中門沢 (南会津 袖沢支流) '96/8/12〜15 斉藤・渡部          記=渡部


8/12
上野発21:49朝日339号にて浦佐へ。
浦佐へ着くと小出への連絡便はなく、駅構内からも追い出されて仕方なく玄関前の駐車場に銀マットを広げる。
コウモリとバッタの飛び交う下、いつものように酒を飲みながら明日からの行動予定を話し合う。
台風12号が北日本に上陸しそうな気配を待合室のテレビが伝えていたので、明日の状況によっては行動を断念するか、目的の沢を変更するかなど話しながら眠りにつく。
夜中、コウモリに小便をかけられた。
8/13
6時起床。荷物をまとめ、すぐさまテレビの天気予報を見に行く。
12号は上陸しそうな様子を見せているが、会津への影響はあまりないようにも見える。
何とかなるわいとばかりに駅前のタクシーに乗り込みコンビニに寄り、シルバーラインのトンネルを抜けて、なんと一万二千三百円もかかって奥只見ダムに着いた。
こうなると台風の影響も気になるが、タクシー代の影響も大いに気になり、必ずや桧枝岐へ抜けてやるぞと心に誓う。貧乏臭い気合の入れ方である。
林道をアブにたかられながら4時間20分でミノコクリ取水提に着く。
途中6人パーティーとすれ違うが、中門沢で(現在地が)判らなくなって引き返してきたと言っていた。
取水提から竿を出しながらいくが、天気が怪しくなってきたので竿をしまい遡行に専念する。大きな滝もなく平凡な渓相を行き、下の沢出合を過ぎ、次の二俣を通り過ぎるとき、偶然にその台地に幕場を見つけた。
小雨もぱらついてきたし、時間も押しているので、ここで幕とする。
台地にあがると急に雨が強くなりタープを被り雨が弱まるのを待つ。小雨になったところで幕を張り、銀マットを敷き着替えをすれば、人心地ついていつもの夜が来る。
焚火のない夜、酒と行動食とカレーライスを食べて7時30分眠りにつく。
===山日記 96/8/14 午前2時30分===
アブを払いながらうんざりするほどの林道歩き。中門沢に入り暫くして雨が降ってきた。
大気が不安定で降ったり止んだり、時折強く降る。金山沢出合に台地を見つけて幕とする。釣り師のデポ品がヤブの中においてある。
雨がかなり強くなってきたのでタープを被り体を温める。なんだかとっても憂鬱な状況の中でも、煙草に火をつけて体がジワジワと暖まってくる頃には、「幸せだなー」なんて加山雄三になってしまう。
そう、沢登は小さな幸せを拾い集める遊びです。あーやだ。水汲みを忘れて茶色い水で米を炊いた。
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8/14
2時30分起床。コーヒーを沸かすために水を汲みに行くと濁りは消えていて、空には満天の星。
何年か前に上越の万太郎谷で見たあの空を思い出す。
あの時はナントカ彗星群とやらが何十年に一度見えるとかで、一時にあれだけ沢山の流れ星を見たのは初めてだった。
コーヒーを飲みながらメモを取り、3時半頃斉藤を起こす。今日は早出だと思っていたが、いつものノンビリムードで出発は7時になってしまう。
1時間ほどで二俣に着く(この時はドングリ沢出合だと思っていた)ここを左に入り進むが、どうも西へ向かってしまって地図と合わない。
地図を持たない斉藤が(この男は気の利いた酒のつまみの代わりにしばしば地図を家に置いてきてしまう)疑いのマナコを沢筋と私に向ける。
間違いに気づいて出合に駆け戻るも、1時間40分のロスタイム。作戦会議を開くが狐につままれたような気分は変わらず、半信半疑のまま右俣(沢床はこっちの方が高いのだが)へ突っ込む。
渓相はしだいに本流らしさを取り戻し間違いでないことを確信する。実は昨日下の沢を過ぎてから、左曲する滝場に右から入るガレルンゼを勘定に入れず、それが金山沢で昨夜の幕場はドングリ沢出合だったのだ。オソルベシ中門沢、侮れぬドングリ沢なのだ。
時間と台風に迫られている我々にとって、ザックを広げて昼飯など食っている暇など無いのだが、ここで斉藤がソーメンを食おうと提案してきた。
リーダー(地図を持っている方がリーダーなのだ)として「いや、ここは手早く行動食をた・・・」と言いかけて振り向くと、斉藤の目は既にソーメン状に細長く垂れ下がり、俺いいこと考えちゃった風のマナコを輝かせながら「チョイチョイってイワナ釣っちゃてさ、刺身にしてさ、ソーメンちゅるちゅるーってさー」なんて事を言い出すのだ。
私がソーメンを茹でている間に、ちゅるちゅる男は白昼の人さらいのような目をしてジトッと釣り糸を見つめていたが、無垢なる山の精は簡単にこの男の手に落ち刺し身にされてしまうのであった。
12時20分腹一杯で出発。沢は原生林の中を時たま階段状の小滝をかけ、稜線に向かって駆け上がって行く。
無いと思っていた幕場が小広い台地に赤や黄の花を咲かせて「お客さん、寄ってかなーい」なんて言ってるようで、「んー、今日はね、又来るからね」なんて思いながら足早に通り過ぎる。
水量のぐっと減った沢筋で振り返れば、遥か彼方へとのびる辿り来た窪みが沢旅の終わりを告げている。
告げられたってまだ終わっちゃいないので、地図とにらめっこしながらコンパスふりふり枝沢を見送り、藪に突入する。
魚影も濃いけど藪も濃い、ガリクソ漕ぎまくってドンピシャリ、中門岳西北の肩の草原に出た。
一本つけた後、もう一漕ぎで木道に飛び出す。
まだ早いのかコバイケイソウは一つも見られず、白い帽子をかぶったワタスゲが風に揺らめきながらそこかしこに群生していた。
大きな鞍部に雪渓を残す稜線を辿り、駒の小屋に着くと小屋は満員御礼であった。
缶ビールを一本飲み干し檜枝岐に駆け下りる。砂利敷きの林道もすっかり闇に包まれた7時50分、やっとの思いで檜枝岐に辿り着く。
墓場に盆提灯の灯る国道を二匹のゾンビが宿を探してウロウロヘロヘロ、しかし日本では屈指の下山家として有名な斉藤氏は少しの逡巡も見せずに、村営温泉までのルートを果敢に切り開くのであった。
「とにかく風呂へ入ってサッパリするぞ、タオルよーし、替え下着よーし、なんだワタベ、早くしろよー、突撃ー」ソーメンマナコのちゅるちゅる男はここへ来て勇猛果敢なチーフリーダーに変身するのであった。
風呂から上がり、完璧に途方に暮れた我々は数キロ先のキャンプ場に向かって国道をトボトボ歩いていた。
しかし今度も山の神は我々に微笑んだ。そう、山の神ならぬ、宿のおばちゃんが「あんたら、何処へ行くね」と訊ねてきてくださったのである。
「へいへい、私らは遠く江戸から越後の山を越えて、この会津の地へやっと辿り着いたのでございます。そしてこれから、これから・・・お願いです、泊めてください」
新築まもない民宿『白木屋』はとてもきれいな宿です。
お盆の墓参りのため休業中で、夕食はできぬが素泊まりならいいということで、やっかいになることにした。
白木屋一家のご厚意のおかげで、村で唯一遅くまで(と言っても11時ごろ)営業している、『村一』でしこたまビールを呑み、フカフカの布団で眠ることができた。
ほんとうに有り難うございました。こんどは、家族で遊びに行きます。
8/15
目覚めると窓の外は雨だった。時折、強い風が吹いている。下山してよかった。
朝食を済ませ、旅館の前の停留所でバスを待つ。
今日がちょうど檜枝岐歌舞伎の開演日か、神社の前には沢山の幟が雨に濡れ垂れ下がっている。
「村の歌舞伎か・・・こういうのを村の人に混じって見るのもいいもんだろうな。渓があり、頂があり、そして里がある。セットもんだな。渓と里を切り離しちゃいけねえ」そんなことを考えながらバスに乗り込み、うつらうつらしていたら会津高原駅に到着。
降り際にザックに付いていた足長蜂に上腕部をさされ、悲鳴を上げる。
気を取り直して、駅の土産物売り場でビールを飲む。お新香で飲む。土産物のマイタケ漬で飲む。飲む。飲む。飲む。で何本のビール瓶を並べ、何本の電車を見送っただろうか、
まだまだ沢旅は終わらないのである。