星を継ぐ巫女(9)
デュラハンとなって彷徨っていた騎士がかつて仕えていた王国、バージニア。
かの国はすでに滅んで存在しない。
直接の原因は天変地異だったと言われている。
隣国ウォルスの歴史書に、一世紀前の不可思議な事変についての記述が残っていた。
その日、バージニア領を中心とするクシュファ大陸で巨大な地震が発生した。
ウォルスでは建物が倒壊して大勢の人が生き埋めになり、カーウェンでは大津波が発生して百人近くが波に攫われた。
そして山々に囲まれたバージニアでは。
大規模な土石流が発生した。
地域特有の雨季の時期が重なり、国が丸ごと泥に呑まれたという。
百年経った現在、考古学者たちによって遺体や建造物などが発掘され続けており、
カスティリオーネ大陸の滅びの街ゴーンに次ぐミステリースポットとなっている。
エル・パトリックは懐から折り畳まれていた小さな紙を取り出す。
それをチョークで描いた魔法陣の上に広げ、持っていた聖水を振り掛けた。
ファリスとマリアが見守る中、エル・パトリックの指が静かに印を組む。
《水》から始まり《火》と《霞》を回り、《聖》の印で止まった。
じわり、と。
紙に文字のようなものが浮き上がる…いや、炙り出されるという表現の方が妥当かもしれない。
文字が刻まれるたびに細い煙が立ち昇り、傍目にも紙は熱を持っていることが知れた。
「天空城?」
ファリスはマスタードをつけた保存用のソーセージを咀嚼しながら聞き返した。
胡散臭げな視線を向けられ、エル・パトリックが片眉を上げる。
手には先程の紙…呪い粉を混ぜた特殊な魔法紙だ。
魔道士が魔法陣や水鏡、あるいは火を介して暗号を送る時に使われる。
エル・パトリックによると、星の神殿のヘンリエッタとミルフィーユからのものだという。
マリアが三つ目の《宝珠》を取り込んだことで再び水鏡の覗くことが出来る刹那が訪れ、内容を知らせてきたのだ。
「ミルフィーユ様の水鏡に出たそうです。…最後の《宝珠》は天空の城にあると」
「そんな城があるなんて聞いたことがない」
天を仰ぐ。
白けてきた空には雲ひとつなかった。
エル・パトリックと、やはりソーセージにぱくついていたマリアは顔を見合わせる。
「《ヴァルキリー》様がこの世界の方ではないというのは本当なのですね」
「…」
正確には『この時代の者ではない』である。
面倒だったので今更訂正しなかった。
「天空城の存在はここ十数年で信憑性を帯びてきた話ですよ。考古学者たちも真剣に議論しています」
「人の目では見えないと聞きました。よほどの能力をもった魔道士でないと感知することができないと」
悲劇の国バージニアの発掘作業を続けるにつれ、学者たちはある事実に気付いた。
周辺国の歴史書にはっきりと記載され、間違いなく存在するはずのものがどうしても見つからないのだ。
バージニア王国のシンボル、バージニア城。
別名『青紫(あおし)の城』とも呼ばれ、
ライラックタイルによって彩られた歴史上珍しい寒色(青系の色のこと)が主体の城であったという。
バージニア領の鉱山からは青色の鉱石シャーウィズが大量に取れた。
現在こそ希少で価値が高いものの、当時のバージニアでは建造物や工芸品に多用されていた。
三百年前の王イーリスはこのシャーウィズを贅沢に使ってタイルを作らせ、青い城を彩らせたと伝えられている。
「三百年前の天変地異もバージニア城が天に昇った時の影響ではと言われています」
「だれが?何のために?」
「そんなことは誰にも分かりませんよ。城中にいる、動かした本人に聞くしか…」
「どうやって見つけて乗り込む?飛竜もないのに」
たとえ飛竜を持っていたとしても、城がある場所まで辿り着けるのか疑問なところだが。
「場所に関しても指示がありました。これから私の魔法で移動しましょう。問題はどうやって乗り込むかですね」
「それもあんたの魔法で何とかならないのか?」
「浮空の魔法はせいぜい二階建て分の高さまでです。現地で飛竜を調達出来ればよいのですが」
「飛竜に乗れるのですか?」
飛竜を話でしか知らないマリアは目を輝かせる。
どうとも応えられないエル・パトリックは曖昧に微笑んだ。
残りの《宝珠》はあと一つ。
早くもとの時代に帰りたいファリスもこの場で考えるよりは、とりあえず行動していたい。
さっさと腹ごしらえを済ませようと皿に残っていたソーセージを口の中に放り込んだ。
師と呼べるその男が死んだのは、弟子になってからちょうど五年後のことだった。
男は自分に愛情を示したわけではなかった。
むしろ予言で得た使命感に酔い、そのために自分を利用することしか考えていなかった。
だが物心ついて以来虐げられ続けた身にとって、
当たり前のように食事や着物、そして己の持てる技術を与えてくれる男は、少なくとも『他人』ではなくなっていた。
男が死んだ時、涙が出たわけではない。
しかし男の墓を作ってやろうという意識は自然に沸いてきて実際そうしたし、師弟関係を結んだ時に男が言っていた通りにしようと思った。
その日以来、彼は師の名を受け継いだのだ。
生まれ故郷を離れることはずっと前から決めていたことだ。
予言を信じていた師にもそう勧められていた。
しばらく困らない程度の金は師から生前渡されていたので、それを使って船券を買い、初めての海を見た。
新たな大陸に渡り、大きな街を回り、故郷の大陸では見たことがない魔物に遭遇した。
やがて賞金のかけられた賊や魔物を捕らえ、あるいは殺して金を得ることを覚えた。
その大陸に渡ってから一年半ほど経った頃、再び海に出ることにした。
そしてその船で、半獣の男と出会った。
「どこへ行くんだ?」
「ここではないところ…」
思っていたままを口に出したが、金の瞳をした半獣は馬鹿にした様子もなくそうか、とだけ呟いた。
どこか雰囲気が師に似てる、と思った。
「お前、名前は?」
「…」
風が。
通り過ぎていく。
「…」
「え、何かおっしゃいましたか?」
耳元の声に、ファリスは頭をゆっくりと上げた。
転寝をしていたようだ。
上半身を傾け、エル・パトリックの肩に頭を乗せた格好をしている。
またおかしな夢を見た。
エル・パトリックの様子から察するに、寝言でも呟いたのだろう。
「…悪い」
「構いません。マリア殿はまだ飛竜のところですよ」
視線の向こう側で、マリアが飼育の男と共に飛竜の子供を珍しそうに眺めている。
その横顔は、どこか愛しい彼に似ているような気がした。
ウォルスの北に位置するカラカスの町に着いたのは昼前のことだ。
フィフィリア公国とかの町は友好関係にあるので、連絡・移動用の魔法陣が教会の離れに用意されており、それを利用したのだ。
30年後には考えられない移動方法である。
「どれくらい寝てた?」
「20分も経っていませんよ。お疲れだったのでしょう」
エル・パトリックはファリスの頬に張り付いていた瑠璃紺の髪を払った。
その仕草がまるで恋人にするような甘いものだったので一瞬どきりとする。
エル・パトリックの双眸が真っ直ぐ向けられていた。
意識して見たのはこれが初めてだ…黄みの強い草色。
この甘い香りはコロンだろうか、頭の芯がぼうっと痺れていく気がする。
「あ、あの…」
「私も《ヴァルキリー》様にずっと憧れを抱いていました。かように美しい方だったとは」
「別に、」
視線を逸らそうとするが、草色の瞳に首ごとつかまれているようで動かせない。
口の中が酷く乾いている。
「寝顔も可愛らしかった」
「…」
「ファリス様…」
エル・パトリックの指がファリスの顎をやんわりと押さえる。
バッツと同じ銀の髪…。
「ファリス様!エル・パトリック様!」
マリアの大声に、ファリスは詰めていた息を吐き出した。
あれほど近くにあったはずのエル・パトリックの顔が、いつのまにか視界から消えている。
気のせい?
「どうしたんですか、マリア殿?」
「強くなっているんです、《宝珠》の気配が」
「そんな馬鹿な…」
焦りを見せるエル・パトリックの表情に、ファリスもようやく調子を取り戻した。
バッツと同じ髪色をしているから、顔立ちもいいから、柄にもなく見とれてしまっただけだ。
ぎゅっと拳を握り締め、地を蹴るようにベンチから立ち上がる。
「どっちの方角だ?」
三人は一度町の外に出た。
マリアが瞳を閉じ、体内にある《宝珠》と共鳴する気配を探る。
「あっち…南西の方角です」
指差された場所はカルビノ内海の上空。
静かな波に揺れる海面から、白い水蒸気が立ち上っている。
この地域ではよくある自然現象だった。
「間違いないのか?」
「はい、こちらに近づいてきています」
「マリアを目指しているのか…」
《宝珠》が一つに戻ろうとしているのかもしれない。
あるいは…。
「何も見えないぜ」
「バージニア城の表面にはシャーウィズ鉱石のタイルが使われていると聞きます。
簡単な呪術で空の色に溶け込ませ、人の視界に捕らえられないようにすることは充分可能です」
純度の高いシャーウィズ鉱石は魔法石としても使われる。
あらかじめ魔法の陣などを組み込んでおけるし、元の色が青なので空に似せるのは難しいことではない。
天空城の数少ない目撃情報は、大抵朝焼けや夕焼けに集中しているのがその証拠だった。
「マリア、どこまで近づいてる?」
「…」
「マリア?」
反応のないマリアに、ファリスは怪訝な目を向ける。
はしばみ色の瞳は見開かれ、首を逸らして視線を天に向けていた。
ゆらり。
頭上で。
陽炎が舞った。
「…まさ、か」
ファリスが喉をひくつかせる。
「いま、真上に…」
陽炎が濃くなる。
沸き立つように、淡い青が浮き上がった。
空の色よりやや深みのあるそれは、巨大で鈍重なフォルムを造る。
やがて白や赤、緑など他の色も見えるが、ほとんどは伝え聞いた通りのライラックタイルだ。
「何だこれ…」
「うそ、すごい…」
天に向かって垂直に視線を向けている三人に対し、現れた天空城もやはり垂直方向だった。
天地が九十度傾いている。
―――どうなっているんだ。
口から出たはずの言葉が、音となって出てこなかった。
身体に重力を感じない。
無音の白い闇の中にいるような。
ずっと耳鳴りがしている気もする。
身体への違和感に気付いた時には、意識が引きずられていた。
2010/09/07