「海山の傾斜や
       岩の露出を登ったり
                降りたりする」
ぼくは(化石少年)だった
            (三葉虫)や(〔蛍→螢→蛍〕石)を手にする
「この採集物はすこしも
           (言葉)に似ていない」
むしろ(絵画)に似ている
            テーブルの上にならべたら
妹が来てつぶやく
        「お父さんのからだの(癌)のようね」
新月の夜は
     母と兄は赤粥を〔すす→23啜〕り
茨垣でかこまれた
        大盥のなかで
              身もだえる姉がいる

   2

「少女はそこに寝て
         下肢をそっと閉じている」
これは(石像)ではない
           ひとつの(幽態)
ぼくの構想する(作品)は
            複雑な媒介が必要だ
                     びしょびしょに
濡れた泥の上を疾走する
           「犀の写真を見ている」
夏の沼で
    「沈むことに始まり
    浮くことで終る」〔(四下)→23(五下)〕
            (蓮華)や(子供)も見えた〔(一二下)→23(一三下)〕
もろもろの(印象)を
          「眼の中に書きとめる」
隠→23暗〕喩から韻律へ
       それは推移する
              放物線から曲線へ
翔ぶならば鳶!
       はるかに
           水の上を走る稲妻

   3

「萌え出ずるも
   枯れるも
       いずれも同じ野辺の草」
雪消えの瀬を
      せかるる谷川の水の
               (最初の渦巻)
「ここで時間は分岐する」
            樹々は濡れ すべての(道)は濡れ
(根棲[ねずみ])→23野鼠〕はがちがち歯を鳴らす
              薄明を逍遥せよ〔(一四下)→23(一二下)〕
この世とあの世を繋ぐ
          (板戸一枚の山水図)
(苔衣)の者とともに
          父は鉄杖を握って巡っている
墜ちるならば
      (水分[みくまり])の闇へ……
鶯のように可憐に
        「一つの瀑布が囀り初める」

   4

「狂者ニ非ザレバ
        興スコト能ハズ」
                乳母から教えられた
        獄死せる賢者の
(浄句)をとなえて
         ぼくは(作品)を造りつつある
「この世に姿を現さない
美しい物を抱きしめたい」〔(天ツキ)→23(一下)〕
            一瓲の桜の花びらを浴びる〔(一二下)→23(一三下)〕
    (象牙の乳房)〔(四下)→23(六下)〕
           〔(ナシ)→23(〕寿星[カノプス]〔(ナシ)→23)〕のひかり〔(一一下)→23(一三下)〕

   5

「ヘアードライヤーで
早くかわかしなさい」〔(天ツキ)→23(一下)〕
          これがぼくの(作品)の形姿?〔(一〇下)→23(一一下)〕
(水車の水受板)
        水をかぶったり 廻ったり
「兄の寂寞を
      妹が慰める」
            (ハーベスト・ムーン)
(秋の満月)
      「眠れるものなら
              とっくに
       眠っているよ」

銀幕(K・9)
初出は梅木英治銅版画集《日々の惑星》〔ギャラリープチフォルム刊〕1986年12月3日、1段組、39行。行頭の起こしの鍵括弧(「)は天のラインの上部に組まれているが、冒頭で述べた理由によって、校異の対象としなかった。
            場末の映画館の夏の終り
「スクリーンの隅のほうに
            なにやら
鰐らしきものが見えたわ」
            乳母ガブリエルが叫んだ
しかしぼくにはそれが
          「西瓜を食う水兵」のように見えた
「すべての(光)を
         吸収する(青)」
                 そんなかわたれ〔[、、、、]→23(トル)〕時
上衣を脱ぎ
     裸になる乳母ガブリエルの
                 「人体のもっとも
不可視的な(器官)が紅潮する」
               そこからぴんぴん
     (翼)が生えたように
ぼくには見えた
       「透明光線となってほとばしる」
  (アウラ)
       「暗い籠のなかに在る
        マッシュルーム」
それを数え それを
         (布地[テイシユ])ペーパーで包み
ぼくは成長してきた
         葦の葉や浮木の漂う
(汚れた岸)から
        ボートをこぎ出す
                ぼくは礼装の一人の男
真夜中のみずうみの上で
           「届く言葉と
    届かない言葉を」〔(四下)→23(一二下)〕
ぼくは識別して
       不眠の眼を光らせる
                (強度の表面)
「軽金属と合成樹脂で
          組み合わされた」
    (惑星)にも
          「スクリーンのように
           無数の傷が付いている」

ムーンドロップ(K・10)
初出は《潭》〔書肆山田〕1985年4月〔2号〕四〜九ページ、本文9ポ21行1段組、5節80行。なお、で註記のアステリスク(*)が90度傾いて誤植されている。
   1

      生ぬるいセルロイド色に
月は衰弱する
      わたくしが気になるのは
      ほかでもなく
      ロベルト夫人の下着の下の梨形の
  (臀部)
      その全体の重み
             その(共犯性)
露出する両手へ交感せよ
           〔(→23「〕不安な感じで腿を持ちあげる〔)→23」〕
12遙→遥〕かな(狭間[はざま])に
        (白波)が見える
                  「どうでもいいの
                     どうでも」〔(二一下)→23(二二下)〕

   2

春の鶯は鳴く
      雪の塚のやさしい盛〔(ナシ)→23り〕上り
      (むらさきの穴の収縮)
「非地上的なる
       調和の世界に
             呼吸している」
(物悲しげな裸像)
           「土台は大きい
            ほどいいの」
草地の中を
     紳士たちは(水鉢)を持って廻っている
     最初の一歩を踏み出してから
五→23数〕年経っている
             わた〔(ナシ)→23く〕しはしばしば思う
             彼女の所有していた物のことを
             (経典)(槍)(仔鹿)(髑髏[ひとがしら])
柘榴の木の〔蔭→23陰〕で
       「からだが地上から浮いている
       ことに気づいていない」〔(七下)→23(八下)〕
ロベルト夫人
      (神の模像?)
             「それを覆っている
雲はみなひと雫に凝縮する」
             屈辱 涙 (愛の頽落)のように

   3

「星一つない夜の
        青い蛾を誘い込む」
                      わた〔(ナシ)→23く〕しはこの章句の隠喩[、、、、、]を
                      次のように解読する
檜垣や草花にかこまれた
           (四阿[あずまや])の床〔机→23几〕に
少年をすわらせている
          ロベルト夫人は心のなかで唱える
          (神秘的な花粉)を消すこと!
(青虫から
     蝶への変態[メタモルフオーシス])
              「そのキラキラした
              一瞬が見たいのよ」〔(一四下)→23(一五下)〕
葦笛→23篠笹〕の鳴る方へ
       オシドリが二羽
       すいすい游いでいる
                (菱形の池)
軒端にかかる
      (月明り[ムーンドロツプ])
             「これは出来のわるい
                  墨絵だわ」〔(一八下)→23(一九下)〕

   4

「蛾が一匹パタパタ音を
           立てて飛んでいる」
(昧爽[あかとき])
    長い回廊の柱をへめぐり
               「残飯桶と箒を持つ
腰の曲った雑役婦」
         ペタペタ
         足を引き摺りやってくる
苔むす敷石まで
          「この肉色のポンプが
               すきだね」〔(一五下)→23(一六下)〕
「万物が矛盾的に遍在する」
             (虚空[おおぞら])の下で
                    (異化)された(美)
女の(霊体[アストラル])は水を飲む
              「太陽にさらされて
           (金の骨)が透けて見える
                烏賊が欲しい」〔(一六下)→23(一七下)〕

   5

                     わた〔(ナシ)→23く〕しは(詩行[ライン])を〔(二一下)→23(二〇下)〕
                     つらねたかったが失敗し……〔(二一下)→23(二〇下)〕
「幽霊との出会いは延期された[、、、、、、、、、、、、、]」

    *題名と若干の章句をナボコフ『青白い炎』(富士川義之訳)から借用。

叙景(K・11)
初出は《現代詩手帖》〔思潮社〕1986年8月号〔29巻8号〕三〇〜三一ページ、本文五号22行1段組、35行。本書〈初出一覧――〉には「(改作)」と記されている。
「あの時
    野原に舞い降りる
            鳥を描こうとしていた」
それなのに
     (画家)はなぜか
             肉屋と(肉塊)を描いている
        もしあの時
凍れる肉屋の
      (心的[メンタル]な空間)を想起していたら
                     おそらく
「泳ぐ女や
     唇から垂れる蜜」
             〔もしくは→23(トル)〕
「記号のまばたく」→23(トル)〕
         〔(星座)を→23(トル)〕
              〔(ナシ)→23を〕描いていたかも知れない〔(一四下)→23(一三下)〕
(庭の干草も虫の音も……)→23(トル)〕
             今この(地上)では〔(一三下)→23(天ツキ)〕
「動くことと〔(天ツキ)→23(九下)〕
 動かないこととが等しい」〔(一下)→23(一〇下)〕
             フルーツパーラーの椅子に〔(一三下)→23(天ツキ)〕
(画家)は凭れながら〔(天ツキ)→23(一二下)〕〔(改行)→23(追込)〕
          〔まどろんで→23眺めて〕いる
初〔夏→23秋〕の街路を
      (黄金の果物)を抱えた
                 (少年)が通り
(模造板)にのせられて
           (死者)が通って行く
「光線をたえず
       送りつづける」
              (蒼穹[あおぞら])の下で
「眼で呼吸する」
        わが(画家)は
               〔(ナシ)→23「このとき〕競走馬を調教している
(父親)〔を眺めているようだ→23の勇姿を描こうとしていた」〕
(ナシ)→23(一七下)(庭の千草も……)〕
(ナシ)→23(四下)(庭の千草も虫の音も……)〕
(ナシ)→23(一七下)そして(心的[メンタル]な空間)に〕
(ナシ)→23「記号のまばたく〕
(ナシ)→23(八下)(星座)」〕
(ナシ)→23(一三下)を描いているようだ〕

聖あんま断腸詩篇(K・12)
初出は《新潮》〔新潮社〕1986年6月号〔83巻6号〕二二〇〜二三〇ページ、本文9ポ23行1段組、〔T 物質の悲鳴〕〔U メソッド〕〔V テキスト〕〔W 故園追憶〕〔X (衰弱体の採集)〕〔Y 挽歌〕〔Z 像と石文〕〔[ 慈悲心鳥〕196行。初出標題の前に「長篇詩――土方巽追悼」とある。次の写真は珍しく吉岡実自筆の印刷用浄書原稿にも見えるが、署名も組版上の指定もなく、実際に使用されたものかどうかわからない。自筆原稿の標題から本文13行めまでをとして、加えて《ムーンドロップ》に先立って刊行された《土方巽頌》(筑摩書房、1987年9月30日)掲載形(全篇)をとして、他との異同を記した。

〈聖あんま断腸詩篇〉冒頭の吉岡実自筆原稿 出典:平出隆監修《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991年4月15日、〔七ページ〕)
〈聖あんま断腸詩篇〉冒頭の吉岡実自筆原稿 出典:平出隆監修《現代詩読本――特装版 吉岡実》(思潮社、1991年4月15日、〔七ページ〕)
     〈神の光を臨終している〉〔(全角アキ)→(三倍アキ)→(二倍アキ)→23―――〕土方巽〔地ゾロエ〕

   T 物質の悲鳴〔四下〕

「この狂おしい
       美貌の青空」
             軍〔雞→123鶏〕の首をつかんでいる
「あの老婆も狼煙の一種で
            あったかもしれない」
私は生きている者
        〔と→123そ〕して一度は通って
        みたいような(処)へ差しかかる
「物質の悲鳴が聞こえた」
            小鳥の声も聞こえるなかで
「言葉が堕胎されている!」
             散乱するもの
                   肉片 破片 記号
「人間的な言語が多量すぎる」
              ゴムの鳩を抱いて
少女が立っている
        この異常な明るさは
「光じゃありませんよ
          もう闇ですよ」
ここは(仮の地)?
         オガクズが敷かれていた
「灰柱まで
     私の死への歩行が続いている」

   U メソッド

「にわとりの頸をひねり
           裸電球をひねる」
男の後姿を見よ
       「形や像を越え
              一つの抽象的な
次元へ向っているようだ」
            犬だって塀沿いに影めいて
            走っている
「闇と光を交配させる」
           という(行為)を私は好きだ
藁の積まれた処
       「幽霊の乳を飲んでいる」
       (赤児)のようなものが見える
身をかがめて
      凍った(形象)を追求し
私は路上を巡りつづける
           (絵画)で説明できない時は
(本能)で試みよ
        「ここまでが生体で
         ここからが死体だ」
蠅→蝿→蠅〕叩きで
    冷えた畳表を叩き
            「土間の消壺に近づいてゆく」
男の(裸体)を消す
         炸裂するように弾ける
     (星形)〔(五下)→(六下)→23(五下)〕

   V テキスト

「葛[かづら]を被[かづき]て松の実を食み
           鳥の(卵[かひご])を煮て食[くら]ひて
桑摘女は児を撫〔ぜ→23で〕
        (𨳯[まら])を吸ふ
              なれば(房[ちぶさ])は張り
(開[くぼ]の口)より
       (神識[たましひ])を昇らせる
                (奇異[あ〔や→(トル)→や〕])しき事かな
嗚呼やがては
      (銅荒炭[あかがねあらすみ])の上に
              (鉄丸[てちぐわん])を置きて呑み
地獄に堕ちむ」

     暗黒舞踏のフェスティバル「舞踏懺悔録集成」における、講演のためのテキストをつくる時、私は『日本霊異記』を参考にした。それを拾い読みしていて、この章句を見つけた。古代から「母子相姦」の悲劇があり、それはこれからも、永遠に続く〔(ナシ)→23こと〕だろう。――(H)

   W 故園追憶

私は(骸骨)で生まれたのだ/弥生の曇った空の下で/こ
の秘密は父母しか知らない/ああ(骨の涼しさ)/湯気の
ような(肉体)を着せられて/初めて産声をあげる/みど
りごに成り/ブリキの匙で片栗粉を口に流しこまれる/甘
露!/だから途中から肉が付き/梨頭の子供へ変る/ほん
とうに冷えた砂枕が好き/夏のひるさがり/姉とは突然に
(家)からいなくなるものだ/
              鳶が風を切って降りて来る
/草深い外の面の沼で/沈んでいる亀/畷を歩きながら死
んでいる人たち/風のさわぐ日に限って/鹿肉を売る商人
が来る/父親はそれを(神品)として大事にする/蕗の葉
や芋の葉の上に/ころがる滴玉/また道端で転んでいる老
人が多かった/私は板のささくれた面に/クレヨンで/兎
の絵を描く/ついでに(女陰)も/今朝早く水田から上っ
てくる/女を見た/私は美しい少年へと/身の丈が伸びる
/なまなましい蛇の抜け殻/
             裏庭の七面鳥がホロホロと鳴
く/引き抜かれた/草のように衰弱している人の声/棚の
上から招き猫が転がり/暗い畳表へとんであがる雀/天狗
の面やおかめの面が掛けられた/粗い壁/濡れた笊/寝床
に入ると/眼をつむって/柿など啜っている/花嫁姿の人
を想う/この頃は(夢の沈澱物のような私)/
                     太い醤油瓶
の間に/張られた蜘蛛の巣が破れた/埃と手拭のにおいの
する/母親の肩にさわる/板の間に置かれた/茗荷は淋し
い/ニガリの効いた(時空)/どんどん色の変ってゆく/
鯖を洗っている兄/古い糊のような/臭いのする/掛け軸
の龍/
   肥桶の周りを/恐るおそる駈け廻る/聖なる赤い着
物の日本の少女たち/樟脳の香気/霞んでゆき/人さらい
の懐は深く/空気で出来ているように/感じられた/村の
晩秋/雨は鮒の(精霊)に降り注ぐ/
                 私はいまでは(精神)
の洟をたらしている/人体の冬/燠炭のような病気の男が
/足もとの柄杓で水をかけている/(物質)か(言語)/
見よ/馬が風雪に晒されている光景/蹄鉄の火花から/
(人間)は火種を貰って来る/私は一生カルメラを焼いて
/暮したいと思ったり/この寒夜を/家のなかで沸騰する
薬〔缶→罐→缶〕が在る/塩鱈が出刃庖丁で切られている/(時間)/
永遠に終らないもの――

   X (衰弱体の採集)

          地上にへばりついている
「金属という(身体)
          凍結炭素という(身体)」
紙を漉くように
       (人体)というものは光に漉かれる
「おばあさんというのは
           一枚・二枚で数えるものだよ」
私が子供の頃
      そう教えられた
暗いどこの家の中でも
          濡れ雑巾に刺った(魚の骨)を
丹念にぬいている
        老婆がいたり
              痰切り飴をなめながら
「燃えている布切を
         犬のからだに詰める」
                   老婆もいたり
衰弱した(風景)を
         「影が光に息づかせている」
老婆たちは(物語)をつくり
             「数えきれない
    気流と呼吸のなかを
             通過してきたのだ」

   *

腹の赤茶けた泥鰌を
         田圃で取っている
老人のからだから垂れているものは
                汗や影などではなく
(紐)のようなものだった
            それはまた土に滲みてゆく
  「蟻の卵や蜘蛛の巣」
            のようなものだった
骨も外され
     五臓六腑も辺りに撒かれ
菖蒲の匂いのする
        春先の泡水の流れる処で
「からだに(霞)をかけている」

   *

葱の根の白さを洗っている
            (雪っ原)
未練がましく(火)を起し
            私は灰の上に
「火箸で(文字)を書き始めた」

   Y 挽歌

箸向ふ
   弟[おと]のごとき
        君は旅立つ
葦原の 朝露の
       遠つくに
           心を痛み
別れ行きし
     天雲[あまくも]の
        思ひ迷[まと]はひ
             夜昼しらず
また還り来ぬ
      はふ蔦の
          家無[いへな]みや
春鳥[はるとり]の 音[ね]のみ啼きつつ
           夕まけて
野づかさを越ゆ
       望月の満[た]れる
あひびきの
     荒山中[あらやまなか]
        君が心燃えつつ
射[い]ゆ猪鹿[しし]のごと
       消[け]やすき命[いのち]
噫乎[ああ]
  闇夜なす
      闇夜なす
          闇……

   反歌

ひさかたの
     天[あめ]の奥処[おくか]ゆ
日の照れば
     さはに
        利鎌[とかま]にさ渡る鵠[くぐひ]

   Z 像と石文

「言葉から肉体が発生する」
             この認識をみとめよ
雨傘をさしたまま
        (無体)と化しつつある
(泥型立身像)
       このささくれた(幻像)を記憶せよ
それを冒す
     「血と霊と風と虫とが交合する」
森を抜けるんだ
       「書く者は衰弱し
        死者にかぎりなく近付く」
そのように刻まれた(石文)
             現われたり 消えたり
「大暴風雨にさらされている
             鹿のようなものが見えた」

   [ 慈悲心鳥

菊の束で大地を叩いている者
             (亡霊)ではなく
         (誰?)
「骨まで染めるような
          夕焼」
比喩的に言えば
       (魂と炎の世界)


「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」

      ・注 →23*〕この作品は、おもに土方巽の言葉の引用で構成されている。また彼の友人たちの言葉も若干、補助的に使わせて貰っている。なお冒頭のエピグラムは、彼の辞世である。

睡蓮(K・13)
初出は《海燕》〔福武書店〕1987年11月号〔6巻11号〕一八〜二一ページ、本文9ポ23行1段組、3節63行。初出巻末ページ〈執筆者一覧〉に「吉岡実(よしおか みのる)一九一九年生れ。著書「藥玉」」とある。
   1

池面の水の襞はきらめく
           日課の枝おろしを了えて
庭師エレマンは手足を洗い
            〔四阿[あずまや]〕の床で午睡をむさぼる
アラビアの火焔文字のように
             (神鳥は飛びながら
      空中にとどまり
腟→23膣〕をひらき
     風によって懐妊する)
               これは夢かうつつ〔か→23(トル)〕?
(芸術と非芸術は連続している)
               禁欲的な存在としての
(葱のような細い脚)
          「お嬢ちゃんなにかご用ですか」
          「ああエレマンさん
           ざくろの木の下にいる
           蛇を殺して!」
日暮れても水はぬるい
          むくむくと
               (やわらかな泥にみちた
〔脳髄〕の内部から)
          睡蓮の花が咲き出る

   2

秋きたりなば
      (空から雲の色を受けたり
       また〔朝→23月〕の光を受けたり)
「青葡萄ぐらいの
        贅沢なかたちがほしい」
薪の山を築きながら
         庭師エレマンは妄想する
衣服を脱ぐ〔ドロテア夫人〕
             (視線の意のままに
変容しながら身を委ねる)
            これは心を震わせる〔物語〕だ
百合 匂いあやめ 茴香
           〔逸楽的〕な薬草園の辺りで
(夜蝉が鳴いている)

   3

(庭園も一つの世界である)
             光がつよくなれば
             影もまた濃くなる
銀梅花[みると]や無花果の繁る処
           「ああエレマンさん
            ハーブキャンデーを持ってきて
            のどがカラカラなの」
(現代において
       〔絵画〕〔(ナシ)→23や〔物語〕〕
           はいかに可能か) 〔(一一下)→23(一六下)
羞恥心なく欲望なく
         (巨人と小人に前後から
襲われている
      ドロテア夫人)
両腿のくぼみに
       綾織りの薄い下着を絡ませる
(活人画的な不自然さ)
           そこに介在する
(見える形と
      見えない力)
            その官能の〔微香性〕
いまも不変の〔形姿〕として
             (〔わたし→23ドロテア夫人〕は
  外から形成されている)
             めくるめく〔周縁〕
(ナシ)→23(二下)〔植物相[フローラ]〕の館から遠く〕
(滝は光の幕を
       作っているように見える)

              *宇野邦一その他の章句を引用している〔(ナシ)→23。〕

苧環(おだまき)(K・14)
初出は《季刊花神》〔花神社〕1987年8月〔1巻2号〕一四〜一五ページ、本文10ポ19行1段組、34行。
糸巻きの糸をたぐる
         若い乙女の姿が見える
   (中世の秋)
         「人間は一つの中心から
等距離の円周に在る」
          (しずのおだまきくりかえし
                  くりかえし……)
狭霧[さぎり]立ちのぼる
       (骨の山)
            「象形文字が翼を開く」ように
(ナシ)→23(〕斑鳩[じゆずかけ]〔(ナシ)→23)〕は翔び越える
        〔(→23「〕これは杉戸に描かれた泥絵〔)→23」〕か〔(八下)→23(一〇下)〕
もしくは
    (人生)に匹敵する
             (物語)か
風になびく草の穂
        「(生)に対し
         (死)のなんと長いことだろう」
雨にぬれた瑞枝[みずえ]を
        〔は→23這〕いまわる(尺蠖[しやくとり])
「そこでは見えるものと
     見えないもの
           とのあいだの(敷居)がつねに動いている」
(紫の太い柱)
       村落の人たちは
              「見ることを
妨げられた見物人」
         未明の小川で
               みそぎをしている
(稚児)のつぶやきを聞け
            「わた〔(ナシ)→23く〕しはいつも
            (石女[うまずめ])の姉を宿している」
おだまきの葉に置く→23水滴をためている〕
         〔水滴のように→23おだまきの花のように〕〔(九下)→23(八下)〕

晩鐘(K・15)
初出は《新潮》〔新潮社〕1988年5月号〔85巻5号(通巻1000号)〕二八〇〜二八三ページ、本文9ポ23行1段組、4節75行。
   1

母は買物袋を
      床になげ出し
            窓のカーテンを開ける
(外界はまるでたえまない
            浮遊物のようだ)
紫の繻子のマントを着た
           〔法王様〕の肖像だね!
母はなっとくして母家へ戻る
             緑に包まれた
        〔金魚鉢〕
             のような狭い庭
(あらゆる絵具は
        空を飛び交っている)
と認識せよ
     〔想念〕もまた
            (読みとり得ぬもの)
ぼくが現在描きつつある
           〔絵画〕なるものは
(夕陽のなかの岩塊)
          であるかも知れない

   2

おきなぐさが
      銀毛の房をはやし
              風に吹かれて
        飛びちる日々
イザベルが訪れる
        (意のままに発現される
衣服のなかの臀)
        柔らかな羽根で包みこまれる
ビーズ玉の輝き
       (砂漠で乙女とともに
       悦楽に耽る者は幸いなり)〔(七下)→23(八下)〕
と説いている
      〔〔賢→23隠〕者〕のことをぼくは想う
狂える〔力〕には
        〔形〕がない
              〔停滞した身体〕
  〔模像〕のようなイザベル
こんどの絵はからだを掻く
            〔不器用な犬〕
   みたいに見えるわ!
            〔昂揚せる絶望感〕
(あらゆる〔白〕は
         見るたびに
              柔らかく裂けて〔行→23ゆ〕く)

   3

(覆布をとりのぞくと
          その下には何もない)
                    という〔欠落感〕
(すべて〔絵画〕とは
          不透明なるものに
依存した
    〔透明〕なものなのだ)
               ぼくが仕上げつつある
〔図像〕そのものは
         〔不吉な不調和〕に輝く
〔黄金と紺青〕の
        色彩のしとねの上で
                 廃棄された
(老婆の脚はからだの
          残りの部分にほんとうに
          根付いているわけではない)
しかしこれは
      〔物語〕であって
              〔絵画〕ではないだろう

   4

(立ちのぼる煙
       ひびく晩鐘)
             恵み深い一日の終り
金雀枝の花と
      サラダの匂いが
             風ではこばれてくる
(父は肉を食い
       母は草を食む)
              ぼくは古謡をくちずさみ
(逸脱する〔(改行)→23(追込)〕
     〔生〕の〔(五下)→23(トル)〕
         〔波動〕をおさえている)

青空(アジュール)(K・16)
初出は《文學界》〔文藝春秋〕1988年1月号〔42巻1号〕九ページ、本文9ポ1段組〔コラム〈扉の詩〉〕、20行。初出標題は、本文では「((青空[アジユール]))」、目次では「青(アジュール)空」。カット:犬飼直彦。
甘酸っぱい(青空[アジユール])の下で
            暗い穴から〔這→23は〕い出して
また穴へ戻る
      (けいとねずみ)を観察する
ぼくは(物語)の少年のように
              「生きつつあるのか
              死につつあるのだ」〔(一四下)→23(一五下)〕
(影は空壜から生まれる)
            冬のまひるま
(視線)と(事物)との間に在る
               (半透明な膜)
濡れた流し場を透視せよ
           そこの闇に焔をとじこめ
大釜で(まゆ)を煮殺す
           (母親)の姿が見えた
(文脈から外れている)
           (神秘の板戸)をあける
「牡蠣の殻の底に残った
           幾滴かの浄水」
朝のまだ淡い(青空[アジユール])

銀鮫(キメラ・ファンタスマ)(K・17)
初出は《ユリイカ》〔青土社〕1988年6月臨時増刊号〔20巻7号〕四八〜五三ページ、本文9ポ24行1段組、6節107行。 初出に詞書「澁澤龍彦鎮魂詩篇」なし。行頭の起こしの括弧、すなわちパーレン(()・亀甲(〔)・鍵括弧(「)が天のラ インの上部に組まれているが、冒頭で述べた理由によって、校異の対象としなかった。
     澁澤龍彦鎮魂詩篇

   1

(枕もとへ
     永遠に
        スープは運ばれる)
ことを疑うことなく
         ぼくが〔制作〕に耽ける日夜
(何かが起る!)
        「ドアを開けると
                便器に女がすわっていた」
股間の金毛を露わにしたまま
             仮面をかぶっている
〔美と畸形〕
      あるいは〔富と貧困〕
                これは〔紋切型〕の
        〔物語〕であって
〔メティエ〕がそのまま
           〔思想〕であるところの
〔絵画〕とはいえない
          (凍てついて久しい
      星の下)
          ぼくは河の蘆荻の向うに
「鶴が一本脚で
       立ったまま微動だにしないのを
じっと眺めていた」

   2

(岩塩の立方体を
        間近に見える)
               ようにぼくの描いた
〔内臓の宮殿〕
       まばゆく
           白昼の光に照らされる
真珠 包帯 羊歯
        甲殻類 パイプ 空蝉
   草石蚕〔(三下)→23(五下)〕
      書物〔(六下)→23(八下)〕
    蟻塚〔(四下)→23(六下)〕
  少女〔(二下)→23(四下)〕
    そして砂漠〔(四下)→23(六下)〕
         それらもろもろの〔物質[マテリア]〕〔(九下)→23(一一下)〕
(肉や血や汗の〔臭→23にお〕いから
           限りなく隔たっている)〔(一一下)→23(一二下)〕
ぼくは〔認識者〕
        として〔世界〕を
   (下からも
        上からも見ない)

   3

月の光を吸いこんで
         深海の底へ下降した
     〔銀鮫〕
         すなわち(キメラ・ファンタスマ)
「その生身から
       肉状の突起が全部で四本
                  まるで四足獣
のように生えている」
          有用性の〔苦役〕をまぬがれ
解放された〔存在〕の
          〔神話の怪獣〕
                 さながらの
(キメラ・ファンタスマ)

   4

「多くの門をくぐると
          自分がどこにいるのか
分らなくなる」
       見えている
            〔曠野〕の
      〔牛と老人〕
あれらは〔暗い穴〕
         そのものなのだ
ぼくは今日も
      えたいの知れない
              〔神殿〕や〔塔〕の周辺を
巡っているようだ
        (鳥たちの鳴き声)
        (女たちの笑い声)
番人は箒と塵取りで
         〔排泄物〕を片づけている
すべてが(現実と
        寸分変らぬ光景)
                それに比較すると
〔絵画と言語〕なるものは
            (何ひとつ確かなところがない)
この旅の終り
      ぼくの(身体は発熱しつつあるか
          もしくは凍結しつつある)
曇れる空のもと
       (ヘラクレスの
              〔睾丸〕のような
大きなオリーヴの実)
          しばし仰ぎ見ていた

   5

〔瑪瑙の断面〕
       メランコリア
             〔迷宮〕
(球体と直線から成る
          中空の建築物)
                 ここは住みやすい
          〔空間〕ではない〔(一〇下)→23(九下)〕
〔神の侍女〕に導かれ
          ぼくは〔他人の夢〕を
夢見ている
     (荷車で暗い鏡をはこぶ男)
優雅な夕べ
     (二人でいる孤独)
              石塀で遮断されている
          〔花園〕

   6

いかなる時でも
       〔芸術家〕は
             〔対象〕の
〔幻影〕だけで事足りるのだ
             (何かが起らねばならぬ)
      と絶えず考えよ
〔形而上的〕なる
        〔不安〕から
              それは喚起される〔(一四下)→23(一五下)〕
        〔静かな鼓動〕
(砂山から
     犬が首だけ突き出している)

           *澁澤龍彦とその知己たちの言葉を引用している。

(K・18)
初出は《毎日新聞〔夕刊〕》〔毎日新聞東京本社〕1987年12月28日〔40120号〕四面、本文新聞活字1倍扁平1段組、35行。初出標題「かささぎ」、初出「写真・佐々木正和」、また「よしおか・みのる 一九一九年、東京生まれ。主な詩集に「静物」「僧侶」「サフラン摘み」など。近刊書に「土方巽頌」。」と紹介がある。
(蝋をたらしたような冬)
            わたくしは仕事場で〔独→23ひと〕り
ストーブにたきぎをくべて
            「彼女のベッドには
        枕がなく〔(八下)→23(二一下)〕
ベッドカバーはたたまれていた」
               という(物語)を
書いているのではない
          「死者は透明な花嫁と
   浮遊している」
          という敬虔なる(絵画)を描く
(光と闇)のなかでの
          (日々)
「肉体はつねに
       (異物)に支えられて
                 生きている」
一人の画家として
        「地に落ちた
              女の蒼白い裸体を眺める」
わたくしは妄想するのだ
           「天使たちはいったい
      歯や性器を
           備えているのであろうか?」
それは(想念)であって
           (床に置かれた絵)ではない
「虫の入っていない
         うす緑色の捕虫網のように」
この室内は淋しい
        「考えもしなかった
     〔(ナシ)→23(〕こと〔(ナシ)→23)〕を〔(五下)→23(三下)〕
        考えている」
              薬〔缶→罐→缶〕の湯気はながれた
雪の舞う(世界)へ
         カシャカシャと鳴きながら
一羽のかささぎが飛びまわる

〔食母〕頌(K・19)
初出は《中央公論文芸特集》〔中央公論社〕1988年9月〔秋季・5巻3号〕七八〜八一ページ、本文10ポ22行1段組、4節74行。初出末尾「(一九八 八・八・八)」。初出巻末の〈編集後記〉に「☆〔食母〕という言葉が拓くイメージ。吉岡実氏の詩は御自身が最後の、と言われる作品です。」(E〔江阪満 か〕)とある。行頭の起こしの括弧、すなわち亀甲(〔)・パーレン(()が天のラインの上部に組まれているが、冒頭で述べた理由によって、校異の対象としなかった。
   1

〔泣き女〕がめそめそと
           哭きながら
                行列の先導をつとめる
        (鳴りひびく鈴)
それらのしんがりを行く
           〔侏儒〕や〔去勢羊〕たち
(草木の影すら
       見えないほの暗い
   地平線)
       これは〔英雄[ヒーロー]〕の〔死〕の儀式ではなく
(語りえぬもの)
        〔母〕なる〔写像〕を探す
〔道〕なきみちの旅
         〔分岐〕するありふれた〔処〕で
(一人の女が
      〔奇妙な記号〕となる)

   2

夕焼けの映える
       磯辺に残された
              〔斎串[いわいぐし]〕や〔馬尾藻[ほんだわら]〕
(死と思考の対立する)
           波打際
              (衣服もひとつの
      〔言語〕である)
              と仮定できるならば
それらのものを脱ぎ
         (若い〔母〕は身体を洗っている)
〔霊的な空間〕をつくる
           〔乳房〕と
                〔臀部〕ではなく
かりそめの〔物〕が宿っている
              (一つの丘みたいなもの)
        〔丘〕の上へ
〔青い牛〕を連れて
         〔老人〕はぜいぜい息を切らせつつ
〔道〕にそって行き
         〔襞〕にそって行き
         〔襞〕を超える
                (老残の身の半分は液体)
〔仮寝〕の仮死の
        (魂のなかに生起する)
                   〔死人の山〕
              〔宝の山〕
迂回せよ
    月の光に照らされて
             あらわに見えて来る
    〔膣状陥没点〕……

   3

〔幽都〕より還って
         〔泣き女〕が哭きやむ時
                    地滑りが起る
櫛 鋸 瓶 鏡 ふいごと共に
              (粉々に飛び散る
      〔言葉〕の稲妻)
(この世の栄光の終り)?
            さるすべりの樹の周囲で
おろおろする男たち
         動物ビスケットをかじる子供たち
  ((死ハ人生ノ
        出来事デハナイ))
風に吹かれ
     〔花蓮[はちす]〕の広い葉の上から
                 零れ落ちる
         〔白露〕のように

   4

(美しい緑の衝立)の蔭から
             産声が聞こえる
〔にがり〕と〔泡沫〕を浴びて
              〔嬰児[みどりご]〕は生まれた
   (鉛に包まれた〔(三下)→23(四下)〕
          黄金)〔(一〇下)→23(一一下)〕
             のごとく〔(一三下)→23(一四下)〕
〔母〕なるものに抱かれている
              〔〔外面[とのも]→23外[と]の面[も]〕〕は明るく
      (かげろうは消え
              蛇はかえってゆく)
野の丈なす草むらに〔(ナシ)→23……。〕

――――――――――

1984年から1988年にかけて発表された《ムーンドロップ》に関わる全21篇の吉岡実詩を並べてみよう。【 】内の番号は《ムーンドロップ》収録詩篇の初出発表順。

1984年
9月 〈小曲〉〔〈聖童子譚〉に変改吸収〕
10月 〈少年 あるいは秋〉〔〈聖童子譚〉に変改吸収〕
12月 【01】〈聖童子譚〉(K・4)

1985年
1月 【02】〈わだつみ〉(K・3)
4月 【03】〈ムーンドロップ〉(K・10)
6月 【04】〈薄荷〉(K・6)
7月 【05】〈カタバミの花のように〉(K・2)
9月 【06】〈秋の領分〉(K・5)

1986年
1月 【07】〈雪解〉(K・7)、【08】〈寿星(カノプス)〉(K・8)
6月 【09】〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)
8月 【10】〈叙景〉(K・11)
12月 【11】〈銀幕〉(K・9)、【12】〈産霊(むすび)〉(K・1)

1987年
8月 【13】〈苧環(おだまき)〉(K・14)
11月 【14】〈睡蓮〉(K・13)
12月 【15】〈鵲〉(K・18)

1988年
1月 【16】〈青空(アジュール)〉(K・16)
5月 【17】〈晩鐘〉(K・15)
6月 【18】〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉(K・17)
9月 【19】〈〔食母〕頌〉(K・19)

【01】 〈聖童子譚〉(K・4)に関しては、〈小曲〉初出時に併載されたローマ字表記〈Shookyoku〉とRoger Pulversによる英訳〈A Short Piece of Music〉を掲げる。
Shookyoku / Yoshioka Minoru
Me no mae de
            "Hitotsu no ishi ga
                               kuuchuu de tokeuse temo
                               o d o r o k a n a i
Zessei no bijin ga iru
                      higasa o kurukuru mawashi yuuhi no naka ni
Boku wa shoonen dakara
                      arayuru shooku ni
                                       gimonfu o utsu
"Kanojo no shootai" o miyo
                          yanagi no ha no kage kara arawareta yuurei?
                                     soretomo Afurodiitee no matsuei?
Ima mo tsubame ga tobikai
                         keshi no hana ga sakimidare
Konoyo ka anoyo ka handan dekinai
                                 "Kaaten no
Reesuori ni tsutsumareru"
                         sonraku kara shootakuchi made
"Shinu hito wa kakeasi da"
                          sudeni aki no hajimari

A Short Piece of Music / by Minoru Yoshioka
I see an unrivalled beauty
                          "who would remain calm
                                                even if a rock
                          melted into thin air"
before her very eyes
                    twirling her parasol      into the setting sun
as I am a boy
             I question
                       each and every chapter and verse
let's look at her "true form"
                             a ghost from the shade of the willows?
                             or a descendant of Aphrodite?
the swallows fly past once again
                                the mustard flowers bloom like crazy
"people whose time is up don't stand still!"
                                 enveloped in the curtain's
                                                           lace
                                 stretching from the village to the swamp
so that no one can tell if it's this world or that
                                                  autumn is upon us now
                                          ― translated by Roger Pulvers
【02】 〈わだつみ〉(K・3)に関しては、行頭の括弧類と詩句の字下げとの関係がわかるように、初出形を掲げる(読みがな=ルビは割愛)。
「祖父は山へ柴刈りにゆき
            松の小枝とともに
  谷の淵へ落ちてゆき
           祖母は川へ洗濯にゆき
(空虚舟)で漂い出る」
           時じく 散る花 鳴く鳥
「死も一つの放浪である」
            とは賢者のことばだ
 ぼくは遊行のすえ家路をたどる
               一歩二歩ゆるやかに
「金色の亀が這っている大地」
        (夜見)遠見
              此処からこの世を眺めよ
「包帯を巻かれた
        牛の脚が見え
        椅子の折れた脚が見え」
                   薄明がくる
「花咲く木の下に眠る女」
            わが妹のふとももが見える
 洗われる下着や(撞木)
            みどりの網の目をひろげる
                   (地下茎)
     さざなみ (白骨) 裂けた岩
「わだつみの彼方は
         永遠に(妣)のくに」
「母は船の帆のように美しく
       光と風を受け」
              孕んでいる
 白波立つ 沸騰点より
           父はいきいきと(朽木)でなく
「真紅の鯛を釣り上げる」
【03】 〈ムーンドロップ〉(K・10)に関しては、〈吉岡実とナボコフ〉参照。

【04】 〈薄荷〉(K・6)について 吉岡は、1985年2月19日の日記に「四谷シモンのために書いた詩「薄荷」を推敲する」と書いている。なお、初出対向ページ掲載の銅版画 はたまたま詩と見開きになったのにすぎず、吉岡が絵を観て詩を書いたわけではない旨、四谷氏本人からうかがったことがある。

【05】 〈カタバミの花のように〉(K・2)に関して、 辻井喬は「これは記述主義的に書かれた詩ではありません。〔……〕それ〔『うまやはし日記』〕を読んで「カタバミの花のように」を読むと、 彼が、どれだけ自分の体験したものだけを書いているか、自分の直接体験したもの以外はすべて括弧に入れてしまい、体験したものを自分自身の内容物に還元す る、つまり、現象学的還元をやっているかがわかってきます」(《詩が生まれるとき――私の現代詩入門〔講談社現代新書〕》、講談社、1994年3月20日、 六一ページ)と書いている。

【06】 〈秋の領分〉(K・5)に関連して 吉岡は、1985年9月30日の日記に「朝、気分転換に、居間の耕衣「白桃図」を、贈られたばかりの、小沢純の「グロヴナー公の兎」の油絵 にかけ替える」と書いている。〈グロヴナー公の兎〉の写真版は、るしおる別冊《私のうしろを犬が歩いていた――追悼・吉岡実》(書肆山田、1996)にカ ラーで掲載されている。〈小沢純展〉パンフレットの作品リストに掲げられているのは〈グロヴナー公の兎〉〈夏〉〈住〔ママ〕復書翰 ゲレスハイム〉〈同  ミュンツアー〉〈休暇〉〈夜の庭〉〈レイチェル〉〈狩人〉〈She was〉〈季節〉〈ワーグナー〉〈ルドヴィヒU〉〈遊び場〉〈SH〉〈晴雨計〉〈領地〉〈距離〉〈アデル〉の18点である。

【07】 〈雪解〉(K・7)について、私はかつて〈吉岡実と瀧口修造(1)〉に 「吉岡実がなんら掣肘を受けずに書いた詩に瀧口修造の水彩画〔吸取紙に描いたもの〕を併せることは可能でも、「瀧口画に触発された吉岡詩」は原理的に不発 に終わらざるをえないのではないかという気がする。しかしこの不首尾は吉岡に負い目として残り、それがほぼ10年の歳月を経て〈雲井〉を書かせたと考えら れる」と書いたが、本篇もその作詩の試みのひとつといえるかもしれない。

【08】 〈寿星(カノプス)〉(K・8)で《ムーンドロップ》の標題に初めてパーレンが登場した。〈東風〉(J・15)のコメントで も触れたが、寿星は竜骨座[カリーナ]の首星。全天で天狼[シリウス]に次ぐ輝星で、南極星・老人星とも呼ばれる。詩の本文なら「寿星」に[カノプス]と いう読みがな=ルビが付くところだ。吉岡は標題に〈示影針(グノーモン)〉(G・27)以来の「新聞の読みがな方式」を踏襲し、以後の《ムーンドロップ》の10篇中4篇が この方式の標題となっている。

【09】 〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)に関して 吉岡は、土方巽の弔辞〈風神のごとく〉で「私は今、あまり詩が書けませんが、いずれ鎮魂歌として、「聖あんま断腸詩篇」を書くつもりです」 と書いている。また1986年の「二月二十日。夜、芦川羊子へ電話し、レコードのタイトルを告げる。「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」」、同じ く「四月十五日、晴。追悼詩「聖あんま断腸詩篇」ついに完成す。わが誕生日」(《土方巽頌》所収〈補足的で断章的な後書〉)とある。

【10】 〈叙景〉(K・11)に関しては、〈吉岡実とフランシス・ベーコン〉参照。

【11】 〈銀幕〉(K・9)に関しては、〈詩篇〈銀幕〉と梅木英治の銅版画〉参 照。〈銀幕〉を再録した梅木英治幻想画集《最後の楽園》(国書刊行会、1992年9月20日)の梅木英治〈自筆プロフィール〉に「1986年、渡辺一考氏 の推薦で、銅版画集「daily planet 日々の惑星」のため詩人吉岡実氏より頌「銀幕」を賜わる」(ジャケット・袖)とある。

【12】 〈産霊(むすび)〉(K・1)に関しては、〈吉岡実とフランシス・ベーコン〉参照。なお、半村良の長篇小説に《産霊山[むすびのやま]秘録》(早川書房、1973)がある。

【13】 〈苧環(おだまき)〉(K・14)は、 〈カタバミの花のように〉〈薄荷〉〈睡蓮〉とならんで植物名を標題とする詩篇。苧環は紡いだ麻糸を中が空洞になるように丸く巻きつけたもので、 パーレン内の詩句は「いにしへのしづのをだまきくりかえし昔を今になすよしもがな」(《伊勢物語》第三十二段)を踏まえている。苧環は餡入りの求肥餅の上にそば粉でいくつもの筋を付けた和菓子でもある。「未明の小川で」は小川未明(1882-1961)のほのめかし、「わたくしはいつも/(石女[うまずめ])の姉を宿している」は土方巽の章句のようだ。

【14】 〈睡蓮〉(K・13)は「大野一雄の舞踏に寄せて」書かれたものか。大野一雄舞踏研究所作成の年表〈大野一雄について〉に 依れば、〈睡蓮〉は1987年の「6月、シュツットガルト・世界演劇祭に参加、フェスティバルのオープニングで、新作「睡蓮」発表。ドイツ、スイス巡 演」、「8月、銀座セゾン劇場の土方巽追悼公演企画に参加。「睡蓮」上演」とあるから、吉岡が観たのは後者だろう(1988年の「10月、東京ドイツ文化 センターにて「睡蓮」上演」ともある)。本文の「ドロテア夫人」はシュルレアリスムの画家・版画家・彫刻家・作家で、マックス・エルンストの妻だったドロ テア・タニングか。

セドナでのエルンスト夫妻 1946年
セドナでのエルンスト夫妻 1946年 出典:ドロテア・タニング(荒川裕子・坂上桂子訳)《ドロテア・タニング》(彩樹社、1993年9月1日)

〔2011年5月31日追記〕
2000 年7月20日〜10月1日、東京ステーションギャラリーで開かれたマックス・エルンスト展の図録《マックス・エルンスト 彫刻・絵画・写真――シュルレアリスムの宇宙》の一三六ページに同じ写真が掲載されている(撮影:ジョン・カスネッツィス)。キャプションには「ドロテア・タニングとマックス・エルンスト、セメントによる彫刻作品《カプリコーン》とともに/1948年、アリゾナ州セドナ」とあり、上掲書籍の「1946年」と異なる。図録のエルンスト年譜(ユルゲン・ペッシ)によれば、《カプリコーン》の完成は1948年だから、写真は同年に撮られたものと思われる。ご教示いただいた小笠原鳥類さんに感謝する。

【15】 〈鵲〉(K・18)で 本文が「かささぎ」、標題が「かささぎ」を改題して「鵲」となったのは、本文が「にわとり」、標題が「にわとり」を改題して「雞」となったのと軌 を一にしている。カササギは吉岡実詩に都合3回登場するが、他の2回は「恋する女は鵲のように軽やかに松の枝にとまる」(〈子供の儀礼〉H・4)、「野生 の毒人参は生え 鵲は巣ごもり」(〈竪の声〉J・2)と、いずれも漢字の「鵲」である。

【16】 〈青空(アジュール)〉(K・16)の標題だが、マラルメの詩篇"L'Azur"がスルスのひとつと考えられる。【10】〈叙景〉では「(蒼穹[あおぞら])の下で」と「蒼穹」にルビを振って「あおぞら」と読ませていた。「青空」は本篇の標題と詩句を含めて吉岡実詩に27回登場するが、「蒼空」や「蒼穹[ソウキュウ]」は一度も登場しない。

【17】 〈晩鐘〉(K・15)に関しては、〈吉岡実とフランシス・ベーコン〉参照。

【18】 〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉(K・17)に先立ち、吉岡は澁澤龍彦(1928-87)を追悼して、1987年9月に〈休息〉(未刊詩篇・18)を発表している。

【19】 〈〔食母〕頌〉(K・19)の「食母」はどこからきたのか。《老子》の〈第二十章〉から引く([二十四]は註番号)。
ただわたしだけが人々と違って、道という乳母[うば]を大切にしたいと思っている。
我れ独[ひと]り人に異[こと]なりて、食母[しょくぼ]を貴[たっと]ぶ。
我獨異於人[二十三]、而貴食母[二十四]。
二十四 而貴食母 「食」は養うの意味で、「食母[しょくぼ]」は養う母、すなわち乳母のこと。「母」は末に対する本を示す。「食母」で、道を意味する。
(蜂屋邦夫訳注《老子〔岩波文庫〕》岩波書店、2008年12月16日、九〇〜九六ページ)
――――――――――

《ムーンドロップ》に顕著なのが一人称「わたくし」である。吉岡実のほかの詩集、たとえば《薬玉》に見られる一人称「わたし」は《ムーンドロップ》にはないものの、詩集の〈ムーンドロップ〉(K・10)【03】、〈薄荷〉(K・6)【04】、〈カタバミの花のように〉(K・2)【05】、〈苧環(おだまき)〉(K・14)【13】、〈睡蓮〉(K・13)【14】の「わたくし」は、初出では「わたし」だった(ただし初出〈ムーンドロップ〉は「わたくし」が一箇所、「わたし」が三箇所と混在)。一方、〈鵲〉(K・18)【15】は初出から「わたくし」で、《ムーンドロップ》編集の際に、「わたくし」に一本化する方針に従って【03】、【04】、【05】、【13】、【14】とも〔わたし→23わたくし〕になったものだろう。吉岡の詩集で「わたくし」が最初に登場したのは〈巡礼〉(J・7)で、《薬玉》の〈巡礼〉が《ムーンドロップ》的なのはここにも要因がある。《ムーンドロップ》の《薬玉》に対する立ち位置は、《夏の宴》の《サフラン摘み》に対するそれを彷彿させ る。《ムーンドロップ》と《薬玉》の共通点は、どちらも《薬玉》詩型を採用していること、収録作品数がともに19篇であること、(〈聖あんま断腸詩篇〉を除き)本文がともに12ポ組 であることなど数多いが、ひとつだけ挙げるすれば《ムーンドロップ》で最も早く発表された詩篇〈聖 童子譚〉が《薬玉》の世界を決定づけた〈巡礼〉を想わせることだ(私はしばしば、どちらがどちらの詩集の詩篇だったか混乱してしまうことがある)。

《ムーンドロップ》の詩篇の排列について考えてみよう。吉岡が《ムーンドロップ》を編むにあたって初期に決定した順番をここで仮に「初期順番」と呼ぶことにする(自筆の目次原稿とその内容については〈吉岡実との談話(2)〉〈詩集《ムーンドロップ》解題〉で 紹介した)。以下に「初期順番」順(01〜18)の表を掲げるが、%は平均行数(59.6行)に対する割合で、100%以上、つまり平均よりも長い詩篇を 赤字で表示した(標題・行数は初出形)。いずれも逸することのできない重要な作品だが、【04】と【12】を除くすべての「平均よりも長い詩篇」が、3〜8という節から成っている のが注目される。「初期順番」で巻末の15〜17に力作を据えているあたりは、一巻の詩集のクライマックスを展開した痕跡といえるだろう。なお表には登場しないが、巻末 にはこの時点ですでに〈〔食母〕頌〉が予定されていた。

標題(掲載順) 初期順番  発表順 節数 行数  
寿星(カノプス)(K・8) 01 【08】 5 78 131
カタバミの花のように(K・2) 02 【05】
30 50
わだつみ(K・3) 03 【02】
31 52
聖童子譚(K・4) 04 【01】 4 83 139
秋の領分(K・5) 05 【06】
32 54
薄荷(K・6) 06 【04】 4 52 87
雪解(K・7) 07 【07】
20 34
産霊(むすび)(K・1) 08 【12】
62 104
銀幕(K・9) 09 【11】
39 65
ムーンドロップ(K・10) 10 【03】 5 80 134
叙景(K・11) 11 【10】
35 59
((青空[アジユール]))(K・16) 12 【16】
20 34
聖あんま断腸詩篇(K・12) 13 【09】 8 196 329
苧環(K・14) 14 【13】
34 57
睡蓮(K・13) 15 【14】 3 63 106
晩鐘(K・15) 16 【17】 4 75 126
銀鮫(キメラ・ファンタスマ)(K・17) 17 【18】 6 107 180
かささぎ(K・18) 18 【15】
35 59
合計


1072
平均


59.6

その後、吉岡はこのプランを再考して《ムーンドロップ》を刊行するわけだが、最晩年の吉岡に詩集の編纂について尋ねると(そんなことを正面切って訊 かれて、面食らったろう)、――詩集を編むとき、詩の順番は勘や感じみたいなもので決める。〈産霊(むすび)〉は高貝弘也氏酷愛の詩篇だったの で、もっとあと(「初期順番」では8番め)にあったのを〈寿星(カノプス)〉と入れ替えてトップにもってきた。最後に置く詩篇は〈〔食母〕頌〉と決まって いた。詩集冒頭の「〔聖なる蜘蛛〕」という詩句はマラルメ(出典は《ユリイカ》特集号の誰かの文章)から――という旨の返事だった。一方、タイトルポエ ムをどこに置くかはいくつか流儀があって、〈サフラン摘み〉(G・1)のような巻頭、〈僧侶〉(C・8)のような中程、〈静かな家〉(E・16)のような 巻末、がある。〈僧侶〉型の〈ムーンドロップ〉(K・10)が全19篇のちょうど真ん中に位置するのは、《薬玉》の〈薬玉〉(J・10)とまったく同じ で、意図したものに違いない(《ムーンドロップ》はほかでも《薬玉》の排列を踏襲しているが、個個の指摘は割愛する)。次に掲載順(K・1〜19)の表を掲げる。

標題(掲載順 初期順番  発表順 節数 行数  
産霊(むすび)(K・1) 08 【12】
62 102
カタバミの花のように(K・2) 02 【05】
29 48
わだつみ(K・3) 03 【02】
32 53
聖童子譚(K・4) 04 【01】 4 83 137
秋の領分(K・5) 05 【06】
32 53
薄荷(K・6) 06 【04】 4 50 83
雪解(K・7) 07 【07】
20 33
寿星(カノプス)(K・8) 01 【08】 5 78 129
銀幕(K・9) 09 【11】
39 64
ムーンドロップ(K・10) 10 【03】 5 80 132
叙景(K・11) 11 【10】
36 59
聖あんま断腸詩篇(K・12) 13 【09】 8 196 324
睡蓮(K・13) 15 【14】 3 64 106
苧環(K・14) 14 【13】
34 56
晩鐘(K・15) 16 【17】 4 74 122
青空(アジュール)(K・16) 12 【16】
20 33
銀鮫(キメラ・ファンタスマ)(K・17) 17 【18】 6 112 185
鵲(K・18) 18 【15】
35 58
〔食母〕頌(K・19) 【19】 4 74 122
合計


1150
平均


60.5

「初期順番」のような中間的な資料がほかにないので断言をはばかるが、吉岡が詩篇の排列で苦慮したことはなかったのではあるまいか。その数少ない例外が 《神秘的な時代の詩》と《ムーンドロップ》である。ここで目を転じて、未刊詩篇の数を見てみよう。《薬玉》(制作期間:1981-83)の未刊詩篇は〈絵のなかの女〉(未 刊詩篇・15)一篇だったが、《ムーンドロップ》(制作期間:1984-88)では〈白狐〉(未刊詩篇・16)、〈亜麻〉(同・17)、〈休息〉(同・18)の三篇を数える。 詩集に未収録の詩篇が多いということは、制作期間中の作品が必ずしも充実したものばかりではなかった、「意に満たなかった」ものも あることを物語る。そのためかどうか、1989年3月に《ムーンドロップ》が第4回詩歌文学館賞(現代詩部門)に選ばれたとき、吉岡は受賞を辞退し ている。辞退の理由は明らかにされていないが、《僧侶》(H氏賞)、《サフラン摘み》(高見順賞)、《薬玉》(藤村記念歴程賞)と並んで《ムーンドロッ プ》が受賞詩集として挙げられることを潔しとしなかったため、とは考えられないか。「昨年の十一月末、ここ五年間の作品十九篇より成る、詩集『ムーンド ロップ』を刊行した。わが友、土方巽と澁澤龍彦への追慕の詩二篇を収めており、私にとって大切な詩集である」(〈「ムーンドロップ」〉、初出:《白い国の 詩》1989年4月号、《現代詩読本――特装版 吉岡実》、思潮社、1991、二三九ページ)という作者の回想が《ムーンドロップ》の成り立ちを端的に示している。

《薬玉》詩型については〈大竹茂夫展と詩篇〈壁掛〉〉で触れたので、ここでは《ムーンドロップ》に顕著なスタイルを説明する。

     「一つの石が
           空中で溶け失せても
      驚かない」

これは〈聖童子譚〉(K・4)【01】の一節(初出形・詩集形とも同じ)だが、

     「一つの石が
      空中で溶け失せても
      驚かない」

の二行めを一行めの字数分だけ下げたものと解することができる。「三行めを一行めと同じ位置に揃える」――この種の詩型を「《ムーンドロップ》詩型」と呼びたい。これが《薬玉》詩型なら、三行めも同様に下げて

     「一つの石が
           空中で溶け失せても
                    驚かない」

となるところだが、散らし書き的な詩句の並びから生じる違和が違和でなくなったとき、吉岡はそれに揺さぶりをかけて新たな詩型を模索した。さらに《薬玉》に較べて括弧類が多用されている《ムーンドロップ》は、《薬玉》以上に対句的・対比的な詩句の並置が多い。〈聖童子譚〉から引く(*印は便宜的に入れたものである)。

ぼくは(父)を憎んでいるようだ
   (母)のかくしどころの

          柳の葉のかげから現われた幽霊?
          それともアフロディーテーの末裔?(初出形)

        「麦の袋を数えたり
         墓碑銘を刻んだり」

  (賢者)も
  (愚者)も

吉岡実詩のスタイルのショーケース的作品となった〈聖あんま断腸詩篇〉(K・12)【09】から引こう。

        「ここまでが生体で
         ここからが死体だ」

       「書く者は衰弱し
        死者にかぎりなく近付く」

こうした並置が《薬玉》以前の詩篇にまったく見られなかったわけではない。それどころか、吉岡実詩全般の特徴のひとつだといっていい。だが、《ムーンドロップ》では本来の用法での引用符であり同時に強調の役目を担う鍵括弧(「 」)を伴うことで、対比の関係をいっそう鋭くしている。これらの手法――括弧類の多用と字下げの使い分け――を併用することで、詩型における詩句の重さを自在に計量して作品の文脈や構造を複雑化する一方で、語彙そのものは過度に難解に傾くことを避ける。これが吉岡実が最晩年に自らに課した詩法だったと思われる。それらの上に、〈睡蓮〉(K・13)や〈晩鐘〉(K・15)や〈銀鮫(キメラ・ファンタスマ)〉(K・17)の〔絵画〕と〔物語〕、〈鵲〉(K・18)の(絵画)と(物語)のテーマが縦横に展開されたのである。

〔付記〕
本詩集の単行本巻末(〔一三八〜一三九ページ〕)に掲載されている〈初出一覧――〉には、いくつか誤りがある。すでに各詩篇の本文前に詳細な初出記録を掲げたので、〈初出一覧――〉と原典を校合した結果を本文の校異と同様の書式で記し、誤記・誤植を正しておこう。

初出一覧――

産霊 「ユリイカ」臨時増刊一九八六・〔一一→一二〕
カタバミの花のように 「朝日新聞」一九八五・七・二六夕刊(改作)
わだつみ 「毎日新聞」一九八五・一・五夕刊
聖童子譚 「ユリイカ」臨時増刊一九八四・〔一一→一二〕
秋の領分 小沢純展パンフレット 一九八五・九・一七(改作)
薄荷 『四谷シモン 人形愛』一九八五・六〔(ナシ)→・一〇〕
雪解 「文学界」一九八六・一
寿星 「海燕」一九八六・一
銀幕 梅木英治銅版画集『日々の惑星』一九八六・〔九→一二・三〕
ムーンドロップ 「潭」2 一九八五・四
叙景 「現代詩手帖」一九八六・八(改作)
聖あんま断腸詩篇 「新潮」一九八六・六
睡蓮 「海燕」一九八七・一一
苧環 「花神」2号 一九八七・八
晩鐘 「新潮」一九八八・五(千号記念号)
青空 「文学界」一九八八・一
銀鮫 「ユリイカ」臨時増刊一九〔八七・一一→八八・六〕
「毎日新聞」一九八七・一二・二八夕刊
〔食母〕頌 「中央公論〔(ナシ)→文芸特集〕」一九八八・〔一〇文芸→九・秋〕号


吉岡実と吉屋信子(小林一郎、2011年3月31日)

吉岡実は1948(昭和23)年7月2日(金曜日)の日記に次のように書いている(/は原文)。

七月二日
 〈鎌倉〉
 吉屋信子さんのかえり/大仏さまの庭にきて/べんとうをたべる/夏の樹のかげで/ひまな写真屋さんがひとり/犬とたわむれていた/赤い門を出ながら/静 かだと思った(吉岡実遺稿〈日歴(一九四八年・夏暦)〉、るしおる別冊《私のうしろ を犬が歩いていた――追悼・吉岡実》、1996年11月30日、書肆山田、一二ページ)

当時の吉岡は、1946(昭和21)年8月に香柏書房を退社し(入社は前年の12月)、先に同社を辞めた日高真也の尽力で同年10月に東洋堂へ入社後、書籍の編集に従事していた。もっとも、吉屋信子の本は東洋堂から出ていない。そのあたりの事情を大岡信との対談〈卵形の世界から〉(《ユリイカ》1973年9月 号)での吉岡発言からまとめよう。東洋堂(発行者:龜井義雄〔東京都中央区木挽町三ノ四〕)と隆文堂、大洋出版の三社は社名こそ異なるもの の同じ出版社で、東洋堂は学術的な本を出しており、吉岡はカロン(幸田成友訳)《日本大王国志》や柳田國男《分類農村語彙》を担当した。隆文堂の方は大衆的な 本の版元で、吉屋信子の《女の階級》や長谷川伸の作品を出していたという。長篇小説《女の階級》は、1936(昭和11)年4月11日から9月19日にかけて 《読売新聞》に連載されたのが初出。同年10月15日には早くも日活映画《女の階級》(監督:千葉泰樹)が公開されている。吉屋の人気からいって当然、書籍化 されてしかるべきで、《春陽堂日本小説文庫目録(抄)》に 依れば、〈日本小説文庫〉の「449?」として「1937.12.?」に刊行されている(この初刊は原本未見)。連載から12年後の1948(昭和23) 年2月15日、《女の階級》は上倉大造の装丁で隆文堂から再び刊行された(国立国会図書館所蔵のマイクロフィッシュは再刊本の「三版」で、同年7月30日 発行。装丁は牛窪忠)。吉岡実が鎌倉に吉屋信子を訪ねたのがこの7月だったわけで、いかなる要件だったのか、冒頭の引用からはわからない。ただ、12月21日 の日記に「牛窪忠さんから《宮沢賢治詩集》をもらう」(〈断片・日記抄〉、《吉岡実詩集〔現代詩文庫14〕》、思潮社、1968、一一三ページ)と あり、隆文堂の編集者として牛窪忠装丁の「三版」の件で訪問した可能性も否定できない。刊行後25年経った大岡との対談で、書名まで挙げて 吉屋の著書に触れているのだから、《女の階級》の編集担当でこそなけれ、それなりの関わりがあっておかしくない(吉岡が隆文堂で谷内六郎の漫画を担 当して出版した経緯は〈吉岡実編集の谷内六郎漫画〉を参照されたい)。

吉屋信子《女の階級〔3版〕》(1948年7月30日、装丁:牛窪忠)の奥付〔国立国会図書館所蔵のマイクロフィッシュ〕 吉屋信子《女の階級〔3版〕》(1948年7月30日、装丁:牛窪忠)の本扉〔国立国会図書館所蔵のマイクロフィッシュ〕 吉屋信子《女の階級》(隆文堂、1948年2月15日、装丁:上倉大造)の本扉 吉屋信子《女の階級》(隆文堂、1948年2月15日、装丁:上倉大造)の表紙
吉屋信子《女の階級〔3版〕》(隆文堂、1948年7月30日、装丁:牛窪忠)の奥付と本扉〔国立国会図書館所蔵のマイクロフィッシュ〕(左ふたつ)、同書・初版(同、同年2月15日、装丁:上倉大造)の本扉と表紙(右ふたつ)

ここで視点を変えて、吉屋信子(1896-1973)の1948年作の俳句(全二七句)から引用する。本文は《吉屋信子全集〔第12巻〕》(朝日新聞社、1976年1月15日)に 拠りつつ、《吉屋信子句集》(東京美術、1974年3月30日)を参照した。「蠅帳の裡の翠微[すいび]や胡瓜もみ」(吉岡の〈雷雨の姿を見 よ〉(H・14)の「『蠅帳から/食べかけのサバの煮つけを/取り出す』/美しい日本の夏 /もっとも光を受け入れやすい/水泡[みなわ]!」を想わせる)の後がきには「以後六、七、八月と投句開始以来初めて休み。小説執筆に追われた。九月号よ り再び投句」と見える。吉屋のこの年の小説の連載は1月から12月までが《童貞》、4月から10月までが《空蝉の記》、加えて短篇を6本執筆しているが、 これで前後の年に較べて執筆量が極端に多いわけではないのだから驚かされ る。投句を休んだのは、俳句に注ぐべき時間が取れなかっただけだろうか。詳細は不明ながら、この1948年のおしまいの句 「わが心かわけり庭に水を打つ」(前がきは「ある時」)がなにかを物語っているようだ。ところで、飯田龍太・大岡信・高柳重信・吉岡実共編《鑑賞現代俳句全 集〔全12巻〕》の第12巻〈文人俳句集〉(立風書房、1981年3月20日)に、池上不二子の鑑賞による〈吉屋信子〉が収載されている。その最後の鑑賞 句、吉屋の「秋灯下古りし机の幾山河」(1950年)は、吉岡の「秋灯や背のいたみたる茂吉集」(1948年)を想わせる。しかし、なによりも吉 岡と吉屋の二人が接近したのは、富田木歩(1897-1923)の俳句においてである。吉岡の随想〈回想の俳句〉の「1 富田木歩と三ヶ山孝子の句」(初 出: 《朝日新聞》1976年7月4日)から、木歩への言及を引く。

 夏になると、不思議に口をついて出る俳句がある。それは私が二十歳ごろに愛誦した、富田木歩の一句である。

  提灯をつけて来る児や茄子の花

 このまるで、幻燈画のような情緒の世界から、私の少年の日々がよみがえる。私の生まれ育った本所東駒形はどぶ板の町だった。だから、とんぼや小魚を捕り には、向島小梅の三圍神社か水戸様(隅田公園)へ行った。たまに遠く曳舟や堀切のあたりまで出かけた。まだそこには茄子の花が咲く風情があった。
 いまにして思うと、私は木歩の俳句そのものよりも、あしなえで学校にも行けず、いろはがるたと軍人めんこで、文字を覚えたといわれる悲惨な境涯に、心惹 かれたのかも知れない。
 戦後、無二の友新井声風編の《富田木歩全集》によって、広く世に知られるようになったと思う。もう一句、私の心のなかに生き残った句がある。改めて調べ て見て、一字一句誤りなく覚えていたのはうれしい。まさしく辞世句ともいうべきものだ。

  夢に見れば死もなつかしや冬木風

(《「死児」という絵〔増補版〕》、筑摩書房、1988、一三五〜一三六ページ)

若い吉岡が木歩を読んだのは新井声風編《定本木歩句集》(交蘭社、1938)だったろうか。吉屋の文章は《底のぬけた柄杓――憂愁の俳人たち》(新 潮社、1964年7月5日)に収められた〈墨堤に消ゆ――〈富田木歩〉〉(初出:《小説新潮》1963年8月号)で、「もうかれこれ――十二三年前の ことだった。私が ふと手にした俳誌のなかの随筆欄で一人の薄命の俳人のことをチラリと知った。/そのひとの名は〈富田木歩〉だった。なぜ私はこの俳人の名とその句を今まで 知らなかったのか、じぶんのうかつ千万に驚きはずかしくなった」(同書、三五ページ)というのが書きだしだから、吉岡が吉屋に木歩の句を語ったのでないこ と は確かだ。おそらく面談時にも俳句の話題は出なかったのではないか。「梅の瑞泉寺へ椿作二郎、田尻春夢、池田行宇らと吟行。〔……〕この頃、親しい俳句仲 間と離れこれからは詩を書いて行きたいと決意」と1949年の〈吉岡実年譜〉(吉岡陽子編)にあるからだ。卵を主題にした詩を書きたいという信条が吐露さ れたのもこの時期である。ちなみに吉岡が引いた二句のうち、後者は〈墨堤に消ゆ〉の冒頭に登場する。吉屋は先の引用に続けてこう書いている。

 ――ともかくやっと遅まきながら私はその富田木歩を忘れ得ぬ俳人として覚え込んだ。いつかはこの人のことを調べたいと願ってい た。だが句集を探しても絶版なのか手に入らなかった。
 せめて、その句碑だけでも見たいと向島三囲神社へ行って境内をきょときょとしたがそれがなかなか見つからなかった。有名な(夕立や田を見め ぐりの神ならば)の宝井其角のやその他の碑らしいものはあちこちにあったが、現代の青年俳人だった木歩のは見当らないので仕方なく社務所を訪れ ると、玄関に若い奥さんが出られて、わざわざ案内して下すった。
 それはなんと、神社を入るとすぐの右側の木陰の奥にあったのだ、そそっかしい私はそこを通り過ぎて社殿の方へまっしぐらに進んでしまったのだった。自然 石の表に(夢に見れば死もなつかしや冬木風)とある……残念ながら私の勝手な(好み)に従えばその句は薄幸の生涯を二十七歳で閉じた人にあまり付[つ]き すぎる気がした。悲惨な最後を遂げた人と思うだけに、かえってその(死をなつかしい)という文字が味気なかった……。傍の白木の木標に(富田木歩句碑)と 記されて、碑の文字は臼田亜浪の筆とあって少しがっかりした、なにも亜浪の筆跡がいけないというのではなく、私は木歩の文字で見たかったのだ。だが私はそ の句碑の前にしばらく立っていた。春浅い日の暮色のせまる境内には詣でる人影もなくしんかんとしていた。帰りかけるとあとを追って来た若奥さんが「句集が ありましたが、一冊だけですからお返しになって下さい」と差し出された。ほんとうにありがたかった!
 家へ帰って灯の下でその句集をひもとくとやっと木歩の生涯の句を知ることが出来た。そして幸いにも私の好きな句がはなびらの散っているように、どの頁に も見えた。
   門松にひそと子遊ぶ町の月
   桜草灯下に置いて夕餉かな
   月浴びて縁に子等をり神楽獅子
   風鈴売荷をあげてゆき昼ひそむ
   使ひ女の袖で汗拭[ふ]く哀れかな
 木歩の生れて育った明治大正の本所区向島小梅町あたりの下町の巷の情緒と季感がなんとみずみずしく漂う十七文字の抒情短詩 であろう……それは俳句として評するのでなく、私の好きな句として感動して受け取れる。
 句碑に彫られたあの句も、それに前がきが(亡き人々を夢に見て)とあるのを句集で知ると納得がいった。
 その句集はいまから二十五年前の昭和十三年刊で新井声風編とあった。

(《底のぬけた柄杓――憂愁の俳人たち》、三五〜三七ページ)

《静物》を書こうとしている詩人・吉岡実と小説家にして俳人の吉屋信子が戦後3年めの夏に(おそらくは業務上の連絡で)面談し、互いに知ることなく 薄命の俳人・富田木歩を鍾愛し、のちにそれを文章に残したことは興味深い(吉岡はむろん吉屋文を読んだに違いない)。吉岡が吉屋の俳句について書いていな いのは残念だが、〈回想の俳句〉に木歩を取りあげたことで充分顕彰されているように思う。それにしても吉屋の文章の運びの、吉岡の随想のそれになんと似 ていることか。

〔付記〕
久保欽哉編《春陽堂書店発行図書総目録(1879年〜1988年)》(春陽堂書店、1991年6月30日)の「昭和12年(1937)」には次のようにあ るが、「階段」は「階級」の誤植だと思われる(同書、三二九ページ)。
 月:12  書名:日本小説文庫 女の階段  著・訳・編者:吉屋信子  判型:菊半  頁:424  価(円):0.55


吉岡実詩集《薬玉》本文校異(小林一郎、2011年2月28日)

吉岡実の詩集《薬玉》は1983年10月20日に書肆山田から刊行された。1981年から83年までに発表された詩篇19作品を収める(なお、〈秋思賦〉に変改吸収された〈断想〉が1978年11月に発表されている)。本稿では、 雑誌・新聞掲載用入稿原稿形、 初出雑誌・新聞掲載形、 《薬玉》(書肆山田、1983)掲載形、 《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996)掲載形のうち、からま での詩句を校合した本文とその校異を掲げた。これにより、吉岡が詩集《薬玉》各詩篇の初出形本文にその後どのように手を入れたか、たどることができる。本 稿は印刷上の細かな差異(具体的には、漢字の字体の違い)を指摘することが主眼ではないので、シフトJISのテキストとして表示できる漢字はそれを優先し た(漢字を再現するため、「䱱」などのユニコード文字を使った箇所がある)。なお、漢字が新字の本文の新字以外の漢字は、シフトJISのテキストで表示可能なかぎり、校異としてこれを載録した。初めに《薬玉》各本文の記述・組 方の概略を記す。

雑誌・新聞掲載用入稿原稿:おそらく陽子夫人の手になる詩集掲載用入稿原稿とともに2011年2月の時点で未見だが、漢字は新字、かなは新かな(拗促音は小字すなわち捨て仮名)で書かれたと考えられる。

初出雑誌・新聞:各詩篇の本文前に記載した。本文の表示は〈落雁〉以外、基本的に新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用なので、特記なき場合はこれを表わす。

《薬玉》(書肆山田、1983年10月20日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、12ポ15行1段組。

《吉岡実全詩集》(筑摩書房、1996年3月25日):本文新字新かな(ひらがな・カタカナの拗促音は小字)使用、10ポ19行1段組。なお《吉岡実全詩集》の底本は 《薬玉》。
詩篇の節番号の数字の位置(字下げ)は最終形を収めた《吉岡実全詩集》に倣って三字下げに統一し、字下げ・行どりは校異の対象としなかった。本文前の献辞や詞書、本文後の註記の字下げも《吉岡実全詩集》のそれに準じた。ところで、吉岡は《薬玉》の詩篇の本文および註記で数種類の括弧を使用している。具体的には以下の六種類である。使用頻度 順に、
パーレン ( ) 256箇所
鍵括弧 「 」 63箇所
二重パーレン (( )) 14箇所
亀甲 〔 〕 1箇所
ギュメ 〈 〉 1箇所
二重鍵括弧 『 』 1箇所
本校異では、本文の読みがな=ルビや傍点を[ ]に入れて示し、印刷物のように行間に表示する方法を採らなかった。異同箇所は〔 〕に入れて指摘した。これらの措置により本文の字下げがわかりにくくなっているが、[ ]や〔 〕を除けば原本の状態が復元できよう。異同箇所を表わす〔 〕内の( )の中は、校正用語を借用して手入れの説明とした。たとえば、詩句のあとの〔(三下)→23(天ツキ)〕は、初出形では天から三字下げで置かれていた詩句が《薬玉》と《吉岡実全詩集》では天ツキに変更になったことを示す。この「天ツキ」だが、括弧類で詩句が始まる場合、123とも半角の括弧が組版の天のラインに接する「ベタ」がほとんどである(一部の新聞などでは半角括弧に先立って半角アキで始まる――見かけは全角に括弧が鋳こまれているのと同じ――こともある)。本校異では半角括弧も一文字としてカウントし、半角括弧二つをもって一文字分の扱いとしなかった。これは、第一に吉岡が括弧類を一桝に書いているのを重視したことと、第二にシフトJISでは和文の括弧類は全角のため、「天ツキ=ベタ」の場合と半角アキで始まる場合を技術的に区別できないことによる。吉岡自身は、原稿では一字分空けた桝目に最初の文字を記して、起こしの括弧類は天のラインの上部に(あたかも組版の「ぶら下げ」と反対の「突き出し」のようにはみ出させて)書いている(〈吉岡実の手蹟〔詩篇〈永遠の昼寝〉の清書原稿〕〉参照)。この書法は雑誌・新聞掲載用入稿原稿である陽子夫人による浄書稿もおそらく同じで、これをそのまま再現している印刷物は、《薬玉》に関するかぎり、ひとつもない。なお〈吉岡実詩集本文校異について〉を参照のこと。

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《薬玉》詩篇細目

  詩篇標題(詩集番号・掲載順、詩篇本文行数、初出《誌紙名》〔発行所名〕掲載年月日(号)〔(巻)号〕)

(J・1、40行、《朝日新聞》〔朝日新聞東京本社〕1981年1月3日〔34131号〕)
竪の声(J・2、35行、《現代詩手帖》〔思潮社〕1981年9月号〔24巻9号〕)
影絵(J・3、24行、太陽シリーズ30――太陽美人画シリーズU《夏の女》〔平凡社〕1982年5月25日)
青枝篇(J・4、〔T 地の霊〕〔U 水の夢〕〔V 火の狼〕〔W 風の華〕116行、《日本経済新聞》〔日本経済新聞社〕1982年3月7日・14日・21日・28日〔34638号・34645号・34652号・34658号〕連載)
壁掛(J・5、24行〈大竹茂夫展〉パンフレット〔青木画廊〕1982年3月27日)
郭公(J・6、33行〈M.エルンスト,ケルンのダダ展―MAX ERNST, DADA in KOLN 1919/FIAT MODES PEREAT ARS〉パンフレット〔佐谷画廊〕1982年12月8日)
巡礼(J・7、8節112行、《ユリイカ》〔青土社〕1981年11月臨時増刊号〔13巻14号〕)
秋思賦(J・8、39行、《ユリイカ》〔青土社〕1982年12月臨時増刊号〔14巻13号〕)
 断想(〈秋思賦〉に変改吸収、8行、《CURIEUX――求龍》〔求龍堂〕1978年11月〔4号〕)
天竺(J・9、39行、《毎日新聞〔夕刊〕》〔毎日新聞東京本社〕1982年8月16日〔38200号〕)
薬玉(J・10、2節80行、《海燕》〔福武書店〕1982年4月号〔1巻4号〕)
春思賦(J・11、41行、《現代詩手帖》〔思潮社〕1983年1月号〔26巻1号〕)
垂乳根(J・12、75行、《海燕》〔福武書店〕1982年10月号〔1巻10号〕)
哀歌(J・13、3節58行、《ユリイカ》〔青土社〕1982年7月号〔14巻7号〕)
甘露(J・14、4節68行、《すばる》〔集英社〕1983年1月号〔5巻1号〕)
東風(J・15、51行、《をがたま》〔をがたまの会〕1983年2月〔冬・8号〕)
求肥(J・16、30行、《花神》〔花神社〕1983年9月〔秋・3巻3号〕)
落雁(J・17、4節67行、《饗宴》〔書肆林檎屋〕1983年6月〔夏・10号〕)
蓬莱(J・18、4節72行、《歴史と社会》〔リブロポート〕1983年5月〔2号〕)
青海波(J・19、4節84行、《海》〔中央公論社〕1983年6月号〔15巻6号〕)
初出一覧

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(J・1)
初出は《朝日新聞》〔朝日新聞東京本社〕1981年1月3日〔34131号〕一五面、本文7.5ポ13行3段組、39行。初出標題「にわとり」。
松の梢のむこうの日の出
俗調の一幅の絵を仰ぎ見るようだ〔(天ツキ)→23(一一下)〕
ならば神話の記述の一節を
想起しようか――〔(天ツキ)→23(一二下)〕
「常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめよ」
歩くにわとり〔(天ツキ)→23(一七下)〕
ねむるにわとり〔(天ツキ)→23(一七下)〕
よく→23(トル)〕観察すればその力強い姿態はまさしく
粘土と細い管と羽毛が集り〔(天ツキ)→23(一七下)〕
金の爪やダイナモを包んでいる
まがいもの〔(天ツキ)→23(一四下)〕
生者必滅の藁の地上で
もんどり打つおんどり〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
とき[、、]〔の声→23(トル)〕を〔あ→23告〕げよ〔(天ツキ)→23(二〇下)〕
水辺の灯心草が揺れたり
ジャムの壜が〔揺→23割〕れたり〔(天ツキ)→23(一一下)〕
横隔膜までぴくぴくする〔(ナシ)→23春〕〔(天ツキ)→23(二一下)〕
母や娘のみどりの黒髪から
へアーピンも抜けおちる〔(天ツキ)→23(一二下)〕
仮寝の夢の苫屋に
庖丁とか樟脳を用意し〔(天ツキ)→23(八下)〕
苔の上の父にはしびん〔[、、、]→23(トル)〕を用意せよ〔(天ツキ)→23(一八下)〕
冥→23瞑〕想的な暗さ
鍛冶屋のふいご〔[、、、]→23(トル)〕(子宮)は収縮する〔(天ツキ)→23(六下)〕
菜をつつくにわとり〔(天ツキ)→23(二二下)〕
卵をうむにわとり〔(天ツキ)→23(二二下)〕
ここは恩寵の現し世だろうか〔(ナシ)→23――〕
とうもろこし畑で〔(天ツキ)→23(一五下)〕
氷の岬で〔(天ツキ)→23(二三下)〕
「男たちは遠方で戦っている」
火花の明るさ〔(天ツキ)→23(一四下)〕
くびくくられる
めんどりのように〔(天ツキ)→23(七下)〕
(ナシ)→23(一五下)虚空も仰がず〕
「女たちは墓穴にまたがって難産をする」
(ナシ)→23夥しく〕散乱するもの〔(天ツキ)→23(一九下)〕
種子や枯葉のたぐい
いま幾本かの羽毛はかるがると〔(天ツキ)→23(九下)〕
護符のように〔(天ツキ)→23(二三下)〕
夕日のみずうみの空へ舞い上〔り……→23る〕

竪の声(J・2)
初出は《現代詩手帖》〔思潮社〕1981年9月号〔24巻9号〕二〇〜二二ページ、本文9ポ23行1段組、35行。初出標題「竪[しゆ]の声」。
「心は閑[しず]かにして 目を遠く見よ」
母恋いのちりめん模様の空のもとをさまよう 

  マッチをすると わたしの好きな 青い軟玉の
  石が見える

        (ぶどうの表面)

この球体は「光と半透明と闇」の
三つの層に分れている

  母は冷淡で わたしと妹を追放した
  黒白[あやめ]もわからぬ世界へ
  父は入江の中洲で
  やつめうなぎを釣っていた

「雪は犬の伯母」という 江戸諺語がなつかしい
暑い街を 犬が走ることもない 現世の夏

  「夢みられるものの肉化」そのもの
  場末の映画館で
  父は老衰し
  妹は孕み
  「ガルボは鉄の戦車」だとわたしは讃え

「暗黒(肉体)は光を食って生き
光(魂)はそれ自体の内部を生きている」

  この賢者の言葉も
  蒸溜器か暗箱の比喩みたいだと思う
  わたしは注文があれば 三脚を担いで
  断崖の上に立つ
  そして「すがる乙女」を撮った

野生の〔(ナシ)→23毒〕人参〔が→23は〕生え 〔やまあらしが→23鵲は〕巣〔をつく→23ごも〕り
束髪の母がオルガンをひびかせている

  ――おかあさん あれはなんですか
  ――碾臼だよ
  ――では孔のあるところから もれているものはなに
  ――時間だよ
  ――まわりにたまっているものは
  ――豆のかすだよ

「竪[しゆ]ノ声」
(いまでも聴こえる母の声であろうか)

     *世阿弥の伝書にある「横[おう]ノ声」(明るく外向的で太い強い声)。「竪[しゆ]ノ声」(内向的でやわらかく細かに暗い感じの声)=観世寿夫の解説〔(ナシ)→23。〕

影絵(J・3)
初出は〈太陽シリーズ30――太陽美人画シリーズU〉の《夏の女》〔平凡社〕1982年5月25日、一一ページ、本文24級楷書体1段組、23行(刷色は朱)。初出詞書「〈夏の女〉によせる」。
かくれんぼう遊びの子供たち→23(トル)〕
干草や枯柴のかげへ
         〔かくれて→23(トル)〕消えてゆく
(ナシ)→23(一四下)かくれんぼう遊びの子供たち〕
四つ辻のあたり
死馬の眼におびえ〔(天ツキ)→23(七下)〕
        オシロイバナの匂〔(ナシ)→23い〕にむせび〔(八下)→23(一五下)〕
少女も何かのなかに隠れる
         〔そこは幽界のように暗く→23「煮つめられた〕〔(九下)→23(一二下)〕
(ナシ)→23(一三下)膠や粥がある」〕
杉皮で蔽われた小屋の奥で〔(天ツキ)→23(二〇下)〕
        〔煮つめられた膠[にかわ]や粥[かゆ]がある→23(トル)〕
半襟の母がまぐわっているのは
老いた父ではなく〔(天ツキ)→23(一四下)〕
        「〔植物→23水〕神」のように見える〔(八下)→23(二二下)〕
月光を浴びて→23雷鳴は遠のき〕
      青いトウ〔モロコシ→23キビ〕が立つ
地上〔(ナシ)→23よりも〕はるかに〔遠→23暗〕く〔(天ツキ)→23(一五下)〕
    〔とどろく雷鳴で →23(トル)〕そよぐ竹むらへ〔(四下)→23(天ツキ)〕
とうすみとんぼや〔(天ツキ)→23(七下)〕
        〔すだま→23ひとがた〕が浮遊する〔(八下)→23(一五下)〕
                夏の終り〔(一六下)→23(天ツキ)〕
「紅玉石は〔(天ツキ)→23(四下)〕〔(追込)→23(改行)(五下)〕葡萄の房をみのらせる」
           美しい詩句のように〔(一一下)→23(一六下)〕
少女は「物の魂」を受胎する

青枝篇(J・4)
初出は《日本経済新聞》〔日本経済新聞社〕1982年3月7日・14日・21日・28日〔34638号二四面・34645号二四面・34652号二四面・34658号二四面〕連載の〈三月の詩T〜W〉、本文7.5ポ1段組、27行・29行・29行・29行。初出標題「地の霊(春の伝説1)」「水の夢(春の伝 説2)」「火の狼(春の伝説3)」「空[くう]の華(春の伝説4)」。
   T 地の霊

雨乞いの儀式とはなに
アネモネの緋色の朝
         ひとりの娘が丸裸になる
そしてシキミの枝で
「砂 灰 粘土のうえに〔(天ツキ)→23(九下)〕
           男女の像」を描く〔(一一下)→23(二〇下)〕
六根 清浄
六道 媾合
ことほぐ ことばが聞〔(ナシ)→23こ〕え〔(天ツキ)→23(五下)〕
ツグミやセキレイも交尾する
             遠方より
黒雲やトカゲが姿を見せる
干割れた大地は〔(天ツキ)→23(一二下)〕
荒むしろで覆われ〔(天ツキ)→23(一二下)〕
        雨に打たれる〔(八下)→23(二〇下)〕
傘の形のような小屋のまわり
ははそ葉のそよぐ
        母のおとずれる今宵
娘は双生児をうんだようだ
油煙の立ちこめる〔(天ツキ)→23(一二下)〕
        聖域を出れば〔(八下)→23(二〇下)〕
天水桶に跳ねる
       大きな鯉
他者は滅びよ
      みどりの芽吹くところ
金棒をかざして
       幼児が現われる

   U 水の夢

天気のよい日には
聖なるカシワの木の間を
           見えかくれする(母)
女猟師の姿がある
鹿やイタチを追っているのか
      ガマの穂のゆれる沼辺に〔(六下)→23(一三下)〕
      ホウネンエビが跳ねている〔(六下)→23(一三下)〕
そこは近いようで遠い
      鬼火と藁火との境界〔(ナシ)→23だ〕〔(六下)→23(天ツキ)〕
      「言霊が成長し〔(六下)→23(一〇下)〕
             石も成長する」〔(一三下)→23(一七下)〕
母恋うる夕べ
わたしは数珠玉を刈り
巫女の膝の門をくぐりぬける
             青蛙を踏んだ
すでに里は暮れつつ
ひとびとは納屋のなかで
      「男神の形のパンをつくり〔(六下)→23(一一下)〕
            かぼちゃの葉で包む」〔(一二下)→23(二三下)〕
土器に盛り 唱和せよ
          五穀豊穣
          五体満足
ラッパスイセンの咲く野の夜明け
つねに狩る者
   狩られる物の関係は哀しい〔(三下)→23(六下)〕
   枯葉とともにイノシシが穴へ落ち込む〔(三下)→23(六下)〕
わたしは水の面に想い描く
けがれた狩衣をことごとく脱ぐ
              女身を――

   V 火の狼

乙女がふたり
      料理をつくっている
魚の腹から出てきた
         銀砂子を撒くと
         大地に涼しい風が起る
カーテンのゆれる向う側は
      黄泉のくにか 薄荷の香がする〔(六下)→23(一二下)〕
この世は蜜と灰で
        ざらざらしている
     粟や芋を煮て〔(五下)→23(天ツキ)〕
     笹葉のみどりを添える〔(五下)→23(天ツキ)〕
     神饌〔(みけ)→23[みけ]〕で死者も蘇生するんだ〔(五下)→23(一〇下)〕
乙女〔(ナシ)→23が〕ふたり
     声をあげ たがいのからだを〔(五下)→23(六下)〕
        葦や藁で叩き合い〔(八下)→23(一九下)〕
        美しい身体をからっぽにする〔(八下)→23(天ツキ)〕
            通過儀礼の終り〔(一二下)→23(一三下)〕
ひとは善い夢〔を→23も〕みれば
          悪い夢もみる
荒畑をめぐり 墓地をめぐり
      〔賢→23行〕者は呪詞を唱えているようだ〔(六下)→23(一三下)〕
「よろずのこと みな えそらごと」
野苺や童話の世界より〔(天ツキ)→23(一七下)〕
          永久追放された〔(一〇下)→23(二七下)〕
野生の「幻像」がよみがえる
             山河図のなかに
   おお 大口真神〔(三下)→23(天ツキ)〕
生木は燃えて〔(天ツキ)→23(七下)〕〔(全角アキ)(追込)→23(改行)(一三下)〕すすけた夕日の〔野→23森〕を
           わが狼は駈けて来る〔(一一下)→23(二二下)〕

   W 風の華

父が死んだら喜べ
        金槌でとんとん顎を砕き
        犬歯を口から取り外すんだ
のざらしの野を行き〔 山を越え→23(トル)〕
  フクロネズミの巣へ〔 その歯を投げ入れよ→23(トル)〕〔(二下)→23(天ツキ)〕
           〔(ナシ)→23その歯を投げ入れよ 〕マツカサの実とともに〔(一一下)→23(九下)〕
やがて春の嵐がくる
    白い幣や注連〔縄→繩→縄〕もゆれ〔(四下)→23(九下)〕
金屏風は倒れる 生れ出ずる 悲しみ〔(天ツキ)→23(九下)〕
  男児ならば鉄の歯を生やしている〔(二下)→23(天ツキ)〕
        水をはこぶ母 野兎を屠る兄〔(八下)→23(一五下)〕
浄火を起すべく 妹は裸になる
    ここはウイキョウの薫りさえする〔(四下)→23(天ツキ)〕
            「聖家族図」のようだ〔(一二下)→23(一五下)〕
されど時は逝き 人も逝く
    此岸の仕組はまさに混沌未分〔(四下)→23(一二下)〕
ヒナギクの→23(トル)〕花咲く地から
  はるばる旅してきた少年がいる〔(二下)→23(天ツキ)〕
        牝牛の形の帽子をかぶり〔(八下)→23(一四下)〕
        「冥府下降」を試みつつ〔(八下)→23(一四下)〕
石枕をして眠っている
          姉を探しているようだ
雨にぬれた竹筒を覗けば〔(全角アキ)(追込)→23(改行)(一一下)〕筒ぬけである
青空にはハトやスズメが飛び交い
「馬頭女神像」は畑の中に立つ〔(天ツキ)→23(一五下)〕
    去勢山羊のむれに囲まれ〔(四下)→23(天ツキ)〕
  少年の裸身は汚れ 傷つく〔(二下)→23(一一下)〕
        麗〔わ→23(トル)〕しいまひるま〔(八下)→23(二三下)〕
    「死んだ番犬は何事も気づかない」〔(四下)→23(天ツキ)〕

壁掛(J・5)
初出は〈大竹茂夫展〉パンフレット〔青木画廊〕1982年3月27日、〔二ページ〕、本文14級1段組24行(〈大竹茂夫展と詩篇〈壁掛〉〉参照)。
乙女→23娘〕たちは遊んでいる
  善き遊びから 悪しき遊びへ〔(二下)→23(九下)〕
     割れ竹で蛇を挟み〔(五下)→23(天ツキ)〕
ときめきつつ叫ぶ〔(天ツキ)→23(八下)〕
        この世は汚物で満ちよ〔(八下)→23(一六下)〕
「オンパロス」へ供えられた
       〔かたつむり→23百合根〕〔(七下)→23(一三下)〕
            鱈の頭〔(一二下)→23(一六下)〕
               〔紅い糸ぐるま→23胞衣〕〔(一五下)→23(一九下)〕
ここは売買の市場から遠い
            聖なる胎内くぐり〔(ナシ)→23だ〕
内側には橙色の絹が張ってあり
          〔五→23十六〕段の石段だってある〔(一〇下)→23(一四下)〕
  蓬髪の白い老人に抱かれ〔(二下)→23(天ツキ)〕
         〔乙女→23一人の娘〕は恥しい花鉢を濡らす〔(九下)→23(一一下)〕
他の部屋へ廻れば
むらさき色→23はなだいろ〕に手を染め〔(天ツキ)→23(八下)〕
二人の〔乙女→23娘〕も遊んでいるようだ
  琺瑯引きのバケツの中へ〔(ナシ)→23交互に〕〔(二下)→23(天ツキ)〕
             犬釘〔(全角アキ)→23や〕小鳥〔(全角アキ)→23や〕仮面〔 胞衣→23(トル)〕〔(一三下)→23(一四下)〕
             死〔者→23人〕の〔金歯→23櫛〕も投げ入れる〔(一三下)→23(一四下)〕
春のひととき
   まるで美しい壁掛[タピストリー]が織られてゆくように〔(三下)→23(六下)〕
(ナシ)→23正面の〕建物の屋根から霞がかかって来る

郭公(J・6)
初出は〈M.エルンスト,ケルンのダダ展―MAX ERNST, DADA in KOLN 1919/FIAT MODES PEREAT ARS〉パンフレット〔佐谷画廊〕1982年12月8日、〔四〜五ページ〕、本文10ポ1段横組、31行。初出標題「郭公あるいはい森」。佐谷画廊の佐 谷和彦は〈あとがき〉に「カタログにはM・エルンストに強い関心をお持ちの詩人吉岡実さんから「郭公 あるいは青い森」と題する詩をこの展覧会のためにお 寄せいただいた。当画廊の展覧会カタログは今回で24号を数えるが,詩が載るのは始めてである。またテキストは本江邦夫さんにお願いしご寄稿いただいた。 この詩とテキストにより,この展覧会は一層のふくらみと厚味を増すこととなった。感謝申し上げる次第である」(〔表紙3〕)と書いている。なお、〔芸術は滅びるとも/流行は栄えよ〕の括弧は、初出では白ヌキの二重亀甲(〘 〙の両端が閉じている)だった。
     〔マックス・エルンスト FIAT MODES PEREAT ARS展に寄せて→23マックス・エルンスト石版画展に寄せて〕

帽子工場の裏へまわる
          (隆起する床板)のおくに
定規や針山が見える
         裸電球がぴかぴか照らす
(壁のあいだから〔(追込)→23(改行)(八下)〕花が生まれる)
               木目のあとも
  みずみずしい葉脈のように〔(二下)→23(天ツキ)〕
(少女の手に掴まれた〔(天ツキ)→23(一二下)〕
          稲妻)〔(一〇下)→23(二二下)〕
             郭公も啼かない 夜々〔(一三下)→23(天ツキ)〕
人台の下から〔出てく→23現われ〕る〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
          工場長いわく〔[・・・]→23(トル)〕〔(一〇下)→23(二〇下)〕
  〔〘→23〕芸術は滅びるとも〔(二下)→23(三下)〕
           流行は栄えよ〔〙→23〕〕〔(一一下)→23(一二下)〕
色とりどりの糸屑が
         大地をおおいつくす日まで
(擦過する 擦過する)
           一列縦隊の兵士たちがいるようだ
模造銃〔剣の尖→23(トル)〕から 白煙がのぼり
        (きみらの包茎は脱皮する〔(八下)→23(一二下)〕
  ダイヤモンドのような多面体)〔(二下)→23(天ツキ)〕
                朝日を浴びて輝く〔(一六下)→23(一四下)〕
礼装用へルメットをかぶって
             〔(ナシ)→23聖〕三角塔まで行け
   やがて冬になるだろう〔(三下)→23(天ツキ)〕
(振子の発端)を捉える〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
           (眼の高さ)を揺曳する〔空→23星屑〕〔(一一下)→23(二一下)〕
羽目板にかこまれて
         (増殖 切断 転写)
(ナシ)→23(一九下)何の脈絡もないところに〕
麻袋が一つ残った
        (それは三倍の大きさがある)

巡礼(J・7)
初出は《ユリイカ》〔青土社〕1981年11月臨時増刊号〔13巻14号〕一〇〜一五ページ、本文9ポ22行1段組、110行。初出時に節の数字はなく、一行アキ。
   〔(ナシ)→231〕

廊下で二人の女とすれちがった
ひとりは三輪車に〔(天ツキ)→23(一四下)〕
跨がっている〔(天ツキ)→23(二二下)〕
たしかにそれはわたくしの妹
紅い本の数ページを〔(天ツキ)→23(一三下)〕
読んでいる
オレンジとかトマトの記述が多い〔(天ツキ)→23(五下)〕
偉人の伝記である〔(天ツキ)→23(二〇下)〕
もうひとりは肥えた
母で体重測定器へのっている〔(天ツキ)→23(九下)〕
安物の服を着た内部はぐしゃぐしゃで
そこから流れ出ている〔(天ツキ)→23(一七下)〕
文体 死体
さなだむしもひとついる〔(天ツキ)→23(五下)〕
家訓に曰く
シーツは血や汚物でよごれたことはない〔(天ツキ)→23(五下)〕
永遠に 雪景色だ〔(天ツキ)→23(二三下)〕
荷車に大きな物をのせて
父が街を去って行くと同時に〔(天ツキ)→23(一一下)〕
主題が明確になる〔(ナシ)→23か――〕

   〔(ナシ)→232〕

砲煙はたなびき
モルタルで作られた〔(天ツキ)→23(七下)〕
戦艦であろうか〔(天ツキ)→23(一六下)〕
岩山であろうか〔(天ツキ)→23(二三下)〕
軍隊が攻撃しつつある
光明の時〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
内臓までが見え〔る→23た〕
草花はちぎれ〔(天ツキ)→23(八下)〕〔(全角アキ)(追込)→23(改行)(一四下)〕織物はちぎれ
(ナシ)→23(二〇下)毛髪はちぎれる〕
ぴかぴかした皿のうえに〔羽毛がつもる→23(トル)〕
すべての個の身体は分解し〔(天ツキ)→23(一一下)〕
遊魂は星形をつかむ〔(天ツキ)→23(二三下)〕

   〔(ナシ)→233〕

起りうることが起るならば
起りうることは起れ〔(天ツキ)→23(一二下)〕
起りえないことが起りえないならば
起りえないことは起るな〔(天ツキ)→23(一六下)〕

   〔(ナシ)→234〕

蝉しぐれのまひるま
異物を挿入された〔(天ツキ)→23(九下)〕

 母
  母
   穴
  妹
 妹

雁は西へ翔ぶ〔(天ツキ)→23(四下)〕
(一行アキ)→23(トル)〕
人間の(女)というものは必ずひっくり返る→23(トル)〕
(一行アキ)→23(トル)〕
ここは何処だと問えば
山海境[せんがいきよう]〔(天ツキ)→23(一〇下)〕
桃やすももが咲きみだれ〔(天ツキ)→23(一三下)〕
白玉多し〔(天ツキ)→23(一三下)〕
鳥獣はしばしば わが名を呼び
母を呼ぶ
兵士は豕[いのこ]を好み〔(天ツキ)→23(四下)〕
老人はちみもうりょうを好む〔(天ツキ)→23(四下)〕
山中に谷はうがたれ
爽水は流れ 流れ 故園へ帰る〔(天ツキ)→23(九下)〕
日々は過ぎ
䱱魚[さんしよううお]は残った〔(天ツキ)→23(五下)〕
ならば変化自在の芸文の世界を讃えよ→23(トル)〕
妹は水浴〔派→23ずき〕で泡沫をまとい
尺→23尸〕鳩[よぶこどり]のように〔(天ツキ)→23(一三下)〕
観念の仙人をさがしつづける〔(天ツキ)→23(一九下)〕
(ナシ)→23ならば変化自在の芸文の世界を讃えよ〕

   〔(ナシ)→235〕

煙立つ
忘却である空間〔(天ツキ)→23(三下)〕
さい[、、]の目に刻まれたものは何?