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茂倉谷 (魚野川) '03/8/23(日) 晴れ時々曇り 深町(カヌ沈隊)・斉藤・河西
記=深町
「ほ〜と〜」
「ほ〜と〜」
「ほ〜と〜」
藪漕ぎである。ほぼ背の丈に等しい、密集した笹を腕で薙ぎ倒し、足下に踏み分けながら進む。稜線まであとどの位であろうか。腹が減った。肉が食いたい。バニラコークが飲みたい。ガスの切れ間から垣間見る、畑の如き笹の山稜は、未だ程遠い。こんなときは元気を出して声をあげよう。「ほ〜と〜」と。
カヌ沈隊にはコールがない。集中するに足る人数が在籍しない故だとするのが定説であったが、さにあらず。藪の中で「かぬち〜ん」と叫んでみて私は悟った。語感として今ひとつノリが宜しくないのである。溺れる者の最後の祈りの言葉にも似た、どこか哀愁漂う音像として耳に残ってしまって、なんだか後味が悪い。「かぬ〜ち〜ん」又「か〜ぬち〜ん」も試してみたが、やはり最後の「ち〜ん」に問題があるようだ。「かぬちん〜」は芸がなく、「か〜ぬ〜ちん〜」は間が抜けている。「かぬ〜ちん」及「か〜ぬ〜ちん」は有望であるが、二十年前の「フ〜カ〜マ〜チくん、あ〜そ〜ぼ」の「あ〜そ〜ぼ」の響きを彷彿させ、平衡感覚を失う。
藪漕ぎは楽しい。
我武者羅に全身運動を続けることにより、脳内麻薬が分泌され、恍惚とした境地にさえ届きそうになる。涅槃である。昔、私は「テトリス」というゲームが大の得意であった。五十円あれば終日遊んでいられた。遊ぶというより、それは瞑想の時間であった。次に落ちるブロックの色を網膜で認識すると、自動的に右手と左手が動いていた。そこに脳の働きが介在するのは僅かであった。ゲームをしながらにして私は、思春期特有の、雑多な思考を紐解く作業に没頭していたのである。いずれ幽体離脱さえ可能かも知れないと本気で考えたこともあった。藪漕ぎをしながら、そんなことを思い出した。
「ほ〜と〜」には藪漕ぎに適した旋律がある。太古の昔より、人間は旋律とリズムを利用してきた。集中を高め、あるいは鼓舞し、煽動し、洗脳する。木魚。チンドン屋。ウォークライ。いつしか私は「ほ〜と〜」コールを口にし続けていた。「ほ〜と〜」「ほ〜と〜」「ほ〜と〜」と。スジャータが回転しながら緩やかにコーヒーに溶けてゆくように、白いガスに透きのびてゆく「ほ〜と〜」。あるいは、ポニーテールで背の高いスーパーのレジ係のお姉さんが軽く小首を傾け微笑みかけながら渡す釣銭のように、ビリジアンの洪水に臆することなく凛と鳴る「ほ〜と〜」。一時間ほどの藪漕ぎを終えて稜線に出たとき、私はすみだ放沓山岳会に入会しそうになっていた。
「ほ〜と〜」。
茂倉岳はさすがに二千米級の山岳である。
藪を抜け登山道に転がり出て登ることしばし、晴れていれば三百六十度の眺望が開ける山頂が待っていた。
晴れていれば北に上越のマッターホルンと称される大源太山、晴れていれば南にかの谷川岳の双耳峰が、晴れていれば手に取るようである。晴れていればどこまでも蒼い空。鋭い稜線が連なるパノラマは、晴れていれば最高である。晴れていなかったわけではない。少しは青空も垣間見えたのだ。たまに垣間見える青空だから、かえって美しいのかも知れない。
カワニシ隊員が垣間見えた青空に手を伸ばす。「ほ〜と〜」と。それを見てサイトウさんが優しく微笑む。山はやっぱりいいね。山はやっぱりいいですね。・・・下山がなければ。「ほ〜と〜」。
帰路も勿論「ほ〜と〜」コールである。野球の練習でもしているのか、カワニシ隊員は頻りとスライディングの練習に精を出す。「ヂキジョ〜 バカヤロ〜 ボケナス〜 この呑んだクレ〜 ウ○コタレ〜」と気合の声をあげている。そして最後にオクターブ半下げて「ほ〜と〜」。それに耳を傾けたサイトウさんが優しく頷く。下山は楽しいね。下山は楽しいですね。・・・こんなに急でなければ。「ほ〜と〜」。
素晴らしい山行のエンディングにはヘッデンがつきものである。サイトウさんは下山隊長の貫禄を見せる。カワニシ隊員は野球の練習に勤しみ続けている。私は胸を蜂に刺される。遡行中に切った小指も、酷使したつま先もズキズキと痛い。サイトウさんのヘッデンの明かりを追いかける。どこですかの「ほ〜と〜」。それを聞いたサイトウさんが優しく振り返る。ヘッデン下降は凄いね。ヘッデン下降は凄いですね。・・・こんなに暗くなければ。「ほ〜と〜」・・・。
山麓の温泉。一回十分百円のマッサージ器に背を委ねる。目を閉じて、記憶に刻まれた「ほ〜と〜」コールをたっぷりと反芻する。色々なバージョンの「ほ〜と〜」を勉強させてもらった。以心伝心。山の仲間の会話は単純でいい。「ほ〜と〜」コールさえあればみんな幸せ。憶えやすいがややこしい、風が吹いたら停滞で、雨が降ったら山やめて。
カメハメハ、ウ! カメハメハ、ウ! カメハメカメハメハ・・・。
8:00車止発/14:00
茂倉岳/19:00 車止着
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