星を継ぐ巫女(7)



 「剣術を教えてやる」
 そう男は言ったが、もちろん信じなかった。
 これまでの経験で無償の親切心ほど危険なものはないと思い知っている。
 ぎろりと睨んで敵意を見せ付けるが、男は動物の方がましな殺気が出せると哂った。
 「心配するな、下心はあるぞ」
 まるで自分の心を見透かしているようだ。
 今までこんな大人に出会ったことはなく、高揚と恐怖で鼓動が大きくなるのを感じる。
 男はそんな自分の様子に気付いているのかいないのか、飾り戸棚の上にある水晶玉に目をやった。
 「私はこのグラス・ナーゼで最高の剣技を習得し、それを我流で磨いて無敵のものとした」
 無敵…どれほどのものなのか。
 このように簡単に口に乗せることができるものであるのか。
 「私の水晶玉は、やがて《神》が人の形を借りてこの世界に舞い戻ると予言した。
 そしてその《神》はお前を通じて私の剣技を身に宿す。私の剣は《神》の剣となる」
 男は声は澄んでいて一切の感情を宿していなかったが、見上げた瞳はうっとりと熱を帯びていた。
 「小僧、名前はなんだ?」
 突然名を問われて面食らった。
 名乗るのは初めてではないかと思いながら、記億の中の母親が呼んでいた名を呟く。
 「…カミーユ、か。女のような名前だな」
 男はしばし考え込んでいたようだが、良いことを思いついたのか白い歯を見せた。
 「全てを習得した暁に私の名をやろう。そうだ、私の名は…」



 
 星空を潜り、空間を移動する。
 未だ未回収の《宝珠》が存在する場所に向け、マリアの中の《宝珠》は二人を異空へと飛ばした。
 そして。
 「…」
 視界が変わり、焦げたような空気の匂い。
 さらに、足に奇妙な浮遊感を感じた。
 「う…わあああぁぁっっ」
 足が地に付いていない。
 落ちる!
 自覚すると同時に隣にいたマリアを引き寄せるが、方向感覚が狂っているこの状況ではもがくしかない。
 視界も真っ暗だった。
 どうする…。
 どうする!?
 
 「レビテト!」
 
 「…っ」
 張りのある男の声がして、ファリスとマリアの体が見えない力で固定された。
 勢い余ってぐるりと一回転する。
 急転に次ぐ急転に呆然としていると、下方で「大丈夫ですか」とこちらを伺う声がした。
 ファリスは薄闇に目を凝らし、そして悲鳴を上げかける。
 「バ、ッツ…?」
 地面に叩きつけられるところだった自分たちを浮遊魔法を使って助けただろう男。
 …彼は、月の光を集めたような銀の髪をしていた。
 銀髪の男が操作する魔法によって、ファリスとマリアの体はゆっくりと地面に向かう。
 比例してはっきりしていくその顔は、当然ファリスの求めているものではなかった。
 …彼は未だにあの混沌の中。
 涙が出そうになり、慌てて腕の中のマリアへと視線を移す。
 彼女は例の移動の衝撃で気を失ってしまったらしく、硬く目を閉じて微動だにしなかった。
 「マリア殿、《ヴァルキリー》様」
 銀髪の男が歩み寄ってくる。 
 位が高いと分かる、聖騎士風の白い鎧を纏った若い男だ。
 剣士にしてはやや華奢な体つきをしているが、顔立ちは精悍で整っている。
 後ろ髪の一部だけを長く伸ばすというスタイルの銀髪は、癖が全く見えない艶のあるものだった。
 「マリア殿はご無事ですか?」
 「た、多分気絶しているだけだと思うけど…」
 「この気付け薬を…」
 男が懐から小瓶を取り出すのを見て、ファリスは初めて相手に疑問を抱いた。
 どうして自分とマリアのことを知っているのだろう…イストリーのラミアのように、特殊能力を持つ自分たちを狙っているのではないか?
 不信が顔に出ていたのだろう、男は顔を引き締めて膝を突くと腰に下げていた剣も地に置いた。
 そこでファリスはようやく、自分が降り立った場所が夜の砂漠だということに気付く。
 乾いた砂が風に吹かれ、頬を打った。
 「大変失礼致しました、《ヴァルキリー》様。私は星の神殿の守護騎士を務めますエル・パトリックと申します」
 「守護騎士…」
 「星の神殿の巫女を守る任にあります。ヘンリエッタ殿の命を受け、《ヴァルキリー》様のお力添えをするよう派遣されました」
 神殿の仕組みなど分からない。
 男が真実を言っているのか否かとっさに判断できず、ファリスは唸った。
 その時、腕の中のマリアが身じろぎした。
 「う…」
 「マリア」
 はしばみ色の瞳がうっすらと開かれる。
 青ざめてはいたが今回は発作を起こしていないようだった。
 マリアの覚醒に気付いた男も身を乗り出す。
 「マリア殿…分かりますか、エル・パトリックです」
 「あ、エル・パトリック様?どうしてここに…」
 どうやら相手の素性は間違いないらしい。
 ファリスは息を吐くと、差し出された水筒の水をマリアに飲ませた。


 今回はエル・パトリックのおかげで現位置がすぐに知れた。
 アリストルで砂漠と言えばカスティリオーネ大陸のデュボア砂漠、別名流砂の砂漠だが、
 ここはそのデュボアよりやや北にあるミュカレ砂漠といい、カルナックからボンドに向かう陸路の途中に横たわっている地帯だ。
 大きさは当然デュボア砂漠に及ばないものの、慣れない者が安易に迷い込むのは充分危険とされている。
 三つ目の《宝珠》はこんなところにあるのか。
 「でもどうして騎士団長のエル・パトリック様がここに?
 やっぱりヘンリエッタ様とミルフィーユ様はマリアでは《ヴァルキリー》様のお役に立てないと思われているのでしょうか」
 マリアが沈んだ声で言う。
 イストリーの町でもファリスとラムウに守られてばかりだったと己が不甲斐なくてならない。
 しかしエル・パトリックは首を横に振った。
 「ヘンリエッタ殿もミルフィーユ殿も、マリア殿を信じておられます。気を強く持ってください」
 「でも…」
 「実はほんの僅かの間だけ、ミルフィーユ殿は水鏡をごらんになることができたのです」
 「水鏡?」
 「盆に水をたたえて、遠くで起こっている出来事を占ったり透かし見ることができます」
 「それは知ってるけど…」
 聞き返してきたファリスに、エル・パトリックは彼女が水鏡の意味を知らないのだと思ったらしい。
 そうではないと言外に示したファリスに、彼はばつの悪い顔をした。
 「ミルフィーユ殿は主に水鏡を使って神事を支えておられました。
 しかし《宝珠》が飛び散ってからは大きな力の波紋のせいで占うことができなくなっていたのです」
 「ならどうして急に使えるようになったんだ?」
 「おそらくあなたたちが《宝珠》の一つを回収したからでしょう。少しの間水鏡に映ったものを見ることができたようです」
 エル・パトリックはそこで言葉を切ると、皮袋の中から手のひら大の、なにやら平たいものを差し出した。
 美しい銀細工が施されたコンパスのようだった。
 「お二方、よく聞いてください。これから一時間後…あの二つの新月が並ぶ時、ここに闇のキャラバンが通ります」
 「闇のキャラバンだと!!?」
 マリアは首を傾げているが、その名前をよく知っているファリスはぎょっと身を強張らせる。
 「間違いないのか?」
 「だから私がここに来たのです。《宝珠》を回収するのはあなた方のお役目ですが、そこへ導く者が必要になりましたから」
 「もしかして《宝珠》を持っているのは…」
 「ミルフィーユ殿の占いでは、闇のキャラバンの中の誰かだと」


 胡桃、はちみつ、鳥の足。
 今日は宴だ Rin-Rin-Rin!
 僕らの町にキャラバンが来るぞ。
 
 林檎、タルト、煮込んだシチュー。
 跳んで跳ねて Don-Don-Don!
 僕らの町をキャラバンが通る。
 
 先頭は陽気な道化師(ピエロ)。
 ものまね大好きジェリー・ゴゴ。
 後に続くはライオン・サドル。
 でも大丈夫、爪は折れているし牙もない。
 さらに後ろに陰気なじいさん。
 呪文を忘れた魔道士(メタモルファ)。
 一番後ろを歩くのは、黒い鎧の首なしデュラハン。
 デュラハンは首がない。
 デュラハンは首が好き。

 キャラバンが通ったあとには赤い池。
 観客たちには首がない。
 首が大好き首なしデュラハン。
 首が欲しくて刈っちゃった。
 でもぴったりな首は今日も見つからない。
 
 赤髪、黒髪、ブロンドの首並んでる。
 宴が終わった Rin-Rin-Rin!
 闇のキャラバン今宵も行く。
 デュラハン今宵も首を刈る。


 夜更かしする子供に聞かせる歌にもなっている闇のキャラバン。
 しかしそれはおとぎ話ではない。
 闇のキャラバンはアリストルの二つの月が共に新月を迎えるひと時、一定の条件を満たした場所に降り立つという。
 亜空間と亜空間を移動し、キャラバンの通った後に生き人は残らない。
 あの滅びの町ゴーンの不可解な滅亡の理由も闇のキャラバンにあると言われるほどだ。
 キャラバンを形成するのは、人の域を超えた亜人たちであるとも、単に魔物の集団であるとも言われている。
 実態は誰にも掴めない。
 しかしその存在だけは死の匂いと共にはっきりしている。
 それが闇のキャラバンだ。

 三人はそのまま食事を取ることになった。
 イストリーのヴォルフガングの屋敷では呪を警戒して充分な量は口にしておらず、その最後の食事から丸一日近く経っているので腹ペコだ。
 エル・パトリックは二人に食べさせようとたっぷり食料と酒を持ってきていたため、ファリスは遠慮なくそれらにかじりついた。
 マリアも気分の悪さよりは空腹の方が強かったらしく、黙々と食事を口に運んだ。
 「俺を育てた養父は、闇のキャラバンは自然現象みたいなもんだって言ってたが」
 「ええ。我ら生き人にとっては似たようなものです」
 食後の林檎を食べ終えてファリスはようやく一息つき、エル・パトリックも二人分の酒を注いでいる。
 マリアはミルクと好物の葡萄パン、クロワッサンを一個ずつ平らげるとよほど安心したのか、今はシーツの上で丸くなっていた。
 「あのコンパスでキャラバンがくる方向が分かるのか?」
 ファリスが酒を受け取りながら目で指したのは、エル・パトリックが用意した銀のコンパスと呪い粉を混ぜて造った蝋燭。
 彼らが腰を下ろしているシーツからやや離れた場所に小さなテーブルを立て、その上に二つ並べて置かれている。
 興味深そうにしているファリスに、エル・パトリックは水色の瞳を細めた。
 「二つの月が並んだら…」
 砂漠にある光は蝋燭の炎だけ。
 二つの新月は肉眼では確認し辛いが、共にゆっくりと南に向かっている。
 やがて真南で、大小二つの月は縦に並ぶ。
 その時こそが…。

 「マリア、起きろ」
 「…ふぁ?」
 「闇のキャラバンが来るぞ」
 ファリスがまだ寝ぼけ眼のマリアを抱き起こすと、エル・パトリックは敷かれていたシーツをばさりと宙へ引っ張り上げる。
 食器も食事も飲み残した酒もグラスに入ったままだったのに、
 ばさりと音がした次の瞬間にはシーツは綺麗に折りたたまれてエル・パトリックの両手に収まっていた。
 彼はシーツを荷袋の中にしまうと早足でテーブルに駆け寄り、コンパスを覗き込む。
 「…どうだ?」
 「近づいているようです」
 エル・パトリックはしばらくコンパスを睨んでいた。
 ファリスもマリアも、その様子を固唾を呑んで見守る。
 やがて。
 …じじっ。
 蝋燭の炎が、風もないのに大きく揺らいだ。
 オレンジだった炎の色が青に、白に、そして淡い緑へと変化する。
 「こちらです、お二方」
 ようやく立ち上がったエル・パトリックがファリスたちを手招きする。
 コンパスは南南西を指していた。
 闇のキャラバンは南南西を目指しながら、この緑の炎をまたいで現れる。
 三人は蝋燭の光から離れ過ぎないように、そしてコンパスが示す方向から直角に近い位置に立つ。
 「闇のキャラバンは生き人を受け入れない。決して彼らの進路に立ってはなりません」
 「あの蝋燭は?」
 「呪術師がキャラバンをあえて呼び込むときに使う蝋燭です」
 「物好きな呪術師もいるもんだな」
 「呪術師にも派閥のようなものがありますからね。宗教に近い。それぞれ崇拝する神や悪魔、精霊がいるんです」
 「キャラバンの中に崇拝する神様がいるってのか」
 ありえない話ではない。
 エクスデスの作り出した《無》に呑まれた時、神話に登場する神や精霊が彷徨っていたのに遭遇している。
 キャラバンも《無》と《無》の間を渡り歩いているようなものだ。
 「来ました」
 
 緑の炎に影が重なった。
 かと思えば、その影から赤や黄色などの派手な色が浮き上がる。
 「今日は宴だ Rin-Rin-Rin!跳んで跳ねて Don-Don-Don!」
 影はあっという間に質量を持ち、道化師の衣装に身を包んだ小柄な男が身を躍らせた。
 「キャラバン通るよ Rin-Don-Rin!ものまねゴゴのお通りだ!」
 「ジェリー・ゴゴ…本物かよ」
 ファリスが思わず呟くと、ゴゴはぎょろりとした丸い目を向けた。
 動くたびに服に縫いこんである鈴がしゃんしゃんと音を立てる。
 「うわぁお!人間だ、人間だ!!生きた人間!大変だよ、首が飛んじゃうよ」
 静まり返っていた砂漠は一気に賑やかになった。
 ゴゴはおどけて叫んだりしながらぴょんぴょんと跳ね回る。
 ピエロが大騒ぎをしている間にも、炎からはどんどんキャラバンの行列が続いた。
 フードを被った腰の曲がった老人、赤い皮膚をした小悪魔、顔はライオン尻尾は蛇のキメラ…
 魔物魔獣ばかりかと思いきや、花を纏った妖精の出で立ちをした者もいる。
 これが闇のキャラバン。
 「想像してたのと全然違うな」
 「…ええ、同意見です」
 騒がしいのは先頭のジェリー・ゴゴだけで、あとの行列は静かなものだった。
 ファリスたちには気が付いているだろうに視線を向けることすらない。
 あの恐ろしい歌い文句で、人間と見れば襲い掛かってくるかと思っていたのだが。
 彼らはただ前だけを向き、目的の場所へ粛々と足を運んでいる。
 …目的の場所などあるのだろうか。
 「問題は、この中のどいつが《宝珠》を持っているかだが」
 「マリア殿、何か感じますか?」
 エル・パトリックはファリスの影に隠れてキャラバンを見ているマリアに話しかける。
 彼女は大声でこちらに話しかけるゴゴが気になって仕方がないようだ。
 「大丈夫です。我々がキャラバンの進路に入りさえしなければ問題ありません」
 ゴゴがキャラバンから外れてちょっかいを出してこようと、一度現れたキャラバンの進路が変更することはない。
 今の位置を保っている限り、問答無用で命をもぎ取られることだけはありえない。
 エル・パトリックの言葉にマリアは安堵し、《宝珠》の気配を感じ取るべく意識を集中させた。
 「まだぼんやりしてます。でも…だんだん近づいてくる」
 「力づくになるかもしれない。マリアを頼むぞ」
 「え、はい…」
 言うが早いかファリスはもうラグナロクを構えている。
 聞いていた以上に血の気が多いファリスにエル・パトリックは面食らっているようだ。
 そして。

 「来た…あれです」
 マリアが指差した先。
 揺らいだ蝋燭の炎に照らされ、一際大きな影が現れた。
 影は実態となり、黒く古びた鎧を全身に纏っている男らしいことが分かる。
 右手に剣、左手に盾を持った黒いデュエルナイト…。
 「え、」
 「あ…」
 現れたデュエルナイトに、ファリスとエル・パトリックは思わず獲物を取り落としかけた。
 二人してよほど間の抜けた顔をしていたのだろう、ゴゴが膝を叩きながらげらげら笑っている。
 しかしそんなゴゴの笑い声もファリスたちの耳には入らなかった。
 《宝珠》がある。
 隠すことなく堂々と、「それ」は《宝珠》を有していた。
 だがその場所は…。
 「堂々過ぎだろ」
 ファリスは呆れとも驚愕ともつかない声音を搾り出した。
 あろうことか、捜し求める《宝珠》はデュエルナイトの首の上に乗っていたのだ。
 本来あるべき「首」の代わりに…。
 
 《宝珠》を持っていたのは首なしデュラハンだった。





   



2010/03/23