(「モロッコ」よりつづく
タンジールの朝、まだ暗いうちにホテルを発つ。
嵐の前のような不穏な風が吹いていて、これからフェリーに乗る身としてははなはだ心細い。
今日はとうとうモロッコともお別れだ。タンジールの港からスペインにむかうのである。
6時半,フェリーターミナルでチェック・イン。船はスペイン国籍。
出国のチェックはきびしいみたい。われわれツアーの客に対してはそうでもないが,
モロッコの人には一人ずつ時間をかけてなにか聞いている。
「すごいねえ、こりゃ・・・民族大移動だ」
夫の言葉にそちらを見ると、ほんとにすごい。
20数人のモロッコ人の一団だが,女性も子供たちも混じっていて大家族という様子である。すごいというのはその荷物のことで、それぞれがサンタクロースも顔負けの大袋を担ぎ,毛布や小たんすも担ぎ、こどもたちには鍋ややかんまで持たせている。
一族のドン,といった感じの初老の男が、なにやら大声で指図している。
強いまなざし、小柄だが長年肉体労働で鍛えたような体、エネルギーのかたまりのような体が緊張感で落ち着かない。
周囲では屈強な若者も,頭のはげかかった髭の男もだまって耳を傾けている。
夫は彼に興味を持ったようす。
「スペインへ出稼ぎかねえ,いや,一族全員でスペインへ移住するのかね」
税関を通してもらえるかどうか、心配しているのかなあ。
みんな,難民のような格好をしていて、ひとりずつ見てるとその後ろにドラマが見えてきそう。
失礼ながら絵になっているのだ。
じろじろみるわけにもいかないし、写真を撮りたくてもあまり近くてこっそり撮るわけにもいかない。
目の端でちらちら見るぐらい。そのうち順番がきてわれわれは先に乗船し、残念ながら彼らとは別々になってしまった。
船が出る頃,やっと外が明るくなった。
タンジールに留まったのは昨夜だけだった。町も歩かなかった。
せめては海の上からの風景なりとも見たいと思い窓辺によると、ビルの立ち並ぶ大きな港町が海沿いに広がっていた。
さすが,北アフリカの玄関口である。
沖に出てから上甲板に上がってみると今朝の心配がうそのように気持いい風が吹いていた。
行く手に見える陸地はスペイン、右手に広がる海は地中海,左は大西洋。そしてここはジブラルタル海峡。両手をいっぱい広げて,感動と海風を思いきり吸い込む。
「気温,20度ってとこですかね」
いっしょに上がってきたSさんが言う。
「ほんとうに寒くないですね。気持いいですね」
と云いつつ、いまいち不満は空の色。空の色は群青いろであってほしい。
これから私たちは太陽の国スペインに行くところなのです。
でも願いとは裏腹に、だんだん雲がひろがってくるような気がする。そしてとうとう、あと15分でアルヘシラスに着くという時になって,雨がぱらぱら降り出してしまった。
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スペインでの第一歩はそんなわけで小雨と風のなかはじまった。
例の大家族らしい一団が前のほうにいて、入国手続きに時間がかかり、
銀行で両替をすませると十二時になっていた。その間に雨はあがり、
、しっとりした空気がわたしたちをつつんでいる。
バスに二,三分乗ってレストランに直行。朝が早かったので、十二時に
食事ができるのが特別うれしい。
着いたのはわれわれだけで丁度いっぱいになるくらいの家庭的な感じの店だった。
よくふとってくるくる働く陽気なおかみさんがはじけるような笑顔で迎えてくれたら
ぴったりだったのに、残念ながら,ドアをあけると振りかえってあわてて
新聞を片付けたのは50がらみの頭の剥げたおじさんふたり。
それでも,私たちを待っていてくれたのは真っ白なテーブルクロスにセットされた食器と直ちに運ばれた料理でわかった。とりたてて豪華というわけではない。
ただのレタスと玉葱とトマトのサラダだけどピッカピカのパリンパリンで,今氷水からひきあげたみたい。つぎのスープは熱熱で海老,ハマグリ、ムール貝、人参玉葱,米入り、サフラン入り山盛りスープ。メインデッシュは魚のフライ三種、温野菜で素材の良さにすっかり満足。
夫なんかは
「ああ、久しぶりにおいしい魚食べたなあ・・」
なんていってる。
アルヘシラスは港町だから魚がおいしいのは当然といえば当然なんだけど・・・
添乗員のKさんが立ちあがった。
「出発まで40分あります。この店の裏,3,4分行った所に市場がありまして、こちらの果物など、食料品が並んで
いますから見たい方はどうぞ」
わア,嬉しい。行きましょう,行きましょう,。折りよく晴れ間が見えたし大喜びでみんな外へ出た。
見知らぬ土地の市場を見るのはとても楽しい。ハム,ソーセージ。野菜やくだもの。港町の魚屋にしては小さめな
お魚コーナー。
めずらしいものがあっても今買うわけにはいかない。
でも果物なら大丈夫というわけで果物やの前には何人かのお仲間が立ち止まっている。
「ねえ、わたしたちも買わない?」
わたしはめずらしい果物があったら旅の思い出にちょっと食べてみたかった。
でも夫はいらない、いらないと言ってどんどん先に行ってしまう。
夫は普段からあまり果物をたべるほうではない。わたしは半分ふくれながら後を追う。
市場を一歩出たところで、,突然,目の前に飛行機でも落ちたかのような、
「ガラガラガラ、ドーン!」
というものすごい音がして、激しい雨が降ってきた。
「どうする?」
「走ろう!」
夫の言葉でわたしは軒づたいに走って走って,走りつづけて先刻のレストランに飛び込んだ。
5,6人の方が同時ぐらいに飛び込んだ。わたしが飛び込むと同時に,
雨はバケツをひっくりかえしたような勢いになった。
すぐ後ろを走っていた夫が帰ってこない。
外は真っ暗になって,急速に気温が下がってきた。
激しい雷雨は十分ちかく続いて,漸く小止みになってくると、つぎつぎにツアーのお仲間が帰ってきた。
夫も帰ってきた。生憎,服装はモロッコにいた時と同じぐらいの薄着で,ズボンは夏物である。
それがひざ上までぐっしょり濡れてしまっている。
「この2,3軒さきののところで足止めさ。頭のほうは大丈夫だったけど,雨脚が激しくてね、はねかえりでこんなになっちゃった」
口々に寒くなりましたね,といいながらバスに乗りこんで出発。
「なにかお買いになりました?」
「柿を買いましたよ。日本の柿とちょっと違うみたいですよ。お宅はなんですか?」
「なんですかねえ。見たことないもの買ってきましたよ。これ、どうやって食べるんですかねえ」
みんな,買ってきた果物を見せ合いながら盛りあがっている。
なんにも買ってこなかったわたしたちにFさんが柿をわけてくださった。
日本の柿よりやわらかくてとろけるような果肉、
こちらではスプーンで食べるそうで、ほんと、切り分けたりかじったりはできそうもない。
「いただく?」
「いや」
でこれはわたしだけでいただきました。甘くてとてもおいしかった。
「ねえ、これも召し上がってみて、おいしいのよ」
こんどはGさんが変わった果物を半分にしてくださる。Kさんがそれを見て、
「あ,それね,チェリモヤっていいましてね、日本で買うと高いんですよ。高級トロピカルフルーツですよ」
大きさは,小さめのりんごくらい,モスグリーンでやわらかい皮はうろこ状である。
「いただく?」
「いや」
で、これも私ひとりでいただいてしまいました。果肉のかたちも変わっていて,口に入れるとほんのり甘いバニラアイスクリームもよう。香りもさわやかで最高!
みんな濡れたけどおいしいもの食べてすっかり元気になり、にこにこ
している。話もはずむ。
でも夫だけむっつり、ひざを抱えて寒がっている。バスのなかがどんどん冷えてきているのだった。
  
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