謡蹟を訪ねて(その5)

隅田川ゆかりの地

上の写真は東京都を流れる隅田川、能「隅田川」の舞台です。撮影場所の近くに、この能の子方梅若丸の塚があります。ある年の3月15日、隅田川の渡守は、都から下ってきた狂女に船賃として舞いを所望します。狂女は在原業平の古歌を引きつつ狂い、乗船します。向こう岸から聞こえてくる念仏の声のいわれを渡守が船中で説明します。それによれば、去年の3月15日に人買いにさらわれてきた子どもがこのあたりで息絶え、今日が命日なので大念仏が行われているとのこと。狂女は死んだ子が自分の息子ではないかと思い、渡守に今一度いきさつを訊ねると、まさにわが子梅若丸で、彼女は泣き伏します。塚に案内された彼女が念仏を唱えると、少年の亡霊が現れ、駆け寄って抱こうとしますが、亡霊は消え失せます。この能は世阿弥の息子元雅の作品です。世阿弥の物狂能は一般にハッピーエンドですが、元雅はその枠組みを破ったことで注目されています。


「隅田川」にはいくつかのヴァリエーションがあります。ワキツレは船客のひとりですが、彼を都の者としているテキストと東国の商人にしているものとがあります。また、世阿弥の『申楽談儀』中の「子方問答」も有名です。世阿弥は子方を登場させない方がよいと元雅に意見しました。元雅は子方を使うべきだと主張します。結局世阿弥は「して見てよきにつくべし」(やったうえで、よい方に決めればよい)という結論を出しました。現在でも子方の有無は問題になっています。芥川龍之介が見た櫻間金太郎の「隅田川」では子方は使われませんでした。戦後の学生能では、子方が出てきたら観客が笑い出したこともあったといいます。最近では、今年(平成15年)の3月に、橋の会による「隅田川」の2日間公演(シテ友枝昭世)が行われ、初日は子方が登場、2日目は子方なしの演出でした。

子方なしでも、大きな作物がおいてあります。子方なしなら、小さめの柳でもよいし、いっそのこと作物なしでもよいのではないかという意見もあります(三宅晶子「いま読み解く能<隅田川>」『能と狂言』2、2004年5月)。この文章で三宅は、上に紹介した友枝昭世の上演について述べています。 ← 2004年8月11日加筆






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