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★元市民課職員の危ない話★
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1人でも仙人の漢字3000字論
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 この「漢字3000字論」は、以前、「コラム日記」に掲載した内容を加筆修正したものです。通常、コラム日記は5日分しか載せていないため、古い物は削除してしまい、保存もしていないので、何を書いたのか自分でも忘れているのですが、この「漢字3000字論」は、あまりの馬鹿馬鹿しさに、残しておいても面白いかもしれないということで、こっそり保存しておきました。読みのがしてしまった方もそうでない方も、どうぞご覧下さいませ。

  

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 私は元来「漢字」と「数字」と「英語」が苦手で、ことあるごとに、分冗談でそう言ってきた。半分冗談と言えば聞こえが良いが、じつは、8割か9割ぐらいはマジなのだ。たぶん、聞く人は「またまたぁ、冗談でそう言ってるんだろう」と勝手に思っているだろうから、半分冗談でそう言ってきたと言っておいた方が差し障りがないのかもしれない。という勝手な論理の「半分冗談で言ってきた」だ。

 ワープロからパソコンになって、ますます自分の手で字を書く機会が減り、キーボードを打つことが多くなってきたという方も多いことだろう。そこで、よく言われるのが、「自分の手で漢字が書けなくなってきたがパソコン(正確にはソフト)が漢字変換してくれるので特に支障はない。」というような意見。

 たしかに漢字変換すると、自分が手で書いていたとしたら絶対、漢字にしない(漢字が書けない)ものまで漢字に変換してくれるので、文章を書くときはいちいち辞書を引かなくてもすむし、まったくそのとおりだと思う。
 それでは、パソコンなら、漢字が苦手ということは、関係ないのかというと、それはまた別問題だ。

 このサイトを開設してから、たくさんの方々からご意見ご感想をいただいた中で、「わかりやすい文章で理解しやすかった」という内容のものが数件あった。戸籍とは普段まったく関係のない一般の方にもわかるようにということは、絶えず頭に置いて書いてきたつもりなので、そう言われると大変うれしいのだが、私の文章がわかりやすいとすれば、それには別な原因がある。そう、『漢字』が少ないのだ。

 なぜ、漢字が少ないのかというと、私自身、漢字が苦手なので、難しい漢字を使用する言葉は頭に浮かばないから、いくらパソコンが漢字変換してくれるといっても、その元の言葉を打ち込まなければ、難しい言葉、難しい漢字が画面に出てくることはない。手書きならたまに辞書を引くところが、パソコンだと辞書を引かずに済むというだけで、できあがった文章はやっぱりそんなに変化がない。パソコンで文章を打つとやさしい漢字から難しい漢字まですべて変換されて、漢字がズラーっと並んだ文章になるなんてことは全然ないのだ。
 漢字というよりも、言葉(ん、ちょっと待って)語彙(おーっ、これこれ)を知らなさすぎなのかもしれないが、それでも漢字が苦手というのは影響していると思う。

 パソコンのモニターの画面で文字を読むのは、紙に印刷されている活字(本など)に比べると見にくいというか、慣れていないというか、違和感があるのは事実だから、難しい漢字が多いと感覚的に余計見にくいのだと思う。その点、私の書く文章は、パソコン向きかもしれない。(これまた勝手な論理)
 私自身、パソコンで、漢字が多めでびっしりのテキストページに遭遇すると、もう、最初から読む気力がなくなってしまう。家ではパソコンを「仕事」でやっているのではないので、気力とか能とかよりもまず目が拒否反応を起こす。それもそのはず、だって、やっぱり、漢字は苦手なのだ。

 ここまで、書いてきて、ふと思った。「数字」や「英語」は確実に「苦手だ」という意識があるのに対して、「漢字」は「苦手」というよりも、「興味がない」と言ったほうが正解かもしれない。
 「興味がない」から、本来は、得意だとか苦手だという意識もあまりなく、特別な漢字の知識もなく、当然、読み書きできる漢字の数も少な目で、難しい言葉を知らないということから少しずつ苦手意識が芽生えて、「漢字は苦手」となる。あれ? 結局、「苦手」になってしまった。

  

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 私は、元来、漢字には興味がないのだから、漢字に対する考えなどあるはずもなく、生活に支障のない程度に簡単な漢字を使用しながら人生を送るはずだった。平々凡々に送るはずだったのだ。しかし、そのあまりにも控えめな人生計画さえも、市民課に配属になってからは変更を余儀なくされた。
 戸籍には避けて通れないものの1つに、、な、なんとこの『漢字』がある。漢字に興味のない私にとって、それは大きな大きな壁となり立ちはだかった。

 興味がないということは、ささいなことは気にならないというか、気づかないというのはごく自然な流れなわけで、私の人生計画は180度方向転換をしなければならなくなった。戸籍業務は、漢字を気にして、たえず注意をはらい、どんなささいなことでも見逃さないようにしなければならないという、これは、まったく泳げない人を海に放り投げて向こうの島まで泳げという戸塚ヨットスクール(ちと古い。しかも泳ぎを強要させたかどうか知らない)顔負けの試練だ。

 そんなことから、徐々に漢字に対するいらだちを憶え、漢字に興味がなく、苦手な私でも、漢字に対するある意見(考え)を持つようになる。それは、ズバリ、

漢字が多すぎる! あまりにも多すぎる!! 異常なぐらい多すぎる!!!

日本語は、確かに漢字文化だと思う。ひらがなが基本だとしても、ひらがなだけの文章は読みにくいし、意味が伝わりにくい。漢字を使用することで容易に意味を伝達することができる。

 『がんらい、かんじにはきょうみがないのだから、かんじにたいするかんがえなどあるはずもなく、せいかつにししょうのないていどにかんたんなかんじをしようしながら、わたしはじんせいをおくるはずだった。』

 ねっ、元々、漢字の少ない私の文章でも、すべてひらがなにすると、意味を捉えるのに神経を使うでしょ。それよりも、まず、目で見た瞬間、一瞬、目が拒否反応を起こした人はいないだろうか。その拒否反応は、私が漢字が多めでビッシリのテキストページに遭遇したときの拒否反応と同じで、漢字が多くても、ひらがなだけでも同じ現象なのだと思う。

 私の意見は「漢字の数が多すぎる!」という、改めて言うほどのこともない単なる事実を述べているだけでも、私がこう主張するというのは、すごいことだ。戸籍事務に携わらなければ、こんなことさえも絶対に意識することはなかっただろう。世の中の漢字の数など、私の人生には関係なく、自分が知っている字だけを使用して(たまには辞書を参考にして)、生きていく予定だったのだから。

『漢字の数が多すぎる』

 そこで、どうするか。もちろん漢字の数を減らすのだが、どうやって減らすか。

 私の意見はこうだ。まず、常用漢字の全面的な見直し

 「そうか、常用漢字を見直ししてその数を減らすのか?」 と、お考えのあなた。いえいえ、逆、増やすのだ。

 新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、・・・・ん? ラジオは違う・・・。新聞、雑誌、テレビなどで使用することができる漢字は、原則として常用漢字(1945字)と決められているらしい。

 テレビの字幕を制作している人のサイトで、こんなことが書いてあった。

『「溺死」の「溺」は常用漢字ではないので、表示できず、「でき死」になってしまう。
「俺」「奴」「嬉しい」「辛い」「諦める」「噂」も全部「使えない字」で、ひらがなししてしまうと、イメージが変わってしまうものがあり、苦労する。』


 また、別な人のサイトでは、

『常用漢字という制限をなくして、「婉曲」「推敲」「辛辣」ぐらい漢字で書いてもいいことにしてもらいたい。 』

と書いている人もいた。

 今まで、常用漢字についてなんて、まったく考えたことがなかったから、完全にずぶの素人の私としても、このような意見を聞くと、常用漢字はもっと増やしてもよいのではないかと思えてくる。もともと私は漢字に対する意見などないのだから、基本的には、こうした他人の意見にすぐ同調してしまう。
 基本的には、同調でも、上の意見のうち、2人目の人は、『常用漢字という制限をなくして』といっているが、なにも制限をなくさなくても漢字で書きたい字を常用漢字に加えれば解決するではないか。
 漢字の数が多すぎることから、一般社会での混乱を防ぐために常用漢字が定められたのだと思う。「婉曲」「推敲」「辛辣」などの字が使えれば問題ないのであって、その手段として『制限をなくす』という方法は最適とはいえない。

 で、常用漢字をどのぐらい増やすのかというと、そうねぇ・・・、どんぶり勘定で・・・・。
 現在、常用漢字が1945字で、人名漢字が285字の計2230字は名前に使える字ということになっているから、それプラス新たに270字で、常用漢字を全部で2500字に。

 常用漢字だけみれば、現在の1945字から、555字増えることになる。ということは、小中学校で習う漢字の数が増えるということになるのだろうか? だとしたら、それは非常にまずい。常用漢字が定められてから、その数が増えていない原因がもしかしたらそこにあるのかもしれない。

 英語ならアルファベット26字、大文字と小文字があるから、倍の52字。アルファベットを使用している国では、この52字の読み書きさえできれば、もう、読み書きなどしない・・・・たぶん。
 それに対して日本では日本語なので、ひらがな46字カタカナ46字合わせて92字。小さい「っ」や濁音などは除いても、この段階で英語よりも文字の読み書きの数は倍近くなってしまう。そして、さらに小学校で習う漢字は1006字あるらしい。この読み書きに費やされる時間は莫大なものだ。この時間をすべてほかのことに使えるとしたら? と考えると「漢字廃止論」が出てくるのもうなずける。

 驚いたことに、世の中にはいろいろな主張をする人がいるもんで、「漢字廃止論」 というものがあるらしい。もちろん、漢字に興味のない私がそれをしったのは極々最近の話だ。

 漢字をすべて廃止して文字はひらがなで書くという大胆というか、極端な意見だ。あるいは、ひらがなもやめて、ローマ字で書くべきと主張する人もいる。
 いやいや、日本語を廃止して、他の言語を使用すべきという「日本語廃止論」まであるのだ。
 冗談なのかと思いきや、そうではなく、昔から、著名な人が真面目に真剣に主張しているのだから驚きだ。それぞれの主張には、「なるほど」と納得できる部分もあるが、現実となるには、漢字は日本人の生活に密着しすぎている今現在ではハッキリ言って無理と言わざるを得ない。しかし、現在でもそれらの主張は一部の学者たちによって脈々と続いているという。

 それらと比べて、私の「漢字3000字論」は、なんと中途半端な主張なんだろう。しかも、半分冗談?なのだから余計始末に負えない。
 いや、逆に言えば、「漢字廃止論」は、実現性がほとんどないのに対して「漢字3000字論」は、充分実現する可能性を秘めているから、冗談では済まされなくなるかも???

 さて、私が今、常用漢字を2500字に増やそうということは、必然的に小学校で習う漢字の数も増えることにつながるのかもしれないが、そのあたりをどうするかの議論は専門家たちにまかせて、私は私の中途半端な意見の続きを強引に述べさせていただくとしよう。

 常用漢字を2500字にすれば、「俺」「奴」「嬉しい」「辛い」「諦める」「噂」などの漢字も常用漢字となって、いろいろな場面で使用可能となり、これらの漢字の持つ表現力を存分に活用することができる。
 もっとも、たとえ2500字に増やしたとしても、何かで使おうとした字が、それに含まれていないため使えなかったというのは、皆無にはならないだろう。なにせ、漢字の数は8万字以上とも20万字以上ともいわれているのだから、でも、かなりの割合で、皆無に近い状態にはなるはずだ。

 そして、赤ちゃんの名前に使える字も、この新常用漢字の2500字にする。「人名漢字」という概念はなくなるから「人名漢字」という言葉そのものも不用なものとなる。単純に、常用漢字=名前に使える字だ。

 そうそう、常用漢字の字体は、今と同じ、通用字体を基本とするのは当然。

 これで、めでたし、めでたし?

 ん!漢字、減ってない? 

 逆に常用漢字が増えただけで、「漢字が多すぎる」ことについては何1つ解決していない?! あれれ???

  

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 なんで、興味のない漢字のことについて、私がこんなことを書かなければならないのか、自分でも非常に変な感じがしないでもない。なんて、ことはあまり考えず、先に進めよう。

いよいよ、「漢字の数を減らす」には・・・。

 さて、ここからが、すごい。(自分で言ってどうする)

 現在、漢字を表す言葉として、「正字」「俗字」「誤字」「通用字体」「旧字」「略字」などいろいろあるから、私なんかこれらの言葉の意味を把握するだけで(まだ把握しきれていない)大変だ。

 現在の常用漢字には、通用字体が採用されているものがあり、元々の正しい字(正字)は常用漢字よりも画数が多く複雑な字体だったりする。元々の正しい字(正字)というよりも「旧字」といったほうがよいのか、どちらにしても、現在の常用漢字は、「正字」と言って良いと思うし・・・、
 なんて考えるのはもうやめて・・・・、

 とにかく、新常用漢字(その字体)2500字をすべて、「正字」と定義付ける(これは当たり前だ)。そして、その「正字」だけ、新常用漢字2500字だけを「漢字」とするのだ。これは、「漢字」以外で、それにふさわしい言葉があればそれでもよいと思うものの、私の頭では思いつかないので、とりあえず「漢字」とするわけだ。さらに、新常用漢字以外の字は、「漢字」ではないとする。

 「漢字」の意味を根本からくつがえすとんでもない意見だ。

 新常用漢字以外の、今まで漢字と呼ばれていた字は、漢字とはいわず、すべて「古字」とかなんとかとする。
 異体字の中でも、特に古い起源をもつ文字で、辞典によっては「古文」ともいわれている字のことを指す現在の「古字」の意味も変わってしまうわけだ。それよりも「古字」以外の言葉を考えた方が賢明かもしれない。
「死字」?「虚字」? う〜ん、これも専門家の人にまかせよう。とりあえずここでは「古字(仮)」としておく。

「漢字の数はいくつですか?」 という質問の答えはこうなる。

「2500字です。現在でも中国ではもっとたくさんの漢字が使用されていますし、日本でも、昔は、漢字の数は5万字とも8万字ともいわれていましたが、現在の日本では2500字です。」

 俗字、旧字、そして日本では使われていないけど中国で使われている字、異体字、などなど全部含めたら(新常用漢字以外)、いわゆるここでいう意味での「古字(仮)」は、20万字以上っていうことになってしまう。それは一般的ではないから、あくまで一部の国語学者、漢字研究家のような専門家の中での話にとどめておいて、一般的に漢字の数は2500字としてしまうのだ。

 したがって、漢和辞典と呼ばれるものはすべて2500字だけの登載になる。

 「常用漢字」「正字」という言葉はもういらない。漢和辞典に載っているすべての字(2500字)が、すべて「常用漢字」であり、「正字」なのだから。
 それがそのまま「漢字」だから、使用する言葉は「漢字」だけでいいのだ。

 一部の高校生、そして、大学向けに、そして研究家向けの専門書として、1万字とか5万字、あるいはそれ以上登載の漢和辞典があっても、それはそれでOK。漢字に興味があって、それを専門的に学ぶことはいっこうに差し支えない。ただ、その辞典の名称が「漢和辞典」というのはさけた方が賢明だろう。漢和辞典はあくまでも2500字だけのものとして、なにか他の名称が良いと思う。たとえば、「康煕字典」のような・・・・。

 「漢字の数が多すぎる」と嘆いているのに、常用漢字を2500字に増やすというあたかも逆の意見を言った意味がおわかりいただけたと思う。
 この2500字を選定するにあたって、どうしても切り捨てると不都合が生じると予想されるものが多かったとしたら、3000字ぐらいでもよいのかもしれない。それでもこれが上限だろう。

 文字は、視覚上で伝達するための道具だと思う。その道具に思い入れがあり専門的に研究するのは悪くないが、日本国民全員が研究する必要はないと思うのだ。専門家以外の一般的な国民は、道具として不自由なく使えればそれでいいのだ。
 その数は3000字あれば、道具としては過不足なく伝達する役にたつと思われる。

 以上、題して、「漢字2500字論」、「漢字3000字論」だ!

 私の「漢字3000字論」・・・・、素人だから、何も考えずにこんなことを論じることができるわけで、この夢のような戯言(たわごと)に、もう少々、お付き合い願いたい。

 漢字が3000字になるのはよい?としても、さて、戸籍に記載されている字をどうしよう。ひらがなとカタカナは置いておいて・・・、戸籍には「漢字(3000字)」以外の字がたくさん記載されている。

そこで、次のような通達が出される。

 婚姻、養子縁組、転籍等による新戸籍の編製、他の戸籍への入籍又は戸籍の再製により従前の戸籍に記載されている氏若しくは名を移記する場合、又は認知、後見開始等により戸籍の身分事項欄、父母欄等に新たに氏若しくは名を記載する場合において、当該氏又は名の文字が従前戸籍、現在戸籍等において漢字ではない文字で記載されているときの取扱いは、次のとおりとする。

1,それに対応する漢字で記載するものとする。

 漢字を気にして、たえず注意をはらい、どんなささいなことでも見逃さないようにしなければならない、という点では変わらないかもしれないが、その内容は、現在と比べて単純明快。
 訂正申し出も、もちろんありだ。「更正」はなくなって、「訂正」だけ。漢字以外の字で記載されているものをそれに対応する漢字に修正することを「訂正」という。対応する漢字がどれなのか判断がつかない場合は、管轄の法務局の判断を仰ぐごとになるだろう。このぐらいはしょうがない。

 現在の戸籍における正字、俗字、誤字の取扱いについて、こういう意見を持っていらっしゃる方も多い。
『いくら誤字といっても、昔から氏として使っていた字、その人の氏を強制的に違う字(正字等)に変えてしまうなんて、大きなお世話だ。正字等に変えたい、変えてもよいという場合なら問題ないが、変えたくない人まで変えてしまうのはいかがなものか』

 上のような意見も持っていらっしゃる方にとって、私の「漢字3000字論」は、反対を通り越して話にもならないと感じているのは重々承知している。

 しかし、時代は変わったのだ。漢和辞典も3000字、パソコンにも、3000字の漢字しか登載されていない。第一水準漢字(2965字)、第二水準漢字(3390字)は、もう昔の話で、漢字は3000字しかないのである。昔は漢字と言われていたのかもしれないが、現在、3000字以外の字は「漢字」として認められていない。

 ん?第一水準漢字は2965字なのか・・・・。やっぱり、漢字2500字論よりも、漢字3000字論のほうが現実的なのかな?
 だとすれば、今までの「2500字」というところを「3000字」と置き換えていただいてもよい。それは、2500字と3000字のどちらを採用するかは、前述のとおり専門家におまかせだ。
 2500字、3000字の、どちらにしても、それ以外の字は、現在、漢字(ようするに「字」)として認められていないのだから、もう、どうすることもできないのだ。

 しつこく繰り返すが、3000字以外の字は漢字ではない。すべてがいわゆる「古字(仮)」になる。もともと、正字だったもの、旧字だったもの、俗字だったもの、そして誤字だったものいろいろあるが、それらはすべて現在においては「古字(仮)」になる。
 その「古字(仮)」の中で、元々は正字だったのか、旧字だったのか、俗字だったのか、誤字だったのか、異体字だったのかなどは、専門家の領域であって、一般の人は考えなくてよい分野だ。当然、戸籍関係者も意識しなくてよい。ポイントはあくまで、漢字(3000字)か、漢字ではない(古字)かだけにしぼられる。

  

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 戸籍も以前は手書きだったから、書く人の癖やミスから、戸籍に記載されている字は誤字俗字のオンパレードだ。だから、今、苦労している?

 じゃぁ、外国では、どうなのか、たとえば、英語を使っているイギリスやアメリカもタイプライターが登場する以前は手書きだったはずだ。しかも筆記体なるものがあるから人間が書いた字、人それぞれの癖は、日本語に勝るとも劣らず、すごいことになっているはずだ。
 で、それらの字をタイプで打つときにはタイプにある26字(小文字を加えれば52字)のどれかで打つはずだ。手書きの字と活字のアルファベットの字を比べて、似ても似つかなくてもだ。

 日本語にも行書や草書があり、また、略して書く場合もある。正字を略して書く、それが一般的に広まって、通用字体となり、正字(常用漢字)まで出世した字もあるだろう。
 ただ、その略した字が、一般的に認められていない字、ようするに正字でもなく通用字体でもなく、ただ略して書いた字という字なら、それをタイプで打つときには、正しい通用字体でタイプするべきと考える。たとえば「門」だ。上の部分をつなげて書いて真ん中にちょん。いくら手書きでこう書いてあったとしてもそれは「門」でいいんじゃないの? 

 元々、数が少ないアルファベットはそれ以上数が増えないのに、元々数が多すぎる漢字の数は今後さらに増えそうな勢いだ。逆だったらわかる。アルファベットの種類が2倍3倍になって、漢字の数が2分の1、3分の1に減る。でも、現実はこうじゃないから、私には、どうも納得がいかないという結論に達する。

 今、私が書いている「漢字3000字論」は、いかにも突飛な空想の世界で、へそ曲がりな気がしないでもないが、本当のへそ曲がりは、「上の部分をつなげて真ん中にちょん」はあくまで「上の部分をつなげて真ん中でちょん」という字で、「門」という字とは別な字(字体)だ、と考える人のほうだと私は思う。
 現在、戸籍に記載されている字が「上の部分をつなげて真ん中にちょん」の字だったら「門」に訂正することができる。私に言わせれば訂正などする必要はない。同じ字なんだから。スラスラーっと書かれた筆記体の「E」の字を、タイプで「E」と打つのは訂正とは言わないと思う。

 まったく私の個人勝手な漢字3000字論なのだが、皆さんは、どう思われるだろうか。今現在、自分の氏名が間違いなく3000字には含まれないであろう漢字を使用している方で、その字に愛着がある方なら当然反対だと思うけど・・・・。

  

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