更新日 : 2005年1 月14日

    尺八雑話(79)
  「聖徳太子と尺八(2)


尺八雑話(79)聖徳太子(2)

たまたま開けた頁には「聖徳太子御略傳御人格」とあった。
その項の中に太子がお生まれになった時の実況放送があったので蛙は夢中になって読んだ。

「太子御生誕に就ては次の如き説話が伝えられて居ります。或夜御母君の枕辺に金色の高僧
現れ「吾は西方の観世音菩薩なり、救世の願いありて世に出づる為妃の御腹に宿る」と告げて
其姿を消した。此霊夢は聖人生誕の兆として忽ち宮中に弘まった。

間もなく御懐妊の事あり月満つる頃禁中主馬寮の附近に御散策遊さるるや俄に御産気を催し
間もなく清く気高き御産声揚りて橘宮に瑞気漲り玉の如き御子御生誕になった、時に遥か西方
の空より黄金色に輝ける一道の光明現われ長く尾を曳いて橘宮の方に流れたという。」

歴史上高名な人物の生誕については、同じような生誕の逸話を良く聞くが、時の流れを乗り
越えて愛されてきた人に多いように思われる。

さて、太子について今暫し同書からの引用を続けることとする。

「太子は御別名を上宮太子、上宮王、上宮聖徳王、上宮聖徳太子などと申上げ奉る、性来
非常に御聡明な御方でご生誕四ヶ月にして既によく言い、よく語られると言い伝えられて居る
所謂一を聞いて十を知る、十を聞いて百を知るという風であらせられた。一度に八人の訴訟を
聴かれ給うたという事は有名な逸話で、其為めに豊聴耳尊、豊聡八耳尊、耳法王、法主大王
などゝも申上げた。

高麗の高僧慧慈法師は太子に仏教を御伝え申上げた人であるが、此慧慈法師が大使の
御徳を讃えて「玄聖の徳を以て日本の国に生まれ、三統を苞ね貫いて先聖の宏猷を纂ぎ、
三宝を恭敬して黎元の厄を救ひ給へり、誠に大聖におはす」といったのは誠に当然の事である
と思う。」

きっと太子は耳の大きな、聡明な方で、話の要点を瞬時に捉え的確な判断をされる大天才で
あったのだろう。
数千年の時を経て、現在にいたるまで、聖徳太子の御徳が残っているとはなんとすばらしい
ことであろうか。太子の略歴が明らかになったところでいよいよ尺八を登場させたい。

―続くー    蛙
                                               



               竹友社ホームページへ        尺八雑話目次へ      このページの最初