シェパードの歴史


みなさんシェパ飼いはStephanitzという名前をお聞きになったことがあるでしょう。
 
Max Emil Fredelik von Stephanitz(マックス・エミール・フレデリーク・フォン・シュテファニッツ)は、1864年12月30日、貴族の家に生れました。
ドイツ帝国陸軍の軍人であったStephanitzは、1890年代初頭の或る日、広い草原で一人の羊飼いが数頭の牧羊犬を見事にあやつり、羊たちを監守、誘導している姿を見て、その犬の賢さに痛く感動し、いつの日か自分の手でドイツ中の羊飼いの役に立つすばらしい作業犬を作り出そうと心に誓ったのが事の始まりです。
Stephanitzは一時、ベルリン獣医大学に勤務しましたが、その時得た生物学、遺伝学の知識は後日彼が科学的なブリーディングを導入するにあたり非常に役立ったのです。
 
1898年、Stephanitzは34才で騎兵大尉に昇進したばかりでしたが、貴族でありながら身分違いの女優と結婚したため、退役を余儀なくされました。
Stephanitzが軍人になったのは、貴族の務めでしたし、彼の母親の願いでもあったのですが、彼はもともと農場主になりたかったのです。
そこで、退役したStephanitzは、妻と家族と彼の熱中する仕事即ち「究極の作業犬の作出」のため、南ドイツのミュンヒェン近郊のGrafrath(グラフラート:ミュンヒェン中央駅から電車で30分くらいの町)に土地を買いました。
 
ヨーロッパやオリエントにおける牧羊の歴史は数千年前に遡ります。羊飼いは狼や盗賊から羊を守るため早くから犬を使っていたようです。
ローマの歴史家Marcus Terrentius Varro (116〜27 BC)は「夜間に狼と見分けがつくよう、白い犬を牧羊犬として使っている」と書き残していますし、Columella (〜60 AD)は牧羊犬を三つのタイプに分類して、「1)大形犬:殆ど白色、2)小形犬:さまざまな色、3)スピッツタイプ:さまざまなサイズで色もウルフグレイ、黒、白、茶色」と書き残しています。
 
19世紀終り頃のドイツでも、テリアサイズの小形犬から大形犬までいろいろな犬が牧羊犬に使われていました。しかし大形犬は小形犬に較べ機敏さが劣っていました。コートも短毛・長毛、もじゃもじゃ・スムース、白・白に斑点・オフホワイト・茶色・黒・ブルー・セーブル・ブラックタン・ぶちなど、立ち耳・垂れ耳、垂れ尾・巻き尾などバラエティーに富んでいました。
新たな犬種を作り出し、それに統合していこうという試みはなされていましたが、ことごとく失敗に終っていたのです。1881年「Phylax協会」というブリーディングのクラブが設立されましたが、しっかりした基盤を持っておらず、メンバーの共通の狙いが「狼に似た犬を作って、その市場価値によって儲けよう」というところにあったので、たった3年で失敗に終っていました。
 
Stephanitzは、スコットランドで作出され、ビクトリア女王に愛玩されたコリーのサクセスストーリーを新しいスーパードッグによって再現しようと考えました。
彼のイメージした犬は、強健で、聡明で、立ち耳と全天候型の中短毛のコートを持ち、フレンドリーで、魅力的な性格で、従順で、訓練し易い犬でした。
 
Stephanitzは、1899年 4月3日、シュバルツバルト(黒い森)北端の古都Karlsruhe(カールスルーエ)で開催された全犬種のドッグショウで "Hektor Linksrhein "(ヘクトール・リンクスライン)という名の4歳の牡犬を発見し、この犬こそ自分の思い描いていた作業犬の原型である、と即座にこの犬を譲り受けました。 この犬はチューリンゲン地方(ドイツ中部の所謂ゲーテ街道の南に広がる一帯)で見られたチューリンゲン系の犬で、Friedrich Sparwasser (フリードリッヒ・シュパルヴァッサー)のブリードによる1895年生れの犬でした。
 
Stephanitzは、Hektorを手に入れると直後の1899年4月22日、友人の Artur Meyer (アルトゥル・メイヤー)、ほか9人(3人の羊のオーナー、2人の工場経営者、宿屋の主人、建築家、市長、判事)と共同で「ジャーマン・シェパード・ドッグの統一的改良繁殖」を目的とする "Verein fur Deutsche Schäferhunde"(フェライン・フュア・ドイチェ・シェーファーフンデ、略してSV)(ドイツシェパード犬の協会)を設立したのです。 Meyerは協会の事務局長としてシュツットガルトの彼の家からのクラブの事務を指揮しました。
 
ドイツ語でSchaf(シャーフ)とは羊です。Schäfer(シェーファー)は羊飼いです。これにHund(フント=犬)が付いてSchäferhund(シェーファーフント)となると牧羊犬です。コリーやシェルティー、コーギーなどもSchäferhundなんです。
Stephanitz は、自ら作出する犬こそ「ドイツを代表する牧羊犬」だとばかりに" Deutsche Schäferhund"と名付けたのでしょうか。
因みに、英語(というか米語)では、German Shepherd Dogといいますが、ShepherdはSheep(羊)+Herd(番をする)で羊飼いのことです。
英国では正式には、German Shepherd Dogですが、一般的にはAlsatian(アルセイシャン:アルザスの犬)と呼ばれています。
仏語では、Berger Allemand(ドイツの羊飼い)です。
 
"Hektor Linksrhein"はStephanitz によって"Horand von Grafrath"(ホランド・フォン・グラフラート)と改名され、SVのジャーマン・シェパード・ドッグの第1号(SZ1)として登録されました。
この犬は気迫の塊のような犬で、常に活動しているような犬だったようです。HorandはStephanizによって35頭の異なる雌と53回交配し、140頭の仔を残したと記録されています。自分の娘とも3回交配しています。その血は現在の全世界のジャーマン・シェパード・ドッグに脈々と流れているのです。


Hektor Linksrhein
(Horand Grafrath)
1895生
Kastor
1893.02.07生
グレイ
チューリンゲン系
Polux
1891.02.22生
グレイ
チューリンゲン系
Roland
Courage
Schäfermädchen
von Hanau
チューリンゲン系
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Lene Sparwasser
1894生
ダークグレイ
チューリンゲン系
Greif Sparwasser
1878生
ホワイト
チューリンゲン系
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Lotte Sparwasser
チューリンゲン系
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面白いことに、この Horand の母方祖父の"Greif Sparwasser"(グライフ・シュパルヴァッサー)は白色でした。1878年生れでBaron von Knigge所有の Greif Sparwasserは、1882年のHanoverの展覧会に出陳されています。
ジャーマン・シェパード・ドッグもブリーディングの初期の段階では、ホワイトの仔が沢山生れましたが、HorandにはGreifの血が伝わっているので当然のことでした。
Horandの子で1900・1901年のジーガーとなった"Hektor von Schwaben"(ヘクトル・フォン・シュヴァーベン)の子孫で、1913年生れのホワイトシェパード"Berno von der Schneewiese"(ベルノ・フォン・デル・シュネーヴィーゼ:Schneewieseは雪原)については、1921年に出版されたStephanitzがジャーマン・シェパード・ドッグ全般について記した著書にも写真入りで紹介されています。