春光会異聞11−ある幻想
相変わらず絵描きの毎日と言えば、レールに乗ったぜんまい仕掛けの玩具のようにカタカタとほぼ同じ動きを繰り返して動いていた。いつもの見慣れた風景の中に、ふと気付くと郵便ポストの赤色にも、いつもとは違う晴れやかな存在の艶を感じる時がある。すれ違う生き者達のどこかしら一期一会の晴れ姿。いつもながら同じものとて何一つ無い変化の様相には驚かされる。
独特の人物画を描く大塚大童の毎日も朝の散歩の運動から始まり、昼の肩慣らしの運筆を8時間、乗りに乗れば徹夜も厭わず、そして夜の魂鎮の祈りで終わる。夜の鎮魂のお時間は神に感謝の酩酊のお時間なのだが、酔いが深くなるにつれて幼い日の風景があたかも映画のフィルムを見ているように繰り返し蘇ってくる。彼の胸の奥深くに突き刺さった魚の骨のように、何かを飲み込む度に、彼の忘れようとして忘れられない無意識の記憶の糸がピクピクと水面下で引っ張るのです。懐かしき郷愁の影に渦巻く悔恨の極み。青い蒼い痛恨のノスタルジア。
犬っころが。それが彼の家族に付けられた呼称だった。貧乏な家だったから確かに人間以下には違いなかったが、胸が締め付けられる思いがしたのは言うまでもないこと。稼ぎ手を亡くした親子4人が住んでいた家は雨交じりの風が横殴りに吹き抜けるボロ家だった。しかし、まだ屋根があるだけ幸運だった。いつも彼は学校にも行かずに、お腹をすかせて森の中の隠れ家に籠もっては草を褥に寝ころんで空を見ていた。セスナ機が爆音を立てながらデパートの売出し広告のビラを撒いていった。林に降り落ちるビラをどこまでも追い駆けながら百枚近いビラを集めたことに一人興奮していた。そのビラで紙飛行機を何機も折った。白い飛行機を谷へ向かって飛ばしていると、風に乗った紙飛行機は幾重もの緑の谷間をゆらりゆらりと白い軌跡を残しながら飛んでいった。風に乗った白い紙飛行機は希望と絶望をない交ぜに乗せていた。山のかなたの空遠く、その紙飛行機に乗ってどこか遠くへ飛んで行きたい。そう思った。はたまた鳥になって自由に空を飛べたらなんという快感。彼は想像力を羽ばたかせながら見知らぬ町を飛ぶのだった。なんという解放感。しかし、それは同時に足下の不自由さと生きにくさの証でもあった。その地を這うようながんじがらめの中で唯一、忘れられない思い出といえば一人の同級生との交流がある。彼は生まれてこの方他人から優しくされた記憶がなかった。無論、友と呼べる者の存在も初めてだったし、彼にとっては最初で最後の友だと言えた。頭が良くて運動も出来てクラスの纏め役だった友は他の同級生からの虐めをいつもかばってくれた。友の隣に住む女の子と3人で秘密の隠れ家でよく寝転がってじゃれ合った。気の遠くなりそうな甘味な気分を味わったのも初めてだった。その時のことは人生最上の思い出として残っている。その友を喜ばす為にはどんな困難をも厭わなかった。友が時々くれる駄菓子屋のあめ玉に匹敵するような獲物を探して森の中を日暮れまで駆けずり回ったものだ。
家族とは、13の春に別れたきりもう会うこともなく、たちまち四十年が過ぎ去ってしまった。思い起こせば、巨漢の男がランプの灯に照らされてゆらゆらと悪魔のように戸外で待っていた。母がしきりと暗闇の男へ向かってひれ伏すようにして何度もお辞儀をする。その母の半分くらいの背中をトンと押されるようにして戸外へと出た彼に向かって、笑って手を振っていた幼い子犬のような弟や妹たちの姿があった。彼は暗闇に潜む巨漢の悪魔に襟首をつかまれながらお酒の徳利のように下げられるようにして闇の中へと歩み出した。後には嗚咽の声と子犬の寂しそうな遠吠えがいつまでも響いていた。この世の終わりと覚悟した日、「母ちゃん。母ちゃん。」何度も何度も心の中で呟いて震えながら泣いていた。
「一年前の朝の散歩の時でございます。小人症の親子に出会ったのは。それ以後、何度か会うたびにハッとして、その泰然とした姿に心の琴線が震えるのでございます。幼稚園への登園でしょうか?やはり皆さん小さい小さい。子供用自転車の前と後に園児の女の子と小さい三歳児を乗せてカタカタと通園です。園児の紺の制服のなんと可愛らしいこと。お人形さんのようでございました。恐らく遺伝なんでしょう。ひょっとしたら旦那さんも小人症かも知れません。きっとそうでしょう。遺伝を承知の上で自信をもって生んだんでしょう。お三人もですよ。その一番上の小学三年生の子を連れて四人で歩いているのを見たことが一度ございます。私はその時ハッと心に残るものを感じてはらはらと泣きました。その小さい男の子の顔が私の小さい頃の顔にそっくりなのでございます。独特の体を横に大きく揺らして歩くO脚の歩き方など、まるで自分を見るようでありました。学校で虐められてはいないだろうか?他のお友達とのあまりの違いに毎日を泣いて暮らしてはいないだろうか?心配は募ります。しかし、屈託のない四人の元気な談笑に、いつも微笑ましく思うのでございました。そんな強い生き方に私は何よりも得難い痺れるような美しさを感じていつもうっとりと眺めておりました。私は天涯孤独の身でございます。だからこそ尚更に会う度に彼らの家族を描きたいという欲求が募ります。あんな美しい家族を私は今まで一度も見たことがなかったからです。ただ、モデルになって欲しいとは口が裂けても言えませんでした。遠くの方でひっそりと眺めるのが精一杯でございました。
親の因果が子に報い二目と見られぬこの子でござい、花ちゃんやあ〜い。サーカスと共に田舎の秋の収穫祭にやってきた懐かしい身世物小屋のあの甘い鼻声の口上を憶えていますかどうか。花ちゃんはろくろ首であったり、仰天する様なおぞましき小人の醜女であったり、はたまた不具であったりでお笑いでご覧になったことでございましょう。花ちゃんの心はいかばかりであったことか?もし私がその花ちゃんであったとしたら、毎日を泣いて暮らしたに相違ありません。私は知っておりますよ。その花ちゃんを。いいえ、女ではございませんでした。男でございました。いえ、正確に申すなら男女(おとこおんな)というのでしょうか?なにせ親方に売られた身でありますから、言われるとおり女の子の格好をして見せ物小屋へ出ておりました。それに、二十歳を越しても尚、彼の背えは1メートルを越えるのがやっとでございましたから、鏡に自分自身の全身を映して見ることなぞ恐怖の的でございました。ふと何かに映るおのが姿に一度ならずも唖然としてその場で気を失ったものでございます。まさに二目と見られぬ醜悪さを感じたのでございましょう?いつも親方に弄ばれておりました。でっぷり太った150キロもありそうな巨漢で坊主頭の親方は、見るからにいかにもたこ入道。グローブのような手で100センチそこそこの花ちゃんを振り回しては、まるでボールのように投げては遊ぶのでございます。素っ裸の花ちゃんをでございます。そりゃあ端から見ればおよそおぞましい光景だったに違いありません。誰のことですって?いえいえ。朝の散歩の時見かけたあの小人の家族に触れた拍子のふとした幻想でございますよ。少し古かったでしょうか?見せ物小屋というのは?」
大塚大童はそうしみじみと話します。彼の描く人物像はどれもどこか歪でありました。揺るぎのない存在感の隙間にどこか歪な不均衡な病んだ体躯。がっしりと岩のように描いてありますが、殆どが普通の人物像とは違って違和感がありました。その何とも言えぬ哀愁。存在の重々しさと危うさとがこれほど同時に表されている絵と言うのがありましょうや?そんな評判を取った作風でありました。それは、まさにこの現世の危うさを反映させて幽玄の様でありました。それもこれも見せ物小屋の看板描きを見よう見まねでやらされたお陰なんです。あの親方にも感謝でしょうか。その生い立ちのコンプレックスは明らかに彼の表現の根幹にありましょう。日本のロートレックと呼ばれた男。それが大塚大童でありました。あの家族をモデルにどうしても描きたかった大塚大童渾身の魂の一作は?戯れる三匹の子犬をやさしく見つめる二匹の親犬の穏やかな家族の肖像になりました。大童にしては珍しくメルヘンの作品でありました。
夢か現か幻か?あっという間の五十年の人生。ほんに一瞬の幻のようでありました。うっかりうたた寝した隙に見た夢の中の出来事のような、それとも太陽の光が眩しすぎてつい目眩を起こして気を失ったその空(うつ)な心にふと紛れ込んだ異界の物の怪の悪戯のような、そんな人生。今までの来し方を振り返って大塚大童はやるせなく思うのでした。
そして、そして、あの散歩で出会う三人の子のお父さんこそ小さい頃に別れた弟であったというのは余りにも出来すぎの話であったでしょうか?小説は事実より奇なりと申します。
大塚大童。 会員ナンバー487。 埼玉県在住。 男性。 52才。