本多 勝一氏の絵画展から、自然、社会との闘いを見る

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 元朝日新聞記者の本多勝一さんは「きたぐにの動物たち」「中国の旅」「アイヌ民族」などの探訪記・現地調査報告(ルポルタージュ・ルポ)等で有名である。その本多さん達が2007年6月19日(火)〜24日(日)、東京・有楽町の朝日アートギャラリーで、「木崎甲子郎・原真・本多勝一  三 人 展−砂 漠 ・ 氷 河 ・ わ が 『青 春 の 山』」と題して三人展を開催された。

 写真1.山田重太郎:時化の中のまぐろ延縄
漁船、船橋以外は海の中、年不詳

 小生は自然に興味があるため、同展を鑑賞させて頂いた。絵を描くのは下手だが、見るのは大好きである。特に、海、山などの自然溢れる風景に出会うと、生命力(バイタリティ)が漲って来て、生きる力が湧いて来る。お陰で、同展を見、活力を貰い、楽しいひとときを過ごすことが出来た。

 論語に「知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静」とある。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり」の意味のようである。もちろん、知、仁者に及びもつかないが、これ迄、海では仕事に苦しみ、山では余暇の登山で山を、自然のままに楽しんで来た。

 海では、若い頃、1960年代後半、インド洋、太平洋のまぐろ、えび漁場開発調査に従事したが、特に、南アフリカ沖のまぐろ漁場調査は自然との闘いであった。連日、風速、20m/s(1秒間に20m)前後の時化の中、風はヒューヒューうなり、波は船に当たって砕け、飛沫は上部船橋(アッパーブリッジ)を越えるほどで、休みなく船上に飛び込んで来た。まるで嵐の中、豪雨の中での操業であった(写真1)。

 うねりも大きい。どんぶらこ、どんぶらこと、そのまま操業甲板に入り込んで来る。まるで浮上中の潜水艦である。その海水の中で、下手をすると、我々乗組員は海水ともども甲板(デッキ)上をあっちへ行ったり、こっちへ来たり、冷たい真冬の海での海水浴である。注意を怠ると、そのまま、荒れる海に放り出されてしまう。

 このような、船が沈むのではないかと思われる中、近くで操業中のまぐろ漁船の何隻かは何人かの乗組員を海に落とし、幾人かの海の男達を亡くしていた。小生が乗船した前年、自分は乗っていなかったが、同じ船の乗組員が海にのまれた。気づくのが早かったのと、同僚が直ぐ、近くにあった漁具の浮子など浮く物全てを投入したため、彼はそれにしがみつき、何とか助かった。本当に幸運であった(詳しくは、海とまぐろとスタンバイ−まぐろ通信 に記述)。

 今、穏やかな海なら沖に出たく、時には客船に乗っているが、出来たら、時化の海、日本近海なら冬の銚子沖、本多さんが経験した北洋等の危険な海には、仕事は別にして、行きたくない。

写真2.本多勝一: 槍沢秋色、
五五歳のときに登った山山.
朝日新聞社.1997

 山では高校時代まで、静岡市の自宅から日帰り可能な安倍川、富士川流域の2000m級の山々に登っていた。大学、就職先は海、魚に関する所を選んだため、山とは離れていたが、40歳頃から、再び山への郷愁を覚え、毎夏、北アルプスに単独行するようになった。そのことについては、ホームページ[北アルプス登山記」に記載して来た。2000年頃から、体力的衰えにより、危険を感じ、2005年、尾瀬・燧ヶ岳に登山した以外、山から遠ざかっている。

 このような中、上記三人展で本多さんが描いた山々の姿を見た。山から離れていた自分にとって、久し振りに、臨場感あふれる高山の素晴らしさを味わえた。特に、それは「前穂高の連峰」「槍沢秋色」であった。山の麗しさに感嘆し、前者の絵の前ではあたかも涸沢にいるようであった。

 後者の絵では、自分にとっては、何の花か分からないが、赤い、あでやかな花々に覆われた槍沢から、槍ヶ岳を望んでいるようであった。これまで、槍沢に行ったのは夏だけであったため、「槍沢秋色」(写真2)で見られるような美しい花の一郡に出会うことはなかった。一度秋に行きたいと思うほどである。その反面、秋の後にやって来る冬の厳しさを感じた。

 「前穂高の連峰」(写真3)は、通常、「前穂北尾根」と呼ばれているが、その数々ある鋭峰を見ると、北尾根より「前穂高の連峰」の方が実状を表し、分かり易いのではないかと、あらためて思った。なお、私にとっては、”の”をとって「前穂連峰」の方が簡単で良いのかなと思ったりした。

 山とは違うが、丹頂鶴2羽が雪降る中を飛行している「雪空の丹頂」(写真4)の前では、自然の凄さと闘いながら飛んいる鶴の姿を垣間見た。とともに、死に至るかも知れない過酷な自然の中、何故に飛んでいるのか、餌を求めてか、より安全な棲み家を探してか、子供達を助けるためか、人間が破壊した悪環境域から逃れるためか、等々考えてしまった。とともに、自分が若い頃経験した厳しく、妥協を許さない海の凄さを思い出させて呉れた。

 本多さんは、これ迄、北緯約70度(札幌は約43度)・極寒の地におけるエスキモーの生活を描いた「カナダ・エスキモー」、ベトナム戦争の「戦場の村」、漁師が冬の北洋で、その恐さと闘う「北洋−独航船の記録」等、種々の探訪記を書いて来た。その取材現場において、何度も自然の猛威の中、死に晒されたと思う。北洋では時化の中、板子一枚下は地獄の海で、漁船員とともに自然の脅威と、また、ベトナムでは自然の厳しさに加え、アメリカによる爆撃、地雷等の無法な政治的暴力(テロ)と闘うなど、何度も死の恐ろしさに直面されたことと思う。

 写真3.本多勝一:前穂高の連峰、
五〇歳から再開した山歩き.朝日新聞社.
1987. 
 写真4.本多勝一:雪空の丹頂、
貧困なる精神L集.朝日新聞社、1996.

 上記、自然界の峻厳さに立ち向かう丹頂鶴の英姿は、本多さんが、それ迄の厳しい自然、現実社会と闘って来たことの蓄積として、そこから得た自然の素晴らしさ、恐さ等を知っているからこそ、無意識、自然のままに、描かれたのではないかと思った。

 本多さんは、上記の他、「南京大虐殺」「アメリカ合州国」「カンボジアの旅」(英語版「JOURNEY to CAMBODIA」)等々、社会的問題を扱った諸々の探訪記を書いて来た。これらの報告は何れも現場を大切にし、現地調査に基づき、その真実を求め、検証、吟味したものであり、歴史上、後世に残るものである。

 本多さんがこれらの現地調査や新聞記者としての経験に基づき、論述して来た政治的、社会的発言は鋭く、物事の本質を突いている。探訪記と同等か、それ以上の素晴らしさがある。その政治的、社会的発言の幾つかを挙げると「NHK受信料拒否の論理」「殺す側の論理」「事実とは何か」「貧困なる精神(集)」「週刊金曜日誌上の連載・貧困なる精神」等々、数々の記述に見られる。

 これら探訪記等に対し、反動家達はその素晴らしさを認めた上で
 「本多はルポだけ書いていれば良いが、政治的、社会的な口出しをするのが問題である」と言うようなことを述べている。これは怖い者に対する彼等の防御信号では無いだろうか。これら「政治的、社会的」のご高論は、地球上の、虐げられている弱者に対する全世界的な応援歌である。

 本多さんご夫妻は昨年(2008)10月末、交通事故に遭い、重傷を負ったが、何とか危機は脱したようである(本多勝一:貧困なる精神390.1月16日号、週刊金曜日.2009)。そんな中、大変であるが、今後とも、現場を重視し、世界の弱い人や平和のため、自然環境を護るため、一層のご活躍をお願いしたい。
 
 本多さんが画かれた絵画の写真2〜4は、それぞれの写真説明欄に記載の単行本から複写したものである。実物に比べ、小生の複写技術の未熟さのため、残念ながら、作品本来の素晴らしい色、繊細さなどの姿を表わせることが出来なかった。これは、全て私の責任である(2009.2.5)


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