カラヴァッジョ Caravaggio
http://www.puc-rio.br/wm/paint/auth/caravaggio/
にのめりこんでいます。
彼の下降する行動軌跡と「暗き悟り」というか深い沈潜の思考の具現化としての作品との相関性にきわめて強い関心があります。それがバロック絵画を切り開いていく,ダイナミズムを生み出す。
例えば1600年と1606年の二つの「エマオの晩餐」における変化に注目しています。青年期の彼にも何故か同性愛が纏いつきます。
カラバッジョ Caravaggio 1573〜1610 イタリアの画家。光と影を強調した劇的な画法で知られ、17世紀バロック絵画の先駆者とされる。本名ミケランジェロ・メリシ。ミラノに生まれ、少年時代をミラノ近郊の村カラバッジョですごしたことから、それが彼の通称となった。ミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノのもとで4年間修業したのち、1593年ローマに移住。カバリエーレ・ダルピーノの名でも知られるマニエリスムの画家、ジュゼッペ・チェーザルの工房にはいり、現在は消失している果物や花の絵を彼のためにえがいた。初期の代表作「若者たちの合奏」(1591〜92?)は、若者の登場する風俗画で、最初の重要なパトロン、フランチェスコ・デル・モンテ枢機卿のためにえがかれた。「女占い師」(1594)のような作品は、とくに彼の後継者をひきつける力をもっていた。
カラバッジョの円熟した様式は、1600年ごろ、ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会に聖マタイ伝の3つの場面を制作することからはじまった。劇的な「地下室の光」の使用によって知られる「聖マタイの召命」(1599〜1600?)では、上方からさす光が、キリストの手ぶりや、同時代の服装を身につけた人たちをてらしだしている。そのキリストの姿は、システィナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井画にもとづいてえがかれたものであった。01年ごろ、彼は次の大きな注文をサンタ・マリア・デル・ポポロ教会からうけ、「聖パウロの回心」と「聖ペテロの磔刑(たっけい)」をえがいた。前者では、サウルにあたえられたキリスト教の信仰を一条の光が象徴的にしめしている。
しかし、カラバッジョの私生活はみだれていた。彼はしばしば逮捕、投獄され、1606年には殺人をおかしてナポリに逃亡した。そこでは「キリストの鞭(むち)打ち」などの作品を制作し、ナポリの画家たちの自然主義を大きく発展させることになった。その後はマルタ島にいき、マルタ騎士団から騎士の称号をあたえられた。ここで数少ない肖像画「アロフ・ド・ビニャクール」(1608)をえがいたが、08年10月にふたたび逮捕。マルタ島の牢獄から脱走し、シチリア島のシラクザにのがれた。シチリア島では、「聖ルキアの埋葬」(1608)や「ラザロの蘇生」(1609)などの記念碑的な絵をえがいたが、それらは暗い色調と抑制された光による群衆の荘重なドラマとして、カラバッジョ最後の作品群となった。彼はあやまって逮捕されたあと、熱病にかかって10年7月18日、トスカナ州のポルト・エルコーレで没した。
カラバッジョの写実的な作風や強いキアロスクーロは、16世紀北イタリアの美術に由来するが、彼はそれらの特質に新しい生命と息吹をあたえ、反古典主義的なマニエリスムから初期バロックへの移行をもたらした。自分の唯一の師は自然であると表明していたが、明らかに盛期ルネサンスの巨匠たち、とくにミケランジェロを模倣し、研究していた。カラバッジョが17世紀にあたえた衝撃は多大であり、イタリア内外で彼の画風はあらそって模倣される。
→ バロック美術
"カラバッジョ" Microsoft(R) Encarta(R)
98 Encyclopedia. (c) 1993-1997
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怪人マムより
私にはメールで芸術談議をする見知らぬ仲間がいる。彼等は全国に散らばっている。ハンドルネームで呼び合うが、彼等が何者であるかは知る由もない。発言の隙間にこぼれてくる吐息で類推するのみである。このことはよくよく考えてみると私の所属する春陽会の仲間との繋がりと大なり小なり変わりはない。貴方が一体何者であるのか?風の噂や描いている作品を見ながら人となりを理解するのである。中島白翔?私が私であることの存在証明は私独りでは不可能に近い。回りとの関係がかろうじてその幻想を支えるのみである。もしも、私が私であることの自動律に違和感を生じたとすると?私は一体どう生きてゆけばよいというのだろう?頼りは貴方との間に繋がる一本の糸。恋しきは貴方の言葉。一本の細いケーブルの向こうにいる貴方によって私は救われるのである。先のメールはその仲間・怪人マムさんからのメールである。
白翔です。
ところでカラヴァッジョ驚きましたですねえ。ウ〜ン?彼の絵がこんなに映えるのはモニターのせいなのかなあ?それともルネッサンスあたりの絵を久しぶりに見るためなのか?まあこのころの絵描きは皆本格派ですから、まあ悪いはずがないのは当然ですね。やはり濃厚ですね。ただこの傾向の絵は「ミケランジェロ ボウナロッティ」の最後の審判あたりの絵で満腹になるから、ことにそれ以上に油っぽくてしつこいカラヴァッジョはあっさり通り過ぎておりました。
で?
マムさん「彼の下降する行動軌跡と[暗き悟り]というか深い沈潜の思考の具現化として作品との相関性にきわめて強い関心があります。それがバロック絵画を切り開いていくダイナミズムを生み出す。」
確かにカラヴァッジョの視覚は光に反応しているようで実は闇に対してのある過剰な反応を示している。暗い闇への憧憬はタナトスへの指向である。 それに「超」芝居仕立ての画面構成はお馴染みの脚本があるばかりではなく、超えるべきあるお手本があることをしのばせる。そのお手本である巨大な山とは「ミケランジェロ ボウナロッティ」システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」を描いた天才のことである。
黒い闇と真っ赤に流れる血、この感性の過剰さはカラヴァッジョの心が何か規(のり)を超えてしまったことを意味するのだと思う。本音に近づいた。barroco(歪んだ真珠)とはよく言ったもので、燦然と人間復興を謳ったルネッサンスの後にはマヌエリズムといいバロックといい退廃の影が忍び寄るのはやむを得ないことか?社会の規範が揺らぎ始め、彼らの深層の無意識帝国(社会の抑圧)が息苦しくなってきた証拠なのでしょう。
「ミケランジェロ ボウナロッティ」より約100年後の人間ですね。
37年の生涯でこれ程までの作品はやはり我こそは「天才ミケランジェロ」の生まれ変わり!我こそはあの「ボウナロッティ」を凌駕した男。そんな自意識はあったと思う。生き方さえも模倣するというのは、やはり無意識の中で子が父を憎み殺し、彼のおきさきである我が母と姦通するエディップスのように偉大なる父「ミケランジェロ」の影が重くのしかかっている。システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」を何度見上げたことか。「ユディット」も「ゴリアテを倒すダヴィド」もシスティーナ礼拝堂による。何度も見た絵だ。「いいか。劇的ドラマとはこうゆうものだ。」彼は父「ミケランジェロ ボウナロッティ」のドラマツルギーの甘さを批判するように一人ほくそ笑む。父「ボウナロティ」よりいっそう凶暴で暗い心の闇を持つソドミスト。ソドミスト=サディスト。音韻が似ているだけではない。隣り合ったものだ。彼の犯罪歴もうなずける。その気質(深層の快感原則)は絵の主題にも描き方にも出ざるを得ない。当然といえば当然、描きたいものこそ今にも血の吹き出る生々しいサディズム。
「イサク」は彼のトラウマ。「ユディット」「メデューサ」は彼の願望である。「聖ペテロ」でさえ彼の手に掛かれば宗教画に名を借りたサディスト達の饗宴に見える。「いいか、劇的ドラマとはこういうものだ。」彼のドラマツルギーはある一点の場面へ向けて上りつめたうえでの射精点を示す。のだが、それを描いちゃあおしまいよ。てへへへ。というより本音を言えば早漏でごわす。てへっ。神のいる国にとっては、聖なる者の陰にこそエロスの華がこっそりと咲いているものだ。乱暴者のソドミストがむざむざと神の前で従順なる信仰の羊である筈もない。キリストを裏切ったユダ。画面の中で首切られ法悦に悶えているのは贖罪に名を借りて自慰をするカラヴァッジョ自身である。
彼は超えようとする。私生活でも超えようとする。偉大なる父の厳しさを、父のサディズムを、父が抱いた男の数さえも超えようとする。なんと子供のような律儀さだ。しかし運命のおぞましさに発狂し自らの手で目を潰してしまったエディップスのように超えることは適わなかった。かな?やはり90歳まで長生きしなきゃあ超えることはできひんできひん。
甲斐庄(女性的役割)といいカラヴァッジョ(男性的役割)といい同性愛者の感性の特質を何とか論じたいとは思うものの「何となくそんな感じ。ある過剰さ。それに何ちゅうか本中華。超えてるっちゅうか切れた感じ。」こんなことぐらいしか言えないのが情けない。ただ芸術家は皆が皆、それを目指しているわけだから何ともはや、またもや突破口がみつかりまへん???
白翔
怪人マムです。
●この文脈に従ってDVDのCaravaggioを買い求め一気に見ました。それがとてもいい。http://www02.u-page.so-net.ne.jp/ka2/take-m/blue/car.html
に書かれてあるとうり
「スクリーンをキャンヴァスに、カラヴァッジオの作品を再現-というより、新たに再生させている。」
カラヴァッジオのセピアと鮮烈な『赤』の作品世界を洗練させて非常に美しく再創造している。画集や最初に紹介したウェブサイトを同時に見ながら鑑賞すると一層素晴らしいものになります。
この映画の監督がデレク・ジャーマンで彼はまたゲイでもあります。こう紹介されてます。
Who's DJ ?デレク・ジャーマンは英国のアーティストです。映画監督として最も良く知られていますが、彼の作品はどれも所謂商業的な『映画』というよりはアート・フィルムと言えると思います。彼の活動は映画制作からペインティング、インスタレーションなどのファイン・アート、執筆まで多岐に渡ります。(バイオグラフィはこちらで)またゲイ・アクティビストとしても知られ、1994年エイズで亡くなる直前まで、『最低同意年齢(同意の上での同性間性交渉が合法とされる年齢)』の訴訟に関わっていました。
彼の作品は常に何かと戦っていましたー国、法、差別、そしてウィルス。ときに戦闘的で過激な映像や言葉の数々は、それでもはっとするほどの美しさに満ちています。そして、友人たち、庭、イングランド、そしてゲイの同朋たち、彼の愛するものすべてへの愛情に満ちたまなざしに。「私の映画はただ見ればいい。ともかく見るということが大切なのだ」と彼は言っています。そして、自分の映画はただ一方的に物語を与えてくれるものではなくて、観る者が自分から物語を捜すのだと。ぜひ一度、機会があれば映画館に足を運んでみてください(もう、なかなかチャンスはないけれど)。あるいはレンタルビデオでもいいでしょう。部屋を暗くして集中して観てみてください。垂れ流しにされる「物語」では見えないものが見えてくるはずです。http://www02.u-page.so-net.ne.jp/ka2/take-m/blue/who.html
私は不勉強な事にデレク・ジャーマンは初見でした。この作家がほとんど私と同い年ではありますが、素晴らしい作品のようです。ここでまた芸術と同性愛論を蒸し返しましょう。とりあえず。今はここまで
怪人マム・・・・ワイダのTVを見つつ。
こんばんわ。白翔です。
いつかマムさんと論じて以来、気になっていた作家でした。「光と影の巨匠カラヴァッジョ」庭園美術館で見てきました。文化の日(2001年12月16日まで)。さすが休日なので降りそぼる雨の中傘さして行列。恐らくもう日本へは来ることがあるまいとの宣伝に誘われてか黴臭い美術館は満員御礼。まあ小さい美術館だけど。いつも思うのだが中世の絵が展示されるときは決まって館内は暗い。当時の演出でもアルマーニ。
光と影の作家はやはりモニターを通した方が断然輝く。マムさんから紹介された時の印象が強くて多少本物はがっかり。本物は少し粗っぽい。ハイパーリアリズムや写真を経験した現代の目で見ているから、どうしても不満は残るが、当時としては驚異のリアリズムだったに違いない。そのことは頷ける。リアリズムというのが必ずしもマチエ(技術)の問題ではなくイデア(思想)の問題であることがよく分かる。路上で客を拾う娼婦をモデルに聖母マリアを描く。貧しい人々。浮浪者。汚れた足。それがカラヴァッジオのリアリズムであった。保守的な宗教社会からは批判を受けようともその鮮烈な衝撃は一つの事件であった。絵画の常識を大きく覆したという評判はローマ中に轟いた。
革命者とは良きに付け悪しきにつけ限界状況をうち破った者である。
喧嘩に明け暮れ、望みもなく、根っからの札付きの悪は世俗にまみれた混沌の中から聖なるものを見つめた。同性愛や殺人と言った醜聞に満ちた呪われた画家。その男色の殺人者の目は二重にも三重にも掟を破りノリを越えた目である。リアリティーの問題をソドミストの悦びのレベルまで地上に引き下ろした。男のけつにはめ込んだ男根の射精の痙攣のように生々しいのである。いかんいかん!殺人を犯した男色者という事実に引きずられている。
しかし、記録に寄ればカラヴァッジオの逮捕歴は山ほどある。
1600年11月 アカデミーの画学生を棍棒で襲撃し大怪我を負わせた。
1603年 画家バリオーネから誹謗の罪で訴えられる。
1604年 レストランの給仕を傷つけて逮捕。
1604年10月19日バビーノ通りにて警官に投石の上侮辱。
1605年7月29日ナヴォーナ広場
女性関係を巡って公証人の男とトラブルになり襲撃し頭部に大怪我を負わせる。
1605年 「ロレートの聖母」制作。
貧しい巡礼者の前に、突如現れた聖母マリアと幼子イエス。眼の前の光景に恍惚となる二人の巡礼者。闇の世界に出現した奇跡の光。この一枚が絵画に一つの革命をもたらした。聖母マリアのモデルを務めたのはナヴォーナ広場の界隈で客を拾う娼婦でした。名はマッダレーナ・アトニエッティ。33歳のカラヴァッジオは、その美しい娼婦に夢中になったのです。公証人を襲撃したのも、マッダレーナを巡るトラブルが原因だったと言われています。
1606年
「ロレートの聖母」を完成させた翌年、賭をした相手を金の支払いを巡って争った時にその若者をあやめてしまう。殺人者となったカラヴァッジオはローマ、ナポリ、マルタ島へと次々に逃げ回る
中世においては絵画とは神のイデアを具現化したものであるが、神をも恐れぬ男色の殺人者の目は神の後ろに決して後光など見なかった。神への栄光も信仰も象徴化も一切止める。信仰のベールを一皮めくった皮剥職人。神をそこいらの道端に行き来する等身大の人間として描くのである。深層の自我の物語としては、描かれた人物は恐らく信仰の対象ではなく愛の対象である。お高く止まった神々しい理想化の部分を画面から追放してしまった分、埋め合わせに光と闇があやなす心理ドラマをはめ込んだ。真っ黒の暗幕の前での光と影の暗闘はなかなか重厚なドラマに仕上がっている。まあ、何とも色っぽい。
カラヴァッジョの絵は心理劇の舞台を演出する演出家の演技論によく似ている。又はドラマを設定し演出する現代の広告写真家の作法とそっくりだ。それぞれの配役に化粧を施し衣装を着せ一方向からのきつめの光をあててカメラのシャッターを切る。それは当然ドラマのクライマックスの一場面に焦点を合わせるが、決して天国の出来事ではなく、そこいらの居酒屋や道端の一隅に神が「人間」となって、再び現われる現場を描くのである。彼は「宗教劇」を描いた。それまでの「宗教画」とは言い難い。「劇」だ。カラヴァッジョが《聖マタイの召命》をローマの教会に描いた時、記録によるとロー
マ中の人がそこへ押し掛けたそうな。その最大の理由は、それが、そのころまで人々の馴れ親しんでいた観念的な宗教画とは違っていて、もの珍しかったためであるそうな。
でもね?やりすぎたと感じる部分というのもあるのよ。だって、マリアがそこいらの町娘。聖ペテロなんかマゾヒズムの爺さん。聖母子とその母もばばあと中年女とただのガキ。だから画面の人物達が悲しんだり、喜んだり、髪を振り乱して泣いたり、笑ったり、表情の演出が大変多い。切り取った生首が演技しているんだよ。エクスタシーに目を剥いて。お前死んでんだろう?見えきってる場合じゃあねえだろう?
彼が 再現してみせたのは苦しみであり、そのアンビヴァレントな悦びであり、心の葛藤という心理劇なのである。カラヴァッジョの「近代性」と「革命性」はそこにある。だから「宗教劇」の隙間にエロスの花は咲き乱れ。サディズムとマゾヒズムの百花繚乱。恐らくこのことが暗喩として人々の深層心理の心を揺さぶったのだろう。押すな押すなの大騒ぎ。人々がこの絵の回りにひしめいていたのは最初
の「自我のドラマ」、近代的な「リアリズム」に出会った為であった。では。
白翔