自己紹介等 

1.ブレードランナーの世界
 鉄腕アトム、ビートルズ、アポロ月着陸で育った団塊の世代後期の人間です。自分の時間が日曜の数時間だけで仕事に追われています。絵やSFが好きですが最近はドラマにも興味があります。

 「ブレードランナー」というSF映画を観たことがありますか?新宿のようにネオンがけばけばしい足元の暗い雑踏の街が出てきます。ラーメン屋が並び菅傘をかぶった東洋風の男達が自転車で駆けぬけます。そこにロケット噴射の炎を吹きつけながらパトカーが降りてきます。今振り返ると、私の育った時代は科学技術の変化が激しく、夢と現実がごちゃごちゃになってブレードランナーの世界に似ているようです。今や基本的な科学技術に行き詰まりが見られ、あんな時代は今後何百年も来ないと思います。

 幼稚園の頃見た風景を覚えていますが、駅前にはタクシーではなく輪タクが並び、家には「おもらいさん」という人が食べ物を貰いに来ました。母親の自転車に乗せられて幼稚園に行くと、途中の坂を流れる下水を空き缶ですくって飲んでいる人がいました。自動車はぬかるみにはまり、エンストした車のフロントに棒を突っ込んでエンジンを廻します。国産車は急な坂を登れないそんな思い出が沢山あります。 ラジオでは「赤銅鈴之介」を聞き若乃花を応援し、テレビで力道山の空手チョップを見るために父親が蕎麦屋に連れて行ってくれました。いつも月見うどんを注文していました。中学の修学旅行でしょうか。京都の旅館の大広間で、ザピーナツが張子のピーナツから出てきたのがわずかに色づいていて感動しました。カラーテレビが珍しかった時代です。

 そしてあれよあれよと言う間に月着陸、ビートルズ、学生運動。こんな時代に育ちました。夢は湯川秀樹のような物理学者になることでしたが、高校時代に成績が伴いません。先生から君は何故そんなに勉強できないのかと聞かれました。でも夢で育った人間です。

2.10年の妄想
 競争が嫌いで非社交的ですが皆の注目を引きたいという気はあるようです。人のまねはきらいです。当時、大学は学生運動で閉まっている事が多く、ぶらぶらしながら色々なことを考えていました。これから先に書いたことは自慢話でも何でもありません。私は東大を受験したわけではありませんが私が東大を受験したと書いても東大合格の実力があったという証明にはなりません。それと同じで私は色々な事をやりましたが合格した事はありませんでしたので自慢できないのです。

 きっかけは宇宙船や戦闘機が好きで、UFOが重力と関係がある、重力は一般相対性理論に関係があると知った事です。そこで大学で電気工学科に所属していましたが20歳頃から並行して物理学を勉強し始めました。

 カッコ内は読まないで飛ばして結構です。(「ファインマン物理学」という本などから勉強を始め、特殊相対性理論、量子論、素粒子論、一般相対性理論の本を読んだり、パリティで有名なノーベル賞を貰った外国の物理学者の講演を聞きにいったりして、画期的に世界の仕組みを解明する統一場の理論を作ろうとしました)

 育った時代のせいでしょうか若さでしょうか?この世や宇宙の仕組みを画期的に説明できる理論を建てることができる様な気が、当時はしたのです。もともと自分の内面を観察しがちな性格ですから、自分でも自分が本気ではないだろうとわかっていました。けどあきらめるより惰性で継続する方がやさしいのです。プロの世界に憧れたスポーツ選手がいつまでも諦めないのもこのためです。10年間続けました。

 この物理学は、一般相対性理論や素粒子論などで数学がついていけなくなり30歳であきらめました。30歳の私は大学を出て電気系の会社の技術者になっていましたが物理の勉強時間を作り出せず悩んだものです。

3.マイコンの7年
 物理学を諦め始めた頃奥さん探しを始めました。偶然に頼るのでなく確率を増やすため英会話のサークル等を巡りました。サークルは奥さん探しには不向きでしたがその後の努力で34歳で結婚をしました。そのころマイコンの勉強を始めました。

 生まれた子供がいたずらするので押入れの上段に開発機器を置いて、8ビットのマイコンICを使って名前の自動販売機を作りました。電池で動きマイコンで名前をプリントアウトするもので7年かかりました。名前つくり名人のノウハウを実現しようとしたのです。できた名前の自動販売機は産婦人科の待合室に置いてもらうつもりでしたが上手くいきませんでした。

 本屋に行くと豊沢豊雄さんの「発明で儲ける」本が並んでいてその発明学会にも行ってみました。発明学会には年に1度の全国的な大会があります。数千人の中から十数人に選ばれ新宿の大きなステージで発表しました。5人程の中に入賞し、1万円とラーメンか何かをもらいました。

 その後NHKの「発明お父さん特集」の番組に出場しませんかというお電話もいただきましたが、私の発明はまじめすぎるので辞退しました。この技術を使って社内で始めてマイコンで制御する産業機器を商品化しました。社内にはマイコンを扱える人がいませんでした。

4.紙飛行機など
 豊沢豊雄さんの本には社長に手紙でアイデアを売り込む方法も書かれていました。やってみましたが夢を実現する確率はいつも非常に低いようでした。熱意が不足していたのかもしれません。

 人形劇にも興味を持ったことがあります。外国人の操り人形師で本に載るような伝説的な人が来日したときは舞台を見に行きました。有名な演目は戦争の悲惨さを訴えるものです。傷痍軍人が不自由な足で現れ最後にお金を乞う手をゆっくりと伸ばします。不勉強な観客はそれをユーモアと勘違いして笑いました。無理も無いのです。時代が違うのですから、戦争直後の演目を現代に見せるのですから。

 このホームページを作り始めた頃は紙飛行機にも興味がありました。芸術は人の心を相手にします。人の心や好みに正解はありません。紙飛行機は理論通りに飛びますので感動し、すっきりします。模型飛行機理論の本を読んで、大きくてフワリと飛ぶスチレンと紙を貼りあわせた飛行機をつくりました。調整なしでよく飛びます。

 フリーマーケットで売りやすい工夫もしました。ショッピング用タウン紙に載せて携帯の留守電と組み合わせて売ったこともあります。フリーマーケットで組み立てながら売って1日の売り上げが1万円を越えた時はお金をいただく喜びを味わいました。

5.私の物語は、女性に対するほのかな憧れが底に流れているテーマです。これからも安心して観て下さい
 3日坊主は太極拳など数知れず。で今だに自分が何に向いているのか何をしたいのか分かりません。会社の仕事もいつも全力投球していますが(虚弱体質で苦労しています)、その他何かをせざるを得ないのです。

 ホームページで合成写真とストーリを作ることは、私が生きたい別の世界を創造するので、ちょっと神様のような気分です。このストーリーの中にはこれまでやってきた事柄の影響があるのです。そうだ何冊かの本で絵の勉強をしたこともありました。一時SFに凝った事があります。フィリップKディックという作家が好きです。最近は昔は読まなかった日本の純文学を読みます。書きたいことが止まらなくなりそうなのでここで止めます。変わり者と思わないで宜しくお付き合い下さい。私の物語は、女性に対するほのかな憧れが底に流れているテーマです。これからも安心して観て下さい。

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