「藤戸」のストーリー 倉敷川にかかる盛綱橋、馬に乗る佐々木盛綱の像があります。
源氏の武将佐々木盛綱(ワキ)は、敵将平資盛がたてこもった児島という備前の島に渡りついて先陣の功をあげました。その功により盛綱は児島を恩賞に賜りました。盛綱が領主として着任し、何か訴えることがあるかと土地の者にたずねると、中年の女(前シテ)が現れて泣きます。女は、わが子を海に沈められた恨みを申しに来たといいます。盛綱は知らぬことにして押し切ろうとしますが、女の様子があまりに気の毒なので、真相を語ります。元暦元(1184)年、盛綱は児島に渡ろうとして土地の漁夫から渡り瀬を教わりました。盛綱はこの漁夫を通じて源氏の行軍の経路が平家に知れることをおそれ、漁夫を斬り殺し海に沈めました。女はわが子の死を聞いて、その沈めた海はどのあたりかと問い、その方を見て泣き、わが子を返せと盛綱に迫ります。盛綱はこれをなだめて、若者の死を弔い、遺族の生活を保障します。盛綱が管絃講というかたちで死者の霊を弔うと、漁夫の亡霊(後シテ)が登場し、恨みを述べ、刀で胸を刺された有様や、水に沈められた様子を演じて見せます。しかし、弔いを受け極楽浄土に行ける身となったといい、心をやわらげ成仏して去ってゆきます。
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