イラク解放戦争の勝利(2003年4月18日)

4月14日、イラク最後の拠点と言われた、サダムの故郷ティクリットもさしたる抵抗を受けず、米英軍が制圧、もってイラク解放の戦いは勝利のうちにほぼその幕を下ろした。
もちろん、当のサダムをはじめとした旧政権担当者や、肝心の大量破壊兵器はまだ発見されておらず、解放直後にイラク全土で起きた略奪に見られるごとく、今後の新政権確立への不安要因が多くあることも事実だ。
しかし、米英軍の当初の目標であるサダムの排除はここに成功したのである。
思えば、バグダッド陥落に至る10日間ほどの電撃戦は、世界の戦史にも残る見事なものであったと言えよう。
「バグダッド市街戦はない」との大方の「軍事専門家」の見通しにもかかわらず、米英軍はイラク軍の配備が手薄であることを知るや、兵力不足を覚悟のうえで突出、あっと言う間に国際空港を制圧した。
引き続いて更なる突出攻撃を敢行、大統領宮殿への進撃と、市街地”行進”で敵軍の勢力が希薄であることを再確認、9日、バグダッド市パレスチナホテル前のサダムの銅像を、バグダッド市民とともに倒壊させたのである。
同時期に、これまで一部の抵抗が伝えられていた南部でも平定は進み、米英軍を歓迎するイラク市民の姿が映像に登場し始めた。
こうした映像は世界中に配信され、この戦争が米英の主張どおり「イラク解放」の戦いであったことを確認させたのである。

「サンキュー・ミスター・ブッシュ」

新たな国連決議の欠如と、世界を覆う反米・反戦デモの波。
それらに抗し、イラク解放の戦いに踏み切った米英軍にとって、必要不可欠だったのはイラク市民の支持の声であった。
サダム政権崩壊が確実となった時点で、ようやく彼らは声を挙げ、行動でもって応えたのだ。
「サンキュー・USA」「バイバイ・サダム」のスローガンは、とうてい「サクラ」とは思えず、かくして反米・反戦派のもくろみは、またも事実の前に潰え去るしかなかった。

見事な戦術・戦略、戦闘遂行能力

「市街戦はない」と言っていた「軍事専門家」の「予想」は外れたようで、実は当たった。
確かに旧来の戦争(パリ解放戦や、ベルリン陥落時のような)の意味での「市街戦はなかった」。しかし、あれこそが高度なRMA(軍事革命)軍のやる市街戦だったと見たほうがよい。
空爆力で敵軍事力の本体を徹底的に叩き、その弱体化を確認、敵兵力の配備状況を的確に把握したうえで、弱い箇所を一挙的に制圧する戦法。
実は、米軍は総兵力140万人のうち6分の1以下の戦力で今回の勝利を収めた。
最強のハイテク師団と言われる第四歩兵師団はトルコから南下の予定がトルコ政府の拒否にあい、遠周りしてやっとこさクウェートに到着、北上開始のころ、すでにバグダッドは陥落していて、本番には間に合わなかった。
これは米国の軍事的な余裕であったろう。

これが国家のあるべき姿!

米英軍は慎重のうえにも慎重な配慮でもって、イラク市民に犠牲が出ないよう最大限に配慮した戦争遂行を貫徹した。
その結果、自爆テロなどにより自軍兵士に多くの犠牲者が出たほどで、米国の一部では「優しい戦争」もたいがいにしろ、との非難の声さえ挙がったという。
米英軍の犠牲者のうちかなりの部分が誤爆、同士討ちだったことはなおのこと痛ましい。
犠牲者は少なかったとは言え、米英軍兵士に3桁に及ぶ死者が出た。
彼らの冥福を心より祈りたいと思う。
感動するのは、国際共同体全体の利益のためにそうした犠牲を甘受し支えている米英の市民社会のあり方である。
強いそうした共同体意思によって支えられる市民社会。
戦後日本に最も欠如しているそうした意思を強固にもった米英がうらやましい。

「歴史をつくる」とはどういうことかを見せつけられた

米英軍の強さは、決して技術−ハイテクにあるのではない。
軍を支える背後の市民社会の強さにあると見たほうがよかろう。
そうした力が歴史を具体的につくっていくのである。
わが日本に比して何たる差か、そのことも如実に思い知らされた戦争であった。

またも裏切られた「反米・反戦」派

イラク市民のあの喜びようを、世界中の「反米・反戦・平和」派、とりわけ日本のそれらの連中は果たしてどのように見たのだろうか?
常に事実認識において敗れ去ってきた彼らであるが、事実をどんなに突きつけられてもその世界認識を変えないのも彼らである。
彼らは一時的にもせよ「イラク軍の抵抗による戦争長期化」との「期待」を抱いたが、戦況はまたも彼らの「希望」を打ち砕いた。
そして現在では、「市民に犠牲が出ている」「ジャーナリストも米軍が殺した」「まだ大量破壊兵器は見つかっていない」「今後の困難が予想される」と弱弱しくつぶやくだけであり、お馴染みの「それでも何も解決していない」と最大限綱領主義的嘆息を吐くしかないのである。
事実ではなく、常に観念でもって世界に対するという思考法の彼らは眼の前の現実を見ず、どこか別の次元に「ほんとうの真実」があると思い込みたいのである。
それで安心したいのであろうけれども、しかし歴史は着実に進んでいく。

当てにした「反戦票」空し、社共惨敗

13日に行なわれた統一地方選前半戦では、「反米・反戦・平和」を訴えた社共は都知事選に惨敗、県議選でも大きく議席を減らす結果となった。
もちろんこれは「反米・反戦・平和」が大きな争点にならないにもかかわらず、争点になると判断した社共の戦略ミスが大きいと言えるが、具体的な展望なき社共の欺瞞性を多くの有権者が見抜いた結果と見ることもできよう。
そもそも、共産主義を掲げる政党がどうして代議制選挙に打って出るのか、もともとは北朝鮮や前イラクの政治支配システムを理想とするこうした政党が日本で選挙に立候補すること自体、馬鹿げている。
そこを問わない日本の選挙民も選挙民だが、一番の問題は当の「政党」にあることはもちろんである。
彼らの同類が支配するキューバでは、世界の目がイラクに向いているとき、民主化を求める反体制組織に歴史的な大弾圧が加えられたという。
日本では左翼全体主義勢力は、今後ますます縮減していくことが今回の選挙でもって明らかとなったのはめでたいことであった。

知的退廃増す日本社会

有権者の意向は全体として健全で、わが政府もまずまずの姿勢を保ち、左翼全体主義勢力の伸張を防いでいるとは言え、残念ながら日本のメディアは圧倒的に彼らの支配下に置かれている。
その1つは出版界である。
このところ私などは、都心の大手新刊書店に行くのが憂鬱な状態が続いている。
「思想」「政治」のコーナーで、「世界の問題ですべて悪いのは米国」とするヒステリックなまでの反米図書が山のように積まれている光景を見ない日はない。
とりわけ、わが日本の政治システムと同じ民主主義のルールに則って正当に選ばれたブッシュ大統領個人に対して、誹謗中傷に等しい悪罵が投げつけられているのを見ると、いったい日本はいつからアラブ・イスラム諸国になってしまったのか、と嘆きたくもなる。
日本のアラブ・イスラム研究者としては珍しいほど誠実な若き池内恵氏がたびたび指摘しているアラブ・イスラム諸国の「知」の退廃とそっくりな現実がこの日本社会でも進行しているかのごとき惨状である。

歪んだ「米国像」氾濫の行き着くところ

米国は一部の軍需産業が支配する帝国で、ブッシュこそ独裁者である。
9.11でさえ、実はやらせなのである。
ビン・ラディンやサダムを育てたのは米国自身であり、テロとの戦いを口実に世界中で戦争をするのは、ブッシュ政権の担い手たちの権益のためである。
こういう意見はマスコミには流れないから、絶対の真実である。
自分(たち)だけが世界の真実を知っているのである・・・うんぬん、かんぬん。
こうしたインターネットに溢れる乳幼児並みのトンデモ世界認識と米国認識が広がれば、日本社会の知は再生不能な地平にまで立ち至ってしまう。
何よりも米国との対等の市民どおしの公平・公正な付き合いというのが不可能になってしまう。
日米両国は、2ヶ国で世界の富の半分以上を占める世界の大国同士である。この関係はおそらく21世紀を通じて世界の基軸であり続けることだろう。
日本にとって米国はよき同盟国であると同時に、競争相手でもある。そんな相手である米国の正しい姿を日本側が認識しえないとしたら、日米関係に計り知れない害毒をもたらすこととなろう。

ことごとく外れた「専門家」の「予想」

日本社会の知の荒廃のもう一つの例は、メディアに登場した「専門家」と称する人びとのことである。
その「専門」分野が「軍事」であれ、「イラク」であれ、「イスラム」であれ、彼らの言はそのすべてがおよそ参考にならない代物だった、と言って過言ではない。
彼らの大方の予想はこんなふうであった。
戦争前は、「イラクを攻撃したら、自爆テロが米本土で起こる」「世界中が戦場になるだろう」。
砂嵐で米英軍の進撃速度がちょっとだけ緩んだら、「イラクの反撃激化で、戦争は長期化・泥沼化・ベトナム戦争化する」。
米英軍がバグダッド近郊まで迫ったら、「市街戦で多数の死者が出る」「イラク側は最後の手段として化学兵器を使う」。
さて、戦争のメドがついたいまは「米国の民主化などイラクでは成功しない」「中東はますます不安定化し、テロが続発する」。
これまで一度も「予想」が当たったことのない人びとによる「予想」を、いったい誰が信じるというのか。
とりわけ滑稽だったのはウェブで意見を公開している某「軍事専門家」である。
この「軍事専門家」氏は戦争以前からバグダッド攻防戦のギリギリの段階まで「バグダッド市街戦はない、ない」と主張していて、やれどこぞのTV局に出るんだとうれしそうに語っていたが、バグダッド陥落後は急速にトーンダウン、最近ではもっぱら北朝鮮問題に力を入れているようである。
氏の分析で米軍が「孫子の兵法」にかなり影響を受けていると指摘したのは鋭かったが、どうも氏はRMA(中村好寿『軍事革命(RMA)』中公新書)の意義をよくつかんでなかったようである。
それに、これはこの「軍事専門家」氏だけに限ったことではないものの、自己検証も出来ない「専門家」ばかりというのはいったいどういうことか。

もちろんより罪深いのは反米主義確信犯

私は戦争中は日本の地上波はほとんど見ていない。
NHK総合では江畑謙介氏を信頼しているので、押さえていたものの、あとはもっぱらCNNjであった。
インターネットの掲示板などによれば、やはり「テレビ朝日」「TBS」などは例のごとくの悲惨ぶりだったらしい。
ただ、ほんのときたま見ただけだが、私の感想ではフジや日テレでさえ、かなりひどい「専門家」を登場させていたし、NHKにしても解説委員クラスに驚くほど反米的な言辞を吐く人物がいた。
新聞では「朝日」「毎日」は予想される対応を延々と繰り返していた。
それらメディアに登場した「専門家」と称する人たちの多くは、旧帝大や「アジア経済研究所」などの公的機関に所属し、国民の税金で研究活動をしているはずである。
しかしながら、そんな「専門家」「研究者」が、異様なまでに反米イデオロギーをむき出しにし、米国に都合の悪い事実を最大限強調する一方、米国に都合のよい事実は無視ないし軽視するのを常としていた。
まるで判で押したように、彼らは主観的な「分析」をもっぱらとして、事態の推移を正しく読み取ることが出来なかった。
問題はそうした、まったく展開の読めない「専門家」を多数起用して恥じないメディアであり、事態の見通しゼロを恥じない無反省・無責任の「専門家」自身である。

文化のヘゲモニーは彼らの手に、しかし・・・

上で述べたように、日本では圧倒的に「知」の世界を反米左翼が支配しているとは言え、市民は理性を失っていないし、政権も正常である。
そこは確かに救いだが、いつまでもこのような荒廃に知的世界を曝しておいていいわけはない。
前回の「米英軍支持の声明」で、私は「世界は大きな思想の闘いに突入しつつある」と指摘した。
しかし、これは人類の未来社会について対等の2つのプログラムがあり、両者が選択肢として成り立っているわけではないのであって、そのことは何度も確認しておく必要がある。
上で紹介した池内恵氏の分析によるアラブ・イスラム諸国の社会状況、それとそっくりな現象の進行する日本。
そこで支配的なのは、犬儒主義・シニシズムなどの知の退廃でしかない。
反米の担い手である左右の全体主義勢力が、今日ではネオコンを主敵とばかりに凄まじい憎悪の念を露わにしている。
ネオコンによる「民主化ドミノ理論」も、実現できっこないと否定することにやっきである。
しかし、ネオコンが捉え返す米国の20世紀によれば、その前半において右の全体主義を、後半において左の全体主義を打倒し、それらによって支配されていた諸国を民主化するのに成功した歴史なのである。
そこで打倒された右か左かは分からないが、全体主義的なメンタリティの持ち主たちがネオコンに反対するのは極めて論旨が一貫している。
だが彼らにはトータルな未来社会のプログラムの持ち合わせがあるわけではない。
もはや対抗の選択肢はないのである。
共産主義もファシズムも消えた。トータルな未来社会像はこちらサイドにしかなく、出来ることはその部分修正しかない。
今後の理想はネオコン路線とブレアの路線とで競争しつつ、人類社会に選択を迫るという図式だろう。
日本社会がそうした国際共同体の未来に知的貢献ができるようになるのはいつの日のことだろうか。

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