更新日 : 2002年11月26日 |
尺八雑話(59) 「音の違い」 過日久しぶりに宗家の音を身近に聞く機会を得た。 いつものことながら、宗家の音と自分の音とはどうしてこんなに違うのか・・・・・・・・・ 比較すること自体恐れを知らぬ振舞いだが、かといって何にもしないと進歩も無いので今後の勉強のために評論家となって、どこがどう違うのか、特に気になっている点をあえて整理してみたい。 1. 宗家の音には開放感がある。 自分の音には常に閉塞感が 付き纏う。言い方を替えれば宗家の音は太く自分のは細い。宗家の音はゆるゆると何にも拘束されずに竹全体から沸いて 出てくる感があり、聞く方の心がゆったりするが、自分の音は細い管から空気がむりやり搾り出されたような音、つまり作られた音であって、竹自体から沸いてくる感じはない。吹いていてもゆとりが無いし、聞いている方もさぞかし聞き苦しいので はないか。 2. 宗家の音は堂々としてボリュームも充分だが、自分のはどこか遠慮したような頼りない細い音である。 ボリュームだが、宗家の音はただ音が大きいということではなく思い切りふところを広げた音というべきか。 3. 宗家の音は強弱、メリカリ等いわゆるめりはりが効いており、それぞれの音が他の音を立てあっている。 弱音に得もいえぬ味があるので、強音の効果がそれだけ大きい。自分の演奏は単調であり、棒吹きになりがちである。どの音も同じでそれぞれの音の個性が無い。 4. 宗家の音には安定感がある。 自分は日によって、また曲の途中で不安定になる。 宗家は何故いつもあのように安定しているのか分からない。 5. 宗家の高音は低音と全く同じ音質と柔らかさを備えているが自分の高音は金属質のどこかキンキンした音である。また低音でも一番差を感じるのがレである。宗家のレはなんともいえないとろ味があるが、これが真似で きない。 6. 宗家が吹く時、相当口や頬の筋肉が締まっている。 あの口の締め方は尋常ではない。とても自分の筋肉の鍛え方ではあんなには締まらない。 違うところばかりで、気が暗くなるが、そこは持ち前のずうずうしさで気を取り直すこととする。 この差を埋めることは、もしかしたら、生れ直してくるよりほかに方法が無いかもしれないがせっかく大先達が光を灯してくれているのだから、いつかは一つぐらいはその光のところへ行き着きたいと思う日々である。 たとえ、行き着けなくても出きるだけ近づきたいと思う。整理したことを解決するため、自分も二,三考えていることはあるのだが、これについては、もう少し自分なりの実験を重ね、別の機会に書いてみたいと考えている。 蛙 |
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