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1999年の「深津絵里」
1999年の「深津絵里」
日めくり暦
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■「今日のたわごと」文書庫
1999年の暦  

 
聖夜のお約束 1999 ▼ 葉の章 (8月) ▼  
師走の章 (12月) ▼ 文の章 (7月) ▼  
霜の章 (11月) ▼ 水無の章 (6月) ▼  
神無の章 (10月) ▼    
  長の章 (9月) ▼ サイト開設のおことば ▼  
 

1999年大晦日

若者と家庭持ちの一大イベント・クリスマスも過ぎ、やっと今年も終わり。深津さんは去年のクリスマスはニューヨークで過ごされたそうですが、今年は映画の撮影もあるので日本に居られたのでしょうか?僕も仕事関係で予定していたアメリカ行きを気が変わって止めてしまったので、師走の忙しい時期にひとりでヒマこいていました。このまま何となく20世紀の、(殆ど知らないけど)'90年代の日本に別れを告げ、ダラダラと新世紀を迎えることになりそうです。ダメ人間の面目躍如、といったところでしょうか(苦笑)。このページの「2000年問題」も未解決のまま…って、年が明けたら、ページのタイトルどうしよう?? (-_-;;

先日北烏山のBOOK-OFFに行ったら、『sourire』の中古950円がまだあった(11/02の「たわごと」参照)。早く誰か買わないかな。ところで、なぜかその時店内に流れていたBGMがシナロケ版「レモンティー」だったので、「あ、懐かしいなー」なんて思いながら耳を傾けていたら、その次に流れたのが、いきなり藤井一子の「チェック・ポイント」。その途端隣にいた20代後半ぐらいのカップルの動きが止まり、次の瞬間、女の子の方が笑いながら「なんで〜?」。実は、その時僕も心の中でまったく同じ問いを発していたのだが(笑)。だって、BOOK-OFFだよ?あの選曲は店員の趣味なのだろうか…

それでは顔の見えない読者の皆様、このページを♪21世紀まで愛し〜て イェ〜イェイ♪…もとい、良いお年を−

1999/12/25
アクセス20,000ヒット記念へのリンク公開は終了しました。昨夜見損なったという人は、まあ、僕に直接メールでもして下さい (^^;
1999/12/20
昨日ボランティア活動で子供たちとクリスマス会をやった。で、今、目の前には、プレゼント交換で貰った小さなサンタと雪だるまのぬいぐるみがモニターの横にちょこんと座っている。この殺風景な部屋にはなんとも奇妙な取り合わせだけれど、ぬいぐるみを前にちょっと遅いクリスマスカードを書いていると、僕も少しだけクリスマス気分…
1999/12/10

ここ数日、FortuneCityのFTPサーバがまともに機能していない。このページも、ブラウザからアップロードしている。最近このホストにもうんざりしてきてたし、またどこかに引っ越そうかな…。

帰国して最初のPCをようやく組み、システムの再構築もほぼ完了。本体を一から組むのは、実に5〜6年ぶり。と言っても、一点豪華主義のサウンドカード以外ほとんど貰いものやらリース落ち品やら怪しいパーツやらの寄せ集めになってしまったので、“でっち上げた”と言う方が正確かもしれないけど。なんかPCIボードのコネクタから火花飛んでるし(オイオイ)。今回一番助かったのは、後輩から15"マルチスキャンモニターをロハで奪えたこと。モニターと言えば、数年前日本円にして1,500円ぐらいで買ったジャンクモニターは、一年ほどして画面がうつらなくなった。古典的に叩いてみたら、破裂音とともに文字どおり火を吹いた。今度は本体が火を吹きそうだが、まあ不安定ながらも取り敢えず動いているからよしとするか。でも、やっぱり新しい?マシンは良いねー。初めて見たけど、このページってフルカラー表示だとこんな風に見えるのか(笑)。ちょっとイメージ違ったかも。

1999/12/02
現在システム再構築中につき、更新までしばらくお待ち下さい− (^-^;
1999/11/24

…また年を取っていた。思えば去年の誕生日は、シチリア島を旅行中だった。ひとりだった。手帳を見返してみると、その日はカルタゴ人の築いたトラパニという港町に泊っている。でも、旅先から部屋に帰ってみると、僕自身はまだ恋人だと思っていたひとの日本からのお祝いメッセージが留守電に入っていた。それで自分が一歳年を取っていたことを思い出した。あれからもう一年も経つのか、としみじみ思う。今年の誕生日は東京に居た。やっぱりひとりだった。今年は誕生日を思い出させてくれるひとも居なかったせいか、昨日まで失念していた。それに気付いたら、なんとなく寂しい気持ちに襲われた。この年になってお祝いなんかしてくれなくていいよ、なんて、ずっと言っていたくせに…僕って勝手だよなあ。ほんと、勝手だ…。なぜか急に、クスクスを使った西シチリアの魚料理が食べたくなった。

これから一ヶ月と三週間ほどの間、深津さんとは7歳違いになる。だから何だ、と言われると困ってしまうんだけど。

1999/11/21

深津さんがCM出演していた明治「ポルテ」をはじめて食べてみたけど、結構美味しいね、これ。でも中のチョコクリームが「ポ●ロン」と同じだ(笑)。そういえば「大盛いか焼そば」「中華焼そば」も、結局一度も食べないままだったけど、もう売ってないのかな(ペヤ●グのファンなもんで…)。え?マ●ーム?流石にコーヒーにあれは入れないなあ(苦笑)。

ここの所忙しかったので、ページの更新が滞っています。近日中に更新する予定ですので、ご勘弁のほどを…(^^;

1999/11/09

うぅ、更新するヒマがない…と言いつつも、行ってきました、東京モーターショー (^ー^) でも、大の車好きの甥っ子(6歳)を一緒に連れて行ったのは大失敗。興奮しまくって、何かに憑かれたように会場をさまよう子供を追いかけ回すのに精一杯で、こっちは車もオネーサンもろくすっぽ見ている余裕がなかった(泣)。でも、虚ろな目つきで、紙袋をぶら下げて狂ったように車のカタログをもらい集め、綺麗なオネーサンを見ると人垣をすり抜けてそばに寄っていく甥っ子の姿には完璧にヤバ系が入っちゃってて…まだ6歳だというのに、先行きが不安だ、ほんと ((((((((((((((^^;

ちょこっと感想も。並行輸入のみだった大宇自動車「マティス」(ジウジアーロのデザインだよね?)の正規輸入開始は結構楽しみ。売れるといいけど。新プントは予想通りカッコ悪くてがっかり。もう発売されてるけど、新しいプジョー206はかなりお買得かも(走りは未確認)。スズキのEVは一番実用的なデザインで良。三●のスタッフ、僕たちを親子と勘違いしてインタビューしないで。写真まで撮らないで。ほんとにちょこっとの感想でした。ところで深津さんてなに乗ってるんだっけ?

1999/11/02

ちょっと前に姫乃樹リカのことを書いたけど、一昨日BOOK-OFFに行ったら『アメイジング ストーリー』というアルバムの中古CDがあった。別に姫のファンだったわけではないけど、シングルしか聴いたことがなかったし、なんとなく懐しかったので買ってきて聴いてみた。さすが、歌唱力はピカ一。なんだけど…だめだ、やっぱり印象に残らん歌が多い (^^; もしデビューがあと5年、いや3年早ければ、彼女や仁藤優子あたりは大スターになっていたのだろうか…。ちなみにCDの値段は1250円。中古CDとしては安くない価格で、森高の『非実力派宣言』(笑)や早瀬優香子の『躁鬱』なんかと同じ値段だった。あまり見ないけど『sourire』は950円。でも、タマ数が違うとはいえオギノメちゃんのアルバムが350円で、モーニング娘。(←学習の成果:笑)の中古シングル1枚よりも安いのは、なんか納得がいかんぞ。別にモーニング娘。が悪い、というわけではないんだが。

…って、深津さんのファンには結構若い人(read: "てぃーんねいじゃー")も多いようなのに、更新もせずにこんな話ばかりしてていいのか?あ、今週のNHK『ひるどき日本列島』、大分の国東半島をまわるようですね。興味ある人は、どうぞ(笑)

1999/10/26

おいおい、勝手に汚いバナーはらないでよ >幸福都市
ごめんね (^^;; >ページ読んでくれてる人

邦楽ポップスがいつの間にかJ-POPと呼ばれるようになっている。オヤジなりに学習しようとはしているんだけど、数が多くてわけがわからん (;_;) 未だ浦島太郎状態なのか、それともやっぱり単にオヤジなのか。でも、夏ごろ流れていたKiroroの「最後のKiss」という曲には笑った。いや〜ニューミュージックは不滅だ。お約束の転調も泣かせるけど、サビで入る「Whooo〜!」には10mぐらいぶっとんだ。あまりの衝撃に、思わずCD買ってしまったほどだもん(笑)。

1999/10/19

私は1973年、オイルショックの年に生まれた…なんとも冴えない年に生まれたものである

『彼女たちの時代』はこんなナレーションで始まった。こういう「世代の怨念」って、どの世代にも何かしらあるのかもしれないが、僕の世代にもやっぱりある。僕は1966年、いわゆる「丙午」の年に生まれた。これは初代ウルトラマンと同い年でもある(2万歳、という意味じゃないぞ)。その前後に生まれた人ならばご存知だと思うが、この年はつまらぬ迷信のために戦後最低の出生率を記録した年。しかもその前後に比べてこの年だけ30%近くの出生率減少。だから学校でも、学年のクラス数はいつも1つか2つ少なく、他の学年に対してなんとなく肩身の狭い思いをして過ごした。人数が少ないから失敗しても被害が少ない、と文部省の官僚が考えたかどうかは知らないが、新しい教育制度ができるとまず「丙午生まれ」から実施され(都立高の入試科目が3教科から5教科に増えたり、「ゆとりの時間」が導入されたり)、その中にはすぐ消えていった訳のわからない「教育実験」も(少なくとも東京では)色々あった。高校のとき先生が「丙午はダメな奴が多い」と嘆いていたが、同い年の友人は「それは我々が数々の教育実験の犠牲にされたからだ」と力説していた。まあこれはダメ人間の言い訳かもしれないけど(笑)。

中学1年のときに『3年B組金八先生』が大人気。でも、中2になったら『1年B組新八先生』、そして『3年B組金八先生2』が大人気。やっと中3になったら、今度は『2年B組仙八先生』のフェイント攻撃。まさか人数が少ないから視聴率がとれない、と制作側が意図的に無視したわけではないと思うが。高校時代には「オールナイトフジ」が始まって女子大生ブーム。それを観ながらチャラチャラした大学生活に期待してたのに、大学に進んだ途端「夕ニャン」が始まって今度は女子高生ブーム。唯一の心の慰めは、初期のおニャン子のメンバーの多くが、実際には女子高生でもなんでもなかったことぐらい(笑) −なんてアホなグチを言えばきりがないが、一方で「丙午生まれ」には功罪相償う部分もあった。まず、人数が少ないので皆わりとのんびりしていた。そしてバブルの恩恵を、おそらく他のどの世代よりも受けた。僕と同じ年に生まれた人間は、1980〜90年にちょうど14〜24歳だったわけで、バブルの盛り上がりとともに青春時代を過ごした。もちろん就職はいつも超買い手市場。もっとも僕はその前に横道に逸れてしまったのでその恩恵にはあずかれなかったが。いずれにせよ、「丙午生まれ」は、不思議な連帯感があったりもする。佐伯啓介じゃないけれど、「まだ充分間に合う」年齢でもある。そう、丙午の「僕たちの時代」だって、まだ終わってないぞ。中国共産党を見ろ(オイオイ)。

1999/10/12
今週は更新なし。またテレビネタに逃げるのもなんだし(笑)。ところで、今は回し系以外でもアナログレコードが人気らしい。アナログの新譜がCDと並んで店頭に出ていたりするのだから、流行って不思議。周知のごとく、'80年代前半にCDが実用化されると、従来のLPは予想をはるかに上回る勢いで駆逐され、EPの方もCDシングルの登場とともに一気に市場から後退。かくしてアナログレコードは、ちょうど深津さんがデビューした'88〜'89年頃を最後に完全消滅の憂き目を見る。高校時代にバイト代のすべてをつぎ込んで組んだ自作プレーヤーが自慢だった僕にとって、この事態には閉口した。CDは高かったし、坂本龍一のように持っていたレコードをすべて庭で割ってしまうようないさぎよさもあいにく持ち合わせていなかったので、殆ど意地だけで新譜でもアナログ盤が買えるうちは買っていたのだけど…。帰国してみたら自慢のプレーヤーは実家の倉庫に放り込まれていて、SMEのトーンアームが見事にひん曲がっていたのには参った。それでもアナログ盤の復活は嬉しくて、早速新しいカートリッジを買って取り付けてみたら、まだちゃんと音も出る \(^_^)/ 僕は別にコレクターでもないし大した音楽聴いているわけでもない。デジタル音と比べてアナログの音質はどうこうという議論も今更馬鹿らしい。でも、僕はアナログ盤の大きいジャケットがやっぱり好きだし、ターンテーブルの上でくるくる回るレコードをじっと見ていると、なぜかすごく落ち着くんだな。で、取り敢えず最初に買ったのがCoccoのアナログ盤アルバム(苦笑)。しかし、この詞はハマる。
1999/10/04

金曜日に放映された『抱きしめたい!』のスペシャル版。十年以上前にやっていたこのドラマの本編、観ていた気もするのだが、もしかしたら観ていなかったのかもしれない。あの時期のドラマは、今となってはどれがAでどれがBだったのやらさっぱり思い出せない。だのに、なぜか懐かしさに襲われてこの「スペシャル版」を観てしまう。そんな後ろ向きの自分が可笑しくて、思わず笑ってしまう。でも、浅野温子はやっぱり『スローなブギにしてくれ』のときが一番好きだったな。高校生ながらに憧れたもんなあ…(遠い目)

深津さん、携帯持ってないのか。よかった、僕も持ってない(だから?)。もっとも僕の場合は維持費を払うのがキツいからだけど(苦笑)。

1999/10/02
おぉ、いつの間にかトップページのアクセス数が12,000越えてる。しかも、トップページだけ(笑)。きっと、検索でFilezとかCrackzがひっかかって迷い込んできちゃう人もいるんだろうな。ごめんね、全然関係ないページで。最初1万をヒットしたら記念にMPEGでもアップしようと考えていて、友達にファイルまでつくってもらったんだけど、予想以上に大きくなってしまって結局アップする鯖も時間も見つからなかった。20,000のときには何かやりたいので、面白いアイデアがあったら教えてね。あっもちろん法律に抵触しない範囲でね(笑)。
1999/09/26

まだ『彼女たちの時代』最終回の余韻が残っている。それにしても深津さんのウエディングドレス姿、綺麗だったねー。そこばかりもう10回くらいビデオ観ちゃったよ。でも、なんとも切ない気分になってしまうのはなぜだろう…。

ところで、深津ファンのくせに、実はあの3人の中でキャラクター的に一番好みだったのは中山忍の演っていた役だったりする。女性から見てどうなのかはわからないけど、男から見ると「次子」ってやっぱりいじらしくて可愛いよね。「深美」は家族とのシーンが多かったせいか、ちょっと自分の妹なんかとオーバーラップしてしまった(^^; 細かい描写がやたらリアルで、つい画面に向かって、おいおい、食べたあとの食器の後片づけくらい自分でしろよ、とかツッコミを入れてしまったり。26歳・会社勤め・親と同居の女の子って、どこもあんな感じなのかなあ(苦笑)。

1999/09/23
(この日の「たわごと」、『冬の思ひ出』に移動)
1999/09/20
今週はネタがないのでアイドル話でお茶濁し。興味ない人は読まなくてよろしい(笑)。深津さんにちょっと遅れてデビューした'80年代型アイドルの最後のひとりに島崎和歌子という子がいた。彼女の仕事で僕が覚えているのは、高田みづえの「南南西」のリメイクと印象に残らないアイドル歌謡数曲を歌っていたこと、『魔法少女ちゅうかないぱねま』という前衛的子供番組と『乙女物語』というB級アイドル映画の主演をしていたこと、『東京イエローページ』の後期Page7のメンバーだったこと、あとドラマやバラエティーにちょこちょこ出ていたことぐらいだが、時期を考えれば画面への露出度はかなり高かったほう。ショートカットとキリリ眉毛に弱い僕は、結構この子が好きだったんだな(あっもちろん深津さんみたいにハマりはしなかったけど(笑)。で、先週新聞のテレビ欄を見ていたら、その島崎和歌子が火曜日の『徹子の部屋』に出演しているのに気づいたので、思わず録画して観てしまった。顔が以前より膨張したような気がするが、それ以外ちっとも変わってないなあ。畳み掛けるような喋り方も炸裂するような大笑いも、おまけに話の内容まで、十年前とまったく同じぢゃん(笑)。ここまで変わらない人も珍しいと思うけど、実力も(一部)熱狂的なファンももっていた“姫”こと姫乃樹リカすら消えてしまったことを考えれば、ほんと、継続は力だ。デーブ・スペクターごときメディア界の寄生虫(又はコウモリ男)が何をほざこうと、まだまだ彼女には頑張って欲しいです −とか言いつつ、実は最近の仕事よく知らないんだけど(笑)。日本に帰ってきてから、深津さんの出てる番組以外ほとんどまったくテレビ観てないので…って言うか、みても全然わかんないんだもん、まさに「習慣は万物の王」。ということで、アイドル思い出話でした。
1999/09/12

とってもありがちな書き出しになってしまうけど、今年の夏も終わり。記念すべき「1999年の夏休み」の一番の思い出が、秩父の山奥で生き埋めになりかかったことだったのは少々不本意ではあるけれど(苦笑)。僕が学生時代を過ごした'80年代は、『なんクリ』に始まり『気まぐれコンセプト』まで、「年中イベントの過し方」のマニュアル化が完成された時期。で、そういう過し方をできない奴は人間失格、みたいな。あの深津・牧瀬のJR東海クリスマスエクスプレスの名CMシリーズだって、基本的にはこの潮流に沿ったものだった。きっと羽村深美だったら「私はあれが嫌いだ」って切り捨てるところだろうが、そうは言ってもどこか「このままでいいのか」ってアセってしまうのと同じで(シチュエーション全然違うけど)、“ひと夏の思い出”なんてバカバカしい、と斜めに構えてみても、なんにもないとやっぱり淋しい、みたいな気持ち、心のどこかにありません?あ、「30過ぎたオヤジが何言ってんだバカ」って突っ込みは無しね(笑)

それでも、忙しくてアパートに缶詰めになっていた去年の夏よりは良かった。何より、夏になると暑くなり、今度は秋に向かって少しづつ風の匂いが変わってゆく、という当たり前のようなことが妙に心地よい。昼の長さが極端に違う以外あまり季節感がないところに長く住んでいたせいか、ゆっくりと、でも確実に移り変わってゆく季節というものが、嬉しい。「燃える太陽も花も大きな木も見える」窓から、ぼんやり外を見ていると、そんなことを感じます。

1999/09/03

ふう。ずっと空白だった「夏」のページがやっと立ち上がった。『冬の思ひ出』は「熱い語り」だと読んでくれた人々に評されたので(そんなに「熱い」かなあ (^^;)、『夏のスクリーン』の方はもう少し冷静なものになる予定。でも、映画やドラマの中の深津さんを見ていて果たしてどこまで冷静でいられるか、難しいところ(笑)。それに過去8年のドラマのビデオも集まってないのに、「あまり取り上げられていない作品の紹介」だなんて、ちょっと無謀な企画だったか!?

ところでこのページ、深津さんのファンページなのに、どこにも彼女のプロフィールが書いてないのに最近気づいた。まいっか、どうせみんな知ってるだろうし(オイ)

1999/08/22

もうひと月ほど前になるが、作家の光瀬龍氏が亡くなられた。SFは好きというほどは知らないが、中学の頃に読んだ『百億の昼と千億の夜』はやはり衝撃的だった。そのあとがきで、氏はこんな風なことを書いていた。芝居が終わったあと、役者たちが舞台にぞろぞろ居並んで観客におじぎをするのは好きではない。その途端せっかくの感激は汐が引くように消え、心は現実に立ちかえってしまう。だから好きな俳優の芝居を観に行った時は幕が降りたらすぐ席を立つ、と。この気持ち、わかるなあ。テレビドラマとはいえ、宣伝のために出演者をそろってバラエティー番組に出したりするの、勘弁して欲しい。やはりひと月ほど前の番組の話だけど。

『百億…』といえば、光瀬龍の小説と同じくらい有名なのが萩尾望都の漫画。話のスケールがあまりにも大きすぎるためか、未だ映像化されたことはない(と思う)。迂闊に映像化して欲しいとも思わない。でも、深津さんが過去に出演した映画・舞台には萩尾望都原作のものが結構あるし、いつか深津絵里出演で『百億…』も映画化されないかな、なんて思うこともある。当然深津さんの役は、今まであまり演じたことのないタイプの阿修羅王、と言いたいところだが、それは年齢的にちょっと難しいか。でも、阿修羅王ってそもそも何歳なの?やっぱり10万15歳とか…って、それじゃデーモン小暮か。

ところで昨日『きらきらひかる・2』再放送してたのか。その時間に『虚無への供物』のビデオ観てて、全然気づかなかった僕って… (^^;

1999/08/16

久しぶりに秩父にキャンプに行った。秩父はセメント工場も多いが美しい自然も多い。秩父の大滝村は『ステイ・ゴールド』の撮影にも使われた場所。今回行ったのは大滝村ではなかったが、同村のあたりは十代の頃キャンプに来ていてそれなりに思い出も多い。キャンプだけでなく、車を飛ばして彼女と徹夜で星を見に来たりと(星が綺麗なんだよ)、今思うと恥ずかしいほどクサいことをした記憶もある(笑)。でも、僕が今でも『ステイ・ゴールド』を大好きなのは、そういう色々な思い出にも理由があるのかもしれない。

しかし今回のキャンプは地獄だった。大雨による関東周辺の災害がニュースで報じられているが、秩父の山でも『ステイ・ゴールド』のシーンにあった嵐なんかメじゃないほどの豪雨と雷が三日三晩続いた。がけ崩れや土砂崩れで道という道が塞がり、帰りたくとも山を降りられない。あたり一面がすべて川と化す中、一時は本当に遭難するかと思った(汗)。一日遅れでなんとか帰ってこられたから、こうしてこれを書いているのだけど…ああ体痛え。

1999/08/11

いつぞやの番組で深津さんが食されていたどら焼き。僕もあの手のものには目がない方なので、買ってこようかなあ、と思っていたら、大阪から遊びに来た友人が「阪神タ○ガース蒸しどらやねん」なるものを土産に持ってきた。虎模様の箱に入って賞味期間が1ヶ月もあるので嫌な予感はしたが、やっぱり青島氏の「都庁プチケーキ」並みの味(って、プチケーキ食べたことないけど)。しかし関西では、クリームのはさまったスポンジケーキを「どら焼き」と呼ぶのか?(笑)まあ、そもそも僕が大阪に行ったとき、嫌がらせに東京駅の雷おこしを持っていったのだから、文句を言えた義理ではないが。ちなみに「タイ○ース蒸しどら」と一緒に貰ったのが、サ○ガリアの「さりげなくメロンミルク」。ていねいに「牛乳にマスクメロンの味わい」という副題までついているが、このドロっとした緑色の液体は未だ口をつける勇気がない。

そんな食べ物の話って、罪がありませんよね

明日からお盆でキャンプに行きやす。ということで、次回も「たわごと」以外は更新できなさそう (^^;

1999/08/07

新ページ『夏のスクリーン』を書くために昔の深津作品をちょこちょこ観なおしている。が、なかなか思うように進まない。日本を離れているあいだ、所持品を置いてあった実家が改築してしまい、帰ってきてみたらビデオテープは全部巨大な段ボール箱の中でグチャグチャの状態。ラベルがついてないやつなんか、何を録ったのやらさっぱり覚えていない。仕方がないから早送りで端から中身を確認している。そう言えば、『踊る大捜査線』にもこれと似た場面があったような…。でも、さすがに『東京ラブストーリー』のビデオはないぞ。

そうしたら『満月のくちづけ』のビデオが出てきた。懐かしくてつい観てしまったのだが、これがまずかった。エンジンが苦しくなるので僕は車のエアコンは入れないのだが、日本の夏は久しぶりだし、こうクソ暑いと運転していて次第に頭がボーッとしてくる。そうすると草むらでスケッチをするセーラー服の「高原里絵」が幻のように目の前をちらつき始める。振り払おうとしても幻は離れず、あの微笑みに僕の意識は呑み込まれそうになる。僕はだんだん危ない人になりつつあるのだろうか。それともただのオヤジになりつつあるのだろうか。まさか、危ないオヤジ…?もっとも、このままでは事件を起こす前に事故を起こしそうだが。

1999/08/01

先日深津さんが過去に出演したバラエティー番組やCMのビデオ上映会に行った。'91年以降の映画・ドラマ以外での彼女の活動を知りたかったのもあるが、現在の深津ファンというのがどういう人々なのか、なんとなく興味もあった。ビデオには'91年以降の番組はもちろん、それ以前のでも見た覚えのないもの(「ふかつ塾」の「講義」とか山下公園のビデオクリップ撮影とか)があって感動。参加者の中には、このページを読んでくれている、という人もしっかり居て、気恥ずかしくて汗をかきまくってしまった。それでもこういう反応があると励みになる。あまり更新できなくてごめんなさい。でも、芸能ネタのオフ会に参加するのははじめてだったけれど、アングラ系のオフより緊張するということに気づいた(笑)。主催者の皆様、お疲れ様でした。

◆メールを下さった皆様、ありがとうございました。すべてレスをしていますが、もし「届いてない」という方がいましたら御一報下さい。

1999/07/24

カーラジオでTUBEの新曲をふと耳にして、思わずこのことばが頭に浮かぶ。

「継続は力なり」(笑)

でもよく考えてみると、これは深津さんにもかなり当てはまるような気がする。彼女にはこれからもずっと、今までどおり自分のペースで女優活動を続けていってもらいたいなあ。あ、もちろん前田亘輝さんも頑張って下さい(笑)。

車に乗り始めて今年で15年目。欧州でますますコンパクトハッチバックにハマった。日本でも、いつの間にかイタフラの小型車が随分増えていてなかなか楽しい。それに混じって左ハンドルのイギリス車だとかガンメタのフィアット500(レプリカ?)だとか不思議なものも走っているけど。学生は夏休みに入ったらしく、そのためか昨日の渋滞はひどかった。しかしRVだかSUVだかしらないが、コゾウがバカでかいオートマ四駆を都内で乗り回すんじゃない!志が低いぞ!あっ、なんか俺すげえオヤジっぽい…

1999/07/18
うっうっ…先週は忙しくて、何も更新できなかった(泣)。昨日は渋谷に『1999年の夏休み』のレイトショー観に行っちゃったし。『1999年…』をスクリーンで観るのは10年ぶりぐらいだったけれど、やっぱり「今年」は特別だからね。金子監督の挨拶も面白かったし、吾妻ひでおの漫画に出てきそうなあの機械の数々、何度見ても好き(笑)。それにしても、僕のページって画像も背景も無くて殺風景だな。でも、画像やJavaをオフにするとちゃんと見れないページはどうもイヤ。あと、256色で表示すると色が飛んで真っ白になっちゃうページとか(笑)。今週は何か更新するつもりなので、ここを見捨てないでね。
1999/07/11

あれ、急にトップページのアクセス数が上がってる。やっとヤフーに登録されたせいだろうか。http_referrerのログ取ってみたいけど、幸福都市、メールも飛ばせないんだよね。読んでくれてる人いるのかなあ、ロボット以外で(笑)。

新番組『彼女たちの時代』開始をよそに、'91年で切れてる僕の「空白の深津絵里」を少しづつ探し続けている。一番最近観たのが、既に五年以上前に放映された『この愛に生きて』。ドラマの感想は、近々追加予定の新ページ「夏のスクリーン」の方に書きます。

1999/07/05

『きらきらひかる・2』にちょこっと出ていた「初瀬かおる」という女優、川越美和だったのか。彼女は深津さんと同じ九州出身、同い年でデビューも同時期。既成型アイドル受難の時代だったとはいえ、う〜ん…。深津さん、女優業に専念しててよかったね。大きなお世話か。

川越美和といえば、十年位前に深夜放映していた『東京イエローページ』のPage7が一番印象に残ってる。『東京イエローページ』には深津さんも出たことがあったらしいのだが、実はその回、観ていない。芸能情報に割と疎いとはいえ、ファンとしては失格かな。でも彼女、竹中直人ビシバシステムと一体どんなやり取りをしたんだろう。う〜ん気になる。
◆追記:「ビシBAR」出演ではなく、単に歌のビデオクリップが流れただけだそうです(情報提供:のりてんさん)

1999/06/28

'80年代の中坊と浪人生のアイドル、渡辺美里のライブのCMをテレビで観た。別に好きでも何でもなかったのに、まだ活動していたのか、と妙に感動。しかも音楽センスがまったく変わってない(笑)。あれじゃ新しいファンとかあんまりいなさそう。やっぱりライブに行くのも、20代後半から僕ぐらいの世代が多いのだろうか。このままファンと共に歳をとっていって、永ちゃんみたいになって欲しいものだ(笑)。

今まで知らなかったんだけど、深津絵里さんと爆風スランプ、事務所が同じなんだね。だから昔サンプラザ中野と討論イベントに出たりしてたのか。学生時代好きだった、「週刊東京少女A」や「たいやきやいた」。江川ほーじんが抜けて冷めてしまったけど。最近解散したって、ほんと?

1999/06/22
そう言えば幸福ってバナー貼らなくなったのかな。CGIが相変わらず使えないのは痛いけど。でもFIBERIAは広告大き過ぎ。CGI/SSI使用可、バナーなし、審査・検閲なしの無料WEBサーバをご存知の方がいましたら、ご一報下さい。ついでにPort 25が使えたりしたら完璧。そんなのないか…

■サイト開設のおことば

まさか、こういうページを作ってしまうとは。おまけになんて安易なタイトル(笑)。でも久しぶりに帰ってきた日本では、盗聴法案が国会で成立し、割れ物系やMP3系のサイトが摘発され、中高生がIPまる出しでハッキングする世の中になっていた。話題になるのは、ただのネット犯罪ばかり。もはやネットにアングラ精神は死んだのか。それなら、いっそこういうのほほんとしたページもまたいいかも。

そういうわけで(どういうわけ?)このページは、デビュー以来僕が応援し続けている唯一の芸能人、深津絵里さんに捧げます。僕のマシンは古くて遅いため、画像も枠もない軽いページになっています(画像のみをお探しの方はこちらへ)。あまり有益な情報もありません (^^;



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−1999年の「深津絵里」 暦の頁−