酒呑童子の来歴

日本の鬼の交流博物館。大江駅から車で15分
(丹後・丹波国境の大江山)
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丹波・山城の国境
(丹波・山城国境の大江山)

酒呑童子の来歴にはいくつかの説があります。

(1)シュタイン・ドッチ説
 フランドルの貴族で冒険家シュタイン・ドッチが宋からジパングに渡ろうとして丹後に漂着、山賊の頭目になったという説です。シュタイン・ドッチが訛って酒呑童子です。
(2)越後生まれ説
 酒呑童子は越後生まれで、その地の山寺で稚児として育てられました。それが殺人を犯し、諸山を転々とするうちに、鬼になったという説です。この説のなかには、童子は3年間も母の胎内にあったというのもあります。
(3)近江生まれ説
 近江の国井口の住人須川殿の娘玉姫の子であるという説です。出雲の国のヤマタノオロチがスサノオに追われて近江の伊吹山に逃げてきて、山の神として祀られていました。この山の神が玉姫に生ませたのが酒呑童子だという説です。
(4)疱瘡神(猩々)説
 前近代の疾病中、最大の脅威は天然痘(疱瘡)でした。これをはやらせる鬼神が酒呑童子の原像だという説もあります。そして、疱瘡が患者のからだを赤く変えることから、酒を飲み、つねに赤面している猩々が連想されました。

博多人形の猩々

上記の(2)(3)の説については、次のような見方もあります。すなわち、酒呑童子は京都の人々にとっては極悪人です。しかし、酒呑童子にしてみれば、自分たちが昔から住んでいる場所を追われたのであり、仏教の僧、武将、陰陽師、そしてその中心にいる天皇こそが、征服者であり極悪人であるという考え方です。

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