川久保玲との150分 (Part 3)


 人間個人としての行き方や、その持ち得た価値観が、そのまま方法として職業に、そして、具体的にそのものの発想や作り方に至るまで同次元化することは、本来当たり前すぎるほどに当たり前なのだが、現実にはとても難しく非常に稀であり、希少な存在となる。だが、それを当たり前としてやってしまった人間は、いさぎよい。そこから人間味が感じられる。そんな人が持つ、恐怖や不安は、本質的なところ「創れるか、もう創れないか」の極致でしか感じられない。生きることと働くことが一つになって、一生懸命自分の時間を消費する。これが、自分らしく生きることのはずだ。でも、もしかしたら「自分らしく一生懸命に生きる」なんてことは、今ではすでに「死語」になってしまっているかも知れない。「心に楽」に生きることとは、本来自分が係わったことに対しては、一生懸命に取組むことなのだが、要領よく、都合よく生きることが「楽」に通じてしまっている現在、心の不安は募るばかり。

 川久保玲の「凄さ」はこの一言に尽きるかも知れない。彼女の価値観と生き方が服づくりの価値観であり、それが方法論的に構造化された元で、一生懸命自分の時間を惜しみなく消費していることであろう「否定」から感性が生まれ、既成を破壊し、そして自分の方法、即ち、価値観を構造化し、その中で再構築していく。即ち、生き方と作り方が同質、同次元のレベルでなされているところが、彼女の「凄さ」を生んでいる。

 結果、見事に完成されたバランスの美しさをいつもコレクションでは演出しているが、服そのものは「未完」なのである。いつも次がある状態での、一番パーフェクトなバランスのところで抑えている。だから、「コムデギャルソン・スタンダード」が、今も尚、継続してアヴァンギャルドな作品を生んでいる理由ではないだろうか。そして、彼女は個人的なビジョンを、本気でクリエーションに持ち込んだ稀に見る個人主義者だ。



平川:初期の頃に洋服を見せていただいて、川久保さんが美術を勉強なさって、僕も宗教美学を勉強していた時期があって、それである種、コム デ ギャルソンのモノづくりの発想の中に宗教美学的なものがあるように思ったんです。

川久保:その人の信仰っていうんじゃないですよね?シンプルだからですか?

平川:シンプルさと、反シメトリー、足し算じゃなくて引き算、それからある種、不整美みたいなもの。

川久保:それ宗教的っていうんですか?

平川:そういう柳宗悦がいう宗教美学の分野がありますね。

川久保:自分ではなにがきれいかってそれだけですけど。

平川:もう一つは、川久保さんのモノづくりの方法論と、それからご自身が持っていらっしゃるコンセプトが、同じレベルでカタチになっている。いつも違ったもの、新しいものをつくるっていうことは、ある種、否定から入っていきますよね。否定して、自分の中で壊して、新しいコンセプトを出す。一度全部ものをつくるとき破壊して、再構築しますね。考え方と、創り方の方法論がいつも一緒で、それが最終的「コム デ ギャルソンらしさ」のスタンダードを生んでいるんじゃないですか?

川久保:確かに、何がきれいかっていうところで、違う目でみたいという発想が浮かびますね。他の人が見つけていないところを見つけたいって思います。

平川:構築の仕方は?自分の目に付いたものを、一回壊すでしょう?

川久保:そうです。

平川:つぶしたパーツを自分流に組み立てなおしますね?

川久保:それをしなかったら、新しいものにならないですから。

平川:だけど、普通そこまでやらないでしょう。

川久保:そうしないと、面白いものが出来ないんですよ。想像がついてしまうものをつくっても意味がない。

平川:自分の中で、人を驚かそうって気持ちあります?

川久保:驚かそうとは思わないけどやっぱり感じてもらいたい。どきどきさせたり出来ればいいんだけど、だけどそれがなかなか理想どおりにはいきませんから。

平川:洋服をつくる過程というのを勉強してきた人は、日本の洋裁学校の弊害でもあると思うんだけれど、作り方の方法論だけしか教えませんよね。つぶし方とか、組立方の方法論を教えませんよね。

川久保:デザイナーを養成するための学校じゃなかったでしょ、最初は。

平川:そういう自分のゼロのスタートを今でも持って続けてらっしゃいますね。ある程度続けてくると、人は単純でイージーな方向に流されるものですよね。そして、流れた方が、企業としてはバランスが取れる可能性もある。

川久保:それはでも、分かっていても出来ませんね。

平川:昔、川久保さんは僕のことををねじれてるって言いましたね。僕は実際ねじれてます。でも、川久保さんだって僕からすればねじれてますよ。

川久保:私は1回ねじれていて、あなたは2回ねじれているんじゃないかしら(笑)。

平川:僕流に言えば、2回ねじれていて、僕は元に戻っているんです。川久保さんは1回で元に戻っている。

川久保:私は1回半。平川さんのねじれと同じじゃないですよ(笑)。私のねじれはもっと単純です(笑)。

平川:ねじれて何が悪いっていうのがありますよね。それがないと、クリエイションって出来ないでしょう?人と違うものを見られないもん。

川久保:ヨーロッパの左右対称の庭ってつまらないですね。本当につまらない。

平川:西洋美学は「偶数」ですよね。桃山以降の利休の美学は「奇数」で、それは「ハズシ」の美学ですよね。

川久保:その方が落ちつきますね。何かレイアウトするときも、5、7がいい。「ハズシ」の美学ね。自然にそうなっていますね。

平川:それから、工芸的な見方をすれば、素材に凝るというか、好きなんですよね?いつもどこかで、企業規模で覚悟して仕事なさっていると思うんです。前やられた縮絨なんて、あんな不安定な素材ないでしょう?それを企業規模でやるなんて。

川久保:だから、やりたいことはやりたいんですよ。

平川:いさぎよいですよね。

川久保:でも、陰で苦労している人いっぱいいると思うんですけど。

平川:それも、やっぱり企業の懐の深さですよね。

川久保:そうね、普通の企業ではやらないわよね。

平川:やれないんでうよ。それは単純に企業の安全パイと考えると、出来ないんですよ。

川久保:だけど、それを安全にやっていたら、本当につまらない。そういう風に、つまらないって思うから、やってしまおうということになるの。結果、そこでどう感じるかです。

平川:それをトップの人がやっちゃう強さ。

川久保:それは、私がつくるほうと両方やっているからですね。社長だけやっていれば、出来ないですよ。

平川:でも、社長だけやってなくても、出来ない人いますよ。それは、チームのうしろだてがあるからでしょう?

川久保:リスクがあるけど、ダメならまたどこかで取り戻せばいいじゃないっていう、大きい計算があるから出来ると思うんですね。クリエイションに関わっているから、もっと面白いものをつくって取り戻そうという発想が可能になる。つくる側の感覚にタッチできなければ、恐いとおもうでしょうね。でも、ある意味ですごいストレスですよ。だって、つくることに全ての責任があって、つくることで挽回すればいいとはいえ、つくれるかどうかなんてその時の自分には分からないんですから。とはいえ、数字を優先して物事を決めないですけど。逆にそういう気持ちで押し切ると、全部そっちのほうにまわり始めるんです。こっちのほうに曲がっているのが格好いいんだ、って良い方向にまわるんです。・・・・まったく悪い方向にまわるときもありますけどね。