知的ペットライフ講座2005
『動物の遺伝性疾患』について

「知的ペットライフ講座2005」第一回として1月23日(日)『動物の遺伝性疾患』について麻布大学陰山敏昭先生の講演が行なわれました。(会場・大日本製薬)多くのレントゲン写真を使い、具体的なお話で大変参考になりました。講義の内容を陰山先生のお許しを頂き掲載します。
動物の遺伝性疾患とは
遺伝性疾患について説明する前に、簡単に遺伝子について説明すると、動物の細胞には核があり、核の中に染色体がある。染色体数は人が46、犬78、猫38本。
人間の遺伝子治療にも役立てようと、英米では犬の遺伝子の解析が急速に進んでいる。現在までに遺伝性疾患は増加し続け、人間では4,000以上、犬で400以上、猫で180程度確認されており、今後も研究が進むにつれて増加するのは間違いない。
表現型と遺伝子型とは
犬の主な遺伝性疾患は400以上あるが、一般的に、世界的にある程度きちんと調べられているものに股関節の形成不全、肘の形成不全、膝蓋骨脱臼、レッグペルテス病、遺伝性の心臓病、甲状腺の異常、ダルメシアンなどの難聴、プードルの皮脂腺炎などがある。DNAの検査でわかる病気は比較的少ない。
猫に比べると犬に遺伝的な疾患が多いのは犬種特異性による。犬にはダックスからシーズー、シェパードまで幅広く犬種が別れており、これら犬種は犬の原種からするとかなり違いがあり、長期間をかけて人が犬種を作ってきたためでもある。
人間が作ってしまった遺伝性疾患
人間は犬の繁殖を完全にコントロールしてきた。人間の求める気質や体型、運動機能を求めて交配を繰り返すということは、逆の面として、犬種特異性の疾患が起こりやすいということでもある。つまり、欧米では遺伝性疾患も起こる可能性があるからこそ、その繁殖はプロの繁殖家が細心の注意を払って行なってきた。しかしながら、長い間、日本の状況ではその点が無視されてきた。
犬の代表的遺伝的疾患である股関節形成不全の説明の前に、骨の疾患について説明すると、犬と人間の骨格はほぼ同じである事をまず、知っていただきたい。頚椎骨の数は7個。キリンもゾウも人間も犬も、ナマケモノ以外、頚椎の数では7個で、哺乳類というのはかなり似ている。余談になるが、獣医師は人間の医者の整形外科の手術や脳神経の手術をかなり参考にしている。薬も、人間の薬をたくさん使っている。
現在の獣医療の中で遺伝性疾患に対する治療の割合が増えている。これからは、ジステンパーやパルボ、フィラリアを予防するのと全く同じように、遺伝性疾患を減少させていく努力をしていかなければならない。
股関節形成不全の日本の現状
特に股関節の疾患は非常に多い。股関節は、大腿骨の付け根の部分に丸い骨頭があって、骨盤の側に受け皿がある。すなわち正常ではボールとカップで出来た関節。ところが、股関節の形成不全の子は股関節が異常に緩くなり、亜脱臼を起こして関節が浅くなってしまう。
遺伝率とは、0は遺伝しない。逆に1は全部遺伝する。すなわち遺伝率が高ければ高いほど遺伝しやすく、股関節形成不全は、0.3から0.6ぐらいの遺伝率と報告されている。
ただ、多くの人々が頑張って努力していけば確率的には非常に少なくなるのは確か。人間の努力によって3分の1前後には減らすことはできる病気である。現時点での日本では遺伝性疾患に対する誤解も多く、例えば股関節形成不全があるからブリーダーが悪いという単純な事ではなく、獣医も含む犬に関わる全ての人間が今まで何もしていなかった事に原因がある。これからは、正確な情報を得て、改善に向かう前向きな努力を全ての人が行なっていく必要がある。
予防しないと蔓延する
股関節形成不全の症状で一番多いのは腰を振って歩くモンローウォークと横座り。これらは飼主が一番多く気がつく異常である。また、足をそろえて走る、散歩の途中で痛くて座り込む、階段を嫌がる、ジャンプを嫌がるというのも典型的異常。頭の位置を下げることで体重を前に移動したり、痛みが強い場合は後ろ足同士の幅が非常に狭くなる。もし少しでも疑わしければ早い時期にレントゲンを撮って正確に診断するのが重要である。
写真1(左)が正常な股関節。
ボールとカップの関節を見ると、ボールの部分がかなり深く入っている。
ところが、重度の異常になると写真2(右)のようにカップの形がほとんど無い。こういう非常に重度の子でも、大体13ヶ月を過ぎるとある程度の痛みは取れて、治療によって、家庭犬としてほぼ痛みの無い生活ができるようになる。
ただ、関節は元には戻せない。形成不全になった関節は、どんな治療をしようとも正常な関節には戻れないため、早期診断と早期治療を行なって関節と上手く付き合っていくことが必要である。
最近、股関節形成不全は小型犬にも多く見られるようになってきており、これ以上、日本が犬の遺伝性疾患を放置しておくと、多くの犬種で遺伝性の疾患が広まってしまう可能性がある。
動物愛護にも関係する課題
海外では、交配前に検査をして本当に繁殖させて良いのかを検討し、遺伝性疾患があれば繁殖犬として用いないのが常識。日本でも同じようにしないと、たった一頭でも遺伝性疾患を持った犬が繁殖犬となった場合や、特に人気犬種になった場合は一気に遺伝性疾病が広がってしまう危険がある。
辛い病気になるのを知りながら、私たち人間が繁殖させたり飼ってしまっているということは、動物の福祉の観点から見ても大きな問題であると考えている。命を救うのももちろん大切な動物福祉だが、一生涯にわたり痛みに苦しむ動物を放置しておくわけにはいかない。
また、そういうことを知りながら何にも対策を講じないというのは、動物愛護の精神にも関わってくる課題である。
遺伝性疾病は防げる病気
一方、神奈川県にある日本盲導犬協会では現在、盲導犬候補犬および繁殖犬を全頭検査しているが、重度の股関節形成不全はわずか数%で軽度の子が13%、合計15%程度。同じ日本のラブラドールなのに、これだけ発生率が違うというのは、人間側に原因があるといわざるを得ない。逆に言うと、私たち人間一人一人が頑張れば、大きく改善させることができる疾患なのである。
防止のための具体的な取組み
では、どうしたら遺伝的な疾患を防ぐことができるか。
問題の一つには日本の人気犬種ブームがある。年度、登録数、返還・処分された頭数に関する資料があるが、急激に増減している犬種がいる。普通は繁殖後、異常をチェックして次の繁殖をするが、大量生産の場合にはそれがまず行なわれていない。急激に増えているということは、その裏で遺伝性疾患が隠されている可能性が非常に高いのである。
『日本動物遺伝病ネットワーク』の活躍
遺伝性の疾患に関しては、一人一人の努力が絶対に必要である。私は獣医師だが、獣医師も公正な診断や判断が不可欠であろう。日本には獣医師を含めた犬に関わる関係者全員が少しずつ原因を作ってしまった過去がある。
しかし、現在では犬を愛する多くの人が動き始めた。雑誌『愛犬の友』では「股関節形成不全が遺伝性疾患であることを知ってください」という記事を掲載した。また、『週刊朝日』にも、JKCが「血統書は宝石の鑑定書とは違う」と述べているような前向きな記事を掲載しており、少しずつ前進している。これらの前向きな動きをしていただいた方々の大きな努力には敬服する次第であり、これからの日本の未来にも明るい兆しが芽生えてきた。
2003年夏、日本でもようやく非営利団体である日本動物遺伝病ネットワーク(JAHD: Japan Animal Hereditary Disease
Network)が設立して、股関節と肘と膝のデータベースを作成している。将来的にはリサーチデータベースとして、いろいろな疾患の情報が多くの人にシェアできれば良いと思っている。
E-mail : info@jahd.org
遺伝性疾患を減らすためには、本当に一人一人の小さな努力によってしか変えられない。一部の人間だけが一生懸命になっても無理で、飼主やブリーダーなど犬を愛する関係者一人一人が協力し努力することで遺伝性疾患を減らすことができる。
私たちの目的は単純で、現在ある痛みと苦しみを取り除いてあげたい。そして、苦しんでしまう可能性のある動物をなるべく少なくしようということ。ブリーディングというのは非常に難しくてプロのする仕事だと私は思っている。「うちの子は可愛いので、あの子と結婚させよう」というのは、遺伝性疾病上、すべきではない。その犬種の特性や疾患を熟知したプロの考える仕事なのである。一頭でも多くの動物を苦痛から救う努力を、これからも続けていきたいと考えている。
一人でも多くの人が犬と幸せに暮らすためには、一人一人の小さな努力があって、はじめて得られるものであるという認識が必要である。



