1927年 アメリカから日本へ12000体の人形が海を越えてやってきました。
当時日本とアメリカは「日本人排斥法」が通るなど悪化する一方でした。
それを食い止めようとしたのが、宣教師として20年間の来日経験を持つ
シドニー・ギューリック博士が始めたのがこの「友情の人形計画」でした。
アメリカの子どもたちから日本の子どもたちへ人形使節を送り、
まず子どもたちどうしの交流から平和を築こうと訴えたのです。
博士の提唱で260万人ものアメリカの子どもたちの協力により
送られた人形たちは、日本各地で子どもたちの大歓迎を受け、
お礼の心をこめて58体の「答礼人形(市松人形)」もアメリカに送られたのです。

第2次世界大戦は、人形たちにとっても苦難の時代でした。
多くは処分されたり行方がわからなくなったりしましたが、
戦後少しずつ再発見され、現在287体が残っていることが確認されています。

千葉県下に残る青い目の人形
青い目の人形

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