春光会異聞その8−懇親会の夜
春光会懇親会の夜です。全国から集まった懐かしき会員達が年に一度顔を合わせる一日は春のおぼろの妖しい夜です。物の怪に憑かれた者達にとっては一年の憂さの捨て所、馬鹿騒ぎの一夜である。受賞者表彰、新会員紹介、来賓挨拶、愚痴披露とひとしきり公式の式次第が終わると後はパーティーとなる。念願の会員に推薦された者や賞を貰った者は継続は力なり、そんな言葉を呟きながらまるで天使の無垢な心で嬉しさを噛みしめるのである。
多くの芸術団体がこの社会の芸術運動の前衛として先陣をきっていた華々しい時代には、この会の動向も例に漏れず新聞の文化欄に大きく報道されたものである。今は昔の話である。今ではもうすっかり社会の片隅に押しやられ、落ちぶれてしまったが、落ちぶれ果てても武士でござる。いやいや、絵描きなのである。
部外者からの無垢な質問が一つ。
「私は六十をとうに過ぎた老人ですが、小学生の頃から算数とお絵描きが苦手で大人になってからは一度も絵を描きたいと思ったこともなく、算数が出来ないからと言って一度も困ったことがありません。皆さんのように絵を描きたいという衝動はどうして湧くのでしょうか?宜しければお教え下さい。」
お答え
「恐らくあなたも得意なことは自発的にやりたい衝動が湧き起こってくるに違いありません。欲望には性欲や食欲等のように本能に組み込まれたものがありますが、生きている限り何もしたくないという方が難しいかも知れません。何をしたいかは人それぞれですが、生きているということ自体、欲望の発動ということができます。中には絵を描くことこそ生きる意味だと思いこむ人が出てきても不思議ではありません。それは難しく言えば人類の根源的な深層の部分での病ということに関係しているということが言えます。大きく言って病です。その証拠に壁の染みを見つめながら、トリスタンとイゾルデの物語の一場面を鮮やかに描く幻視者さえいるのです。殊に有能な絵描きほどそうです。」
彼等の半生が命をかけた凄惨な闘いや裏切りに満ち満ちた壮絶な人生だったという事はない。レーニンを指導者とし、十一月革命を起こしてプロレタリア独裁を樹立したボルシェビキのような集団ではないのだ。たかだか絵を描いている者達に過ぎない。さりとて、この者達がただのお絵描き集団だと思っているふしもない。誰もが革命者の旗を大なり小なり翻している。大笑いでしょう?無論、彼らの脳の中では革命者のごとく怒涛渦巻く荒海の如く疾風吹き荒れる嵐の様であったというのはそうなのかも知れぬ。それは生まれながらの資質なのだ。幾夜も幾夜も徹夜して、ぐでんぐでんになるまで酔払い、にもまして懊悩は消えず、さりとて道端でくだを巻いて泥酔するだけでは治まらず、キャンバスに向かって生まれてきたことの恨みを晴らす。生まれてきたことの恨みですって?他人には決して伺い知れぬ事ばかりだ。何故に彼等は苛立つのか?私が私であることに何故に苛立つのか?芸術家の集りといえばさすがに人生の吹き溜りのような深いルサンチマンを背負った落人達の傷だらけの人生といった趣である。世の中に甘える事ばかり上手で、そのくせ時代から決して受け入れられず、死の匂いを振撒きながら生き急ぐように淵へ淵へと向かって行く。
春光会懇親会の夜です。版画部での二次会です。新人もいます。いつもながらの人もいます。賞を貰った人もいます。新会員もいます。アンモナイトのような会員もいます。顔合わせです。
居酒屋の宴会の方が絵描きの生態やら実状やらが一目瞭然で勉強になりますよ。もっばらそんな風に語られて来た懇親会二次会であったが、居酒屋の二階の一室の宴は賑やかで、絵描きの本音とも弱音とも知れぬ心情が吐露されて打解けた様子になっていた。酒が回るにつれてうるさいのうるさくないの。どうして絵描きの議論は細かいの?拘りが強いと言えばそうなのだが、深層の美意識の微細な差異に命をかける表現者にすれば、美は美であって美でないものを美と呼ぶことは美の神ミューズにかけて許すことは出来ない。確かにそうだ。かってにするがいい。つかみ合いの喧嘩が始まるのはいうまでもない。果ては裸踊りまで出る。それとももっと出すものだそうか?エヘヘ。という馬鹿もいる。
春光会懇親会の夜です。版画部での早引け組です。
「絵描きはうわばみが本当に多い。下戸の私は難儀をします。あの連中はまだ飲み足りなくて三次会・四次会にでも行くんだろう?」
「ああ。まだまだ序の口だあね。三次会、四次会と延々と終わりそうにも無いからねえ。我が版画部の伝統のコースは最後のげて物焼き肉屋まで梯子して、明け方近くまで続きますよねえ。あの調子じゃあねえ。ところであのげて物屋ですが、幼児のチンチン食わすって噂がありますが・・?ははは・・・。」
「あれは幼豚のチンチンです。幼児のチンチンで間違いではない。はは・・。」
「まあ。」上品でおしとやかな雨宮さんは初めて聞く噂話に目を丸くしながらも楽しそうだった。どういう風の吹きまわしか古い会員で静かな静かな雨宮さんがこんなに遅くまで付き合って残るのは初めてだった。二次会の興奮を引摺りながら何から何まで驚きの連続だったという。
「ねえ知ってます?今日のコースの最終地点の焼き肉屋に辿り着くまでに過去五人も亡くなったんですって。そんな伝説がある事を。版画の方だけでそうなんですってよ。油絵の方を入れたらもっと多いそうですよ。」
「版画部では有名な話だよ。心筋硬塞と交通事故と自殺三名。ここ二十年間の出来事です。でも会員五十名の版画部世帯としては多いと言えば多いかな。」
「やはり飲み会には出ないと人間の奥深い所は分らないわねえ。何であんなに喧嘩のような議論をするのかしらねえ?それに、あの温和しい今村さんの裸踊りにはびっくりしてしまいましたわ。悪魔に取り憑かれたのかしらねえ。百年の恋も覚めちやうわよ。ねえ。ホホホ…。」
全てを神に委ね信仰に生きる清い人。透明な水蜜桃の感じのする雨宮さんの心のどこに独身を通してまでも絵を描いていかなければならない熱き情念の塊があるのか不思議でならなかった。独身の理由を聞いたなら、いつもはホホホと笑って「神の思し召しですわ。」と言うだけで個人的な事柄なぞ披露する人ではなかったが、今夜はお酒も手伝って頬も赤らみ饒舌になっていた。
「わたくしだって若い頃に熱烈な恋愛をしたんですのよ。苦しい恋愛でした。妻子ある人と愛し愛され死ぬの生きるのと大騒ぎをした末の別れでした。随分責められましたわ。全ての人になじられました。追いつめられて行き場を失った二人はお決まりのコース。二人して駆け落ちしたのは良かったけれど、ある日、男は隠れ家のような二人の住処には戻って来なかった。」
「へえ〜?こりゃあいい。失礼失礼。だって雨宮さんが余りにも清らかだから、男を知らない純潔の人だっていう噂があるんですよ。それに絵の内容も宗教的なものばかりだからねえ。いつまでも可愛いのはお若い頃から神に全てを捧げたからだって…。そんな噂があったんですよ。ははは・・。驚きだなあ。」
「ホホホホ。純潔の人ですか?光栄ですわ。でも真実は違っているわねえ。お見せいたしましょうか?真実ってこうですのよ。」
雨宮さんがさらりと袖を捲って差し出したむきだしの真っ白い手首には真横一文字に大きな傷跡が目も鮮やかに紫色に一筋あった。私達は唖然として、その手の傷をしばらくはじっと見詰めていた。そして、優しい優しい白い手の指には彫刻刀に因る指だこが三つの指にしっかりとあった。外に出ると春の風はひんやりと心地よく吹いていた。
あの春光会懇親会の夜から半年も経った秋の夜です。あの雨宮さんの訃報が版画部会員の元に届いたのは。ある人のお墓の前で、あくまでも白くきれいな優しい手首が真っ赤な鮮血にまみれて倒れていたということです。脇目も振らず木版画一筋の清い人でした。
雨宮 節子 会員ナンバー419 杉並区在住。 女性。 67才。