平安時代の末期、伊豆の武士たちのあいだでは複雑な所領争いが繰り広げられていました。工藤祐経(くどうすけつね)は伊東祐親(いとうすけちか)に謀られて所領を奪われてしまいます。祐経はその報復に、伊東祐親、河津三郎(かわづさぶろう)父子を殺そうと刺客を放ちました。刺客の矢は河津三郎に命中し彼は落命しました。
河津三郎の未亡人はふたりの子どもを連れて相模の曽我祐信(そがすけのぶ)のもとに嫁ぎます。このふたりの子どもが曽我十郎祐成(すけなり)と曽我五郎時致(ときむね)です。父を失ったとき、兄十郎祐成は5歳、弟五郎時致は3歳でした。
さまざまな苦難を経た末、兄弟に父の仇工藤祐経を討つチャンスがめぐってきました。建久4(1193)年、源頼朝は富士の裾野で巻狩りを行いました。巻狩りとは勢子が山の上の方から鹿や猪を追い出し、下の方で待ちかまえた武士たちが獲物を射るものです。単なるレクリエーションではなく、軍事演習を兼ね、有力な家臣その他の御家人たちが大勢参加する政治的デモンストレーションでもありました。兄弟は巻狩り期間中の工藤祐経の宿所を探りあて、警備が手薄な時間をみつけました。5月28日の夜、兄弟は祐経の宿所に忍び入り仇を討ちました。苦節18年目にして本懐を遂げたのです。
やがて周囲の武士たちが兄弟に斬りかかり、十郎祐成は討ち死にしました。五郎時致は剣をかいくぐって頼朝の宿所に突進し、頼朝の側近に捕えられました。翌日尋問が行われ、頼朝は五郎が勇気ある武士だということで許そうとしましたが、祐経の子の嘆願により処刑されました。
エピソードその1
エピソードその2
エピソードその3
仇討ちの背景
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