パワフル本望(オサム)
彼はもう2年近く後楽園ホールのリングの上に登っていない。
たまに後楽園ホールで一緒に試合観戦をしている彼は
『当たり前』の顔をしてリングに登っている選手達を見て羨ましく思っていた。
「その有難味を解かって欲しいですね。」
そう、いつもの優しそうな顔で強く語った。
毎日練習しないと不安。
ちょっとでも休むと崩れていく気がする。
それはもう恐怖症になっているという。
「俺はセンスとか無いから、試合までに少しでも不安を無くしておきたい」
2〜3日首の鍛錬を怠ったあとでスパーリングをすることになると
大丈夫だろうか?と不安が募る。
彼の練習する姿を見ていてもセンスが無いなんて丸で思えない。
そう伝えると少し照れたようにはにかみながら
デビュー当時はひどかった、と続けた。
「ファイターにもならない。手を出すだけだったんです。」
負けを知り、これじゃあ駄目だと思ってトレーナーにアドバイスを仰ぐ。
「単調なリズムで打っていれば、相手が倒れる!」
失望を感じた彼は、ジムの先輩である西島選手の練習と
海外の試合のビデオを参考に練習を続けていた。
本望 信人 1977年4月1日生まれ。
学年で一番遅い日に生まれた彼は小さい頃やはり同じ学年の子との差が大きかった。
4月生まれの子とは1年程の差。
今となってはどうという事のないその差も子供の頃は恐ろしく開いている。
何かと苦労もあったのではないだろうか。
「だからきっと負けず嫌いなんだよ」
他のボクサーがそう言うのに対して彼は笑顔を見せた。
僕から見た印象は、人柄が良く爽やかな青年。
そんな彼にボクシングを始めたきっかけを聞いてみた。
友達が呼び出されて袋叩きにあったとき、場所を知っていた彼は
その場にたどり着いても助けることが出来なかった。
自分の無力さを痛感し実家から近いオサムジムに入門した。
プロの人が言っていた事
「プロでやるならここはやめた方がいい。」
当時高校生だった彼にはそんなことはどうでも良かった。
が、後悔することになる。
ボクシング誌でも取り上げられ、露呈した『パワフル本望事件』
優しそうな笑顔を絶やさない彼は
「取り敢えず移籍して試合がしたい。」
この言葉を発した時のみ、荒々しく情熱的な表情を見せた。
この日、彼は角海老宝石ジムでいつも通り練習を終えた。
そこへ僕と友人がいきなり取材の申し込みをした。
「いきなり」というのも失礼な話しなのだが、彼は快く応じてくれる。
近くのレストランへ向かっている途中から話は始まる。
今までの取材について。
彼は、何度か雑誌の特集ページで取り上げられていたからだ。
そんな話を振ると、困った様に口を開いた。
「ジムが電車とかで行きづらいところにあるんで・・・。
あれは、電話とかでちょっとした質問に答えただけなんです。」
面と向かっての取材は初めて同士。
彼は話の終始に「話とか苦手なんで・・。こんなんで良いんですか?」と訪ねてきた。
反対に僕らが「こんなんいいですか?」と聞きたいくらいだ。
今までファンに貰ったものを友人が興味本位で聞くと、
「年賀状、1枚」
ファンレターももらったことがないと言う。
最初に彼に会って会話を交わした時の話題では
僕が彼を認知していたのに対し
「ろくに雑誌にも写真とか載ってなくて顔を知られてないのに、良く知ってましたね。」
なんて言って笑っていた。
あの時はとっくに、僕のお気に入りのボクサーの一人だったのに。
本望 信人にとってのボクシングとは何か。
僕は一番、彼にこれを尋ねたかった。
今この状況になった彼にとってのボクシング。
それを聞くと、彼は一生懸命考えた。
言葉を詰まらせながら、悩んで、悩んで・・・。
空気が少し重たくなった気がした。
そんな雰囲気の中、彼はやっとの思いで口を開く。
「移籍関係で、一度諦めかけたんですけど・・・」
しかしその時、他に何もする気になれなかった。
「ボクシングやってないと、ダメになっちゃいそうな」
何と言うか・・、と再び言葉を詰まらせる。
胸の辺りでつっかかっていて出てこない。
言葉に上手く表せない。
そんなボクシングへの思いが彼には有る。
僕らは苦しそうにしている彼を目の前にして、助言さえしてあげられなかった。
いつもの適当な会話だったなら、例えを出してあげられのかも知れない。
でも、この時は口を挟むべきではない様に思われた。
「一緒に寝ていて、猫に真ん中を取られちゃう」彼が
目の上が切れても我武者羅で戦い続ける。
試合を止められれば凄く悔しく思う。
それがボクシングというものなのだ。
スパーリングで切った真新しい目の上の傷は
彼の代わりに何かを語っていた。
彼もボクシングをやっていて嫌になることがある。
「やっていて思い通りに行かない時」
ボクシングなんかやらなければこんなに苦しい思いをしなくて済むのに、と。
「難しいから・・・」
話をしていて感じる謙虚さ。
きっとその謙虚さこそが彼の『巧さ』であり『強さ』なのだろう。
「ボクシングを始めて、何か変わりました?」
彼はその問いにまた悩み、
「変わってないと言えば、変わってない様な・・」
と、笑った。
今、練習に来ている角海老宝石ジムについて聞いてみた。
トレーナーさん達のアドバイス、選手層の充実、ジムの興行。
練習が外から見えるガラス張りの作りも
「見られていると気合が入る。」
僕も幾つか利点を挙げると彼は頷いて肯定していった。
彼の話を聞いているとどんどん居たたまれなくなってくる。
大阪での洲鎌選手との試合前、計量後の食事。
数日前からろくに食べられなかった彼は、とても食べることを楽しみにしてた。
勿論、他のボクサーも皆楽しみにしていることだと思う。
「入ったレストランのパスタが不味くて食べられなかった」とか
「ステーキを食わされて胃がもたれた」なんて話も聞いたことがあったが
彼の話を聞いて僕は呆気にとられた。
「コンビニに連れていかれたんです。」
友人の「何でも好きなもの選びなぁ〜」という冗談に
「いや、・・・実費でパスタ食べました。」
僕は開いた口が塞がらなかった。
他に同じような思いをした選手が何人いるのだろう。
食欲の強い僕だったらきっとキレている、と確信。
何だかヒドイ話。
彼は「店に入って」食べたかったのだそうだ。
「どっかで勝手に食って来い」
その方がどれだけ親切であるだろう。
ナチュラルウエイトは64〜65kgくらい。
それをいつも練習でしっかり絞って62kg程度に保っている。
フェザーのウエイトまでに約5kg落とせば良い計算だ。
ロードワークも1日、8km程を40分くらいで走る。
「移籍して、早く試合がしたい」
彼にはいつでもその準備が整えられている。
移籍が上手く行きますように。
彼と話をするたびに毎回、僕の思いは強くなっていく。
パワフル本望が本望 信人として後楽園ホールのリングにあがる時
きっと僕はリングの外から叫ぶのだ。
『おかえりなさい!』
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