春光会異聞19−ある絵描きの人生
木枯らしの吹く寒い日だった。東京から車で三時間ばかり北へ走ったところにある古い温泉地から東京の春光会事務所へその報告はもたらされた。六畳二間の小さな木造モルタルのアパートの一室で誰からも看取られることもなく彼は死んでいたと。春光会会員の間々田武の死は春光会の友人が訪ねていったことで初めてそのことが分かった。発見されたときは死亡から一月半も経っていて、空になった酒瓶に囲まれるように静かに眠っていた。五十代前半というのに骨と皮ばかりの痩せこけた体はまるで老人のようにカラカラに乾いてミイラのようであったという。二月の半ばというのに郵便受けには昨年からの郵便と賀状が数枚入ったままでいたそうな。外では少しずつ春の兆しが見え始めた頃で土手の斜面の草むらでは大犬フグリの青い小さな花が震えていた。
犬ふぐり 星のまたたく 如くなり
虚子
異常事態だ。春の春光展に向けて準備の忙しい毛利秋成はそう思った。毛利が春光会事務所のメンバーに入って既に三年になるが、何事もなく無事に春光展が終了した試しがなかった。今年も、恒例でもあるかのように不可解なことが起こりそうな気配なのである。年明けて春光展がそこに迫っているというのに、絵描きとして働き盛りの五十代の会員がつづけざまに四人この世を去った。
「引き締めていかないと今年も又何かが起こりそうだね。」
毛利と書記の佐藤は顔を見合わせたが、理事長始めとして事務所を運営する者達も戦々恐々としていた。その不可解な出来事の理由はおおよそ分かっていた。作家達が死にものぐるいになるこの季節、過剰な自意識が飛び交うのだ。嫉妬もあるし恨みもある。鬱憤晴らしもあるし派閥争いもある。その過剰な情念の塊は生身の人間を傷つけるのである。事務所を任された会員達は年明け早々にいくつものお葬式のお手伝いに駆け回るやらでゆっくり落ち着く暇もなかった。中でも間々田武の葬式は春光会が執り行うことになった為に一段と忙しくなった。
毛利は昨年の暮れに不思議な体験をしたことがある。上野で開催されていたセザンヌ展に毛利が出かけた折りに若き日の間々田の姿をふと見かけたからだった。その時、彼が画学生のように髪も黒々と随分若かったのではて?と不思議な気持ちがしたことを覚えている。後で考えると恐らく向こう岸に行く前にお別れの為に会いに来たのではないかと毛利は解釈した。聞くところによるとその他の親しい友人にも最後の挨拶をしにやってきたんだそうな。やはり二十歳の頃の姿形だったという。毛利は親しかった友人、間々田のために追悼文を書いて締めに一首を添えた。
「若き日に天才と呼ばれ、意気揚々とパリに渡り、十年後の洋行帰りの晴れやかな姿を春光会で見かけたときは何ともうらやましく思ったものでした。間々田君の優しい繊毛のような心はご一緒するたびに覚えています。遠くを見るように小さく椅子に座った瞳の中に、若き日の愛と憎悪に燃えた季節が無かったと言えば嘘になるでしょう。身をよじるような挫折と悔恨の日々も死はやさしく穏やかに包んでくれます。間々田君もやっと楽になられたのではないでしょうか?あの世でもしっかりと創作をお続け願いたいと切にそう思っています。ではいずれ又会える日まで。さらば友よ。
独り眠る アパルトマンに咲き誇る かくも美しき春彼岸花。 合掌。」
間々田武が東京から故郷である北関東の山間の温泉町に住まいを移したのは十五年以上前のことだ。どこを見回しても見慣れた山並みが見える。山の上にはいつも湧いては消える雲が棚引いていた。この地方では遠くの山に被る雪模様が暦の役割を果たしていた。雪と地肌の彩なす形によって年の吉凶を占ったりすることもあるそうな。山並みに白馬が忽然と現れて犬鷲が翼を広げて滑空すればやがて厳しい冬となり大雪の年となる。白竜に黒牛が猛然と角を立てて突進するのはやがて春になる兆しでもあった。髑髏がマントを翻して宙を駆けるのは夏の終わり。むくむくと大きな天空の城が現れて山に光の攻撃を仕掛けるのはその頃だ。雲や雪の作り出す形象のパノラマは子供の彼にとっては物語の宝庫でもあった。
結婚生活に終止符を打つのをきっかけに馴染みの土地へ越してきたのは、彼の母がつれ合いである彼の父を亡くした後、一人暮らしの寂しさのためか体の不調を訴え始めたからであった。親孝行をするつもりで帰って来たのだが、むしろ離婚したての寂しさに無意識のうちに温もりを求めていたのは実は彼の方だったのだろう。今にも暗くなりそうな夕暮れの茜空に向かってとぼとぼ歩く故郷の道は母さんの待つ家を想起させて妙に懐かしい気持ちにさせてくれる。子供の頃は学校から帰ると鉄砲玉のように外に飛び出して遊び呆けていた。五分前はあんなに明るかったのに夢中で遊んでいる内にうっかり暗くなってしまった。当時、子供にとって夜の闇の怖さには無類のものがあった。吸血蝙蝠や化け物達の飛び交う夜の闇が迫っていた。暗闇に呑み込まれるのをはね除けるように走って、振り向けば不気味な妖怪に追いつかれそうで心臓が破れるほど全速力で走って、息せき切って家の中に辿り着いた時、「お帰り。」と言った母さんの顔がにっこり笑っていた。その瞬間の安堵の気持ちは一生忘れることが出来ない。鍋から上がる湯気に味噌の香りがしていた。
ところが、彼の故郷に対する感情は懐かしさばかりではなかった。恨みや嫌悪の感情もあって複雑なものがあった。というのは彼の父が、この町で五十六才の若さで変死を遂げている。変死に追い込まれた直接の原因には親族も絡んだ詐欺事件に巻き込まれて事業がうまくいかなくなったというのがあげられるが、不可解な謎は多かった。人手に渡った実家の近くには未だに行くことが出来なかった。
間々田は芸術大学を卒業するや甘い香りに誘われるようにパリに留学した一人である。
「フランスに行くと空気が違うから油絵はやたらと描けるんだぜ。まずは座り心地の良い椅子を見つけるんだな。高くてもいいからな。」
「座り心地の良い椅子ってなんですか?」
「馬鹿!腰を落ち着けろってことだよ。観光地には決して行くな。美術館へもしばらくはいくな。どこへも行くな。学校だけにしろ。」
留学を薦めてくれた先輩の忠告である。
「本当は一つの絵を見るのにも椅子がいるんだけどな。絵は見るというより読むものだぜ。そこまでいくと俄然、絵が面白くなるんだけどな。」
先輩だけにいつも成る程と思わせる科白を吐く。確かに絵を読もうとすると一時間や二時間程度鑑賞したぐらいでは、この画家がこの絵を描かなくてはならなかった理由などかすりもしないだろう。
「それから上辺の華やかさに惑わされてついついパリの町をさまよい歩くようになるともういけねえや。それが恋の胸騒ぎだとしたらボロボロに傷つくのは必至。恋はやめるが勝ちだぜ。」
「ははは・・・。恋はいけませんか?」
「いかん。だって春光会では今までフランス女と恋に落ちて脱落しなかった者が一人もいないんだぜ。このことは代々留学生に言って聞かせる掟になっている。さもなくばセーヌ川の藻屑となってザリガニのように川底をさまよう放浪者となれだ。」
恋の話はともかくとして先輩の言葉は概ね当たっていた。異国の地に興奮したのか表現意欲が閃いたように旺盛になった。無尽蔵に湧き出るイメージ、そのイメージをこぼさないように一分一秒を惜しんで描いた毎日。座り心地の良い椅子を買ったおかげだ。いくつかのサロンへ入選するや続けざまに賞を取るようになるとたちまち頭角を現し始めた。年二回開くパリでの個展は大好評を博したのである。彼は世界の真ん中にいるのを感じて唇にはいつも笑い声がもれていた。
春光会には様々な才能の人材がひしめいている。それは自我が強くて一度それを主張し始めると収拾がつかなくなるといった類の人物だけでなく、無くて七癖、不思議な癖や個性を持った人物に止まらず、精神の病的な偏向を持つ者など幅広くいるといった具合である。彼らはいずれも協調性があるとは言い難いのだが、後輩を育てるという事にかけては無条件に情熱を注ぐといった仲間意識は大変強い。嫉妬が渦巻く世界であるが未熟な後輩に対しては優しいのが普通である。幾多の芸術団体に於いてもそれは信じられることである。それに女性会員がほぼ半分を占めるということからすれば、女性が正当に評価され活躍できる世界でもある。これも信じて良いことである。その中には霊感の鋭い女性会員など山ほどいるのだが、特に霊能力を持つと噂されている絵画部の女性会員が春光会にはいた。事務所はその彼女から昨年の内からいろいろと警告を受けていて、その彼女のご託宣が年明けと共にことごとく当たりだすに及んでは事務所の方でも自ずと警戒をせざるを得なくなっていた。彼女の霊能力には定評があって彼女の心配したことはことごとく当たるという評判であった。間々田のことも彼女の透視で見つかったようなものであった。
彼が若手のホープとして鳴り物入りで東京に凱旋してきたのは三十をいくつか過ぎた頃だった。この年の吉野桜は四月に入る前に早々と散ってしまって春光展の始まる頃には上野の森は新緑の若葉が萌えて日差しが強く夏日のような日々が続いていた。早とちりの蝉が鳴いていた。
若くして会員推挙を受けた間々田は、懇親会の席で特別に挨拶をさせられたのだが、得意満面、意気揚々といった様子もなく頬もこけて眼光は鋭くどこか疲れた様な風情であった。
「間々田君は何か様子が変じゃあないかねえ。やっぱりあの噂は本当なんだろうか?」
「死ぬの生きるのと騒いでセーヌ川に飛び込んだという噂か?」
「何でも青い目に失恋したらしい。」
ザワザワと吹く風の噂は間々田が春光会の掟を破って失意の底にいることを伝えていた。
「誰が一体そんなオーバーな噂を広めたのか?いたって泳ぎには自信があるからセーヌ川なんかいとも簡単に泳ぎ切ってみせるのに。確かに失恋をして少しは打撃を受けたかも知れないが死ぬほど落胆したという自覚はない。それにそんな個人的な秘密のことを誰が知っているというのだ?私が失意の底にあるのはそんなことではない。私が気力を無くしたのは私の父が不可解な死を遂げたことにあるのだ。そんな真相も知らずに無責任なことを振りまく奴がいるものだ。」
間々田は広まった噂に怒りだけでなく、狐につままれたような思いがするのだった。彼は大事なものをなくした喪失感に苛まされる。そのせいか体の不調に悩まされた。やがてことの重大さにじわじわと苦しめられることになる。作家の才能なんて十年続いた試しはないんだぜ。本当にキラキラする時期は一生の内七〜八年てなもんだ。留学を薦めてくれた先輩の言はそう結んでいたのだ。日本へ帰ってしばらくすると心の真ん中にぽっかり穴が開いたように虚脱状態になった。絵を描く意欲がなくなってスランプに陥ってしまったのだ。
そのぽっかり空いた心の穴を心配そうに覗く女がいた。彼はこれ幸いと逃げ込むようにその年上の彼女と一緒に住むようになる。彼女に包まれることで心の均衡はかろうじて保たれた。
しかし、彼は心の中の重大な異変に気づいてしまった。取り憑かれたように追求した表現の何たるかを忘れてしまったのだ。キャンバスに向かって筆使いの大事な機微や色彩のハーモニーを思い出せない。ん?無我夢中で修行してきた道ではないのか?描くことの快楽に身もだえして忘我の境地を垣間見たのは錯覚だったのか?
「先生、いったいこんなことってあるのでしょうか?三十才にして天才的と呼ばれた画家なんですよ。天職とも命とも思って精進してきた道を途中から忘れてしまうことなんてあるのでしょうか?」
奥さんは何度か大学病院に通って精神科の先生に相談する。
「フ〜ム。鬱病というより燃え尽き症候群ですかねえ?山に登りつめた人に多くはかかります。人生の目標を達成した時やその地位を手に入れた時、達成感と共に心の中にぽっかりと穴が開いてしまう。目標達成のために重度のストレスを受け続けると短期間で白髪にだってなるくらいです。症状としては無気力・無感動に陥って人との交流を避けて引きこもりがちになります。人によっては不眠、頭痛や胃痛、心臓病といった身体症状も見られることもあります。この時期、アルコールや薬物依存症にならないように注意が必要です。急がないでゆっくり心のリハビリを続けることです。お宅のご主人の場合、絵を描くことを趣味くらいに考えて余裕を持っておやりになったらいかがですか?望みはありますよ。まだお若いですから回復できると思いますよ。一度お連れになって下さい。」
精神科の先生はさしてこともなげに淡々と言った。
私はいったい何者であるのか?どこから来てどこへ行くのか?自己を喪失したとき不安に駆られて収拾がつかなくなることがある。掴まりどころがなくて堕ちていきそうである。大きな組織が出してくれる資格や証明書などがいったい自分の何を保障してくれるのかとふと訝る。その中に心を支えてくれる止まり木のようなものがどれだけあるというのだろうか?自分が自分であることの自己証明には突き詰めていくとラッキョの皮のように剥いても剥いても皮ばかりで最後は空虚だと悟る場合がよくある。
ところが、爺さんの顔にそっくりだとか手を嗅ぐ仕草が父さんと瓜二つだとか言われて思わず顔を見合わせて微笑むのだが、爺さんも父さんも精神的に危ういところがあって落ち込んだりすると何年も底をはい回るようだったと聞かされたりすると暗い沈黙を強いられることになる。
糸くずのような二重螺旋のその又ほんのかけらの微細な細胞の一部の表現がいとも簡単に自分の実体としての一部を切り取って見せてくれたりもするのだ。彼の父も祖父も精神の奥深く暗い闇を恐らくは抱えていたのだろう。鬱病なのか分裂病なのか判然としないが、そんな因子を持っていたらしく老年期に入る手前の五十の坂をうまく越えられなかった。何故か二人とも同じような不可解な死に至っている。その因子というのは絵描きという創造の地平へ彼を導いてくれて天才と呼ばしめた要因であろう。同時に彼に鬱病を招いた原因でもあった。そのことは彼の心の重しとなっていつもあって、生き方に於いても何かしら影響を被っていた。
夢も希望もない人生とは未来に対して砂をかむような味気ない寂しい人生のことを言うのだろうか?しかし、いらざる希望を捨て去ったときほっと一息肩の荷を下ろしたように気持ちが軽くなるというのも本当である。もはやじわじわと後悔の念に責められながらはらはらと涙を流すことはない。挫折の傷を嘗めながら苦しい思いをすることもない。悔恨の記憶も挫折の苦い思い出も自然と薄れて消えてゆく。
「ところで先日なくなった間々田君のことですが、春光会で葬儀を行わせていただきました。その節はご協力ありがとうございました。それから警察の方から当事務所に照会がありましたので春光会に関する限りの間々田君の経歴を私と毛利君とで作成したものを送っておきました。念のために警察の方では一応変死体としての検死調査をしたようですがね。どうもこの一年は外にあまり出ず酒だけで暮らしていたようですね。酒以外何かを買った形跡がないそうです。まるで即身仏になった行者のようで自殺を試みたのか病気なのかが判然としないということでした。窓が開いていたりして不審な点はいくつかあったそうですが他殺の線はまず薄いということだそうです。」
書記の佐藤は春光会事務所の例会で今までのいきさつをひとしきり報告をした。狭い事務所の中には次の展覧会を運営していく主要なメンバーが十二人ばかり顔を合わせていた。
「彼ほど好き勝手に生きた人はいませんからねえ。したいことしかしなかった。死ぬのも自由気ままで彼らしいと言えば彼らしいね。」
「郷里に引っ込んでからはもうアル中同然で夢うつつの中で浮かんでいたように思います。とにかくいつ訪ねても酒浸りだった。」
「お酒を飲んだときの間々田さんの豹変ぶりは凄かったですからね。会の仕事で出てきたときも随分と暴れたようですね。飲まないときは礼儀正しい静かな方でしたのにね。私としては随分迷惑な存在の人だなあと思って見ていました。今回このようにお酒で身を清めるように即身仏となったというのも神様の思し召しですわ。間々田さんと同時期この春光会に一緒にいられたことの幸せを感じます。」
年輩の女性会員の一人が信仰を滲ませながら発言したのが概ね皆の感想を代弁していた。会員達の多くの受け取り方として、死を境に迷惑の人から伝説の人へ百八十度好転したのはその奇妙な死に方に起因するのだが、にもまして彼の生き方は芸術家として一種憧れの生き方を示していたからだった。暮らしのためにノルマをこなして描き続けるのは絵描きにとっては辛いことに違いない。無理に描き続けることは芸術に於いてはそぐわない。感動が沸き起こり絵心のひらめきが降りてこなければ描く意味がないというのは絵描きの誰もが思っていることである。
「郷里に引っ込んでからは、描くといったって春光会へ出品する一〜二枚だろう?のって描いていたときは年に二十〜三十枚は平気で描いていただろうに。パリであれほど多作だった男が日本へ帰ってからはパタリと寡作になった。その理由というのは何でしょうかねえ?」
「簡単にいってしまえば才能の枯渇か絵描きに嫌気がさしたかだ。それは本人でも分からないんじゃないかな?」
「そうそう、日本へ帰ってからの絵は思いが希薄で確かにデーモンがなくなったな。」
鬼気迫る絵心のひらめきは向こうからふと訪れる。何かの拍子に美の神は舞い降りる。それは憑依にも似ていることから、年輩の絵描きの内では一時流行った言葉だが、その正体をデーモンと呼んだりする。それに突き動かされてどうしても描かざるを得ないせっぱ詰まった感覚のようなものをそう言う。彼の追求が深奥に届いているという仲間内の誉め言葉でもある。
「私なんか間々田さんの全盛時代を知りません。髭面で何だかみすぼらしいお姿しかお見かけしてないわけですが、天才と騒がれたのは本当のことなんですか?」
運営メンバーで一番若い会計係の興味は天才とアル中との親近性でありギャップである。書記の佐藤はその質問に答えるように説明をした。
「彼は若いときに天才と騒がれて十年間活躍したのは事実ですが、日本に帰って来てからはもう駄目になっていましたね。それに日本では受けにくい絵でね。フランスでこその絵です。あのまま滞在していれば成功したと言われています。三十五才以後の彼の春光展出品作品を見るとよく分かります。悪いけど薄い殴り描きの絵です。絵に対する情熱がなくなったんだね。当時の噂では向こうで大失恋をしたのが原因だといわれていました。十年間時流に乗って華々しく脚光を浴びたとしてそれが何だったんですかねえ。今では誰も忘れて評価しなくなった。誰にも気づかれずに野垂れ死にしたところで新聞に出るわけではなし、話題に上るのはこの事務所の仲間くらいなもので絵描きの人生、何だか虚しい気がしますがね。」
書記の佐藤は間々田武のことをあまり評価していないらしい。作家同士の評価というのは、そこに好き嫌いや美意識が介在しているだけにいつも微妙なものがあるが、嫉妬という人間的弱点の及ぼす作用が一番大きいのは言うまでもない。
「いやいや、間々田君は多くの絵描きの中でも運の良い方だと思いますよ。それにまだまだこれからの人だと思いますがねえ。」
先ほどまで沈黙気味であった間々田の友人毛利は部屋の隅の方でぼそりと口を開いた。
「これからの人って?」
「ふむ、死んでも伝説は残るというものでしょう。多分、再評価はなされると思いますよ。最も伝説は作られるということですから、私共の骨折り如何ということになりましょうか?春光会として何らかの働きかけは必要ですがね。死んでから天才として復活するというのもいいじゃありませんか。どうです?」
書記の佐藤と違って毛利の言葉には友人としての同情と思いやりがあった。
「会としても異存はありませんがね。次の展覧会で何か目論みますか?成功するかしないかは五分五分の感じだがね。」
「面白くなりそうですね。間々田さんの再評価委員会でも作って思う存分やりましょうよ。間々田さんの追悼戦になりますよ。」
間々田を敬愛する若手からも賛同の声が上がり、メンバー全員の賛成も得られたことで例会の一つの結論として今後取り組むこととなった。皆にコーヒーが配られて事務所内は緩やかに一息をついた。
「間々田さんは俳句や短歌を投稿していたのを知っています?いつも一席とか二席とか良いところに選ばれていた常連という風に聞きましたわ。」
「そうそう、新聞社の奴だろう?盛んに文章を書いてたな。」
「パリから帰ってきた頃に流行雑誌の芸術評論も手がけたこともあって編集者の間では評判になったこともありましたよ。収入の手助けには少しはなったということですよ。」
「そうそう絵画教室と一緒にフランス語を教えていた時期もある。」
「美術運送の会社にしばらく勤めていたこともあっただろう?あれはアルバイトかな?」
「結婚したての頃、奥さんのアンティークショップで店員をしていましたわよ。私そこでカメオを買ったことがありましてよ。」
「ところで結婚生活はどのくらい続いたんだ?三年か?もっと短かったかな?アンティークディーラーといったっけ。随分やり手の奥さんだったなあ。」
「元々彼の絵のファンだったらしいね。宝飾品をフランスに買い付けに来たときに知り合って有望株だと思われて買われちゃったんだね。でもしばらくしたらがらくただと判明して捨てられちゃった。とこういう訳さ。はは・・・。」
「それは奥さんに悪いわ。酒の飲み過ぎで追い出されたんでしょう?」
「いやいや、浮気をしておん出されたという噂の方が真実味がある。」
「まあ、なんてことでしょう。」
「別れた後、絵画部の年増と恋愛しただろう?これもすぐ駄目になったけど。浮気の相手は彼女じゃあなかったのかねえ?彼はやっぱりマザコンなんだね。年上ばかりだ。お母さんが亡くなったとき、子供のように泣きじゃくって止まらなかったからねえ。」
「葬式の時に来ていた娘は本当の娘さんかい?アンティークディーラーのほうのお子さんだね。泣いていたけどねえ。」
「別れた後に出来た娘だから間々田には知らせてなかったらしい。十八才くらいになるのかな。お嬢さんも元気な父の顔を知らずじまいだね。お母さんは喪主になるのも反対したし葬式に行かせるのも反対だったらしい。」
「まあ、なんてことでしょう。」
「パリでの大失恋も本当のことですの?」
「それは本当。彼が天才と騒がれて頂点にいた頃かな。全てに自信があったんだろう。パリジェンヌに恋をした。多分、初めての恋だ。何でも画廊かアンティークのお店の売り子だったという風に聞いた。ボロボロにされたんだと。振り回されて。奴の顔では勝負にならん。パリの売り子は勝負師だぜ。おまけに打算的で恋愛のプロだ。初心者がかなうはずがない!」
出るわ出るわ。それぞれに知らないことが沢山あって、集めたら間々田武のジグソーパズルのいくつかの隙間が埋まろうとしていた。埋められない最大の謎は夢うつつのように生きた後半の部分になった。彼の郷里に帰ってからの人生がもう一歩判然としないのだ。
「絵は熱心には描いてないし一体何をしていたんだい?」
「彼が郷里に帰って個展をしながら絵を売っていたということは聞いたことがないからね。」
「探偵をしていたという噂はありますね。」
「そうそう、私も聞いた。これは本人の口から出た言葉らしいですよ。春光会に出てきたときにそう喋ったようですね。何でも初めの頃は失踪した犬猫探しの仕事から始めて人捜しから人助けまでやっていると話していました。」
「一度失踪猫を探して大層なお礼を貰ったという話は聞いたことがありますね。懐中電灯・地図・虫眼鏡・捕獲網などを持ち歩いて探していると昆虫採集や小鳥を捕まえに森を駆け回った子供の頃に帰るのだそうです。犬猫探しは面白いと言っていました。ついでに若い頃に無くした自分を捜しているんだと冗談口に言って笑っていましたね。」
「ははは・・・自分探しの旅ねえ?一体、何を探していたのかねえ?確かに彼の最盛期は二十代だからそこに戻りたいのは本当のことだろう。はは・・・。しかし、探偵じゃあなくて便利屋の商売をしていたというのは本当です。温泉地での雑用かなんかじゃないのかなあ?」
「やはり探偵というのは冗談だったんですのね?感受性の強い芸術家の仕事ではないですものね。」
「いやいや、そもそもいつも酔っぱらってフラフラしているアル中なんですから。それでも何かして食べて行かざるを得ませんから、温泉地での細々した便利屋仕事で食いつないだとしても一向に不思議ではありません。ゆくゆくは探偵小説を書くとうそぶいていたから便利屋稼業もネタ探しや取材にもなるということでは一石二鳥の商売じゃあなかったのかなあ?」
「病気をしたという噂もありました。精神の病で入院したという・・・?」
「若いときからその噂は付きまとっていたね。鬱病の時期があったからね。」
しばし、芸術家の精神の変調について思いを巡らせる時、それぞれに何かしら思い当たる節があるので身につまされる話だった。
「しかし、病んでいない創造者というのが一体この世にいるのでしょうか?恐らくいないという前提で言えばですねえ、彼が特に日常生活に支障を来すような発作を起こして入院したということは多分ないですね。絵描きの特権として奇行は多いですがね。」
「そうそう、飛び飛びだが春光展に出品しなかったことが合わせると六〜七年はあるんじゃあないかい?丸三年全くどこに行ったか分からない時期もあったからね。それでそういう噂が飛び交ったんだ。」
「事務所から会費の納入遅れで連絡を取ったのですが捕まらなかったことが何度もありました。確かに消息不明の時期があったと思います。」
「その時外国の方へ旅に出かけたという噂もありましたね。」
「いや、その時は山にこもって修行していた時期じゃないかねえ?何年も荒行に行ってるはずだよ。」
「へ〜?仏門に帰依したことがあるのですか?」
「はあ、修験道だからそのたぐいのものですね。乞喰修行や人助けの行脚をやっていたのを見た会員もいるようですから、これは事実ですね。」
「あの温泉町の小高い山のてっぺんに随分高い観音像が建っているのだが、その前で祈っていました。病にかかった人に向かって祈っていましたよ。占いもやっていたでしょうか?それも修行の一つじゃあなかったでしょうか?凍てつく寒い日にも祈ってましたよ。」
変幻自在、変わり身の早い間々田の人生を追っていくと自らの心の安寧を求めて純粋に一つの道を追求しているようにも見えるのである。
「そうそう、亡くなったときに法華経を写経した奉書の紙が部屋中に散らばっていたんだそうですが、それに混じって五十冊の事件簿と称する書き物が残されていたそうですね。」
「まあ、日記みたいなものだと聞いています。念のため追悼文を書いて貰った毛利君にざっと目を通してもらったところ傑作だそうです。ははは・・・。」
書記の佐藤は小馬鹿にしたような口調で言うのである。次に続けてどうぞという風に笑いながら手で毛利に説明を催促した。
「そう、多分、傑作ですね。日々つける日記のようですね。まだ小説にする前の記録みたいなものだから、これを材料に探偵小説に組み立てていく予定だったのでしょう。しかし、構成されてないこの記録の方が断然面白い。多分、日記を付ける気分で閃いたことや出来事のあらましを記録していったのでしょう。一つ奇妙なことがあってふと予言みたいなことが頻繁に出てくる。実は以前、こういうことを聞いたことがあります。分裂病を発症した患者さんにしばしば見られる傾向だそうですが、時間は未来から過去に向かって流れている場合があって、どうもいろんな時間へ意識が飛ぶらしいです。その患者さんは見てきた過去の出来事のように未来の出来事を語るそうです。そして後になってみればそれは見事に的中する。細部にわたるまで驚くほど符号するそうですから、実に会話が混乱するそうです。この話は分裂病の患者さんの話ですが、実はそういう能力の人は分裂病の患者さんでなくてもこの世に多くいます。未来から閃きを受けて未来を読む人ですね。そういう未来を占える能力の人は現代でもオガミさんとかイタコやユタと言われて女の人に多いのですが、その人達は憑依体質といいますか癲癇持ちといいますか決まって精神的に際どいものを併せ持つ人達だったようですね。この春光会にも一人いますね。例の間々田の死を言い当てた女性会員がそうですね。恐らく波長があって間々田とは繋がっていたんでしょう。皆さんもよくご存じの方ですよね。現在はもはや霊能力者の教祖として活躍していますがね。ご興味があったら一度診て貰うと良いです。貴方の未来を示唆してくれますから。」
ひとしきり春光会の仲間であるその教祖の霊能力についての真贋論争で盛り上がったのだが、実際良く当たるのだから認めざるをえないのが実状だった。
「それで?間々田も予言者としての資質があったということですか?」
「恐らくそうでしょう。修験道の修行というのもその霊力を見極める為だったと思いますね。だから、彼の書いた事件簿には彼の周辺に起こった事件の全ての結末が記されています。一番多いのは多分、彼のお父さんのことを調べた部分だと思うのですが、二十数年前、ある大きな旅館を営んでいた主人が友人の裏切りにあって詐欺にあい、やがて変死に追い込まれる事件がある。その旅館のご主人を嵌めた詐欺師達を追い込んでいく探偵の執念は凄いですよ。詐欺師の老人と背後で操っていたと思われる男達に復讐していく過程が描かれている。ところがですねえ、実際にも黒幕らしい男が殺されたり、詐欺師の老人が逮捕されたりして事件簿に書かれたシナリオ通りに事は運んでいくわけです。警察ではこの間々田の事件簿を解析して、いろいろ符合するところがあって不思議がっていたようでした。何故なら、この黒幕が殺されたのは間々田が死んだ後なんです。だから、ここに書かれている予言にしても新聞記事を材料にして後でこしらえて書いたんではないかと言いながらも警察では説明不能と答えています。それに間々田が探偵として実際活躍した事実は掴めていないと言っていますね。ただ、情報提供者の中に間々田らしき人物がちらついていたのは事実だそうです。事件簿の中の記録を読むと敵の動勢を微に入り細にわたって調べているから、間々田が集めた証拠というのも沢山あったのではないかと思っています。彼がどれだけ手を下したかは謎ですね。」
そう話すと毛利は差し出されたコーヒーをゆっくり飲んだ。
「それで?彼の復讐はやり遂げたことになったのかな?」
「そう、そうです。詐欺師の仲間は黒幕が殺されたことで全員罰を受けたようですね。」
「ふ〜む。それは面白いね。」
何故か事務所の中が安堵の気持ちに包まれて全員に笑みがこぼれた。
「彼の生き方は典型的なスキゾフレニーの人生ですね。トントコトントコ振り向きもせずに前に進んで脈絡もなく変わり身の早いこと。それは自分の心だけ見つめて心の赴くままに本当の自分を求めて突き進んだ人生です。修行僧のように悪戦苦闘した人生です。最後に彼は自分の死をも予言する事になります。天命によって五十代の坂は越えられないと明言していまして変死するということまで書いてあるのです。間々田の死は彼の寿命といいますか天命といいますか、やはり自ら選んだ死なのかも知れません。」
変哲もないただのアル中の絵描きと思われていた男の苦渋と変化に満ちた様々な人生が見えてきて皆は熱い気持ちになってくるのであった。
「ほう、それは凄いね。こりゃあアル中の間々田がますます伝説の人になるぞ。間々田というのも単純なようで複雑な奴だなあ。それに深い。」
書記の佐藤が言った深いという言葉に皆は頷いていた。そして彼を語ろうとする軽い言葉を失っていた。
「お話を聞いていますとこんな面白い人が春光会にいらしたとは何だか報われない絵描きの人生に何か希望のようなものが見えてくるようですわ。」
その言葉をきっかけに、この事務所の中がひときわ明るくなったような気がしたのは錯覚ではあるまい。
「彼には一種悟りというか諦念のようなものがありました。人生は天命によって支配されているという運命論ですね。自分の努力や意志の力ではどうしても越えられないものがある。その決定論を支配するのは遺伝子や古くから蓄積された文化の構造だという風に言ってますね。それに逆らうことなく生きて死んだということでしょうか。私は会の運営に携わるようになって丸三年、二十数名の様々な会員の葬式に直接関わってまいりましたが皆が皆思いを残しての死に様のようですね。中には来る日も来る日もキャンバスの目を埋めるようにホワイトで下地塗りをし続けて亡くなった九十二才の会員もいました。下地塗りを完了したキャンバスが十年分あったといいます。結局、彼はこの二〜三年間呆けていたんだろうという結論になったのですが、果たして真相はどうであったのか?もしかすると白いキャンバスに無限の夢を描き込んでいたのかも知れないし、構想が有り余るほど湧き出て下塗りされたキャンバスの数だけ浮かんでいたのかも知れません。その点、間々田君の死は自分の一生を自分で纏めて括り上げたような鮮やかさがあって、作家の死としては珍しいことだと思いますね。」
毛利は友のことを語りながら出版界をも巻き込んだ次の展開を考えていた。そして、この日の例会が間々田武の追悼話で静かに盛り上がったことを感謝した。夜になって外に出ると三月の冷たい風が吹いていた。彼らは肩をすぼめながら新宿の喧噪の中を突っ切っていつもの酒場へと急ぐのだった。
間々田 武 会員ナンバー 416 男性 55才(死去)