謡蹟を訪ねて(その6)

清経ゆかりの地

上の写真は大分県柳ヶ浦、能「清経」ゆかりの地です。清経は平家の武将平清経のことで、清盛の孫、重盛の三男にあたり、笛の名手でした。寿永2(1183)年、豊前国柳が浦で笛を吹き念仏を唱えて入水しました。入水後、都に残る妻のもとを、清経の家臣淡津三郎が訪れ、清経の死を報告し、その遺髪を届けます。妻は、生死をともにせんとの約束を守らなかった清経を恨んで遺髪をつきかえし、悲しみの床につきます。その枕に清経の亡霊が立ちます。亡霊は入水の経緯を説明します。源氏に追われた一門がすがる思いで宇佐神宮に詣でたが、神託は冷たいもので、神仏にも見放されたかと絶望し、生きる力を失い海に身を投げた様子を語ります。やがて修羅道の苦患(くげん)が清経を襲いますが、念仏の力で成仏します。「かかりける所に、長門の国へも、敵向ふと聞きしかば、また船に取り乗りて、いづくともなく押し出す。心の内ぞあはれなる。げにや世の中の、うつる夢こそまことなれ。保元の春の花、寿永の秋の紅葉とて、ちりぢりになり浮ぶ、一葉の船なれや。柳が浦の秋風の、追手顔なる跡の波、白鷺の群れゐる松見れば。源氏の旗をなびかす、多勢かと肝を消す。」という入水の情景が美しい能です。ここでは、大分県の柳が浦(JR日豊本線柳ヶ浦駅付近)を紹介しますが、清経が身を投げた柳が浦は現在の北九州市門司であるという説もあります。詳しくは以下のサイトをご覧ください。
  http://www.fcb.co.jp/bunka/hakata/dan/7.htm



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