55の独り言

55…昭和11年(1936)に日本のプロ野球が始まって以来、今年で67シーズン目を迎えました。

この「55」という数字は過去66年の中での年間最多本塁打の日本記録です。

ちなみにこの記録は通算868本塁打を放ち「世界の王」と言われ、国民栄誉賞の第1号にもなった

王貞治氏(現ダイエー監督)が昭和39年(1964)にマークしたものです。

 

今シーズン、その記録が39年ぶりに塗り替えられようとしています。

 

年間最多本塁打の新記録を目指しているその選手は、西武ライオンズのアレックス・カブレラ選手。

思い起こせば、昭和60年(1985)に阪神タイガースのランディ・バースが54本塁打をマークした時

王さんは巨人の監督をしていたし、去年(2001)大阪近鉄バファローズのタフィ・ローズが55本塁打を

打った時も王はダイエーの監督をしていました。そして今年も王はダイエーの監督をしています。

過去、自分の記録を塗り替えようとする選手が出てくる時には決まって直接対戦のある

相手チームの監督をしていた王はその度にマスコミなどの非難に晒されてきました。

 

理由は簡単…56本塁打を狙う選手が出てくると直接対決で決まって四球で歩かされていたからです。

1985年、バース、掛布、岡田、真弓ら強力打線を擁する阪神タイガースは1939年以来、21年ぶりの

リーグ優勝を決めました。道頓堀に飛び込むファンの映像をみなさん覚えてると思います。

さて、優勝の決まったセ・リーグでファンに残された関心事と言えば、バースの三冠王、そして王の持つ

年間最多本塁打の記録更新でありました。

128試合を消化した時点でバースが放った本塁打は54本。残り2試合(当時は130試合制)という事で

記録更新は時間の問題だと思われました。ところが残った2試合はどちらも巨人戦、つまりそれまでの

記録保持者である王が指揮を取るチームとの対戦となったのです。

結果は129試合目が「安打、四球、三邪飛、四球」、最終戦となった130試合目は

「四球、四球、安打、四球、四球」となり、バースは54本塁打のままシーズンを終了しました。

 

そして去年、パ・リーグを制した大阪近鉄の梨田昌孝監督は、年間最多本塁打を目指すローズに

一打席でも多く回ってくるようにと打順を1番に据えました。

ところが、対戦相手である王監督率いるダイエーホークスのバッテリーは1打席目からローズを敬遠したのです。

この試合の後にダイエーの若菜嘉晴バッテリーコーチが「ローズはいずれアメリカに帰る選手。その選手に

王さんの記録を抜かせるワケにはいかない。」と言う主旨の発言をしたとして、「人種差別だ!」とか

「卑怯者だ!」と新聞紙上を賑わせ、最後にはコミッショナーまで出てくるまで騒ぎが発展しました。

 

ファンの多くは「王は自分の記録を外国人選手に抜かれるのが嫌だから敬遠を指示して

ホームランを打たせないようにしたんだ!」と憤慨しました。

しかし85年の時も、そして去年の時も王貞治監督の発言は同じでした。

 

 

 

 

 

 

 

「私は指示していない…」

 

 

みなさんはこの発言を信用できますか?

色々議論はあるでしょうが、犬マンはこれはおそらく本当だと思います。

多分、王監督にはそれほど自分の記録に執着心を持ってないのではないでしょうか…。

仮に王の持つ年間最多本塁打を更新されたからといって「王貞治」という選手の偉大さが

色あせる事は何一つ無いのです。

 

去年、米大リーグでサンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ選手が

マーク・マグワイア選手(カーディナルス)が持っていたそれまでの年間最多本塁打記録である70本を

一気に更新する、73本のホームランを記録しました。

だからといってアメリカ国民が「ボンズこそ大リーグのホームランバッターである」とは思っていません。

やはりアメリカ国民にとって「ホームランバッター」とはベーブ・ルース(ヤンキース)なんですね。

ベーブ・ルースが持っていた60本という年間最多本塁打はすでに更新されてるし

通算本塁打714本も755本塁打を打ったハンク・アーロン(ブレーブス)に抜かれてしまっています。

 

 

 

それなのに何故ハンク・アーロンでもなく、バリー・ボンズでもなく、ベーブ・ルースなのでしょう?

 

野球というスポーツは陸上競技などと違って、時代背景、ボールや投手の質、試合日程、球場の違い…など

単純には比較できない要素が多数あります。単に数字を上回ったからといってその選手が一番であるとは

言えない面があるんですね。

 

例としてベーブ・ルースが60本を打った年(1927)のアメリカン・リーグの本塁打上位5人を挙げてみましょう。

1位 ベーブ・ルース(ヤンキース)    60本

2位 ルー・ゲーリック(ヤンキース)   47本

3位 トニー・ラーゼン(ヤンキース)   18本

4位 ケン・ウィリアムス(ブラウンズ)  17本

5位 アル・シモンズ(アスレチックス)  15本

 

ちなみにこの年のア・リーグの総本塁打数は439本。つまりベーブ・ルースはリーグ全体の

13.7%をたった1人で打った事になります。ベーブ・ルースの偉大さはこういう面からも窺えると思います。

 

さて、王が記録した1964年のセ・リーグを見てみましょう。

この年のセントラル・リーグの総本塁打数は724本、その内55本を打った王選手は実に全体の7.6%を

1人で叩き出した事になります。

対する85年のバースのそれは5.7%、去年のローズは5.3%です。もし、去年のパ・リーグの総本塁打の中で

王と同数の7.6%を1人の選手が打った場合、その選手の本塁打数は77本にもなります

 

誤解して欲しくはないですけど、だからといってバースやローズより王が凄い打者だとか言いたいワケじゃない

ですよ。先程も言いましたが、野球はその時代によって条件が変わっていくスポーツなので単純に

数字だけで判断はできないという事なのです。

 

では、本塁打の記録が懸かった試合の前に王監督自らバッテリーに「勝負しろ」と言えば事は済むのか?と

言うと、これもまた複雑になっていくワケで…。

第1打席から敬遠をするというのは王監督の指示でないとするなら、これはコーチの指示であると考えるのが

自然だと思います。去年の若菜バッテリーコーチがそうであったように…。

 

敬遠の好き嫌いはさておき、是非を問うならば「是」なんですよ。敬遠が立派な作戦の1つである事は明白です。

1992年の全国高校野球選手権大会において、石川県代表の星稜と対戦した高知県代表の明徳義塾は

星稜の松井秀喜選手(現巨人)に対して、徹底的な敬遠策を取りました。その数、何と5打席連続。

後続打者が次々と打ち取られた星稜は2−3で明徳義塾に敗れ、2回戦で姿を消す事になりました。

試合中から甲子園は明徳義塾に対するブーイングで騒然となり、校歌斉唱の時も鳴り止まなかったくらいでした。

この「勝利至上主義」は様々な物議を醸し出し、日本高野連牧野会長までもが非難していました。

 

しかし、明徳義塾の取った作戦は「好きか嫌いか」で問うならば「嫌い」という意見が多いでしょうが

是非を問うなら「是」なんですよ。つまり監督というのは自チームを勝利に導くために最大限の努力をしないと

いけないのです。そして明徳義塾の馬渕史郎監督は勝利のために「敬遠策」を選んだのです。

 

では、王監督の場合はどうでしょう?

試合前に「勝負しろ」と言ったり、敬遠を指示したコーチを無視して「勝負しろ」と指示するのは

勝負を度外視した自分の記録のための試合になってしまいます。

 

去年のローズにしても、今年のカブレラにしても、勝負に出てホームランを打たれるのは至極簡単な

選択だと思うんですよ。しかしダイエーの監督という重責を担っている以上、ダイエーの勝利のために

敬遠策を取るというのは当然の采配なのです。

 

年間本塁打の記録が懸かる度に、マスコミやファンから心無い中傷を受けてしまう王監督。

むしろ、「ローズでもカブレラでも松井でも誰でもいいから56本塁打を記録してほしい」と

心から願っているのは他ならぬ王貞治自身なのかも知れないですね。

 

 

 

最後に「王は敬遠ばっかりで卑怯者だ!」と思われている方のために王選手の現役時代の記録を

少しだけ紐解いてみましょう…。

 

1959年(昭和34年)、早稲田実業から巨人に入団した王貞治は2年目の60年に72四死球で

リーグトップの四死球を記録しました。4年目(62年)に一本足打法を修得し、その年の本塁打王となった王は

同時に四死球も84を記録、江藤慎一(中日)の63個を大きく引き離して2度目の四死球王になりました。

翌63年から王の四死球は毎年100個の大台を軽く越え続け、以降引退前年の79年まで18年連続

合計19度の四死球王になりました。その内、63年から78年にかけては16年連続で四死球100個を

超えています。ちなみにシーズン最多四死球は74年に王が記録した166個(四球158、死球8)というもの。

 

こうして22年間の現役生活で王が記録した四死球は2504個、勿論プロ野球最多記録です。

2位の野村克也(南海−ロッテ−西武)が1374個という事を考えると、今後塗り替えられる事はないでしょう。

ちなみに米大リーグの四死球記録は不明(古い死球の記録が欠落しているため)ですが、四球だけだと

ベーブ・ルースの2056個が最高記録。王の四死球から死球を切り離した四球だけでも2390個なので

ここでも米大リーグの数字を上回っている事になりますね。

 

そして敬遠だけを取り出してみても、王は2位の張本勲(東映−日拓−日本ハム−巨人−ロッテ)の228個を

大きく引き離す427個を記録しています。1シーズン45個の敬遠も勿論日本記録です。

イニング別に見ても1回に85回も敬遠されており、これは2〜9回及び延長の中で1番多く、さらに点差別に

集計すると同点時の193個が最多ですが、8点差でも2回、9点差でも1回敬遠されています。

 

初回の第1打席から、そして9点もの大差で負けているのに王を敬遠した他球団の監督、コーチそして選手。

こういう記録を見て、果たして「王は卑怯者だ!」と言えるでしょうか…。

別に「目には目を」と言いたいワケじゃないですよ。王だって敬遠され続けてきたという事です。

 

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