ある芸術団体「春光会」異聞その3−「ウスバカゲロー」
私はどこへ向かって走っていたのか?相変わらずコンパスは壊れていたものの、極北へと針路はとっていた積りであった。しかし、生来の方向音痴のせいで直ぐに西方へとぶれるのだった。
銀河の果て、西国浄土の涅槃へと、フクロウの声聞きながら眠る。
もし、人生の中でつまずき一生を霧の中で迷妄しようとも、はたまた木のてっぺんで首を括ることがあろうともそれが宿命であるならば、それは甘受せねばならぬ。かろうじて辿り着いた諦念だろうか。それも人生、これも人生。
ある光のさし来ぬ洞窟の中の清らかな水の中では、体はすっかり色褪せて目も退化した魚の群れが生きている。以前はあったという痕跡を残して眼球というものが無い。行春や問い無き魚の目に泪。いったい何の喜びがあるというのか?全ての感覚器官が退化して愉悦のかけらさえ無くなろうとも命の糸がある限り生き続けなければならない。果たしてこの魚の存在理由を問うてもいかにせん。神は生きとし生ける者生きられる者全てを生かしめる。生き延びることができるものなら、どんな辱めを受けてもいきのびよ。それが総てを生み出した母なる大地。総てを受け入れる命の源というものだ。それだけに寛容なる神の試練は過酷でもある。総てを造り給うた神に我が存在理由を問うたなら、みるみるうちに我が足元から己が姿がさらさらと消えて行くのである。
一体全体、この世に存在理由などというものがあったためしがあったろうか?たまさか生まれて、そして死んで行くだけのことだ。この世とはそれだけのことだ。だからこそ束の間の幻影のように煌く魂の燃焼をという坊主の説教のような話をするだけ野暮というものよ。言葉よりも何よりも早く人間の精神文化と呼べるものが生まれていた。そのことによって人間は生きることの意味を考えるようになる。旧石器時代よりず〜と以前、ある洞窟の近くの窪みから大量の人骨と共に花びらの痕跡が、それも大量に種と共に見つかるのである。死者へのたむけとしての献花の痕跡である。アレッ?葬式の話しになった?歴史とはそれぞれの命の灯の瞬きなのであって、ましてやその一つの灯でさえ無限の関係性をもって海黒く深海の暗闇で漂う微生物とも繋がっているのである。
アトリエから外を見るとしらじらと明けようとしていた。昆虫図鑑に載せるウスバカゲロウを10日も徹夜してやっと描き上げた。
ウスバカゲロー・・・彼等が喜び勇んで変身を試み、空の彼方の神に向かって飛び立とうとした心根が傲慢だと神によって嫌われた。だから羽が生えてからの命が短いという。太陽の沈む前に成虫になり慌しく交尾を始め燈火を求めて飛び惑い、明け方、日が昇る前に死んでいくというはかない命の昆虫を丸10日かかって本物以上に描きあげた。彼等が成虫になってからの命よりも何倍も時間が掛かってしまいました。せん毛の一本一本を丁寧に数えて描いたからです。ついついいつもの性分で時間をかけてしまいました。依頼された昆虫図鑑も、蝶や兜虫などの花形の昆虫は大方描きあげ、そろそろ終わりの方へと近付いていた。この仕事が終われば何もかもが終わりを告げるような気がしてふっと寂しい気持ちになったけれど、いい絵が描けたら他に何もいらないと思う。切にいい絵が描きたいとそう思ったら無性に旅に出たいと思った。
そうだ、この仕事が一段落したら南の島へでも羽を伸ばしに行こう。クリスマス辺りがいい。南の島の、そうだ、天国に一番近い島へでも行って見ようかと思う。そう、天国へ一番近い島へ。 」
友の日記がこのページを最後にしてアトリエの机の上に残された。それ以来、このアトリエに彼が帰ってきた形跡はない。
日向野 西(すすむ)。会員ナンバー437。横浜市在住。男性。49才