偉大な患者さん
村上 徹(平成14年12月)
偉大な医者というものは確かにいる。偉大な作曲家や画家がいるのと同じである。ハンガリーの産科医イグナツ・シーメルワイスやアメリカでフッ素化・この巨大なる矛盾」を書いたG・L・ウォルドボットは、この好例である。 (医学史上もっと偉大な医師は沢山いるが、ここでは触れない。)

こういう人たちの偉大さは、同時代人にはなかなか分からない。いや、分からぬどころか、新説を唱えたため却って迫害を受け、悲運のうちに一生を終えるのがむしろ普通である。ウォルドボット医師は毀誉褒貶が甚だしかっただけで、別に不遇というわけではなかっただろうが、それでも公的に名誉が回復するまでずいぶん時間がかかっている。

シーメルワイスは出産に伴う産褥熱が医師や助産婦さんの手や器具の不潔によるものだという大発見を行い、クロール石灰で手を洗うという簡単な消毒方法で、19世紀末当時25%にものぼっていた産婦や嬰児の死亡率を劇的に引き下げるという革命的な業績をあげたが、同時代の国内の医師界からは異端視され、理解を求めて当時の先進国ウィーンに乗り出したもののここでも迫害され、不遇のうちに逝去した。

私がなぜこんな事まで知っているかというと、以前学会でブタぺストへ行った時に、学会の世話役をしていたビヤ樽のように太った若い(といっても私より若いという意味であるが)病理学者に「シーメルワイスの事を知っているか」と尋ねると、先方は、この東洋人がまた何をいうのかといったあんばいで目を丸くし、「知っているどころか、お前こそ何でまたシーメルワイスを知っているのか。彼はハンガリー人の誇りの一つである。ハンガリーの医学生は、誰でも在学中に必ず一度は彼について調べて論文を書かされることになっているくらいだ。」と聞かされ、彼が教えてくれたシーメルワイス博物館を寸暇を割いて尋ねたという経験があったからである。
シーメルワイス博物館は、彼の生家を改造したものだそうだが、殆ど訪れる者もいないらしく、大声で呼んでやっと受け付けの人が出てきたくらいである。ここでも日本人がきたというのでびっくりされた。

しかし、私がここで述べようとしているのは医師のことではない。患者さんに関してである。医師に偉大な者がいるのと同様、患者にも偉大な患者がいるということである。Yさんはまさしくこの好例であろう。

Yさんは私よりはるかに若い方であるが、人生が最も希望に輝く25歳の婚約時代に咽頭部のガンにおかされ、一挙に絶望の淵に立たされた。今から30年近くも前のことである。
ガンはどこにできても辛い病気で、ときには難治なため患者の精神状態まで狂わせる事が多いのは誰でも知っているが、ことに顔面・頭頸部のガンは始末が悪い。しかし、Yさんは、この凶悪な病気を相手に決して屈せず、治療の全経過をつうじて一度も絶望しなかった。この事実がまず人並みではない。主治医が立派だったことはいうまでもないが、医師は患者の精神力まではコントロールできない。この強靱な精神力はYさんの天賦の才能だというべきだろう。ガン病棟とは、つい先日まで口をきいていた同室の患者が、次の日にはもう次々と死んでゆくといった環境なのはいうまでもない。

ガンの治療も今と当時とでは全く異なっているが、別に悲惨さが一変したというわけではない。Yさんは、こんな環境におかれて、早く死んでゆく仲間ほど満足に食事をとらないという事実に気がつくと、とにかく食べることが大切だと決心した。うまいもまずいもない。とにかく出された入院食を食べ残さない事を必死になって守ったという。
「あの努力は、とても私だったらできなかったでしょう」と看護にあたったフィアンセつまり現在の奥さんは、当時を回顧して私に語ったったことがある。このフィアンセの覚悟も半端ではない。天使のような人とはこういう人をいうのであろう。
こうした闘病が一段落した時に、Yさんは歯の治療を受けに私の診療室にお見えになったのである。

初診の彼を見て私は驚いた。顔面から上半身の皮膚は、放射線のためか焼けただれ、ひきつれて、まるで原爆症の患者のようである。口腔内を拝見すると、歯という歯はボロボロになっており、今だからいえるが、まるでお化けのようではないか。この間の事情を、Yさんは次のようにご自分でエッセイに書いておられる。

健康であるということ
− ある医学博士との出会い−

Y・K

今回は甲田医学について記す予定でしたが、その前にどうしても医師と患者の心のふれあいと信頼、『医は仁術』であるという事について、私の体験をお話し病める人の参考になればと思う。
私は群大入院時、目の下より胸上部にかけて、かなりの放射線を浴びている。その副作用で歯が固いせんべいを欠くようにボロボロと欠けてしまい虫歯になると大きく歯茎が腫れてしまう。早速市内の歯科医院に駆け込んでみたが、二軒とも放射線治療をしているのでは、ということで診療を断られた。(今考えると治癒能力が一般の人よりかなり低く、生命にもかかわるような大変な状態との判断からと思われる。)ほとほと困って当時私の担当医でいらっしゃった県立ガンセンターの境野先生(私の生命の恩人で現在もなおお世話になっている)に相談。元群馬大学医学部講師、現県歯科医師会常務理事、歯科衛生専門学校教授、群大西で開業しておられる医学博士、村上 徹先生を紹介していただき早速藁をも掴む思いで駆け込んだところ心よく診察して下さった。
診察室に入り、診療台に座った時の安堵、うれしくて涙したことを記憶している。初めてお逢いした時、先生は「このような時にこそ医師が必要であるのに」と一言おっしゃった。この一言の中に先生の生命への尊厳、患者に対する限りない思いやりと信頼をひしと感じ、正に『医は仁術なり』ということを体験した。独断と偏見かもしれないが病めるものにとって医師の存在は神以上のものであろう。病んだ時、私達は病院や医師を選ぶ。自分の生命を預けるのだから当然なこと。患者は医師を信頼し自己の病状を的確に伝え医師は仁術を持って事を処する。そこに両者の心のふれあいと信頼が生まれ生きる喜びが生まれるものと信ずる。
先生は一方で、世の洞察力に優れると共に、文学者としてのすばらしい才能をも有し、特に現代詩については「知的生活者としての詩人」という自著も出版されている程で道を間違われたのではと思う程です。今年も先生より年賀状をいただいた。現代の世相を如実に表し我々父兄としても思考するに十分価値あるものと確信し掲載許可を得た次第。

世のなかが
家のなかが
どのように辛くなろうと
−新年おめでとうございます                           お世話になった方々や遠く離れた友人に
僕らは今年もこの簡潔な言葉を述べる。

核の恐怖や政治の腐敗、医者の堕落に官吏の不正、それらを煽る言論機関というものの偽善を極めた猾さ、こすっからさ。
善夫賢婦たちは茶の間の片隅で放埒な思いに耽り、子供らはひそかに連帯し、非行に焦がれて親たちに復讐の刃をかざす。
ああ、
多端粉雑の一年は目の前をすぎ
また似たようなを朝晩がこれから一年続くとしても
−新年おめでとうございます
お世話になった方々や遠く離れた友人に、少々容を改めて
今日これだけの言葉を捧げる
昭和五十九年 元旦


正に人生の師であり、医師であり博学者たるところを認め得ないであろうか。

ひまわり・采女小学校PTA新聞・昭和五十九年三月二十六日づけ。)

一寸訂正させて頂くと、私は医学部で講師であったことはない。私は大学では終始学費を払う研究者の身分、つまり学生で通し、40歳まで学生証をもらっていた。月給を貰う身分になったことは一度もない。恩師から、かたじけなくも、ある大学の助教授に就任するよう勧められたこともあったが、心苦しく思いながらもこれは拝辞させて頂いた。私は勉強するのや教わるのは好きであるが、教える立場にたったり、官僚的な立場から言動を縛られたりするのはどうにも肌に合わない。要するにわがままなのである。

閑話休題−−。
さて、Yさんはその後奇蹟的に全快し、群大病院放射線科の名物患者となった。そして彼が定期検診のため病院に赴くと、その都度主任教授がめざとく彼を目にとめ、たちまちその場でYさんを材料に学生に臨床講義が始まるというような具合にまでなった。もちろん、焼けただれたような皮膚もすっかり普通になって、今では誰にもこの人がかつては生死の淵をさまよっていた患者であるとは思えない。
同大学を卒業して現在産婦人科医になっている愚息は、子供の時から彼に可愛がられたが、その伜が病院を飛び回るようになってからでも、Yさんは講義の材料になっていたらしい。よく伜が「おやじ、今日も00ちゃん(主任教授の愛称と知るべし)がYさんをつかまえて学生に喋っていたよ。」などといったものである。

こんな偉大な患者さんに出会えたという事は、私という一介の臨床医にとっては本当に幸せなことであった。Yさんのエッセイはもとより私にとっては過褒であるが、お礼は当方からこそ言わなければならない。

Yさんはその後順調にご自分の事業を発展させてゆかれたが、この闘病の経験は、彼の人生観に深い影響を与えたようで、経営が軌道にのると、営利の方は徐々に人に任せ、ご自分は、居住している小さな自治体の学校の生徒とニュージーランドとの留学生の交換を図る国際交流のボランティア活動に情熱を注ぐようになった。そして時々、同国の高校生やら教師やら父兄やらの外人をつれては私の家においでになる。

Yさんは英語は一言も喋れないといって差し支えない方であるが、見ていると、どの外人とも意思の疎通にはそんなに不自由はなさそうである。これにはびっくりさせられた。ある時はYさんたちの主催した会で、私はニュージーランドの駐日大使にまで会わされたが、ここでもかえって大使とニュージーランド人との間の方がギクシャクしていたような感じですらあり、Yさんはそんな人たちの間を平気で飛び回っていた。心の垣根をたちまち取っ払うという能力がどこから来るのか、私などにはとても真似ができない。
私が五十歳をすぎてから乏しい英語力を元手に外国の研究者らと交流し出したのは、Yさんの影響もある。通訳の専門家でない以上、英語は下手でも差し支えない。要するに、コミュニケートしようとする心が第一なのである。
一旦、そう覚悟すると、勢いというものは恐ろしいもので、私などは最近では臆面もなく外人科学者の講演の同時通訳までかってでることもある。人間という生き物は、動機さえしっかりしていれば何だってできる、と思っていた方が万事成果があがるといえそうである。第一、その方が楽しいではないか。

ただ、残念な事が一つある。
偉大な医師や科学者が顕彰される機会は色々あるが、偉大な患者を顕彰する機会は、今の所一つもないという事である。
医療という仕事は、医療者と患者とが共同して行う人間の営為である。そうである以上、よき医療者と同時に、よき患者という存在も積極的にも世間に知らせ、顕彰してゆく必要があろう。医療者が世間のためになるとすれば、患者だって、その生き方で世間を啓発し人の心に感動を与えるのである。それにそもそも、よき医療者とは、よき患者あってこそ育つのである。それなのに医療者の行為だけが顕彰の対象となり、患者が一方的に被害者のような立場におかれるのはいかにも片手落ちすぎる。
この点何かよい手だてを考えなければ、医療の事情などますます込み入って厄介至極な状況に陥りはすまいか、じつはひそかに心配しているのである。


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